2024/01/02 - 2024/01/02
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jijidarumaさん
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2024年の初詣は昨年に続いて、成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ:台方の大宮殿(おおみやでん)を訪れた。
今年は船形にある澳津宮(おきつみや)=奥宮(おくのみや))をスルーして、台方の大宮殿(おおみやでん)を長女一家と共に初詣した。
昨年は大学受験で長女と孫娘の年長が年始に来られず、今年は長女と次女の一家全員がそろい、11名全員の新年会が出来た。
長女一家は久しぶりに2泊し、この2日は合格のお礼を兼ねて、麻賀多神社にお参りしたのだった。
そんなわけで、2023年に2024年の写真10枚を追加した。
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例年は成田市にある成田山新勝寺に初詣する。
成田山新勝寺は千葉県成田市にある真言宗智山派の仏教寺院であり、同派の大本山の一つである。
多くの方が参詣に訪れることで知られているが、さすがにコロナ禍ゆえ、最近は私共の足も遠のいている。
2023年の初詣は混雑も無く、気軽にという基準で調べた結果、成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ:台方の大宮殿(おおみやでん)と船形にある澳津宮(おきつみや)=奥宮(おくのみや))の2社を孫娘と共に初詣に訪れた。
写真は2024年成田市台方・麻賀多神社(だいかた・まかたじんじゃ):神社鳥居前で
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イチオシ
20240102_台方・麻賀多神社(だいかた・まかたじんじゃ):お正月飾りの鳥居
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20240102_台方・麻賀多神社の手水舎にて :長身の孫娘と並ぶとババ(家内)はこんなに差がある。
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20240102_台方・麻賀多神社の社殿に初詣
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20240102_台方・麻賀多神社の社殿に参拝
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20240102_台方・麻賀多神社の裏手にある東日本一の大杉
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20240102_台方・麻賀多神社:大杉と19歳の孫娘
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20240102_台方・麻賀多神社:大杉と長女一家とババ(家内)
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20240102_台方・麻賀多神社内の大権現社で17歳&19歳の孫娘たち
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20240102_台方・麻賀多神社境内で17歳&19歳の孫娘たち
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20240102_台方・麻賀多神社の鳥居前にて(長女が撮った)
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我が家は長女と次女の娘家族がいて、年始に我が家を訪れることが慣例になっている。最近は孫も大きくなり、大学受験や高校受験があると、該当者は来訪を遠慮して、訪れることが無い寂しい正月になる。
2022年の正月はどちらの家族も高校受験生がいた。
次女家族5人は歩いて10分の近所に住んでいるので、なんとか1日に年始に来訪できたが、長女家族4人は来訪無く、賀詞の電話だけで済ませた。
2023年、今年の正月は次女家族5人(次女、婿、大学2の孫娘、高1の孫、小6の孫娘)と長女家族(長女と受験準備の高3孫娘を除く)の婿と高1の孫娘が、1日に年始に訪れた。
次女宅の小6の孫娘は従姉の高1の孫娘と久しぶりにおしゃべりするのを楽しみに1泊し、翌日の2日に婿さんの実家に行く次女たちの迎えを受けて帰って行った。
長女の婿は1泊して都内に帰り、嬉しいことに高1の孫娘が3日まで2泊してくれた。
何やら騒がしい中、家内が用意した御節料理やお雑煮を食べ、クリスマスの残り物シュトレン、レープクーヘンなどと3時のお茶をし、夕食は恒例のトマトソースベースのチーズフォンデュ料理を囲んだ。
飲み物は故郷青梅の土産である澤乃井の日本酒、シャンパン、フランケンの白ワイン、締めにドイツの友人に頂いたもので、もう三分の一になっていたスペインのブランデー・カルロス1世を空けた。
今年は長女がいない分、成人となった大学生の孫娘が酒宴に参加した!
写真は成田市台方・麻賀多神社(だいかた・まかたじんじゃ)のMap・・・以前に訪れた宗吾霊堂から義侠の人・渡し守甚兵衛の公園へ向かうルートにある。 -
最初に申しあげると、タイトルにあるように「成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ:台方の大宮殿と船形にある澳津宮)の2社」を訪れた。
最初に総本社の台方、次に澳津宮である船形の麻賀多神社を初詣でした。
4Traで口コミのスポットを探すと、妙なことに船形の場所が台方としての概要説明などが登録されていた。口コミを投稿した方が、間違って登録したようで、その後も誰も訂正をしておらず、十数名が台方訪問の口コミを船形の場所に投稿していた。投稿写真を見る限り、実際に船形の奥宮を訪問された方はいないようだった。
(当方は訂正を試みたが、さて訂正されるのか?・・・この為、本稿では台方は緯度・経度で表示し、船形は正しい麻賀多神社・澳津宮のスポットを位置にした)
写真は成田市台方・麻賀多神社(だいかた・まかたじんじゃ)から頂いた由来書 -
イチオシ
【台方・麻賀多神社(だいかた・まかたじんじゃ)】
千葉県成田市台方1番地
Tel:0476-28-5736
https://makata-jinja.com/
麻賀多神社は、千葉県成田市台方にある神社である。式内社で、旧社格は郷社、「麻賀多十八社」の総本社、ご本家になる。
全国的に見ても、他所に見られない珍しい名前の神社は、印旛沼の東側から南にかけてにのみ存在する神社である。
印旛郡市である成田市に台方、船形の2社、佐倉市に11社と多く、富里市に2社、八代市に1社、酒々井町には2社あり、総計18社である。
この珍しい麻賀多神社については、ほとんど知らなかったのだが、正月早々に実に興味深くお詣りが出来た。印旛国造(いんばのくにのみやつこ)・伊都許利命(いつこりのみこと)と言う名前もこの初詣ですごく身近になったのだ。
写真は成田市台方・麻賀多神社:初詣で客を迎える神社鳥居前で -
<台方・船形の麻賀多神社の歴史>
社伝によれば、景行天皇42年(西暦112年)6月晦日、東征中の日本建尊(やまとたけるのみこと)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡を印旛国魂澳津鏡(インバノクニタマオキツカガミ)と崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であると云う。
応神天皇20年(西暦289年)、神八井耳命(かんやいみみのみこと)の8世の子孫である印旛国造(いんばのくにのみやつこ:当時の大和朝廷の地方長官)・伊都許利命(いつこりのみこと)が現在の成田市船形手黒に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命=稚日女尊(わかひるめのみこと:機織りの神)を祀った。
また、伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として雅産靈命=和久産巣日神(わかむすびのみこと:穀物の生育を司る神、五穀・養蚕の神)を併せ祀った。
この2神は「真賀多真(まかたま)=勾玉(まがたま)の大神(おおかみ)」と呼ばれた。
推古天皇16年(西暦570年頃)、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命(ひろすきてぐろのみこと)が、神命により現在の成田市台方稷山(あわやま)に雅産靈命(わかむすびのみこと)を遷座し、それまでの船形手黒の社殿を澳津宮(おきつみや)とした。
尚、台方・麻賀多神社から北方1kmのところに澳津宮(船形・麻賀多神社)があり、伊津許利命の噴墓(後述)が残っている。
延喜式神名帳に記載の際、「真賀多真(まかたま)」が三種の神器の1つと同名であるとして、1字取って「真賀多神社(まかたじんじゃ)」に改称した。
後に、一帯が麻の産地であることから麻賀多神社に社名を改めた。
平安時代に編修された延喜式神名帳に2社とも記載されている延喜式内社であり、近郷5村(台方だいかた・大袋おおぶくろ・下方しもかた?・伊篠いじの・飯仲いいなか)の総鎮守として祀られ、明治4年には郷社に列格している。
この地方住民の崇敬が特に篤く、平安時代からの千葉の豪族・千葉氏を始め江戸期の佐倉藩主等によって数回にわたって御社殿が造営された。
写真は成田市台方・麻賀多神社:成田市指定文化財の説明版 -
曽祖父が戦死した長男の遺書に由って、故郷青梅にある村の鎮守様・千ヶ瀬神社に石灯篭を奉納した話を以前に書き留めたが、以来、火袋(ひふくろ)のない石灯籠が気になる。
麻賀多神社に初詣での警備で居られた近所の村人に聞いてみたが、火袋(ひふくろ)のない石灯籠の理由は知らないと言われてしまった。
写真は成田市台方・麻賀多神社:鳥居の傍の火袋(ひふくろ)のない石灯籠と。 -
往時勅使として大伴家持(おおとものやかもち)も参拝されと云われ、西方1kmの印旛沼湖畔の鳥居河岸というところには大伴家持が寄進したという大鳥居(一の鳥居)が建っているそうだが、これは見ていない。
写真は成田市台方・麻賀多神社:由緒の碑(昭和49年神社改修時) -
<御祭神>
雅産靈命=和久産巣日神(わかむすびのみこと)は古事記・日本書紀には、日本の国造りの神で、五穀の神様であり、産業を司る神として記されている。
写真は成田市台方・麻賀多神社:社殿前に並ぶ初詣での人達と、社殿頭上には麻の葉の社紋が輝いている。 -
台方・麻賀多神社の社紋は麻の葉をデザインされており、最近まで赤ちゃんの産衣(うぶぎ)に麻の葉を入れて健やかなる成長を祈願したと云う。
つまり、永く子供の守り神として信仰されてきた。
写真は成田市台方・麻賀多神社:麻の葉の社紋 -
麻賀多神社の大杉(昭和10年県指定天然記念物)は推古天皇の時代に植樹されたとされ、約1400年近くの樹齢を持つ東日本一の大杉である。
御神木の大杉は太さ8m、高さ40m余りとされている。
写真は成田市台方・麻賀多神社:麻賀多神社の大杉(県指定天然記念物)の前で -
1977年(昭和52年)に千葉県指定天然記念物となった「麻賀多神社の森」も、今や御神木の大杉の周辺は明るく、深い森を連想させることはもうなさそうだ。
それでも御神木の大杉は霊験あらたかな雰囲気があり、台方・麻賀多神社を訪れた甲斐があった。
写真は成田市台方・麻賀多神社:麻賀多神社の大杉は御神木である。 -
写真は成田市台方・麻賀多神社:麻賀多神社の大杉の由緒
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麻賀多神社の大杉はしめ縄が架けられ、孫娘が細く、小さく見える。
写真は成田市台方・麻賀多神社:大杉としめ縄 -
イチオシ
写真は成田市台方・麻賀多神社:上の方が見難い麻賀多神社の大杉
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写真は成田市台方・麻賀多神社:上の方が見難い麻賀多神社の大杉
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写真は成田市台方・麻賀多神社:麻賀多神社の大杉を一周してから、再び記念写真を撮る婿と孫娘。
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写真は成田市台方・麻賀多神社:私共も記念写真を。
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1975年(昭和50年)に成田市指定無形民俗文化財に指定されている麻賀多神社神楽。毎年7月の台方・麻賀多神社大祭に神樂が奉納されていると云う。
この神楽は、今から400~500年ほど前に、常陸國からこの地方を訪れた万大夫一座が、由緒ある麻賀多神社の尊厳さに感銘し、伊勢神楽の流れを汲む十二神楽のひとつの獅子神楽を里神楽として奉納したことにはじまると伝えられている。
現在は、台方地区と下方地区が年番でその任にあたっています。
舞手は年番に当たった地区の中で、その年(2年間)のうちに結婚した新郎の中から、特に選ばれたものが奉納する習わしになっている。
神楽は「御神楽」、「巫女神楽」、「里神楽」の三部からなり、さらに「四方固め」、「鈴振りの舞」、「御幣の舞」、「はながかり」等7種の舞に別れ、雄獅子と雌獅子の二匹で舞う。
尚、この神楽は、印旛沼近くの鳥居河岸においても奉納される。
(成田市教育委員会・麻賀多神社説明版より)
写真は成田市台方・麻賀多神社:境内に神楽殿、神樂の説明版。 -
写真は成田市台方・麻賀多神社:社殿前で大吉のおみくじを引いて喜ぶ孫娘!
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<台方・船形の麻賀多神社の歴史>は船形の麻賀多神社の太田宮司により、簡略にA4サイズで纏められたもので、参考になる。尚、文章では台方・麻賀多神社の項で前述したので、そちらも合わせご参照下さい。
写真は成田市船形・麻賀多神社(澳津宮おきつみや):太田宮司発行の概要書 -
【船形・麻賀多神社まかたじんじゃ】
千葉県成田市船形834
千葉県成田市ニュータウンにあり、印旛沼の東1kmほどの船形にある神社である。総本社、ご本家である台方・麻賀多神社から北方1kmのところに船形・麻賀多神社(澳津宮(おきつみや)があり、社殿を造営した印旛国造(いんばのくにのみやつこ:当時の大和朝廷の地方長官)・伊都許利命(いつこりのみこと)の噴墓(後述)が神域に残っている。
伊都許利命の方形の古墳は公津原古墳群(こうづはらこふんぐん:39号墳 分墳)と、現在は号数で称されている。
成田市の公津(こうづ)は神津(こうづ=神の港)の転語と思われ、船形の地名もその辺から称したと思われる。従って、昔は印旛沼がもっと近かったのだろう。
成田市ニュータウン内には公津原古墳群のように古墳も多く、住宅開発時に貝塚も出たそうで、当時の人々が住むには適した地域だったのでしょう。
写真は成田市船形・麻賀多神社:大きく身長差を見せた孫娘と家内を澳津宮(おきつみや)の一の鳥居前で撮る。麻賀多神社 寺・神社・教会
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歴史も長い、くすのき幼稚園(太田学園が経営母体・・・宮司さんが太田さんなので、神社が経営するものだろうか)の西側に麻賀多神社があり、神社前の駐車場も幼稚園と神社の共用になっていた。
写真は船形・麻賀多神社:澳津宮(おきつみや)の二の鳥居前で。右手にくすのき幼稚園がある。 -
境内左手奥に、御神木の大杉がある。
御神木の大杉は樹齢650年(台方の大杉の方がずっと古いが)と、なかなかの雄姿を示している。周囲の太さ6m、高さ約40mで、台方の御神木より周囲は2m細い。
台方もそうだったが、周辺の森は明るい。
写真は船形・麻賀多神社:澳津宮(おきつみや)の本殿横を行くと杉の御神木がある。 -
イチオシ
神社に欠かせぬ大杉は樹齢650年を数える御神木だ。
写真は船形・麻賀多神社:澳津宮(おきつみや)の御神木 -
御神木傍には周囲の太さ6m、高さ約40mと書かれた白い柱が立つ。
写真は船形・麻賀多神社:澳津宮(おきつみや)の御神木 -
船形・麻賀多神社の社紋(神紋)は麻の葉ではなく、巴紋(特に三つ巴)でした。
神職の様な姿をした男の方に、社紋(神紋)について聞いてみたが、ご存じなかったから、本職ではなかったのだろう。
写真は船形・麻賀多神社:台方より少し小ぶりに見えた澳津宮(おきつみや)社殿の正面。 -
巴(ともえ)は、コンマあるいは勾玉のような形をした日本の伝統的な文様の一つ、または、巴を使った紋の総称。巴紋(ともえもん)ともいう。
家紋や神紋・寺紋等の紋としても用いられ、太鼓、軒丸瓦などにも描かれる。
特に武神である八幡神の神紋として巴紋(特に三つ巴)が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋が神紋として用いられるようになった。
写真は船形・麻賀多神社:三つ巴(みつともえ)の社紋(神紋) -
写真は船形・麻賀多神社:澳津宮(おきつみや)社殿の正面から撮ると、社紋(神紋)が社殿の上や幕、賽銭箱などに見える。
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イチオシ
写真は船形・麻賀多神社:澳津宮(おきつみや)社殿の正面から撮ると、御神木のてっぺんまで入った。
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家庭祝祭事が詳細に書かれた説明版が立っていた。
鎮守様と近隣の住民との関係はこのようにかつては密であった。
写真は船形・麻賀多神社:家庭祝祭事! -
社務所に立寄って、<台方・船形の麻賀多神社の歴史>の説明書を頂く。この小さな神社も女性陣の参詣が多い。それも若い人が。
写真は船形・麻賀多神社:澳津宮(おきつみや)の社務所 -
神社の初詣でをして、境内の参道を戻ると、左手に古墳(伝伊都許利命の墳墓)案内がある。そこには岩屋らしき穴(広さ約5㎡)があり、直刀、金環、鎧片等を納 めてあった石棺がある。
伝伊都許利命墳墓は東西辺約35m、南北辺約36m、高さ約5mの方墳である。
南辺の中央部に凝灰質軟砂岩製の横穴式石室が開口している。また、2段築成された西辺のテラス状部分に箱式石棺が1基発見され、一部が露出している。石材は絹雲母片岩である。つまり、2基の遺跡があった。
文久4年(1864年)に大木の根元から発見された鏡と玉は、麻賀多神社に伝えられている。7世紀代に築造された古墳と考えられる。
(麻賀多神社)
写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):伝伊都許利命墳墓の説明版 -
写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):伝伊都許利命墳墓・古墳出土石(箱式石棺の蓋となった石材)
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写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):伝伊都許利命墳墓(横穴式石室に石櫃いしびつ及び せきひつ・・・ 納骨用の櫃)
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この時は墳墓の左手から古墳(周囲120m、高さ7m)方形墳上に登ったが、実際は道路際に表示板や石段があり、そこから参詣する形になっていた。
写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):伝伊都許利命墳墓の墓誌 -
写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):伝伊都許利命墳墓の墓誌(大意)
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<公津ヶ原39号墳 方墳について>
◆7世紀
◆所在地 成田市船形手黒麻賀多神社内
◆墳長東西35m、南北36m、高さ5m
◆埋葬施設 横穴式石室(南側中央)半地下式、玄室長さ3.8m 玄室幅1.5m 玄室高さ2.4m(いずれも推定値)凝灰質砂岩切石積
◆出土品 大刀2、挂甲小札数片、鉄鏃1、※滑石製模造品、金環2、土玉2(麻賀多神社保管)
◆備考 ※大形円板1、有孔円板12、勾玉型模造品2、剣型品1
写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):古墳上には「伊都許利命墳墓」の大きな石碑が立っている。 -
写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):伝伊都許利命墳墓の碑を見上げる。
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写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):伝伊都許利命墳墓、つまり公津原39号墳(方墳)の由緒説明版
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成田市内の公津原古墳群(こうづはらこふんぐん)は広範囲にわたっていて、ニュータウン開発により消滅してしまったものが多いが、現存しているものは公園・学校・神社などに比較的きちんとした形で保存されているそうだ。
伝伊都許利命墳墓、つまり公津ヶ原39号墳(方墳)はくすのき幼稚園(太田学園)の脇にある麻賀多神社内にある。
写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):公津原古墳群図・・・写真左下茶色の印に船形・麻賀多神社がある。 -
【公津原古墳群(こうづはらこふんぐん)】
県指定史跡、指定日は平成2年3月16日
所在地(所有者)は成田市加良部ほか(成田市ほか)
概要:
千葉県の北部に位置する手賀沼・印旛沼周辺には多くの古墳が分布し、なかでも方墳として東日本最大級を誇る古墳を含む「龍角寺古墳群・岩屋古墳」とともに、公津原古墳群は千葉県を代表する古墳群として知られている。
公津原古墳群はすでに江戸時代からその存在が知られていたが、本格的な研究は戦後になってからのことである。その後、昭和44年(1969)10月から昭和46年(1971)8月にかけて、成田ニュータウンの建設に伴って64基の古墳が発掘調査されて以来、多くの古墳が発掘調査され、公津原古墳群の内容が明らかになった。
公津原古墳群は、総数120基を超える古墳群で、分布から3つの支群に分けられる。南から、瓢塚(ひさごづか)古墳群(前方後円墳1基、方墳19基、円墳30基)、天王・船塚(てんのう・ふなつか)古墳群(前方後円墳3基、方墳9基、長方墳1基、円墳33基)、八代台(やつしろだい)古墳群(前方後円墳3基、方墳6基、円墳25基)の3支群がある。
これらのうち、ニュータウン開発により消滅した古墳も多いが、現在、38基の古墳が史跡に指定されて保護されている。造営開始年代は早く、4世紀の前半から7世紀の後半まで長期間古墳は造られている。とくに天王・船塚古墳群には、6世紀代と推定される大型古墳が所在する。しかし、7世紀に入ると大型古墳が造られなくなり、岩屋古墳やみそ岩屋古墳が造られる龍角寺古墳群と対照的となる。
(更新日:令和2(2020)年4月11日 千葉県教育委員会)
写真は船形・麻賀多神社・・・澳津宮(おきつみや):伝伊都許利命墳墓のある公津原古墳群の39号墳(方墳)の登り口には成田市教育委員会の看板が立つ。
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成田で歴史勉強をした2日間、興味深い麻賀多神社や、ニュータウン内でよく見かける公津原古墳群、神社と合体したような謂れのある39号墳(方墳)を孫娘と訪れる事が出来て、今年は良き初詣でとなった。
(2023年1月8日Wiki/Hp参考、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (4)
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- Mugieさん 2023/01/09 07:33:16
- あけましておめでとうございます
- jijidarumaさん、今年もよろしくお願いします。
お孫さんと過ごすお正月は楽しそうですね。
昨年うちの大学1年生の娘も祖父母宅に行くときに一人だけ先に行って泊まっていたのですが、同じような感じで驚きました。
それにしても神社の歴史や古墳のことなどとても勉強になりました。
古墳というとさきたま古墳しか思い浮かばなかったのですが、千葉にもあるんですね。
ムギー
- jijidarumaさん からの返信 2023/01/09 23:44:28
- Re: あけましておめでとうございます
- ムギーさん、
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。
一人で泊まるのは孫娘も新鮮だったようですね。御節料理の盛り付け、お雑煮の味試し、食器の準備などの手伝いで家内は嬉しかったと言っていました。
我が家の最年長の孫娘(大学2年)は昨日、二人の娘たちが着た振袖を着て、20歳の成人式に出席しました。出席前に振袖を着て来訪し、私共に披露してくれました。短い時間に写真担当の私はシャッターをきりまくりました。
家内が大事に保管していた振袖の出番があって、私共は大喜び、娘も出費が減って喜んでいます(笑)。
こうなると、後に続く高3、高1、小6の孫娘たちにも期待したくなる!
千葉には成田空港近くにも芝山古墳群がありますよ。芝山町には「はにわ博物館」があり、道路には埴輪の模型が立ち並んでいます。
それではまた。
jijidaruma
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- pedaruさん 2023/01/09 05:52:31
- 初詣
- jijidarumaさん
明けましておめでとうございます。
お孫さんと初詣だそうですが、jijidarumaさんらしい初詣の旅行記でしたので、
ちょぴっと笑ってしまいました。
人が多かった、賑やかだった、何を食べたで普通終わってしまう初詣、しかし、
jijidarumaさんの旅行記は、神社の来歴、巨木、古墳の報告など多岐にわたり、やはり
読んでためになるdaruma節でした。
おかげさまで、あの付近の様子も一部分かり、古墳の多いこと、神木のすごさなど
知ることができました。
今年もよろしくお願いします。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2023/01/09 23:17:27
- Re: 初詣
- pedaruさん、
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。
私共は今年、傘寿を迎えます。古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)と順に迎えて、それを家族で寿ぐのは良い習慣ですね。
あの長寿の化身たる御神木を見て、何やら力が湧きました(笑)。
さて、「2023年の初詣は混雑も無く、気軽にという基準で調べた」と本項にも書きましたが、その通りの麻賀多神社でした。
孫娘との初詣は3年ぶり(コロナ禍で久しぶり)、受験生を持つ家にいるより、ジジ&ババの家が気分も落ち着いたことでしょう。
その孫娘は日本史より世界史に目下、目を向けている様子でしたが、こうした古き時代の歴史に富んだ場所を新年に訪問するのは興味深かったようでした。
佐原まで自転車でお出かけになる超人のpedaruさん、成田の珍しい麻賀多神社を目的地にするのも宜しいかもしれませんね。
それではまた。
jijidaruma
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