1994/10/30 - 1994/10/30
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【1994.10.30.香港の西洋料理:予想外だが、超高級のザ・ペニンシュラにチェサというチーズフォンデユの店がある。】
香港は暑い、しかも海に囲まれていて季節によっては湿気がひどい。
先の編で、長い夏の暑さとガンガン冷房を利かせた建物内との落差で体が変調をきたすほどだと書いた。とりわけ怖いのは病気で、まだまだ衛生状態が悪く、飲用水を煮沸して飲む地域であったから急性肝炎のリスクが高かった。駐在員仲間にも、これにやられて、即帰国となった者もいた。
いわゆる“3年当地に住んだら、6年は寿命を縮める!?”とよく云われた。
これは香港で生活して見てわかることだ。
(幸い、1992~95年の3年間駐在したが、いまだに元気だ)
さて、香港は中華料理で知られている。が、英国の統治の影響もあるのだろう、フランス料理を中心とした西洋料理もそれなりの地位を占めている。
本編は香港駐在中、様々な中華料理にも飽いて、時に食べる機会を得た西洋料理について書いてみた。
写真はザ・ペニンシュラにChesaチェサというチーズフォンデユの店がある。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
当時の香港を語るうえで、この啓徳空港を外すことができない。
啓徳空港が九龍半島の啓徳にあり、九龍湾に沿って滑走路が突き出ていたこともあって、街中のビルすれすれに飛行機が飛ぶのが普通であった(滑走路の北端に道路を挟んで6階建ての建物があり、滑走路の3方向はヴィクトリア湾に囲まれていた)から、この頃は建物には高度制限があった。
香港の建物すれすれに飛行機が上昇し、降下していくのは実に緊張したものだ。
だが、その光景を見ると、香港に漂う独特の臭いと共にアー香港にやって来たと思ったものだ。
参考写真:香港啓徳空港(panoramio1970年代)
現在の香港国際空港(香港國際機場、Hong Kong International Airport)は、香港新界離島区にある国際空港です。現地ではチェクラップコク国際空港(赤鱲角國際機場、Chek Lap Kok International Airport)とも呼ばれるらしい。
かつて使用していた啓徳空港(旧香港国際空港、カイタックKai Tak Airport)に代わり、香港の空の玄関として1998年に開業した。
3000m級の滑走路が一本あっただけという啓徳空港に比較すれば、
香港国際空港の規模は香港島や九龍半島に遠くなったとはいえ、
中国の統治下に入ったという、象徴的なものだったように思います。 -
1992年は多忙な年のスタートとなった。次女の大学入試も本格化し、私自身の赴任の内示、辞令発令と共に、健康診断、後任者との引継ぎ、名古屋、大阪に出張して関連部門と打ち合わせが始まった。
ドイツ駐在二度の往復で、そうした体験もあったが、1985年に帰国して以来も数年が経っていて、もう海外はないだろうと思っていた。
その間、各行などとの送別会が続き、3月20日に両家の実家に赴任の挨拶、墓参りをして、あっという間に赴任の日がやって来た。
4月1日は次女の大学入学式、長女の同業他社入社と、娘達の人生の大事な日に一緒にいられなかったから、心残りがあった。
<1992.03.25.香港赴任>
JAL 733 成田11:00発 14:50香港着で赴任した。
翌日より前任者と引継ぎ、各行挨拶、歓送迎会と、慣れない香港イングリッシュに往生し、時に会話中にドイツ語が出る始末だった。
普通、香港初赴任者は広東語(もしくは北京語)の会話習得の時間が与えられるが、もう役職定年も近い48歳の年ではもう不要であった。
地場の広東語は本来、分かった方がよいのは人事管理上、私的な生活の上でも必要だろうと思っていたが、短い3年の駐在と思って・・・。
写真は1992.08.28~09.03.家内来港:第1回香港訪問・・・香港島・レパルス・ベイMapと香港ガイド -
1992年3月27日、日本から吉報が飛び込んできた。私の香港赴任の背景にいた本社財務本部長が交代する事となり、財務管掌役員補佐となった。
新しい本部長にはNY駐在中のかつての上司(最初のドイツ勤務から帰国し、初めて財務の資金課・・対銀行折衝業務が中心・・に配属された際の課長だったし、2度目のドイツ赴任はこの課からでて、駐在中の様々なトラブルも相談やら支援をして頂いていた)が昇進されたというニュースだった。
1992年4月24日には、ドイツ時代の後任者から電話があり、新しい本部長は6月株主総会で取締役に、同時に前本部長は取締役退任だと続報があった。
1992年7月3日、新本部長より香港の私に電話があり、(ありがたいことに忘れられていなかったようで、赴任したばかりで直ぐ帰任させることは出来ないから、3年だけ頑張ってくれと)私の駐在期間は3年となった。
(この後、常務、専務と昇進され、御蔭で私も3年で帰国出来た)
写真:1992.08.28~09.03.家内来港・第1回香港訪問:09.01.ビラ・モンテ・ローザの単身者用共同社宅にて、競馬場を下に見る。家事全般をこなしたフィリピン人のアマサン(クレメンス夫人)と一緒に。
1992.3.25~8.21.のおよそ5ヶ月間、Villa Monte Rosa, 41-A、
Stubbs Road、 Hongkong(司徒抜道 41号攻塊新頓 F座)
にあった単身者用共同社宅にいた。
社宅に住む5人の年齢は20代から50代と様々で、便利な面もあるが、私の年齢だとやはり面倒、煩わしい思いがした。
家内が私の赴任後初めて香港を訪問した際、この社宅に招じ、親切で、気の好いフィリピン人アマサン(クレメンス夫人)を紹介した(その時に撮った写真が前の写真だ)。彼女が単身者たちの為に料理、洗濯、掃除、その他の小さなお願いの面倒を見てくれていた。
社宅のバルコニーからハッピー・ヴァレー(香港競馬場)を下に見て、家内もその高さに驚いていた。
週日はいつも会食などで遅く帰ったので、アマサンの料理を食べる機会は少なかったが、外で食べるよりは安上がりのようだった。
此処に住んだ5ヶ月の間、一度びっくりした体験がある。タクシーで夜遅く帰ると、停電でエレベーターが停まっていたのだ。
ガードマンはお気の毒だと言って、大変恐縮しながら、懐中電灯で階段を照らしつつ、私と共に20階まで上がってくれた。会食で酔っていたから、この高さを登るのに息もキレ、汗だくになった記憶がある。 -
1992.8.22~1995.3.2. Kornhill 17-19、Hong Shing Street,、Hongkong(康台花園、康盛街)
借り上げ社宅を見つけてもらい、納得したのでコーンヒルに引っ越しした。
それから帰国までの約2年半は借り上げ社宅に住み、家内や娘達の来香港の際には宿泊も出来たので、費用面でもありがたかった。
大家さんはまだ若い香港人で投資用に持っていた不動産だった。
夫婦用寝室と子供用寝室(2段ベット付き)、客用の部屋の3室、台所、広い居間、浴室・トイレがあり、家具付きでした。TVだけは購入しただけで、重宝した。
当時を振り返ると、単身者の個人社宅の借り上げ申請は稀と云うか、私が初めてだったようだ。勿論、家族持ちでの駐在員は普通に申請し、許可されていた。
社宅に一人で住む店長(時々奥方は来港していたようだが、店長宅に単身の駐在員諸氏を招待するわけでもない)に申請書をあげ、(他に波及し、費用増を懸念したらしい)不機嫌そうな店長と直談判(店内では資金調達と運用で稼いでいたから、強気だった)して許可をもらった。
後年、大阪で単身勤務したとき、人材派遣の子会社の社長となっていた店長に会ったが、「あの時は心臓を痛めたよ」とニヤリと笑いながら言っていた。
店長の予想通り、私の後に同クラスの3人が同じように単身用借り上げ社宅に住むことになった。
<1992.08.28.~09.03.家内来港・第1回香港訪問>
1992.08.28.JAL 733 成田10:15発 13:50香港着
1992.09.03.JAL 066 香港10:00発 15:00成田着
家内の来港に合わせて、8月22日にVilla Monte RosaからKornhillに引っ越した。
幸いクレメンス夫人など3人に手伝ってもらって、完了した。
それでも、電気屋のチェックが26日、電話の設置は29日になった。細かな買い物もクレメンス夫人が全てやってくれて助かった。
さて、家内が初来港したら、やはり気に入ってもらえそうな場所を選んだ。
その一つが香港島の裏側にあたるレパルス・ベイにある。
<The Verandah露台餐廳>
住所:109 Repulse Bay Road, Hong Kong
淺水灣淺水灣道109號地舖
映画“慕情”(原題は「Love is A Many-Splendid Thing 恋はすばらしきもの」・1955年の米映画で映画も主題歌も大ヒットした。)で有名な “The Verandah Restaurantヴェランダ・レストラン”である。
以来、娘達の初来港の時を含めて何度も訪れて、昼食、夕食を共にした。
写真は1992.08.30.香港:レパルス・ベイの “ヴェランダ・レストラン”の様子ザ ベランダ ビュッフェ
-
写真は1992.08.30.香港:九龍半島チムシャツイ地区Mapと香港ガイド
-
<ザ・ペニンシュラ香港>
Salisbury Road, Kowloon
Hong Kong, SAR
Springmoonスプリングムーン (嘉麟楼):
本格的な広東料理、ミシュランの星を獲得しているスプリングムーン (嘉麟楼)は伝統と洗練を宿した広東料理として1986年以来数十年の間、多くのファンを魅了している。
写真は1992.09.01.香港:九龍半島のペニンシュラ・ホテルにてと香港ガイドザ ペニンシュラ 香港 ホテル
-
写真は1992.09.01.香港:香港ガイドのホテルリスト抜粋
<1992.10.23.~10.29.家内来港・第2回香港訪問>
1992.10.23.ANA 909 成田10:00発 13:15香港着
1992.10.29.ANA 910 香港15:20発 19:55成田着
<1993.02.25.~03.03.家内来港・第3回香港訪問>
1993.02.25.JAL 731 成田10:00発 14:05香港着
1993.03.03.JAL 064 香港15:05発 19:40成田着 -
イチオシ
<1993.04.22.~04.28.家内来港・第4回香港訪問>
1993.04.22.JAL 731 成田10:00発 13:20香港着
1993.04.28.JAL 064 香港15:00発 19:30成田着
写真は1993.04.26.香港:情人岩、08.31.Au Trou Normand (仏料理) -
<1993.08.26.~09.01.家内来港・第5回香港訪問>
1993.08.26.JAL 731 成田10:00発 13:20香港着
1993.09.01.JAL 064 香港14:35発 19:30成田着
参考写真:1993.08.31.香港:Au Trou Normand (仏料理)_1980 at 6 Hankow Road -
写真は1993.08.31.Au Trou Normand (仏料理)、1993.08.05.(1994.02.26.)香港:レパルス・ベイの “The Verandah Restaurantヴェランダ・レストラン” 、1994.04.26.The Belvedere (仏料理)と香港レストラン冊子
-
<1993.08.04.~10.娘達の初来港>
1993.08.04. JAL731 成田10:00発 13:30香港着
1993.08.10. JAL064 香港14:35発、19:30成田着
同業他社勤務の長女と、大学生の次女の二人が香港に初来訪した。
コーンヒルの部屋に泊まり、私と共に香港・マカオの旅を楽しみ、帰国の日には啓徳空港に見送った。
こちらは香港島の裏側にあたるStanleyスタンレー(1845年当時の英国の長官名)=赤柱や、Repulse Bayレパルス・ベイ(しばしば海賊が侵入し、これを当時の英国海軍が撃退Repulseしたことから名がついたとか)=浅水湾である。
写真は1993.08.05.香港:レパルス・ベイとスタンレースタンレーマーケット (赤柱市場) 市場
-
中庭のテラスやお店を覗きながら、建物を一周して、表階段に至る。
階段を上ってコロニアル風・中華風の趣むきある屋内に入る。
写真は1993.08.05.香港:レパルス・ベイの “ヴェランダ・レストラン” -
イチオシ
ここでは昼食(フレンチ)を食べた。
正面に向かって左手の窓辺の席に案内され、南支那海に面した大きな窓はかるく開いて、気持の良い風を招き入れている。
このVerandahヴェランダと称するレストランは別世界の趣むきがあって、屋内の天井も高く、天井にはプロペラ型の4枚羽根の扇風機がゆったりと回り、横に長い、回廊のような長方形をしている。
レストラン全体がたいへん好ましい雰囲気がある。
残念ながら、料理の明細が分からない。
香港赴任以来、様々なレストランで食べたが、当時はまだデジカメも持っていないから、今のように料理の写真は撮らず、専ら人物撮影をしていた。
香港を代表するペニンシュラ・ホテルの経営だけに、納得する味とサービスを提供している。
写真は1993.08.05.香港:レパルス・ベイの “ヴェランダ・レストラン” -
「Hopewell Centreホープウェル センターとR66回転展望レストラン」
ホープウェル センターは香港島北部の湾仔ワンチャイにあるショッピングセンターである。1980年に建てられた216メートルもの高さで円柱状にそびえ立つ66階建ての高層ビルとなっている。
テナントオフィスのほか、スーパーマーケットやファミリーレストラン、カフェなどが入っており、最上階はR66回転展望レストランになっていて人気が高い。
R66回転展望レストランはおよそ1時間かけてゆっくりと回転する仕掛けとなっているため、食事を楽しみながら360℃の景色を一望できるのが特徴。
ヴィクトリアハーバーや九龍半島のビル群、香港の街並みなどの景色が刻々と変わっていく様子は絶景で、人気のスポットとなっていた。
写真:1993.08.05.香港:灣仔ワンチャイMapと香港ガイド -
イチオシ
<R66 Revolving Restaurant>
62/F, Hopewell Centre, 183 Queens Road East, Wan Chai, HK
Tel.: 2862-6166(要予約)
R66は古くからの湾仔ワンチャイのランドマーク、ホープウェル・ビルの最上階に入っている回転展望レストラン。外面のガラスが微妙に傾いていて、夜景に室内照明が移り込まないように工夫されているそうだ。
観光客には、約1時間(66分)かけて1回転し、ゆっくり香港のパノラマを見ながらディナーが食べられるので人気がある。
それで、家内も気軽に登って、楽しんだから、娘達にも是非訪れ欲しかった場所だ。
湾仔ワンチャイの海側にはその後多くの高層ビルができて、このレストランからの眺めも今一つになった事だろう。
写真は1993.08.05.香港:灣仔ワンチャイ・回転66 62F, Hopewell Centre 183 Queens Road East, Wan Chaiリボルビング66 ビュッフェ
-
参考写真:灣仔ワンチャイ・HopewellCenterホープウェル センター回転66の俯瞰
-
コーンヒルの部屋に泊まり、香港・マカオの旅を楽しみ、帰国の日に空港に見送った。娘達が来てくれた1週間の旅、仕事もあって、完全にエスコート出来なかったが、まずまず満足してくれたようだ。
写真は1993.08.10.同業他社勤務にの長女、大学生の次女の娘たちが香港来訪 -
<Island Shangri-La, Hong Kongアイランド シャングリ・ラ 香港>
住所: Pacific Place, Supreme Court Road, Centr 5星
市内中心部にそびえ立つ「香港の象徴」。香港の中心部にある56階建てのアイランドシャングリ・ラ香港では、ピークやヴィクトリアハーバーの眺めを楽しめる。
ここで有名なのは最上級のダイニング、グルメレストランのPetrusペトリュスで、某行の御招待で食べたことがる。
現在も写真の様に健在である。
参考写真:香港:Island Shangri-Laアイランド シャングリ・ラ:Restaurant Petrusペトリュス -
<1993.10.28.~11.03.家内来港・第6回香港訪問>
1993.10.28.JAL 731 成田10:00発 13:20香港着
1993.11.03.JAL 064 香港15:05発 19:40成田着
<The Regent Hotelザ・リージェントホテル (現在はIntercontinental HK)>
1993.10.31.「Plumeプルーム」 にて夕食 19:30~22:30。
駐在時、このホテルは旧The Regentザ・リージェントホテルであり、家内が香港来訪時にここにあった「Plumeプルーム」というフレンチ・レストランに来たことがある。全ての席から、ハーバービューが楽しめ、眺望と美味しい料理に大変満足した覚えがある。
今はSpoon by Alain Ducasse(アラン・デュカスは今フランス料理界で最も旬なレストランプロデューサー。ミシュランの3つ星レストランを2つ(パリとモンテカルロ)持つ料理人である)に変わっていた。
写真は1993.10.31.Plume Regent Hotelプルーム ザ・リージェントホテル (Intercontinental HK) と香港レストラン冊子 -
<1994.02.24.~03.02.家内来港・第7回香港訪問>
1994.02.24.JAL 731 成田10:00発 13:50香港着
1994.03.02.JAL 064 香港15:05発 19:40成田着
たまたま、イタリア料理を探していたら、なんとWein Stubeヴァイン・シュトゥーベと云うドイツ語の看板を見つけてしまった。
ここはオーストリア料理(私の中ではドイツ料理だが)のレストランで、当時そこそこ客入りがあった。
料理は現在のように種類は豊富と云えないもので、私共は仲間とドイツビール、ワイン、パン、ソーセージ、ハム、フライドポテト(ポム・フリット)、カツレツ、スープなどを楽しんだ覚えがある。
参考写真:1994.05.05.Wein Stubeヴァイン・シュトゥーベの 看板 -
<Wein Stubeヴァイン・シュトゥーベ>
1/F, Honytex Building, 22 Ashley Road, Tsim Sha Tsui
尖沙咀亞士厘道22號好利時大廈1樓 (オーストリア料理)
手元の香港観光協会の作った、実に丁寧で、詳細なダイニング ナイトライフガイドがあるが、それを見ても香港には中国料理の「八大料理(八大菜系)」の四川(しせん)料理、湖南(こなん)料理、広東(かんとん)料理、福建(ふっけん)料理、江蘇(こうそ)料理、浙江(せっこう)料理、安徽(あんき)料理、山東(さんんとう)料理は勿論、各店の多くが載っている。
日本料理、アジア地域の料理も少し掲載されているが、西洋料理はフランス料理の店が圧倒的に多い。
次にイタリア料理、コンチネンタル料理というレストランで、
地中海料理、英国料理、スイス料理、オーストリア料理というレストランは少ない部類になる。
寂しいことにドイツ料理となると、なかなか掲載が見つからないのだ。
参考写真:1994.05.05.Wein Stubeヴァイン・シュトゥーベの店内 -
そんな時代だったので、このWein Stube ヴァイン・シュトゥーベの看板を見つけ
た時は大いに嬉しかったものだ。
結構ドイツ人観光客も見かけるし、ドイツ人音楽家のコンサートも東京で行われると必ず香港にも立ち寄って、香港文化センターでコンサートが催される。
東京とは違って香港はチケットも安く、香港文化センターの会員になって、月一でコンサート会場に出かけた。
音楽好きの娘達や家内の来港に合わせて、香港文化センターのコンサートを予定に入れたこともあった。
参考写真:1994.05.05.Wein Stube ヴァイン・シュトゥーベの料理 -
<1994.04.22.~04.28.家内来港・第8回香港訪問>
1994.04.22.JAL 731 成田10:00発 13:20香港着
1994.04.28.JAL 064 香港14:35発 19:30成田着
参考写真:1994.04.24.香港:九龍のRoyal Pacific Hotelロイヤル パシフィック ホテル ホテル
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写真は1994.04.24.香港:九龍のRoyal Pacific HotelのChaletシャレット(スイス料理)に家内と夕食、11.23.Chaletシャレット(スイス料理)にてT君送別会
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<1994.08.24.~08.30.家内来港・第9回香港訪問>
1994.08.24.JAL 731 成田10:00発 13:20香港着
1994.08.30.JAL 064 香港14:35発 19:30成田着
<Kowloon Shangri-La, Hong Kong, カオルーン シャングリ・ラ 香港>
64 Mody Road, Tsimshatsui East, Kowloon, 尖沙咀(チムサーチョイ)5星
尚、Restaurant Margauxマルゴーは現在無い。
参考写真:1994.08.26.Kowloon Shangri-La:Restaurant Margauxマルゴーカオルーン シャングリラ ホンコン ホテル
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写真は1994.10.30.1香港:九龍半島のペニンシュラ・ホテルと香港ガイド
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イチオシ
<1994.10.26.~11.01.家内来港・第10回香港訪問>
1994.10.26.JAL 731 成田10:00発 13:20香港着
1994.11.01.JAL 064 香港15:10発 19:40成田着
思い描いていたペニンシュラ・ホテルのChesaチェサのチーズフォンデユ料理はRoyal Pacific HotelのChaletシャレット(スイス料理)のものとは、食べた味が少々違っていた。どうもカシコマッテ食べた所為だろう。私共には上品すぎたのかもしれない。
好みで言えば、シャレット(スイス料理)だったような覚えがある。
写真は1994.10.30.1香港:九龍半島のペニンシュラ・ホテルのChesaチェサにてチーズフォンデユ料理 -
伝統的なスイス料理Chesaチェサ:
この極東の都市でスイスを実感できる「Chesaチェサ」は、香港で3世代にわたって愛されているというレストラン。
写真は1994.10.30.2香港:九龍のペニンシュラ・ホテルのChesaチェサにてチーズフォンデユ料理と香港レストラン冊子 -
参考写真:1994.10.30.3香港:九龍のペニンシュラ・ホテルのChesaチェサの店内
当初目指したのは、居心地の良いアルプスのシャレー、山小屋風を彷彿とさせる佇まい。スイスの方言の一つロマンシュ語で「宿屋」を意味する「Chesaチェサ」は、今も1965年のオープン時と同じように、くつろぎと温もりの空間を守り続けている。 -
参考写真:1994.10.30.3香港:九龍のペニンシュラ・ホテルのChesaチェサにて伝統のチーズフォンデユ料理
-
参考写真:1994.10.30.3香港:九龍のペニンシュラ・ホテルのGaddisガディス
【ペニンシュラ ホテル 香港のグルメレストラン】
①Gaddi’sガディス:
ヨーロッパ料理を東洋で初めて広めたガディスは70 年以上に渡り、香港そして世界中のお客様に愛され、「スエズ運河以東で最高の西洋料理店」と云われる一流中の一流レストランと称されている。
1953 年以来香港の名店として親しまれてきた Gaddi’sガディス は、ミシュランの星を獲得した素晴らしいフランス料理。
重厚なインテリアとクラシックとモダンが融合したフランス料理だそうだが。 -
参考写真:1994.10.30.3香港:九龍のペニンシュラ・ホテルのVerandahヴェランダ
②Verandah Grill ヴェランダ グリル (現在の名はThe Verandahザ・ヴェランダ)
海に面したアーチ形の窓、木製のクラッシックな釣り扇風機、精巧なシャンデリアなどがノスタルジックなムードの広々としたレストラン。フォアグラのオレンジ添え、後嗣肉のメダリオンのマッシュルームソースかけなどが人気だと、Repulse Bayのザ・ヴェランダ レストランと同じ紹介がされている。
今はレストランの内容は大きく変わり、いろいろな料理を楽しみたいお客様にとってのパラダイス、優雅な空間にてご家族皆様で楽しめる「ブッフェスタイルのコンチネンタル料理」を提供する。
尚、Repulse BayにはThe Verandah Resutaurantザ・ヴェランダ レストランという、同じペニンシュラ ホテル経営のレストランがあるのも知られている。 -
参考写真:1994.10.30.3香港:九龍のペニンシュラ・ホテルのThe Lobbyロビー
③The Lobbyザ・ロビー:
優雅に立ち並ぶ柱、吹き抜けの天井が空間を彩る「ザ・ロビー」は、長い間、香港屈指の洗練された社交場であり続けている。また、香港で最も大切にされている伝統の一つ、ペニンシュラの豪華な「アフタヌーンティーサービス」を楽しめる空間になっている。
甘美なジャズの生演奏が流れ、巧みにつくられた数々のスイーツや味わい深い料理が並ぶこの慣習は、数十年にわたって香港内外のお客様の心を魅了している。 -
<1995.01.13.~01.16.長女と会社の友人が来港>
1995.01.13.JAL 731 成田10:00発 13:55香港着
1995.01.16.JAL 064 香港15:10発 19:45成田着
私の帰国が3月始めと聞いた娘と同じ部の友人が二人で来港した。
13日は湖南料理の夕食、翌日14日は香港島の裏側のスタンレーを訪れ、ザ・ヴェランダで昼食、中環に戻ってランドマーク等を見て、別行動していた同じ部の先輩女性と夕食(中華料理・錦江春)を御一緒した。
参考写真:1995.01.15.The Peak Lookout太平山餐廳の香港レストラン冊子 -
<The Peak Lookout/太平山餐廳>
121 Peak Road, The Peak,
1888年。
15日は海港城の福満楼で飲茶を食べ、女人街、男人街、中環などを観光、最後にThe Peakの眺望を見て、こちらのお店で夕食をとった。
短い期間だったが、友人は香港初旅であったと言って、たいへん楽しかったと言ってくれた。
その時の写真が見つからないのが残念。
参考写真:1995.01.15.香港:The Peak Lookout太平山餐廳の外観太平山餐廰 創作料理
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参考写真:1995.01.15.香港:The Peak Lookout太平山餐廳の店内
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写真は1995.02.27.香港:九龍のRoyal Pacific HotelのChaletシャレット(スイス料理)のメニューと香港レストラン冊子
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写真は1995.02.27.香港:九龍のRoyal Pacific HotelのChaletシャレット(スイス料理)のメニューと香港レストラン冊子
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写真は1995.02.27.香港:御気に入りになっていた九龍のRoyal Pacific HotelのChaletシャレットにて送別会。・・・当方の希望で香港地域グループ数社の日本人財経関係者の御参集を受け、皆さんから送別を受けた。
(3月2日には赴任時の約束通り、3年の駐在期間を終えて東京本社に帰任した)
1995.03.02.JAL 736 香港10:25発 15:00成田着 -
写真:香港から頂いたクリスマスカード(100万ドルの夜景と帆船)
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(2025年6月13日Wiki・HP参考、編集追記)
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香港
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“楽在香港・食在香港”と呼ばれる、懐かしの香港を再び訪れることとなりました。
2008/12/01~
香港
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この旅行記へのコメント (2)
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- 横浜臨海公園さん 2025/06/16 05:10:35
- 英国統治下の香港
- jijidarumaさま、おはようございます。
当時の香港の事情、更に10年前たる1980年代の香港の衛生状態は頗る悪く、止めるように注意していたにも拘らず、屋台で購入した物を食して胃腸カタルに罹患して帰国時に苦しげな体調での搭乗を余儀無くさせられたツアー客の姿を今でも覚えております。
啓徳空港、飛行機が本当にスレスレの建築物を掠める様に離発着する空港で、パイロットも心得ている為か、着陸時にドスンと機材を着ける独特な着陸方法で、あんな降り方をするのは、旧石垣空港ぐらいなものだったと思います。
あれから40年以上が経過し、思いもよらぬ香港の現状に想いをはせております。
横浜臨海公園
- jijidarumaさん からの返信 2025/06/16 17:53:30
- Re: 英国統治下の香港
- 横浜臨海公園さん、
今日は。いつもありがとうございます。
香港を語るうえで、ツイ!当時の啓徳空港や衛生状態の悪さを書くことになりました。
1980年代のエピソードもよく覚えておられますね。また、啓徳空港の事も体験者ならではのコメントです。
アヘン戦争で香港を割譲した英国、以来数十年統治した割に(1841~1997年、一時的に日本軍が占領して軍政下においた:1941~45年を除く)、香港は中国的な部分と思われる非衛生、猥雑な環境が色濃く残っていましたね。
英国人たちの生活はその上にたっていたもので、彼らはそうした環境を気にしていていなかったように思われます。インド統治もそうだったのでしょう。
日本人の綺麗好き、日本の自然環境の良さもあって、香港に駐在する者は香港の怖さを忘れてしまう事があります。そのリスクを忘れて、受渡部長の男は郊外のレストランで飲食し、急性肝炎で倒れました。日本から前任者を急きょ呼び、業務にあたってもらいました。管理部門を統括していたので、一時は大変バタバタしたものでした。
香港、マカオ返還は中国の悪癖を示したようです。返還で香港、マカオの魅力も薄れ、英国(ポルトガル)にとっても良い事は無いし、そして肝心の中国自身も香港では失政をくりかえしていますね。
猛暑続きとか!ご自愛ください。
それではまた。
jijidaruma
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