ゆっくさんのクチコミ(37ページ)全1,048件
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- 基本情報
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投稿日 2015年11月06日
総合評価:5.0
福井駅西口を出て、城の橋通り沿いにあります。徒歩5分程です。
ビルの狭間にポツンと北の庄城址柴田公園の一角に存在しています。
北ノ庄城は一向一揆を平定した柴田勝家が築城したに城で、秀吉との戦いで、お市の方と共に自刃し、炎上倒壊した城です。
遺構は現存してなかったものの、本丸跡と伝聞されてきた柴田神社を平成10年に建替える際に、確かに石垣が出土し実証されたとのことです。
資料館は無料でこじんまりとしていますが、発掘した際に出土した物や北の庄城に関すること、そして柴田勝家に関する資料が展示されています。また、勝家が実際に使ったといわれる舟を並べて橋にする際の鎖も展示されています。
柴田公園には、北の庄城の天守閣の模型や発掘した石垣址、勝家・お市・浅野三姉妹の銅像等があります。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年11月06日
総合評価:3.0
福井市内を流れる足羽川を渡る県道6号が通っている橋です。
なぜ、この橋が観光スポットかというと、この道は北陸道の一部で、往時、北の庄(福井の古称)に入る唯一の橋として、柴田勝家が半分石で半分木で造ったからです。
なんと明治時代まで実際に半木半石の橋だったそうです。もころん現在は、普通の鉄筋コンクリートです。
この橋から1?程下流に下った北の庄城址柴田公園に九十九橋の半木半石の橋がこじんまりと復元されています。石の部分は福井名産の笏谷石で、欄干部分は実際に九十九橋に使われていた欄干だそうです。これは個人が保管していたものを復元に伴い寄贈していただいたとか。
この公園には勝家の像や北の庄城の天守閣等もあり、勝家三昧です。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年11月06日
総合評価:5.0
福井駅西口を出て、城の橋通り沿いにあります。徒歩5分程です。
ビルの狭間にポツンと北の庄城址柴田公園の中央に鎮座しています。
槍を持って座って睨みを利かしている姿はまさに「鬼柴田」ですね。
北の庄城は一向一揆を平定した柴田勝家が築城した城で、また秀吉との戦いで、お市の方と共に自刃し、炎上倒壊した城です。
柴田勝家の像の他、北の庄城の天守閣の模型や、また勝家の後ろには、お市の方と浅野三姉妹の像があります。
この公園は、もともと北の庄城の本丸跡と伝聞され柴田神社が建立されていましたが、神社の改修の際に確かに石垣が出土したとのことです。
確認された石垣や堀址等も保存しており、こじんまりしていますが、説明版も丁寧で整備されており、勉強になりました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年11月06日
総合評価:4.0
福井駅西口を出て、城の橋通り沿いにあります。徒歩5分程です。
ビルの狭間にポツンと北の庄城址柴田公園の中に存在しています。
一向一揆を平定した柴田勝家が築城した北ノ庄城址に建立された神社です。
本丸跡と伝聞されてきた柴田神社を平成10年に建替えた際に、確かに石垣が出土し実証されたとのことです。
この地で、勝家は、その妻お市の方と共に自刃したんですね。大河ドラマのシーンがよぎり感慨深くなりました。
御祭神は、まさに柴田勝家とお市の方です。
社殿自体は新しく、神社の前には柴田勝家、お市の方、そして浅野三姉妹の銅像が建立されています。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年11月06日
総合評価:5.0
唐門から入ると、一番最後、最も南側に位置する一乗谷朝倉氏遺跡にある4庭園跡の一つです。昭和42年に復元整備され、平成3年に導水路が整備され、往時の姿に再現されました。
4庭園とも国の特別名勝に指定されていますが、その中でも最大の規模を誇るそうです。庭園の北側に諏訪館が建ってたと考えられており、朝倉5代当主義景の妻「小少将」の為に建てられました。
廻遊式庭園で、中央の大きな石と紅葉の木が印象的でした。また、中央の石の間から滝が流れているそうですが、私が訪れた時は確認できませんでした。庭園は丘の中腹にありますので、ここから一乗谷の城下町も見渡せます。
400年前は北ノ京と言われるほど京文化が華開いていたそうで、確かに庭からも、その絢爛さはうかがえますね。建物は朽ちても庭は残り続けることに、しばし感慨深くなりました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年11月06日
総合評価:5.0
一乗谷朝倉氏遺跡の象徴的な門と言っても過言ではないでしょう。
遺跡の中央部、復原街並の真向かいに建っています。
朝倉館前にある門ですが、朝倉氏が建てたものではなく、朝倉氏滅亡後、豊臣秀吉が朝倉義景の菩提を弔うために館跡に建てた松雲院の山門として建てたと言われています。現在建っているのは、江戸時代中期に再建されたものだとか。
苔むした唐破風が風情があります。唐門の隣には桜の木が建っていました。私は夏に訪れましたが、春はより趣がありそうです。
朝倉氏の遺跡の象徴が朝倉氏を滅ぼした信長軍の秀吉によって建立されたというのも皮肉な話ですね。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年11月06日
総合評価:5.0
高岡駅から北東に徒歩15分程、高岡大仏からも5分程の高岡古城公園の南に位置しています。
博物館は無料で入館でき、高岡の歴史や伝統産業に関する資料が展示されており、高岡城の予習・復習の情報収集ができました。
入口の吹き抜けには大きな高岡市の空撮の写真がありました。
また、高岡城主の前田利長の銀鯰尾兜のレプリカがあり、被って写真を撮ることが出来ます。
なお、高岡城の100名城スタンプが置いてあります。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.5
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:5.0
三十間長屋の傍、本丸の北西に当たる場所に戌亥櫓があります。
本丸は二の丸や三の丸より高台にあるため、戌亥櫓から金沢城全体を見渡すことが出来ます。私が訪れた時は、ちょうど橋詰門を修復中でした。完成するとよい景色でしょうね。
2階建ての櫓が建っていたそうですが、1759年の火災の後、再建はされなかったそうです。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:5.0
金沢城の中央にあります。
平成13年に復元され、三の丸広場から見ると、五十間長屋の右側です。
菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓として機能しています。また、五十間長屋で対となる橋爪門続櫓は二ノ丸へ入る橋爪門枡形を見張る物見櫓として機能しています。
五十間長屋、橋爪門続櫓と一体となっており、二の丸側から有料ですが入場できます。
一見、外からは四角い櫓ですが、内部からよく見ると菱形をしています。なんと柱も菱形にしているとのこと。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年11月05日
総合評価:5.0
もてなしドームは金沢駅の東口にできたガラスの屋根です。
そして、そのドームの終わりには、木製の「鼓門」がドーンと構えています。
雨や雪の多い金沢に降りた人に傘を差し出す、もてなしの心をイメージしているとのこと。3019枚のガラスが利用されているそうで、天井が高いし、明るいし、駅ということを忘れそうです。
夜はライトアップされており、幻想的です。
ガラスの近代的なもてなしドームと木製の伝統的な鼓門が金沢らしい感じがしました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年11月05日
総合評価:5.0
鼓門と聞くと、お城にある門のような気もしますが、駅前にある現在の門です。
鼓門は金沢駅の東口にガラスの屋根から続くドーンと構えている2005年に完成した木製の門です。目の前にすると想像以上に大きいです。もう、金沢の代名詞ですね。
金沢で盛んな能楽の加賀宝生で使われる鼓を模した、らせん状の柱に木枠の天井です。高さは14m弱で、木製の柱のせいか、よけいに大きく感じますね。
ちなみに鼓門に続くガラスの屋根は「もてなしドーム」と呼ばれています。
ガラスの近代的なもてなしドームと木製の伝統的な鼓門が金沢らしい感じがしました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年11月05日
総合評価:5.0
新潟駅の西側連絡通路の途中にあります。
新潟の日本酒や食品、御惣菜を売っています。1階は直営の居酒屋らしいのですが、一番のお勧めは、店の奥にある利き酒コーナーです。
500円で5枚のコインと引き換え、5種の利き酒を試せます。
新潟県内の全ての日本酒を扱っているとのことで、アルコール度数、一口メモ、男女のランキング等々、様々な情報をもとに自分で自販機でチョイスできます。
また、利き酒のみでなく、何ともありがたい無料で様々な種類の塩をつまみとして味わうこともできます。有料ですがキュウリもあり、こちらはみそと一緒にいただけます。
500円じゃ足りず、ついつい飲みすぎてしまいました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- お買い得度:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 品揃え:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:3.0
鶴ヶ城の北側の北出丸通りの裁判所北角交差点にある會津宮泉酒造に碑は建っています。
明治元年9月22日午前10時に、この地で会津松平家第9代当主松平容保と、第10代当主喜徳により会津戊辰戦争への降伏の調印が行われたとのことです。
会津藩士は、この日を忘れぬため、その場に敷かれた緋毛氈を小片にし、持ち帰ったとのことです。故に、「泣血氈の誓い」と呼ばれるとのこと。大河ドラマ「八重の桜」では、第29回に当たりますね。
開城前夜に、八重は辞世の句のつもりで土蔵に刻みますが、そういやこの「会津戊辰戦争終結の地」の碑は、土蔵の前に建っています。
「明日よりは いづくの誰か ながむらん なれし御城に 残す月影」
八重が残した句です。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:5.0
天守閣の北側にあり、太鼓門から入城すると天守閣に行く途中にあります。
この地に城を初めて築いた蘆名直盛以前に、既に社があったとのことです。その後、鶴ヶ城の守護神として代々祀られてきました。
御祭神はウカノミタマノミコトです。
学業成就、商売繁盛、家内安全、交通安全などにきくそうです。
狛狐は笠を被っているのが特徴で、また社殿には会津藩主松平家の葵の御紋の幕が張られていました。
社務所はなかったのですが、御朱印は会津若松駅傍の蠶養國神社でもらえるとのこと。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:5.0
天守閣から走長屋を経て鉄門に至り、そして南走長屋を経て干飯櫓に続く一連の建物は、鶴ヶ城を代表する風景ですね。
鉄門は、鶴ヶ城天守閣を築城した蒲生氏郷時代ではなく、その後の城郭の大改修を行った加藤明成によって作られました。
天守閣共々、明治の廃城令で取り壊されましたが、昭和40年に天主閣が、そして平成13年に南走長屋が干飯櫓とともに復元されました。
天守閣や走長屋・鉄門が鉄筋コンクリートで復元されたのに対し、この南走長屋と干飯櫓は、木造で往時の工法や技本を用いて復元されています。
走長屋がお土産屋さんである一方で、南走長屋は木での復元なので、それ自体が資料館的な感じで、当時の武具をきた人形が出迎えてくれました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:4.5
「くろがねもん」と呼びます。
天守閣から走長屋を経て鉄門に至り、そして南走長屋を経て干飯櫓に続く一連の建物は、鶴ヶ城を代表する風景ですね。
逆に、一連の建物なので、なんとなく、見過ごしてしまいますが、実際には非常に重要な門で、帯郭から本丸に至る際に通る門で、本丸への表門だったそうです。
故に、全部を鉄で覆ったんですね。
鶴ヶ城を築城した蒲生氏郷時代ではなく、その後、鶴ヶ城の城郭の大改修を行った加藤明成によって作られたのことです。
昭和40年の天守閣と共に復元されました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:3.0
鶴ヶ城公園の本丸跡中央の芝生のそばに御三階跡があります。
御三階の実物は、明治の廃城令の際に、会津若松駅の一つ隣の七日町駅前にある阿弥陀寺に移設されています。鶴ヶ城の遺構としては唯一残る建物だそうです。御三階と言いながら、実は内部は4階建てだとか。
いずれ元の場所に移築復元する計画があるとのことですが、現在は敷石址が残っているのみです。ぽつんと3階建ての建物が、こんな中央にあったのに違和感を感じますが、本丸御殿の見張り台的な意味があったのでしょうか。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:5.0
若松城を近世城郭に改造したのは蒲生氏郷で、この時、地名も「若松」になったとのことです。
1593年に望楼型の7重の天守でしたが、1611年に会津地震で倒壊した際に、加藤嘉明が層塔型の天守に改修されました。
江戸末期、戊辰戦争の時に一ヶ月の籠城に耐えた後、白虎隊の死をきっかけに降伏。
NHK大河ドラマでは、この天守閣も山場の一つでしたね。
大砲で傷つきましたが、明治の廃城令で完全に取り壊されました。
現在の天守は昭和40年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。また平成22年には江戸時代の赤瓦葺に復元されました。
天守閣内部は博物館と会津の歴史や若松城、戊辰戦争に関する資料が展示されていました。天守最上階からは、会津若松市内を一望できます。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:4.5
鶴ヶ城公園の本丸跡東南側にあります。
秀吉に命により自害した千利休。その際、会津藩主蒲生氏郷はその子小庵を会津にかくまいました。その滞在時に建てた茶室だそうです。
内部では茶室や待合所等、風情ある佇まいが復元されています。また、実際にお茶をいただくこともできます。
廃城令の際、この茶室も取り壊されそうになったところを、地元の茶人が自宅へ移築したそうです。そして、120年間守り続け、平成2年に再び元のこの地に移築復元されたとのことです。
小庵は、その後、秀吉の許しを得て、京都に戻ります。そして、その孫3人が3千家を興します。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年11月05日
総合評価:4.0
白河駅まえから真直ぐ南に延びる小峰通りを国道294(旧陸羽街道)の1本先の通りで西側に曲がると見えてきます。
大正4年に竣工された白色の木造下張り2階建ての洋館です。
屋根の上には玉ねぎ風のビザンチン様式なドームが付いています。
函館元町の教会群にあるハリストス正教会を設計した人と同じ人が、白河ハリストス正教会も設計しているそうです。
正教会って、個人的にあまり聞きなれないなと思っていたら、別名「ギリシャ正教」なんですね。これなら教科書で習いました。なお、教会名にもなっているハリストスは、キリストのギリシャ語読みだそうです。
残念ながら私が訪れた時は教会の中は、見ることができませんでした。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0











































