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jijidarumaさんのクチコミ(28ページ)全659件

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  • ローテンブルク:ライターレスマルクトと呼ばれるクリスマス市が開かれる広場

    投稿日 2017年04月17日

    マルクト広場 (ローテンブルク) ローテンブルク

    総合評価:4.5

    ≪ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)≫
    この旅のクリスマス市はWuerzburg、Ludwigsburg、Esslingen、Stuttgart、Rothenburg、Nuernberg、Frankfurtなどが大所ですが、Waldenburg、Schwaebisch Hall、Kirchberg an der Jagst、Creglingen、Forchheim、Volkach、Ochsenfurt、Iphofen、Wertheim、Miltenbergなど小さな町々も回りました。

    クリスマスマーケットの呼び名も様々で、ドイツの主な町で次のように分かれている。
    <Christkindlesmarkt> Nuernberg、Karlsruhe
    <Christkindlmarkt>  Regensburg、Muenchen
    <Weihnachtsmarkt>  Stuttgart、Bonn、Bremen、Koeln、Hamburg、Frankfurt
    <Reiterlesmarkt>   Rothenburg


    12月10日(木);小雨模様の寒い一日、5.5~7.5℃、
    Rothenburgのクリスマス市 ; 16:00~16:50

    Reiterlesmarktライターレスマルクトと呼ばれるクリスマス市です。この呼称があるとは知りませんでしたので、調べてみると、"Reiterle"の名はゲルマンの伝説に起源するらしい。Weihnachtsmannバイナハツマン(サンタクロース)と同じように、人々に幸福を運んでくると信じられていて、人々はその訪れを待ち、其の来訪を喜ぶのだと・・・。

    ライターレの訪れる間、町々の通りにその印をつけ、人々に公正と平和を与え、人々はその一年を静かに、反省をもって振り返ってみる。

    冬のローテンブルクはクリスマスの季節、その美しさを復活させる。市庁舎と聖ヤコブ教会の間で開かれるライターレスマルクトはこの地方で最も魅力のあるものと言われる。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • バンベルク:フレスコ画が美しい旧市庁舎には反逆者シュタウフェンベルク大佐の銘板がある。

    投稿日 2016年01月28日

    旧市庁舎 (バンベルク) バンベルク

    総合評価:4.5

    “北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅”  
    フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
    古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る:

    期間 : 2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅

    4月19日(日) 朝から大快晴。朝方の9.5℃~日中は20℃。 102km

    千年以上の歴史をもつこの古都バンベルクは、第二次世界大戦の戦災を免れたため、旧市街は中世そのままの姿を残していて、見どころも多い。
    この地は7つの丘で構成されて、“小ローマ”或いは“フランケンのローマ”とも呼ばれる。古くからドイツ人にとっては、夢の町であり、ロマンの町であったと云うが、魅力あふれた旧市街を訪ねるとこの言葉通りである。

    市の象徴的建造物である、フレスコ画も美しいAltes Rathaus旧市庁舎をまず見たいと歩く。旧市庁舎の辺りを先頭として、二股に分流したレグニッツ川が中州を作っていて、旧市庁舎が立っている橋の下を流れるレグニッツ川は雨の為か、濁って、水嵩もある。カヌー遊びの人が数人、濁流の中を器用に漕ぎながら遊んでいた。
    日曜日とあって、人出も多く、にぎやかな観光客も晴天とあってか、とても魅力的な市庁舎をバックに写真を撮っている。
    橋上からはKlein Venedig“小ヴェネチア”の一帯が美しい景色を見せている。

    そして、橋上にある旧市庁舎(通路に面した)の壁に銘板が填め込まれているのを見た。通行人や観光客はその銘板の意味を知らぬのか、気付かぬままに立ち去っていく。

    銘板には「Claus Philipp Maria Schenk Graf von Stauffenberg クラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク伯爵の行為を顕彰していた。
    :クラウス・シュタウフェンベルク伯爵 参謀本部付き大佐。彼は1944年7月20日の行為の故にドイツ人のレジスタンスのシンボルである」・・・と。:

    彼は第二次世界大戦中のドイツ陸軍大佐(1907年11月15日 ~1944年7月21日)で、ヒトラー暗殺未遂事件の実行者の一人でした。
    この事は大変印象的なことで、ドイツの旅行中にホテルで見るTVでも、再三にわたり、ナチス政権と第二次大戦の回顧番組をみた。
    中にはヒトラー暗殺・ワルキューレ作戦の失敗の原因を事細かに検証していく番組もあって、興味深いものであった。

    トム・クルーズ主演の米映画;ワルキューレ作戦Operation „Walkuere“が先ごろ、日本
    でも上映され、私共も見に行った。

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    5.0

  • ライン:バッハラッハの丘の中腹に見えるシュターレック城

    投稿日 2017年04月13日

    シュターレック城 ドイツ

    総合評価:4.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第4日:10月17日(月)・・・185km、曇り時々晴れ、8~15℃
    赤ワインの町Assmannshausenアスマンハウゼンの先にRuine Norigノーリッヒ城址のあるLorchロルヒがある。ここから対岸のNiederheimbachニーダーハイムバッハにAutofaehreフェリーで渡った(13:00、Euro5.6=722円、領収書の内容は車1台と運転手Euro4.3+同乗者1名Euro1.3とあった)。この時間になると、まだ風は冷たいが、晴れてきて車ごと乗せてライン川を横切っていくのは面白いし、両岸を結ぶ橋を探して渡るよりも大いに時間の短縮になる。

    ライン川の左岸(B9)はラインラント・プファルツ州になる。
    ニーダーハイムバッハからバッハラッハは5kmと近い。13:18にバッハラッハに着いた。川岸に作られた駐車場に車を置く。(13:23~15:23 2時間Euro1=129円)。

    <Bacharachバッハラッハ(ラインラント・プファルツ州)>
    13:23~14:45

    この町で行程の三分の一を走った計算になる(通算距離は585kmになった)。
    バッハラッハは千年以上の歴史をもつ町で、木材やワインの販売そしてライン川を通る舟からの通行税によって、財政豊かな町であったという。
    Burg Stahleckシュターレック城が丘の中腹に見えるが、今日は天気も今一なのであそこまでは行かない。小雨が降ってきたが、小さな街中を散策した。
    人口は2000人、バッハラッハの街は木組みの家々が並び、散策するには手ごろなところで、見て楽しい街といえる。旧市街は市城壁に囲まれ、所々に門と塔が立っている。
    駐車場から入出したのはMarktturmマルクト塔、マルクト広場に近いことで、この名が付いたのだろう。マルクト広場に面し、通りの左手に目に付くホテル・レストランは1902年に再建され、華やかな回廊を持つAltkoelnischer Hofアルトケニッシャー・ホフである。ホフ前の通りの頭上にKranzクランツ(王冠と花で飾ったリース)が見える。ワイン祭りかの催しがあった名残なのか、クリスマス時期に飾るADVENTS KRANZアドベント・クランツにはまだ早いのだが。
    その先に特に赤茶色や緑で色彩豊かに縁取りされたAltes Hausアルテスハウス・レストラン(1389年築、1600年頃に改築)は素晴らしい。

    お茶の後もまた散策。カフェの先に見える、真っ赤なゼラニュームが似合う木組みの家はEhemalige kurpfaezische Muenzeミュンツェ(14世紀の中頃、プファルツ選帝侯のかつてのコインの鋳造所)の建物で今はレストランだが、こちらも閉まっていた。
    そのミュンツェの名の付く小川Muenzbachミュンツェバッハを行く。絵描きが好んだ横丁とかで、Rosenstrasseバラの通りの名前が付き、葡萄棚が色づき、Ziehbrunnen釣瓶井戸があり、木組みの家並みの上に葡萄畑やシュターレック城も見える。小雨も降る景観だったが、確かに好ましいのだ。

    <Burg Stahleckシュターレック城>
    バッハラッハの丘の中腹に見えるシュターレック城は2006年の旅で訪ねた。
    町から2.5kmの距離にある古城に車で上がり、ラインの眺望を楽しんだ。たいへん見栄えの良い城ですが、ホーエンシュタウフェン王家の居城で1135年に築城された。30年戦争の時に破壊され、一時は修復されたが、1689年にフランス軍に再び破壊されて、以降、廃墟となってしまう。
    現在は修復され、ユースホステルとして利用されている。
    テラスから見る、ラインの豊かな流れは一見の価値あるもの。

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.0

  • ツークシュピッツェ2962m・ドイツアルペンの最高峰に登る

    投稿日 2017年04月13日

    ツークシュピッツェ ガルミッシュ・パルテンキルヘン

    総合評価:5.0

    ≪ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊≫  
    アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る

    期間:2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅

    4.20(日) 大快晴 24.5℃、
    <Zugspitze ツークシュピッツェ2962m・ドイツアルペンの最高峰に登る>
    Garmisch-Partenkirchenガルミッシュ・パルテンキリヒェンの町に入る。
    登山鉄道駅は出発点であり、終着点でもある。海抜720mの駅のプラットフォームからも、天気が良いので目的のZugspitze 2962mが右手に、Alpspitze2628mが左手に、二つの真っ白な頂を見ることができた。(鉄道・ケーブル往復の一日乗車賃はEuro 69=11530円)

    一度、1982年8月11日に登りました。天気は晴れ、やや雲ありでした。面白いことにZugspitzeの高さは2966mと記録されています。あれから26年で4mも低くなった計算ですが。  そして電車賃も半額の5000円でした。

    9:45発・登山鉄道に乗車する。途中のGrainauグライナウまでは電車も普通の走りで、山裾を縫うように走る。右手に広々と平原が開け、所々に冬場の飼料小屋?が建っている。遠くに見える山はKramer山1982m。その裾野に小さな町々の赤い屋根の家並みが見える。
    Grainauでアプト式の電車に乗り換える。海抜973mにEibseeアイプ湖があり、そこの駅からさらにお客さんが乗ってきて、満席になってきた。
    Zugspitzeツークシュピッツェ周辺はいまだ冬のようで、乗り込む人たちもスキー客、スケートボード客であり、電車の外面にはスキーの杖を上手くはさんで運ぶ装置があり、さすがなもの。Eibseeから急斜面になり、もう雪景色の中を電車は登っていく。Grosser Waxenstein2278mの岩山を横目に見て、Riffelriss波上の起伏の裂け目1680mでトンネルに入る。山塊をくりぬいた長いトンネルで、途中の2050m付近で降りてきた電車とすれちがった。 Schneefernerhaus氷河駅(2645m)は終着点である。
    氷河駅には11:00に到着した。ちょうど75分をかけて登ってきたわけだ。

    さすがに寒い。氷河駅から外に出てみると真っ青な空があった。真っ白な氷河や雪原の先のスロープにはドイツで最も高い所に建っているチャペルがある。このチャペルはMaria Himmelfahrtマリア昇天という名前だそうだ。そこまではとても遠く、歩いて行けないが。雪原はスキーやスノーボートに興じる老若男女でにぎわい、26年前にはなかった、柱に白と青とで彩色したバイエルンの五月柱が雪原に高々と立っている。とてもいい感じだ!!レストラン前のテラスでは日光浴の人たちがのんびりしている。
    26年前にもこんな光景をみて、羨んだことを思い出した。

    さて、まだここは頂上ではない。まだ317mも上の頂がある。雪原より相当高い所にケーブルが張られて、高所恐怖症の私にはロープウエイは見るからにこわい。ここまで来て、帰るわけにもいかず、Gipfelseilbahn氷河ロープウエイで頂上に向かう。11:30発のゴンドラに乗りこむと、あっという間に人々でいっぱいになる。中にはシェパードの大型犬を連れた人もいた。Zugspitze2962m・ドイツ最高峰には11:35にあっという間に?!到着です。ずっと近づく展望台駅のみを見て、できるだけ下を見ないで乗っていたが---。

    展望台駅にはレストランなどもあって、日本人観光客のツアー団体が食事をしていた。この旅でお目にかかる初めての日本人だ。夏のシーズンには登山・ハイキングのお客をはじめ、世界各国や日本からの観光客も多いようでだ。そこかしこに各国の言葉と共に日本語の文字がある。電光表示板に外の温度が表示されていたが、ここはマイナス4℃だ。
    展望台に出てみると雪も積り、滑りやすい。雪を頂く四方の山々の眺めは絶景である。ここから160km先まで見えるという。
    頂上はドイツ・オーストリアの国境になっている。26年前は旅の記念にと、わざわざこの国境を、パスポートを提示して行き来したものだが。国境事務所には人影もなく、今は自由なのだ。面白いことにオーストリア国ではなく、Land Tirolチロル州の看板であり、かたやドイツ連邦ではなく、Freistaat Bayernバイエルン自由州であることだ。

    アイプ湖を真下にのぞくと、左右に広がった湖の色が神秘的な青さを見せていた。展望台から少しはずれた高台に金色の十字架が雪の中に立っている。ここが実際の2962m頂上だ。夏場にはここまで行けるのだろうが、今はまだ冬!なのだ。
    Eibseeseilbahnアイプ湖ロープウエイに乗ってこの展望台から、まっすぐ下のアイプ湖まで、降りることもできる。26年前は帰路にこれを利用した。2962mから973mまでを一気に下りていくのもなかなかのものだが、今回は遠慮?し、12:05 発の氷河ロープウエイを使って氷河駅に戻った。
    レストラン”Sonn Alpin”はセルフサービスが基本で、好きなものを選んで、最後に精算するスタイルだ。昼食時のレストランは混雑していたが---。

    <昼食:氷河駅Schneefernerhausのレストラン”Sonn Alpin・アルプスの太陽”で。>
    バイエルンの山小屋風のレストランは立派な木造つくりである。奥まった所に場所を見つけ、お盆にのせた “Gulaschsuppeグーラッシュズッペ”(パプリカ風味の肉入りシチュー)を食べた。コーヒーと緑茶で。
    (12:20~12:45 Euro 17.9;山ではみな高い。)

    氷河駅を13:30発で下山する。終点の登山鉄道駅には14:45に到着した。
    まだ、日も高い。

    ・・・・・

    旅行時期
    2008年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    3.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5

  • コブレンツ:栄誉の砦は不敗である。

    投稿日 2017年04月09日

    エーレンブライトシュタイン城塞 コブレンツ

    総合評価:4.5

    2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    05.15(月)  ほぼ晴れ 午後になっても、20℃前後。

    ライン川の右岸城巡りは“Rheingauer-Riesling-Route”ラインガウ・リースリング・ルート“と称されている。

    ラーンエック城(1240年マインツ選帝候が築城)、->7km 大きく迂回して走り、14:50、昨日行ったコブレンツの対岸に位置している、今日のドライブの最終地である、Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞(栄誉の砦)に上がる。

    ≪Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞(栄誉の砦)≫
    10世紀から、戦略上、重要な要塞として存在していたそうで、1688年のルイ14世率いる、
    フランス軍の大軍が要塞を攻めたが、遂に落ちなかったと云う。
    116mの丘の上は、19世紀のプロイセンによって、更に広大な要塞が形作られている。
    要塞には濠、厚い壁の城壁、州の博物館、ユースホステル、第一・二次大戦の戦死者の顕彰碑--現在でも外地で戦死した兵士を悼んで顕彰されているそうである。--などや、ライン川に面して、テラスレストランも設けられてある。

    要塞からの見晴らしは、モーゼル・ライン川の合流の様子(Deutsches Eckeドイチェス・エッケ)などが手にとるように見えて、素晴らしいものだ。

    フランス人夫婦にドイチェス・エッケをバックにした写真を頼まれたが、上手く撮れたかな?!お礼に彼も我々を撮ってくれました。(~15:30、Euro2.2)

    本日、眺めた城・城址は【13】を数えた。15:30、要塞山頂を降りる。

    XXX

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.5

  • ライン:ドイツ中世の城郭を最もよく残したMarksburgマルクスブルグ城

    投稿日 2017年04月09日

    マルクスブルク城 ドイツ

    総合評価:5.0

    2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    05.15(月)  ほぼ晴れ 午後になっても、20℃前後。

    今日はライン川の右岸城巡りを予定している。B9の対岸である、B42に沿ったコブレンツまでの“ライン川下り”です。
    このルートも名前が付いており、ドイツ最強の白ワインとして名高い、ワインの産地である、“Rheingauer-Riesling-Route”ラインガウ・リースリング・ルート“と称されている。
    Braubachブラゥバッハの町には、12:54に到着する。

    ≪Marksburgマルクスブルグ城≫
    マルクスブルグ城がブラゥバッハの町の後背地の山上(川面から150m)に、クリーム色した高い塔を中心にして、堂々たる姿で立っている。

    城への狭い坂道を、対向車が無い事を祈りながら登ると、中腹に駐車場がある。(Euro1.5)       
    ここから更に階段を登っていくと、Zugbruecke、Fuchstor、Schartentorと城門が出て来る。門内で入場券を買い、次のガイドツアーを待つ。
    この城は1231年に完成し、その後の歴史の激しい波に洗われたにも拘らず、現存する中世の城の中で、最も完全な姿を残している。現在はドイツ古城協会の本部になっていて、世界遺産を示す白と青の旗が城壁から翻っている。

    ガイドツアーが13:15に始まり、集まった30人ほどの観光客を城内に導く。
    ①騎乗のままで走り登る階段、
    ②大砲の展示、
    ③ワイン倉--この時代、1日1人あたり、2.5Lを飲んだそうだ。
    ④台所、
    ⑤貴婦人の間--子供の揺り籠、糸紬、ベッド。
    ⑥騎士の間--城主の生活空間。
    ⑦教会、
    ⑧兵器庫--12の兵士の立像が並びローマ時代からこの中世に至る甲冑を着た兵士の変遷を展示している。その他槍、弓などの武器も一緒。
    ⑨Bergfried天守閣--40mの高さの“Butterfasstuermeバターを造る桶“の形の塔。1400年、塔の上部はネコの肘伯が付け加えたと言う。
    ⑩拷問の部屋--恐ろしい拷問の器具、刑罰の道具などが置かれている。その昔は馬が数頭飼育された場所だという。---等々。

    この城でも面白い事に、中世のトイレの場所が公開されていて、モーゼルのエルツ城を思い出す。50分のツアーは城好きにとって、とても興味深く、中世の雰囲気が伝わってくる城である。(~14:30、Euro9)

    XXX

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    5.0

  • グラーツ:岩盤をくりぬいたリフトで、シュロスベルク( 城山)に上る

    投稿日 2017年04月09日

    シュロスベルク グラーツ

    総合評価:4.0

    ≪南ドイツとオーストリア周遊の旅≫
    ( 2004年4月21日-5月4日:2週間)

    ≪ドイツ・バイエルン国王ルードヴィッヒ2世と 
    オーストリア皇妃 エリザベートを巡る旅≫

    4月24日(土)朝は小雨、曇り後晴、時々シャワー 

      
    オーストリアの道路事情は思っていたよりもずっと良く整備されており、大変走りやすい道路でした。高速道路は有料です。1週間・EURO10のワッペンをキオスクで購入して、窓に貼っておきます。130km制限になっているものの、起伏やトンネルが多いだけに、又、中には延々と続く10kmもの長いトンネルもあって、平野部を走るようには中々いかないわけです。一度、警察がスピード違反を測定している所に出くわしました。

    Grazグラーツは22万人程の人口をもち、ウイーンに次ぐこの国第二の都市です。
    州都であり、大学都市とも言われ、俳優アーノルド・シュヴァルツェネッガーや指揮者のカール・ベームの出身地とのことだ。
    茶色の屋根の波が続いている町並みは大変きれいなもので、町中を流れるムーア川で新・旧市街が分かれています。
    旧市街にあるホテルにチェックインし、車もパークハウスに入れてもらい、早速、市内観光に出かける。ホテル近くの岩盤をくりぬいたリフトで、シュロスベルク 城山に上る。グラーツのシンボルである、時計塔をみて、市内の眺望を楽しむ。

    リフト傍のレストランで簡単な食事をすませ、町中の武器博物館をさがす。
    15世紀オスマントルコへの東の砦として、グラーツは重要な位置を占めていた為、この5階建ての建物一杯に、世界最大と言われる、武器が集められた。甲冑、槍、銃、刀が各階に一杯である。見事な彫り物がある銀製の甲冑など、私には大変興味深いものであったが、女性陣には面白みが無かったか?

    18時に仕掛け時計-----木彫りの民族衣装を着たカップルが鐘の音に合わせて、踊りだす15分間----の前に、ミュンヘン程の大きな仕掛けではないものの、100年も前からきちんと動いているから、ビックリです。 

    古城ホテル シュロスベルグ(城山)は旧市街にあり、4階建てのホテルは町の中心のシンボルである城山の真下に建っていて、目立つ青色の壁が特徴的です。殆どの観光地に歩いていけるという便利な所でした。部屋は2階と4階にわかれ、我々は4階の屋根裏部屋に。その割に快適で、浴室も明るく、中庭にあるレストラン---- “Wintergarten---冬の庭、若しくは温室の意で、レストランの場合は後者の意味”---も見られ、窓からは町中を流れるムーア川やその向こうの新市街地がきれいに眺望できました。
    唯、電車道に面している為に、駐車できず、パークハウスに一晩、車を入れる事になりました。

    XXX

    ドイツ・レンタカーの旅は楽しいですよ!その1(2001~2006年)
    http://4travel.jp/travelogue/11223859

    旅行時期
    2004年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ハンザ都市ヴィスマールは1648~1804年の長い間、スウェーデンの支配下にあった

    投稿日 2017年04月03日

    マルクト広場 (ヴィスマール) ヴィスマール

    総合評価:4.0

    2005年4月24日 (日) 快晴 294km 
    本日は一日を利用し、リューベックと1295年にハンザ同盟を結んだWismar、Rostock、Stralsundの北方三都市のうち、ヴィスマール、ロストクを訪ね、帰途Schwerinを経由して、リューベックに戻るというコースを計画した。


    リューベックから1時間で、世界遺産【2002年登録】の港町、ハンザ時代の面影を色濃く残す古都、Hansestadt Wismarハンザ都市ヴィスマールに到着する。

    修復中の80mの塔を持つマリエン教会前の駐車場に入れて、隣のゲオルゲ教会に。
    教会はドイツ文化財保護財団、連邦、州、市が7年前から修復中だが、メクレンブルグ・フォアポンメルン州の展示場があり、参観する。
    ビール(500年前には180もの醸造所がり、液体のパンと呼ばれるほどに重要な輸出品であった)や毛織物業で繁栄した町の歴史、教会の変遷、ハンザ商人の活動、毛皮などの職人の仕事場、Kogge;コッゲと呼ばれるハンザ時代の帆船の模型や、今も行っている教会内部の発掘現場を実際にみせていて、大変興味深い。  

    ドイツの何処の町も、マルクト広場を中心に旧市街を形成していて、分かり易いが、この町の中心もやはりマルクト広場である。
    市庁舎前の広場は100mx100mの正方形をしていて、それを囲んで北ドイツ独特のレンガ造りの建物が美しい色合いを見せて並んでいる。今はホテルやレストランになっており、Seestern---ヒトデの名---のレストランは魚料理が名物とか。

    Alter Schwedeと言う名のレストランは文字通りでは、“年寄りのスウェーデン人”だが、俗称では“親友”を意味するらしい。そう言えば、市庁舎に向き合うドイツ銀行ヴィスマール支店は旧スウェーデン軍司令部があった所で、この町は1648~1804年の長い間、スウェーデンの支配下にあったようです。
    Alter Schwedeの意味は年寄りのスウェーデン人、親友、さて、どちらなのでしょうか?!

    ・・・・・・

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • グムンデン:トラウン湖は芸術家達がこの地に足を留めたのも、無理からぬ美しい湖である。

    投稿日 2017年03月22日

    トラウン湖 グムンデン

    総合評価:4.5

    グムンデンはザルツカンマーグート地域で第二の湖であるトラウン湖---南北12km、最深部は200m---の北端にあり、岩塩の交易で栄えたケルト人の町として、古い歴史に登場するが、今はヨーゼフ皇帝の保養地としての方が有名である。
    先日、訪問したBad Ischlバート・イシュルはここから33kmの距離です。

    昔から芸術家が訪れて、シューベルトは1825年から2年間、ブラームスは1890年から6年もこの地に暮らしたそうです。 
    また、オーストリアの人々にも愛用されている、グムンデン焼きの陶器の生産地である。

    湖の周辺の高い山々はまだ一部に雪を残し、湖や湖畔の木々の青さとのコントラストは美しく、芸術家達がこの地に足を留めたのも、無理からぬものでしょう。

    ・・・・・

    ≪ドイツ・レンタカーの旅は楽しいですよ!その1≫

    http://4travel.jp/travelogue/11223859

    旅行時期
    2004年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ナポレオン皇帝陛下が座った場所でライン風ムッシェルン料理を食べよう!

    投稿日 2017年03月22日

    ツム シフヒェン デュッセルドルフ

    総合評価:4.5

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第14日:2016年10月27日(木)
    ≪昼食:“Zum Schiffchenツム・シッフェン”で≫

    ナポレオンも食事したという創業1628年の老舗レストランは11時半から真夜中の0時まで開業です。
    *1811年、ナポレオンの絶頂期に将軍たちと共にこのレストラン“ツム・シッフェン”を訪れ、ビールをガブ飲みしたのだとか。そんな皇帝陛下が座った場所は今もNapoleon-Eckeナポレオンコーナーとして残っている。フランス国旗の下がるこの場で食事をしたと伝えられ、特徴的なナポレオン帽の胸像がある。

    ドイツの郷土料理を味わってもらう為、日本からのお客さんを必ず一度はご案内した店だ。ここでライン風クラシックムッシェルン料理(Muschelnムール貝に白ワイン、玉葱が入っていて、塩味をきかせた味が美味い)Euro14.5、Zucchini Tomaten Risottoズッキーニ、トマトのリソットEuro9.5を二人で食べ、地ビールのアルトビアーを飲んだ。

    早かった所為か、レストランの特等席というべき皇帝ナポレオンのコーナーに座りましたが、時間が経ってもこのあたりには人が来ません。
    ひょっとしてナポレオンの事も知らないのではと思ったほどです。
    昔は何度も通いましたけど、この特等席に座れなかったのです。
    ・・・・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    5.0

  • 21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”:インマーマン通り

    投稿日 2017年03月11日

    インマーマン通り デュッセルドルフ

    総合評価:4.5

    2006.05/06(土) 快晴、 25℃
    21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”はやはりここインマーマン通りに
    立つとかつての事が思い出される。

    Immermannstrasseインマーマン通り33には、かつての我が社の8階建ての自社ビルがありました。その1階には写真の現像デポ、5階以上に都銀の駐在員事務所、中小の貿易商社の事務所などがテナントに入っていました。
    営業部門はルール工業地帯を背景に鉄鋼、機械、化学品が柱になっていました。デュッセルドルフ店はドイツ現地法人の本社組織でもあり、ハンブルグに支店をもち、こちらは繊維、食料、化学品を商っていました。
    ドイツにはフォークリフトの販売会社、電卓、電子楽器、時計などを扱う会社、繊維機械の販売会社があり、これらも統括する形になっていました。
    この通りにはホテル日航、領事館、都市銀行支店、レストランの日本館、三越、総合商社各社、商工会議所などの日本企業オフィスがあって、昼間の日本人の集中度は高く、文字通り“日本人通り”でした。

    この通りはHauptbahnhof中央駅に真直ぐ伸びる通りでしたので、大変便利な場所です。道の両脇にプラタナス(すずかけ)の並木が大きく育ち、立派になって、お隣り同士だった日本館、高木書店も繁盛していた。
    久し振りに見るかつての事務所の建物は、綺麗な茶色に塗られて、外壁も今風になっています。オーナーもテナントも名も知らぬ企業ばかりでしたが。
    バブル崩壊後の失われた10年と言っていますが、日本の金融不安を起因として、当地も商社、銀行等の撤退が相次ぎ、一頃の輝かしい企業活動はなりを潜めてしまった。

    さて今はどうなのでしょう?!
    インマーマン通りを歩く日本人達の顔色からは窺い知れません。

    2006年5月以来、デュッセルドルフ国際空港にはご無沙汰だったが、
    その後はANAの便が出来たこともあり、旅の行程上もあって、
    2013年から、この4年で4度もデュッセルドルフ国際空港を利用した。
    それでデュッセルドルフの町を見て回る事も多い。

    ・・・・・

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5

  • デュッセルドルフ:ライン川畔プロムナードには気分の良い眺めがある。

    投稿日 2017年02月22日

    ライン河畔プロムナード デュッセルドルフ

    総合評価:5.0

    ≪2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    目的地:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの4つの地域を中心に巡る。

    旅の行程上もあって、2013年から、この4年で4度もデュッセルドルフを訪れた。

    楽しいAltstadt旧市街(500m四方の狭い町)のRheinuferpromenadeライン川畔プロムナードにいつも必ず見に来る。
    ライン川には左からRheinkniebrueckeラインクニー橋、Oberkasseler Brueckeオーバーカッセラー橋、TH-Heuss Brueckeテオドーア・ホイス(初代西ドイツ大統領の名)橋と、三つの大きな橋が掛かる。

    その橋の下を相変わらず遊覧船や大きな、長い輸送船が河口に向けて、或いは上流に向けて、航行している。この辺りのライン川の川幅200~300Mで大きく蛇行している。
    この川岸から見る景色は変らず、遠くに172mのラインタワーが見える。ここからだと、かつて住んだOberkasselオーバーカッセルのKaiser-Friedrich-Ringカイザー・フリードリヒ・リングは遠くて見えない。訪れたい場所なのだが・・・。

    (注)第二次大戦におけるDie Bruecke von Remagenレマーゲン鉄橋の攻防は有名だが、デュッセルドルフでも1945 年 3 月 3 日にドイツ国防軍は連合軍(英米)のライン川渡河を阻止するため、オーバーカッセラー橋を爆破している。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • デュッセルドルフ国際空港は便利で機能的な空港である。

    投稿日 2017年02月22日

    デュッセルドルフ空港 (DUS) デュッセルドルフ

    総合評価:4.5

    ≪2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    目的地:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの4つの地域を中心に巡る。

    2006年5月05日以来、デュッセルドルフ国際空港にはご無沙汰だったが、旅の行程上もあって、2013年から、この4年で4度もデュッセルドルフ国際空港を利用した。
    かつて、大火災(1996年4月12日、工事中の溶接の火花が建物の建材に引火し有毒ガスが発生、17名が死亡し、88人が重軽傷という大惨事)がおきた空港だが、もうそんな様子は少しもない進化した空港になっている。

    また、2015年春からANAが成田<=>デュッセルドルフ間に就航した所為でもある。

    空港からはタクシーで凡そ10km・10分走るとデュッセルドルフの旧市街に至る。
    空港からはデュッセルドルフの中央駅にはS-Bahnで15分と近い。

    デュッセルドルフ空港は1階にスーパーのReweレーヴェがある。良くまとまった、機能的な空港だが、国際空港にしてはDuty Freeの店が少ない。
    (尚、店に気付かずに出国手続きしてしまっても、今一度入国・再出国が出来るので、戻って買物はできる)

    A77ゲートの搭乗口前に、昨年まであったカフェ・メーヴェンピックがなくなり、今はキオスクになっていた。

    旅行時期
    2016年10月
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    施設の充実度:
    4.0

  • ナチスに立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれたガーレン枢機卿の像が立つ

    投稿日 2017年01月17日

    大聖堂(St. Paulus-Dom) ミュンスター

    総合評価:4.5

    2016年ドイツの秋にライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅に出かけた。
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第10日目の10月23日(日)に新旧キリスト教徒の宗教戦争であった”三十年戦争”の講和条約締結地のMuensterミュンスターの町を一日観光した。
     Kiepenkerl Denkmalキーペンケアル(行商人)の銅像の方から横丁を通って、St. Paulus-Dom聖パウロ大聖堂に向かった。
     大聖堂はほぼ13世紀当時のままの姿で旧市街の中心に立ち、西に面して二つの尖塔(北が57.7m、南が55.5mと異なるのが不思議だが)が並び立ち、ファザードにステンドグラスの輪が見え、中にはバロック様式の大聖壇、聖歌隊席、Fuerstbischofs von Plettenbergプレッテンベルク侯爵司教の墓碑がある。
    聖堂の長さは109m、幅は53mと大きなものだ。
     
     聖パウロ大聖堂までやってくると、右手を挙げた、大きな僧の像が立っているのが目に付いた。昔々、この地を訪れた時は無かった像である。

     ナチス独裁に勇敢に立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれたClemens _Graf_von_Galenガーレン枢機卿(2005年に列福(聖人の次の位)された)の記念像・碑だそうだ。
     かつてヒトラー暗殺未遂事件に関与して刑死した「シュタウフェンベルク大佐」などについて書いてきたが、ナチスに立ち向かった宗教家については全く知ることも無く、この旅で初めて知った人物である。

    ≪Clemens August Kardinal Graf von Galen
    (16. Maerz 1878 in Dinklage,Oldenburger Muensterland; † 22. Maerz 1946 in Muenster, Westfalen)
    )クレメンス・フォン・ガーレン枢機卿の列福≫

     2005年10月9日ローマにおいて、ドイツ人クレメンス・アウグスト・フォン・ガーレン枢機卿が列福される。
     卿について教皇ヨハネ・パウロ2世は1987年5月6日に「神と人間の権利の擁護者として忘れることのできない人物」と評した。
     枢機卿はなかでも国家社会主主義(ナチス)のイデオロギーと体制に対する不屈の戦いで知られている。
    また死の文明が命の文明にとって変わろうとするこの現代においても持別の意味をもつ。
    と言うのは、枢機卿はあらゆる命が生きるに値するものだと深く確信していたからである。

    * *  *  *  *

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5

  • 城の守護精霊・小人のペーターの伝説が残るシュヴェリーン城

    投稿日 2016年09月30日

    シュヴェリーン城 シュヴェリーン

    総合評価:4.5

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)
    05月17日(土) 170km、晴れ、16.5℃、今日も天候に恵まれた。
    Guestrowギュストロー =>L?・B104・L? 64km Schwerinシュヴェリーン観光 

    シュヴェリーンは湖水地帯の広がるメクレンブルク・フォアポンメルン州の州都である。
    “Stadt der sieben Seen7つの湖の町”と称される古都シュヴェリーンは「北のフィレンツェ」、「大聖堂の街」、「居城都市」と様々な異名で呼ばれている。
    確かに絵葉書で見ると、シュヴェリーン湖に浮かぶ町のようだ。
    人口は95千人とドイツで最も小さな州都になる 。

    かつてこの地はスラヴの居留地があったと考えられ、その後ザクセン人に征服された。
    1160年にHeinrich III der Loeweハインリヒ獅子公(町の“創始者”とされている)から都市の自治権を与えられ、まもなく司教座がおかれた。
    中世から近代にかけて、メクレンブルク公領、メクレンブルク・シュヴェリーン公領の都であった。第二次大戦後、東独領になったが工業化が進められ、産業文化の中心となった。

    湖上に佇む華麗なシュヴェリーン城は“湖上の宝石”と称えられ、北ドイツ屈指の名城と云われている。この城はフランス・ロワール地方のシャンボール城を手本としたとされ、華麗な装飾の塔をもつ城である。無数の塔や丸屋根、翼棟を備えるロマンチックなメルヘン宮殿は橋のこちらから見る正面には何本もの塔が林立して見え、その姿はシャンボール城に良く似ている。
    そのシャンボールよりはシュヴェリーン城の内部は見るものが多い。城内博物館は653の部屋があり、其々の部屋は象嵌細工の床や豊かな彫刻、金箔貼り、化粧漆喰天井などで飾られた、豪奢な造りになっている。

    橋を渡った所に25haの広大なバロック庭園がある。北ドイツで最も美しいバロック庭園と称されている。1893年の作成だというメクレンブルグ大公フリードリヒ・フランツ2世の騎馬像が立つ。広い芝生庭園、並木道、東屋、花壇、植え込み、様々な石像彫刻および運河が交差し、バロック式の特徴をよく表現している。

    2005年4月の時は確か無なかったと思うが、シュヴェリーン湖を背景にして、絵画のような額付き写真を撮れるように木枠があった。
    なかなか良いアイデア−で観光客は皆、枠に納まって写真を撮っていた。

    シュヴェリーン城には小人のペーターという精霊が住んでいると云う。
    伝説話は以下に添付した。

    ≪伝説:シュヴェリーン城の守護精霊・小人のペーター≫
    http://4travel.jp/travelogue/10896308

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.0

  • ラウエンブルグ湖沼自然公園の湖に浮かぶ島にできた町は大聖堂を中心に出来た町である。

    投稿日 2016年09月17日

    大聖堂 (ラッツェブルク) ラッツェブルク

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    期間 : 2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    <エリカ街道>:塩の道
    4/25 (月) 快晴  197km

    *8℃と徐々に春めいた暖かさ。8:20リューベック・ホルステン門を出て、リューネ
    ブルグまで、B207を距離凡そ100kmあるSalzstrasseザルツストラッセ(塩の道)或いはエリカ街道と称される道を走る。

    Ratzeburgラッツェブルグに9:00到着。マルクト広場の駐車場に停めて、13世紀に建てられたDom大聖堂を訪ねる。この町は“Inselstadt島の町”の異名を持つように、ラウエンブルグ湖沼自然公園の中の湖に浮かんでいる島にできた町、大聖堂を中心に出来た町である。今は湖沼自然公園を背景にした保養地になっている。

    季節には早い所為か、Domに向かって歩く観光客もいない。朝日の中、どっしりとした聖堂はロマネスク様式のレンガ造り建築で、北ドイツ最古のものだが、ちょうど島の先端に立っている。早い時間で聖堂もクローズしていたので、周りを散策して戻る。

    犬と散歩途中のご夫人が、写真をお撮りしましょうと親切に声を掛けてくれた。Domと、ザクセン大公ハインリヒ獅子公のシンボルであるライオン像をバックにお願いする。

    旅行中は夫婦で一緒の写真を撮るチャンスが少なくなるので、大変嬉しい申し出だった。マルクト広場への帰り道に見た、道路沿いの庭に咲く大きな木蓮、群生している石楠花の花々も美しく、この町の豊かさを思った。

    ・・・・・
    ラッツェブルグを9:45に発つ。9km先のMoellenメルンに向かう。

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5

  • メクレンブルク湖水地帯の古城ホテル クリンク城 でお茶をした。

    投稿日 2016年09月08日

    シュロス クリンク その他の都市

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月16日(金) 229km、晴天、18.5℃、漸く暖かな5月の天候。
    (ここまで行程のおよそ半分で総走行距離は1,165kmになった。) 

    ≪Mecklenburgische Seenplatteメクレンブルク湖水地帯≫ 
    ドイツ北東部、ベルリンと北のバルト海の間に広がる大平野地帯の中間に無数の湖水や沼沢が点在し、森と水に恵まれた多くの保養地がある。
    メクレンブルク湖水地方の自然公園ではユニークな動植物が知られ、Mueritzミューリッツ湖・世界遺産(2011年)、Plauer Seeプラウ湖、Fleesenseeフレーゼン湖、狭いLuzinルージン湖、Koelpinseeケルピン湖、Tollenseseeトレンゼ湖等の大小の湖がある。(その総数は1000を数えると云う)

    *ミューリッツ湖畔のSchlosshotel Klink古城ホテル クリンク城でお茶にしたかったのだ。

    (お茶)Schlosshotel Klink古城ホテル クリンク城 
    ・Garten Edenエデンの園
    15:10~16:00 Euro15.3(2,023円)

    私は珍しくマンダリントルテ、家内はチョコレートトルテ、それにダージリンの紅茶。
    明るいレストランには3時という時間もあってか、滞在客・訪問客でいっぱいである。湖畔に面した古城ホテルは中々良い趣で、今夜の宿泊ホテルとつい比較した。

    ≪Schlosshotel Klink古城ホテル クリンク城≫
    D-17192 Klink (Mueritz) 、Schlossstrasse 6
    Tel.: 03991 7470 、Fax: 03991 747299
    http://www.schloss-klink.m-vp.de/willkommen/

    4星・全106室(Schloss本城内に30室、Orangerieオランジェリーの別棟に76室)。
    ミューリッツ湖畔にある古城ホテル。
    2014年の室料はDZ im Schloss=Euro95~150。Suite RoyalはEuro205~250でこの古城ホテルの一番高い、眺めの良い塔内にある。

    1898年、Arthur und Hedwig von Schnitzlerシュニッツラー家のアーサーとヘドヴィックはフランスのロワール古城群を参考にして、ネオ・ルネサンス風の城館を建設した。
    1971年にホテルを開業。
    1998年の7月初めより、ホテルは新時代に入り、輝きを取り戻した。

    ・・・・・

    旅行時期
    2014年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    2,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    4.0

  • 宝飾品の町として知られているプフォルツハイム宝飾品博物館

    投稿日 2016年08月29日

    プフォルツハイム宝飾美術館 その他の都市

    総合評価:4.5

    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”           
    黒い森・バーデンワイン街道・高−上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:
    期間 : 2007年4月19日(木)〜5月3日(木)15日間の旅

    4.21(土) 快晴 25℃ 、 161km

    黒い森の北部から、徐々に南下していくが、昨日とは逆にStuttgartからBaden-Baden方面に、東から西のライン川に向かって走っていく事になる。Ludwigsburgからは道も分かりやすく、―>B27/E81/8と56kmほどで、Pforzheimプフォルツハイムに辿り着く。

    ここのお目当ては宝飾品博物館である。宝飾品の町として知られているここには、5000年に及ぶ歴史を持った宝飾芸術の品々が展示されている。
    それらの2000点にのぼる品々は古代から、ルネッサンス、ユーゲントシュティール、現代に至るもので、それも世界中のあらゆる国を網羅していると云う。

    “宝石類でタコとチョウチョをかたどったブローチは1900年ベルリンの作品で奇抜なこと、紀元前2、3世紀ギリシャからは黄金で作られた蛇のブレスレット、17〜19世紀当地の時計業者が製作した金の懐中時計のコレクション類など”は、大変見応えのあるものばかりでした。

    (入場券を支払った時にお釣を返し忘れた小母さんがいたっけ!!  11:28〜12:28)

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.5

  • リューゲン島北部:古城ホテル ランツオウ城のレストラン でお茶をした。

    投稿日 2016年08月11日

    Hotel Schloss Ranzow リューゲン島

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月15日(木) 半周約96km、一日中晴れ、13℃と高いわけではないが日差しは暖か

    ラルスヴィーク城から26kmでLohmeローメに入る。ここにランツオウ城がある。
    ここには18ホールのゴルフ場があり、少し高台にある城から見ると、周辺にコースが作られていた。
    また、ここから世界自然遺産のNationalpark Jasmund国立公園ヤスムントも直ぐだ。

    ≪Hotel Schloss Ranzow古城ホテル ランツオウ城≫

    D‐18551 Lohme/Ruegen 、Schlossallee 1
    Telefon +49 (0)38302 - 88 91 0、Fax: +49 (0)38302 - 88 91 188
    http://www.hotel-schloss-ranzow.de/

    4星・全19室(Schlosszimmerは6室:Euro130)。ベルリン及びハンブルクから凡そ305kmの距離にあり、バルト海のTromper Wieckトロムパー湾に面し、ドイツ人に人気の高い海浜リゾート地のリューゲン島北部にある古城ホテルである。
    18Hのゴルフ場を併設している。庭先にはゴルフ客専用のクラブハウス・レストランが新しく建てられていた。

    ランツオウ城の歴史:
    ランツオウ城は1314年頃にここにあったらしい。
    1577年からFamilie von Lanckenランケン家の所有となり、19世紀末まで続いた。
    1900年、Paul von Boetticher パウル・ベッチヒャーが取得し、城館を建設したが、4年後には売ってしまい、その後は所有者が転々とします。
    1945年、第二次大戦後はソ連軍が基地として長く使用した。1991年にはソ連軍は撤退し、2001年には競売にもかけられている。
    2005年まで連邦政府が管理していた。
    2006年、城館・周辺の大改装を行い、18ホールを持つゴルフクラブと古城ホテルをオープンした。

    (お茶)
    Hotel Schloss Ranzow古城ホテル ランツオウ城のレストラン
    10:50~11:30 Euro6(793円)

    二人ともコーヒーを注文。まだ朝食中の男性・・ゴルフ客なのだろう・・がいたのはリゾート地らしい。

    日当たりの良いレストラン、小さい古城ホテルに泊まってみたくなった。

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2014年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    2,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    4.0

  • リューゲン島の中心・ラルスの入江に立つフランス風古城ホテル ラルスヴィーク城に2泊

    投稿日 2016年08月09日

    シュロースホテル ラルスヴィーク リューゲン島

    総合評価:4.0

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    05月14日(水)、05月15日(木)(2泊)
    ??Schlosshotel Ralswiek auf Ruegen古城ホテル ラルスヴィーク城

    D - 18528 Ralswiek/Ruegen 、Parkstr. 35
    Tel:49 (0)3838‐20 32-0  、Fax:49 (0) 3838‐20 32-222
    http://www.schlosshotel-ralswiek.de/

    4星・全62室。ホテルの予約システムで2泊Halbpension(朝夕の2食付宿泊)を予約した。
    DZ=Euro143X2=286(40,542円)、+夕食?3品Euro55+夕食?4品キャンドルディナーEuro74=129、宿泊・食事込の2泊合計はEuro415(飲物代は別)となる。

    Ralswiekラルスヴィーク(ラルスの入江の意味)の地はベルリン及びハンブルクから凡そ305kmの距離にあり、バルト海に面し、ドイツ人に人気の高い海浜リゾート地・リューゲン島南部にある古城ホテルである。

    303号室(5階)、“Schloss Kuecheお城の台所”と称する部屋は奥まった、静かな、広い部屋でした。
    城外から確かめると、本館左手の塔の傍の部屋でした。玄関・ロビーから部屋までは迷ってしまうほど、廊下を歩き、エレベーターに乗り、また廊下を歩いた。
    広い居間、落ち着く寝室、少し狭い浴室・トイレ、シュトゥッベンカンマーの白亜岩断崖の絵が架けられ、ガウン・スリッパの備えもあって、申し分がないものだった。

    美しい印象が残るロビー、シュロスレストラン、Grosser Jasmunder Bodden大ヤスムント汽水湖(きすいこ:海水と淡水が入り交じっている湖。たとえば日本の浜名湖、宍道湖などをさすが、リューゲン島一帯にはBoddenボーデンが多くみられる。)を眺望できる気持ちの良いパノラマテラス、立派なプールやサウナ、ビューティサロン、図書室・サロンと保養目的の長期滞在客にはありがたいものであろう。

    城の歴史:
    Hugo Sholto Oskar Georg Graf von Douglasフーゴ・ショルト・オスカー・ゲオルク・ダ
    グラス伯爵(1837〜1912年:ドイツの作家、1888年に伯爵を受任し、実業家であり、プロイセン王国の国会議員、枢密院顧問官を務めた。)が1891年にGut Ralswiek を手に入れ、1893〜96年にかけてラルスヴィーク城を建設したもので、比較的新しいといえる。

    彼自身と家族のために建てたネオ・ルネサンス様式の城はフランスのロワールにある城館を参考にしたものである。確かに外観がよく似ている。

    (ダグラス家は元々がイギリスのスコットランドの出身で、祖先は1772年にザクセン・アンハルト州のAscherslebenアッシャーレーベンに移住したとある。)

    第二次大戦後、旧東独の治下になり、城は長い間、養老院や養育院として利用された。
    2002年、大改装が完成し、ラルスヴィーク城は多くの滞在客を迎える古城ホテルになった。

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.5

jijidarumaさん

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

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