2023/03/03 - 2023/03/03
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jijidarumaさん
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【笠森寺(かさもりじ)、通称笠森観音(かさもりかんのん)】
千葉県長生郡長南町笠森302 、
Tel:0475-46-0536、
公式サイト http://kasamori-ji.or.jp/
笠森寺(かさもりじ)は天台宗別格大本山の寺院で、坂東三十三観音第31番札所になっている。
笠森寺の寺伝によれば延暦3年(784年)に最澄(伝教大師)が楠の霊木で「十一面観音菩薩」を刻み、山上に安置し開基したと伝えられている。
古来より巡礼の霊場として知られており、十一面観音像が本尊であることから「笠森観音」と通称される。
それを代表するのが観音堂だ。
駐車場:50台(無料)
拝観料:大人300円・小人100円・・・御堂や山林の維持のため。
拝観時間:4月~9月、午前8:00~午後4:30、
10月~3月、午前8:00~午後4:00
お正月の初詣で人々が参詣される様子をTVで度々見ていて、一度は行ってみようと思っていた。3月3日桃の節句、勝浦の雛まつりを見に出かけたこともあり、その帰途に長南町(ちょうなんまち)にある古刹、笠森観音に立ち寄った。
尚、笠森寺(かさもりじ)のさくらの時期は3月下旬~4月上旬に盛りを迎えるとの事だ。
写真は笠森寺(かさもりじ)、一般に笠森観音と呼ぶが、それを代表する観音堂。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
長南町(ちょうなんまち)は千葉県の南東部に位置し、長生郡(ちょうせいぐん)に属する町である。千葉県南東部に位置し、県庁所在地である千葉市から約25kmの距離である東京都の都心から50~60km圏内にある。
房総丘陵(丘陵地帯)の中に位置し、平地は少なく、山がちな地形である。
尚、首都圏からのゴルフ客目当てにゴルフ場が多い。
写真は笠森観音:小冊子の表 -
写真は笠森観音:小冊子の裏(英文の説明があるのもすごい!・・・そういえば、若い日本人女性と結婚した米国人?が、赤ん坊と、男性の両親らしき二人と共に車でやってきていた)
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勝浦のひな祭りを11時から13時ぐらいまで凡そ2時間、見物して回り、13時10分に勝浦を出発し、大多喜街道(房総街道)の297号線を北上する。
大多喜町から長南町に入り、合計約40kmを走ると、14時、笠森観音の駐車場に到着した。
写真は笠森観音:長生郡長南町笠森(ちょうせいぐん ちょうなんまち かさもり)の図・・・長南町は結構広い、その左上に笠森観音がある。 -
写真は笠森観音:駐車場傍の案内図。
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写真は笠森観音:縄張り図・・・左下の階段を上り、珍しい三本杉、子授り楠、芭蕉翁句碑、二天門が入場門(風神・雷神・閻魔大王の像)、観音堂、北の位置にあるのは朱塗りの仁王門(阿吽の金剛力士像)、中央広場に紫金閣、六角堂、鐘楼堂、中央下の女坂を下った。
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駐車場から直ぐに登りだす参詣道。いわゆる男坂だ。
帰りは疲れたから階段のない女坂(傾斜はそこそこ急だったが)を利用した。
もっとも、女坂は寺域の参道切割りを通り、右に下る。駐車場から意外に離れた所に降りることになってしまった。
写真は笠森観音:原生林を行く参詣道(男坂) -
写真は笠森観音:曲がりくねって登って行く。
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写真は笠森観音:高々とした「三本杉」の頭が撮れた。
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写真は笠森観音:「三本杉」は大木ながら根がつながっている。ここでは2本に見える。
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写真は笠森観音:中央奥にたつ「三本杉」、三本杉は珍しい。
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「霊木・子授け楠」
しめ縄が張られた楠(くす)の幹の穴をくぐって、その先の子授け観音さまにお参りすると、子宝に恵まれると云われている。
写真は笠森観音:霊木「子授け楠」、楠木の裏側に上ると、子授け観音が立っている。 -
イチオシ
しめ縄が張られた楠の前に階段があるから、ここから登ってくぐるのだろう。
男性が先に穴をくぐり、次に女性がくぐると、子授けの御利益があるとか!
霊験(れいげん、れいけん)あらたかで、最近話題になる「日本の少子化対策」には格好の霊木である。
写真は笠森観音:霊木「子授け楠」 -
写真は笠森観音:苔むした霊木「子授け楠」の裏側は穴だらけだ。
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<天然記念物(国指定)・笠森寺自然林>
観音堂下に広がる森林は、4ヘクタールにも及ぶ公園になっている。
「笠森寺自然林」は 延暦年間、笠森寺草創当時より禁伐林として保護されてきたと伝えられる暖帯林の残存林である。
高木層はスダジイを主体とし、イチイガシ・アカガシよりなる。サカキ・アラカシが混入している。
低木層には、これらの幼樹のほかネズミモチ・ヒサカキ・イズセンリョウなどが加わって繁茂し、このため林床はシダ植物に富みコバノカナワラビ・ホソバカナワラビ・ヘラシダ等の群落が多い。
以上のように自然がよく保たれているため、イタチ・アナグマ・リスなどの獣類、フクロウ・コノハヅク・アカゲラ・ハイタカなどの鳥類やヒメハルゼミなどの昆虫もみられ、関東地方の残存林として特徴的である。
(昭和45年(1970年)1月23日指定)
写真は笠森観音:国の天然記念物に指定されている「笠森寺自然林」の説明版が霊木「子授け楠」傍に立っていた。 -
【芭蕉の句碑】
霊木「子授け楠」の右手に句碑3つの説明版が立つ。
俳人松尾芭蕉が天和2年(1682年)に、観音堂の上にあがって
「五月雨に此笠森をさしもぐさ」
という句を詠んだと伝わり、
安永6年(1777年)に建立された句碑が立っている。
上総最古の芭蕉句碑と云われ、笠森観音に次いで古い芭蕉の句碑は成田山公園にある。
(ただし、実際に芭蕉が笠森観音を訪れたという記録は残されていない)
俳句はよく分からないのだが、検索してみると、「笠」、「さし」は「五月雨」の縁語とある。「さしもぐさ」は 植物の「よもぎ(艾)」の異名である。
6月の初夏、雨が多い季節、ヨモギが森の笠に守られているように、ここで人は守られる救われるという意味があるとか。
笠をさして守るを笠森と詠んだのだ。
写真は笠森観音:「芭蕉の句碑」の説明版 -
中央が芭蕉の句碑で説明は既にした。
向かって右の句碑「片枝に脉(みゃく)や通ひて梅の花」は獅子庵蓮二翁のもの・・・芭蕉の弟子で蕉門十哲の一人各務支考(かがみしこう)のこと。
向かって左の句碑「すへられて尻の落着く瓢(ひさご)かな」は義仲寺雲裏翁の句、各務支考の弟子で渡辺雲裡坊(わたなべうんりぼう)のことで、
雲裡坊の弟子の故貝という僧が雲裡坊の十七回忌に、三翁の石碑(写真の3基)を南総の大悲霊場に建立したらしい。
故貝は晩年笠森に草庵を結び、天明6年(1726年)に70歳で没した。
写真は笠森観音:中央・芭蕉翁、右・獅子庵蓮二翁、左・義仲寺雲裏翁の句碑 -
笠森観音 日本唯一の四方懸造り 坂東三十三観音札所 第三十一番札所 (kasamori-ji.or.jp)
写真は古くから知られた笠森観音は諸国名所百景(二世安藤広重画)になっている。 -
二天門は左右に一対の仁王の像を安置した寺院の門が一般的だと云う・・・笠森観音では北側に仁王門があるので、こちらの二天門には左右には雷神と風神がその役をしている。(尚、多聞天と持国天の像を安置した門をさす場合もある)
二天門をくぐって、境内広場に行く。
写真は笠森観音:素朴で大きな二天門(にてんもん) -
【勝浦からの帰途、立ち寄った笠森観音の観音堂を登るも、あまりの高さに途中で固まってしまった】
笠森寺(かさもりじ)の寺伝によれば延暦3年(784年)に最澄(伝教大師)が楠の霊木で十一面観音菩薩を刻み安置し、開基されたとされる古刹で、古来より巡礼の霊場として知られており、十一面観音像が本尊であることから「笠森観音」と通称される。
笠森観音は長元元年(1028年)に後一条天皇の勅願で建立されたと伝えられているが、その後焼失し、現在の建物は解体修理の際発見された墨書銘から天正7年(1579年)から慶長2年(1597年)の間の再建とされている。
写真は笠森観音:しだれ梅と二天門側から写した観音堂。 -
イチオシ
地面から16mの大岩の上にそびえる観音堂は、61本の楠(クスノキ)の柱で支えられた四方懸造(しほうかけづくり)と呼ばれる構造である。
これは日本唯一の特異な建築様式で、京都の有名な清水寺の「清水の舞台」と同じ建築方式である。重要文化財になっている。
また本尊十一面観音菩薩像も楠で彫られている。
観音堂の 75段の階段を上がった回廊からは、四季それぞれに美しい房総の山々が眼下に眺められ、その景観は一見に価すると云う。
ともあれ、私自身は75段の階段を上がれず、あまりの高さに途中で固まってしまったから、景観は楽しんだわけではない。
横から撮った写真は、観音堂が大きな岩の上にあるのが分かる。
写真は笠森観音:早咲きの桜と横から撮った観音堂。笠森観音 寺・神社・教会
-
イチオシ
<笠森観音の重要文化財>
1)観音堂(階段及び踊場を含む) - 安土桃山時代(1597年)の建立。四方懸造、桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、銅板葺。明治41年(1908年)08月01日指定。
2)鋳銅唐草文釣燈籠 2基 - 室町時代の作品。昭和34年(1959年)06月27日指定。
写真は笠森観音:広場から見上げた観音堂。 -
イチオシ
笠森観音の様子は京都の清水寺と同じ、「懸造り(かけづくり)」で日本の古来の木組みによる、釘やねじを一切使わない工法なのだと云う。
また、笠森観音は日本で唯一、岩山の頂部にお堂を建てた、つまり、岩山の頂部を包み込むように四方を懸造で囲って造った、極めて珍しい建築様式「四方懸造(しほうかけづくり)」のお堂なのだ。
写真は笠森観音:回廊側に回って、見上げた観音堂はすごく高さを感じるものだ。 -
観音堂の最初の階段はこちらから登る。石段から、踊り場で靴を脱ぎ、ビニール袋に入れて木造の階段を上がるようになっている。
観音堂内は土足厳禁という事だ。
写真は笠森観音:観音堂の最初の階段は順に石と木造。 -
見るからに怖い木造の75段の階段、下の踊り場から上を見ると、急斜している。
私は(いつもの事だが)高所恐怖症が急に出てきて、前に進めない。
踊り場の大きな柱につかまって、身体は固まってしまった。
若いお母さんと中学生くらいの娘さんもちょっと怖いねと言いつつも、この階段の左側(つまり外側だから下が見えるのだ!)を登って行く。
写真は笠森観音:観音堂の回廊への階段は75段もある。 -
家内は怖いと言いつつも、右側の階段(こちらは外を見なくて済むが、下りの人用だ。誰もいないから良かったが・・・左が登る人用、右が下る人用で、中央に危険防止用に鉄菅につかまることができる)を階段だけを見て上る。
何とか上がってみると、拝観料300円を寺の小母さんに払う必要があった。それでまた下の踊り場まで下って来た。上がるに際し、家内の持ち物は全て踊り場に置いて、私が預かったからだ。
このまま帰ろうかと家内に聞くと、折角だしお金を持って上ると言う。
それで家内はこの階段を2往復してしまったわけだ。
2005年4月、ドイツでもExsternsteineエクステルンシュタイネという巨岩群(ドイツ北西部のトイトブルクの森)があり、古代ゲルマン人(ケルト人)の聖地、キリスト教の巡礼地と云われている。
高さ40mと云う巨岩もあるが、いずれも見た目にも怖く、私ははなから登らないと家内に言った。
家内はドイツ人達と一緒に登ったが、帰りはさすがに怖いと思ったそうだ。
要するに、家内は私よりは高所に対する堪える力があるのだ。
写真は笠森観音:観音堂の回廊への階段は75段もある。 -
実は家内は膝を痛めていたので、やめとけと言ったのだが、折角だし!と言って頑張ってしまった。
階段上はこのような回廊が四囲を囲んでいた。
これを見ると、さすがに家内も前に出て下をのぞくことは出来ずに、ご本尊の十一面観音菩薩が居られる、右手の堂内の扉面に沿うようにぐるりと歩いたそうだ。
堂内はご本尊や四天王の像などがあった。
写真は笠森観音:観音堂の回廊(堂内は写真撮影禁止) -
ご本尊の十一面観音菩薩像は普段、観音堂の「お厨子(ずし)」と呼ばれる扉が閉まっているが、公開中は開かれ拝顔できる。
観音菩薩像は高さ2m20cmの一木造りだとか。
開堂時間は8~16時、雨天は当然なことで閉堂される。
降りてくるまで、こちらは踊り場で大きな柱につかまり立ちしていたが、何となく「風でこの柱が動いているように感じた」から、ますます困った。
早く降りて来いとも、上に向かって声を出せずにいると、漸く家内はゆっくりと下を見乍ら、階段を下りてきた。
写真は笠森観音:十一面観音像・・・よく見ると、大変素朴で、やさし気な顔をしている。 -
中年の男の方が、私を見て笑いながら「下がるお手伝いをしましょうか?」と親切に声をかけてくれたが、「家内もいる事だし、何とかなりますから」と答えた。
この方は群馬から車で来られていて、高い回廊をものともせず、周囲の写真を撮っていた。
最初の上がった、踊り場までの階段は、見た目も急勾配の階段で、短い階段だが、恐る恐る写真を撮ったものだ(苦笑)。
階段を下りても、情けないことにふらふらしているようで、しばし靴が履けずにいた。
写真は笠森観音:踊り場から下がる、急勾配の階段は短いが。 -
駐車場に戻ろうと、女坂を降りた。
思っていた以上に女坂も急勾配で、足の指が押されて痛い。
寺の車が上り下りするための広さがあるが、登攀力が要る。
写真は笠森観音:霊木「子授け楠」を坂の上から見る。 -
女坂を降りてくると、民家の庭に春を呼ぶ、黄色いミツマタの花が咲いていた。
写真は笠森観音:黄色いミツマタの花 -
写真(おまけ)は笠森観音:観音堂の上から下を見ると、こんな風に・・・。
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写真(おまけ)は笠森観音:堂内は比較的広い。節分の日に参集された地元の方々。豆マキをどこでやるのだろう?
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写真(おまけ)は笠森観音:二天門内の風神様。
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写真(おまけ)は笠森観音:二天門内の雷神様。
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写真(おまけ)は笠森観音:二天門内の閻魔大王・・・三体のいずれも良い顔をしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
15時半、笠森観音を出発し、自宅に向かった。
この日は凡そ往復200kmを走行した。
普段は椅子に座る生活が長く、久しぶりに歩いたから、
2日すると筋肉痛に襲われた。
(2023年3月6日Wiki・HP参考、編集・追記)
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