リラクマさんのクチコミ(22ページ)全6,091件
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投稿日 2022年10月15日
総合評価:4.0
竹田の岡藩は江戸時代初期に大野川に犬飼港を造り、参勤交代の時にも利用されたとのことです。竹田から陸路を進んできたお殿様は、船に乗る前には犬飼港近くの御茶屋で休憩をしたのでしょうね。犬飼の町には御茶屋に通じる道が造られ、その道に蒲鉾形をした蒲鉾石が道路の端に置かれたとのことです。商店街通りの南側にある豊後大野市犬飼支所の前から、北側に入る坂道を道なりに進んでいくと、蒲鉾石が続いていました。蒲鉾石は道を踏み外さない役目もあったでしょうが、穴を穿けて棒を立てて幕を張り、行列の姿が見えない様にしたそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年10月15日
総合評価:4.0
磨崖クルスは新しい覆い屋の中にありました。2021年(令和3年)に新築されたそうです。大きな石の真ん中ではなく、右寄りのところに磨崖クロスが彫られていました。直径63cmの円形の窪みがあり、その中に雲形台に乗った、高さ53cm、横38cmの千十字架が浮き彫りにされていました。16世紀後半の大友宗麟の時代のものだそうです。ここ野津町は豊後国の中でもキリスト教の布教拠点の1つだったそうで、14~15個の十字架が刻まれていたとのことです。いろいろな好条件に恵まれて、この1つだけが残ったのですね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年10月15日
総合評価:4.0
普現寺の参道の坂道を進んで行くと、頭上を覆うもみじの葉の間から木漏れ陽が漏れていました。鎌倉時代中期の創建とされ、現在地には1647年(正保4年)に再興されたそうです。境内には、約200本のもみじがあり、紅葉シーズンにはライトアップされ、多くの観光客が訪れるとのことです。訪れた5月はその反動の様に静かな無人の境内となっていました。その境内には高い台座の上に、象に乗った普賢菩薩坐像がありました。このお寺さんの創建の発端は、大友氏第2代当主・大友親秀の五男となる野津五郎頼宗が白象に乗った普賢菩薩の夢を見たからとされています。普現寺の寺号も普賢菩薩の読みからだそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年10月15日
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投稿日 2022年10月15日
総合評価:5.0
金明孟宗竹は、九重塔近くの丘の上にありました。個人のお宅の竹林だそうですから、いかにも敷地の中にお邪魔する感じになりました。孟宗竹の突然変異で緑色と黄色が混ざった模様のキンメイモウソウになるそうですが、現在、西日本の数ヶ所でしか確認されていないとのことですから、たいへん珍しいものを見たことになりますね。似ているようで似ていない模様で、同じ模様はないみたいです。自然は素晴らしい芸術家だと思います。人工物の九重塔とセットで訪れるのが良いと思いました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月15日
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投稿日 2022年10月15日
総合評価:5.0
虹澗橋は三重川に架かっていました。澗は「たに」とか「たにみず」と読むのだそうですね。正に、谷に懸かった、ほぼ半円の虹の様な美しい橋ということなのでしょう。横から見ると、元々の橋は太鼓橋というほど極端ではありませんが、上面も中央が膨らむアーチだった様です。近年の通行に供するため橋の袂部を嵩上げして平らにした様です。ここは臼杵藩内の主要街道筋ですが交通の難所だったところで、藩内の3人の豪商がお金を出し合い、1824年(文政7年)に架けられたとのことです。1988年(昭和63年)に国道502号線の新虹澗橋が出来てからも、2003年(平成15年)まで現役で使われていたそうですから驚きです。1999年(平成11年)に国指定の重要文化財となっています。右岸側の袂に石碑「虹澗橋記」がありました。埋まってしまっているため背が低く,字も読めませんでしたが、原文となるものが臼杵市歴史資料館にあるそうです。(訪れた時は見落としました)
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月14日
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投稿日 2022年10月14日
総合評価:3.0
大原公園は、豊後大野市三重町の町並みの北部台地に拡がる大原総合公園の中にありました。別名をつつじ公園というそうで、総合公園の1番南、台地の斜面につつじが植えられていました。訪れた時はつつじの開花は終わってしまっていて、後れ咲きが一輪、二輪といったところでした。ここは台地の端なので、三重町の町並みが一望でした。公園の最上部から少し階段を降りたツツジの中に、台形に張り出したコンクリート造りのものがありました。何かと思ったら、これは弓の射場でした。ここではツツジ射会が行なわれるとのことです。台地の端にある大原弓道場が開催するもので、ツツジの開花時にこの射場から遠的をするのだそうです。自然の中ですから爽快でしょうね。但し、大原弓道場は臨時?休館中でしたし、ツツジの手入れもされていない状態でしたから、ここ何年かはやっていないのだと思います。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年10月14日
総合評価:4.0
宇田姫社のご祭神は華ノ本という女性です。絶世の美女で、里の人々からは宇田姫と呼ばれていたのだそうです。穴森神社の岩窟に棲んでいた、祖母岳大明神の化身である大蛇の子を宿した女性です。生まれた子が緒方三郎惟栄の祖となる大神惟基だとか、もっと時代が遅く、三重太郎惟長、臼杵次郎惟隆、緒方三郎惟栄の3人の子をもうけたとも伝わっています。社殿の左にあるご神体の洞窟からはご神水が湧き出ていました。この洞窟は穴森神社の岩窟と繋がっているそうです。ご神水はパイプを通じて道路脇まで流されていて、自由に頂ける様になっていました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年10月14日
総合評価:4.0
宝生寺は、シーズンにはライトアップがされるほどの紅葉の名所として有名だとのことです。青葉の5月に訪れると、こちらには山門や塀がないので、駐車場の先に何の境界もなく、山間が緑に埋まった境内全体がどんと飛び出てきました。ここには約100本のもみじの木があるそうです。その境内には大きな池がありましたが、緑のおまけの様に水草で緑色に埋まっていました。池の畔を進むと、左手の傾斜地に石塔がいくつもありましたが、中に3段の台に乗った供羪塔(刻まれている文字は少し違いました)がありました。見掛けない文字は「やしなう」と読むそうなので、こういう風に書く供養塔もあるのかと納得しましたが、その左に「宝生寺石幢」と案内の立ったものがありました。市指定の文化財で、室町時代の作と推定されるそうです。総高は2.85mあり、笠、中台、幢身がみんな円形で、この地域の清川では珍しいそうです。龕部には六地蔵や十王、俗人像が刻まれているとのことです。(近寄れないので確認は出来ません)
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年10月14日
総合評価:3.0
中津無礼川を辿りましたが、これといった観光スポットもなく、単なる移動をしている気分になっていたところに、稲積水中鍾乳洞がありました。そんな状況からちょっと期待を大きくして入場しました。中は水没している洞と普通の洞があり、それぞれ奥行き200mくらいを往復するものでしたが、一般にイメージする鍾乳洞ではなく、深い洞窟を歩いた感じでした。ここは鍾乳洞のほか、昭和タイムトリップ「ロマン座」とか、芸能人の絵が多く展示されている開世美術館など、いろいろな施設がありました。民間の観光施設として楽しんだら良いところなのだ思いました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月14日
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投稿日 2022年10月14日
総合評価:3.5
白山渓谷はゲンジボタルが飛び交う清流の渓谷ということです。5月~6月がその盛りということですが、あくまでも夜にならなければ見られません。中流域にある稲積水中鍾乳洞を除くと、渓谷として昼間に通常の観光スポットとなるところはなく、白山川(中津無礼川と奥畑川の総称です)の渓流を眺めるだけに終わりました。川岸では阿蘇火山の噴火による溶結凝灰岩の柱状節理がちょっと見られるところもありましたが、スケールが小さく車を駐めて観光するようなところではありませんでした。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月14日
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投稿日 2022年10月14日
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投稿日 2022年10月14日
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投稿日 2022年10月14日
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投稿日 2022年10月14日
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投稿日 2022年10月14日
総合評価:4.0
緒方宮迫東石仏から約500mほど西に移動したところに緒方宮迫西石仏がありました。階段の上の覆い屋の中に、東の宮迫石仏と同じ様に、使った道具が関係しているのか、それ程精巧には彫られていない、同じ大きさの磨崖仏が3体並んでいました。真ん中は釈迦如来で過去を、右に現世の薬師如来、左に未来の阿弥陀如来だそうです。それぞれにご利益があるのだそうです。東の磨崖仏に比べて色が良く残っているなぁと思ったら、1934年(昭和9年)ころ、国の史跡指定に合わせて、塗り直したらしいです。制作年代は平安時代後期とみられるとのことです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0


























































