RAINDANCEさんのクチコミ(34ページ)全1,748件
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投稿日 2022年12月12日
総合評価:4.0
佐渡といえば朱鷺(トキ)です。トキにも色々種類がいるんですね。「トキ資料展示館」では、ゆるキャラらしき”サドッキー”がお出迎え。昭和56年(1981年)、人工繁殖のために捕獲された”ミドリ”や、日本の野生の最後のトキ、”キン”のはく製がありました。「トキふれあいプラザ」では、飼育されているトキを間近で見られます。トキは古来から日本やユーラシア大陸の広範囲に多く生息し、古くから食用にもされていたそうです。戦時中は食用以外にも羽毛を目的に乱獲され、田畑の農薬もあってエサが減り絶滅の危機を迎えると、一転して保護繁殖に努める...人間とは勝手なものですが、絶滅させない様に頑張っている方々には敬意を。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2022年12月12日
総合評価:4.5
「京町通り」に入るとすぐに目に目に入る下京町の「時鐘楼」、正徳2年(1712年)に佐渡奉行だった荻原重秀の命により佐渡の出銅で鋳造され、1871年頃まで町内で時を知らせていたらしい。ずっと中断してたけど、近年になって再び朝夕撞かれているそうです。いい話。通りには古民家を活用した茶屋やギャラリーが並びます。鉱山が栄えていた頃はこの京町通りは繁華街で、京都出身の豪商だった山田吉左エ門が両替や廻し船で儲けけたそうです。3階建!の家もあったそうな。京町通りを結構山側へ上ってきたところに「旧相川拘置支所」があります。昭和29年(1954年)に、新潟刑務所相川拘置支所として開設されました。拘置所を他地区に移転する昭和47年(1972年)まで使われていたそうです。金銀を扱う相川地区だけに、それなりに犯罪も多かったのでしょうね。この拘置所跡は、現存する木造の拘置所として外観・内部ともほぼ当時のままというからこれは貴重ですね。あと、京町通りは高台にありますので、通りの街並みだけでなく相川の湾の眺望も見どころです。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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金脈の発見により天領となり、相川に「佐渡奉行所」が置かれました
投稿日 2022年12月12日
総合評価:4.0
金脈の発見により、幕府は佐渡を直轄地=天領(幕府の直轄地)とし、慶長8年(1603年)に相川に「佐渡奉行所」が置かれました。ここは平成13年(2001年)に復元された建物。奉行所内には住居部分と行政部分がありました。奉行所の建物は5回の焼失と再建を繰り返し、明治維新以降は役所や学校に使われ、昭和4年(1929年)に国史跡に指定されながらも昭和17年(1942年)に火災により焼失してしまったそうです。平成6年に再び国史跡に指定されたことで平成の再建に至ったそうです。奉行所にこういう施設があるというのは特異ですね。支配者のカネへの執着は半端ないですね。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2022年12月12日
総合評価:4.0
日中戦争後の昭和12~15年(1937~40年)にかけて整備された選鉱施設です。レンガ造りの三角屋根の建物は明治期の火力発電所。”浮遊選鉱”とは、砕いた鉱石を水槽に入れ、溶液を加えて鉱物だけを浮かせる分離設備です。工場の跡地の奥にあるのが沈降分離装置「シックナー」。昭和15年(1940年)に完成した比重差で分離する装置で、ここで泥鉱から水分を分離して向かいの北沢浮遊選鉱場へ送っていたそうです。国力を高めようとしていた昭和初期、資源が出るとなると離島だろうとどこにでも活用インフラを整備した当時の日本の活力を感じます。なお、北沢浮遊選鉱場の古い写真は、近くの相川郷土博物館で見ることができます。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2022年12月12日
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投稿日 2022年12月12日
総合評価:4.0
北沢浮遊選鉱場跡などがある北沢エリアにあります。相川に伝わる伝統工芸を学べる体験施設です。こちらに並んでいるのは、裂織(さきおり)という織物を織る機械で「ネマリバタ」というそうです。「文弥人形」は、国重要無形民俗文化財となっている佐渡の伝統芸能だそうです。江戸時代の人形芝居と、明治時代に盲人の座語りとして語られていた文弥節が融合したものらしい。伝統工芸体験だけでなく、北沢浮遊選鉱場の建設中の写真や解説などもあるので、選鉱場とセットで訪れると良いと思います。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2022年12月12日
総合評価:4.0
佐渡金山は、慶長6年(1601年)に山師3人により開山されたと伝えられ、慶長8年には徳川幕府が直轄の天領として佐渡奉行所を設置、小判の製造も行われ幕府の財政を支えました。「江戸金山絵巻(宗太夫坑)コース」と「明治官営鉱山(道遊坑)コース」があるのですが、明治期以降の近代化産業遺産群はあまり興味ないので、宗太夫抗コースのみ見学しました。なお、道遊の割戸を正面から見たい場合は、明治官営鉱山(道遊坑)コースへ行かないと見れないようですのでご注意を。「宗太夫坑」は江戸初期に開発された手掘り坑道です。採掘作業が忠実に再現されています。そういえば、西伊豆の土肥金山もこんな感じでしたね。人形で再現して…これが金銀山観光の定番スタイルなのでしょうか。そういえば、石見銀山には人形はいなかったな~。世界遺産ではさすがにチープな演出は避けたのか...。いずれにしても、手堀りでここまで掘るのはすごいなと思いました。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2022年12月12日
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投稿日 2022年12月12日
総合評価:4.0
相川の街から「大佐渡スカイライン」の約15kmの山ツーリングを経て「交流センター 白雲台(はくうんだい)」へ到着。標高約850mに建つ山小屋風の建物です。展望デッキからは、両津湾の大パノラマが広がっていました。ここまで登ってくると真夏でもさすがに風が涼しかったです。交流センターの店内には佐渡特産品が並んでました。とにかく景色が素晴らしいのでオススメです。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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道幅も路面もイマイチだが、山上の白雲台からの眺めは素晴らしい
投稿日 2022年12月12日
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投稿日 2022年12月12日
総合評価:3.5
揚島遊園から6kmほど南下した「吹上海岸」にあります。その昔、佐渡最強の山伏だった「佐渡弁慶」が相川から金北山へ修行に行く途中、待ち伏せした鬼が力比べを挑まれ、その際に佐渡弁慶が投げ飛ばした岩がここまで飛んできたと伝えられているそうです。確かに、伝説を作るにはいい感じに岩が挟まっていました。はさみ岩の他にも、江戸時代に金銀山の復興に尽力した名奉行「鎮目市左衛門の墓」がありました。が挟まっていました。はさみ岩の他にも、江戸時代に金銀山の復興に尽力した名奉行「鎮目市左衛門の墓」がありました。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
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投稿日 2022年12月12日
総合評価:4.5
尖閣湾の第5景「揚島峡湾」に建つ観光施設が「尖閣湾 揚島(あげしま)遊園」です。ビジターセンターのチケット売り場でチケットを購入し入場。入ってすぐに、湾のダイナミックな景観が広がります。「遊仙橋(ゆうせんきょう)」の先には「あげしま展望台」。遊仙橋は「まちこ橋」とも呼ばれ、松竹映画”君の名は”のロケでの吊り橋のシーンが有名になったそうです。崖の下から遊覧船が出ていますし、たらい船の体験コーナーや売店など、風光明媚な尖閣湾の中心となる観光スポットです。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月12日
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投稿日 2022年12月11日
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ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンにも掲載された巨大な一枚岩
投稿日 2022年12月11日
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投稿日 2022年12月11日
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投稿日 2022年12月11日
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投稿日 2022年12月11日
総合評価:4.0
椎崎温泉では、加茂湖の東岸に建つ「朱鷺伝説と露天風呂の宿 きらく」という、佐渡でもっとも湯温が高く湯量も多いという宿に泊まりました。チェックイン後、さっそく温泉へ。離れにある露天風呂「湯楽長屋」へ。貸切の加茂湖を望む露天風呂に入りました。宿の案内を見てもはっきりと書いてませんが、塩化物泉の源泉かけ流しだと思います。泉質はなかなか。長屋には貸切風呂以外にも男女別の露天風呂がありました。2階には加茂湖を見渡せる涼み処があり加茂湖を一望できました。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 泉質:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
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投稿日 2022年12月11日
総合評価:4.0
越後湯沢駅の駅ビルです。「がんぎ通り」という屋台っぽい店が並ぶ通りと一体になっているようで、一番大きな店舗は「ぽんしゅ館」です。ぽんしゅ館内では新潟の数ある日本酒の試飲ができます。試飲体験料500円を払うとメダル5枚とおちょこが供され、好きな日本酒を試飲できました。館内はお酒にちなんだ売り場も充実。爆弾おにぎりの「雪ん洞」もあります。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 3.5
- 品揃え:
- 4.5
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:4.0
三国街道の宿場町である須川宿は、鎮守である熊野神社が平安時代後期に源頼義によって創建されたとの伝承が残っていることから、比較的早い時期から存在していたとされています。享保3年(1686年)には49軒、明治10年(1877年)には129軒の家屋があったとされ、本陣(梅沢家)と脇本陣がそれぞれ1軒づつ設置されたとのこと。結構細かく記録が残っているんですね。天保13年(1842年)に新潟の村松藩が参勤交代で利用した際は、18軒の旅籠に分かれて泊まったという記録があるようです。享和3年(1803年)に行われた伊能忠敬の第4次測量で三国街道を利用した際には、須川宿でランチして須川から4つ南の塚原宿の”名主権左衛門宅”で宿泊した...みたいな細かい記録まであるそうな。そんな須川宿の脇本陣跡の敷地に建てられたのが「須川宿資料館」、須川宿本陣の門だった建物が移築され、資料館内部には本陣の上段の間が復元されています。先述の細かい記録が資料館に残っており、歴史のリアリティーを感じられました。
- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.0





























































































































































