jijidarumaさんへのコメント一覧(29ページ)全412件
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昔のドイツ
jijidarumaさん
旅の写真とともに、終わりに書かれているお話しが昔を思い出させました。
1977年は本当に恐ろしい年でした。検事総長ジークフリート・ブーバックの暗殺や、数年後のドイツ銀行頭取アルフレート・ヘルハウゼンの爆殺など、ドイツ赤軍の常軌を逸した行動は、ドイツがそれまでの時代とは違う社会になってしまったたと思わせられたものです。価値観を異にする人との共存を求めず、殺害に走る若者、しかも高等教育まで受けた若者が、あれだけ存在していることを知った時、日本人の憧れの対象でもあったドイツ社会の変貌を目の当たりにした思いでした。もう40年も経つのですね。デュッセルドルフのケーニヒスアレーが変わってしまったとのことですが、確かに都市の景観はいずこもそのようなものかもしれませんね。だからなおのこと地方の小都市や村々の佇まいの貴重さを愛でたくなるのかもしれません。ドイツ人よりも、むしろ外国人の方がそれを感じるのかもしれません。近頃、中国人が唐の都を見たければ日本に行けと言っているそうですが、同じことかもしれません。とても楽しく拝見しました。
RolleiguyRe: 昔のドイツ
Rolleiguyさん
こんにちは。コメントありがとうございました。
1970年代は誠に今振り返っても恐ろしい時代でした。
とりわけ、私共と同じような環境下で育ち、それも年齢も近く、高等教育を得た人たちが日本赤軍として出現し、ハイジャックをはじめとする、多くの犯罪を為したことに、いまだに理解ができないですね。
不思議と言えば不思議なことに、その日本赤軍がドイツ赤軍に影響を与え、共感させた結果、ドイツにも組織が造られ、多くのテロを実行したとされていることです。ドイツにもそのような下地があったとは知らなかったです。
今に至るIS(イスラーム過激派組織=イスラム国)の凶暴性に通じるものを感じます。時代が変わっても、新たな地域で出現する、こうした組織を根絶することは難しいのでしょう。
それにしても当時の西ドイツ首相Helmut Schmidtヘルムート・シュミットがハイジャック事件を解決した手際は見事でした。
言われるように、ドイツの小さな田舎町は良いですね。そこに木組み建築の家並みがあれば・・・。
それではまた。
jijidaruma2017年11月17日16時25分 返信する -
フェーダーヴァイサー
jijidarumaさん
ご無沙汰しております。
ドイツのことを考えていたら、jijidarumaさんを思い出して訪問しました。
フェーダーヴァイサーという呼び方を初めて知りました。発酵途中のワインの
ことですね。オーストリアではSturmと呼んでおり、その前はMostでした。
地元に居ないと飲めないもので、季節ものでもあって、日本なら季語になりそうですね。来年はドイツの友人に会いに行こうかと考えており、もう少しドイツのことを知っておかねばと、旅行記をいろいろ見ていますが、やはり一番勉強になるのはjijidarumaさんですね。また、訪問します。Re: フェーダーヴァイサー
Rolleiguy さん、
こんばんは。お久しぶりです。
ご投票とフォローして頂きありがとうございました。
どうぞ宜しくお願いします。
さて、Federweisserフェーダーヴァイサーの事をオーストリアではSturmと呼び、その前はMostと称していた由、確かに手元のドイツ語辞典にありますね。オーストリアでの言い方は全く知りませんでした。
多分、フェーダーヴァイサーの時期にオーストリアを旅していない所為なのでしょう。
Sturmというと、良く知られているのはシュトゥルム・ウント・ドラングSturm und Drang疾風怒涛時代ですか、ついでに言うとシュトゥルムアプタイルングSturmabteilung=SAナチスの突撃隊が、私の中では浮かんできます。
来年はドイツの友人に会いに訪独される由、シュパーゲルの春の季節も良いですが、フェーダーヴァイサーを飲み、ツヴィーベルクーヘンを楽しむ秋もまた良いのではないでしょうか。
jijidaruma2017年11月14日22時53分 返信する -
Xで始まるドイツ語
クサンテンのローマ基地遺跡、広大ですね。
円形劇場も表紙の写真からはサッカースタジアムかと思いました。
ドイツでもローマ遺跡はあちこち残っていますが、私が訪れたところで最も有名なのはトリアーでしょうか。その他にフランクフルト近郊のザールブルク城もそうですし、市内にも遺跡がありましたね。アーヘンにも、そう言えばウィーンにもあるし、ローマ帝国というのは強大だったのですね。
ところで今日は質問です。
Xsaten(クサンテン)、jjidarumaさんも先の旅行記でXで始まる数少ない地名と仰っていますが、先の旅でドイツ一円の交通をマヒさせた大暴風雨、「Xavier」に遭遇しました。
これは何と発音するのでしょうか?全く見当がつきません。
Re: Xで始まるドイツ語
himmel さん、
こんばんは。
コメント・ご投票に深謝!
ほんとにローマの遺跡は多いですね。フランクフルトの真ん中にも
ありました。ローマ帝国の国境線・ドイツ・リーメス街道
(2005年世界遺産登録)を見てると、その凄さが分かります。
さて、「Xavier」ですが、私のドイツ語辞典には
載っていませんでした。その代りに、「Xaver」という言葉
が目に入りました。御存じの人物Francesco Xaver(=バスク
語でXavier)フランシスコ・ザヴィエル・・・日本人も馴染みのイエズス会の宣教師です。
これをベースに検索してみると、Franz Xaver Wolfgang Mozart
フランツ・クサーヴァー・ヴォルフガング・モーツァルトと言った
名前が出てきました。
彼は神童ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの末子の
4男で、ピアニスト・作曲家でした。
つまり、Xavier( Xabier)シャビエルは男性名、バスク語では
シャビエル、現代スペイン語ではハビエル (Javier)、ドイツ語
ではクサーヴァー (Xaver)と呼ぶそうです。
ドイツの新聞などでXavierと書いていたらシャビエルと言う
のが正しいのか、それともドイツ語のクサーヴァー (Xaver)と
すべきなのか、人名(ドイツの人名というプログも見ましたが、
マイナーなのでしょうかXaverはなし)はとかく難しいですね。
ついでながら「きよしこの夜」の作曲者フランツ・クサーヴァー・
グルーバー というオーストリアの教会オルガン奏者もいます。
jijidaruma2017年10月28日18時31分 返信するRE: Re: Xで始まるドイツ語
jijidarumaさん、ありがとうございます。
「Xavier」の読み方、わざわざ調べてくださったのですね。
やっぱり、「クサーヴァー」か「クサーヴィア」というのが私にはピッタリきそうです。
私も何かを見ていましたら、「ザヴィエル」という言い方もあるそうで、ドイツ語に拘らなければ耳慣れたザヴィエルもよさそうですね。
いつか旅行記を書くとき(かなり後になりますが)、jijidarumaさんのこのコメント使わせてください。
ありがとうございました。
himmel
2017年10月29日14時29分 返信する -
豪華なシュロスホテルですね~
jijidarumaさん、こんにちは。
帰国して10日経ちましたが、やっと時差ボケから解放され、ボチボチと旅行記を書き始めました。
jijidarumaさんの発表なさったご旅行記は拝見させていただいていました。
特に、今回私もミュンスターを訪れたものですから、懐かしく拝見いたしました。
と言っても、ほんの数時間の滞在では、jijidarumaさんのように深く深く歴史を辿る旅には程遠く、足跡だけをつけた旅になりましたが。
それにしても今回のシュロスホテル、アンホルト城はもの凄く格式あるホテルですね。
ベッド上の将軍様に見守られておやすみになったお気持ちはいかがでしたか?
いつもながらお料理も素晴らしいですね。
次はどんなお城にいらっしゃるのか、どんなホテルにいらっしゃるのか、楽しみです。
himmelRe: 豪華なシュロスホテルですね~
himmelさん、
いつもありがとうございます。
長いドイツの旅からお帰りですね。お疲れさまです。
いよいよその旅の旅行記が始まったようで、ボチボチの掲載
を楽しみにしています。
ミュンヘン空港に近い町に宿泊を余儀なくされたことから
はじまり、さて旅のルートはどうなっていくのでしょう?
驚いたことにミュンスターにも足を延ばされたとか、旧市街には
歴史がたくさん、若い頃訪れた時より、今回、この町の歴史が
面白かったです。
アンホルト城に2泊したのもお気に入りの所為、ゴッホのクローラー・ミュラー美術館(オランダ・Arnheimアーネム)も近かったのですが、
やはり歴史好きなので、翌日は古代ローマ軍団の都市であり、
「聖者たちの場所」の意味であるXantenクサンテン(Xで始まる
珍しい名前の町)に行きました。
もう旅も実質3日間を残すだけ、25日クサンテン、26日、27日
デュッセルドルフと続き、そのままANAで帰国です。
それではまた。
jijidaruma
追伸:
今日は雨の中、福祉会館で地区敬老会に行きました。
行って周りを見れば、まだまだ私も若いと思いました(笑い)。
先日、パスポートも10年更新、パスポートを見たらなんと74歳
の誕生日が更新日になっていました。
今年は結局、ドイツの旅は中止し、来春にトライです。2017年10月21日16時29分 返信する -
山の上のお城
jijidaruma様
こんにちは、Papanと申します。
私の 大変拙いストラスブールとコルマールの旅行記にご訪問とご投票ありがとうございました!<(_ _*)>
肥沼医師のお話は私は全く知りませんでした。貴重な伝記を読むことができてとても良かったです。でも桜がみたかったというお話が悲しかったです。私は昨年の4月にドイツを訪れ、アーヘンでは大きな八重桜がたくさん満開で、ケルンでは川沿いに見事なソメイヨシノが満開で、思わぬところでお花見ができて良かったなあと良い想い出だったので…。肥沼医師が居た所には悲しいことに桜がなかったんですね…。
それでアルザス地方なんですが、実は私は昨年とても物足りなかったのでまた今年の12月に行く予定なんです! ただ欲張ってまた詰め込みすぎたのでゆっくりできるかどうかわからないのですが…、下調べをたくさんして充実した時を送りたいと思っています。 jijidaruma様の旅行記は大変参考、いえ遥かに参考以上のものになりました。山頂のオー・クニグスブール城は中世の面影が残っててとっても素敵ですね! 私も寒すぎなければワイン街道を散策したいと思っているのでオー・クニグスブール城を遠くから見れたらいいなと思っています。
昨年は行きの飛行機で風邪をうつされたようで薬も飲みながらになったので旅の前半はあまり体力に自信がありませんでした。今回は風邪薬とビタミンCをたくさん持っていく予定です。jijidaruma様も冬にXmasマーケット巡りをされるそうですが、どうかお体にはお気をつけください!
これからも宜しくお願いいたします♪
PapanRe: 山の上のお城
Papanさん
こちらでコメントを返して頂いたようで、スミマセンでした。
アルザスには今年の12月に再挑戦の由、良いですね。
旅は少し拘ってみるのが、実になりますし、思い出も多く
残ると思います。
私は比較的、事前調査をして出かけます。とりわけ伝説などが有ると、訳して楽しんでいます。
この4Travelではドイツの伝説・民話からスタートし、様々なことを
書いてきました。
ドイツの旅で掲載したのは2009年のドイツのクリスマス、
2014年ドイツの春・北方二州を巡る旅、
そして2015年黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅です。
現在は2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・
ミュンスターラントの旅を掲載中です。
伝説・民話、レストラン、ケーキ、古城ホテル、ロマンチックホテル
などなどテーマは(口コミも含めて)色々です。
ドイツの旅では、バラの奇蹟で知られる聖女エリザベート、
美貌で名高いオーストリア・ハンガリー帝国の皇妃エリザベート、
あるいはザクセン王アウグスト強王の愛妾であったコーゼル伯爵夫人(49年間、85歳で死ぬまで幽囚された)といった女性たちに加えて、
ナチス・ドイツ抵抗運動のシンボルとなったシュタウフェンベルク
伯爵についても興味を持って、その事跡を巡る事が多かったです。
私共は74歳の夫婦で毎年レンタカーでドイツの古城めぐりを
しています。ドイツは広く、それも東西ドイツが統一されて
更に広くなりました。いつまで経っても終わりがないのですが、
私共には年一回の楽しい行事になっています。
旅はこだわってこそ、楽しみが増えますから、古城めぐりと
伝説好きはまだ続くことでしょう。
コメントありがとうございました。
どうぞよろしくお願いします。
jijidaruma
追伸:アルザスの年末年始の旅(39歳当時)はこちらです。
ご参考までに。
https://4travel.jp/travelogue/110758382017年10月12日17時34分 返信する -
jijidarumaさん、はじめまして。
いつも、旅行記にご訪問いただき、またご投票いただきまして、ありがとうございます。また、このたびは、フォローまでしていただきまして、ありがとうございます。遅ればせながら、私の方からもフォローさせて頂きますので、これからも どうぞよろしくお願いいたします。今、jijidarumaさんのドイツシリーズを拝見しておりますが、歴史書を紐解くような 丁寧な解説に、興味が一層湧いてまいります。また、私の好きな音楽に関する記事もありまして、一つ一つ、楽しみながら拝見しています。ドイツのレンタカー旅行は、ドイツ語が話せなくても、英語で事足りるのだろうかと・・・私達は、アメリカならレンタカーでの旅行は慣れていますが、ドイツはツアーでしかいけないと思っていますので、憧れております。また、奥様への愛情が溢れる旅行記で、とても羨ましくもあります!ドイツシリーズ、まだまだ楽しませていただきますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。
yamayuri2001RE: jijidarumaさん、はじめまして。
yamayuri2001さん
こんばんは。はじめまして。
こちらこそ、ドイツばかりの旅行記にご興味を持っていただき
ありがとうございます。
お互いにフォローということで、私の方からも宜しくお願いします。
ドイツの古城巡り・古城ホテル好きで、退職後、古稀も過ぎましたが、相変わらず、
ドイツを懐かしんで、毎年、レンタカーで走っています。
ドイツの伝説・民話好きで、下手な訳ながら、それらの紹介もしています。
そろそろドイツのクリスマス時期になりますが、ご興味あれば、クリスマスの旅行記も
少しは参考になるかもしれません。
ヨーロッパでレンタカーの旅を考えるならば、やはりドイツから始めると良いですよ。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
2017年09月27日23時54分 返信する -
7月20日の男たち
jijiarumaさん、こんばんは。ご無沙汰しております。
ドイツには珍しい「赤ワイン街道巡り」ですか。
そしてクロイツベルク城には7月20日の男たち「ワルキューレ」のお仲間がいらっしゃったのですね。
ゲオルク&フィリップ・ベーゼラーガー男爵兄弟。
あのヒトラー暗殺未遂事件の同志には由緒正しい家柄の出身が多いですね。
フィリップ・ベーゼラーガー氏は91歳まで生きて、あの事件の語り部をなさっていたとか。他の仲間は捕らえられ酷い処刑をされたことを思うと、一人でもそんな方が残っていてくださってほっとしました。「ドイツの良心」ですものね。
秋色のぶどう畑、いろんな色彩に溢れて素敵ですね。
私も9月中ごろ出発しますので、そんな風景が見ることができるかなーと思ったり、ちょっとjjidarumaさんとは時期がずれているので、まだ早いかなーと思ったり、やきもきしています。
でも車ではないので、あんなに間近にぶどう畑を見るのは叶わないかも知れません。
himmelRE: 7月20日の男たち
himmelさん
こんばんは。コメントありがとうございました。
アール赤ワイン街道は少々雨に降られて残念でしたが、秋色のぶどう畑やフィリップ男爵の居城のBurg Kreuzbergクロイツベルク城まで行けたので、まずまず満足しました。
アール赤ワインは殆ど自家消費されてしまうそうで、日本ではまず見たことも無く、
他のレストランのワインリストでもあまり見かけないです。
この次の日記ではアール赤ワインも飲みました。
・・・
偶々北方2州の旅先で知ったベーゼラーガー男爵兄弟の活躍話でした。
この時が無ければ、この街道を走っても、知らずにアイフェル地方を
通り過ぎたことでしょう。
1944年7月18日、ゲオルク&フィリップ・ベーゼラーガー男爵兄弟は東部戦線から
ベルリンに向け、騎兵第31連隊の1200名を指揮し、ベルリンに向かったという。
7月20日のシュタウフェンベルク大佐らの企てを支援するために軍を動かしたのだ。
ヒトラーの暗殺成功後、直ちに大物側近のヒムラー、ゲッペルスを捕えるために。
が、暗殺が失敗に終わったことを知り、兄弟は兵1200名を率いて元の東部戦線に戻った。
1944年8月27日、ゲオルク男爵は戻った東部戦線のポーランド・ウォムジャ(ドイツ名Lomschaロムシャ)でソ連軍の狙撃手に撃たれて戦死しました。
剣付き柏葉章受章者(ドイツ軍人中、たった159名しかその栄誉を授与されていない)の
一人となった、
弟のフィリップ男爵は幸い長生きをした。
1945年4月16日、フィリップ少佐は第3騎兵師団第31騎兵連隊長に昇進。
師団はオーストリア南端のBad Gleichenbergバート・グライヒェンベルク地域
に後退して、退路を確保しつつ戦い続けた。
1945年5月1日、ヒトラーの死が部隊に伝えられた。
降伏の地はオーストリアのグラーツ周辺で、アメリカ軍に降伏することができた。
降伏したのが米軍であった事は幸運であったと云える。
2008年5月1日、フィリップ男爵は居城のBurg Kreuzbergクロイツベルク城
(bei Altenahrアルテンアール・アイフェル地方)で死去。
戦後結婚した奥方と子供4人の家族と共に91歳で死ぬまでこの城で過ごした。
勇敢さでは兄が秀でており、運命の皮肉で弟が生き残り、
ヒトラー暗殺未遂事件の語り部となった。
・・・
9月の旅ももう直ぐなのですね。
大いに楽しんできてください。
jijiarumaさん
2017年09月04日19時49分 返信する -
なつかしいモーゼル川沿岸の町
jjidarumaさん、こんばんは。
お身体の方はその後いかがですか?
順調に旅行記が進んでいますので、お身体も順調になられたのだなーと思いました。
懐かしいーー!
トラーベン・トラーバッハ、ベルンカステル・クース。
秋の味覚フェーダーヴァイサーにツヴィーベルクーヘン。
それにご馳走様でした。いえ奥様のクーヘン。ほんとおいしそう。
日本でよく見られるドイツのワイン、あのカッツはツェルのモーゼルワインでしたか。
今回の私たちの旅はちょうど、フェーダーヴァイサーのころ。
残念ながらモーゼル川は横を通るだけになりそうです。
26日間の予定なのですが、行きたいところを並べていたら、足りなくなって。
でも、各地でいただけると思いますので、まずはアルザスでいただきます。
私の旅行記、なかなか前に進みません(涙)。
himmel
RE: なつかしいモーゼル川沿岸の町
himmelさん、
こんばんは。
26日間のご旅行、実に実に羨ましい限りですよ。
さて、「モーゼル川は横を通るだけ」「フェーダーヴァイサーは
アルザスで」・・・その行程も旅行記になるまで、待たねばならないとは
残念なことです。
ご心配かけましたが、其の後は体力の回復も順調です。
5kgも体重が落ちると、ほんとに力が入らなくなりますね。
漸く1kgプラスされましたが、家内はこの辺で十分と言います(笑)。
そんな次第で、旅行記も口コミもちょこちょこと、投稿しています。
書いていながら、モーゼル川巡りは既視感があって、適当になりそうです。
それでも初めて入ったベルンカステル・クースなどのレストランもあり、
?モーゼルのローレライ”なる言葉も、場所も初めて知りましたし、
旅はいろいろと発見ですね。
ツェルの黒猫印のワインは、意外に日本でお目にかかる事も多いです。
ドイツに行くと、白派になり、日本に帰ると赤派になってしまいますが、
旅行記もこれから行くアールワイン街道には赤があって、好みなのです。
・・・
台風、豪雨、酷暑のとんだ8月ですが、そちらは大丈夫ですか?
どうぞご健康にご留意の上、出発までの時間をお過ごしください。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
2017年08月07日23時56分 返信する -
テレビで2度拝見しました。
jijidarumaさん、こんにちは♪
今日、おじゃましましたら 見覚えのあるお名前。
肥沼 信次医学博士、すぐにピ〜ンときました。
jijidarumaさんは、後輩なのですね。
テレビを見て、とても感動したのをはっきりと
覚えています。
もっと広く皆さんに知っていただきたいと思って
いました。
丁寧に詳しく書かれているjijidarumaさんの
旅行記も素晴らしいと思いました。
桜の木のこともテレビで言っていました。
命日には、町民の方々によって慰霊祭が行われて
いるとのことで嬉しいですね。
ずっと語り継がれていって欲しいものです。
ヴリーツェンと八王子市が、友好都市の締結を
目指しているとのことで、こちらも是非に実現して
欲しいものです。
なかなかできることでは、ありませんよね。
こちらでご紹介くださり私も嬉しいです。
またおじゃまいたします。ありがとうございました。
夏バテしないように、お気を付けてお過ごし下さいませ。
cheriko330献身:ドイツ人に愛された肥沼 信次医学博士: テレビで2度拝見しました。
cheriko330さん、
こんばんは。
ご丁寧なコメントとご投票ありがとうございました。
さて、本編については投稿してから既に8ヶ月弱が経ちますが、
こうしてご丁寧な感想が寄せられるのは嬉しいもので、御紹介した
甲斐があったと思います。
本編に月々お立ち寄りされる方は凡そ40人ぐらいで、毎月のランク
も私の30位中の15位ぐらいになりますから、ご興味を持ってお読み
いただく人がいるなと、投稿者としては嬉しく思っているのです。
ヴリーツェンの桜の木の話、慰霊祭のこと、博士が名誉市民であること、
そして様々なエピソードが今も語られ続けていることに、大いなる感謝と、
感激がありました。
とはいえ、ドイツでの企業駐在者たちも、日本の外務省、新聞社の
特派員、留学生も今も知らない方が多いでしょうね。
やはりヴリーツェンは地図で見るとドイツの片田舎の町です。
そんな田舎町だけに逆に博士が名誉市民であることの重さを思います。
戦後、七十年を過ぎても、こうした人物の事が世に知られることが
少ないのは残念というべきなのでしょう。
?命のビザ”の杉原 千畝(すぎはら ちうね)氏もそうでしたが。
私も15年前に知ったぐらいですから、徐々に三多摩地域に知れ、
今は八王子市が姉妹都市にと全市を挙げて推進している由、
意義もある事と言えましょう。
ヴリーツェンの聖ヨハニッターギムナジウムと私立八王子高校
とは平成21年に姉妹校提携していますと書いていますが、
実は平成14年(2002年)の母校の同窓会誌で、肥沼博士の事績に
ついて紹介された高校3期の先輩が、母校と現地校との姉妹校
の提携を同窓会経由母校に具申していました。
生誕地八王子の学校も良いのですが、本来肥沼博士の母校が
そうであるべきだったと思うのです。
平成元年(1989年)、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは
統一され、漸く何事もオープンになった様子をこの田舎町の
歴史を見ても感じます。
日独の絆もまだまだこれから強くなっていくことでしょう。
・・・
台風、豪雨、酷暑のとんだ8月ですが、どうぞご健康に
ご留意の上お過ごしください。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
2017年08月07日23時20分 返信する -
肥沼信次氏
jijidarumaさん 初めまして
Tom Sawyerさんの掲示板で偶然にもjijidarumaさんを知り、日本人医師のことを知りました。読み進めていくうちに感動で涙が止まらなくなりました。
同じ日本人として彼の生き方に深い感銘を受けました。偶然目にしたjijidarumaさんの旅行記に出会えたことを感謝したいと思います。
自分を犠牲にしてまで異国の人々のために全力で取り組んだ姿勢は失われかけた日本人の誇りを取り戻させる出来事ですね。肥沼信次博士はそこがドイツでなくてもソ連であっても同じことをしたと思います。このヒューマニズムは多くの人に感銘を与えると思います。
歴史の中に埋もれることなくこの偉業が日の目を見ることになったのは素晴らしいことです。この旅行記が多くの人に読まれることを願っています。
今日は大変すばらしい旅行記に出会えて清々しい気持ちで過ごせそうです。ありがとうございました。
pedaruRE:故 肥沼信次氏
pedaruさん、こんばんは。
初めまして、お立ち寄りとご丁寧なコメントありがとうございました。
大先輩故肥沼信次氏については、以前より知っていたこともあって、
何時か纏めてみたいと思っておりました。
丁度、東京・八王子市が平成29年に市制100周年を迎えるにあたり、肥沼信次医学博士ゆかりのヴリーツェンと海外友好交流協定(友好都市)の締結に向けて、準備中だと
聞き及びまして、是非この機会に4Traに掲載したと思ったのです。
ドイツ大好きの私でも全く知らない町(東独の小さな町Wriezenヴリーツェン
だけに)があり、しかも偉大な日本人、大先輩を知らずにいた事はたいへん
残念な事でした。
幸い、この本稿を多くの方がお読みいただいた様子で、私自身も大いに
喜んで居ります。
さらに、こうしてpedaruさんから、私が表現したい事を全てここにお書き頂き、
大変ありがたく拝読いたしました。
長い間、故肥沼博士は消息が不明でしたが、様々な方の協力で、その
≪献身:ドイツ人に愛された肥沼 信次(こえぬま のぶつぐ)医学博士≫
が表に出たことは、やはり時の大きな変化があったからですね。
平成元(1989)年、ベルリンの壁が崩壊し、東ドイツの共産主義者ホーネッカー大統領が失脚します。そして1990年に東西ドイツは統一されました。
ヴリーツェン市では、43年間封印されてきた肥沼信次医師に対する感謝の気持ちを、晴れて公にできるようになったのです。
その意味で、2017年6月16日に亡くなったドイツのヘルムート・コール元首相(享年87歳)には多いに感謝の意を表しないといけませんね。
彼は東西冷戦で41年にわたり分断された旧東西ドイツを統一させた立役者でしたから。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
2017年07月29日23時50分 返信する



