隠居人はせじぃさんのクチコミ(19ページ)全907件
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投稿日 2015年06月08日
総合評価:4.5
「さんだんへき」ではなく「さんだんべき」と読みます。連濁のためでしょうか。
白浜では見逃せない絶景かと思います。
エレベーターで三段壁洞窟を観光するとかなりの出費になりますが(@1300円)、それに見合う絶景であることは間違いありません。なお、かなりの場所でここの割引券を入手できます。
洞窟は専用のクチコミがありますので、ここでは崖の上からの眺望のみを取り上げます。こちらは無料で散策できます。断崖の縁のところには「いのちの電話」の看板もあります。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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広義には陸繋島全体、スポットとしては灯台周辺。夕日が素晴らしい
投稿日 2015年06月07日
総合評価:4.0
地理的には串本市街と砂州で結ばれた陸繋島全体を意味するようです。
狭義には、潮岬灯台の周辺の岬一帯をさすようですが、本州最南端はそれよりも南東方向にある「クレ崎」になります。
串本市街地から西に進むと、「潮岬東入口」、続いて「潮岬西入口」があります。紀伊大島を観光する場合は「東入口」、ダイレクトに灯台方面に向かうなら「西入口」がオススメですが、一周すれば同じことになります。
夕日を眺める絶景ポイントは、季節によって日没の方位が変わりますので、一箇所とは限りません。また、日没時にはすでに灯台は閉まっています。
私たちが訪れた時は、幸い、完璧な日没を眺めることができました。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
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投稿日 2015年06月06日
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投稿日 2015年06月05日
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投稿日 2015年06月04日
総合評価:3.5
串本町立の記念館で、目の前の海で遭難したエルトゥールル号の模型や乗員の遺品のほか、トルコ政府から寄贈された品々を展示していました。
その後2014年10月16日よりリニューアル休館となっていましたが、2015年6月3日にリニューアルオープン式典・内覧会が開かれ、6月4日より一般公開されたとのことです。
紀伊民報紙によると、改修事業費は6932万4千円で、地域振興基金4300万円を活用。改修事業費のうち、トイレ改修費は700万円で、県の補助が2分の1。
耐震補強のほか、内装・展示レイアウトの改修などを行い、1890年に同町の樫野埼沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が遭難した現場で遺品発掘調査団が引き揚げた遺品を展示するスペースを設けるとのことです。次回ここを訪れた時にはぜひ立ち寄ってみたいと思います。
- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.5
- リニューアル前の評価です
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投稿日 2015年06月04日
総合評価:3.5
1890年9月16日夜半に、沖合で遭難したオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号乗組員の慰霊のために昭和12年、トルコ政府によって建てられた碑だそうです。
毎年、6月3日(遭難した日ではなく昭和天皇行幸の日)に慰霊祭が行われているそうです。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年06月03日
総合評価:3.5
ムスタファ・ケマル・アタテュルクはオスマン帝国の将軍で、その後トルコ共和国の元帥、初代大統領になったトルコの英雄です。
トルコにはもともと姓が無く、1934年に創姓法が施行されて国民全員が姓を持つよう義務付けられた際に、ムスタファ・ケマルに対して大国民議会から贈られた姓でで、「父なるトルコ人」を意味しています。イスタンブルの空港や、トルコ最大のダム湖にもアタチュルクの名前がつけられています。
エルトゥールル号遭難事件の慰霊碑とともに建てられていますが、もともとは、新潟県柏崎市に存在した「柏崎トルコ文化村」にトルコ政府の寄贈で立てられたものだそうです。
ところがその文化村が経営に行き詰まり、柏崎市が引き取ったものの中越地震の影響で再閉鎖。像は倒壊の恐れがあるとして台座から外され倉庫に保管されたままになっていました。
その後、在日トルコ大使館の申し入れにより、日本財団の協力を得て、いったん東京・台場の「船の科学館」で修復作業が行われ、2010年(平成22年)6月にこの地に移設されたそうです。こうしてみると、まことに感慨深く、関係者の苦労が偲ばれるところであります。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年06月02日
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投稿日 2015年06月01日
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干潮の時に、途中まで行かれます。丘の上から見下ろすとまた格別。デジカメのパノラマモード必携。
投稿日 2015年05月31日
総合評価:4.5
ウィキペディアによれば、橋杭岩は、1500万年前の火成活動により、泥岩層の間に流紋岩が貫入、その後の差別侵食により柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残されたものだそうです。海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西一列におよそ850メートルにわたって連続してそそり立っていますが、海岸から見渡せるのは途中の弁天島まで。丘の上(例えば、串本ロイヤルホテル)からは全景を見下ろすことができます。
満潮時はそれぞれの「杭」が海水に取り巻かれますが、干潮時は途中まで徒歩で行くことができます。事前にその日の干潮満潮時刻を調べておくとよいでしょう。
あと、間近では横幅が長大になるため、デジカメのパノラマモードで撮影しないと、ごく一部の岩しか写りません。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:4.0
世田谷区若林で生まれ育った私には最も身近な神社であり、七五三のお参りに行ったこともありました。また幼稚園時代は、毎日境内の中を通っていました。
当時と比べると、石灯籠の位置が違うように見えましたが、はっきり覚えていません。
幼稚園時代は、社殿の北東裏のほうにも石段があって毎日上り下りしていましたが、現在は閉鎖され、上りきった場所に松下村塾のレプリカが建てられています。
松陰先生像は、私が幼稚園の頃はまだ存在せず、その後、いつの頃からから鳥居の左手に設置されました。松陰神社ご鎮座130周年(平成24年)の記念事業として平成25年に現在の像が建てられ、古い像は松下村塾レプリカの左手に移動されたようです。
私が生まれてから60年余りのあいだにもずいぶんと変化のあることに気づかされます。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年05月27日
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投稿日 2015年05月26日
総合評価:3.5
2015年3月に放送されたNHK歴史秘話ヒストリアによれば、井伊直弼は水戸浪士・森五六郎の銃弾で腰部から太腿にかけて銃創を負ったことが致命傷になり、反撃もできずに暗殺されたようです。また黒幕として徳川斉昭の名が挙がってるそうです。しかし、まだまだ謎が多い。
また近年の調査によれば、このお墓の地下には石室が無く、レーダー調査でも何も見つからなかったと聞いています。遺骨はどこかに消えてしまったのか、それとも、最初からここには埋葬されていなかったのか、ミステリアスなお墓です。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年05月25日
総合評価:4.0
世田谷線沿線の駅の中では、観光客の乗降が最も少ない駅ではないかと推測されますが(下車しても特に見るべき名所はありません)、若林で生まれ育った私にとってはたいへん懐かしい駅です。
かつては、「たまでん若林」という駅名で、ちゃんと改札がありました。
その後、すぐ東に環七が開通し、当初は、電車優先の普通の踏切でしたが、あまりにも渋滞がひどいため、その後、信号式踏切に変わりました。
駅東側の道路は、かつては世田谷代田から上馬方面まで伸びていましたが、環七開通により各所で寸断されています。
駅の北側には商店街があり、一般家庭に冷蔵庫が無かった時代には多くの買い物客で賑わったものです。- 旅行時期
- 2015年05月
- 施設の快適度:
- 3.5
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投稿日 2015年05月24日
総合評価:4.0
私が子どもの頃(栃若時代→柏鵬時代)は大相撲は大の人気スポーツでしたが、実際に国技館まで観戦に行ったことはありませんでした。
この神社にある土俵が唯一のホンモノであり、この上で父親と相撲をとったこともありました。息子の話によれば、その後、父親が息子を連れてここを訪れ相撲をとったことがあるそうです。父親はすでに他界していますが、いずれ私自身が、昨年生まれた孫を連れてここを訪れることがあるかもしれません。
なお、テレビで放送されている大相撲の土俵に比べると、ここの土俵はかなり小さく感じます。ネットで調べた限りでは、かつては作られた当初は直径13尺(3メートル94センチ)で、その後、大相撲の土俵は直径15尺(4メートル55センチ)に広げられたと聞いています。しかし、この神社の土俵がいつ頃作りかえられたのか、それとも13尺のままなのかについては確認することができませんでした。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 世田谷線宮の坂駅すぐ近く
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- なんと言っても土俵が魅力
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34階まであるのに11階までしか上れない。渋谷駅方面は今だけしか見られない眺望あり。
投稿日 2015年05月23日
総合評価:3.0
この場所にはかつて東急文化会館があり、小学校の頃から高校卒業まで、五島プラネタリウム、渋谷パンテオン(ロードショー)、東急名画座などに通ったものです。
その後、2003年に完全閉鎖され、解体、2012年にこの渋谷ヒカリエとして生まれ変わりました。
今回初めて訪れましたが、34階まであるはずなのに、一般人が上れるのは11階まで。それも、北~西~南方面の眺望を楽しむことしかできませんでした。
もっとも、いまの時期(2015年5月)であれば、東横線の旧渋谷駅の解体工事の様子が眺められます。渋谷駅周辺は大きく変貌を遂げているので、一度はカメラにおさめておいて損はないと思います。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 渋谷駅から2階通路を渡ってすぐ
- お買い得度:
- 3.0
- サービス:
- 3.0
- 品揃え:
- 3.0
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投稿日 2015年05月22日
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投稿日 2015年05月22日
総合評価:3.5
世田谷区若林で生まれ、育った私にとっては、生家からもっとも近いところにある大学でした。
当時(昭和三十年代)は、応援団の部員のように学ランを着たお兄さんたちばかりで、小学生の私には少し怖いという印象がありました。
また、当時は入口にも学生さんが立っていて、構内に勝手に入ることはできませんでした。
建物東側の道は、むかしはもっと狭くて、梅ヶ丘駅方向に急な坂がありました。いまはずいぶんと広く、明るくなっています。
駅伝や柔道で有名選手を輩出していますが、スポーツの伝統と精神は、昭和三十年代からずっと引き継がれているものと拝察します。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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豪徳寺、世田谷八幡宮の最寄り駅。昔懐かしい玉電にも乗れます。
投稿日 2015年05月21日
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投稿日 2015年05月20日
総合評価:3.5
(ここでは世田谷線の三軒茶屋駅のみを取り上げています)
世田谷区若林生まれの私にとっては、子どもの頃に二子玉川園に連れて行ってもらったり、中高時代に通学で利用するなど、懐かしい駅の1つであります。
渋谷発の玉電(たまでん)が運行していた頃は、渋谷方面からの路面電車は、三軒茶屋の三叉路で、ポイント切り替えにより、二子玉川園方面と下高井戸方面に分かれます。遠くからも見やすいように、下高井戸方面は行き先板が赤色になっていました。
かつては三叉路から入ってすぐのところに駅があったはずですが、キャロットタワー建設に伴いかなり西の方に移動しました。このため、次の西太子堂駅とはわずか300メートルしか離れていません。
この電車を利用して散策するには一日乗車券が割安です。交通系のカードを使う場合は、乗車時のみタッチします(それゆえ、二重徴収にならないよう、20分以内の再乗車の際には係員に申し出ないと使えません)。
きわめてローカルな電車ですが、乗客数は1日あたり平均5万5千人前後で安定しており、世田谷区民の大事な足になっているようです。- 旅行時期
- 2015年05月
- 施設の快適度:
- 3.5


















































































































