2023/03/03 - 2023/03/03
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jijidarumaさん
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【かつうらビッグひな祭り:遠見岬(とみさき)神社、覚翁寺(かくおうじ)、墨名(とな)交差点の会場を巡った】
3月3日は「桃の節句のひな祭り」である。
ひな祭りという、春めいてきた日々の最初を飾る祭りは各地でお雛様を飾っている。
近年、千葉でも香取市佐原地区で地元の「佐原おかみさんの会」の努力で、「さわら雛めぐり」という展示が2月5日から3月26日まで開催されている。
本題の【かつうらビッグひな祭り】は近頃、TVでよく見られ、SNSでもその美しい写真が投稿されるから、よく目にする。
先日、4Traの「てくてくさん」が、2月23日にお出かけになったが、一日開催日より早かったと嘆かれていた。ところがまた25日「1日早過ぎて空振りした勝浦ビッグひな祭り、リベンジするため再び勝浦の街と遠見岬神社へ」に訪れたと、新たに旅行記を御投稿されていた。
たいへん美しい写真の数々で、眼福であった。
やはり二度行くほど、魅力的なのだと、
訪ねてみて私も得心した次第です。
写真は覚翁寺(かくおうじ)の特設雛段(600体)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
そんな次第で、私も気になる【かつうらビッグひな祭り:遠見岬(とみさき)神社、覚翁寺(かくおうじ)、墨名(とな)交差点の会場を巡った】ということになった。
写真にあるようにひな祭りは「2月24日から3月3日まで」、都合8日間の開催となっている。
私はぐずぐずと、終わりに近い3月2日に予定していた。
が、その日はHPで確認すると天候が雨、強風予想で、「パネルでの展示」になっていた。それで3日、一日ずらしたわけだ。
今日は申し分のない上天気で、気分良い見物が出来たのだ。
写真はかつうらビッグひな祭り実行委員会作成の案内をHPから印刷したもの。 -
勝浦に春を呼ぶイベントのひとつ、「かつうらビッグひな祭り」では、遠見岬神社の石段や覚翁寺(かくおうじ)の特設雛壇などに飾られたひな人形たちが、訪れた皆さんを迎える。
勝浦市の「ビッグひな祭り」は全国勝浦ネットワークの縁により、徳島県勝浦町よりおよそ7,000体のひな人形を里子として譲り受け、2001年から開催している。
その後も全国から寄贈された雛人形が有効に利用されている。
特に観光の目玉ともいえる、遠見岬(とみさき)神社のひな人形では、神社の石段60段を利用し1800体のひな人形を飾っている。これらは朝に飾り付けをし、夜には全てをしまい込むという作業を毎日行っているのだと云うからすごい。
市内商店街の各店舗でも工夫を凝らしたひな人形が飾られ、イベント期間中はひな祭り一色の町となる。
開催 2023年2月24日~2023年3月3日、 時間は会場により異なる。
かつうらビッグひな祭り会場は大きなものが3つある。
第一に遠見岬(とみさき)神社(ここが3つの中で一番多くて、1800体を数える)、
第二に覚翁寺(かくおうじ)で600体だが、寺域ということで纏まりがある景観だった。
もう一つは墨名(とな)交差点の会場で1000体を飾り、勝浦駅から徒歩で来ると最初に目につく場所の為、大いに目立つ。
尚、追記すると、
「かつうらビッグひな祭り」の期間中、【勝浦市芸術文化交流センター Küste(キュステ)】には、高さ120cmの内裏雛「日本最大級の享保雛」15体が展示され、ホールには8000体の雛人形が展示されているとの事だ。
住所:〒299-5231千葉県勝浦市沢倉523-1
時間:9:00~17:00
街中では見られない享保雛があること、雨天でも観光客が困らないように、雨天の際に行く場所として提供されている。
写真はかつうらビッグひな祭り実行委員会作成の案内をHPから印刷したもの。 -
297号線で勝浦市内に入ると、渋滞中でした。
出水市営駐車場(無料)をナビに入れていたので、ともあれ11時頃、渋滞を抜けて駐車場前に着いた。だが、ここはもう満車で、警備の方に「二つ先の信号機近くを回ってください。そこにも無料駐車場がある」と言われてしまう。
信号を右に行き、ちょうど空いている場所を見つけて入ると、「こちらは塩田病院の駐車場ですので、この先の丘にある武道館の研修センターに行ってください」とそこの警備員に言われる。
更に坂を上がり、直ぐに見えてきた武道館の研修センターの駐車場に車を停める事が出来た。ヒナ祭りも最終日なので、人出と渋滞は覚悟していたが、少し遠くなるものまずまずの場所でした。
あたりは岩場の小高い丘の様で、目の前に市役所や警察がある。
セブンイレブンで購入したおにぎりを食べてから、急坂(帰途、登るのは大変だ!)を街中に降りていく。
写真は日本武道館研修センターの駐車場:こちらが市と提携して無料駐車場になっていた広い場所で、まだまだ駐車場は空いていた。 -
イチオシ
最初に訪れたのは、人だかりがしていた覚翁寺(かくおうじ)の延命地蔵尊と吊るし雛です。
御賽銭をあげて、家内安全、健康長寿を祈ります。
写真は覚翁寺(かくおうじ):延命地蔵尊と吊るし雛 -
写真は覚翁寺(かくおうじ):延命地蔵尊と吊るし雛を拡大して。
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イチオシ
【覚翁寺(かくおうじ)】
千葉県勝浦市出水1297 、0470-73-3115
千葉県勝浦市にある浄土宗の寺院である覚翁寺(かくおうじ)は慶長年間(1596年~1615年)、植村泰忠の開基である。
本堂には波の伊八(武志伊八郎信由)の欄間彫刻が残されている。
写真は覚翁寺(かくおうじ)の特設雛段:寺の門前に600体が飾られているそうだ。被写体とすれば、形よく纏まったものと言える。かつうらビッグひな祭り会場:最初に訪れた覚翁寺は600体だが、寺域ということで纏まりがある景観だった。 by jijidarumaさん覚翁寺 寺・神社・教会
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歴史:
植村氏は三河・松平時代からの徳川家の旗本である。
初代の植村泰忠は、三方ヶ原の戦いに鳳来寺山の僧兵を率いて徳川家康に加勢して功があった。家康の関東入りに従い、後に出家し還俗後より上総国夷隅郡勝浦3000石を賜り、関ヶ原の戦い後に2000石を加増された。中世の勝浦城を廃城にし、勝浦の町の整備に尽力したと云う。その際に植村家の菩提寺として寺を創建した。
泰忠は勝浦朝市を開いたことでも知られている。
写真は覚翁寺(かくおうじ):山門 -
その子・植村泰勝は、関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城攻略、大坂夏の陣にも従軍している。3代の植村忠朝は、1682年(天和2年)、1万1000石の大名、上総勝浦藩主となった。
写真は覚翁寺(かくおうじ):鐘楼 -
3代泰朝の代に現在地に移転させ、父泰勝の幼名「覚翁丸」にちなみ、「浄林寺」から「覚翁寺」に改称した。
その後も、植村家の大名昇格もあり寺運興隆したが、1751年(寛延4年)、分家の不祥事を隠蔽した罪により改易され、菩提寺だった当寺も次第に衰微していった。
1907年(明治40年)に着任した戒誉大忍によって、少しずつ再興していった。
写真は覚翁寺(かくおうじ):鐘楼の拡大 -
写真は覚翁寺(かくおうじ):シュロの大木が目につく庭、中央に本堂がある。
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写真は覚翁寺(かくおうじ):本堂には波の伊八(武志伊八郎信由)の欄間彫刻が残されていると云うが、本堂内に入らず。
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写真は覚翁寺(かくおうじ):覚翁寺の扁額が掲げられている。
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文化財:
境内には勝浦市指定有形文化財である植村家歴代の宝篋印塔(ほうきょういんとう:宝筐印塔とも書くが、供養塔である)が建立されている。
写真は覚翁寺(かくおうじ):植村家歴代の宝篋印塔の説明版 -
写真は覚翁寺(かくおうじ):植村家歴代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)はあまり見たことがない、立派なものだった。
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写真は覚翁寺(かくおうじ):植村家歴代の宝篋印塔
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創建の時から湧水が多く、寺を「出水山」と号して、一帯の地名の発祥地になったと云う。駐車場の出水市営駐車場の名も此処から来ている。
湧水は400年有余年の現在も絶えることなく飲料水として使われ、茶の湯に最適という水ということもあって、別名「茶水寺」とも呼ばれている。
写真は覚翁寺(かくおうじ):試しにきれいな湧水を飲んでみたが、何の厭味もない、さっぱりした味でした。 -
写真は覚翁寺(かくおうじ):湧水を溜めているバケツが置かれていた。近所の人が利用しているのだろうか?流れっぱなしも勿体無い気もする。
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植村氏の遺徳を偲んで毎年4月6日~3日間植木市が境内で開かれる。
写真は覚翁寺(かくおうじ):こちらも立派な墓がある。代々のご住職の墓だろうか。 -
覚翁寺(かくおうじ)から遠見岬神社に向かう市街地には古めかしい建物も見える。
佇んで写真を撮っていたら、通りすがりの御年輩の小母さんが「右手の家は昔、ガラス屋さんだったんですよ!土蔵の店の裏に新たに二階屋を作り、そちらで生活するようになり、なんだか家業は辞めてしまった」と、教えてくれた。
後で後ろの家も見てみたら、こっちも廃屋になっていた。
折角の中心地だけに何とかできないものか?
写真はかつて立派な土蔵の商家(右手)も今は形だけで、廃屋になっていた。 -
写真は商家の店内に飾っている雛人形(5人囃子かな)の掛け軸。
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写真は店内に飾っている雛人形の掛け軸は新しそうだ。
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写真は店内に飾っている雛人形は其々名札がかかり、左に太田道灌、右に竜宮城。
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写真は小町、仕丁の雛人形。
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写真は桃太郎が題名です。
次は遠見岬(とみさき)神社に。 -
【遠見岬(とみさき)神社】
千葉県勝浦市浜勝浦1 、0470-73-0034
遠見岬神社(とみさきじんじゃ)は、勝浦市浜勝浦(上総国夷隅郡)にある神社。旧社格は郷社。天富命(あめのとみのみこと)を祀っている。
天富命(あめのとみのみこと)は、日本神話に登場する神または人物。神武東征において橿原宮を造営し、阿波国に続いて房総の開拓をした。
期間中は階段から石段の上にある神社に御参りはできない(ようだ)。
大勢の観光客が立ち並んでいた。多くは朱印状目当ての方のようだった。
写真は遠見岬(とみさき)神社:一の鳥居をくぐり、横に並ぶ人たちを気にせず、前進!かつうらビッグひな祭り会場:オッと、声が出るほどの見事な遠見岬神社の雛段1800体の迫力はすごい。 by jijidarumaさん遠見岬神社 寺・神社・教会
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概要:
神武天皇の側近として活躍した天富命(あめのとみのみこと)は、阿波の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波忌部(いんべ)氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸した。そして祖神である天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀る社を建て、安房の開拓を進めたがその後当地で没したという。
天日鷲神(あめのひわしのかみ)の後裔の勝占の忌部須須立命(かつらいんべすすたつのみこと)は、八幡岬突端富貴島の天富命の居跡に社殿を建立、開拓の祖神として祀ったのが当社の起こりとされている。
写真は遠見岬(とみさき)神社:おみくじや絵馬の数が多い事! -
慶長6年(1601年)の大津波で岬突端の富貴島にあった社殿は決壊し社宝の多くが流失した。
このとき決壊した社殿と御神体が高磯の浜に流れ着き、流れ着いた「宮の谷」に社殿を再造営、里見氏・安房正木氏および近郷領主の信仰が篤かったという。
その後、万治2年(1659年)に、領主の植村土佐守が神占によって現在地の「宮山」に遷祀したといわれ、現在の社殿は嘉永2年(1849年)の改築である。
江戸時代までは富大明神と称したが、明治6年(1873年)遠見岬神社と改称し郷社に列した。
元々の社殿のあった富貴島は、津波や元禄16年(1703年)の大地震で海没し、現在は一部が平島として残されているのみである。なお、勝占の忌部が住んだこの地は勝占と呼ばれるようになり、「勝浦」の地名の由来といわれている。(Wiki)
写真は遠見岬(とみさき)神社:石段前で皆さん変わりばんこに、これぞという写真を撮っている。 -
イチオシ
この光景が見たかった。
昨日2日は天候が雨、強風予想で、パネルでの展示になっていた。
それをHPで確認し、一日ずらしたのだ。
今日は申し分のない上天気で、気分良い見物が出来たのだ。
地元の方たちの御尽力で、こうして60段の石段に美しく、見事に飾られた1800体のお雛様の姿になった。
写真は遠見岬(とみさき)神社:60段の石段に美しく、見事に飾られた1800体のお雛様。 -
ひな祭りの際の人出の多さを見てみると、普段はどんなものか気になるところだ。
誰もいない光景の写真を見つけた。
写真は遠見岬(とみさき)神社(HPより):誰もいない光景・一の鳥居 -
遠見岬(とみさき)神社【公式HP】千葉県勝浦市鎮守 (tomisaki.or.jp)
写真は遠見岬(とみさき)神社(HPより):誰もいない光景・石段 -
写真は遠見岬(とみさき)神社(HPより):誰もいない光景・遠見岬神社の拝殿を見る。
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写真は遠見岬(とみさき)神社(HPより):誰もいない光景・社殿も普通である。
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【旅館松の家(りょかんまつのいえ、又はりょかんまつのや)】
千葉県勝浦市勝浦30
勝浦市中心街の旧市役所通りに面して建つ和風旅館である。
木造2階建、桟瓦葺の入母屋造で、桁行は8間。正面中央にある玄関には唐破風が付されている。
創業は江戸時代末期で、明治期の観光案内にも松野屋として言及されている。
現在の建物は昭和初期に建てられたもので、2003年7月1日に国の登録有形文化財に登録されている。
「かつうらビッグひな祭り」の期間中、「松の家」玄関は開放され、江戸時代からの雛人形などが、展示されている。
写真は旅館「松の家」の正面創業は江戸時代末期と云う「旅館 松の家」も【かつうらビッグひな祭り】に賛助出演していた。 by jijidarumaさん旅館 松の家 宿・ホテル
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写真は旅館「松の家」:吊るし雛
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写真は旅館「松の家」:吊るし雛
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写真は旅館「松の家」:江戸後期と云う御内裏様。
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写真は旅館「松の家」:鴻巣(明治)の裃(かみしも)びな三体。
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写真は旅館「松の家」:明治時代の茶道具を中心に様々な人形が並ぶ。
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写真は旅館「松の家」:江戸後期と云う御内裏様。
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写真は旅館「松の家」:明治の御内裏様、時代時代の違いが見える。
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写真は美容室の前にも、お雛様がこのように展示されていた。
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写真は墨名(とな)交差点の会場:ここの特設雛段には1000体。
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イチオシ
写真は墨名(とな)交差点の会場:数の多さに圧倒されて、写真は集団として撮ることになる。
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写真は墨名(とな)交差点の会場:親切な若い男性が私共を撮ってくれた。感謝!!
この町は祭りの期間中、屋台が禁止されているのか、街中を歩いても屋台が並ぶ場所を見なかった。地元のレストラン、食堂に金が落ちるようにしているのか?
この後はまた100kmを自宅に向かって走る。
途中、重要文化財で知られた笠森寺の観音堂に初めて立寄る予定だ。 -
イチオシ
・・・・・・・・・・・・・・
<おまけの写真は我が家の御殿雛(ごてんびな)>
「桃の節句のひな祭り」は女の子の健やかな成長を願う行事です。
お雛様と呼ばれる華やかな和風の人形を飾り、ちらし寿司、甘酒、ひなあられなど供え、そのお下がりと称して、品々を家族で楽しみます。
我が家も毎年、立春を過ぎた大安の日、しかも晴れた日に御殿雛を飾ることにしている。桃の節句のひな祭りの日を祝い、ちらし寿し(酢飯、錦糸卵、ちくわ、こうやどうふ、シイタケ煮、人参、きゅうり甘酢漬けなどの混ぜご飯)、潮(うしお)汁(はまぐりのすまし汁、昆布だしと塩味で)を作って供えます。
写真(おまけ)は我が家の御殿雛・・・男雛と女雛は「親王」さま、三人官女、随身「右大臣」「左大臣」、左右には桜と橘を飾る。雛人形は結婚式を表しているために、お嫁入り道具が左に飾られている。
7段飾りと違って、五人囃子(ごにんばやし)」や仕丁の人形はなく、最小限に纏められている。 -
我が家の御殿雛は関東風の御殿雛ですが、珍しいらしく訪問客も見た事が無いと驚くことが多い。
長女が生まれて、家内の両親が嬉しげに贈ってくれました。
御殿雛を持参した時、義父がさっと組み立てたとか。義父の器用さもあったのでしょうが、慣れていたのでしょう。
当時の家内の家も我が家もそして母方の家もこの御殿雛を飾っていたと聞き及んでいる。
今は長女も53歳ですから、既に御殿雛も同じ年を過ぎました。
まだまだ見た目も衰えはなさそうで、大事にしてきた甲斐があります。
毎年飾るのは家内ですが、飾るのも、そして仕舞うのも順序があって、苦労するとか。この御殿雛を近所の次女一家がもらい受ける気があるようです。
私共も年老いてきたので、2019年の3月、皆で家内の片付け方を見ながら、私が「お雛様を飾り、仕舞う」作業を写真に撮り、記録に残しました。
海を越えて、ドイツと日本を二度往復した御殿雛、同地でも季節になると、しっかり組み立ててご披露しました。上下階のドイツ人家族も珍しげで、初めて見た日本の伝統文化の一品に美しいと感じて、褒めてくれました。
御殿雛は海を渡って戻り、無事に娘たちは嫁に行き、役目を果たしてくれました。
金婚式を迎えた御殿雛、今も思い入れもあり、もったいなくてそのまま我が家に居残りました。
娘家族には孫娘が二人ずついますので、女親の私共が浅草橋まで家族それぞれと行って、7段飾りのお雛様を購入し、贈った。
御殿雛はもう店内にありませんでした。
毎年同じ頃に、我が家に倣って、「お雛様を今日飾ったよ!」と娘達から電話があります。
そうそう、父などに頂いた正月の羽子板2つも持参していましたが、ドイツから帰国する時、お世話になったドイツの友人たちに贈りました。
確か1つの羽子板はオルゴールの曲付きのものでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真(おまけ)は我が家の御殿雛(男雛と女雛は「親王」さま) -
写真(おまけ)は我が家の御殿雛・三人官女
左端:「提子(ひさげ / 注ぎ口が付いた小鍋のような形をした金属製の容器)」を持っている官女、
中央:「三方(さんぽう / 盃を乗せる台)」を持っている官女、
向かって右端:「長柄銚子(提子によって移されたお酒を盃に注ぐための道具)」を持っている官女。 -
写真(おまけ)は我が家の御殿雛・随身、向かって右側に黒い衣装を着た年配者の「左大臣」。
-
写真(おまけ)は我が家の御殿雛・随身、向かって左側に赤い衣装を着た若者の「右大臣」を配する。
-
その昔、実家で古い土蔵を整理した際に、大きな御内裏様、「享保雛(きょうほびな)の一対」が出てきてビックリしました。
そこかしこ修理が必要な雛で、完全な形でなかったのは残念でした。一畳の畳に床畳付きの一対を並べると、襖の半分を超える高さがあるので、驚いたものでした。
いずれ修理して郷土館にでも寄付しようかと考え、「享保雛の一対」の写真だけは撮って記録に残しました。
父母が亡くなり、弟が実家を相続した際に「享保雛」を処分してしまった。誠に残念!と思ったものでした。
母自身も「享保雛の一対」に驚いていましたから、多分土蔵に保管されたまま、長い時が経ち、母でさえ謂れを知らなかったのでしょう。
写真(おまけ)は我が家の土蔵の中から出て来た、大きな御内裏様(男雛と女雛は「親王」)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
勝浦のひな祭りに因んで、我が家の御殿雛や享保雛の事も思い出した。
(2023年3月4日Wiki・HP参考、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (3)
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- てくてくさん 2023/03/05 09:56:46
- 参考にしていただいたとはありがたいです。
- jijidarumaさま
おはようございます。
拙い旅行記を参考にしていただき誠にありがとうございます。
正直にいうと自分のそれが恥ずかしくなった次第で。もうちょっと丁寧に作るように心がけます。笑
それにしても天候に恵まれて美しい様子が見られてよかったですね。
てくてく
- jijidarumaさん からの返信 2023/03/05 14:52:22
- Re: 参考にしていただいたとはありがたいです。
- てくてくさん、
今日は。コメントといいねをありがとうございました。
勝手に旅行記にお名前を出させて頂き、すみません。
何時も拝見しながら、此処も良いなと、いろいろと刺激されているのですよ。
私はグズで、もう行動力が無くなっていますが、てくてくさんの行動力にはいつも感心しています。23日も勝浦のひな祭りが駄目なら、千枚田でしたっけ、次の見所をすっと訪ねて行くなど、私にはできないものです。
ほんと、天候が良くて、ひな人形の色合いが素晴らしいと思いました。
眼福でしたね。
それではまた。
jijidaruma
-
- てくてくさん 2023/03/05 09:51:17
- 参考にしていただいたとはありがたいです。
- jijidarumaさま
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