2023/08/20 - 2023/08/22
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jijidarumaさん
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【七十二候・蒙霧升降(ふかいきり まいおりる):かつて華やかな時代もあった志賀高原歴史記念館(旧志賀高原ホテル)の見学】
産経新聞に、今週は【七十二候・蒙霧升降(ふかいきり まいおりる)・・・森や水辺で白い霧がまとわりつくように立ちこめる、8月18日~22日)】と小さく載っていた。
<2023年8月20日(日)~22日(火)、志賀高原の旅>
宿泊先:ホテル白樺荘(2泊)
長野県下高井郡山ノ内町志賀高原蓮池(平穏7148)
Tel:0269-34-3311
8月21日、旅の2日目は宿泊先の白樺荘からも徒歩で行ける「志賀高原歴史記念館(旧志賀高原ホテル)」を訪れた。
写真は志賀高原歴史記念館(旧志賀高原ホテル):エントランス棟正面
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
本日の行程はホテル白樺荘=>蓮池巡り=>山の駅=>志賀高原歴史記念館=>丸池ホテル=>ホテル白樺荘のルートである。
ここでは蓮池巡り=>山の駅=>間は別編として、外してある。
写真はホテル白樺荘=>蓮池=>山の駅=>志賀高原歴史記念館=>丸池ホテル=>ホテル白樺荘のルートMap -
イチオシ
朝食(8:15~9:00)後、10時半にホテルを出発。
今日も良い天気だ。
写真は宿泊先のホテル白樺荘前でホテル白樺荘<志賀高原> 宿・ホテル
-
実際は蓮池巡りをして、志賀高原山の駅まで行き、11:30に山の駅から志賀高原歴史記念館に向かって歩き出した。
写真は宿泊先のホテル白樺荘前の国道292号線を左に下る。 -
国道292号線、左手に丸池ホテルがある。この傍で見た標識はなんと気温25℃の表示が出ていた。
写真は志賀高原歴史記念館:丸池ホテル傍で見た標識 -
この道を走る車が多いというほどではない。歩く人も我々だけである。
てくてく歩く、孫娘は早く、私はどん尻で息が上がる。
そろそろ右手に志賀高原歴史記念館の大きな駐車場が見えてきた。
写真は志賀高原歴史記念館:国道292号を歩く。 -
12:05、歴史記念館に到着した。徒歩で下り坂を凡そ30分、
私の様な、日頃歩かない老人には、結構きつい道だった。
(頭の中では、この旅も車で来ていたらと良かったかな!上り坂となる帰り道も歩くのかと思っていた)
写真は志賀高原歴史記念館:看板前で写真を撮った。 -
時計塔辺りから赤い屋根の館を撮ってみた。
こちらが目的地の歴史館(エントランス棟)である。
旧志賀高原ホテルの写真(後掲)に比べると、左右の宿泊棟がなくなってしまった格好である。
【志賀高原歴史記念館(旧志賀高原ホテル)】
住所:〒381-0401長野県下高井郡山ノ内町平穏7148-35
電話番号:0269-33-2597(財団法人和合会)
公開期間:5月1日~10月31日
開館時間:9:00~17:00
休館日:木曜日 ※冬季休業(11月1日から4月31日)
(アクセス)
長野電鉄長野線「湯田中」駅から長電バス白根火山線・奥志賀高原線にて33分の「丸池」停留所から徒歩3分。バス停(蓮池ひろば/長電バス)徒歩約20分。
上信越自動車道「信州中野」ICからR292で志賀高原へ、23.6km(約30分)。
写真は志賀高原歴史記念館:誰もいない様子の歴史館(エントランス棟)志賀高原歴史記念館 美術館・博物館
-
少々遅れ気味の時計塔には「志賀高原ホテル」の名が残っていた。
写真は志賀高原歴史記念館:時計塔 -
記念館近くに、案内図がある。見てみると、結構敷地が広い。
写真は志賀高原歴史記念館:案内図 -
4階建てのスキー用本格的ホテルとして、志賀高原ホテルは山小屋風外観を持つ建物、さすがにドイツ人の指導によって作られた建築物である。
「ドイツ党」の私としては、久方ぶりにちょっと喜ばしい訪問になる。
赤い屋根と大きな切り妻のファザード(玄関正面)、石積の柱に支えられったエントランスポーチの立派さに驚く。
車寄せ、玄関、多目的ホールと続く建物は当時、冬季シーズンの社交場として、華やかなリゾート感あふれたものだったことでしょう。
写真は志賀高原歴史記念館:現在残っているエントランス棟の入口周辺 -
外観の1階部分の窓枠や外壁も石材が利用された建物になっている。
この石積の建物にはギボウシの葉やカザグルマソウ(管理人の方が教えてくれた)がぴったり合う。
写真は志賀高原歴史記念館:エントランス棟傍にギボウシの葉(花の季節を過ぎた) -
写真は志賀高原歴史記念館:エントランス棟傍にカザグルマソウ(花の季節を過ぎた)
-
中央玄関から歴史記念館(エントランス棟)に入ると、立て看板が二つ並んで、記念館の歴史を説明していたが、
勿論、出かける前に白樺荘でパンフレットを頂いてきた。
(その歴史と概略その1)
志賀高原ホテルは、長野県下高井郡山ノ内町大字平穏の上信越高原国立公園志賀高原地域にかつて存在したホテルである。
「志賀高原歴史記念館(旧志賀高原ホテル)」があるのは、志賀高原の琵琶池、丸池のすぐ傍です。建物は平成19年(2007年)には、経済産業省の「近代化産業遺産」として認定され、登録無形文化財の建物は「志賀高原歴史記念館」として、無料で公開されている。
1930年(昭和5年)から翌年にかけての昭和恐慌を受けての政府支援により、長野県が全国で11番目の国策ホテルとしてスキー場とともに開発、1937年(昭和12年)に開業した。客室数は174室であった。
ドイツ人の指導のもとで造られた本ホテルは、山小屋をイメージしたデザインで、中央玄関の奥にエントランスホール、ホールの左右両翼に客室が配置されていた。
正面玄関を入ると、3階までの3層吹き抜け空間に大きな暖炉が客人を出迎えてくれる。木の梁と石材をふんだんに使用した空間は、白い壁と赤い絨毯と相まって、温かみと美しさのある高級感を兼ね備えていた。2階と3階にはステンドグラスや日本画が飾られ、上品で落ち着いた内装である。
写真は志賀高原歴史記念館:白樺荘で頂いたパンフレット(表)のスキャン -
(その歴史と概略その2)
戦前から60年代にかけて、皇族をはじめ国内外から多くの観光客が同ホテルを来訪し、1970年代以降は、スキーの大衆化と宿泊客の増加に合わせホテルの一部を改築している。
平成初頭のスキーブームで観光客の数はピークを迎えたが、バブルの崩壊とスキーブームの終焉により客足が遠のき1999年(平成11年)に廃業した。
その後、敷地の借地権と建物は土地所有者である一般財団法人<和合会>が取得し、エントランスホールと一部客室を残して解体され、残った施設は2002年に「志賀高原歴史記念館」として一般公開している。
写真は志賀高原歴史記念館:パンフレット(裏)のスキャン -
イチオシ
旧志賀高原ホテルの規模が立派だったのは、開業当時のこの写真でよく分かる。
1937年(昭和12年)6月20日の数字が、左下に読み取れた。
*昭和初期に外国人観光客を誘致するため各地に建設された「国策ホテル」は、
長野県には「上高地帝国ホテル・野尻湖ホテル・志賀高原ホテル」の三ホテルが造られました。
ドイツ人の指導のもとで造られた「志賀高原ホテル」は意識して建物の随所に日本文化と西洋文化を上手く混合させたと云う。「志賀高原ホテル」は当時の社交界の場になっていたそうだ。
近年「上高地帝国ホテル」は建て替えられ、「野尻湖ホテル」は解体された。
従って、部分的ながらも開業当初の建物が残されているのは「志賀高原ホテル」のみとなっている。
写真は旧志賀高原ホテル(名称:志賀高原温泉ホテル)の威容・・・1937年(昭和12年)6月20日 -
イチオシ
(沿革史の纏め)
1937年(昭和12年)開業(名称:志賀高原温泉ホテル)。
1945年(昭和20年)米国進駐軍に接収(翌1946年には丸池スキー場も接収)。
1952年(昭和27年)進駐軍接収解除。
1957年(昭和32年)ゴルフ場開設。
1959年(昭和34年)本ホテルを含む16施設が丸池温泉組合を結成。同年に西発哺から引泉(丸池温泉)。
1960年(昭和35年)志賀高原ホテルに改称。ゴルフ場にスキーリフト(244m)を架設。営業権が京都ホテルから志賀観光ホテルに移転。
1973年(昭和48年)ゴルフ場スキーリフト廃止。
1999年(平成11年)廃業。
2002年(平成14年)志賀高原歴史記念館として開館。
(Wiki・HP参考、編集・追記)
写真は志賀高原歴史記念館:1階多目的ホールの大暖炉(石暖炉) -
エントランスホール(1階多目的ホール)に入れば、高々と吹き抜けとなっているロビーがあり、真正面に大きな石暖炉がこれまたすごい存在感を示している。
かつてリゾートホテルのお客様を暖かく包み込んだであろう石暖炉である。
ぐるりと、階上を見上げると、ホールを囲むように洒落た手すりが巡らされて、良い感じだ。
このホールだけでも、さすが「旧志賀高原ホテル」といった風情といわゆるドイツ的!重厚感であふれている。
写真は志賀高原歴史記念館:大暖炉前で -
薪が置かれた暖炉脇には、当時の客室への案内板(部屋No.表示)や歴史を感じさせるスキー板が置かれている。
写真は志賀高原歴史記念館:かつてのスキーリゾートホテルを思わせるスキー板が並ぶ。 -
館内の各階には、当時の手作りによる、色とりどりで美しい模様のステンドグラスが見られて楽しい。
写真は志賀高原歴史記念館:ステンドグラス(1階格子柄のデザイン) -
写真は志賀高原歴史記念館:1階のステンドグラス(馬上姿の騎士)
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写真は志賀高原歴史記念館:2階踊り場のステンドグラス(格子柄)
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写真は志賀高原歴史記念館:2階のステンドグラス(可愛い花柄)
-
イチオシ
2階のこちらのラウンジでは「カフェ・フォルスト」が営業していたが、2018年10月を以て閉店してしまった。
奥と右手に白樺を額縁にした日本画が展示されていた。
一番奥にはリゾートホテルらしく、カジノのルーレットも置いてありました。
写真は志賀高原歴史記念館:2階のラウンジに日本画 -
志賀高原歴史記念館には、志賀高原のスノーリゾートの歴史を感じさせる展示物が見られたが、とりわけ、御当地出身の五輪選手で、銀メダリストである*猪谷千春氏に関する資料が多く見られたのも当然であろう。
写真は志賀高原歴史記念館:2階のオリンピック展示(猪谷千春氏) -
*Wiki参考、編集・追記:
猪谷 千春(いがや ちはる、1931年5月20日~今年で92歳になっていて、たいへん長寿の方だ)は、日本のアルペンスキー選手、実業家。
日本人初の冬季オリンピック(開催は1956年(昭和31年)イタリアのコルチナ・ダンペッツオ)男子回転銀メダリストであり、現在まで、日本人唯一の冬季オリンピックアルペンスキーメダリストである。
引退後はAIU保険会社で実業家として活躍しつつ、国際オリンピック委員会(IOC)副会長など、オリンピック・スポーツ関連団体での要職を歴任した。
いつも黒いウェアで競技をしていたことから「ブラック・キャット」とも呼ばれていた。
・・・・・
写真は「志賀高原歴史記念館」内にあるオリンピック展示(猪谷千春氏) -
写真は「志賀高原歴史記念館」内にあるオリンピック展示(猪谷千春氏)
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写真は「志賀高原歴史記念館」内にあるオリンピック展示(猪谷千春氏)
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写真は志賀高原歴史記念館:西洋建築の豪華さを示すステンドグラス(2階、王侯貴族の楯をデザインした)
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窓辺から見える景観は志賀高原を彩る山々や池や沼でしょうか。
写真は志賀高原歴史記念館:3階の展望室から丸池を望む。 -
写真は志賀高原歴史記念館:3階の展望室には立派な椅子が並んでいる。
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写真は志賀高原歴史記念館:3階の会議室にある暖炉と動物の剥製
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3階の会議室フロアの壁を飾る壁画は、四季折々の風情が描かれた大きなものだ。
その壁画は満開の桜に始まり、夏の草花、紅葉、雪景色という構図で、春夏秋冬の日本の美しい四季を表現し、素晴らしい。
写真は志賀高原歴史記念館:3階の会議室を飾る壁画・春夏秋冬 -
以下の4つは娘が撮った。
写真は志賀高原歴史記念館:春の絵 -
写真は志賀高原歴史記念館:夏の絵
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イチオシ
写真は志賀高原歴史記念館:秋の絵
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写真は志賀高原歴史記念館:冬の絵
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写真は志賀高原歴史記念館:3階廊下を照らす電球も面白い。
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写真は志賀高原歴史記念館:3階のステンドグラス(王侯貴族の楯をデザインした)
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写真は志賀高原歴史記念館:3階のステンドグラス(王侯貴族の楯をデザインした)
-
志賀高原歴史記念館から中庭に出て栽培されている高山植物を見ていると、ご親切な、博識な管理人の方(一般財団法人<和合会>)がいろいろとお話ししてくれた。
中庭にある高山植物コマクサなどのこと、
秩父宮様が植樹した*ドイツトウヒのこと、
そして、「志賀」の名前の由来の説明をお聞きした。
ついでに*【どじょっこ ふなっこ (はるになれば すがこもとけて…)】の歌を一緒に合唱した(笑)。
*【どじょっこ ふなっこ (はるになれば すがこもとけて…)】
「すがこ」は「しがこ」と歌われることもある。
この「しがこ」が「志賀」の名前の由来だとか・・・お聞きした話は少々うろ覚えになっているが・・・。
昭和28年(1953年)の作品で、音楽の先生(岡本敏明)が公演旅行中に秋田県で聴いたわらべうたを歌いやすくアレンジしたものだそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=RoJqtIq3c8o
写真は志賀高原歴史記念館:中庭にてお話を聞く。 -
写真は志賀高原歴史記念館:中庭で高山植物の花コマクサを栽培していた。
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写真は志賀高原歴史記念館:今年の夏は暑く、辛うじてコマクサの小さな花が咲いていた。
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写真は志賀高原歴史記念館:左手前にコマクサ、中央にワレモコウ、右マツムシソウ
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写真は志賀高原歴史記念館:紫色の???(名前は失念した)
-
*志賀高原にある琵琶池の近くに旭山(1524m)がある。この山はトレッキングコースになっている。
昭和4年(1929年)に秩父宮夫妻と弟の高松宮が登られ、ドイツトウヒの木を記念植樹したそうで、その木が残っていると云う。
写真は志賀高原歴史記念館:中庭に秩父宮ゆかりのドイツトウヒの大木がある。 -
*ドイツトウヒ(別名:オウシュウトウヒ、ヨーロッパトウヒ)とは、アルプスやスカンジナビア半島のヨーロッパが原産の常緑針葉樹である。
高さ50m、直径2 mに達することがある。クリスマスツリーに使用される。
ドイツトウヒは日本では北海道や東北に多い。
原産地がアルプスなどの北方圏のため耐寒性があり、根が浅くて生育も早いことから、日本では北海道や東北を中心に、防雪林として明治時代に導入された。
原産地はドイツではないのに名前にドイツと付いているのは、日本の林業分野の人たちが「ドイツから仕入れたトウヒ」ということで、ドイツトウヒと呼んだことが定着したそうだ。
写真は志賀高原歴史記念館:中庭に秩父宮ゆかりのドイツトウヒの大木がある。 -
イチオシ
写真は志賀高原歴史記念館:中庭側からの撮った。
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写真は志賀高原歴史記念館:娘の指先に赤トンボがとまる。
-
13時も過ぎて、お腹もすいた。
途中でみた丸池ホテルも近く、レストランがあるようなので、
こちらで昼食にすることにした。
写真は志賀高原歴史記念館:なかなか興味深い歴史記念館でしたが、広い駐車場に車が一台もない!のは残念。私共の見学中、1組の中年夫妻が訪れたが、好みが合わなかったのか、早々といなくなっていた。 -
歴史記念館を出て、292号線の向こう側に渡ると、先ほど歴史記念館の3階から見えた丸池が広々と見えてきた。
写真は志賀高原歴史記念館:丸池(標高約1420m) -
<丸池ホテル>
〒381-0401長野県下高井郡山ノ内町大字平穏7148
Tel:0269-34-2721
ホテルは志賀高原・丸池スキー場に隣接し、冬季シーズンは多くのスキーヤー・スノーボーダーが訪れる。
ホテル周辺には丸池、琵琶池、一沼、蓮池などの美しい 風景がみられ、春~秋も志賀高原の自然を満喫できる。
写真は丸池ホテル:2階の広いレストランはモンテ・モアである。丸池ホテル 宿・ホテル
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写真は丸池ホテルのモンテ・モア:孫娘はおうどんが好きだという。
モンテモア グルメ・レストラン
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写真は丸池ホテルのモンテ・モア:私はカレーライスにチーズが載ったもので、今まで食べたことが無いものでしたが、満足した。
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写真は丸池ホテルのモンテ・モア:家内はチーズケーキと紅茶
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写真は丸池ホテルのモンテ・モア:娘のピザを含めた軽食のお値段は4,150円也。
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さっきまでレストランの窓から時々目に入っていた親子の馬2頭の内、母馬が292号線を越えて、向こうの野原に脱走!してしまったようだ。
それでバタバタしていたご主人だったが、ご親切にホテル前で集合写真を撮ってくれた。
写真は丸池ホテル:記念写真 -
レストランの厨房役の様な小父さんが現れて、脱走した馬を探しに行った。
脱走!?は度々あるのだろう、慣れた小父さんは馬の轡を掴み、連れ戻す。
写真は丸池ホテル:脱走した馬 -
高原には大きなアブがいて、馬を刺すらしい。
こんなカバーをしているからとても目立つので、馬も隠れられない。
写真は丸池ホテル:脱走した馬を連れ戻す小父さん -
脱走した馬は道路を越えて、無事に元の場所に戻って行きました。
左手に白い仔馬(2頭は親子だと云う)がのんびりと草を食んでいます。
この辺りは、冬は丸池スキー場になるようだ。
写真は丸池ホテル:右に脱走した馬、左に仔馬 -
国道292号線をホテル白樺荘に向かって歩く。
道沿いの左手にある幾つかのホテル(例えば、シャレードイン志賀、ホテルニュー志賀、志賀ハイランドホテル)は大型館で、もう廃業している様子だ。
写真は家内の帽子に赤トンボがとまる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
14:30、白樺荘に戻り、
志賀高原総合会館98で16:00、開場予定のカレッジ・コンサートまで休息。
(2023年9月23日Wiki・HP・観光協会の資料参考、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2023/09/24 07:04:49
- 志賀高原
- jijidarumaさん おはようございます。
高原というと志賀高原が思いうかぶほど有名ですが、高原と言う名前はロマンチックですね。高峰三枝子や上原謙がイメージされる映画のシーンでもあります。
記念館には立派な日本画もあり、多くの人の目を喜ばせたのでしょうね。記念館の維持も大変だと推察しますが、いつまでも続いてほしいですね。
お嬢さん、お孫さん ご一緒で微笑ましい記念写真も拝見しました。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2023/09/24 18:49:12
- Re: 志賀高原
- pedaruさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
そうですね。高原のイメージは高峰三枝子や上原謙が浮かびます。
そして、記念館はちょっとハイカラな雰囲気で、ヨーロッパの
山間のリゾートを思い起こします。
残念ながら、今回私共が宿泊した白樺荘はとてもとても、そうした
夢を語れませんけど(苦笑)。
「近代化産業遺産」として認定されたのは結構なことですが、
夏の高原という良い時期に関わらず、訪れる人が少ないのは
残念でした。建物の維持は大変でしょうね。
記念写真には当地で合宿中の娘の長女、仕事で都合のつかなかった
娘婿の姿が無いのは残念です。
大学生の孫娘が毎年、此処で合宿するようなので、次の機会
もまたあるでしょう。
そういえば、若い頃、娘が1歳ごろ、会社の志賀高原山荘があって、
2泊して、このあたりのロープウエイに乗った記憶があります。
あの頃の写真は何処に行ったのか!
それではまた。
jijidaruma
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