2023/04/29 - 2023/04/29
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jijidarumaさん
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七十二候・霜止出苗(しもやんで なえいずる):富里市にはかつてこの地に存在した「末廣(すえひろ)農場(旧岩崎久彌(ひさや):三菱財閥3代目総帥の末廣農場別邸)」がある。
産経新聞に今週は【七十二候・霜止出苗(しもやんで なえいずる):暖かさとともに霜が降りなくなり、苗代で稲の苗が育つ)、4月25日~4月29日)】であると小さく載っていた。
3月下旬以来、千葉の北総(ほくそう:主に千葉県北部地域)を走り、各地の春の花を見物している。
写真は岩崎久彌氏・三菱財閥3代目総帥。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「Stadすたっと」という北総エリアのタウン誌に「旧岩崎久彌末廣農場別邸公園」の「百年ツツジ」の事が掲載されていた。
「百年ツツジ」はともかくも、三菱財閥3代目総帥であった岩崎久彌氏の旧別邸とか農場に興味を感じた。
早速、検索してみると、末廣農場別邸公園とか、そこに併設された富里市ではじめてつくられたと云う観光・交流拠点施設もあるそうで、それならお茶を飲みにでも行ってみるかと車で出かけた。
別邸にも公園駐車場が道路の向こう側にあったが、気付かずに末廣農場駐車場を利用した。
写真は末廣農場別邸公園:末廣農場駐車場から旧部邸方向を見る。こんもりとした一角となっているが、本来あった農場範囲は大変な広さだった。 -
かつての末廣農場があった範囲(緑色)と、現在の別邸敷地範囲(赤色)が比較できるように、この図が示している。
現在の富里市役所、富里小学校、そして大きなホテルまで入っているから、如何にかつての農場が広大なものだったか分かる。
その広大な敷地の歴史的経緯は一部抜粋し、以下に纏めた。
<末廣農場の誕生:牧から森、そして農場へ>
明治3年(1870年)、かつて徳川幕府の直轄牧(まき:飼育や繁殖のため牛や馬を放牧しておくための区域)であった富里の地は、明治政府によって開墾地として利用されることとなる。
明治8年(1875年)、時の内務卿大久保利通の主導の下、「下総牧羊場(のちの下総御料牧場)」が開設されたことから、開墾地は政府に買い戻され、「獅子穴区(ししあなく)」と称されるようになり、経営の合理化から再び払下げの対象地となった。
様々な経緯の後、三菱の岩崎彌之助氏に依頼して、購入してもらった。
これによって343町歩(およそ340ヘクタール)という広大な土地が、牧畜を目的として岩崎家の所有となった。
写真はかつての末廣農場があった範囲(緑色)と、現在の別邸敷地範囲(赤色)の比較図。 -
末廣農場駐車場から少し歩いて、道路を横切ると、目の前にこの看板がある。
写真は末廣農場別邸公園:写真入りの看板。 -
門内に入ると、こんな景観が見えた。あの右手にあるのが満開の「百年ツツジ」で、奥に見えているのが東屋だろう。
樹木も結構伐採して切り株も多い、暗かった森も明るくしたようだ。
写真は末廣農場別邸公園:数寄屋造りの東屋と「百年ツツジ」 -
イチオシ
数寄屋造りの東屋は建坪が約15坪だそうだ。近くで作業中の方もいて、遠慮して東屋の中は拝見していない。
写真は末廣農場別邸公園:数寄屋造りの東屋と、こんもりとした「百年ツツジ」 -
【富里市:末廣農場と旧岩崎家末廣別邸】
末廣農場 | 富里市観光・交流拠点施設 (suehiro-gs.com)
住所:千葉県富里市七栄650番地206
Tel:0476-93-1200
休館日:毎週月曜日(ただし、祝祭日は開館)・5月22日~6月26日までの月曜日は臨時営業いたします。年末年始(12月30日~1月2日)
営業時間:午前9時~午後6時 カフェレストラン営業時間 午前9時~午後5時30分 (お食事時間 午前11時~午後3時)
<旧岩崎久彌末廣農場別邸公園>
10時00分から16時00分[最終入園15時30分]
写真は末廣農場別邸公園:「百年ツツジ」もそう多くはない。 -
末廣(すえひろ)別邸は岩崎久彌(ひさや)氏が末廣農場の経営のため滞在用に建てた、主屋・東屋・石蔵、その他の付属屋からなる近代和風の「農場別荘」であり、昭和初期における上流階級の別邸としての貴重な遺構として高い歴史的価値を持っている。
「末廣農場」は、三菱の3代目の社長であった「岩崎久彌」氏が自ら経営を行った牧場でしたが、第二次世界大戦後にGHQによる財閥解体、農地改革もあってか、末廣牧場はなくなっていく結果となった。
広大な農場の敷地のうち119ヘクタールを、当時の富里村に譲渡(現富里市役所、富里中学校敷地など)し、198ヘクタールについては農場従業員の帰農者に払下げが行われた。養鶏と養豚の施設部分約40ヘクタールについては千葉県に譲渡され、千葉県畜産試験場となった。
写真は末廣農場別邸公園:「百年ツツジ」 -
イチオシ
ところが、昭和30年代後半に至って計画された成田空港建設のためとして、千葉県は空港用地買い上げ農家の代替地として千葉県畜産試験場の土地を提供することとなった。この為、末廣農場関係の施設は別邸とその周辺の土地だけになった。
こうして岩崎久彌氏が愛情を注いだ末廣農場は歴史の表舞台から姿を消し、その業績は跡形もなく消え去った。
久彌氏は東京の本邸を物納し、昭和24年(1949年)6月21日に末廣農場別邸に移り住んだ。
当時を偲ばせる岩崎家末廣別邸は幸いにも、壊されることなく現在まで大切に保全されてきた。
写真は末廣農場別邸公園:数寄屋造りの東屋と、こんもりとした「百年ツツジ」 -
公園入口から散策路が出来ていた。公園南側、奥の方には農場が広がり、数人の男女が農作業中である。
<久彌氏による農場経営>
かねてから農牧事業を手掛けたいと夢見ていた久彌氏が農場を検分し、大正8年(1919年)から久彌氏自身が農場経営に携わって行くことになった。
久彌氏の農場経営スタイルは、彼個人が出資して興した東山(とうざん)農事株式会社に事業を委託し、自らは経営と技術面について月に2、3度東京の本邸から通い、指導を行うというものでした。
自己利益的な事業を実施するのではなく、農牧事業の改良に関する多くの研究を行い、その成果を逐次各方面の研究会などで発表し、提供していた。
彼は「採算を度外視して、わが国畜産界の発展につながるような、模範的な実験農場を作りなさい」と農場長に常々語っていたと伝わっている。
そのような経営方針から、大型のトラクターなど当時としては最新の技術と設備による先進的な農法によって、日本の農牧事業を先導していた。
末廣農場では養鶏・養豚は言うに及ばず、最新の設備と機械を導入した先進的農法が実践され、日本の農牧研究に多くの功績を遺したと伝えられている。
また、ハム、ソーセージ、ベーコンなど、加工食品の自家生産も行われたことから、ここに農場経営の一つの理想形が完成していたと云われている。
これらの実績を認めた千葉県農業試験場では、末廣農場に対して白菜や西瓜(スイカ)の原々種栽培を委託した。それが今日の「富里のスイカ」に繋がっていると云えよう。
写真は末廣農場別邸公園:奥の方に農場が見える。 -
散策路を左に行くと、木々の向こうに旧別邸が見えてきた。
写真は末廣農場別邸公園:木々に囲まれた旧別邸。 -
来た道の散策路を振りかえると、数寄屋造りの東屋とツツジが見える。
写真は末廣農場別邸公園:数寄屋造りの東屋とツツジ -
岩崎家別邸の母屋前に来ると、旧別邸の看板が立っていて、そこに平面図があり、見てみると、中庭をもつ広大な規模の木造平屋の建物である。
岩崎別邸は大正時代末から昭和初期にかけて「末廣(すえひろ)農場」の中に建てられた。
別邸と呼んでいるのは、富里市で初の国登録有形文化財になった「旧岩崎家末廣(すえひろ)別邸」の母屋(おもや)=主屋(しゅおく)・東屋(あずまや)・石蔵(いしぐら)などを指している。
写真は末廣農場別邸公園:旧別邸の看板には平面図もある。 -
岩崎別邸は平成24年(2012年)、これまで維持管理をしてきた三菱地所株式会社より、末永く大切にして欲しいとの申し出があり、富里市に寄附された。
富里市は寄附後直ちに、歴史的価値が非常に高いことから、国登録文化財への申請を行い、平成25年(2013年)12月24日に正式に国登録有形文化財となった。
写真は末廣農場別邸公園:旧別邸の平面図・・・左手に主玄関がある。中央には中庭、最新設備を整えた母屋の大きな台所、右奥に浴室があり、手前の左右に客間や家族の居住部分が配されていると思われる。 -
この日は、別邸内の改装が行われているとの事で、邸内には入れなかった。
大正15年(1926年)、久彌氏は農場内の別邸として「末廣別邸」を建築を開始した。岩崎家別邸の母屋は建坪約150坪で、昭和初期に完工した。
写真は末廣農場別邸公園:旧別邸・玄関前で -
近寄ってみたが、石碑はいつもながら、なかなか分からない。
資料によれば、末廣農場の開墾、植林事業を記した石碑(下総牧羊場あるいは獅子穴区(ししあなく)(1889年・明治22年)のようだ。
写真は末廣農場別邸公園:旧別邸前の石碑。 -
写真は末廣農場別邸公園:旧別邸の母屋の南側。
-
写真は末廣農場別邸公園:旧別邸の玄関前で・・・かつての実家(勿論規模は全く違うが)のような建物は母屋である。
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先に書いたように、久彌氏は東京の本邸を離れて末廣別邸に移り住み、昭和30年(1955年)12月2日に、ここで亡くなった。末廣別邸には彼の臨終の間が残されている。
岩崎久彌傳によれば、その死は「苦痛はなく、眠るような大往生であった」と伝えている。享年90歳でした。
末廣別邸は久彌氏の長い人生の「終焉の地」となったわけだ。
写真は末廣農場別邸公園:晩年の頃の写真のようだ。別邸の庭に佇む久彌氏と寧子(しずこ)夫人。 -
写真は末廣農場別邸公園:旧別邸前に咲いていた西洋オダマキ。
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旧別邸から公園駐車場に出る。
写真は末廣農場別邸公園:公園駐車場から旧別邸方向を見る。 -
公園駐車場の出入り口から、道路を渡り、向かいの末廣農場の観光・交流拠点施設に行く。さてどんな施設なのかと見て回った。
写真は末廣農場:旧別邸公園の出口から望む末廣農場の観光・交流拠点施設。 -
各地の「道の駅」の様な形式の末廣農場は、観光・交流拠点施設になっているので、観光情報コーナー、軽食レストランや岩崎家ゆかり(小岩井農場)お土産、地元農産物の直売所があり、当然のように末廣農場のオーナーだった岩崎久彌氏の看板もある。
写真は末廣農場:観光・交流拠点施設の冊子。 -
写真は末廣農場:観光・交流拠点施設の冊子・・・かつて末廣農場で試作された冨里のスイカは、今は全国的に有名になっている。
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イチオシ
岩崎久彌氏(旧三菱財閥第3代総帥、1865~1955年、享年90歳と長寿だった)は三菱の社長引退後、本格的に農牧事業に携わる。若かりし頃から蓄えた農牧などに関する豊富な知識は末廣・小岩井農場の経営にいかんなく発揮された。
写真は末廣農場:岩崎家三代の家系図では岩崎久彌氏は3代目になる。中でも一番上品な顔をしている。 -
<岩崎久彌と三菱社の歴史>
岩崎久彌(ひさや)は、慶応元年(1865年)8月25日、土佐国安芸郡井ノ口村(現高知県安芸市井ノ口)で、三菱の創設者である岩崎彌太郎(やたろう)とその妻、喜勢(きせ)の長男として誕生した。
久彌は慶応義塾、三菱商業学校に学んだ後、父、彌太郎が病没した翌明治19年(1886年)に米国ペンシルベニア大学に留学、財政学などを学びます。
同年、彌太郎の志を継いだ実弟の彌之助(やのすけ)は海運業から撤退という英断を下し、新たに「三菱社」を創設。鉱業や造船など、海上から陸上への事業に転身を果たした。
また、明治26年(1893年)には、商法の施行に際して製糸会社を設立するなど社業を拡充し、鉱業、銀行、造船、商事、地所などの諸事業でも大躍進を果たしました。久彌が社長を務めた期間は、国内で殖産興業、産業革命、重工業形成が重なった時期でもあり、時代の追い風に乗って叔父彌之助によって築かれた事業の近代化と新たな事業を興して三菱の多角経営化に努めました。
三菱をより強い会社とした後の大正5年(1916年)、久彌は従兄弟である岩崎小彌太(こやた)に社長の座を譲り、農牧事業へと邁進して行くことになった。
写真は末廣農場の軽食レストラン:岩崎久彌氏3代目の経歴。 -
岩崎彌太郎氏 (旧三菱財閥初代総帥、1835~1885年)は久彌氏の父であり、旧三菱財閥創業者にして初代総帥である。幕末、土佐藩家老吉田東洋に仕え、才覚を表す。
坂本竜馬の海援隊を財政的に支援していたことでも知られている。
岩崎彌之助氏(旧三菱財閥第2代総帥、1851~1908年)は彌太郎氏の弟であり、旧三菱財閥の総帥を久彌に譲った後、第4代日本銀行総裁となる。
小野義真・井上勝とともに小岩井農場を興したことでも知られ、美術収集家としての顔も持つ。
写真は末廣農場:軽食レストランにあった岩崎家三代の家系図。 -
写真は末廣農場の冊子と千葉県の県民だよりの記事
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写真は末廣農場は一押しスポット
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写真は末廣農場の軽食レストラン:店内の案内。
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イチオシ
本日のお茶はココアにドーナツ、二人分で1,000円だった。
写真は末廣農場の軽食レストラン:ココアにドーナツでお茶をした。 -
久彌氏は農場内で2500羽の鶏を飼っていたそうで、籠いっぱいの卵は農場生活に欠かせない一品だったとか。その卵も皆で平等に分けたと云う。
こちらは「卵かけ御飯」のメニューで、このレストランで注文できる品となっている。ここではメニューの由縁を紹介している。
写真は末廣農場の軽食レストラン:店内の案内・・・「卵かけ御飯」のメニュー -
末廣農場では20種類以上の野菜の試験栽培がおこなわれたそうだ。
それらの野菜を使った料理で、農場の人気は記念日に食べた「芋煮(いもに)」と、「野菜と豚肉の入った特製カレー」だった。
写真は末廣農場の軽食レストラン:店内の案内・・・ここのメニュー紹介は「野菜と豚肉の入った特製カレー」。 -
岩崎男爵様の食事は洋食がメインだった。西洋風で、和食ではない。
この辺りは西洋風を「末廣風」と呼んだそうだ。
男爵お気に入りのランチは末廣農場自家製ばかりのハム、ウインナー、野菜の煮込み、卵、パン、サラダ、スープだった!!!
写真は末廣農場の軽食レストラン:店内の案内。 -
末廣農場には岩崎家所縁(ゆかり)の岩手県にある「小岩井農場」のお土産が販売されていた。
従い、おまけでその所縁先について下記した。
<小岩井農場(こいわいのうじょう)>
〒020-0507 岩手県岩手郡雫石町丸谷地36-1
小岩井農場は岩手県盛岡市から北西約12kmに位置し、岩手山南麓に約3,000ヘクタールの敷地面積を有する、日本最大の民間総合農場である。
その内の約40ヘクタールが観光エリア“まきば園”として現在開放されている。 羊は約300頭が放牧されている。
東京都に本社を置く小岩井農牧株式会社(こいわいのうぼく)が経営母体となり、観光業に加え、酪農・種鶏・たまご・山林・環境緑化・技術研究・農場商品販売等の事業を行っている。特にたまごは乳製品と絡めた製品開発、“小岩井農場産たまご”は首都圏や主要契約のあるデパートで購入することができる。
尚、乳業事業を行っている「小岩井乳業株式会社」は1976年(昭和51年)に分離・独立しキリングループの一員となっている。
写真は小岩井農場:農場の広場と岩手山 -
(歴史)
1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助(岩崎家2代目)、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた。
当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した。
1899年(明治32年)に三菱のオーナー一族・岩崎家の所有(岩崎久彌3代目)となる。戦前は育馬事業も行われており三冠馬・セントライトなど数々の名競走馬を輩出したが、GHQの勧告により1949年(昭和24年)に競走馬の生産から撤退を余儀なくされた。この後、先述の種鶏事業が1962年(昭和37年)より始められる。
1938年(昭和13年)より小岩井農牧株式会社として事業活動を行っている。
2017年(平成29年)には、小岩井農場施設の建造物21棟(例えば、乗馬厩、倶楽部、第一号~四号牛舎、種牡牛舎、育牛部倉庫、第一号~第二号サイロ、秤量場、冷蔵庫、四階建倉庫、玉蜀黍小屋(4棟)、耕耘部倉庫などが重要文化財に指定されたのである。
写真は小岩井農場:まきば園入口
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本で最も強力だった三菱財閥の3代目が、農業に勤しみ、当時は富里という「辺地」に農場まで持ったと云う事にたいへん驚いたものだ。
それにしても、戦後から現在までの管理者、所有者であった(多分)三菱地所が、長い歴史と経緯のある「旧岩崎家末廣農場別邸」の地を、富里市に寄附された事は、嬉しく、良い話である。
さて、末廣農場で購入したベコニアの苗は大変質が良く、元気に育っている。又買い出しに行きたいと思っている。
(2023年5月20日Wiki・HP参考、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2023/05/21 06:04:35
- 霜止出苗
- jijidarumaさん おはようございます。
「しも なえいずるを とめる」かと思いましたが、「しも やんで なえいずる」でしたか、漢文は難しいです。
>「旧岩崎久彌末廣農場別邸公園」の「百年ツツジ」の事が掲載されていた。
千葉県に住みながら、ほとんど名所は知らないpedaruです、このような立派な農場があったとは初耳です。ドイツに詳しいjijjdarumaさんですが、千葉県も開発中(笑)で、いろんなところを訪問されて教えてくださいます。これも匈奴愛、いえ郷土愛でしょうか?完璧主義を貫いて、詳しい解説に目から鱗も度々です。
今後も目が離せません。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2023/05/21 18:48:52
- Re: 霜止出苗
- pedaruさん、
今日は。いつもありがとうございます。
産経新聞は毎週、七十二候を教えてくれます。何となく気に入って、小旅行の巻頭言として使わせて頂いています。私のような年配者になると、漢文口調もしっくりくるのですよ。高校時代は漢文と体育!が妙に好きでした(笑)。
でも七十二候は難しく、毎週新鮮で、頭の体操をしています^^。
千葉に住んで、もう40数年ですから、ほんとは千葉県も隅から隅まで知ってしまうのでしょうが、このように狭い北総を主に定点観測をするのは、コロナ禍のお蔭です(苦笑)。
小旅行のレポートですけど、どうも起承転結に拘り、自らの頭の体操と自分自身だけの充足感を求め、細かなことに目に行ってしまうのです。
読みにくいことでしょう。ご容赦ください。
pedaruさんのように、東京に近いと、限りなく楽しめますね。羨ましい!
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
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