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歩兵第三十二連隊終焉の地碑

名所・史跡

糸満・ひめゆり

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歩兵第三十二連隊終焉の地碑 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11607599

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施設情報

施設名
歩兵第三十二連隊終焉の地碑
住所
  • 沖縄県糸満市真栄里
アクセス
白梅之塔から徒歩すぐ
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(5件)

糸満・ひめゆり 観光 満足度ランキング 55位
3.26
アクセス:
3.83
人混みの少なさ:
4.00
バリアフリー:
0.00
見ごたえ:
3.50
  • 白梅の塔近く

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/04(約3年前)
    • 0

    白梅の塔から少し西に行ったところにあります。前の道は広くないので車を止めたまま歩いた方がいいです。大日本帝国陸軍の連隊のひ...  続きを読むとつであった部隊で、終焉の地ですが、全滅ではないようですね。民間人で全滅したひとの悲劇さをより感じます。  閉じる

    投稿日:2021/06/28

  • 軍旗を燃やし最期の地となった場所

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/09(約8年前)
    • 4

    白梅の塔から徒歩数分、山形の塔の前に建てられた碑です。
    戦跡としてはとても新しく、建立は2006年。

    碑文にある「...  続きを読む歩兵第32連隊」というのは、多くの山形県出身者で編成されていたことから、山形の塔の前に建立したのでしょう。
    この日の前に、連隊が潜んでいた壕(立入禁止)があります。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • 昭和の沖縄地上戦をめぐる旅をしていた中、訪れたのがここ「歩兵第三十二連隊終焉の地碑」。ここは、沖縄地上戦のかなり終盤、状況...  続きを読むは非常に非常に厳しい中、アメリカ軍に善戦した部隊が「歩兵第三十二連隊」。この部隊は、東北の山形からの方々で編成された部隊で、この方々の雄姿は忘れてはいけませんね。そのため、このすぐ脇というか近くには「山形の塔」があります、敬意を払う必要があると感じました。  閉じる

    投稿日:2017/04/22

  • 軍旗を奉焼した由緒ある地

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/04(約8年前)
    • 1

    県道250号線の国吉の集落付近から分かれて県道54号線に入り300mほど南下して、右手にある“白梅の塔”の案内板に従って間...  続きを読む道を進み、“白梅の塔”を右手に見てさらに100mほど進むとその先に「歩兵第三十二連隊終焉の地碑」があります。向かいには、「山形の塔」があります。
    この地は、沖縄戦の末期、主に山形県出身者で編成されていた歩兵第三十二連隊が、敵の手に渡ることを防ぐため軍旗を奉焼した由緒ある地(終焉の地)で、向かいには、「山形の塔」もあります。碑は平成17年(2005年)8月に歩兵第三十二連隊で生き残った隊員の方々が建立したものです。祖国防衛のために命をかけて戦われた先人をしのび、戦没された英霊のご冥福をお祈り申し上げました。  閉じる

    投稿日:2016/04/08

  • 沖縄戦に於いて台湾へ転出した第9師団の代わりに配属となった第24師団。その隷下の部隊である歩兵第32連隊が第32軍司令部の...  続きを読む南部撤退命令によりこの碑のある国吉台の地にやってきたのは、日本軍の敗色が濃くなった昭和20(1945)年6月初旬のことでした。通信網の途絶により連隊本部や大隊との連絡も取れず、お互いが無事なのかどうかすらわからない状況でゲリラ戦を仕掛けていたようです。

    第32軍牛島満司令官と長勇参謀長の自決により日本軍の組織的抵抗が終了しますが、それから2カ月後の昭和20(1945)年8月22日、歩兵第32連隊第一大隊が籠る壕に既に捕虜になっていた日本軍の下士官を連れた軍使がやってきます。戦いは終わったという降伏の勧めですが、第一大隊長の伊藤孝一大尉も最初は信じられなかったそうです。しかし軍使として米軍司令部に通う中で、捕虜となっていた第32軍司令部高級参謀八原博通大佐に出会ったことにで敗戦を知り、連隊長に降伏を進言します。米軍との橋渡しを一任された伊藤隊長は、8月29日に第32連隊は武装解除することを伝えます。その前夜には連隊旗を奉焼し、明治31(1894)年から続いた連隊の栄光と伝統に終止符を打ちました。

    第32連隊終焉之地というと連隊の玉砕の場所だと思われがちですが、こちらは意味が異なります。確かに連隊の歴史は終わりましたが、その連隊を構成する兵士は降伏により助かっています。連隊本部と第一大隊で一説には300余名とも言われ、また通信が途絶えていた第二大隊も伊藤隊長が間に入り200余名の兵士の命が救われました。

    勿論時期の問題はあれど、現状の?的確な判断?がなされたことによる結果であったことには違いありません。かと言って偉そうなことは絶対に言われない第一大隊長伊藤孝一隊長は、昨年の沖縄慰霊の日にまつわる記事の中で「多くの部下を死なせてしまった」と悔いておられたのが心に残っています。

    もしこのような判断ができる将校がトップであれば、戦争の流れそのものが変わっていたかも知れない・・・。そんな気持ちを強くさせるこの第32連隊終焉之地の碑のように思えました。  閉じる

    投稿日:2016/04/02

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