浄魂之塔
名所・史跡
3.23
クチコミ・評判
1~3件(全3件中)
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将兵や住民の遺骨を
- 3.0
- 旅行時期:2021/04(約5年前)
- 0
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1万柱の戦死者を祀る
- 4.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 1
県道25号線と県道7号線の交差点(新垣交差点)から、県道7号線を北に200mほど上がり、右側の間道を入った先にあります。
... 続きを読む
昭和32年3月、新垣部落の有志が、この地で戦い戦死された将兵並びに戦闘に協力した住民の遺骨約1万柱を納めて建立されたものを昭和42年3月、南方同胞援護会の助成によって改修したものだそうです。
新垣という小さな集落周辺だけで1万柱という大変な戦死者があったという事実を知るにつれ、いかに過酷な戦争だったか改めて考えさせられ、安らかにお眠りされるよう手を合わせました。
この場所が少し判りづらいということもあってほとんど人が訪れている様子がありませんが、地元の人々によって大切に祀られているようで浄魂之塔の周りはきれいに管理されていました。観光気分で行くようなところではありません。静かにお参りしましょう。
閉じる投稿日:2016/04/04
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新垣集落の住民によって集められた戦没者の遺骨10,000余柱が祀られています。~浄魂之塔~
- 5.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 9
米軍が沖縄本島に上陸した後、数え切れない戦闘をしてきた第24師団隷下の各部隊でしたが、圧倒的な数に勝る米軍の前で徐々に戦況... 続きを読むは悪化し、第32軍司令部の南部への撤退に同行しこの新垣集落の壕を最後の拠点とし布陣したものの、昭和20(1945)年6月17日にこの地で玉砕されました。
戦後昭和32(1957)年3月に地元荒垣集落の住民の手によって、散乱していた将兵並びに戦闘に協力散華せる多数の住民の遺骨10,000余柱が集められて、奉納されたものが浄魂之塔となります。その後南方同胞援護会の助成を受けて昭和42(1967)年3月に改築され、現在に至っています。
この浄魂之塔の場所が沖縄県道7号線より少し奥まった場所にあり、わかり辛いこともあるのかほとんど人が訪れている様子がありません。住民の遺骨も祀られている場所なのでそうでもないかな…とは思っていましたが、やはり遺族の高齢化によってマメに訪れることができない?現実の理由?を痛感しました。
また沖縄戦末期の激戦を軍民ともに戦い玉砕し、住民の手によって作られた慰霊碑ゆえの重みに対し、手をわせて目を瞑ると70年前にタイムスリップしたように思えるのは私だけでしょうか? 閉じる投稿日:2016/04/02
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基本情報(地図・住所・アクセス)
- 施設名
- 浄魂之塔
- 住所
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- 沖縄県糸満市新垣
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- 大きな地図を見る
- アクセス
- 真壁公園より車で5分
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。
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