震災の悲劇の中心地に建つ慰霊堂
- 4.0
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
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by T04さん(非公開)
両国 クチコミ:76件
ここ「東京都慰霊堂」が建っている現在の「横網町公園」は、かつて陸軍被服廠がありました。震災発生時、被服廠が再開発のために取り壊されて更地になっていたことから、震災後には4万人ほどの避難民であふれ返っていたそうです。そこに震災で発生した火災が、折からの小型台風の影響もあって竜巻のような火焔となって人々を襲い、2時間にわたって人や荷物や馬を巻き上げていったそうです。震災による東京全体の犠牲者5万8千人のうち、被服廠跡での犠牲者は3万8千人、その割合は犠牲者全体の65%という膨大なものでした。そこで建てられたのが、この「震災記念堂」です。しかし、その後の東京大空襲などによって生まれた未曾有の犠牲者も合祀し、現在の「東京都慰霊堂」になりました。堂内には写真家の石川光陽さんが撮られた震災や戦災の写真、洋画家の徳永柳州さんが門人の方と共に現地を取材し描きあげた油絵が展示され、その悲惨さを伝えています。関東大震災は知っていたものの、この地がどのような意味を持つ地であるかということも知らず、恥ずかしい気持ちになりました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 都営地下鉄大江戸線「両国」駅1番出口から数分の「横網町公園」内です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 訪れる人は多くはありませんでしたが、震災や戦災でご家族を亡くされたような方も見られました
- 見ごたえ:
- 4.0
- 写真家の石川光陽さんが撮られた震災や戦災の写真、洋画家の徳永柳州さんが門人の方と共に現地を取材し描きあげた油絵が、その悲惨さを伝えています
クチコミ投稿日:2013/10/14
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