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jijidarumaさんへのコメント一覧(3ページ)全414件

jijidarumaさんの掲示板にコメントを書く

  • 初めまして

    初めてコメントいたします。
    しにあの旅人ともうします。妻と二人で掛け合い漫才の旅のブログをやっております。二人とも79才です。
    「一書に曰く」で始まり、「By妻」で終わるのが妻のパートです。
    長くて、文字ばっかりと、4トラで不評を買っておりますが、いっこうにめげる気配なく、書きたいことを書いております。
    10才の孫娘に8年後に読ませるつもりです。

    大網白里在住です。正法寺はまったく知りませんでした。
    早速地図で調べました。大網白里でも端っこで、東金との境目でした。自宅からは散歩に行けない距離で、まったくノーチェックでした。

    さっそく車で行ってきました。行きは緑が丘から。なるほど1カ所狭いところがあって、しかも大きなベンツが来てすれ違いに苦労しました。このベンツがまた下手。人のことは言えませんが。
    帰りは小西坂を上がって季美の森に行きましたが、急坂で車が何台も下りてきました。
    あまり車の便のいいところではありませんね。

    車はjijidarumaさんと同じところに駐めました。
    参拝者はやはり私たちだけ。
    建物は変わっていないようでした。
    墓地募集の看板もありましたが、。新しく墓地が作られている気配もなし。

    いいお寺だと思いますが、不便すぎます。唯一のアクセスは車ですが、道路がこうでは、新しく墓地を買う方も二の足を踏むでしょうね。
    お寺が葬式と墓地の管理だけではないのは充分承知していますが、ちょっと寂しい感じです。

    こんな山の中に学僧900人を擁したそうですが、いったい休みの日にはどこに遊びに行ったのだろうと、不謹慎なことを考えました。
    学僧は、年中無休で勉強するのですかね。

    緑が丘も季美の森もたかだかこの数十年の開発で、それ以前はタヌキもビックリの森だったはずです。
    現在の大網高校の近くに大網城というチンケなお城があったそうです。一応城下町(村)があったみたいですが、それだって、歩いて1時間はかかります。

    締めくくりの、

    ★三大檀林の締めくくりとなる「小西檀林」も其の歴史の興亡もすでに過去のものとなり、ひっそりと里山に隠れたように在った。★

    のお言葉その通りでした。
    2025年08月12日20時06分返信する 関連旅行記

    Re: 初めまして

    しにあの旅人さん、
    今晩は。
    本編にお立ち寄りとコメントを頂き、ありがとうございます。

    何やら、「小西檀林」がお目にとまったようで、ご地元とはいえ、早速現地探査にお出かけになった由、そのようなことはなかなか無いので、大変嬉しく、感謝しております。
    日蓮さんの生まれた千葉ですから、学僧たちのレベルは高かったようで、3つの檀林が千葉にあるというのも誇るべきことなのでしょう。

    実は、しにあの旅人さんが投稿された「堀辰雄シリーズ」3編を以前拝読させて頂いておりますので、完全に「初めまして」ではないのですよ(笑)。
    当時、その内容に凄いなと感じたものでしたが、私の方は恥ずかしながら、口コミだけで「軽井沢と言えば、堀 辰雄の「風立ちぬ、いざ生きめやも」でしょう。」の1編を投稿しただけです。

    前述の3編とは、少々異なった可笑しみのある最近の投稿・「勝手にフェスティバル」4編も、良いですね。いずれもじっくり、楽しく拝読できました。
    同じような場所を訪れても、私にはこうした軽妙さのある文章はとても書けません。

    79歳どうしの奥様との「二人で掛け合い漫才の旅のブログ」、さらに「一書に曰く」で始まり、「By妻」で終わるのが奥様のパートだとか・・・奥様のパートが入るのを拝読するのは初めてで、たいへん新鮮、コメントもなかなかのものです。
    我が家は3歳上になる1943年(昭和18年)生まれの夫婦で、家内の方が4ヶ月年長!です。私が古びたパソコンを駆使し?!パソコンの調子の良い真夜中に4Tra活動しております。書いたものは各々印刷して家内のチェックが入ります。昼間はその影響で、うつらうつらし、ソファーで昼寝することに。このご返事もそんな次第でもうすぐ1時半です(苦笑)。

    【長くて、文字ばっかりと、4トラで不評を買っておりますが、いっこうにめげる気配なく、書きたいことを書いております。】
    ・・・とあるのは、実にご尤もで私もそうありたいと思っております。
    とりわけ、お孫さんに読んで頂く為に書いていることも、素晴らしいです。
    私も我が家の歴史(母や大叔父のことなど)などを纏めて、大学時代の友人が主宰する同人誌に載せてもらい、孫たちに同人誌として残していますが、さて興味を持ってくれると良いのですが。

    私共は東京の西の果て、青梅から縁あって、千葉県人になりました。しにあの旅人さんご夫妻も似たようなご様子ですね。
    千葉県は小旅行をするには、このような檀林、成田山、空港、侠客、城址、酒処、古墳、桜や藤、紫陽花、銀杏など、訪れる場所に困りません。
    最近は巨木巡りなどもやっています。

    コロナや欧州も戦時体制の所為で、海外旅行もご無沙汰し、国内も夫婦そろって、何となく人混みや並ぶのが苦手になり、このところ、東京も世田谷の長女一家の行事に出かけるくらいになっています。

    そろそろ2時になりますので、この辺で失礼します。
    それではまた。
    jijidaruma
    2025年08月13日02時04分 返信する
  • 郷土愛

     jijidarumaさん こんにちは

     たくさんの写真、資料、詳しいお話はとても魅力的でした。郷土を語るには当然
    こうなるとは(笑)予測しておりました。読み終わって一冊の本を読破した気分です。
     津雲邸の宮大工の技、デザイン、どれも見事だと想像します。保存されてしかるべきですね。青梅市には津雲邸のような文化財があること自体立派です。そして保存に力を入れていることは称賛すべきです。建築のみならず庭園も見るべきものがありますね。
     ひな祭りのお雛さまの数々、どれも貴重な文化財、観賞できて幸せですね。

     呑龍様のお話、興味深く拝読いたしました。というのは故郷館林から近い所の太田市にその呑龍様があるからです。正式には大光院と呼び、子供のころから呑竜様と親しんでいました。小学2年生?のころには学校の遠足で太田呑竜さまに出かけたほどです。思いだすのは持って行った柿が渋柿だったこと、それを飼われている猿に投げたところ渋柿だったので怒って投げ返してきた、と言って家族を笑わせたこと、しかしそれは受け狙いの嘘だったことなど、ああ、それから当時でも珍しい乞食の家族が寺にいたことなど印象に残っております。お陰で懐かしい思い出が浮かんできました。
     機会があったら青梅をたずねたいですね。
      pedaru
    2025年07月13日13時49分返信する 関連旅行記

    Re: 郷土愛

    pedaruさん、
    今晩は。早々のコメントありがとうございました。

    郷土愛!その故郷も遠くなりました。5月に家内の母の17回忌で、本編の中で出て来た寿香寺に行ってきました。久し振りにおくたま路(かんぽの宿は予約できず)に一泊して、隣町の老人ホームの姉を見舞い、運転が怖くなった高速を使用せず、国道をテケテケ走って帰りました。

    青梅の町は訪ねる度に元気が無くなりましたが、私共はいまだに新聞、TVで青梅で事件が起これば、或いは大雨、地震などがあれば、いつも気になってしまいます。この町は身近に自然と文化財がある環境にあり、結構なものです。
    若い頃はそうした価値に鈍感でしたね。
    故郷故郷と何気に書きだすと、恥ずかしながら、幼少期から青年期までの思い出があれこれと思い浮かんできました。
    ほんとは、青梅に住みたかったのですよ。

    呑竜さん!偉い呑竜さんは私共にも大変身近な存在でした。
    本編に恥ずかしくて、書きませんでしたが、実は・・・
    ある日、近所の悪ガキたちと一緒になって、延命寺内のお墓で遊んでいて、自分で墓石に登り、降りる際にうまく足が着かずに南無三!!!エイッと手を放して飛び降り、そのまま転げ落ちました。
    墓石の角に頭を打ち付けたのでしょう。頭に傷を負いました。頭に包帯を巻いた不機嫌そうな顔で集合写真(小1の遠足)に写っています。
    呑竜さんのお怒り!!に触れたのかもしれません。以来、片頭痛もちとなりました。その祟りは長く、本来持っていた私の良き頭脳!も落ちてしまったのです。一浪も親泣かせの留年もその祟りの所為でしょう(笑)。
    今は幸い呑竜さんのお怒りもとけたようで、片頭痛もちはどこかに消えて、健康そのものになりました。
    ・・・・

    青梅の美味い道味の最中や火打ちやの酒まんじゅうは、まだま味も落ちずに売れています。
    もし、青梅をお訪ねの際はご購入を!^^。

    いつもながらありがとうございます。
    それではまた。
    jijidaruma
    2025年07月14日01時38分 返信する
  • 魅力的な街ですね

    jijidarumaさん、こんにちは。
    昔のご旅行で今も強く印象に残っている街なのでしょうね。
    お城のある街というのは格別ですね。
    特に、最後の白黒の古い写真はいいですね。私は昔古本屋で手に入れた1920年代くらいの白黒写真によるドイツ各地の紹介本が気に入っています。カラーでは味わえない、昔の空気を感じるような写真(エッチングも)が好きです。
    9月にドイツにも3泊するので、白黒で撮影してみようかと思っています。
    Vellbergのような美しい小さな街が他にもいくつもあるのでしょうね。どこに行っても
    その街の魅力があり、飽きませんね。私もかなりの歳になって来たので、今回が
    最後になる可能性もありますが、今のところ健康なので体力維持に努めます。
    猛暑で外出する気にもなれませんが、どうぞご自愛くださいますよう。
    Rolleiguy
    2025年07月07日17時25分返信する 関連旅行記

    Re: 魅力的な街ですね

    Rolleiguyさん、
    今晩は。いつもお立ち寄りありがとうございます。

    連日の猛暑続きで、御疲れの事でしょう。私は外出も買物ぐらいです。
    私は暑い昼間は除湿を利かせた部屋のソファーで、TVの映画を見ながら、居眠りをする毎日です。さすがに夜の暑さは、扇風機の風では熟睡が無理のようです。マーこの時期は無理をしないのが一番でしょう。

    さて、Vellberg、たった一度の訪問でしたが、記憶に残った町でした。
    古城、木組みの家のある城塞都市が切り立った崖の台地に築城されているのは、ドイツでは珍しいものではありませんが、何故か良い印象が残りました。
    ほんとにドイツの田舎町は魅力的ですね。

    欧州も暑いようで、行程の策定にご苦労されておられるかと思います。
    とはいえ、9月ももう直ぐ、今からいろいろと事前資料を作るのも暑さを忘れる楽しい作業になっていることでしょうね。
    久しぶりの旅、きっと充実した旅になるのでしょう。実に羨ましいものです。
    お帰り後の旅行記を楽しみに待っております。
    良い旅を!

    それではまた。
    jijidaruma
    2025年07月07日19時30分 返信する
  • 天城越え

     jijidarumaさん おはようございます。

     昨日はじっくり読むだけにして、今朝コメントを書いています。
     jijidarumaさんはロマンチストですねぇ。何十年前かの友人との旅行をブログにして思い出を蘇らせました。これは私と同年代だけに懐かしくて涙が出そうです。
     私も同級生と16歳だったと思いますが、裏磐梯に出かけました。友は昨年他界しましたが、私にとって青春の宝ともいうべき出来事でした。

     伊豆の踊子の冒頭、道がつづら折りになって、雨脚が私を追ってきた。というのは
    大好きな一節です。伊豆の踊子の物語通り歩いたなんてやはり青春のかけがえのない思い出ですね。
     当時の舗装されてない道を行くお二人、セピア色の写真がいい味を出していますね。フィルム写真のころは多くて36枚撮りでしたから、大事にシャッターを切りました。今のように景色だけという写真は少なかったですね。

     4トラベルでも珍しい旅行記です。私も真似して‥と思いますが、几帳面でないから
    記録も皆無だし、その代わり記憶は?これも群馬県人らしくさっぱりと忘れ、旅行記を書ける条件は意欲だけですから、だめですねー。

     pedaru
    2025年07月02日05時25分返信する 関連旅行記

    RE: 天城越え

    pedaruさん、
    今晩は。お立ち寄りとコメント、いつもありがとうございます。

    62年前の旅日記、意外に時間がかかりました。写真が少ないのはご指摘の通りで、フィルム写真を大事に撮っていますね。しかも人物が主体。
    アルバムも写真をしっかりのり付けて貼ってしまったので、剥がせず、アルバムの頁をそのまま、スキャンしました。一部デジカメで古い写真を取り直して載せてみたり、参考写真や2020年の後輩に招待された別荘招待時の写真も付け加えるなど、苦心して40枚の定例の旅日記を作りました。
    確かにこのようなものは珍しい旅日記ですが、青春の一頁ですので、ご容赦ください。ちょっと時間を頂いて、大島の旅を投稿する予定です(笑)、

    大兄は同年齢とあって、似たようなエピソードをお持ちだろうと思いました。
    投稿してから、3度ほど追記・編集しました。このような事は私としても大変珍しいのですが、セピア色の青春は大事にしたかったのでしょう。
    じっくりお読み頂いた事はとても嬉しいものです。

    一高生であった私(川端康成)が涙もろく、感受性豊かな表現には今も途中途中を読みながら、ある意味で彼は羨ましいと思いました。
    冒頭の一節も、何時までも頭に残る一節ですね。

    コメントありがとうございました。

    それではまた。
    jijidaruma

    2025年07月02日19時55分 返信する
  • 県内に育つ巨木

     jijidarumaさん こんにちは
     
     樹齢1000年とは驚きました。旅行にも、遊びにも行かず、いえ行けず、
    じっと同じところにたたずみ、夏の暑さ、冬の寒さに耐え、歴史を見てきた椎の木
     自分がこの木だったらどうでしょう、幸せでしょうか?
     長生きしたい、人との付き合いに疲れた人、孤高の生涯を貫き通したい人、
    こんな人には千年の寿命はありがたいですね。
     自分がこの木になれなくても、千年の命には自然と尊敬の念が湧いてきます。
     同じ生物でありながら朝生まれて晩には命を終わる虫もいれば、千年、いやこのさきも命を長らえていく植物、ですが、人間に生まれてほんとうに良かったと思えますね。
     個人宅でありながら快く開放してくださるご主人、植物だけでなく、宮大工の建てた見事な家屋を見学出来て、幸運ですね。千葉県にこのようなところがあることを
    ご紹介くださり感謝しております。

     pedaru
    2025年06月22日15時22分返信する 関連旅行記

    Re: 県内に育つ巨木

    pedaruさん、
    今日は。お立ち寄りとコメント、いつもありがとうございます。

    千葉県人ながら、千葉を知らない元都民です。
    大方の人達が多分そのような自分史をお持ちでしょう。

    さて、いつもながら、違った視点をお示しいただき深謝です。
    巨木・安久山の大スダジイ(シイの木)の立場になって思う事は恥ずかしながら、私共は無かったです。
    唯々、見上げる巨木、板根状(その名の通り板状に発達した根のこと)となった根回りの凄さに生命力を感じて、その存在に神聖を感じ、畏怖したという事でしょうか。

    人間は欲深くできている所為か、いつまでも長生きを欲し、健康を維持しようと、或る意味で、涙ぐましい努力をしているようです。

    実は昨日、千葉の巨木について書き留めたものを、95歳になる中学時代の恩師(私共二人の)に写真入りで送りました。時々、書き留めたものに、ご機嫌伺いとして、千葉の落花生や羊羹など地場産を添えるのです。
    40頁のファイルを読み込んだ恩師は昼過ぎに早速、電話してきました。
    やはり巨木の神秘性、その存在の神聖さを感じたそうで、巨木の生命力に長寿を得てきた恩師でも羨ましさを感じたとの事でした。
    度々恩師とは健康談義をするのですが、先日、御一人で住んでいるご自宅の庭で、石に躓いて、転倒し、顔面を撃ってしまって、顔面は腫れて、青黒くなってしまったと、自分でも体力の衰えを感じたとおっしゃっていました。

    5月に家内の母の17回忌を済ませ、(義妹も教え子なので)その時の様子の写真もお見せしたので、気丈な恩師も、そう言えば来年は御主人の17回忌だと、それまで頑張らねばと、少々気弱の面を見せていました。

    思いつくままに書いてしまいました。謝謝!
    来週は雨模様、慈雨ですね。巨木も嬉しいことでしょう。

    それではまた。
    jijidaruma
    2025年06月22日19時31分 返信する
  • 英国統治下の香港

    jijidarumaさま、おはようございます。


    当時の香港の事情、更に10年前たる1980年代の香港の衛生状態は頗る悪く、止めるように注意していたにも拘らず、屋台で購入した物を食して胃腸カタルに罹患して帰国時に苦しげな体調での搭乗を余儀無くさせられたツアー客の姿を今でも覚えております。

    啓徳空港、飛行機が本当にスレスレの建築物を掠める様に離発着する空港で、パイロットも心得ている為か、着陸時にドスンと機材を着ける独特な着陸方法で、あんな降り方をするのは、旧石垣空港ぐらいなものだったと思います。

    あれから40年以上が経過し、思いもよらぬ香港の現状に想いをはせております。


    横浜臨海公園
    2025年06月16日05時10分返信する 関連旅行記

    Re: 英国統治下の香港

    横浜臨海公園さん、
    今日は。いつもありがとうございます。

    香港を語るうえで、ツイ!当時の啓徳空港や衛生状態の悪さを書くことになりました。
    1980年代のエピソードもよく覚えておられますね。また、啓徳空港の事も体験者ならではのコメントです。

    アヘン戦争で香港を割譲した英国、以来数十年統治した割に(1841~1997年、一時的に日本軍が占領して軍政下においた:1941~45年を除く)、香港は中国的な部分と思われる非衛生、猥雑な環境が色濃く残っていましたね。
    英国人たちの生活はその上にたっていたもので、彼らはそうした環境を気にしていていなかったように思われます。インド統治もそうだったのでしょう。

    日本人の綺麗好き、日本の自然環境の良さもあって、香港に駐在する者は香港の怖さを忘れてしまう事があります。そのリスクを忘れて、受渡部長の男は郊外のレストランで飲食し、急性肝炎で倒れました。日本から前任者を急きょ呼び、業務にあたってもらいました。管理部門を統括していたので、一時は大変バタバタしたものでした。

    香港、マカオ返還は中国の悪癖を示したようです。返還で香港、マカオの魅力も薄れ、英国(ポルトガル)にとっても良い事は無いし、そして肝心の中国自身も香港では失政をくりかえしていますね。

    猛暑続きとか!ご自愛ください。
    それではまた。
    jijidaruma
    2025年06月16日17時53分 返信する
  • 最後は質問になっていまいましたが・・

    おはようございます。
    ベネディクトボイエルン修道院とバードテルツの旅行記拝見しました。この二つはミュンヘンへの途中近くを通っていますが時間的に訪問はかないませんでした。
    ベネディクトボイエルンについては同じベネディクト会のアルゴイにあるオットーボイレン修道院修道院を訪問しています。起源については共に8世紀創設、現在の建物についてはバロック、幾分ロココが入っているオットーボイレンの方が後発になるでしょうか?
    ヨハン・バプティスト・ツィンメルマンやヨハン・ヤコブ・ツァイラーといった画家がフレスコ画を手掛けております。ボイエルン、ボイレンはスペルではbeuernとなります。ともにバイエルンを代表するバロック様式の修道院です。
    ところで、昔気になってbeuernの語源は何か調べた記憶があります。バイエルンにはボイレン(バイエルもその派生?)のつく地名がいくつかありますよね。その時は定かなものがなくわからないままでした。貴兄はお判りになりますか?
    2025年05月30日09時18分返信する 関連旅行記

    Re: 最後は質問になっていまいましたが・・

    クリスさん、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    僧院(修道院)といった場所は日頃のお好みに合うからお訪ねになったと思っていました。ベネディクトボイレン、バードテルツ、テーゲルン湖といった所はミュンヘンからもあらためて近いな!と思いました。

    さて、
    ①BenediktbeuernベネディクトボイエルンとOttobeurenオットーボイレンのベネディクト会僧院(修道院)の起源は、前者が739年、後者が764年とあります。前者はカール大帝の仲介で入手したヌルシアの聖ベネディクトの右腕の聖遺物が保管されていることや、1803年の僧院(修道院)解体時に発見された“Carmina Burana”カルミナ・ブラーナ本が発見された事から思うと、歴史的な価値もあるように思います。(尚、私はオットーボイレンを訪ねていないのが残念!)

    ②Benediktbeuernベネディクトボイエルン、Ottobeurenオットーボイレンの地名ですが、-beuern, -beurenとスペルは違うようです。
    なぜ異なるのかは分かりませんが、古い言葉はそういったものでしょう。

    私と同じ頃にドイツ語圏に駐在されて、大変ドイツ語にご堪能であるRolleiguyさんの旅行記「オットーボイレン修道院とメミンゲンの街」を以前拝読した時に、
    『オットーボイレン修道院とメミンゲンの街』バイエルン州(ドイツ)の旅行記・ブログ by Rolleiguyさん【フォートラベル】 (4travel.jp)

    ・・・○○ボイレン(beuren)とはどういう意味かと調べてみたら、小さい家とか、集落、住居の集まりとかの意味らしいことが分かりました。祈りの生涯を送る修道士に相応しい名前だなと思いました。・・・

    と書かれた部分があり、この事を思い出して、また再読させて頂き、前述のように引用しました。

    その時、(クリスさんのように)私も自分なりに語彙の意味などを調べたことがあります。その抜粋を書き残していましたので以下に。
    ・・・
    *-beuern、-beuren、-beuron、-birn、(また低地ドイツ語の-büren、-bur(en)など)は場所や集落を称したもの。古高地ドイツ語のbur「小さな家」を意味する。
    中オランダ語のbur「住居」、農夫(鳥かご)の意味だそうです。
    ・・・

    この程度で、回答となるか分かりませんけど・・・。
    それではまた。
    jijidaruma

    2025年05月31日01時34分 返信する

    Re: 最後は質問になっていまいましたが・・

    早速にありがとうございました。これですっきりしました。ベネディクトボイエルンは選択肢の中にはありましたがルートの選択と優先度で漏れてしまった場所です。
    2025年05月31日07時45分 返信する
  • ドイツアルペン街道東ルート

     jijidarumaさん おはようございます。

     参考写真としてヴァルヒェン湖のパノラマ
     こういう写真は日本では見られませんね、これこそヨーロッパの山の景色です。
    これを見るためにだけ訪問しても価値がありますね。
     普通の景色でも、エキゾチックな建物が入ると、とたんにヨーロッパの風景になる、
    寺の甍の入った景色が日本独特の風景になるのと同じでしょう。
     それに長いベランダをもつ伝統的な木造民家、季節にはベランダが花で埋もれる、
    花を飾る余裕の生活ですね。
     写真の貯金が豊富なjijidarumaさん、新しいドイツ旅の旅行記がまだまだ続くようですね。楽しみにしています。

     pedaru
    2025年05月29日05時37分返信する 関連旅行記

    Re: ドイツアルペン街道東ルート

    pedaruさん、
    今日は。書き込み、いつもありがとうございます。

    当時、漸く手にしたデジカメでした。
    昔のフィルムカメラと同じようにツイ、大事に撮ることが身についていて、数も少なく、写真も上手く撮れなかった記憶があります😢。
    それはともかく、九十九折の山道は怖くて、慎重に運転しておりましたから、写真をしっかり撮っていないので、参考写真としてもっとも良い時期の写真を見つけて参考に供した次第です。実際、この日は曇り空が続き、残念でした。
    それにしてもドイツアルペン街道はドイツの美しい景観が詰まっていて、素晴らしかったですね。

    2008年の旅から既に長い時間が経ちました。夢の中で、旅日記の中でドイツを楽しむしかできない歳になってしまい、何とも残念!
    系統だって投稿するのは難しくなりました。本編も手元にある旅日記から抜粋しつつ改めて稿を書き出すと、イヤハヤ時間がかかりました。
    在庫はいくらでもあるのに・・・、さて自分の歳との競争です(´∀`)。

    それではまた。そちらにも立ち寄ります。
    jijidaruma
    2025年05月29日14時33分 返信する
  • 素晴らしい藤棚の数々

    jijidarumaさん

    藤といえば亀戸天神と馬鹿の一つ覚えの江戸っ子のわたしですが、激混みで行く気がなえるんですよね。その点、この千葉の藤は素晴らしい上に人混みもそんなにないみたいでいいですね。
    今年は忙しくて行けませんが、来年は計画してみようかしら。この旅行記をプリントアウトしていけば、旅行ガイドにぴったりですね。
    楽しみが増えました!

    Mより
    2025年05月03日06時50分返信する 関連旅行記

    Re: 素晴らしい藤棚の数々

    M-koku1さん、
    今日は。御元気そうで何よりです。
    日々ご多忙な様子、或る意味で生活に張りがあって良いものです。
    目標の無い私などは日々自堕落に過ぎてしまって、反省しています。

    連休後半になりましたね。高速道路の渋滞シーンもいつものように
    大変ですが、皆さん不思議と忍耐強くお出かけです。

    さて、古い話で恐縮ですが、1970年の大阪万博に高校時代の友人
    (在大阪)に誘われて出かけました。あまりの混雑に殆ど見ないで
    2人ともギブアップした記憶があります。
    あれから55年、更に歳をとり、気が短くなり、長い行列、混雑は
    最初から敬遠しています。だから、最近の小旅行は千葉優先!
    意外に良い場所があり、巨木や花で気分転換をしています。
    花は春の季節、桜も藤も身近が一番ですね。
    そういえば、話に聞く亀戸天神の藤を見たことが無いのですよ。
    お互い住む場所を交換すれば、銚子(その昔選挙のアルバイトで
    1ヶ月も住みました)の藤も、亀戸の藤も気軽に見れますね(笑)。

    コメントありがとうございました。
    それではまた。
    jijidaruma
    2025年05月03日17時51分 返信する

    Re: 素晴らしい藤棚の数々

    jijidarumaさんの旅行記に刺激されて、おととい突然昼過ぎにあしかがフラワーパークに行ってきました。それはそれは藤がきれいでした。
    昼過ぎに松戸で拾ってもらって車で行ったのに、やはり渋滞ぎみでしたが。
    それでも花が美しく、それ以上に香りがよくって、とてもリラックスできました。園内は混んでいましたが、亀戸天神とは大違いで、人酔いすることもなく、のんびりできました。2200円の入場料もおしくはなかったです。近況報告でした。

    Mより
    2025年05月05日14時29分 返信する

    Re: 素晴らしい藤棚の数々

    M-koku1さん、
    今晩は。再度のコメント恐縮です。

    思いたったら、あしかがフラワーパークですか!
    やはりお若いこと!!満開の藤の香が香り立つようです。
    世評も高いこの地は気になっていますが、サッと車で走り出せません。
    昔々、館林のツツジを見に行ったことがありますが、栃木、群馬の
    地は未踏の場所が多いですね。

    Mさんの旅行記を楽しみに待って、行った気になりましょう。
    近況報告、ありがとうございました。

    それではまた。
    jijidaruma
    2025年05月05日19時39分 返信する
  • 三春

     jijidarumaさん おはようございます。

     三春といえば桜と三春駒でしょうか、私は若年の頃から東北地方に関心があり
    各地の郷土玩具などを集めていました。
    そのなかで三春駒といわれる馬の置物、いえ,きっと子供の玩具としてつくられたものだと思いますが、気に入っておりました。馬は生活に身近な生き物で、とくに南部地方を初めとしてたくさんの地方で飼われていたようですね。
     関心のある割にはまだ三春地方へは行っておりませんので、東北地方好きとは言うのをはばかれます。

     セピア色というよりむしろピンク色に変色した古写真、そこには若者のスリムな姿が見受けられます。わざわざ出かけられたようですが、旅好きはこの頃からの習性?ですかね。私も最初に旅行したのが15歳の時、会津地方への友と二人旅でした。
     あのころの感動は今よりずっと、新鮮で、忘れがたく、終生の思い出です。その時の友は一昨年他界しましたが。
     
     jijidarumaさんの三春は花に囲まれ、桃源郷のようですね。良い思い出となっているかと思われます。

     pedaru
    2025年04月22日06時10分返信する 関連旅行記

    Re: 三春

    pedaruさん、
    今日は。いつもありがとうございます。

    確かに桜と日本三大駒の「三春駒」が知られていますが、
    駒の方を書き忘れていたから、少々片手落ちでしたね。

    実は留守番の子供の土産に白駒を購入してまして、今も
    様々な各地の土産と共に飾り戸棚の中に置かれています。
    お蔭でこの事を思い出しました。
    白駒は「老後安泰・長寿のお守り」、黒駒は「子宝・安産
    ・子育てのお守り」として作られるそうですが、本来ならば
    長女が生まれたばかり、黒駒を買うべきでしたが、自分の
    老後安泰・長寿の白駒を買ってしまったようです(笑)。

    因みに八幡駒(青森県八戸市)、木下駒(宮城県仙台市)、
    三春駒(福島県三春町)が日本三大駒だそうですが、
    当時、三春駒しか知りませんでしたね。

    貧乏教師の息子でしたから、家族旅行をした記憶がありません。
    高3の夏に高校野球(神宮球場2回戦対成蹊高)に負け、野球部
    仲間3人+2人で白馬岳に登り、帰途は会津・猪苗代湖などを
    廻った旅が初めてだった記憶があります。
    pedaruさんは15歳で友人と会津の旅に出たとの事、私はそれに
    出遅れた旅になりますが、翌春の大学受験も忘れて、楽しい旅に
    なりましたね。
    予定通り?私中堅手と仲間一塁手A君の二人は1浪し、翌年同じ
    大学の法、理工に入りました。
    吃驚したのはもう一人の仲間右翼手B君は現役で北大工学部に
    合格した事でした。
    (野球部の同期は5人で現役は1人、1浪が3人、2浪が1人・・
    一番優秀だった仲間二塁手が2浪したのは意外でしたが。
    ついでに言うと、私以外は全て理工系です。創部120年の歴史
    を持つ野球部でこれほど理工系が多い期は他に無いのですよ。
    同期ながら、そんな資質を見せていなかったから不思議です。
    幸い同期5人は健在です)

    それではまた。
    jijidaruma
    2025年04月22日15時12分 返信する

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎ82歳になりましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2026.02.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2026年を迎えている。

(2026.02.11.)

行ってみたい場所

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