ゆっくさんのクチコミ(38ページ)全1,048件
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投稿日 2015年11月04日
総合評価:4.0
伊賀鉄道の上野市駅から北に徒歩約5分程です。
藤堂高虎が築城した伊賀上野城址が上野公園として整備されています。その北側に位置しています。
松尾芭蕉の生誕地として、生誕300年である昭和17年に木造2階建てで建設されたとのことです。国の重文指定されています。
桧皮葺の円形の建物で、林の中に佇んでいる姿は、それこそ江戸時代から在るかのごとく、ワビサビを感じました。なんと、松尾芭蕉を模しているらしく、屋根が傘、2階が顔、ひさしは蓑と衣、堂は足、回廊の柱は杖らしい。発想が凄すぎます。
命日の10月12日には、安置されている等身大の伊賀焼の芭蕉を御開帳するとのことです。また、同じ上野公園内には芭蕉翁記念館も併設されています。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年11月04日
総合評価:4.0
伊賀鉄道の上野市駅から北に徒歩約5分程です。
藤堂高虎が築城した伊賀上野城が上野公園として整備されています。
高虎の高石垣は足がすくむほど素晴らしいのですが、もともと天守閣は作られなかったそうで、現在の天守は、昭和10年に地元の名士が私財を投じて建てたもので、正式名称は伊賀文化産業城とのこと。
伊賀ということで、世界一の忍術資料を展示した伊賀流忍者博物館も併設されています。
また、松尾芭蕉はこの地の出身らしく、松尾芭蕉を祀る俳聖殿や芭蕉翁記念館も敷地内にあります。
城跡自体は、木々に囲まれており市民公園として無料で開放されているため、のどかに散歩されている方々が多く、忍者姿のちびっこもちらほらいました。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
投稿日 2015年11月04日
総合評価:3.0
鳥羽駅から南に徒歩10分程、鳥羽城址です。
三の丸や御霊社跡地が芝生の広場の城山公園として整備されています。
高台にあるため、海が綺麗に見渡せます。鳥羽城址の敷地内には市役所や市民会館が建っています。
鳥羽城の往時の遺構としては、本丸の西や南に石垣が一部残っています。明治の廃城令にて、天守をはじめ13の櫓や門の全てが取り壊されたとのことです。ちなみに、本丸は旧鳥羽小学校になっています。
鳥羽城は、秀吉や信長に仕えた水軍大将の九鬼嘉隆により築城されました。大手門は海に面して作らており、今の鳥羽水族館付近になったそうです。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年11月04日
総合評価:4.0
松阪駅から徒歩で20分程です。
松坂城址が松阪公園として整備されています。
車の場合は、松阪公園内のグランド傍の駐車場に無料で停められます。
大阪と同じく、地名はこざとへんの松「阪」ですが、城名はつちへんの松「坂」ですね。松坂城は安土城築城にも携わった蒲生氏郷によって築城されました。
公園内には、天守閣や櫓といった建物は残っていませんが、石垣が残っています。天守台は一際高い石垣に守られており、松阪市内が見渡すことができます。
敷地内には、その他、歴史民俗資料館や本居宣長の旧宅(鈴屋)が移築されて、公開されています。また、本居宣長の記念館もあります。
全体的に小高い丘ですが、木々が生い茂り、松坂市民の憩いの場となっていますね。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年11月04日
総合評価:2.0
松阪駅から徒歩10分ほど。
本居宣長宅跡は、三井家、小津家(松阪商人の館)のある道と1本ずれた、長谷川邸のある沿いにあります。
旧宅跡は小さな広場になっており、石碑が建っています。
宣長の息子の家や土蔵は残っていますが、旧宅自体はないです。旧宅は明治まで普通に民家として使われていたみたいですが、明治42年に松坂城二の丸跡に移築され、往時の姿に復元され、見学することができます。
びっくりしたことに、この広場は、ここは国の特別史跡となっています。宣長は、この地で12歳から亡くなる72歳まで暮らしたとのことです。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
-
投稿日 2015年11月04日
総合評価:3.0
松阪駅から徒歩10分ほど。
江戸時代に栄えた松坂の豪商の館です。長谷川家は三井家、小津家と並び、松阪を代表する江戸店待ちの豪商です。
三井家、小津家(松阪商人の館)のある道と1本ずれていますが、負けず劣らず、格子戸やうだつもあり立派なお家です。
江戸時代初期から続く400年以上の名家で、木綿商として財を成し、現在は東京にてマルサン長谷川株式会社となっています。
長年、長谷川さん個人所有でしたが平成25年に市に寄贈され、平成27年からは公開されるとのことです。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2015年11月04日
総合評価:4.0
夢創館は、高取町の土佐街道のちょうど中央付近にある観光案内所です。
土佐街道は近鉄吉野線壺阪山駅前の国道169号(中街道)より、一本先を町を南北に貫く通りです。江戸時代には、高取城の城下町として発展したそうです。今でも商家や武家屋敷の名残の白壁に格子戸、ナマコ壁の家々がところどころ残っており、趣があります。
夢創館自身も旧呉服屋だったそうで、赤茶色の建物は目立ちます。
高取のお土産や高取城に関する資料も展示しています。また、座敷があり休憩することもできます。なお、高取城の100名城スタンプは、こちらで手に入ります。
ちなみに、隣には土蔵を改修した「くすりの資料館」があります。こじんまりしていますが、昭和レトロな薬のパッケージ等が置いてあり、何気に楽しめます。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年11月04日
総合評価:4.0
近鉄吉野線壺阪山駅前の国道169号(中街道)より、一本先の土佐の町を南北に貫く通りです。
なぜ奈良に土佐という地名が?と思いましたが、飛鳥時代に大和朝廷に連れて来られた土佐の人々が帰郷できずに住み着いたことに由来するそうです。そんな昔からの由緒ある町なんですね。
江戸時代になると、高取城の城下町として発展したそうです。商家や武家屋敷並んでおり、今でも一部に白壁に格子戸、ナマコ壁の家々がところどころ残ってました。町屋の雛めぐりの時期には、中まで見せていただけるお家もあるそうです。
なお、土佐街道をまっすぐ行った高取山頂には高取城がありました。今では石垣が残っているのみですが、石垣の規模からかなり大きな城郭だったことがわかります。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年11月04日
総合評価:4.0
金剛山麓まつまさに車を止めて向かいました。
山道と石段を登り30分ほどで着きます。案内板も出ていますので、迷うことはないかと思いますが、日が暮れると灯りもないため、怖いかと思います。
千早神社は、千早城の守り神の八幡大菩薩と千早城を築城した楠木正成、そして久子(正成の妻)、正行(正成の嫡男)が祀られています。
社殿は、山の中に、ひっそりと佇んでいました。
社務所には常時人が滞在していないため、御朱印は社務所ではなく、麓の「千早椎茸センター」で入手できます。
千早神社があるのは、南北時代に楠木正成が築いた千早城の二の丸址です。本丸は聖域となっており、立ち入ることはできません。この千早城での戦いが後の鎌倉幕府の滅亡へ繋がったと『太平記』に記されています。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年11月03日
総合評価:4.0
岡口門は、和歌山城址である和歌山公園の南東角にあります。
石垣と共に江戸時代から残る唯一の遺構で、国の重文に指定されています。
もともと築城当時は大手門として機能していたようですが、1621年に紀伊徳川家初代藩主頼宣が搦手門として修復したとのことです。
個人的には見た目は、大手門よりも岡口門の方が防衛性は優れている気がします。徳川時代は泰平の世だったため、それほど防衛性は重視してなかったのかな。いずれにしても、どちらも枡形はなしてないですね。
ちなみに、山頂にそびえる連立天守閣は昭和33年に、現大手門は一の橋と共に昭和57年に、二の丸庭園と西の丸広場を結ぶお堀には御橋廊下が平成18年に復元されました。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年11月03日
総合評価:5.0
和歌山市中心部にある和歌山城址の本丸と二の丸が和歌山公園として整備されています。JR和歌山駅から1?強。南海本線和歌山市駅だと700m程かな。全般的に木々に囲まれており、山頂の天守閣以外は無料で散策できます。
江戸時代から残る和歌山城の遺構としては、唯一公園の南東角に岡口門が残っています。国の重文に指定されています。また、石垣が至る所に残っていますね。
昭和33年には連立天守閣が、平成18年には二の丸庭園と西の丸広場を結ぶお堀に御橋廊下が復元されました。
そして、南側にはなんと動物園が無料で開放されています。
なお、テレビでも紹介された石段を上る人の形の根は北側から天守閣に登る裏坂の入口にありました。- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年10月30日
総合評価:4.0
好文亭表門、そして一の木戸を通り、竹林と杉林を抜けていくと開けた場所に出て、高台にいることがわかります。その高台を降ったところに吐玉泉があります。
水がコンコンと湧き出る大理石で、昭和62年に更新された四代目だとのこと。
もともとここは湧水が多かった場所で、偕楽園造成の際に、高度差を利用して噴水のように造ったとのことです。
当時は茶の湯としても利用されていたとのことですが、現在は飲料水ではありませんという看板が設置されていました。- 旅行時期
- 2013年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年10月30日
総合評価:4.0
国道30号と349号が交差する南町三丁目交差点にあります。
水戸駅から水戸駅中心部南町三丁目商店街を通り徒歩で20分程です。
黄門様の銅像とひときわ大きな印籠が目印です。
印籠にボタンがあり、押すと黄門様が話しかけてくれるらしいのですが、割と人通り車通りの激しい場所ですので、ボタンを押すのに勇気がいります(笑)。- 旅行時期
- 2013年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年10月30日
総合評価:3.0
水戸駅から北上すること徒歩10分程です。
水戸市立第二中学校の正門前に石碑が建っており、彰考館自体は残っていません。
彰考館とは水戸黄門でおなじみの水戸藩第2代藩主徳川光圀が1657年に編纂を開始した「大日本史」の作業地です。もともと江戸水戸藩邸にありましたが、光圀引退後、光圀とともに、この地に移設されました。ただ、「大日本史」が完成したのは250年後の1906年だそうです。
彰考館跡の石碑と共に、大日本史編集之地の石碑も建っています。
なお、明治になって、彰考館は偕楽園の傍に移設されました。偕楽園には、大日本史完成之地の石碑が建っています。- 旅行時期
- 2013年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2015年10月30日
総合評価:4.0
水戸駅から北上すること徒歩10分程です。
弘道館は江戸時代末に徳川斉昭によって水戸城三の丸に作られた藩校です。
現存するのは、正門と正庁・至善堂で、重文に指定されています。また、その裏には八卦堂や孔子廟が復元、鹿島神社が再建されています。
私が訪れた時、梅が咲き誇っており、たまたま孔子廟の公開の日でした。孔子廟は昭和45年復元後、3回しか公開されていないらしく、非常に幸運でした。
なお、現在は、これらの建物群が弘道館公園として整備されていますが、斉昭時代は、三の丸県庁や三の丸小学校を含む一帯が弘道館だったそうです。- 旅行時期
- 2013年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年10月30日
総合評価:4.5
水戸駅から北上すること徒歩10分程です。
昭和5年に建てられたレンガ張りの洋風建築です。
県庁が移転する平成14年まで実際に使われ、東日本大震災を期に修復され、現在は三の丸庁舎として再利用されています。
よく見ると、中央には茨城県の県花である「バラ」のレリーフがあしらわれています。
この地は、水戸城三の丸に相当し、江戸時代後期には徳川斉昭によって作られた水戸藩の藩校である弘道館の調練場でした。
弘道館の正庁は現存しており、この建物の裏(弘道館的には県庁が裏なのですが)にあり、重文指定されています。また、県庁の前には空堀跡が見られます。- 旅行時期
- 2013年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2015年10月30日
総合評価:3.0
水戸駅北口のコンコースに助さん格さんを両隣に従えた黄門様が建立されています。
やっぱり、水戸と言えば、黄門様こと徳川光圀ですね。光圀は水戸徳川藩2代目で、江戸では5代将軍綱吉の時代です。
ちなみに、水戸黄門について調べてみると、
いわゆる黄門様の諸国漫遊は、江戸後期に流行った漫談や歌舞伎での演目であり、光圀自身は関東から出たことはなかったそうです。また、助さん格さんもモデルになった人はいるものの明治になって追加された記述だとか。
なお、水戸藩の藩主は参勤交代はなく江戸に滞在していたため、光圀自身も水戸ではなく、ほぼ江戸に住んでいたそうです。
調べて、おややと思いましたが、いずれにしても、黄門様は水戸学という教えを説いた人物であり、人望が厚かったそうですので、このような逸話になったんでしょうね。水戸という地を有名にしたことには変わりないと思います。- 旅行時期
- 2013年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年10月30日
総合評価:5.0
毎年2月20日~3月31日の間に偕楽園と旧水戸城の弘道館で開催されます。
偕楽園は入場無料なのがうれしいですね。
梅が満開の頃の3月中旬には、夜間もオープンするようです。
梅も桜と一緒で、花びらの形状も豊富で、ピンクや白など様々な色がありました。
梅の盆栽も売られていました。しかも値段も手ごろだし。梅って小さな鉢植えでも育つんですね。
茶会も開かれており、黄門様と助さん格さん、そしてゆるキャラみとちゃんも来ていました。- 旅行時期
- 2013年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 催し物の規模:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
-
投稿日 2015年10月30日
総合評価:5.0
水戸駅の西側1?の場所にあります。偕楽園との中間位かな。
広大な千波湖とその周辺を含む一帯が、千波公園です。
私が訪れた時は、湖の南側に期間限定で映画「桜田門外ノ変」のオープンロケセットがありました。なんでも水戸藩開藩四百年記念として、この地でロケをしたとのこと。
湖の西側には黄門様の大きな銅像も建っています。
湖を1週できるように遊歩道も整備されており、ジョギングしている市民の方がたくさんいました。また、白鳥と黒鳥がたくさんいました。- 旅行時期
- 2013年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年10月30日



















































