2023/04/27 - 2023/04/27
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jijidarumaさん
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【七十二候・霜止出苗(しもやんで なえいずる):長らく忘れていた酒々井(しすい)町の「甲子(きのえね)酒蔵・飯沼本家」を訪れた。】
産経新聞に今週は【七十二候・霜止出苗(しもやんで なえいずる):暖かさとともに霜が降りなくなり、苗代で稲の苗が育つ)、4月25日~4月29日)】であると小さく載っていた。
3月下旬以来、千葉の北総(ほくそう:主に千葉県北部地域)を走り、各地の春の花を見物している。
以前、酒々井(しすい)のアウトレットにあるインフォーメーションで甲子(きのえね)酒蔵・飯沼本家の冊子を頂いたことがあり、興味をもったものの、長く旅資料の箱に置きっ放しにしていた。
最近、桜巡りで山武(さんむ)市まで走った際に、飯沼本家の酒蔵カフェの看板を目にして、その事を思い出した。
その時は走りながら往復共に通過してしまったが。
今日は、その長らく忘れていた、酒々井(しすい)町の「甲子(きのえね)酒蔵・飯沼本家」を訪れた。
季節は春だが、花より酒である。
写真は飯沼本家HP・歴史画:江戸時代の酒造り
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
【千葉県酒々井町:甲子酒蔵・飯沼本家】
〒285-0914千葉県印旛郡酒々井町馬橋106
Tel:043-496-1111
酒々井町の飯沼本家の創業は江戸・元禄年間(1688年~1703年)で、創業当時から300年の歴史を誇る酒蔵である。
銘酒「甲子正宗(きのえね まさむね)」の醸造元である飯沼本家は、酒に因んだ縁起の良い町、酒々井の地で酒造りに適した、豊富な水源に恵まれ自然環境、閑静な森に囲まれている。
飯沼本家 (iinumahonke.co.jp)
写真は酒々井町Map・・・飯沼本家、酒の沸く井戸=「酒の井」、千葉氏の本佐倉城跡、厳島山のカンカンムロ、飯積の大杉、文殊寺跡など。 -
イチオシ
「甲子正宗(きのえね まさむね)」の純米吟醸1800ml は私共の好みにあい、晩酌に重宝している。世田谷に住む長女一家の婿もこのブランドを好むと云う。
飯沼本家の銘柄「甲子(きのえね)」は、干支(かんし=えと)の一番目にあたり、新しくはじめる物事に良い流れをもたらす、つまり吉兆を示すと云う。
写真は飯沼本家:駐車場に立つ鯉のぼり、右手にかつての石炭小屋、左手に移築した曲がりや(カフェや直売所)、正面に屋敷門・母屋(おもや)、工場など入口。酒々井まがり家 グルメ・レストラン
-
昼食後、家を出発した。
14時40分、鯉のぼりが元気に泳ぐ、広い駐車場に車を停めて、まず目的の「きのえねまがり家」の酒蔵カフェで、3時のお茶をすることにした。
写真は飯沼本家HP・全景:右手にかつての石炭小屋、左手に曲がりや(カフェや直売所)、正面に屋敷門・母屋(おもや)、工場など入口、手前に駐車場がある。 -
イチオシ
目的の「きのえねまがり家」の酒蔵カフェは、この建物にある。
<飯沼本家の「きのえねまがり家」:酒蔵カフェ、直売所>
営業時間:10時00分~17時00分まで
定休日:毎週月曜日(月曜日が休日の場合翌日が定休日)、年末・年始
駐車場:普通車台数30台、大型車台数2台が可で、トイレ設備ある。
「まがりや」とは東北地方の民家に多く、鍵型の曲がった作りが特徴的な建物で、馬屋(まや)の上に「ちし」と呼ばれる中二階があり、小さな明かり取りとなっている。飯沼本家のまがり家は、元々、新潟県東蒲原郡川上村というダムに沈んだ村の民家を瓦屋根に葺き替えて移築したもので、当所にあったものではない。
平成7年(1995年)10月に接客棟として「酒々井まがり家(現:きのえねまがり家)」の営業を開始し、当初は日本酒の販売のみでしたが、徐々に食品や雑貨などを増やしていったと云う。
移築以来、もう30年近くになるのだが、私共は初めての訪問だ。
2階にはギャラリーを併設し、年4回~5回の企画展を開催している。この日は2階への階段は閉じていた。
まがり家内には酒蔵カフェがあり、酒粕入りのうどんやカレーなどいった軽食や甘味の提供をしている。お酒の試飲コーナーもある。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:前景 -
酒蔵カフェの暖簾まえで一休み、腰を休める。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:酒蔵カフェの暖簾まえで。 -
イチオシ
酒蔵カフェの入口に、ちょっと愉快な杜氏(とうじ)の人形が立ち、入場の際はマスクをつけてね!と、そして写真を一緒に撮ってと手を広げている。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:入口に杜氏(とうじ)の人形。 -
我が家の実家にあった様な柱時計(ここのは停まっていたが)などが見られた。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:柱時計と広告用ポスター。 -
中に入ると、ちょっと驚いた土産品である<かすていら>、チョコレート(トリュフ)が売られていた。もちろん飯沼本家の銘柄「甲子(きのえね)」の日本酒や食材の販売所になっている。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:販売所と酒蔵カフェ -
味見はしていないが、甲子リンゴ酒も展示されている。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:甲子リンゴ酒 -
まがり家の左手奥にカフェ用スペースがある。席数が多いわけではないが、なかなか良いものを提供していた。
私共は酒粕入りアイスにブルーベリー添え、バニラアイスにキャラメルソースを注文し、ホットコーヒーを飲んだ。
お値段は1,540円也。
いずれも大変美味しく、値段もリーズナブルなものだ。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:カフェ用スペースでお茶。 -
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:酒粕入りアイスにブルーベリー添え、バニラアイスにキャラメルソース、それにホットコーヒー。
-
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:私の注文は酒粕入りアイスに*ブルーベリー添え。
*<ブルーベリー狩り>
6月中旬~9月上旬に開催される。飯沼本家は約1500坪の畑に約800本の
ブルーベリーの木を植えて、ブルーベリー狩りを提供すると云う。 -
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:家内のバニラアイスにキャラメルソース。
-
さて、面白いことに飯沼本家・きのえねまがり家のカフェの一角に3冊の本が置かれていた。
本の題名を見て、酒々井町の伝説が本になったのだと思ったが、右の「酒の井伝説」だけは知っていたが、他の2冊の伝説は知らない。
伝説好きなので、気になって帰宅して調べてみた。
・・・・・
2019年6月16日 東京新聞の記事を引用すると:
「孝行息子が井戸からくんできた酒が、普通の人には水になる。酒々井町の町名の由来とされるこの「酒の井伝説」などが題材の民話4編を収録した3冊の絵本セット「しすいみんわ絵本」を町が刊行し、園児がいる町内の全世帯349戸に無料で配った。(小沢伸介)
紹介している民話は
(1)「酒の井」のほか、冠婚葬祭の道具類を借りられる洞穴の話(2)「カンカンムロ」、小僧が京都を1日で往復して祇園祭を見物したという(3)「小僧と天狗(てんぐ)」、実在したとされている美しい桜の木にまつわる(4)「文殊寺の桜」の4編である。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:上記のような経緯で、酒々井町の伝説が本になり、カフェの一角を飾ったのだ。 -
酒々井町には、町の由来となった伝説の<*酒(さけ)の井>がある。
*酒の井が地名の由来となったと伝っているが、古くから地名は縁起[えんぎ]の良い漢字二文字を使う「好字[こうじ]二文字」で名づけるのが習わしで三文字の地名はあまり例を見ません。
おそらく印旛沼に面したこの土地は涌水の井戸が多く、「しゅすい(出水)」と呼ばれていて、文字には音(おん)が同じで豊かさを表す「酒(しゅ)」をあて、豊かさが繰り返すよう酒の文字を重ねて「酒酒井(酒々井)」と書いたのでしょう。
十五世紀には「須々井」と書かれたことがありますが、十六世紀以後は「酒々井」と書かれ、読みは「シュスイ・ススイ」となっています。
(酒々井風土記、『印旛郡誌』 大正二(1913)年現代語訳の抜粋)
写真は酒々井町教育委員会冊子表:酒(さけ)の井と酒々井(しすい)の由来酒の井の碑 名所・史跡
-
(1)【酒の井の伝説】
『昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と孝行息子が住んでおった。
父親はたいそう酒好きでな、親思いの息子は毎日一生懸命働いて父親に酒を買っていたんじゃ。ところがある日、どうしても酒を買う金がつくれずに、とぼとぼと歩いて家に帰ろうとしていた。
その時、道端の井戸から何とも良い香りが「ぷうん」としてきた。井戸の水をくんでなめてみると、それは本物の酒だったんじゃ。さっそく帰って父親に飲ませると、「こりゃうまい酒だ。ありがたい、ありがたい」とたいそう喜んだ。
息子はそれから毎日、毎日井戸から酒をくんで飲ませたんじゃ。ところがこの酒は、親子以外の人が飲むと、ただの水になってしまうんじゃな。
「きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない」とみんながほめたたえた。
この酒の話しが広まり、村もいつか「酒々井(しすい)」と呼ばれるようになったということじゃ。』
(酒々井風土記、『印旛郡誌』)
写真は酒々井町教育委員会冊子裏:酒の井の伝説と解説 -
(2)【カンカンムロ】(厳島山のカンカンムロ)
むかし、*厳島山(いつくしまやま:25.7mの丘・・・将門山(本佐倉城跡)から北東に500mの距離)の近所に住む若者が、結婚式を迎えようとしていたが、式に使うお椀やお膳が借りられず困っていた。
若者が厳島山の弁天様にお願いしていると「ほら穴」から「望みをかなえよう」との声がした。若者はその前に立ち「お椀とお膳を貸してください」と柏手を打つと「ほら穴」から「翌朝、取りに来い」との声がした。
声のとおり若者が取りに行くと「ほら穴」の前にお椀とお膳が置いてあった。
若者は結婚式が終わると借りたお椀とお膳を返した。
このことが評判となり、借りる者が増えていったが、ある男が蔵に隠して返さずにいた。ところがいつの間にか、蔵に隠したお椀とお膳は消えてしまったという。
それからというもの、いくらお願いしても品物が出てくることは無く、柏手の音が「カンカン」と「ほら穴」にひびくだけでした。
そののち「ほら穴」は「カンカンムロ」と呼ばれるようになりました。
*酒々井区の新堀には印旛沼に浮んだ島のように見えていた厳島山がある。
江戸時代の絵図には「いつくしま御林」と書かれており、佐倉藩が直接に所有していた土地でした。
厳島山の西側には「カンカンムロ」と呼ばれる「横穴(おうけつ)古墳」があり、酒々井町史によれば、上下二段に分かれて七基あるそうだ。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:酒樽? -
(3)【小僧と天狗(てんぐ)】(文殊寺跡)
ある年の六月七日の朝五つ半(8時)ごろ、文殊寺(もんじゅじ)の和尚さんが、小坊主に徳利 を持たせて元町まで酒を買いにやりました。しかし、いくら待っても帰って来ない ので、不審に思ってあちこち探し回りました。寺の前の松並木のところまで来ます と、小坊主に持たせた徳利が枝にかかっていましたが、小坊主は見当りません。
ま すます不審に思って寺に帰って待っていますと、夕方になってようやく帰ってきま した。和尚さんが叱りつけますと、小坊主は京都の祗園(ぎおん)まつりを 見て、今帰ってきたといいます。京まで行くには十四、五日もか かるのに、日帰りで行ってきたというとはなんとした大馬鹿者だ と叱りつけておきました。
さて十日ほどたって、西国(関西)に行ってきた人が寺に来ま した。よもやま話をするうちに、さる七日の京都の祗園まつりで、 この寺の小坊主が桟敷にいるのを見かけたが、ずいぶん早く帰っ てきたものだといいます。
和尚は小坊主を呼び、祇園まつりの様 子を詳しく尋ねたところ、その言うことが少しも間違っていませ ん。どのようにして行ったのかと聞きますと、その日、徳利を持 って松並木の中ほどまで行ったところ、向うから背の高い山伏が やってきて、今日は祗園まつりだが見物したくないかというので ついて行き、まつりを見てきたといいます。
それを聞いた和尚さんは手を打ち、世の中には不思議なことがあるものだ。これこそ 天狗の仕業にちがいないと、だれかれとなく話しましたので世間 に知れ渡ったということです。 (『古今佐倉真佐子』より)
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:酒樽? -
(4)【文殊寺の桜】(鎌倉権五郎伝承の五色の花の咲く桜・・・文殊寺跡)
この文殊寺には珍しいものがたくさんありました。
大きな椎の木が十本ばかりありましたが、これには椎茸が沢山できました。この椎茸は非常に香りが強く、笠の上 は真っ黒で、裏は軸まで真っ白なのです。
また、橘(たちばな)の木がありました。生椎茸が採 れるのも、橘の木があるのも佐倉ではここだけでした。
さて、この寺の客殿の前に丸い塚があり、その上には三抱えもある桜の樹があり ました。この桜は鎌倉権五郎(平安時代後期の武将である鎌倉 景正(かまくら かげまさ)のこと。16歳の頃、後三年の役(1083年~1087年)に従軍した景正が、右目を射られながらも奮闘した逸話が「奥州後三年記」に残されている)の挿した鞭(むち)から生えた桜のひこばえと伝えられてい ましたが、地面から最初の枝まで二間(3.6m)ばかりもあって、八方へ枝が伸び 下って、その姿は半円形をしていました。高さは、十間(18m)ばかりもありました。
花弁は八重、一重、三重の大輪で、花の色は濃淡を交えて大層美しいものでし た。世間の桜が終った頃、ようやく咲くのですが、遠目には、そばの松林よりもはるかに高く、山のように白く見えました。花の盛りには、虻がすさまじいほど来て、花の蜜を吸って辺りを飛び回り、その音はまるで千部のお経を読むようです。
佐倉はもとより上総や銚子などからも花見に来るのですが、江戸か京か大阪にあるなら ば日本中に聞こえるほどの名木なのに、このような田舎にあって毎年咲き散ってし まうのは、大変に惜しいことだと書かれています。
尚、本佐倉五良にあった名刹・文殊寺は天保4年(1833年)に廃寺となり、佐倉五ヶ寺のひとつであった吉祥寺(きちじょうじ)に引き継がれている。
(『古今佐倉真佐子』、『佐倉風土記』より:酒々井町郷土研究会 共催 酒々井町教育委員会 酒々井町文化協会 後援)
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:直売所の様子。 -
<大試飲会>
春・秋の年2回開催される。流通しているお酒の他にサンプルで試作したものや、特定先にだけ出荷しているものなど、普段は店頭には出ないお酒もたくさん出品されるとのことだ。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:酒瓶や徳利(とっくり)、お猪口(おちょこ)といった小物も。 -
イチオシ
思っていた以上だったのは、<かすていら>や、チョコレート(トリュフ)でした。
試食が無かったので、日本酒味と、梅酒味の2本の<かすていら>其々半分のものと、チョコレート(トリュフ)は4個入りの箱を選んだ。
純米吟醸1800ml 1本を加えた合計5,847円。
値段はそこそこのものだが、帰宅して食べて見て納得した。
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:<かすていら>や、チョコレート(トリュフ)、日本酒などの土産の展示。 -
<かすていら>について、飯沼本家HPによると、
飯沼本家の代表銘柄「甲子正宗」の清酒を使用した日本酒味と、梅酒を使用した梅酒味の2本の<かすていら>がある。
日本酒味は男性に人気があり、梅酒味は梅の実の果肉入りで女性に人気のある商品だと云う。
口の中でお酒がフワーッと香る、しっとりとした<かすていら>ケーキは上品な大人のお菓子だと云う。
(帰宅して早速賞味したが、なかなかの味で、又再訪したら是非購入したい)
写真は飯沼本家・きのえねまがり家:飯沼本家HP・お土産に<かすていら>を購入した。 -
飯沼本家・石炭小屋をのぞいてみた。こちらには歴史パネルの展示などがあった。
<飯沼本家の酒造りのはじまり>
飯沼本家も、元々は農業と林業を営んでいましたが、元禄年間に江戸幕府より神社仏閣に奉納するための酒を造る許可を得たことから、日本酒造りをはじめた。
その後、商売用に日本酒造りを行い正式な酒屋になったのは、江戸末期である。
江戸から明治への移行期に、政府が財政確保のため、地方の有力者に対して酒税納付を義務とした酒造免許を与えたところから商いとしての酒造りが始まった。
写真は飯沼本家・石炭小屋:歴史パネルの展示 -
<酒蔵見学とグローバル化>
日本の玄関口である成田空港からほど近い飯沼本家。
南酒々井の地からグローバルに日本文化を発信したいという思いから、2005年頃からは国内外問わず、あらゆる国のお客様に酒蔵見学を提供する事にした。
これぞ日本と言える、日本らしい自然に囲まれた酒蔵のCAFEで日本酒を飲み、料理を食べることで、飯沼本家の商品や日本文化の魅力を発信する。
写真は飯沼本家・石炭小屋:敷地マップのパネルの展示 -
<飯沼家と酒々井町のつながり>
飯沼本家がある酒々井町馬橋は古くは馬橋村と呼ばれ、明治22年4月1日に施行された千葉県町村制により酒々井町馬橋としてスタートした。
飯沼家12代の飯沼喜一郎は酒々井町10代目の町長を務めた。
また、酒々井小学校の旧校舎は飯沼喜一郎の寄付で建設したものだ。
現在は地域の酒蔵として、秋には地元住民と共に「新酒祭」を開催したり、さまざまな活動を行っている。
写真は飯沼本家・石炭小屋:酒樽に説明パネルが展示されていた。 -
写真は飯沼本家・石炭小屋:酒蔵見学の説明パネル
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写真は飯沼本家・石炭小屋:日本酒が出来るまでの説明パネル
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石炭小屋の説明パネルの展示を見て、正門から飯沼本家の敷地に入る。
ここから入ると、工場、応接室、酒蔵(明治蔵、昭和蔵、甲子蔵)、かつての母屋を改装したレストランの「きのえねOMOYA」などの建物がある。
<飯沼本家の正門>
歌舞伎門といわれ、瓦屋根をつけた伝統的な門である。
飯沼本家には門が二つあり、元来ビン詰工場の後ろ側に位置している門が正門として使用されていた。JR南酒々井駅が開業し、トロッコが引かれたことで門は現在の門が正門として使用されるようになった。
写真は飯沼本家・屋敷門(歌舞伎門と呼ばれた正門) -
写真は飯沼本家HP・歴史画:江戸時代の酒造りの様子を描いた。
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写真は飯沼本家HP・歴史画・・・左に石炭小屋、中央に母屋、右手に工場、蔵が建っている。
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以下は次回にトライしたいと思った飯沼本家の母屋を改装した「レストラン きのえねomoya」の写真と説明である。
<レストラン きのえねomoya>
酒と二十四節気料理の提供をモットーにしたレストランである。
代々飯沼家当主家族が住み継いてきた築約300年の「母屋(おもや)」を、日本酒と二十四節気料理が味わえる「きのえねomoya」へと改修したものである。
古い梁や建具と現代作家によるインテリアの融合が見られ、季節の移ろいを感じる庭園を備えている。
名店「よし邑(よしむら)」の料理長を監修にむかえた旬の料理に、蔵元でしか味わえない特別な日本酒を提供する。ゆったりと配置された客席と、古民家の落ち着いた空間で、上質な時間をお楽しみ頂けることでしょう。
写真は飯沼本家・レストランの「きのえねOMOYA」酒と二十四節気料理 きのえね omoya グルメ・レストラン
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写真は飯沼本家・レストランの「きのえねOMOYA」:右手に噴水?
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写真は飯沼本家・レストランの「きのえねOMOYA」:母屋の入口前に飯沼本家の建物が国の有形文化財になっているとの説明版があった。
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写真は飯沼本家母屋(OMOYA)の玄関に五月人形が飾られていた。
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イチオシ
写真は飯沼本家・レストランの「きのえねOMOYA」:母屋の庭には大きな石灯籠などが。
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母屋の前に商品の仕分け、遠方におくり出す箱詰め作業をしている建物があり、左手にこの応接室がガラス戸越しに見られた。
<飯沼本家の応接室>
応接室は蔵の移築のときにあわせて造られたもので昭和14年の建築物である。
天井は「蛇目天井」といい、蛇の目傘を開いたようなつくりになっている。
床は総大理石で出来ていて、窓ガラスは建設当時のもの、今では珍しいレトロなガラスである。当時は1枚1枚手作業で作っていましたので、気泡が入っていたり、ゆがんでいたりと、とても趣きのあるガラスである。
写真は飯沼本家・応接室・・・珍しいのは右の暖房器(蒸気式温水器か?) -
写真は飯沼本家・応接室の天井:「蛇目天井」・・・蛇の目傘を開いたようなつくり
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写真は飯沼本家・レストランの「きのえねOMOYA」の外観
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写真は飯沼本家・酒造工場・・・見学といっても外構えをぐるっと見ただけだが。こちらの裏手に週末のキャンプガーデンがあるようだが、見ていない。
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写真は小さな神社(祠)傍に飯沼本家の歴史を刻んでいるようだが、よく読めない石碑。
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写真は飯沼本家・石碑前に白バラが咲いていた。
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写真は飯沼本家・白バラ(拡大)
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さて、長らく忘れていた、酒々井(しすい)町の「甲子(きのえね)酒蔵・飯沼本家」の訪問は、酒蔵カフェのお茶が中心になった。
飯沼本家の母屋を改装した「レストラン きのえねomoya」については、先に経緯の説明をしたが、酒蔵カフェでもらったレストラン「きのえねOMOYA」の冊子をスキャンしたので、次回を期待して紹介しよう。
写真は飯沼本家の冊子:レストラン「きのえねOMOYA」の説明 -
写真は飯沼本家の冊子:レストラン「きのえねOMOYA」の説明
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写真は飯沼本家の冊子:レストラン「きのえねOMOYA」の説明
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2023年5月8日Wiki・HP参考、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
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- Rolleiguyさん 2023/05/08 17:28:10
- 甲子
- jijidarumaさん、こんにちは。
ここだったのですね。先月、長女がjijidarumaさんが訪問した川村美術館に行った帰りにこのお酒を土産に買って来てくれました。千葉県の住民ですが知らない銘柄でしたので期待半分で飲んだところ香りが豊かで驚きました。しかも400年の伝統ある酒蔵とのことで二度驚き、地元の銘酒を知らなかったことを恥じました。川村美術館もまだ行ったことがないので、その折にでもこの酒蔵に是非立ち寄りたいと思います。酒蔵の説明と写真を楽しく拝見しました。
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2023/05/09 00:59:19
- Re: 甲子
- Rolleiguyさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
5月になっても、能登の地震、全国的な強風と大雨、自然は落ち着かないですね。御元気な様子、何よりです。
ドイツの旅はウクライナ戦争がまだまだ続き、とても行く気にならないので、
北総の春の小旅行を続けていますが、川村美術館、甲子酒蔵・飯沼本家の編がお目にとまり、お嬢様とのお土産談議につながったようで、嬉しく思います。
千葉は水に恵まれ酒造りが盛んで、各地に銘酒があるようです。
私も地元の銘酒を知らずに過ごしてきたのは同じで、近所のスーパーの店主が勧めてくれたことがきっかけで、晩酌に甲子酒蔵の吟醸辛口を飲むようになりました。
体質に合うのか、気分良く、飲んでおります。
川村美術館、甲子酒蔵・飯沼本家も日帰りの旅で、十分にお楽しみ頂けることでしょう。
それではまた。
jijidaruma
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