南山時代のグスク伝説が残っている。
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- 旅行時期:2024/01(約2年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
知念・玉城・八重瀬 クチコミ:60件
古琉球の南山王国二代国王汪英紫氏(おうえいじし)によって14世紀に建立されたと伝わる八重瀬グスク。以降三代国王汪応祖(おうおうそ)と出城として利用されたが、汪応祖の出世を妬んだ兄達勃期(たふち)によって殺害され、達勃期が四代国王となり八重瀬グスクを居城とするが、程なくして汪応祖の長子である他魯毎(たるみい)らの軍勢によって彼もまた殺害される。五代国王となった他魯毎ではあったが、政治手腕は乏しく民衆の怒りをかっていたところ、中山王尚巴志によって滅ぼされ、南山王国は滅亡する。
その後尚巴志の四男が八重瀬按司となり、八重瀬グスクを拠点とするも、クーデターで王位に就いた第二尚氏王朝初代国王尚円王の長男で第三代国王尚真王の時代に中央集権体制を確立するため、按司を首都の首里に集居させたことにより廃城となったようである。
沖縄島南部の標高が低い山が連なる中で、標高163mの八重瀬岳の中腹の標高110m付近にに築城された八重瀬グスクは、その場所からの〝眺望〟を重視したとされている。一説には近くの勢理グスクより強固なものを必要としたことが築城の意図だったとも言われている。
そのような場所柄沖縄戦に於いては日米軍の熾烈な戦いの最前線となり、グスク跡を含んで整備された八重瀬公園内には、白梅学徒隊が看護補助要員として勤務していた病院壕も残っている。
グスク跡には拝所が残り、この場所が神聖な場所であったということがわかる史跡も残っている。1月に行われるさくら祭りを含め、それぞれの〝場所〟が持つ歴史を感じることができる素晴らしい場所であったと私には思えたのであった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から車で30分程度。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 時期と時間に大いに左右される。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は決して良くはない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 残存する石垣から往時の様子を窺い知れる。
クチコミ投稿日:2024/03/31
いいね!:7票
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