jijidarumaさんへのコメント一覧(4ページ)全418件
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最後は質問になっていまいましたが・・
おはようございます。
ベネディクトボイエルン修道院とバードテルツの旅行記拝見しました。この二つはミュンヘンへの途中近くを通っていますが時間的に訪問はかないませんでした。
ベネディクトボイエルンについては同じベネディクト会のアルゴイにあるオットーボイレン修道院修道院を訪問しています。起源については共に8世紀創設、現在の建物についてはバロック、幾分ロココが入っているオットーボイレンの方が後発になるでしょうか?
ヨハン・バプティスト・ツィンメルマンやヨハン・ヤコブ・ツァイラーといった画家がフレスコ画を手掛けております。ボイエルン、ボイレンはスペルではbeuernとなります。ともにバイエルンを代表するバロック様式の修道院です。
ところで、昔気になってbeuernの語源は何か調べた記憶があります。バイエルンにはボイレン(バイエルもその派生?)のつく地名がいくつかありますよね。その時は定かなものがなくわからないままでした。貴兄はお判りになりますか?Re: 最後は質問になっていまいましたが・・
クリスさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
僧院(修道院)といった場所は日頃のお好みに合うからお訪ねになったと思っていました。ベネディクトボイレン、バードテルツ、テーゲルン湖といった所はミュンヘンからもあらためて近いな!と思いました。
さて、
①BenediktbeuernベネディクトボイエルンとOttobeurenオットーボイレンのベネディクト会僧院(修道院)の起源は、前者が739年、後者が764年とあります。前者はカール大帝の仲介で入手したヌルシアの聖ベネディクトの右腕の聖遺物が保管されていることや、1803年の僧院(修道院)解体時に発見された“Carmina Burana”カルミナ・ブラーナ本が発見された事から思うと、歴史的な価値もあるように思います。(尚、私はオットーボイレンを訪ねていないのが残念!)
②Benediktbeuernベネディクトボイエルン、Ottobeurenオットーボイレンの地名ですが、-beuern, -beurenとスペルは違うようです。
なぜ異なるのかは分かりませんが、古い言葉はそういったものでしょう。
私と同じ頃にドイツ語圏に駐在されて、大変ドイツ語にご堪能であるRolleiguyさんの旅行記「オットーボイレン修道院とメミンゲンの街」を以前拝読した時に、
『オットーボイレン修道院とメミンゲンの街』バイエルン州(ドイツ)の旅行記・ブログ by Rolleiguyさん【フォートラベル】 (4travel.jp)
・・・○○ボイレン(beuren)とはどういう意味かと調べてみたら、小さい家とか、集落、住居の集まりとかの意味らしいことが分かりました。祈りの生涯を送る修道士に相応しい名前だなと思いました。・・・
と書かれた部分があり、この事を思い出して、また再読させて頂き、前述のように引用しました。
その時、(クリスさんのように)私も自分なりに語彙の意味などを調べたことがあります。その抜粋を書き残していましたので以下に。
・・・
*-beuern、-beuren、-beuron、-birn、(また低地ドイツ語の-büren、-bur(en)など)は場所や集落を称したもの。古高地ドイツ語のbur「小さな家」を意味する。
中オランダ語のbur「住居」、農夫(鳥かご)の意味だそうです。
・・・
この程度で、回答となるか分かりませんけど・・・。
それではまた。
jijidaruma
2025年05月31日01時34分 返信する -
ドイツアルペン街道東ルート
jijidarumaさん おはようございます。
参考写真としてヴァルヒェン湖のパノラマ
こういう写真は日本では見られませんね、これこそヨーロッパの山の景色です。
これを見るためにだけ訪問しても価値がありますね。
普通の景色でも、エキゾチックな建物が入ると、とたんにヨーロッパの風景になる、
寺の甍の入った景色が日本独特の風景になるのと同じでしょう。
それに長いベランダをもつ伝統的な木造民家、季節にはベランダが花で埋もれる、
花を飾る余裕の生活ですね。
写真の貯金が豊富なjijidarumaさん、新しいドイツ旅の旅行記がまだまだ続くようですね。楽しみにしています。
pedaruRe: ドイツアルペン街道東ルート
pedaruさん、
今日は。書き込み、いつもありがとうございます。
当時、漸く手にしたデジカメでした。
昔のフィルムカメラと同じようにツイ、大事に撮ることが身についていて、数も少なく、写真も上手く撮れなかった記憶があります😢。
それはともかく、九十九折の山道は怖くて、慎重に運転しておりましたから、写真をしっかり撮っていないので、参考写真としてもっとも良い時期の写真を見つけて参考に供した次第です。実際、この日は曇り空が続き、残念でした。
それにしてもドイツアルペン街道はドイツの美しい景観が詰まっていて、素晴らしかったですね。
2008年の旅から既に長い時間が経ちました。夢の中で、旅日記の中でドイツを楽しむしかできない歳になってしまい、何とも残念!
系統だって投稿するのは難しくなりました。本編も手元にある旅日記から抜粋しつつ改めて稿を書き出すと、イヤハヤ時間がかかりました。
在庫はいくらでもあるのに・・・、さて自分の歳との競争です(´∀`)。
それではまた。そちらにも立ち寄ります。
jijidaruma2025年05月29日14時33分 返信する -
素晴らしい藤棚の数々
jijidarumaさん
藤といえば亀戸天神と馬鹿の一つ覚えの江戸っ子のわたしですが、激混みで行く気がなえるんですよね。その点、この千葉の藤は素晴らしい上に人混みもそんなにないみたいでいいですね。
今年は忙しくて行けませんが、来年は計画してみようかしら。この旅行記をプリントアウトしていけば、旅行ガイドにぴったりですね。
楽しみが増えました!
MよりRe: 素晴らしい藤棚の数々
M-koku1さん、
今日は。御元気そうで何よりです。
日々ご多忙な様子、或る意味で生活に張りがあって良いものです。
目標の無い私などは日々自堕落に過ぎてしまって、反省しています。
連休後半になりましたね。高速道路の渋滞シーンもいつものように
大変ですが、皆さん不思議と忍耐強くお出かけです。
さて、古い話で恐縮ですが、1970年の大阪万博に高校時代の友人
(在大阪)に誘われて出かけました。あまりの混雑に殆ど見ないで
2人ともギブアップした記憶があります。
あれから55年、更に歳をとり、気が短くなり、長い行列、混雑は
最初から敬遠しています。だから、最近の小旅行は千葉優先!
意外に良い場所があり、巨木や花で気分転換をしています。
花は春の季節、桜も藤も身近が一番ですね。
そういえば、話に聞く亀戸天神の藤を見たことが無いのですよ。
お互い住む場所を交換すれば、銚子(その昔選挙のアルバイトで
1ヶ月も住みました)の藤も、亀戸の藤も気軽に見れますね(笑)。
コメントありがとうございました。
それではまた。
jijidaruma
2025年05月03日17時51分 返信するRe: 素晴らしい藤棚の数々
jijidarumaさんの旅行記に刺激されて、おととい突然昼過ぎにあしかがフラワーパークに行ってきました。それはそれは藤がきれいでした。
昼過ぎに松戸で拾ってもらって車で行ったのに、やはり渋滞ぎみでしたが。
それでも花が美しく、それ以上に香りがよくって、とてもリラックスできました。園内は混んでいましたが、亀戸天神とは大違いで、人酔いすることもなく、のんびりできました。2200円の入場料もおしくはなかったです。近況報告でした。
Mより2025年05月05日14時29分 返信するRe: 素晴らしい藤棚の数々
M-koku1さん、
今晩は。再度のコメント恐縮です。
思いたったら、あしかがフラワーパークですか!
やはりお若いこと!!満開の藤の香が香り立つようです。
世評も高いこの地は気になっていますが、サッと車で走り出せません。
昔々、館林のツツジを見に行ったことがありますが、栃木、群馬の
地は未踏の場所が多いですね。
Mさんの旅行記を楽しみに待って、行った気になりましょう。
近況報告、ありがとうございました。
それではまた。
jijidaruma2025年05月05日19時39分 返信する -
三春
jijidarumaさん おはようございます。
三春といえば桜と三春駒でしょうか、私は若年の頃から東北地方に関心があり
各地の郷土玩具などを集めていました。
そのなかで三春駒といわれる馬の置物、いえ,きっと子供の玩具としてつくられたものだと思いますが、気に入っておりました。馬は生活に身近な生き物で、とくに南部地方を初めとしてたくさんの地方で飼われていたようですね。
関心のある割にはまだ三春地方へは行っておりませんので、東北地方好きとは言うのをはばかれます。
セピア色というよりむしろピンク色に変色した古写真、そこには若者のスリムな姿が見受けられます。わざわざ出かけられたようですが、旅好きはこの頃からの習性?ですかね。私も最初に旅行したのが15歳の時、会津地方への友と二人旅でした。
あのころの感動は今よりずっと、新鮮で、忘れがたく、終生の思い出です。その時の友は一昨年他界しましたが。
jijidarumaさんの三春は花に囲まれ、桃源郷のようですね。良い思い出となっているかと思われます。
pedaruRe: 三春
pedaruさん、
今日は。いつもありがとうございます。
確かに桜と日本三大駒の「三春駒」が知られていますが、
駒の方を書き忘れていたから、少々片手落ちでしたね。
実は留守番の子供の土産に白駒を購入してまして、今も
様々な各地の土産と共に飾り戸棚の中に置かれています。
お蔭でこの事を思い出しました。
白駒は「老後安泰・長寿のお守り」、黒駒は「子宝・安産
・子育てのお守り」として作られるそうですが、本来ならば
長女が生まれたばかり、黒駒を買うべきでしたが、自分の
老後安泰・長寿の白駒を買ってしまったようです(笑)。
因みに八幡駒(青森県八戸市)、木下駒(宮城県仙台市)、
三春駒(福島県三春町)が日本三大駒だそうですが、
当時、三春駒しか知りませんでしたね。
貧乏教師の息子でしたから、家族旅行をした記憶がありません。
高3の夏に高校野球(神宮球場2回戦対成蹊高)に負け、野球部
仲間3人+2人で白馬岳に登り、帰途は会津・猪苗代湖などを
廻った旅が初めてだった記憶があります。
pedaruさんは15歳で友人と会津の旅に出たとの事、私はそれに
出遅れた旅になりますが、翌春の大学受験も忘れて、楽しい旅に
なりましたね。
予定通り?私中堅手と仲間一塁手A君の二人は1浪し、翌年同じ
大学の法、理工に入りました。
吃驚したのはもう一人の仲間右翼手B君は現役で北大工学部に
合格した事でした。
(野球部の同期は5人で現役は1人、1浪が3人、2浪が1人・・
一番優秀だった仲間二塁手が2浪したのは意外でしたが。
ついでに言うと、私以外は全て理工系です。創部120年の歴史
を持つ野球部でこれほど理工系が多い期は他に無いのですよ。
同期ながら、そんな資質を見せていなかったから不思議です。
幸い同期5人は健在です)
それではまた。
jijidaruma
2025年04月22日15時12分 返信する -
北ドイツ周遊
jijidarumaさん おはようございます。
今までたくさんのドイツの旅行記を読ませていただきましたが、言えるのはただ驚きの一言であります。
ご自身で撮られた写真は勿論、絵地図、紋章、歴史書、交通地図、絵その他あらゆる資料を駆使して余すところなく創作なさっている姿勢は稀有なものです。
情熱を感じます、それはたぶん性格からくるものだと思いますが、私のように場当たり主義で旅行記を作る者に取っては驚きでしかありません。
ドイツ旅行記に関しては、本にして出版なされば、ドイツ愛の集大成となるでしょう。その際は書店にて買わせていただきます。
>スラヴ人によって設立されたドイツの都市の名前はスラヴの言葉に起源を持つとか(例えば、シュヴェリーン、ロストック、リューベック、ベルリン、ドレスデンなど)・・・
遺跡などで歴史を感じることが多いですが、言語でも歴史を知ることは興味深いですね。私もjijidarumaさんに学ばなくてはと思っております。
pedaru
Re: 北ドイツ周遊
pedaruさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
急にまた暖かくなりました。不思議と気分が高揚します!
<・・・様々におさらいをしてしまった。
じっくり訪ねれば、もっといろいろが見えたのかもしれない>などと、最後にまだ書き足らぬような言葉を書きましたが、もう20年前になる旅、セピア色となった旅なのに、冥途の土産にする気かと冷やかされそうで・・・。
おっしゃるように、傘寿を過ぎても何やら拘り、不明な所には時間をかけて原文資料まで読み込み、関係写真も見つけ出すなど、歳と共にこの性格はひどくなってしまったようです。夜中、暇な時間がありすぎる(苦笑)のでしょう。
20年前に書き残した旅行記は既にファイルにあり、アルバムもあり、娘達や孫たちに残す資料としては十分なのに。
改めて塩の道から(日本人観光客や、ドイツ時代の部下たちも含めてはあまり興味を示さない)ラッツェブルクを訪れてみれば、この町にからんだスラヴ人の女神シヴァ、獅子の大聖堂、社会風刺画のヴェーバー、稀代の彫刻家エルンスト・バルラハを気になって見直してしまいました。
このような「自己中」然としたものを投稿して見て頂くのは
誠に恐縮、恐縮です(-_-;)。
先月、卒業旅行で南ドイツを巡った孫娘、友人たちと短いソウルの旅に行った大学2年の孫娘、まだ私がドイツの旅に行きたいと言っているうちに、若い人はどんどん行動に移しています。私の方はオアシをあげるのみ!
それではまた、ありがとうございました。
jijidaruma2025年03月22日19時44分 返信する -
ニデッゲンについて
興味深く拝読させていただきました。モンシャウについては候補地のひとつには挙がるのですが行く事はなかった。綺麗な街であるのは間違いないのですが、私の対象であるロマネスクの教会がないので。ただニデッゲン城の写真で気付いたのですが、この城はロマネスク起源である事と写真の上に映る聖ヨハネ教会が、再建ではありますがロマネスク起源の教会でスタイル的にも保たれている事、フレスコ画も再建ですが良く再現されているという事です。
この町は確かヒュルトゲンの森に含まれていましたね。Re: ニデッゲンについて
クリスさん、
今日は。いつもありがとうございます。
写真集の中でも、なかなかの見栄えだったニデッゲン城(要塞)、城址の先のSt. Johannes Baptist Nideggen聖ヨハネ教会(ニデッゲン)に気が付かれた辺り、さすがですね。
私などは古城好きもあって、俯瞰された写真を見て、形の良い要塞だとスキャンして投稿させて頂きました。従って、説明も城中心です。
ご指摘もあって、早速この教会のHPに入り、教会内の写真を拝見しました。それでロマネスク様式やフレスコ画も見る事が出来て、納得した次第です。
当時、勢力を持ったユーリッヒ伯爵の居城があり、それを守るような聖ヨハネ教会がたち、今は要塞が城址になってしまったのが残念です。
それではまた。
jijidaruma2025年03月10日17時05分 返信する -
「車でヨーロッパの古城ホテルに宿泊して旅する」・・・なんて魅力的なのでしょう!
jijidarumaさん
こんにちは。
「車でヨーロッパの古城ホテルに宿泊して旅する」、まさにこんな旅ができたら素敵だなと思い、とても楽しませていただきました。
私も現役時代にアメリカではレンタカーで国立公園などを周遊していましたが、昔パリで運転して懲りて以来、ヨーロッパでは車で移動したことがありません。
最近では、国内でも運転して旅行するのがだんだん億劫になり、今度5月に予定している4か国周遊も、重いキャリーを転がしながらの電車移動になりそうです。
ルーカス・クラーナハのファンなので、フランケンギャラリーの情報は大変参考になりました。
彼は単なる宮廷画家ではなく、宗教改革の視覚的な伝達者であり、時代の変遷の中で巧みに立ち回った政治的センスを持つ人物でもあった点が非常に興味深いですね。
仕えていたヨハン・フリードリヒ4世がシュマルカルデン戦争で神聖ローマ皇帝カール5世に敗北し、1547年にザクセン選帝侯の地位を剥奪され幽閉された際にも、クラーナハは彼に忠誠を貫き、最後まで行動を共にしました。
幸い、カール5世のお気に入りの画家でもあったため処罰は免れ、画家としての人生を全うしました。
また、ご存じのとおり、クラーナハはマルティン・ルターを支援し、ルターの肖像画を描くことで宗教改革を視覚的に広め、資金援助も行っていましたね。
息子のルーカス・クラーナハ(子)も父の影響を受けながら独自のキャリアを築き、ヴィッテンベルクからドレスデンへ移り、アルベルティン家の宮廷画家となりました。
彼の人生もまた波乱万丈だったことが想像されます。
いつかクローナハを訪れてみたいと思います。
続きの旅行記も楽しみにしています!
kawausoimoko 拝Re: 「車でヨーロッパの古城ホテルに宿泊して旅する」・・・なんて魅力的なのでしょう!
Kawausoimokoさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
先ほど、レンタカーの旅その2(~2016年)をご一読頂きありがとうございました。結構長文の旅行記だったと思いますが、古城ホテルに泊まる楽しさも感じて頂けた様子、古城好き、古城ホテル好きとしては誠に嬉しいものです。(同じ駐在体験しても、私共のようにドイツの田舎を楽しんだ駐在員はいなかったかと・・・)
実はコロナ騒ぎでドイツの旅を断念して以来、南ドイツとザルツカンマ―グートなどを再訪すべく、計画しましたが、傘寿を過ぎて、段々レンタカーの旅も難しいかなと思うようになりました。5月に4か国周遊を計画との事、実に羨ましく思います。
レンタカーの運転ですが、次のような事を書いたことがあります(駐在時や定年後の旅でヨーロッパは凡そ20万kmを走りました):
「ヨーロッパ各国を車で走った経験ではやはりドイツ系の国・ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタインが一番安心して走ることができる。運転技術やマナーがベストと言える。次にドイツ語をしゃべる地域をもったオランダ、ルクセンブルグ、ベルギーで、ドイツ系の人たちの影響があるのだろうか。
3番手にイギリス。4番手はイタリアで、最後はフランスがくる。
私もパリには数回訪れているが、パリ市内などはドイツ人に言わせると“Chaosカオス(混乱、無秩序)”だそうだ。この表現には納得する。」・・・レンタカーに乗るにはドイツから始めるのが一番です・・・もっとも難民が多くなった今は???。
さて、ドイツの画家で同世代を生きたニュルンベルクのデユーラーとクローナハのクラーナハ、前者の代表的な自画像やカール大帝の肖像画、後者の金持ちの老人と若い女、ヴィーナスと(ハチミツを盗んで蜂に刺された)キューピッド、ルターの肖像画(工房のあったヴィッテンベルクも訪れました) などを見ると、対照的ですね。
特にクラーナハはルターの友人でもあった所為か、政治的にも宗教的にも一歩踏み込んだ対処をしていたのは、作品の独特な印象からうけるのとは、別な気骨のある面を見せていて、それが面白いです。
又含蓄のある美術紀行を拝見しに参ります。
それではまた。コメントありがとうございました。
jijidaruma
2025年03月08日19時07分 返信する -
古城ホテル
jijjidarumaさん おはようございます。
古城ホテルは私の憧れです。ちなみに昨年行ったアイビースクエアにある
倉敷紡績創業の旧工場で、改修されたホテル、つまり「工場ホテル」でした。
旅行記ののっけから城主自ら車を出してくれたり、煙突掃除のチンチムリーにであったり、幸運が重なり、幸先良い出だしとなりましたね。
城主といえば今でこそ対等にお話もできるようですが、昔なら、なれなれしいぞ、と捕縛され地下の拷問室でひどい目にあいそうです。
それにしても、言葉が出来るという事はなんとすばらしいことでしょう。
旗を持った添乗員の後に着き、ひととおり表面を見て回る、旅行中現地の人とひとことも言葉を交わさない、こういうのと比べると、深く思い出に残る旅になりますね。
羨ましいです。
pedaruRe: 古城ホテルと工場ホテル!
pedaruさん、
今日は。いつもありがとうございます。
それにしても早々と、冴えたコメントを頂きありがとうございました。
実に驚きです。
私などは怠け者にて、遅寝遅起きと老人らしからぬ日常で、家内に叱られています。夜分が一番落ち着き、何故か古いパソコンもスムースに動きます。
頭の方は固くて、スムースでないのが残念ですが、こうして十数年前の旅を
思い出し、懐かしみながら、投稿させて頂きました。
(2009年の旅行記はこれで漸く二件目です)
最近、日本もお城の一角をホテル(すごく贅沢、高い宿泊費)にしているのをTVでみました。倉敷も大阪単身時代の頃に、家内の来阪の際に足を延ばしました。美術館や美観地区巡りで訪れ、取引のあったクラボーさんの<倉敷紡績創業の旧工場で、改修されたホテル、つまり「工場ホテル」>もその頃すでにありました。でも「工場ホテル」はオアシが無くて、断念しました(-_-;)。
思えば、退職後のドイツ感傷旅行の方が、田舎周りだった所為か、オアシにやさしい古城ホテルが多かったようです(笑)。
城主さまは代々の伯爵、当時70歳で、元軍人らしい姿勢の良い方でした。
親切で、日本人にも優しく接して頂いたのは今も嬉しい思い出です。
長い歴史を継続して守るという事は素晴らしいことで、もう日本ではそうした事を見るのも少なくなりました。さすがに古城を守っていく難しさを城主さまがつい愚痴っぽく口に出された事を今も記憶に残っています。
何年か後に近くを通り、写真と同じように高々とした古城を望みました。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
2025年03月07日16時43分 返信する -
Kartoffelkn旦del
最初のヨーロッパ旅行は50年以上前、当時のドイツは東西に分かれていましたが団体のバス旅行で東側にも行きました。ミュンヘンから南下しインスブルックまでの行程の中で昼食時に、場所は忘れましたが初めてカルトフェルクネーデルをいただきました。シンプルでしたが出汁が効いてとても美味しかった。様々なバリエーションをもち南西ドイツを中心の食文化圏で広まっている料理のようで、他でも何度か食べていますが最初の時の感動には適いませんでした。Re: Kartoffelkn旦del
クリスさん、
今日は。いつもありがとうございます。
50年以上前、当時のドイツのベルリンなどに旅行された様子、私が初めて東独に足を踏み入れたのは1977.6.8~6.9(1泊2日)、西ベルリンに先輩社員と出張した時ですから、ずっと遅かったですね。
二度目は1983.4.1~4.4(3泊4日)、東西ベルリン旅行に家族で行きました。
クネーデルについては、4Traのドイツ好きでもあまり食べられた体験をお見かけしておりませんし、写真で見る機会も殆どなくて、このようなセピア色の思い出話を書いてしまいました。
クリスさんにとっては、旅の中で食べたクネーデル、よほどクネーデルが印象に残ったようですね。いまだにそのような思い出がサッと浮かんでくる旅はきっと楽しく、充実したものであったように思われて、素晴らしいです。
それではまた。
jijidaruma2025年02月12日11時43分 返信する -
クネーデル
jijidarumaさん、こんにちは。
クネーデルにまつわるお話興味深く拝見しました。
昔々、学生時代にドイツに行ったときにこのクネーデルを初めて食し、
まあなんと洗練されていない料理なんだと、たかが学生風情なのに思ったものです。
しかし、ドイツでのジャガイモと生活の結びつきには、日本での豆腐みたいなものが
あるのかもしれませんね。いろいろな料理の写真で、また食べたいなと思ったのは
シュヴァインスブラーテンです。地味な田舎料理のようにも見えるし、ポークを見た目も美味しそうに料理したようにも見えて、私は好きです。
セピア色に変色してしまった写真は、パソコンに写真編集用のアプリが入っていれば簡単に修正できます。お孫さんに頼んでみてはいかがですか。
風邪をひかれた由。どうぞご自愛ください。ドイツは遠くなりましたが、私は今年は
9月に行こうと思っています。一人では危ないので娘と。
春も近付いて来ました。陽光に導かれて外出できる日が待ち遠しいですね。
RolleiguyRe: クネーデル
Rolleiguyさん、
今日は。いつもありがとうございます。
クネーデルはエルゼ夫人とともに強い印象の残る一品でしたから、私共のドイツ生活を彩る「セピア色の思い出の一章」に是非加えたく思っていました。
「学生時代にクネーデルを初めて食し、まあなんと洗練されていない料理なんだ」と大兄も思われた由、ドイツ人の生活にしっかり根付いてしまったクネーデルは確かにそのような印象でしたね。「日本の豆腐」と比喩されておられますが、言い得て妙なもので、料理としてはメインではなく、付け合わせ、添え物ですが存在感はあります。
さて、此処でご紹介したGoulashsuppeグーラッシュズッペ(パプリカ風味の肉入りシチュー)にクネーデルを添えた一品、Schweinsbraten mit Knödelnシュヴァインスブラーテン(豚肉のロースト)に付け合わせたクネーデル、 Schweinshaxe mit Kartoffelknödelバイエルン風シュバイネハクセ(ローストした豚のすね肉)にじゃがいも団子は、ドイツレストランでは定番ものですね。私も又食べたい料理です。
大兄、9月にはドイツにお出かけの由、実に羨ましいですね。旅行記が楽しみです。
我が家の最年長の孫娘が大学卒業にあたり、2月中旬に南ドイツにツアーで出かけると聞きました。初めての欧州で南ドイツを選んだのは嬉しく、ツイ、手元のユーロをお祝い(御餞別に)にあげました(笑)。
若者は良いですね。
アドバイス頂いた、セピア色に変色してしまった写真の編集用のアプリ、検討して見ます。ありがとうございました。
寒さはまだまだの様子、大兄もご自愛ください。
それではまた。
jijidaruma
2025年02月10日14時25分 返信する



