歴史ある拝所としてのグスク跡公園であった。
- 5.0
- 旅行時期:2024/01(約4ヶ月前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
名護 クチコミ:6件
伝説時代の北山世主、前北山の天孫氏の代から有力豪族として伝わる名護按司が築城し、城主を務めた名護城。伝説王朝である天孫王統の滅亡など、琉球の王統の代替わりごとに強い影響を受けてきたとされている。名護岳西麓の標高100m程の台地の上に築かれた名護グスクは、14世紀に当時の今帰仁按司丘春の弟が名護按司として赴任する際に築城したと伝えられており、後に後北山王となる怕尼芝に滅ぼされたと伝えられている。その後中山王尚巴志が後北山を攻めると名護按司は中山側につき、今帰仁城攻略等の北山攻めに加勢した。北山滅亡後に尚巴志は今帰仁城に北山監守を置き、兵乱に備えることにした。そのために名護グスクは復興されないまま廃城となり、他のグスク跡同様に〝御嶽〟的な建物として使われていたのではと言われている。
時が過ぎて第二尚氏王朝第二代国王尚真王の代に王国の按司が首里に全て集められた。首里に向かった名護按司を氏神として祀る〝拝所〟となった名護城跡には、近代になって名護神社が創建され、戦前までは大和式の鳥居が作られていたとされている。戦後になって米軍占領下の1963年に広域公園として計画決定され、平成2(1990)年に供用が開始された。
桜の名所となったのは昭和3(1928)年に地元のグスク青年団がこの地に50本の桜を植えたのが始まりであり、その後1963年から毎年1月下旬に〝名護さくら祭り〟として開催され現在に至っている。公園全体には約4,800本のカンヒザクラが植えられ、その内名護城跡に通じる階段の両脇には約200本が植樹されており〝全国で最も早い桜まつり〟のひとつの会場として、沖縄県内外からの花見客約30万人が訪れる場所となっている。
グスクとしてはそれ程重要視されてはいなかったようで、歴史書物に取り上げられていることも多くはない。ただ〝桜まつり〟の知名度は絶大なものがあり、この時期に沖縄を訪れる観光客の一番の目的と言っても過言ではなくなっている。実際にグスクの遺構を見た訳ではなく、碑文に残されていた〝文章〟で初めてその築城を知ったと言っても過言ではない。本来ならばほぼ満開のカンヒザクラが咲き誇っている筈だが、開花後急に気温が下がり開花が進まずにチラホラ咲きだったことは少し残念であった。しかし逆に言えば満開でなかったために天上広場迄車で乗り入れることができたので、そこはそこでラッキーだったのかも知れない。中々この時期に訪れることは難しいが、満開のカンヒザクラも一度は見てみたいとふと思った私であった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 沖縄道許田ICから車で20分ほど。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 天気が良かったのでかなり多かった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 舗装がされているところもあるが、だいたいは地道である。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 公園も桜も素晴らしいものであった。
クチコミ投稿日:2024/03/31
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