伊江島の戦いでの戦没者を祀っている。
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- 旅行時期:2024/01(約2年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
伊江島 クチコミ:10件
ニーバナ児童公園内に建立されている〝芳魂之塔〟。伊江島での戦闘に於ける伊江島守備隊と、その戦いに於ける住民の戦没者を祀る為に1951年4月20日に建立された。当時の沖縄群島知事平良辰雄氏の書による碑銘と、伊江島の三大歌人の一人である名嘉元浪村の〝ひねもすを とヾろ とヾろと 潮騒の 声をまくらに ここだくも 眠れる霊の 夢まどかならむ〟という歌が刻まれている。
長年に渡る風雨に晒され劣化したものを平成13(2001)年3月に境内の拡張並びに塔の建替えが行われ、また同時に塔に向かって右側には礎が併設された。この礎には村外での戦没者も刻銘されており、伊江島の〝戦没者慰霊碑〟として現在に至っている。
伊江島に於ける終戦とは昭和20(1945)年4月21日の米軍に於ける〝伊江島占領〟が宣言された日となっており、毎年4月21日に慰霊祭が行われていたが、昭和52(1977)年の33回忌を以って慰霊祭は終了し、翌年からは〝平和祈願祭〟と称し、遺族は勿論、県内を始めとする子供達も参列し、平和を考える式典として現在に至っている。
慰霊碑についてはいつも思うところがある。終戦後の混乱期に材料も乏しい中で作り上げられた〝粗末な慰霊碑〟、それが劣化を理由に建て替えられて立派な物が建立されることは良いのだが、観光名所として取り上げられるがために〝初代の碑〟の存在が蔑ろにされている残念な現実だ。〝芳魂之塔〟も例に漏れずwebで検索した限りでは〝初代の碑〟の映像が見つけられなかった。
沖縄平和記念公園の〝平和の礎〟を彷彿させるような立派な物が目の前に広がっている。それはそれで慰霊の気持ちには変わりはないのだが、70余年前に建立された初代の碑がどのような状況下で作られたものなのかを知らなければ、ただの慰霊碑としか見えなくなってしまうことに対する危惧は否めない。古き物にはそれなりの背景がある。それを残して欲しかった…と少し残念にも思った私であった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 伊江港から車で10分程度で到着できる。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には誰とも出会わなかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 塔の周りは石が貼られているが段差はある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 慰霊碑としてはかなり大規模な物のように見受けられた。
クチコミ投稿日:2024/03/17
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