2023/05/30 - 2023/06/01
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jijidarumaさん
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【村の鎮守の駒木野神社(青梅市駒木町)が改装されたと聞き、数十年ぶりに参詣した。】
産経新聞に、今週は【七十二候・麦秋至(むぎのとき いたる)・・・麦が熟し、農家が刈り入れの時期を迎える、6月1日~5日)】と小さく載っていた。
3月下旬以来、千葉の北総(ほくそう:主に千葉県北部地域)を走り、各地の春の花を見物している。
2023年5月30日~6月1日、亀の井ホテル青梅(旧かんぽの宿)に2泊して、故郷の青梅に墓参りをしようと、行程を考えた。
5月30日、千葉最北端にある関宿(せきやど)の地を訪れたことが無かったので、ここ経由で青梅に行く事に決め、ほぼ半日、関宿城博物館を見物をした(前編参照)。
この日の気温は26度、快晴である。
写真は青梅市駒木町にある駒木野神社(村の鎮守様)の一の鳥居(神明鳥居)と石段・・・鳥居から長い石段が続く。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
関宿を午後3時過ぎに出て、国道、圏央道を経由して、凡そ1時間後の16時半に亀の井ホテル青梅にチェックインした。
最近はこのホテルチェーンの食事に飽いてしまい、朝夕の食事なしの宿泊のみにしている。
かんぽの宿の頃から長い間利用してきた。サービスが良いわけでもないのだが、慣れていることもあり、菩提寺も近いから、他のホテルを選択する事は無い。
写真は青梅市駒木町にある亀の井ホテル青梅を家内の家の菩提寺から望む。亀の井ホテル 青梅 宿・ホテル
-
写真は私共両家の母達が世話になった青梅三慶病院が対岸の大柳(おおやな)に見える。場所も良い所にあるが、たいへん面倒見の良い病院である。
-
イチオシ
さて、最近は車の旅も疲れる。
ぐっすり寝た、翌日5月31日の朝は、ゆっくりした起床にした。
持参のドーナツを朝食に食べ、大谷さん!の5試合ぶりの13号のホームランをTV視聴して、気分良く10時半にホテルを出た。
山並みの一角にあるというか、小高い丘の上にある駒木野神社(村の鎮守様)は数十年ぶりの事ゆえ、住宅地に変貌してしまった故郷(家内の)の地に土地勘も狂い、狭い道が続く、一方通行の道もあって、写真の鳥居下にたどり着くのに、2度ほど地元の方に尋ねてしまった。
何しろ、神社脇にもマンションが建っていることに驚いた。
写真は青梅市駒木町にある駒木野神社(村の鎮守様)の一の鳥居と石段・・・鳥居から長い石段が続く。 -
マンションの管理人と思しき方が庭を掃いていた。駐車場の事を聞いてみると、「確か神社の中腹にありますよ」という。
徒歩で上がって見にいくと、道の傾斜がきつく、運転下手の私にはいささか無理そうで自信も無い。
路上駐車も考えたが、故郷を訪ねて駐車違反もしたくない。
それで、マンション近くにあった個人宅を訪れた。個人宅前に空いている駐車場が見えたからだが、出てこられた私共より年輩の奥様(Hさん)に、空いている駐車場の事を尋ねると、「その辺の空いている駐車場は有契約者のためのものだから、駐車は無理ですよ。お困りでしょうから、良かったら、うちの庭先に駐車してください」と、嬉しいお申し出を頂いた。
「私共はこの町の出身で、駒木野神社が改装されたと聞き、数十年ぶりに参詣に訪れた」と、申上げたから、ご親切にしてくれたのでしょう。
大感謝である。
写真は駒木野神社の参道脇に美しく咲く紫陽花。 -
Hさん宅に車を停めさせて頂いてから、駒木野神社に参詣する。
駒木野神社の参詣は、125の石段を登る。
二の鳥居が途中にあり、檜・杉の木立の奥に拝殿が見える。
石段も登りやすい幅になり、中央のポールもきれいに整備、改装されたようだ。
写真は駒木野神社の125の石段をあがる。 -
自動車、作業車用の道も出来ていたが、傾斜がひどい。
神社中腹にある駐車場から、マンション前の道を見た。
高所恐怖症!にはやはり難しそうだった。
神社の階段を歩いて登ったのは正解だった。
写真は自動車、作業車用の道。 -
写真は神社中腹にある駐車場から駒木町一帯の様子を撮った。こんなに住宅が増えていたとは思いもしなかった。
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私は故郷の青梅を「東京は西の果て」といった枕詞で表現をすることが多いが、
神社脇にもこのようなマンションが建っていることに驚いた。
誠に隔世の感がある。
20代の半ばに結婚で故郷を出てから50年余だから無理もない。
勿論、健在だった両親に会いに青梅を訪れても、あるいはその後の墓参りでも限られた場所だけを訪ね、さすがにこの辺までは来たことが無い。
当時、東京まで青梅線・中央線の電車で片道2時間だった。高校時代の通学も1時間ちょっとかかり、大学にはおよそ2時間だった。高校も大学も運動部に所属していたから、いつも帰宅時間が遅くなった覚えがある。
結婚でようやく小金井、横浜、北小金といった所の社宅などに住んだので、大変ありがたく思ったほどだ。
写真は神社脇にもマンションが建っていることに驚いた。 -
石段を登り詰めると、左右の石灯籠と共に、狐の石像が迎えてくれる。
写真は改装なった駒木野神社:石灯籠と狐の石像、右手隅に御神楽殿が見える。 -
【駒木野神社の由緒と現在】
標高225m、青梅市駒木町2丁目452番地に鎮座する駒木野神社は、創建年代は不詳ながら、稲荷熊野社と称していたとの伝えもあり、村社に列格したとのことである。
祭神は日本書紀では「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)(=古事記では宇迦乃御魂命(うかのみたまのみこと)」と称する。
日本神話に登場する女神で、穀物の神だという。
本殿は1687(貞喬4)年11月造営、1889(明治22)年に字仙戸に鎮座されていたが、吉野街道の改修に伴い、現在地に遷し、稲荷神社と改め、後に駒木野神社と改称した。
1916(大正5)年調布村は、山林一町九反六畝十五歩を寄進して崇敬の意を表した。祭礼は4月3日であった。
〔以上は、東京都神社名鑑などを資料とした青梅市史による〕
新編武蔵風土記には、「年貢地、小名中嶋にあり。是も小社にして上屋を立つ、以上の2社は村の鎮守なり、例祭は6月15日、9月19日の両日に行へり、百姓の持なり」とある。
現在の祭礼は9月15日、境内面積は211坪(696㎡)。
写真は改装なった駒木野神社:石灯籠と狐(石)像側から本殿を撮る。 -
イチオシ
<駒木野の由来>
駒木野とは、昔村民が絹をおって、馬をとらえ、鎌倉将軍家へ献上したところ、それが世に聞こえる駿馬であったことから、村名を駒絹とし、のち駒木野としたという。村の近くに馬牽(引)沢の地があることから、馬に基づく地名であることは間違いなかろう。 〔新編武蔵による〕
駒木野は中世戦国期にすでに見える地名である。
1889(明治22)年から1968(昭和43)年までの大字名であり、はじめ調布村、1951(昭和26)年からは青梅市の大字名となる。
1968(昭和43)年、現行の青梅市駒木町1・2・3丁目となった。
〔以上は、「角川日本地名大辞典⑬東京都」による〕
参考資料:
『青梅市史』平成7 (1995)年、 青梅市。
『角川日本地名大辞典13東京都』昭和53(1978)年10月27日、角川書店。
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写真は改装なった駒木野神社:神明造りの拝殿 -
写真は駒木野神社拝殿の扁額・・・かつてのものと同じ扁額が掲げられていたから、此処だけが色違いに見える。
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いつも「二拝二拍手一拝」と頭で念じながら、参拝する。
が、真新しい「となえ言葉=神拝詞」の額を見ると、恥ずかしながら、こうした言葉と共に祈るのも知らなかった。
写真は駒木野神社の「となえ言葉=神拝詞」も真新しい。恥ずかしながら、こうした言葉で祈るのも知らずにいた。 -
写真は改装なった駒木野神社:拝殿横には記念碑が立ち、手前に立っていた。
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記念碑は神社の改修の歴史に関したものだろうが、いかんせん読むことができない。今回、新たに改装したことで駒木野神社からも、その内何か書かれたものが出るだろう。多分、家内の家も地元では旧家なので、かつての神社改築などに関与したことだろう。そうした事柄が分かると面白いのだが。
写真は改装なった駒木野神社:記念碑。 -
写真は駒木野神社で見つけた御狐様の祠・・・小さい頃、実家の欅林の中におなじような御狐様の祠があった。御賽銭に古銭が置かれていたのを覚えている。
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見たことが無い拝殿奥に本殿が繋がり、その奥を撮ってみた。
写真は改装なった駒木野神社:本殿を見る。 -
写真は改装なった駒木野神社:本殿の奥(拡大)
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写真は駒木野神社:一の鳥居と、写真の右手に写っていないが、祭り用の山車(だし)が入った車庫がある。
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以下の2件の写真を思い出して、スキャンしてみた。
いずれも今回の駒木野神社に関わるものだ。
駒木野神社の祭礼のお手伝いとして、祭りの山車(だし)の先頭に立つ先導する役を皆で務めた。
その際、修験者が持ち歩くように、皆が錫杖(しゃくじょう)を持ち、錫杖の頭部につけた金属製の環に数個の小環をかけ、杖で地面を突くと、環が鳴るようにしたものだ。
右手に錫杖を持ち、ちょっとの間引きずってから、地面を突いて音を鳴らす。この作業を繰り返して先導したのだ。
写真は1954年(昭和29年)4月15日、駒木野神社祭礼で近所の子供たちで参加(小5年) -
イチオシ
昭和45年2月10日に長女が武蔵野赤十字病院(武蔵野市境)の産科で誕生した。
4月梅の咲く頃に、家内の実家の鎮守様に御宮参りに詣でた。
家内と義母、長女に私の4人で長い石段を上がって、鎮守様に長女の誕生の御報告と将来のご加護をお願いした。
私共は26歳で最初の子供を授かったのです。生まれた時は3280gと大きく、出てくるまで時間がかかり、小柄な家内は大変だったと、後々もよく言っていた。
よく乳を飲み、寝る子でした。
当時は小金井の農工大近くの住宅街にあった個人住宅で、息子さん用に作った2世帯住居の2階の部屋を間借りしたのです。会社の先輩が海外駐在の為、米国に転居する事となり、同じ課にいた私を先輩の後に紹介してくださったのだ。
それで、長女も小金井にも近い武蔵野赤十字病院で生まれ、青梅の実家にも、御岳にも下駄を履いて遊びに行くような事をしていた。
写真は1970年(昭和45年)4月5日青梅・駒木野神社に長女誕生のお宮参り、左下は11月2日御岳・沢井に小金井から散策(よく見ると下駄履きだ!)に出かけた。 -
2022年4月21日(木)に2泊3日の予定で青梅を訪れた。
コロナ禍でノビノビにした両家の墓参りを3年ぶりに済ませるのが、この旅の目的だった。
その時、こんな旅行記を投稿した。
≪青梅:曽祖父が戦死した長男の遺書に由って、村の鎮守様・千ヶ瀬神社に石灯篭を奉納した話。≫
https://4travel.jp/travelogue/11766769
今日は朝から家内の家の菩提寺である寿香寺(じゅこうじ)や、かつての駒木野村の鎮守様・駒木野神社を参詣したので、その後は私の家の菩提寺である宗建寺(そうけんじ)を訪ね、両親やご先祖様の墓参りをした。
また、かつての千ヶ瀬村の鎮守様・千ヶ瀬神社にも参詣することにした。
写真は村の鎮守様・千ヶ瀬神社拝殿と石灯篭・・・曽祖父が奉納した一対の石灯籠だが、壁面に彫られた文字があれから1年もしないが、さらに判別しにくくなっていた。 -
社殿の東西に「出雲太郎(古事記や日本書紀に出てくる出雲の国の豪族、出雲国造(いずものくにのみやつこ)の子孫と称す)」が植えたと伝えられる*御神木・・・誰が付けたか好ましい「朝日・夕日」と称する椎の樹(シイノキ)二株があった。
長く村人、地域の人達の信仰の対象であった鎮守様・千ヶ瀬神社には、東西に御神木・朝日、夕日と称する椎の樹(シイノキ)二株の巨木が青々と茂り、大正15年に改装したと云う社殿もまだ十分に美しく、神域は面積580坪の中に、社殿、神輿庫(神輿が鎮座している)、手水舎、境内社(神明社(天照大神)、八雲神社、浅間神社、春日神社)などが見られる。
残念ながら、こちらの「夕日の御蔭(みかげ)」は文明12年(1480年)に大風で折れ、枯れてしまった。現在の椎の樹はその後に植えられたものだと云う。
神明社を覆うように、椎の樹が横に樹形を伸ばし、太い二本の丸太でこれを支えている。
写真は千ヶ瀬神社:境内社の神明社と御神木・夕日の御蔭 -
1年足らずの再訪だったが、もう周辺には変化がある。クレーン車が高々として、神社横の斜面の木々を伐採していた。さてどうするのだろう。
写真は千ヶ瀬神社:神社横の斜面の木々を伐採中! -
写真は千ヶ瀬神社:左の本殿と御神木・朝日の御蔭と称する椎の樹(シイノキ)の巨木が見える。
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こちらの「朝日の御蔭(みかげ)」は現在も青々と茂り、青梅市一の巨木・古木として昭和32年(1857年)に青梅市の天然記念物に指定された。
『青梅文化財・史跡・天然記念物』によると、河岸段丘の崖下であることで日だまりに恵まれ、背後の南向き斜面が冬の寒風をさえぎることもあって、このように大きく生長することができたと云う。
このシイノキは、幹周7.2m、樹高23mで、実際の樹齢は300年程度とされる。
写真は千ヶ瀬神社:左の本殿と御神木・朝日の御蔭と称する椎の樹(シイノキ)の巨木。 -
写真は千ヶ瀬神社:本殿を撮ってみたが、少々ぶれてしまった。
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写真は千ヶ瀬神社:本殿右手傍の御狐様の祠(らしき小屋はないが)。
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千ヶ瀬神社にも当然だが、「となえ言葉=神拝詞」があった。
ただのけ者のように回廊の左端に置かれていて目につかない。
賽銭箱の後に(自らの反省を込め)、目に見える位置に置いてきた。
御参詣の際はご利用ください!と。
写真は千ヶ瀬神社:拝殿と千ヶ瀬神社の扁額と賽銭箱、「となえ言葉=神拝詞」。 -
【千ヶ瀬(ちがせ)神社】
〒198-0043 東京都青梅市千ヶ瀬町2-117
社務所(宮司・高野さん)Tel:0428-22-0316
〒198-0043 東京都青梅市千ヶ瀬町1-119
千ヶ瀬神社は「氏神様(うじがみさま)」、「産土様(うぶすなさま)」、「鎮守様(ちんじゅさま)」と呼ばれた。
写真は千ヶ瀬神社:拝殿の奥も駒木野神社に倣って、写させて頂いた。 -
御由緒:
千ヶ瀬神社は古くは大社権現稲荷大明神、江戸時代には稲荷社と称した。
慶安2年(1649年)には江戸幕府より社領1石5斗の御朱印状を拝領したとされている。
千ヶ瀬村の鎮守で、神官高野氏の祖先出雲太郎(古事記や日本書紀に出てくる出雲の国の豪族、出雲国造(いずものくにのみやつこ)の子孫と称す)がこの地に至り、出雲神社を創建したのが始まりと伝えられている。
このあたりの話は興味深い。
(そういえば、小・中学校の同級生に神官高野氏の色白の娘さんがいた。地元の友人Nくんによれば、先年亡くなられたと云う。思えば、出雲国造の子孫の娘さんだったとは・・・)
慶長12年(1607年)4月神官の邸宅が火災に被り、社記古文書等殆どが焼失したため 、神社創建後の変遷は詳らかでない。
明治7年(1874年)村内の神明大神宮(神明社)を合祀し、明治16年(1883年)千ヶ瀬神社と改称した。
写真は千ヶ瀬神社:拝殿の奥(拡大) -
千ヶ瀬神社の参拝を終わり、ホテルに14時40分に帰り、部屋で休憩。
2泊とも食事なしなので、事前に調べていたお店に夕食を食べに行った。
梅郷は青梅でも文字通り美しい梅林で知られている。
この吉野街道を走ると、意外にもレストラン、カフェ、食事処が多いのに気が付いた。それで2晩とも梅郷で食事をとった。
昨夜は青梅・梅郷のイタリアン<HIBACHIYA(ヒバチヤ)>だった。
住所… 東京都青梅市梅郷4-702-2
電話… 0428-74-9393
営業時間… 11:30~14:00 / 17:30~21:30
定休日… 月曜日 駐車場… あり
梅郷のイタリアンは安くて美味しかったが、カメラを忘れて、写真はない。
(17時20分~18時40分 3,680円)
今日、31日の夕食は和食にした。
<お食事処 みらい屋>
住所… 青梅市梅郷3-774-1
電話… 0428-27-1450
営業時間… 11:30~14:30 17:00~20:00
定休日… 不定休(基本・月曜日) 駐車場… あり
吉野街道沿いに、2022年3月・オープンしたと云う和食料理店は<HIBACHIYA(ヒバチヤ)>より亀の井ホテルに近い。
まだ何もかも新しく、御夫婦と思われる2人でやっていたが、この時間帯にお客は私共だけだった。
(18時10分~19時40分 4,500円)
写真はみらい屋の手書きのメニュー。 -
アルコール無しのビールを注文する。
私共は家ではほとんどビールは飲まないから、珍しい日となる。
写真はアルコール無しのビール。 -
写真は<お食事処 みらい屋>の立派な内部。
お食事処 みらい屋 グルメ・レストラン
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写真は<お食事処 みらい屋>の内部は結構広い。
-
ビールを飲みながら待つこと18分、注文したお勧めの<みらい屋御膳>が出てきました。
老夫婦には少々多いかと思えた料理だったが、家内も満足の夕餉になった。
次回はコラーゲンラーメンとか、単品もねらい目かもしれない。
写真は注文したお勧めの<みらい屋御膳> -
青梅を代表する和菓子店には大好きな最中がある。実家の亡くなった両親もひいきにしていたので、青梅に来ると、いつも土産にする。
以前、【青梅の甘味処・昔ながらの銘菓が楽しめる道味】といったものを投稿したが、先代御主人夫妻がたてつづけに亡くなられたので、コロナ禍での家業の将来や、良き味を保てるのか心配していたのだが、変わらない味の最中に感心し、今は安心している。
6月1日、千葉へ出発する前に、道味(どうみ)を訪れて、電話で予約済みの最中を40個(5,700円)購入した。
写真は和菓子店・道味(どうみ)の店構え・・・今年の1月に訪れた時は完全に閉まっていたので、休業したのかと心配した。道味 グルメ・レストラン
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写真は以前、道味の店を訪れた時に撮った店内の様子。
-
<道味和菓子店(どうみわがしてん)>
住所:東京都青梅市住江町68
電話:0428-22-3201
和菓子専門店:最中、青梅せんべいなど。9―18時営業(月曜定休)。
創業弘化3年(1846年)頃、当初は薬種商を営んでいたが、いつからか菓子を造って売るようになり、現在に至っている。
「道味」と書いて「どうみ」と読ませるが、この店名の由来はご先祖様の俳号だそうだ。
青梅駅のロータリーの先の大通りを左手に行くと、丘の上に祀られた住吉神社がある。徒歩約4分と近いが、その住吉神社前に創業160年以上という青梅でも老舗の道味和菓子店がある。ここには私共のお気に入りの御菓子がある。
娘や孫たちも大好きな味で、お土産には最適なのだ。
写真は和菓子店・道味(どうみ):最中の箱(20個入り) -
イチオシ
案内によると、最中の賞味期限は7日~10日で、夏季は冷凍しても美味しいとされている。
私共にとって、この種の品にしてはよく長持ちがして、味も常温で置いても変わらないのが良い。夏場になれば、冷凍しても味が落ちないのがすごい。
私共老夫婦には後述した酒まんじゅうと共に故郷の味で、もったいないからと、長く食べるために、一個を半分にして二人で食べることもある(笑)。
写真は和菓子店・道味(どうみ):最中は実に美味い餡がいっぱいで、個々が重い。 -
道味の名前を入れた皮に、甘さを抑え小豆の旨味を出したつぶし餡を入れた香ばしい最中である。
写真は和菓子店・道味(どうみ):中身を開けるとこんな形だ。 -
次はここも定評のある酒まんじゅうを購入すべく立ち寄った。
<火打屋本店 (ひうちや ほんてん)>
住所:〒198-0041 東京都青梅市勝沼1-43
Tel:0428-22-2483
営業時間: 9:00~18:30 (定休日は日曜日・祝日)
明治10年、火打鍛冶屋として創業。団子や酒まんじゅう屋を経て、戦後からパン屋として生まれ変わった。パン屋としても60年以上の歴史がある。
コッペパンや食パンが定評のある商品だそうで、もう団子や酒まんじゅうは店の商品案内にはないのが寂しい。
青梅線東青梅駅北口から徒歩3分にあり、高校生の頃から、団子や酒まんじゅうを買い食いした記憶がある。
写真は火打屋本店:店構えはパン屋だが、私共の印象はいまだに団子や酒まんじゅうである。火打屋本店 グルメ・レストラン
-
予約済みの酒まんじゅうを70個(6,000円、お手製ゆえ形が悪い品は値引きしてくれたが、味は変わらないのだ)購入した。
昔ながらの美味い酒まんじゅうはお気に入りなのだ。
おまけに、パン工房の責任者である娘さんから、自慢のパンをいくつか頂いた。
感謝!
我が家は酒も饅頭も・・・甘辛、どちらもいける。
写真は火打屋本店:店内はパン屋さんの趣だ。 -
御ババ様が頑張って、名代の酒まんじゅうを作っていると聞いていたので、失礼ながらと、私が小さな声で御ババ様に年齢を聞いてみた。
なんと昭和22年生まれだと言うので、ちょっと驚いた。私共より4歳下になる。
それなら、まだまだ美味しい酒まんじゅうが食べられると、安心したものだ。
写真は火打屋本店:店内は様々。 -
イチオシ
パン製品が並ぶ中、辛うじて、御ババ様お手製と思われる、安く美味い酒まんじゅうが写真のようにコーナーに並んでいた。
私共は家では、お茶の時間に冷凍した酒まんじゅうを解凍後、トースターで3分ほど焼いて食べている。皮はモチモチで食べ心地が良い上に、熱さを冷ましながら食べる餡が実に好ましい味なのだ。
娘家族も道味の最中も、こちらの酒まんじゅうも気に入っていて、お土産を楽しみにしている。
写真は火打屋本店:酒まんじゅうは安い(今時のケーキ類と比べると、腹持ちも良く一個100円は実に安い、健康にも良い)、しかも美味い。
・・・・・
久しぶりの神社参詣も興味深く、かつての思い出を確かめながら、お土産いっぱいで満足した小旅行(行程310km:2泊3日の費用58千円)になった。
(2023年7月2日Wiki・お店の冊子・HP参考、編集・追記)
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2023/08/20~
湯田中渋温泉郷・志賀高原
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七十二候・蒙霧升降(ふかいきり まいおりる):志賀高原の自然環境が育んだ偉大な銀メダリストと1998年長野オ...
2023/08/20~
湯田中渋温泉郷・志賀高原
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成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ:台方の大宮と船形にある奥宮)を孫娘と初詣に訪れた。(2024年の初詣)
2024/01/02~
成田
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七十二候・菜虫化蝶(なむしちょうとなる):酒々井町の「甲子(きのえね)酒蔵・飯沼本家」を再訪す。
2024/03/17~
佐倉・四街道
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七十二候・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす):宗吾・甚兵衛そばを食べ、公津の乙姫紅枝垂れ桜を見る。
2024/03/31~
成田
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七十二候・玄鳥至(つばめきたる):今年も無情な春、山武の長光寺・妙宣寺の枝垂れ桜の満開の姿にいつ会えるだろう...
2024/04/04~
八街・富里
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二十四節気・清明(せいめい):古代の玉作(たまつくり)の遺跡にも大ぶりな山桜が咲く。
2024/04/08~
成田
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二十四節気・芒種(ぼうしゅ):天下の副将軍・水戸光圀公ゆかりの「なんじゃもんじゃの木」とは何じゃ?
2024/06/17~
香取・佐原
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