2024/02/13 - 2024/02/13
82位(同エリア388件中)
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記577冊
- クチコミ659件
- Q&A回答107件
- 1,019,458アクセス
- フォロワー107人
横芝光町の高台には千葉氏の一族が築城した坂田城跡があって、数十年前に植樹した梅が今は大きくなり、2003年から梅まつりが開催されるようになった。
実は以前千葉県の広報誌で知って、城跡で催される梅まつりに興味を持ち、2023年の2月18日(土)~3月5日(日)の梅まつり期間中の2月25日(土)に出かけたのだが、午後からのお出かけであった所為で、もうシャトルバス(土日祝日のみ)も無くなり、徒歩で高台に上る気分も無くて、諦めてしまった。
ドイツの旅でもそうだが、予定した事が上手くいかないと、何とか再訪の気分になる。
ともあれ、坂田城跡には2024年2月13日に再訪できた。
写真は坂田城跡の菜の花と紅梅
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
さて、千葉県の広報誌(県民だより)や新聞の記事に梅まつりの案内が出ていた。天気を見計らって、今年はまつりが始まる前に出かけた。2月13日(月)だったから、少々早い。
駐車場も気兼ねなく、見物人も少ないだろうと、2月17日~3月3日の梅まつり期間に先駆けて行った。
尚、付け足せば、観光局の案内では、2025年は2月22日(土曜日)から3月9日(日曜日)まで梅まつりだと言う。
参考写真は観光局からもらったもので坂田城跡の梅まつりの案内冊子千葉氏の一族が築城した坂田城址には梅林が良く似合う。 by jijidarumaさん坂田城跡 名所・史跡
-
【横芝光町にある坂田城跡(さかたじょうせき)と「天空の梅まつり」】
千葉県でも屈指の梅林が山武郡横芝光町にある。
最近流行りの「天空の梅まつり」と称して、観光客を呼んでいるが、少々盛りすぎの感がある。
参考写真は観光局からもらったもので坂田城跡の梅まつりの案内冊子 -
といっても、この写真の様な景観を知ると、何やら「天空・・・」とやらに期待も膨らんでくるものだ。
標高30m前後と云う高台にある「坂田城跡」は杉木立などの山林に覆われて、手前の坂田池から城址を望んでも何も見えない。
(現在の坂田池を含めた一帯は、総面積が約21ヘクタールと広い<ふれあい坂田池公園>と称している)
当時、坂田池の規模はもっと大きかったし、城の外堀の役割を果たしていたようだ。
参考写真:坂田城跡を坂田池側から望む景観・・・台地上にある城跡は防御的にも鉄壁の観がある。ふれあい坂田池公園 公園・植物園
-
ドイツ好きの私がこの姿を見ると、一寸大げさだが、ドイツのFestung要塞、例えばエルベ川沿いのザクセンのスイスにあった有名なザクセン王国の首都ドレスデンの守り・Festung Königsteinケーニッヒシュタイン大要塞(海抜361mの台上は広さ9.5ヘクタール)の姿を思い出す。
写真:2001.05.08.ザクセンのスイス:ザクセン王国の首都ドレスデンの守り・Festung Königsteinケーニッヒシュタイン大要塞(海抜361mの台上は広さ9.5ヘクタール)の姿 -
写真は2023年の2月18日(土)~3月5日(日)の梅まつり期間中の2月25日(土)に出かけたのだが、坂田池の様子を撮っただけ。
-
写真は2023年の2月18日(土)~3月5日(日)の梅まつり期間中の2月25日(土)に出かけたのだが、坂田池の様子を撮っただけ。
-
「坂田城跡梅林」は梅林の樹齢が約50年を超える巨木などその数1,000本と云われる。千葉県下最大級の梅林として知れわたっているそうだ。
因みに千葉県でも多いと思われる成田山公園の梅は360本だと云う。
(茨城県水戸市の偕楽園の梅林は凡そ3,000本と、さすがに多い)
写真は坂田城跡の梅まつり:坂田城跡に上る登り口の看板 -
さて、坂田池公園駐車場に車を入れて、徒歩で坂田城跡に上る登り口(上の写真のタテカンがあった)に行ってみると、梅まつりの準備で幟を立てていた町の方に言われた。
「この登り口の階段はきついですよ!今日なら「おもいやり駐車場」まで車で迂回した方が楽ですよ」とアドバイスを頂いた。
確かに見ると30mの高台まで一気に上がるような階段になっていた。アドバイスに素直に従って、坂田池公園駐車場に戻った。
写真は坂田城跡の梅まつり:坂田池公園傍の梅の古木に白い花がちょっぴり -
梅林おもいやり駐車場と称する場所まで、城郭の台地周辺をぐるりと車で周る。
=>坂田池公園駐車場=>坂田交差点=>寺方駐車場=>寺方交差点と左折を続け、梅林入口の登り口を上がって行く。
外城(とじょう:三郭)の大手口という台地の付け根に設けられた入口がある。私共はここから入って来た。
梅林おもいやり駐車場は20台の駐車が可能だが、この日は梅まつり前の火曜日だったので、私が3台目で、楽々の駐車でした。
写真は 城の北端に位置する曲輪である外城(とじょう)の坂田城跡梅林・・・梅林おもいやり駐車場と称する場所は梅林の向こう側に見える。 -
梅林おもいやり駐車場で駐車し、城の北端に位置する曲輪である外城(とじょう)の坂田城跡梅林から、紅白の梅や菜の花を見乍ら、
=>外城=>登城=>見台=>本丸までの曲輪を往復した。
凡そ片道1,500mを往復すると、日頃歩きなれていない私は汗をびっしょりかく運動になった。おもいやり駐車場で、上半身を裸になって、汗で濡れた下着を脱いでしまったくらいだ。
写真は坂田城跡の梅まつり:白梅は咲き出している -
<坂田城の俯瞰図(縄張り図)>
「坂田城」は千葉県山武郡横芝光町坂田付近にあり、現在は城跡となっている。
坂田池を望む長方形(東西250m、南北1,500m)の台地上に展開する城跡は、1,000を超える千葉県の中世城郭なかでも最大級の規模のものと云える。
城跡の広大な面積は約4万平方メートル(4ヘクタール)というもので、千葉の田園地域によく見られる舌状台地(ぜつじょうだいち: 台地 が平地 に臨む末端の部分で、舌のような形状で平地側に突き出した形)の上にある。
坂田城は最大級の城でありながら、遺構も良く残っていると云う。
歴史的には、14世紀中頃豪族千葉氏によって築城されたと伝えられている。
南東側に九十九里平野から太平洋を望み、北東側は栗山川を挟んで下総国(しもうさのくに)と境を接し、九十九里浜中央から酒々井(しすい)を経て下総国府(現市川市)へ至る道と、牛久(うしく)を経て常陸国府(現石岡市)へ至る道の分岐点にあり、築城当時付近は要衝の地であったと云われている。
参考写真は坂田城の縄張り図(様々な言い方があるが、想像しやすい図だ)・・・実に分かりやすい縄張り図で、左手(北)から右手に主城郭(南)が見られる。 -
「総州山室譜伝記(そうしゅうやまむろ ふでんき:江戸時代の宝暦6年(1756年)に書かれた山室家の興亡の歴史書」によると、坂田城はこの地方の領主だった千葉氏の重臣(三谷氏)の居城であったが、一族で争っていたため山室氏の客将であった井田氏に付け入られることとなり、弘治元年(1555年)、井田友胤(いだ ともたね)に急襲されて三谷氏は滅亡し、井田氏が城主になった。
弘治2年(1556年)に井田氏が城を修復し、豪族里見氏に属した安房正木氏の永禄年間における東下総侵攻に対抗した。しかし、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐の際は、北条氏に属した坂田城主井田胤徳は小田原城に入城していた。この為、坂田城の守備隊はわずかで、敵軍の攻城に抗すことかなわず無血開城した。北条氏が秀吉に降服し、小田原城は開城したので、坂田城も同時に廃城となった。
元坂田城主井田胤徳はツテを頼って、当時の佐倉藩主武田信吉(たけだ のぶよし:徳川家康の五男)に仕え、200石を知行して佐倉領の代官となった。
関ヶ原の戦いの後に信吉が水戸転封となるとこれに従い、信吉が亡くなって弟・徳川頼房が水戸藩主になると頼房に仕え、子孫は水戸藩士として続いた。
坂田城は支城として長倉城、小堤城(おんずみじょう)、浜手城を持っていた。横芝町小提字要害にある小堤城は康正元年(1455年)に千葉一族の原胤房(はら たねふさ)に追われた千葉胤賢(ちばたねかた)が当城で自刃し、千葉氏宗家が滅亡した場所とされている。
(Wiki抜粋・編集追記)
写真は坂田城跡の梅まつり:坂田城の沿革(歴史)や台地の形状を説明した看板 -
イチオシ
上の大手口、外城から入り、順次登城、見台、本丸に至る。
中世城郭である坂田城は本丸、見台、登城と外城までの曲輪(くるわ:城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域)が直線に並んだ「直線連郭式(れんかくしき)」と云われる形状になっていて、台形の先端は城門枡形(ますがた:四角形の空間をもった防衛構造)が設けられている<要害の地>である。
城址には独特の表現があるので、各曲輪(くるわ)を本丸から順に説明すると:
①無城(むじょう:本丸)
主郭にあたる曲輪で、城の先端部にある。東西80メートル、南北50メートルの方形で、城主の居住する御主殿が建っていた。東側の土塁が切れたところが入口で南側には搦手口(からめてぐち:城の裏手口)と思われる開口部がある。
②見台(みだい)
無城の東に接する曲輪で、東に対する見張り台であると共に馬出郭(うまだしくるわ:曲輪の出入り口の虎口(こぐち)の前に、土塁や堀でつくった防壁。馬出をつくると敵が攻めこみにくくなるし、城から打って出る時にも便利だ)として使われた。
③登城(とじょう:二郭)
主郭北側を守る比較的規模の大きい曲輪で、二郭と三郭の間の堀切(ほりきり:尾根をスパッと断ち切る堀のことで、尾根伝いに攻めてくる敵を足止めできる)や、土橋を渡る敵を攻撃するために東西両側に設けられた横矢掛かり(よこやがかり:敵を側面から攻撃する仕掛け)がある。
尚、登城曲輪内にある姫塚(円墳)は城主の姫が落城した際に自刃し、埋葬された場所という伝承がある。但し、城普請の際の安全を祈った地鎮の跡と思われる。
④外城(とじょう:三郭)
城の北端に位置する曲輪である。現在はこの一帯に梅林、野菜畑、梨畑がある。
⑤大手口
台地の付け根に設けられた入口で、城門枡形が設けられている。
写真は 坂田城跡の縄張り図は分かりやすい。 -
縄張図によれば、各曲輪は土塁、空堀、柵門(虎口)で守られていて、主要部分には櫓台(やぐらだい:防御や物見用)、帯廓(おびぐるわ:守備力をより強化するために帯状に造られる細長い曲輪)が置かれ、各曲輪間では二重土塁が築かれた。また、最も重要な登城から見台、本丸への道は二重土塁の間の堀底(ほりぞこ)道を大きく東へ迂回する技巧的な構造となっている。
・・・・・
写真は坂田城跡の梅まつり:白梅は咲き出している -
イチオシ
<外城(とじょう)>が「坂田城跡梅林」の中心でしょう。まだまだ満開は早いが、それなりに早い紅梅が咲き、黄色の菜の花に白い梅林と美しい景観がある。
城の北端に位置する曲輪には梅林、菜の花畑、ネギなどの野菜畑、そして思っても見なかった梨畑(梨工房城山みのり園)があった。
白加賀の名札が付いた白梅の古木があったが、銘木なのだろう。
枝垂れ桜ならぬ、枝垂れの梅もある。水仙が満開。
写真は坂田城跡の梅まつり:坂田城跡の菜の花と紅梅(左上) -
写真は坂田城跡の梅まつり:坂田城跡の菜の花と紅梅
-
写真は坂田城跡の梅まつり:坂田城跡の菜の花と紅梅
-
写真は坂田城跡の梅まつり:白梅
-
写真は坂田城跡の梅まつり:ちょっぴりの白梅
-
写真は白加賀の名札が付いた白梅の古木があったが、銘木なのだろう
-
イチオシ
写真は坂田城跡の梅まつり:枝垂れ桜ならぬ、枝垂れの梅もある。
-
写真は坂田城跡の梅まつり:水仙が満開
-
写真は坂田城跡の梅まつり:紅梅
-
写真は坂田城跡の梅まつり:白梅
-
<登城>には梅の古木が形よく並ぶ。まだ咲きだしには早い様子だ。
写真は坂田城跡の梅まつり:登城(とじょう)に梅の古木 -
ここには登城を示す看板がある。
奥に姫塚(円墳)が見えたが、城主の姫が落城した際に自刃し、埋葬された場所という伝承がある。
写真は坂田城跡の梅まつり:登城を示す看板 -
<見台(みだい:馬出郭)>もそれを示す看板がある。
本丸に比べるとやはり小さい区画だ。
写真は坂田城跡の梅まつり:見台(みだい:馬出郭)跡の看板。 -
写真は坂田城跡の梅まつり:土塁、空堀
-
<無城(むじょう:主郭)跡>は坂田城跡の本丸跡で杉木立の中にあり、ただ、そっけないほど無城(主郭)跡の看板が立っているだけでした。
東西80メートル、南北50メートルの方形と云うだけに広い。
写真は坂田城跡の梅まつり:無城(主郭)跡の看板 -
<坂田池公園への階段>は思っていた以上に急だった。
印西市の70代という奥さんが、この階段を丁度登って来た。年に何度か訪れるという。今日はいつもよりきつく感じたとおっしゃっていたが・・・。
御実家の両親を亡くなるまで看護し、先年、御主人を病気で亡くし、一人住まいだと云う彼女と、珍しいことに暫しの間、健康談義をした。
この「坂田城跡梅林」から、階段をすぐ下に降りれば、坂田池公園も近い。この公園はJR総武本線の横芝駅から北西に1.8km、徒歩で約25分の距離にある。
写真は坂田城跡の梅まつり:坂田池公園への階段 -
坂田池公園への階段まで行って、来た道を駐車場に向かって折り返した。
写真は坂田城跡の梅まつり:梨畑(梨工房城山みのり園 -
写真は坂田城跡の梅まつり:梨畑(梨工房城山みのり園
-
写真は坂田城跡の梅まつり:菜の花と紅梅
-
写真は坂田城跡の梅まつり:紅梅
-
写真は坂田城跡の梅まつり:紅梅
-
写真は坂田城跡の梅まつり:紅梅のアップ
-
写真は坂田城跡の梅まつり:梅林と菜の花
-
以下の写真はおまけ。
伊豆の下田まで行かなくても、河津桜も最近は各地で見られるようだ。
写真はイオンモールの駐車場傍の河津桜が満開で、思わず写真に撮った。 -
写真はイオンモールの駐車場傍の河津桜のアップ
-
イチオシ
写真は山茶花(さざんか)・・・昨夏の酷暑もあって、予想以上に元気に育った花びら。
・・・・・・・・・・・・・
久しぶりに日本の小旅行をした。
パソコンに向かうより、やはり歩いて汗をかくのは気持ちが良い。
(2024年2月29日:Wiki・HP参考、編集・追記)
*尚、2024年2月に投稿したものはどの部分が不適切なのか理由を明示されないまま削除された。幸い元投稿分は別途保存していたので、それを基に再投稿できた。
季節も梅、1年ぶりの再投稿である。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
日本の小旅行1
-
前の旅行記
成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ:台方の大宮と船形にある奥宮)を孫娘と初詣に訪れた。(2024年の初詣)
2024/01/02~
成田
-
次の旅行記
七十二候・菜虫化蝶(なむしちょうとなる):酒々井町の「甲子(きのえね)酒蔵・飯沼本家」を再訪す。
2024/03/17~
佐倉・四街道
-
懐かしの横浜:定年を前にかつて短い間横浜に住んだ事を思い、横浜港、人形の家などを見て回った。
2002/01/12~
横浜
-
埼玉の加須市は読めないが、童謡(運転手は君だ 車掌は僕だ)の作曲家下總皖一(しもおさかんいち)の出身地だ。
2022/11/29~
行田・羽生・加須
-
勝浦ビッグひな祭り:遠見岬(とみさき)神社、覚翁寺(かくおうじ)、墨名(とな)交差点の会場を巡った。
2023/03/03~
勝浦
-
勝浦からの帰途、立ち寄った笠森観音の観音堂を登るも、あまりの高さに途中で固まってしまった。
2023/03/03~
長南・睦沢
-
七十二候・桜始開(さくらはじめてひらく):公津(こうづ)の乙姫紅枝垂れ桜が咲く。
2023/03/20~
成田
-
七十二候・桜始開(さくらはじめてひらく):遅かりし山武(さんむ)の妙宣寺(みょうせんじ)の枝垂れ桜。
2023/03/27~
八街・富里
-
七十二候・桜始開(さくらはじめてひらく):またガッカリの山武・長光寺の枝垂れ桜、とんだことに多古町で妙光寺違...
2023/03/27~
八街・富里
-
七十二候・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす):多古町八田桜通りから、日本寺の桜、匝瑳市飯高の黄門桜を訪...
2023/04/03~
香取・佐原
-
七十二候・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす):鳥見(とみ)神社・三度見の桜と吉高の大桜を期待して訪れた...
2023/04/04~
鎌ヶ谷・印西・八千代
-
七十二候・鴻雁北(こうがんかえる):東庄町ふれあいセンターの芝桜を鯉のぼりと共に楽しむ。
2023/04/11~
香取・佐原
-
七十二候・葭始生(あしはじめてしょうず):DIC川村記念美術館の美しい庭園を歩く。
2023/04/20~
佐倉・四街道
-
七十二候・霜止出苗(しもやんでなえいずる):長らく忘れていた酒々井の「甲子酒蔵・飯沼本家」を訪れた。
2023/04/27~
佐倉・四街道
-
七十二候・霜止出苗(しもやんで なえいずる):富里市に「末廣農場(旧岩崎久彌三菱財閥3代目総帥の別邸)」があ...
2023/04/29~
八街・富里
-
七十二候・竹笋生(たけのこ しょうず):佐原の荘厳寺に合格御礼、小野川沿いの散策と山田の鰻を食す。
2023/05/16~
香取・佐原
-
七十二候・紅花栄(べにばな さかりなり):千葉県民でも一度も訪れたことが無い関宿城が千葉県の最北端にある。
2023/05/30~
野田・関宿
-
七十二候・麦秋至(むぎのとき いたる):村の鎮守の駒木野神社(青梅市駒木町)が改装されたと聞き、数十年ぶりに...
2023/05/30~
青梅
-
七十二候・蟷螂生(とうろう うまる):アジサイの名所「潮来・二本松寺のアジサイの杜」を訪ねた。
2023/06/07~
潮来
-
七十二候・蒙霧升降(ふかいきり まいおりる):志賀高原に残る伝説・大沼池の大蛇と黒姫の物語
2023/08/20~
湯田中渋温泉郷・志賀高原
-
七十二候・蒙霧升降(ふかいきり まいおりる):かつて華やかな時代もあった志賀高原歴史記念館(旧志賀高原ホテル...
2023/08/20~
湯田中渋温泉郷・志賀高原
-
七十二候・蒙霧升降(ふかいきり まいおりる):志賀高原で母の思い出につながる山母子(やまははこ)の花を見つけ...
2023/08/20~
湯田中渋温泉郷・志賀高原
-
七十二候・蒙霧升降(ふかいきり まいおりる):志賀高原の今(2023年)昔(1971年)には隔世(かくせい)...
2023/08/20~
湯田中渋温泉郷・志賀高原
-
七十二候・蒙霧升降(ふかいきり まいおりる):志賀高原の自然環境が育んだ偉大な銀メダリストと1998年長野オ...
2023/08/20~
湯田中渋温泉郷・志賀高原
-
成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ:台方の大宮と船形にある奥宮)を孫娘と初詣に訪れた。(2024年の初詣)
2024/01/02~
成田
-
横芝光町の高台に千葉氏が築城した坂田城跡があって、今は梅まつりの最中だ。
2024/02/13~
九十九里
-
七十二候・菜虫化蝶(なむしちょうとなる):酒々井町の「甲子(きのえね)酒蔵・飯沼本家」を再訪す。
2024/03/17~
佐倉・四街道
-
七十二候・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす):宗吾・甚兵衛そばを食べ、公津の乙姫紅枝垂れ桜を見る。
2024/03/31~
成田
-
七十二候・玄鳥至(つばめきたる):今年も無情な春、山武の長光寺・妙宣寺の枝垂れ桜の満開の姿にいつ会えるだろう...
2024/04/04~
八街・富里
-
二十四節気・清明(せいめい):古代の玉作(たまつくり)の遺跡にも大ぶりな山桜が咲く。
2024/04/08~
成田
-
二十四節気・芒種(ぼうしゅ):天下の副将軍・水戸光圀公ゆかりの「なんじゃもんじゃの木」とは何じゃ?
2024/06/17~
香取・佐原
-
二年前から訪れたかった茨城百景・行方市西蓮寺(なめがたしさいれんじ)の大銀杏にお目見えする。
2024/12/07~
鉾田・行方
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 日本の小旅行1
0
40