2024/04/08 - 2024/04/08
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【二十四節気・清明(せいめい):古代の玉作(たまつくり)の遺跡にも大ぶりな山桜が咲く。】
産経新聞に今週は【二十四節気・清明(せいめい):4月4日~18日、「清浄明潔」の略とされる。春の日差しを受けて万物が清らかで明るくすがすがしい季節】であると小さく載っていた。
春の小旅行はこれで五回目になる。
昨春も3月下旬以来、千葉の北総(ほくそう:主に千葉県北部地域)を走り、各地の春の花を見物している。
さて、昨年の正月に≪成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ:台方の大宮と船形にある奥宮)を孫娘と初詣に訪れた。≫と書いたことがある。
その時、成田市ニュータウンには、公津原古墳群(こうづはらこふんぐん)のような多数の古墳が残り、住宅開発時に貝塚も出たと云う事を知った。
当時の人々にとって、この台地一帯は住むに適した地域だったのでしょう。
写真は成田市ニュータウン・八代(やつしろ)・玉作(たまつくり)遺跡に咲く山桜
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
成田ニュータウンの北に古代の人達の工房(ここで管玉(くだたま)などが制作されていたと云う)、「八代(やつしろ)・玉作(たまつくり)遺跡」がある。
また遺跡から更に数百メートル北に、公津原古墳群(こうづはらこふんぐん)に属する墳墓が見られる「外小代(そとこしろ)公園」がある。
今日はこの地にある山桜やソメイヨシノを見に行った。
写真は成田ニュータウンの北に位置する八代玉作遺跡、外小代(そとこしろ)公園、花内(街区)公園のMap -
麻賀多神社は、千葉県成田市台方・船形にある神社である。式内社で、旧社格は郷社、「麻賀多十八社」の総本社(ご本家)・澳津宮(おきつみや)になる。
その前に、2023年正月に訪れた麻賀多神社(まかたじんじゃ)と公津原古墳群(こうづはらこふんぐん:39号墳 方墳)の事をおさらいする。
【船形・麻賀多神社(まかたじんじゃ)】
千葉県成田市船形834
千葉県成田市ニュータウンにあり、印旛沼の東1kmほどの船形にある神社である。総本社、ご本家である台方・麻賀多神社から北方1kmのところに船形・麻賀多神社(澳津宮(おきつみや)があり、社殿を造営した印旛国造(いんばのくにのみやつこ:当時の大和朝廷の地方長官)・伊都許利命(いつこりのみこと)の噴墓(後述)が神域に残っている。
延喜式神名帳に記載の際、「真賀多真(まかたま)」が三種の神器の1つと同名であるとして、1字取って「真賀多神社(まかたじんじゃ)」に改称した。
後に、一帯が麻の産地であることから麻賀多神社に社名を改めた。
尚、船形にある澳津宮(おきつみや)=奥宮(おくのみや)と、成田市台方1番地にある台方の大宮殿(おおみやでん)=大宮(おおみや)の2社があり、船形及び台方・麻賀多神社(だいかた・まかたじんじゃ)と総称されている。
全国的に見ても、他所に見られない珍しい名前の神社は、印旛沼の東側から南にかけてにのみ存在する神社である。
印旛郡市である成田市に台方、船形の2社、佐倉市に11社と多く、富里市に2社、八代市に1社、酒々井町には2社あり、総計18社である。
写真は船形・麻賀多神社(まかたじんじゃ)の本殿船形・麻賀多神社(奥宮)には公津原古墳群の方墳の一つ、伝・伊都許利命墳墓がある。 by jijidarumaさん船形麻賀多神社 (麻賀多神社奥宮) 寺・神社・教会
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イチオシ
船形・麻賀多神社には、写真の様な伝・伊都許利命墳墓・古墳出土石(箱式石棺の蓋となった石材)が見られる。
伊都許利命の方形の古墳は公津原古墳群(こうづはらこふんぐん:39号墳 方墳)と、現在は号数で称されている。
成田市の公津(こうづ)は神津(こうづ=神の港)の転語と思われ、船形の地名もその辺から称したと思われる。
従って、昔は印旛沼がもっと近かったのだろう。
成田市ニュータウン内には公津原古墳群(こうづはらこふんぐん)のように古墳も多く、住宅開発時に貝塚も出たそうで、当時の人々が住むには適した地域だったのでしょう。
神社の初詣をして、境内の参道を戻ると、左手に古墳(伝・伊都許利命の墳墓)案内がある。そこには岩屋らしき穴(広さ約5㎡)があり、直刀、金環、鎧片等を納めてあった石棺がある。
写真は社殿を造営した印旛国造(いんばのくにのみやつこ:当時の大和朝廷の地方長官)・伊都許利命(いつこりのみこと)の噴墓(後述) -
写真は2023年公津原(こうづはら)古墳群の伝・伊都許利命(いつこりのみこと)墳墓に道路側から登る石段
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伝・伊都許利命(いつこりのみこと)墳墓は東西辺約35m、南北辺約36m、高さ約5mの方墳である。
南辺の中央部に凝灰質軟砂岩製の横穴式石室が開口している。また、2段築成された西辺のテラス状部分に箱式石棺が1基発見され、一部が露出している。石材は絹雲母片岩である。つまり、2基の遺跡があった。
文久4年(1864年)に大木の根元から発見された鏡と玉は、麻賀多神社に伝えられている。7世紀代に築造された古墳と考えられる。(麻賀多神社)
この時は墳墓の左手から古墳(周囲120m、高さ7m)方形墳上に登ったが、実際は道路際に表示板や石段があり、そこから参詣する形になっていた。
写真は2023年公津原(こうづはら)古墳群の伝・伊都許利命(いつこりのみこと)墳墓に登る石段と表示板など -
<公津ヶ原39号墳 方墳について>
◆7世紀
◆所在地 成田市船形手黒麻賀多神社内
◆墳長東西35m、南北36m、高さ5m
◆埋葬施設 横穴式石室(南側中央)半地下式、玄室長さ3.8m 玄室幅1.5m 玄室高さ2.4m(いずれも推定値)凝灰質砂岩切石積
◆出土品 大刀2、挂甲小札数片、鉄鏃1、※滑石製模造品、金環2、土玉2(麻賀多神社保管)
◆備考 ※大形円板1、有孔円板12、勾玉型模造品2、剣型品1
成田市内の公津原古墳群(こうづはらこふんぐん)は広範囲にわたっていて、ニュータウン開発により消滅してしまったものが多いが、現存しているものは公園・学校・神社などに比較的きちんとした形で保存されているそうだ。
伝・伊都許利命墳墓、つまり公津ヶ原39号墳(方墳)は、くすのき幼稚園(太田学園)の脇にある麻賀多神社内にある。
写真は2023年公津原(こうづはら)古墳群:伝・伊都許利命墳墓、つまり公津ヶ原39号墳(方墳) -
【公津原古墳群(こうづはらこふんぐん)】
県指定史跡の指定日:平成2年3月16日
所在地(所有者):成田市加良部ほか(成田市ほか)
概要:
千葉県の北部に位置する手賀沼・印旛沼周辺には多くの古墳が分布し、なかでも方墳として東日本最大級を誇る古墳を含む「龍角寺古墳群・岩屋古墳」とともに、公津原古墳群は千葉県を代表する古墳群として知られている。
公津原古墳群はすでに江戸時代からその存在が知られていたが、本格的な研究は戦後になってからのことである。
その後、昭和44年(1969)10月から昭和46年(1971)8月にかけて、成田ニュータウンの建設に伴って64基の古墳が発掘調査されて以来、多くの古墳が発掘調査され、公津原古墳群の内容が明らかになった。
公津原古墳群は、総数120基を超える古墳群で、分布から3つの支群に分けられる。南から、瓢塚(ひさごづか)古墳群(前方後円墳1基、方墳19基、円墳30基)、天王・船塚(てんのう・ふなつか)古墳群(前方後円墳3基、方墳9基、長方墳1基、円墳33基)、八代台(やつしろだい)古墳群(前方後円墳3基、方墳6基、円墳25基)の3支群がある。
これらのうち、ニュータウン開発により消滅した古墳も多いが、現在、38基の古墳が史跡に指定されて保護されている。造営開始年代は早く、4世紀の前半から7世紀の後半まで長期間古墳は造られている。
とくに天王・船塚古墳群には、6世紀代と推定される大型古墳が所在する。
しかし、7世紀に入ると大型古墳が造られなくなり、岩屋古墳やみそ岩屋古墳が造られる龍角寺古墳群と対照的となる。
(更新日:令和2(2020)年4月11日 千葉県教育委員会)
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成田で歴史勉強をした2日間、興味深い麻賀多神社や、ニュータウン内でよく見かける公津原古墳群、神社と合体したような謂れのある39号墳(方墳)を孫娘と訪れる事が出来て、今年は良き初詣となった。
(2023年1月8日Wiki/Hp参考、編集・追記)
写真は2023年公津原(こうづはら)古墳群:伝・伊都許利命墳墓、つまり公津ヶ原39号墳(方墳)の説明版 -
成田ニュータウンは4世紀の前半から7世紀の後半まで長期間、古墳は造られたそうだが、古墳時代前期から中期にかけ、こちらには玉作(たまつくり)遺跡=工房跡があったと云う。
ニュータウンの道路から見上げて観ると、その玉作遺跡に山桜が形よく、大きな枝を伸ばして、咲いている。
遺跡の周辺をぐるりと回って、写真を撮った。
写真は八代(やつしろ)・玉作(たまつくり)遺跡の山桜 -
【八代(やつしろ)・玉作(たまつくり)遺跡:成田市教育委員会の説明版】
種別:千葉県指定史跡
指定日:昭和41年12月2日
所在地(所有者):成田市玉造2-9(成田市)
(注:成田湯川駅南口から徒歩15分)
概要:
八代玉作遺跡は、成田ニュータウンの北端部分に位置している。
周辺には多くの古墳が分布した公津原(こうづはら)古墳群があり、北北東約500mには、外小代(そとこしろ)玉作遺跡が位置する。
昭和30年(1955)に採集されていた奇妙な形の薄緑色の小石片を契機として、昭和37年(1962)11月と昭和38年(1963)10・11月の2度、発掘調査が行われた。
調査の結果、工房と考えられる竪穴建物跡3棟や緑色凝灰岩の管玉とその未製品、原石・剥片、そして砥石などが出土し、古墳時代前期から中期にかけての「玉作遺跡」であることが判明した。
この遺跡は東日本で最初に発掘調査された玉作遺跡である。
その後、昭和46年(1971)には成田ニュータウンの建設に伴って発掘調査が行われ、7棟の玉作工房が検出された。最初の調査とあわせて10棟の玉作工房が谷を取り囲むように位置し、古墳時代前期から中期にかけ、主に緑色凝灰岩を材料とした管玉(くだたま:管状になっている宝飾装身具の部品、ビーズの一形態で、管に糸を通して腕飾り(ブレスレット)や首飾り(ネックレス)などとして用いられる)の製作が行われていたことが明らかになった。
成田市の北部地域は、古代の下総国(しもうさのくに)埴生郡(しもはぶぐん)玉作郷と考えられており、実際に玉作遺跡が検出された意義は大きい。
:千葉県教育委員会のHP参照及び追記
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写真は八代(やつしろ)・玉作(たまつくり)遺跡:成田市教育委員会の説明版 -
遺跡の周辺をぐるりと回ると、住宅が近くまで建てられているが、遺跡は保全する上で、それなりの面積を保っている。
写真は八代(やつしろ)・玉作(たまつくり)遺跡の山桜 -
イチオシ
写真は八代(やつしろ)・玉作(たまつくり)遺跡の山桜
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こうして遺跡の様子を平場で写真を撮ってみると、周囲は広い。
写真は八代(やつしろ)・玉作(たまつくり)遺跡の山桜:成田市教育委員会の説明版 -
遺跡の傍に住居を持つのは、どんな感じなのだろうか?!
写真は八代(やつしろ)・玉作(たまつくり)遺跡の山桜 -
写真は八代・玉作遺跡の山桜近くのお宅に咲いていた美しいツバキは満開である。
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写真は八代・玉作遺跡の山桜近くのお宅に咲いていたツバキ:拡大
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八代・玉作遺跡の山桜を見て、住宅街を行くと、ニュータウン独特の表現をした花内街区公園があり、ここのソメイヨシノも満開だ。
身近にこのような立派な桜があるのは、羨ましいことかもしれない。
写真は花内公園のソメイヨシノ -
写真は花内公園のソメイヨシノ
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写真は花内公園のソメイヨシノ
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写真は花内公園から外小代(そとこしろ)公園に向かうところに、無造作に大きくなった花(トキワマンサク?!、ドウダンツツジ?!)
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写真は花内公園から外小代(そとこしろ)公園に向かうところに、無造作に大きくなった花(トキワマンサク?!、ドウダンツツジ?!)
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【外小代(そとこしろ)公園】
成田市の北西部、成田ニュータウンの中にある外小代地区公園は、運動場やテニスコート、中央広場、遊戯施設などがある幅広い機能をもった公園です。
園内西側には外小代(そとこしろ)玉作遺跡や、公津原(こうづはら)古墳群に属する9基の古墳もあります。
春には桜が咲き揃い、お花見スポットとしても賑わいます。
所在地:成田市玉造2丁目1番地
面積:4.7ヘクタール
主な施設:中央広場・運動及び芝生広場・テニスコート2面(全天候)・パーゴラ・遊具。
主な樹木:ケヤキ・ソメイヨシノ・シラカシ・ヤマモモ・イロハモミジ
トイレ施設:有(多目的有)
:成田市役所のHP参照
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写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ -
公園の道を上がると、左手に37号墳・方墳(ほうふん:墳丘の平面形が方形になる古墳のことで、古墳時代の全期間にわたって造られた円墳(えんぷん:平面が円型)についで数多く築かれている)がある。
看板が無ければ、気付かいだろう。
写真は外小代(そとこしろ)公園にある公津原(こうづはら)古墳群:第37号古墳・方墳(ほうふん:全長12.5m、高さ1m) -
写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ
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写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ
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写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノと玉造(たまつくり:玉作遺跡から名を取った)の市街地
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イチオシ
写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ:拡大
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写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ
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写真は外小代(そとこしろ)公園にある運動公園とソメイヨシノ
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写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ
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写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ
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写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ
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イチオシ
看板が無ければ、一寸見では分からない小さな古墳だ。また全体が公園ゆえ、人や犬も容易に立ち入る事が出来る。
この近くに外小代(そとこしろ)玉作遺跡があったようだが、気付かなかった。
写真は外小代(そとこしろ)公園にある古墳35号 円墳(えんぷん:全長12.5m、高さ1.5m)とソメイヨシノ -
写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ
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写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノ:拡大
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写真は外小代(そとこしろ)公園にあるソメイヨシノを外郭道路から眺めた様子
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思えば、日本のどんな町にも春になれば桜が咲く。
雑踏の中の桜を見ずとも、桜はいつも身近にある。
様々な桜をいろんな時に見てきたが、小学校(中学校に併設されていた分校だったが)入学の時の桜が一番記憶に残っているから不思議だ。
写真は外小代(そとこしろ)公園からちょっと離れた玉造市街地にある公園もソメイヨシノが満開だ。 -
おまけの写真はピンクの海棠(カイドウ)
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おまけの写真は海棠(かいどう):拡大
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おまけの写真はツバキ
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おまけの写真は赤の花水木(ハナミズキ)
(2024年4月27日Wiki/Hp参考、編集・追記)
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