2022/10/23 - 2022/10/23
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jijidarumaさん
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房総の里山に残る「関東三大檀林(だんりん)」とは、
「飯高檀林(いいだかだんりん)」=飯高寺(はんこうじ)、
「中村檀林(なかむらだんりん)」=日本寺(にちほんじ)、
そして残るは「小西檀林(こにしだんりん)」=正法寺(しょうぼうじ)」である。
2017年11月26日、植木の町と称される匝瑳市(そうさし)、飯高(いいだか)という里山地域(舌状台地:ぜつじょうだいちは舌を伸ばしたような細長く突き出た台地のこと)に名刹がある。
日蓮宗の寺院というか、かつての僧侶の学問所である(現在の大学の様な)飯高檀林(いいだかだんりん)=飯高寺(はんこうじ)が、それである。
この時、飯高檀林が関東三大檀林の第一であることを知った。
2022年5月4日に、千葉県匝瑳市(そうさし)の龍頭寺(りゅうとうじ)の樹齢100年を超える大ふじを見た帰りの通り道で、隣町の多古町にある日蓮宗の大学「中村檀林(なかむらだんりん)」と称された「日本寺(にちほんじ)」にちょっと寄れた。6月9日には紫陽花見物に訪れた。
そして、2022年10月23日、大網白里の小西檀林(こにしだんりん)を訪れた。現在は「正法寺(しょうぼうじ)」と称する。
この日、漸く3番目の檀林を訪れることができた。
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):中門と旧講堂を改築した本堂。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【小西檀林(こにしだんりん):大網白里の「正法寺(しょうぼうじ)」】
〒299-3253 千葉県大網白里市小西755
大網白里市の東西に細長い市域は西部の「大網地区」である丘陵部、中央部の「増穂地区」である広大な田園部、東部の「白里地区」である海岸部を有している。
大網白里市(人口47,500人)といっても、海岸沿いとは違って、正法寺のある小西地区は田園風景の中にあり、所謂、山を背にした地形、里山の一画にあった。
写真は2022.10.23.大網白里の正法寺(かつての小西檀林)の冊子 -
国道からナビに任せて、正法寺(小西檀林)に向かうと、狭い道路とくねくねした道の連続となる。
正法寺の近くで急に狭い道になり、対向車が遠慮して違う道を取ってくれたほどだった。
写真は2022.10.23.大網白里の正法寺(かつての小西檀林)の冊子 -
さすがにかつての大伽藍(だいがらん:大規模な寺院の意味)を思わせる、広い敷地に駐車場が設けられていて、ありがたかった。
ただ、日曜日にもかかわらず、参詣客は私共二人だけだった。
地元の工事業者と、足を痛めていたご住職、檀家らしき方の3名が居られて、檀林の事について、ご親切にいろいろと教えて頂いた。
尚、檀林には檀家はないと聞いていたが、現在の日蓮宗の寺となり、近隣の住民が徐々に檀家になっていったと思われる。今は一般の方向けに墓地を販売もしているようで、檀家さんも増えたのだろう。
寺内の山際に墓地を作り、大きな販売広告の看板も立っていたのが目についた。
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):右に本堂、左に庫裏(くり) -
イチオシ
日蓮宗の本山(由緒寺院)であり、山号は妙高山(みょうこうざん)という。
長禄2年(1458年)、小西城主・原肥前守胤継(はらひぜんのかみたねつぐ)が平賀本土寺9世・妙高院日意上人を開山に迎え、自邸を寺に改めた。
7世妙道院日悟上人は天正8年(1580年)、徳川家康公から檀林開設を許可され、京都松ヶ崎檀林より通王院日裕を招き、ここに「小西檀林」が開講された。
この後、法灯は自證院日詔上人(池上本門寺第14世)、智見院日選上人(身延山久遠寺第26世)など、宗門選り抜きの逸材に継承され、当寺は隆盛を極めた。
飯高檀林もそうだったが、世に知られる身延山久遠寺や池上本門寺といった、所謂「出世寺」から住職=指導者の求めがあるという、名実ともに格式があったようだ。
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):徳川家綱公の寄進による中門と旧講堂を改築した本堂 -
「小西檀林」の最盛期には900人を超える学僧を擁したと云う。
寛政3年(1791年)の絵図によると、広大な境内には徳川家「東金(とうがね)鷹狩り御殿」を移し、本院7堂6殿5棟、塔頭4ヶ寺1院、学寮73舎という大伽藍が配置されていた。
明治6年の大火で諸堂の大半を焼失し、檀林は廃止のやむなきに至った。
現存する伽藍は旧講堂を改築した本堂と、徳川家綱公の寄進による中門、元禄年間建立の総門(以上、町指定文化財)のほか、妙見堂・鐘楼堂・客殿・庫裡などがある。
本堂は徳川家「東金(とうがね)鷹狩り御殿」を移したもので、三つ葉葵(みつばあおい)の紋が掲げられている。
ともかくも関東三大檀林のいずれも、似たような規模を持ち、近世まで多くの高僧・学匠を排出し、その法縁・法脈は今なお全国に及んでいる。
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):中門、中門の先に鐘楼が見える。 -
<正法寺=小西檀林の歴史>
1458年(長禄2年)原胤継が本土寺第9世・妙高院日意を招いて正法寺を建立する。
1582年(天正10年)飯塚光福寺に開かれた飯塚講肆(後の飯高檀林)の通王院日裕が、正法寺第7世・妙道院日悟の招請により小西檀林を開檀する。
1630年(寛永7年)身池対論に小西檀林から第6世化主・守玄院日領が臨む。
1671年(寛文11年)徳川家綱が東金御殿の宿舎を移築する。
1678年(延宝6年)徳川家綱が二百両を寄進し中門を建立する。
1872年(明治5年)学制発布により小西檀林が廃檀となる。
1873年(明治6年)大火により七堂六殿五棟の大半が焼失。講堂(現 本堂)・中門・総門のみが残る。
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):鐘楼堂 -
銀杏の影が映って見にくいが、ここにかつての縄張り図(本院7堂6殿5棟、塔頭4ヶ寺1院、学寮73舎という大伽藍が配置されている)を大きな看板で示している。
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):かつての縄張り図 -
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):門前にある教育委員会の看板
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写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):日蓮宗の石碑
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イチオシ
「人形の寺」とも呼ばれる京都の宝鏡寺(ほうきょうじ)には、大阪単身時代に来阪した家内と訪れた事がある。
宝鏡寺は1644年に後水尾天皇皇女の理昌女王(久厳尼)が入寺して紫衣(しい:徳の高い僧に贈る紫色の僧衣で、天皇の勅許が必要)を勅許されて以降、代々の皇女が入寺する尼門跡(あまもんぜき、あまもんせき:皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のこと)寺院となり、土地の名前から「百々御所」(どどのごしょ)と呼ばれたと云う。
正法寺(小西檀林)の中門にかけられた「妙高山」の扁額(へんがく)をお書きになった皇女 理豊(宝)の宮(りほうのみや:1672年~1745年)は1683年、上記の宝鏡寺に入って理忠女王のもとで得度(とくど:僧侶となるための出家の儀式)した。
1689年、宝鏡寺の第22世門跡となり、寺勢の興隆につとめ、中興の祖と称されている。
理豊(宝)の宮は絵を幕府奥絵師の狩野周信(かのう ちかのぶ)に学び、また能書家であり各地に額字を揮毫したそうだ。
「妙高山」の扁額も素人目にも見事な筆使いだ。
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):中門にかけられた「妙高山」の扁額(へんがく)は、後西(ごさい)天皇(在位1654年~1663年)の皇女 理豊(宝)の宮の手によるものとされている。中央上段に天皇家の菊の紋章が見える。 -
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):真新しい石灯籠
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イチオシ
現住職は第348世・畠山日慶貫首(茂原市實相寺より晋山)と言う。
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):本堂には徳川将軍家の三つ葉葵(みつばあおい)の紋が寺の歴史を物語っている。 -
写真は大網白里市の正法寺(小西檀林):本堂内にも徳川将軍家の三つ葉葵の紋がある。
-
本堂内の仏壇には「厨子(ずし)」があって、「厨子(ずし)」内の日蓮大聖人像を中心に、厨子外の左右に2つの像が見られた。
三つの像は、日蓮の父妙日(みょうにち)像、日蓮大聖人像、母妙蓮(みょうれん)像と思われるが、住職に確かめなかった。
写真は網白里市の正法寺(小西檀林):本堂内の仏壇と三つの像 -
写真は網白里市の正法寺(小西檀林):本堂内の日蓮大聖人像と母妙蓮(みょうれん)像!
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写真は網白里市の正法寺(小西檀林):本堂内の日蓮大聖人像!
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写真は網白里市の正法寺(小西檀林):中門、銀杏の大木、縄張り図
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以下は参考に:
【飯高寺(はんこうじ)= 飯高檀林(いいだかだんりん)】
〒289-2141 千葉県匝瑳市飯高1789
飯高檀林は関東で初めて日蓮宗の檀林(僧侶の学問所)となり、その後、天正19年(1591年)に徳川家より日蓮宗の根本檀林として寺領30石を寄進され、徳川家康、養珠院(ようじゅいん、お万の方と称した家康の側室(紀州徳川家の家祖頼宣、および水戸徳川家の家祖頼房の母)、頼房、光圀、頼宣などの信仰も厚く、その庇護を受け、格式の高い檀林へ発展した。
つまり関東8檀林、関西6檀林あわせて14檀林中、最高位の檀林であったと云う。
写真は匝瑳市にはかつて俊秀が集った大学・飯高檀林(いいだかだんりん)があった。飯高寺(飯高檀林跡) 寺・神社・教会
-
学僧は年2回(春・秋)それぞれ100日間学んだと云う。8段階の課程に分かれ、各課程の定められた講義を受け進級したそうです。入学してから、36年間の期間をかけて全課程を修了したと云うから、聞くだけで驚いてしまう。
元禄時代(1700年代)には450~650名の学僧がいたとパンフレットに書かれていた。
飯高檀林は明治の学制発布により廃檀となり、294年間の歴史を閉じるが、その名跡を継いだ立正大学へと形を変えて発展する。それを記念した、大きな立正大学発祥之地の碑が寺域右手に建てられている。
講堂・鐘楼・鼓楼・総門が国指定の重要文化財(昭和55年)、檀林跡としては境内全体(総面積67,667㎡)が千葉県指定の史跡になっている。歴史的建造物を保存するため、平成14年までに「平成の大修理」が行われた。
写真は匝瑳市:飯高檀林=飯高寺に見る参道の杉林 -
【「日本寺(にちほんじ)」=中村檀林(なかむらだんりん)】
〒289-2257千葉県香取郡多古町南中1820-1
日蓮宗の本山(由緒寺院)であり、山号は正東山(しょうとうざん)と称した。
日本寺の十世を継いだ広才博学の僧日円(にちえん)により、「中村檀林(なかむらだんりん)が開かれたのは慶長4年(1599年)のことである。
最盛期には36の学坊・・・「観月庵」、「寂光庵」、「鳳林庵」、「浄心庵」、「真如庵」、「精進庵」、「摂心庵」等・・・に千人近くの学僧が学ぶという全国有数の学問所となった。
開壇の慶長4年(1599年)から、学制発布によって廃檀となる明治8年(1875年)まで、僧侶の養成機関であった中村檀林では、270余年の間に延べ10万人もの僧侶を輩出したと云う。
写真は多古町の日蓮宗の本山・正東山日本寺も僧の学問所「中村檀林」であった。正東山日本寺 寺・神社・教会
-
多古町(たこまち)は関東平野、千葉県の北東部に位置し、香取郡に属する。下総台地と九十九里平野に挟まれ、町の中央部を下総台地に源流を発する栗山川(全長39km)が流れ、横芝光町の九十九里で海に流れ出ている。
そして町の花は「紫陽花(アジサイ)」である。
写真は多古町:中村檀林=日本寺:入口から長い杉林の参道が続く。
房総の里山に残る「関東三大檀林(だんりん)」は僧侶の学問所として、多くの学僧を育て、世に俊秀をおくり出した。
三大檀林の締めくくりとなる「小西檀林」も其の歴史の興亡もすでに過去のものとなり、ひっそりと里山に隠れたように在った。
・・・・・・・・・・
(2022年11月13日、Wiki/Hp参考、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
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- しにあの旅人さん 2025/08/12 20:06:47
- 初めまして
- 初めてコメントいたします。
しにあの旅人ともうします。妻と二人で掛け合い漫才の旅のブログをやっております。二人とも79才です。
「一書に曰く」で始まり、「By妻」で終わるのが妻のパートです。
長くて、文字ばっかりと、4トラで不評を買っておりますが、いっこうにめげる気配なく、書きたいことを書いております。
10才の孫娘に8年後に読ませるつもりです。
大網白里在住です。正法寺はまったく知りませんでした。
早速地図で調べました。大網白里でも端っこで、東金との境目でした。自宅からは散歩に行けない距離で、まったくノーチェックでした。
さっそく車で行ってきました。行きは緑が丘から。なるほど1カ所狭いところがあって、しかも大きなベンツが来てすれ違いに苦労しました。このベンツがまた下手。人のことは言えませんが。
帰りは小西坂を上がって季美の森に行きましたが、急坂で車が何台も下りてきました。
あまり車の便のいいところではありませんね。
車はjijidarumaさんと同じところに駐めました。
参拝者はやはり私たちだけ。
建物は変わっていないようでした。
墓地募集の看板もありましたが、。新しく墓地が作られている気配もなし。
いいお寺だと思いますが、不便すぎます。唯一のアクセスは車ですが、道路がこうでは、新しく墓地を買う方も二の足を踏むでしょうね。
お寺が葬式と墓地の管理だけではないのは充分承知していますが、ちょっと寂しい感じです。
こんな山の中に学僧900人を擁したそうですが、いったい休みの日にはどこに遊びに行ったのだろうと、不謹慎なことを考えました。
学僧は、年中無休で勉強するのですかね。
緑が丘も季美の森もたかだかこの数十年の開発で、それ以前はタヌキもビックリの森だったはずです。
現在の大網高校の近くに大網城というチンケなお城があったそうです。一応城下町(村)があったみたいですが、それだって、歩いて1時間はかかります。
締めくくりの、
★三大檀林の締めくくりとなる「小西檀林」も其の歴史の興亡もすでに過去のものとなり、ひっそりと里山に隠れたように在った。★
のお言葉その通りでした。
- jijidarumaさん からの返信 2025/08/13 02:04:17
- Re: 初めまして
- しにあの旅人さん、
今晩は。
本編にお立ち寄りとコメントを頂き、ありがとうございます。
何やら、「小西檀林」がお目にとまったようで、ご地元とはいえ、早速現地探査にお出かけになった由、そのようなことはなかなか無いので、大変嬉しく、感謝しております。
日蓮さんの生まれた千葉ですから、学僧たちのレベルは高かったようで、3つの檀林が千葉にあるというのも誇るべきことなのでしょう。
実は、しにあの旅人さんが投稿された「堀辰雄シリーズ」3編を以前拝読させて頂いておりますので、完全に「初めまして」ではないのですよ(笑)。
当時、その内容に凄いなと感じたものでしたが、私の方は恥ずかしながら、口コミだけで「軽井沢と言えば、堀 辰雄の「風立ちぬ、いざ生きめやも」でしょう。」の1編を投稿しただけです。
前述の3編とは、少々異なった可笑しみのある最近の投稿・「勝手にフェスティバル」4編も、良いですね。いずれもじっくり、楽しく拝読できました。
同じような場所を訪れても、私にはこうした軽妙さのある文章はとても書けません。
79歳どうしの奥様との「二人で掛け合い漫才の旅のブログ」、さらに「一書に曰く」で始まり、「By妻」で終わるのが奥様のパートだとか・・・奥様のパートが入るのを拝読するのは初めてで、たいへん新鮮、コメントもなかなかのものです。
我が家は3歳上になる1943年(昭和18年)生まれの夫婦で、家内の方が4ヶ月年長!です。私が古びたパソコンを駆使し?!パソコンの調子の良い真夜中に4Tra活動しております。書いたものは各々印刷して家内のチェックが入ります。昼間はその影響で、うつらうつらし、ソファーで昼寝することに。このご返事もそんな次第でもうすぐ1時半です(苦笑)。
【長くて、文字ばっかりと、4トラで不評を買っておりますが、いっこうにめげる気配なく、書きたいことを書いております。】
・・・とあるのは、実にご尤もで私もそうありたいと思っております。
とりわけ、お孫さんに読んで頂く為に書いていることも、素晴らしいです。
私も我が家の歴史(母や大叔父のことなど)などを纏めて、大学時代の友人が主宰する同人誌に載せてもらい、孫たちに同人誌として残していますが、さて興味を持ってくれると良いのですが。
私共は東京の西の果て、青梅から縁あって、千葉県人になりました。しにあの旅人さんご夫妻も似たようなご様子ですね。
千葉県は小旅行をするには、このような檀林、成田山、空港、侠客、城址、酒処、古墳、桜や藤、紫陽花、銀杏など、訪れる場所に困りません。
最近は巨木巡りなどもやっています。
コロナや欧州も戦時体制の所為で、海外旅行もご無沙汰し、国内も夫婦そろって、何となく人混みや並ぶのが苦手になり、このところ、東京も世田谷の長女一家の行事に出かけるくらいになっています。
そろそろ2時になりますので、この辺で失礼します。
それではまた。
jijidaruma
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