八重瀬グスク跡に作られた公園は、日本一早いさくら祭りの会場だった。
- 5.0
- 旅行時期:2024/01(約11ヶ月前)
-
by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
知念・玉城・八重瀬 クチコミ:59件
古琉球に於ける南山王国の第2代国王汪英紫(おうえいじ)が築城し、その後汪英紫の長男達勃期(たぶち)が城主となったと伝わっている。3代国王となった弟の汪応祖(おうおうそ)の出世を妬んだ達勃期は汪応祖を殺害、自身が4代国王となる。だが汪応祖の長男である他魯毎(たるみい)他反達勃期の按司達に攻められて達勃期は殺害され、5代国王に担ぎ上げられた他魯毎ではあったが、横暴な性格の上に毎日政治を省みず酒色に耽り、民衆や按司たちに対し酷薄な王として次第に人から疎まれる存在となる。その後中山王となった尚巴志(しょう はし)に攻められて殺害され、南山王国は滅亡する。この際に出城のひとつであった八重瀬グスクも落城したとされている。
その後第一尚氏王朝時代に尚巴志の四男が八重瀬グスクを再興し、八重瀬按司として入城したがその後のグスクの動向は不明である。南部にあり標高がある程度ある場所として、沖縄戦に於いて野戦病院がこの場所に設けられ、白梅学徒隊が従軍看護師として勤めていた病院壕が残っている。
そんな暗い歴史の多い八重瀬グスク跡に憩いの場として公園が作られたことが八重瀬公園の始まりである。現在では〝日本一早いさくら祭り〟が行われる場所として、沖縄県民は勿論国内外を問わず多くの観光客が訪れる場所となっている。またそのさくら祭りの時期に合わせて〝イルミネーション〟や〝ライトアップ〟が行われており、晴れた日には満天の星空と共に訪れる者の目を楽しませている。
残念ながら天候不良の影響を受け満開の桜には巡り会えなかったが、それでの内地ではこの時期に絶対見ることができない景色を堪能でき、満開の桜も見てみたいという思いに駆られた私であった。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 空港から車で30分程度。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 少ないという訳ではなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は砂地であった。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 満開ではなかったが、見られただけでも十分であった。
クチコミ投稿日:2024/03/27
いいね!:7票