2025/04/25 - 2025/04/25
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jijidarumaさん
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香取市の「府馬の大クス (ふまのおおくす)」を見物して、本日の予定の通り、更にその先の銚子まで出かけた。
以前から、千葉の藤見物では、
一つに「新田義貞の敗死で一党が隠れ住んだ落人の集落・木積の龍頭寺(きずみのりゅうとうじ)で樹齢100年を超える見事な大ふじ」と、
もう一つに「銚子・妙福寺の臥龍(がりゅう)の藤」を候補にしていた。
前者は2022年5月4日、ちょうど3年前に訪ねた。
竜神伝説が残る、木積の龍頭寺(きずみのりゅうとうじ)の大ふじは盛りを迎えて、花の長さ1.5mとなかなかのものであった。
<龍頭寺(りゅうとうじ)>
千葉県 匝瑳市 木積1215
Tel:0479-73-3960
さて、今年は連休前の2025年4月25日(金)に後者を訪れることにした。
4月26日(土)と29日(昭和の日)に「藤まつりイベント(26日は琉球太鼓の演舞、29日はフォーリングスターズの演奏)」が境内で催されると知り、混雑を避けて前日、銚子までやってきた。
妙福寺の藤まつりの花盛りを期待して、境内にある「臥龍の藤」、「紫藤」、「紫大藤」、「白藤」の4架の藤棚を巡った。
写真は妙見宮・海上山妙福寺:見事な「臥龍(がりゅう)の藤」・・・花すだれの長さはまだまだ伸びると云う。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【妙見宮・海上山妙福寺の「臥龍(がりゅう)の藤」を見る】
アクセス:JR「銚子駅」から徒歩約5分、
東関東自動車道佐原香取 IC からR356号を銚子方面に向かう。
妙福寺には「臥龍の藤」、「紫藤」、「紫大藤」、「白藤」の4架の藤棚がある。
妙見宮海上山妙福寺は鎌倉時代に開基された日蓮宗のお寺。
写真は妙見宮・海上山妙福寺:銚子駅から徒歩5分~7分の距離にある裏門入口前で。妙福寺 寺・神社・教会
-
裏門から入ったが、大本堂と大客殿の間をつなぐ通本橋をくぐり、本堂前の石畳を太鼓門の方に下がって行くと、枡形をした正式な石垣表門に至る。
写真は妙見宮・海上山妙福寺:案内板 -
写真は海上山妙福寺の冊子のスキャン
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写真は海上山妙福寺の冊子のスキャン
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写真は海上山妙福寺の冊子のスキャン
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【妙見宮・海上山妙福寺:大本堂】
〒288-0811 銚子市妙見町1465
Tel:0479-22-0650
妙見宮・海上山妙福寺は鎌倉時代に開基された日蓮宗のお寺である。
日蓮聖人の直弟子の中老僧日高聖人を開基とし、正和3年(1314年)浄行院日祐上人により創立された。
正面にある枡形の石垣表門は、勅願の寺跡として表高10万石の寺格を表したもの。各堂宇には十六菊定紋、葵御紋などが見られ、古くからの皇室や幕府との結びつきが感じられる。
また、境内横に妙福寺学園認定こども園銚子幼稚園が併設されている。
「臥龍の藤」と称される樹齢800年余の見事な野田藤が有名なお寺で、聖徳太子の御作とされる妙見様(北辰妙見大菩薩)を御奉安している。
銚子の中心地に立地し、約8000坪もの境内に4つの藤棚があり、例年4月下旬から5月上旬に、長さ2mにも達する美しい紫の花すだれを見せ、「藤まつり」には大勢の拝観者で賑わう。
写真は妙見宮・妙福寺:大本堂 -
妙福寺の本堂前で、お釈迦様の御像に甘茶をかけてお参りした。
そして、嬉しいことに小さなケースに入った甘茶のサービスを受けた。
アー甘茶の味だと、その昔、私共が子供頃に青梅の延命寺、通称呑竜様の祭りで、甘茶をかけ、甘茶を頂いたことを思い出した。
*青梅の住吉山延命寺、通称呑竜様境内に呑龍上人を祀る土蔵造の呑龍堂があり、安産子育ての「呑龍さま」として親しまれ、今も毎月八日(大祭四月)の縁日には近郷近在の参詣人で賑わっている。
(東京都青梅市住江町82)
写真は妙見宮・妙福寺:大本堂前でお釈迦様の御像に甘茶をかけてお参りした。 -
イチオシ
本堂と大客殿の間をつなぐ通本橋をくぐると、「臥龍の藤」と称される樹齢800年余の見事な「野田藤」がまず目に入る。
【臥龍(がりゅう)の藤】
この藤は「野田藤」と呼ばれる種類のもので、海上山妙福寺がこの地に法城を築いた頃、平山家(南朝方の忠臣)等の力添えにより、京都御所内に植えられておったこの藤を、京都から川下りで大阪湾に運び、船便で銚子へ廻航して移植されたものである。
樹齢は樹医故山野忠彦氏によれば、800年余を経た古木と断定せておられます。
毎年5月になると、長さ2m余の見事な「紫の花すだれ」をみせる。
藤の根元が龍の寝ている姿に似ているところから、「臥龍の藤」と呼ばれ、訪れる方々から親しまれている。
尚、平成21月2月より 栃木県足利フラワーパーク元園長・樹木医 塚本こなみ先生による抜本的治療が開始された。
「下がるほど 人は見上げる 藤の花」
写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の姿 -
境内にある「臥龍の藤」、「紫藤」、「紫大藤」、「白藤」の4架の藤棚を見に回遊する。
写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の花すだれ -
境内にある「臥龍の藤」、「紫藤」、「紫大藤」、「白藤」の4架の藤棚のうち、最初に見て、最後にも「臥龍の藤」を見た。
次は大井戸にかぶさるように建つ「紫藤」の棚である。
写真は妙見宮・妙福寺:大井戸と「紫藤」 -
寺内の*花手水(はなちょうず)も見栄えよく飾られていた。
最近のお寺には花手水(はなちょうず)をよく見る。
その歴史を知らなかったが、まだ最近のことのようだ。
*花手水の発祥地は京都・長岡京市にある楊谷寺(ようこくじ)で、2017年(平成29年)に楊谷寺の執事が手水舎(てみずや、若しくはちょうずや)に季節の花を浮かべたところ、華やかで美しいとSNSで評判を呼び、その後、全国の神社仏閣に広まっていった。
また2019年(令和元年)の新型コロナウイルスの感染拡大防止のため手水舎の使用を自粛する動きに伴い、使わなくなった手水舎を花々で飾る花手水の文化が拡大した。ただし、手水鉢に花を浮かべる習わしは、古来よりあったと云われている。
(Wiki)
写真は妙見宮・妙福寺:花手水(はなちょうず) -
イチオシ
写真は妙見宮・妙福寺:「紫大藤」
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写真は妙見宮・妙福寺:七面大明神
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この寺は妙見宮・妙福寺というだけに、「妙見信仰」と共に、その歴史を重ねてきたお寺だそうだ。
妙見様(北辰妙見大菩薩)は常に真北を指す北極星を神格化したもので、私達の人生の道を導き開いてくれる開運の守護神として深く信仰されているのだと云う。
写真は妙見宮・妙福寺:妙見宮(北辰殿)・・・銚子の妙見さまと親しまれている・・・と右手に「紫大藤」。 -
写真は妙見宮・妙福寺:妙音弁財天
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写真は妙見宮・妙福寺:太鼓橋から龍神滝(水行場)をバックに。
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写真は妙見宮・妙福寺:見事な槙(まき)
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写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の説明版
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藤棚の下を見ると、藤の根元が龍の寝ている姿に似ている。
この姿から「臥龍の藤」と名付けられた。
写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の姿 -
イチオシ
写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の姿
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写真は妙見宮・妙福寺:大客殿と「臥龍の藤」の姿
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イチオシ
写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の姿
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写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の花すだれ
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写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の花すだれ・・・1.5m以上か!
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写真は妙見宮・妙福寺:大客殿・・・菊の紋や鳳凰の木彫りが見られる。
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写真は妙見宮・妙福寺:本堂と大客殿の間をつなぐ通本橋。
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写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の花すだれ
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写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の花すだれ
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例年、藤の季節は夜間にライトアップ(18:00~20:00)される。
参考写真は妙見宮・妙福寺:「臥龍の藤」の花すだれの夜景 -
写真は妙見宮・妙福寺:花芽が出て来た「五葉の松」の謂れが書かれた掲示板。
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「五葉の松」の隣に高々と白い花が咲く木が一本立っている。
樹形も良く、何の木かと見ると、名札があって「なんじゃもんじゃの木」とある。
そういえば、以前に「天下の副将軍・水戸光圀公ゆかりの「なんじゃもんじゃの木」とは何じゃ?」と投稿した事があった。
神崎町神崎神社にある水戸光圀公ゆかりの<なんじゃもんじゃの木>は大クスノキでした。その時は一つ葉タゴの事は知らず、言及していない。
写真は妙見宮・妙福寺:「なんじゃもんじゃ(一つ葉タゴ)」の木 -
<天下の副将軍・水戸光圀公ゆかりの「なんじゃもんじゃの木」とは何じゃ?>
ナンジャモンジャは、特定の場所に生えている見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称である。
すなわち、特定の植物の種名ではない。ヒトツバタゴを指すことが多いが他の樹種の場合も<あにゃもんる>、<あんにゃ>とも呼ばれる。
「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種は、ヒトツバタゴのほか、ニレ、イヌザクラ、ボダイジュなど様々である。
「ナンジャモンジャ」と称される理由について、民俗学では、元々は占いや神事に利用されていたもので、植物名で直接呼ぶことが憚られたものではないかとみる説がある。また、その地域に見かけない種類の樹木に「ナンジャモンジャ」と名付けられたとも云う。
一説には、代表的な樹種であるヒトツバタゴで1枚の花弁が4つに分かれて4枚に見えることから「何だこれは」が「ナンジャモンジャ」になったという説がある。
また一説には、神木の前を通りかかった水戸黄門が「この木はなんじゃ」と聞いたところ、地元の人が聞き取れず「なんじゃもんじゃ」と返答して、木の名前だと勘違いして広まったという話がある。(Wiki)
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写真は妙見宮・妙福寺:「なんじゃもんじゃ」の木は「ひとつばたご(一つ葉タゴ)」という。 -
写真は妙見宮・妙福寺:「なんじゃもんじゃ(一つ葉タゴ)」の花
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ともあれ、銚子の地で「なんじゃもんじゃ(一つ葉タゴ)」の木や花を見るとは思いもしなかった。
写真は妙見宮・妙福寺:「なんじゃもんじゃ(一つ葉タゴ)」の木 -
参考写真は妙見宮・妙福寺:「紫大藤」
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参考写真は妙見宮・妙福寺:大井戸と「紫藤」、右奥に大本堂が見える。
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丁度良い規模の藤巡りで、人出も少なく、ありがたい藤見物になった。
一巡してから、槙の大木の近くにあったテントの下で休憩し、境内に出ていた店からフライドポテトを買って食べた。少々油ぽくて食べきれなかった。
参考写真:妙見宮の拝殿の隣り、大龍神堂、水神堂近くにある「白藤」
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妙見宮・妙福寺を出て来ると、道路を挟んで右手にヤマサ醤油の本社工場がある。
銚子駅方面から来て、道路を右折し妙福寺に向かって真っすぐ行くと、左手にちょっとした森(ヤマサ醤油の敷地内であろう)があり、その木々の中にこの大きく、立派な紀徳碑(顕彰碑)が立っている。
意外に気付かずに通り過ぎてしまうのだが、偶々帰り道に道路を横切り、森側の歩道を歩いた。
それで濱口 梧陵(はまぐち ごりょう)翁の碑に気付いて、こうした写真も撮れたのだが、翁は実業家・社会事業家・政治家といった人物像よりも*<稲むらの火>のエピソードで世界に知られた人だ。
【濱口 梧陵(はまぐち ごりょう)翁の紀徳碑(顕彰碑)】
紀徳碑(顕彰碑)の説明版の最後に簡単に書かれていたのが、*<稲むらの火>であり、ここであらためてWikiから引用・抜粋した。
また、情けないことだが、この事を小泉八雲が小説化した事も初めて知った。
*稲むらの火 とは:
安政元年11月5日(1854年12月24日)夜、安政南海地震の津波が紀州有田郡広村(現・広川町)に襲来した後に、梧陵は自身の田にあった藁の山に火をつけて安全な高台にある広八幡神社への避難路を示す明かりとし、速やかに村人を誘導することができた。結果として村人の9割以上を救った(死者30人)。
津波から命を救えるかは、情報の伝達の速さが関わっているという教訓を残した。これをもとに作られた物語が『稲むらの火』として知られている・
この災害の後、梧陵は破損した橋を修理するなど復旧につとめたほか、当時では最大級の堤防・広村堤防を約4年かけて修造した。この大土木工事は、荒廃した被災地からの住民離散を防ぐ意味を持つとともに、将来再び襲来するであろう津波に備えての防災事業であった。広村の復興と防災に投じた4665両という莫大な費用は全て梧陵が私財を投じたものであり、のちに小泉八雲は彼を浜口五兵衛の名で小説化し、「生ける神(A Living God)」と賞賛している。
当時としては巨大な堤防の建設の際に「住民百世の安堵を図る」との言葉を残している。堤防完成から88年後の1946年(昭和21年)、広村を昭和南海地震の津波が襲ったが、この堤防のために被害を減らすことができた。
また、梧陵の活躍をたたえ、広村堤防には感恩碑(1933年建立)が建てられている。広川町では毎年11月に「津浪祭」を行い、梧陵の遺徳をしのぶとともに災害の記憶と災害への備えを伝えている。
大規模な津波被害が出た2004年12月のスマトラ島沖地震によって、『稲むらの火』の物語が想起されるとともに、そのモデルとなった史実の濱口梧陵の事績が注目された。
歴史情報番組『その時歴史が動いた』(NHK総合、2005年1月12日)では、「百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇」を放送し、広村堤防築造を中心に梧陵の生涯を紹介した。番組中で解説のゲストとして出演した河田惠昭(京都大学防災研究所教授)は、現代のように災害対策に関心が払われていない時代背景において、災害対策としての目的で、公共事業ではなく一民間人の発案と私財をもって広村堤防建設が実施されたことを、非常に画期的と評価している。
2005年のスマトラ沖地震津波後に開かれたASEAN緊急会議に出席した当時の首相小泉純一郎は、シンガポール代表から濱口梧陵の功績を尋ねられたが、知識がなく答えることができなかった。
2015年12月4日、国連総会第2委員会は日本を含む142か国の提案により、この逸話のもととなった11月5日を「世界津波の日」に制定することを全会一致で決めた。
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写真は勝海舟(伯爵 勝安芳 かつ やすよし)が題額を書いている紀徳碑(顕彰碑)銚子:【稲むらの火:TSUNAMI(つなみ)】で知られた 濱口 梧陵(はまぐち ごりょう)翁の紀徳碑を見つけた。 by jijidarumaさん濱口梧陵君紀徳碑 名所・史跡
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濱口 梧陵(はまぐち ごりょう、文政3年6月15日(1820年7月24日)~ - 1885年(明治18年)4月21日)は、日本の実業家・社会事業家・政治家。
紀伊国有田郡広村(現・和歌山県有田郡広川町)出身。
広村の復興と防災に投じた4665両という莫大な費用は全て彼の私財で賄われた。梧陵は雅号で、字は公輿、諱は成則。駅逓頭や初代和歌山県会議長を務めた。
醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、七代目濱口儀兵衛を名乗った。津波から村人を救った物語*『稲むらの火』のモデルとしても知られる。
生い立ち:
紀州湯浅の醤油商人である濱口分家・七右衛門の長男として生まれる。12歳で本家(濱口儀兵衛家)の養子となって、銚子に移る。
その後、若くして見聞を広め、開国論者となった。海外留学を志願するが、開国直前の江戸幕府の受け容れるところとならず、30歳で帰郷して事業を行った。嘉永5年(1852年)、同業の濱口吉右衛門(東江)・岩崎重次郎(明岳)とともに広村に稽古場「耐久舎(たいきゅうしゃ)」(現在の和歌山県立耐久高等学校)を開設して後進の育成を図った。
嘉永7年(1854年)頃、七代目濱口儀兵衛を相続する。
参考写真は濱口梧陵(はまぐち ごりょう)翁の写真 -
【ヤマサ醤油株式会社(ヤマサしょうゆ)】
ヤマサ醤油株式会社は、千葉県銚子市に本社を置き、醤油・各種調味料の製造・販売を行う企業である。
七代目当主濱口梧陵が医学をはじめ社会貢献事業に尽力し、現在でも医薬品原体(原薬)・医薬中間品・医薬化成品・診断薬などの製造・販売を行っている。
沿革:
1645年(正保2年) 初代当主濱口儀兵衛が醤油発祥の地、紀州由良の隣町である紀州有田郡広村(現・広川町)から銚子に移住し、本場の醤油造りで創業した。
写真は勝海舟(伯爵 勝安芳 かつ やすよし)が題額を書いている紀徳碑(顕彰碑)の説明版
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今日は香取市の府馬の大クス、妙見宮・海上山妙福寺の「臥龍(がりゅう)の藤」を見に来た一日だったが、
思いもよらない「なんじゃもんじゃ(一つ葉タゴ)」の木や花の事や、ヤマサ醤油と濱口 梧陵翁の事績を知ったことで、大いに満足した小旅行となった。
(2025年5月3日Wiki・HP参考、編集追記)
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この旅行記へのコメント (4)
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- M-koku1さん 2025/05/03 06:50:57
- 素晴らしい藤棚の数々
- jijidarumaさん
藤といえば亀戸天神と馬鹿の一つ覚えの江戸っ子のわたしですが、激混みで行く気がなえるんですよね。その点、この千葉の藤は素晴らしい上に人混みもそんなにないみたいでいいですね。
今年は忙しくて行けませんが、来年は計画してみようかしら。この旅行記をプリントアウトしていけば、旅行ガイドにぴったりですね。
楽しみが増えました!
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2025/05/03 17:51:22
- Re: 素晴らしい藤棚の数々
- M-koku1さん、
今日は。御元気そうで何よりです。
日々ご多忙な様子、或る意味で生活に張りがあって良いものです。
目標の無い私などは日々自堕落に過ぎてしまって、反省しています。
連休後半になりましたね。高速道路の渋滞シーンもいつものように
大変ですが、皆さん不思議と忍耐強くお出かけです。
さて、古い話で恐縮ですが、1970年の大阪万博に高校時代の友人
(在大阪)に誘われて出かけました。あまりの混雑に殆ど見ないで
2人ともギブアップした記憶があります。
あれから55年、更に歳をとり、気が短くなり、長い行列、混雑は
最初から敬遠しています。だから、最近の小旅行は千葉優先!
意外に良い場所があり、巨木や花で気分転換をしています。
花は春の季節、桜も藤も身近が一番ですね。
そういえば、話に聞く亀戸天神の藤を見たことが無いのですよ。
お互い住む場所を交換すれば、銚子(その昔選挙のアルバイトで
1ヶ月も住みました)の藤も、亀戸の藤も気軽に見れますね(笑)。
コメントありがとうございました。
それではまた。
jijidaruma
- M-koku1さん からの返信 2025/05/05 14:29:08
- Re: 素晴らしい藤棚の数々
- jijidarumaさんの旅行記に刺激されて、おととい突然昼過ぎにあしかがフラワーパークに行ってきました。それはそれは藤がきれいでした。
昼過ぎに松戸で拾ってもらって車で行ったのに、やはり渋滞ぎみでしたが。
それでも花が美しく、それ以上に香りがよくって、とてもリラックスできました。園内は混んでいましたが、亀戸天神とは大違いで、人酔いすることもなく、のんびりできました。2200円の入場料もおしくはなかったです。近況報告でした。
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2025/05/05 19:39:04
- Re: 素晴らしい藤棚の数々
- M-koku1さん、
今晩は。再度のコメント恐縮です。
思いたったら、あしかがフラワーパークですか!
やはりお若いこと!!満開の藤の香が香り立つようです。
世評も高いこの地は気になっていますが、サッと車で走り出せません。
昔々、館林のツツジを見に行ったことがありますが、栃木、群馬の
地は未踏の場所が多いですね。
Mさんの旅行記を楽しみに待って、行った気になりましょう。
近況報告、ありがとうございました。
それではまた。
jijidaruma
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