戦火を潜り抜けた築95年のコンクリートの建物である。
- 5.0
- 旅行時期:2024/01(約1年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
伊江島 クチコミ:10件
伊江村中央公民館の敷地内にある公益質屋跡は、昭和4(1929)年12月に政府の融資を受けて設立されたものである。設立当時は世界大恐慌のため村の財政や村民の生活が苦しい時期であり、高利貸しの暴利に泣く村民に低利の融資を行うことで生活の安定を図ることを目的とした。公益質屋は大正元(1912)年に社会福祉事業の一環として設置された非営利的な金融機関であり、大正13(1924)年頃に全国に広がったとされている。
昭和20(1945)年4月16日からの六日戦争に於いて、学校陣地が置かれたこの界隈は米兵から〝血ぬられた丘〟と称される程の激戦が繰り広げられ、米軍上陸準備のために艦砲射撃を開始した3月28日以降2週間に渡り空と海から昼夜問わず爆撃が加えられ、村の建物は悉く焼き払われた。
その中で公益質屋は〝質物の管理・保存〟のために頑丈に作られており、砲撃を受けながらも辛うじて原型を留めることができた。しかし現在でも見られるように建物の内外には無数の弾痕や砲撃の痕が残されており、戦争の恐ろしさを後世に伝える存在として村の史跡に指定されるにあたり、建物内部の補強や壁面の保護などが外観を損なわないように施され、現在にその姿を伝えている。
伊江島戦跡の代表と言われるこの〝公益質屋跡〟は、伊江島を訪れたく思う理由のふたつ〝伊江島タッチュウ〟と共に私の中でずっとその〝価値〟を呈し続けていた。実際に見て、歩いてみてその存在感は期待通りの素晴らしい建造物だったと改めて思った。
ここは文章で書かれたからその価値がわかるレベルのものではない。見るだけで何かを感じられる場所である。戦跡に〝良い場所〟も〝悪い場所〟もないのだが、沖縄戦の生き字引を目の当たりにして心を動かされないものはいないだろうと確信した場所でもあった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 伊江港より車で10分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には誰にも出会わなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場はあまり良くはない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 砲爆撃の凄さが伺える。
クチコミ投稿日:2024/03/17
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