2016/10/14 - 2016/10/28
35位(同エリア406件中)
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記524冊
- クチコミ590件
- Q&A回答105件
- 758,714アクセス
- フォロワー98人
2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
<デュッセルドルフ旧市街観光をもう一度>
第14日:10月27日(木) 23km、今日もすっきりしない曇り、11.5~13.0℃*
(前半計977km+後半計693km(総計1,740km)
カイザースヴェルト・ホテル ムッターハウス=>B1・L? 10km デュッセルドルフ・
旧市街観光その② =>L? 13km デュッセルドルフ国際空港
写真はHetjens Museumヘッチェンス(ドイツ陶磁器)博物館
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
イチオシ
<デュッセルドルフ旧市街観光をもう一度>
デュッセルドルフ・旧市街観光その②後半は
レストラン“ツム・シッフェン”の傍に、まだ見たことが無い陶磁器博物館がある。
時間もあるので、ここをじっくり見ることとした。
③Hetjens-Museumヘッチェンス博物館:
(Deutsches Keramikmuseumドイツ陶磁器博物館)
D-40213 Duesseldorf 、Schulstrasse 4
13:15~14:30、 Euro4X2=8(1,031円)
長く住み、その後も何度か訪れたこの町でも行っていない場所はある。
その一つがヘッチェンス博物館だ。
写真はHetjens Museumヘッチェンス(陶磁器)博物館:正面玄関でドイツ陶器博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
Laurenz Heinrich Hetjensローレンツ・ハインリヒ・ヘッチェンス(1830 ~1906 年)はドイツ芸術の蒐集家でした。
彼個人のコレクションは『Rheinische Keramikライン地方の陶磁器』をベースにしたものです。
古くはRheinisches Steinzeugライン地方の石器や、広くはアジアの磁器も含めた世界中の陶磁器が蒐集されており、彼の名を冠したドイツ陶磁器博物館の基礎となったと云う。
写真はHetjens Museumヘッチェンス(陶磁器)博物館 -
ヘッチェンス博物館は1909年に開設された。
陶磁器の8000年に及ぶ歴史や世界のすべての陶磁器を蒐集したもので、定期的に内外の博物館で公開されている。
地階、地下1階、2階、3階とあるが、写真撮影が禁止なので、どうしても作品が一過性になって、記憶もまだら模様だ。
写真はHetjens Museumヘッチェンス(陶磁器)博物館の創立者Laurenz Heinrich Hetjensローレンツ・ハインリヒ・ヘッチェンス(1830 ~1906 年)・1865年 -
地階からスタートする、8000年に遡る陶器、イスラムの陶器、20世紀の磁器、ユーゲントシュティール様式の磁器、作陶所。
写真はHetjens Museumヘッチェンス(陶磁器)博物館:最初の展示であるイスラムの陶器 -
写真はHetjens Museumヘッチェンス(陶磁器)博物館:ジークブルク(Siegburg)の陶磁器の間・・・中世後期(14・15世紀頃)から近世に至る時期
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写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館:博物館内分展示で身近に感じたジークブルク(Siegburg)の陶磁器の間
*ジークブルク(Siegburg)はライン川の支流であるジーク川沿いに位置し、近隣にボン(南西約10キロ)、ケルン(北西約25キロ)があり、中世以来、製陶の伝統があるほか、諸産業が発展している。人口4万人。 -
地下1階には初期の文化時代、石器、アフリカから出土した陶器、中米出土の陶器、
写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館: Daunisch-subgeometrischer_Kyathosギリシャ製カップ_550~440 BC頃 -
写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館:Mykenische Fussschale mit Doppelhenkel紀元前ミケーネ文明時代の左右の取っ手・足付きの杯
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2階Fayenceファヤンス焼き(中国や日本からヨーロッパに輸入されていた磁器は非常に高価で、それを真似るものとしてヨーロッパでは錫釉を施した陶器の上に彩色したマジョリカ焼き、ファヤンス焼きといったものが18世紀末ころまでに制作されました。
独・仏・蘭・伊のヨーロッパ各国のもの)、
写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館:Mythologische_Gruppe神話のテーマ作品グループ -
写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館:Russisches Wintermaerchenロシアの冬の物語
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写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館:花瓶のコレクション
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3階では現代に繋がる18世紀のマイセンを初めとするヨーロッパの磁器となっていました。
写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館:ヨーロッパの磁器 -
写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館:マイセン
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写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館:座る女_Ernst_Barlachエルンスト・バルラッハ作
*エルンスト・バルラハまたはバルラッハ(Ernst Barlach、1870年1月2日 - 1938年10月24日)は20世紀ドイツの、表現主義の彫刻家、画家、劇作家である。
第一次世界大戦に始めのうちは賛同していたが、自身が戦争を体験することにより転換。反戦的、厭戦的な作品を多く残すようになった。しかし、そのためにナチスによって退廃芸術の烙印を押され、多くの作品が没収、いくつかは破壊された。
彼は彫刻家として最もよく知られているが、絵画、陶芸、版画、戯曲、小説といった幅広い分野で作品を残している。初期のアール・ヌーヴォースタイルの絵画は日本の浮世絵の影響を受けているという。
2014年05月にメクレンブルク・フォアポンメルン州にある『バルラハの町(Barlachstadt Guestrow)』と称するギュストローを訪ねたことがある。
州第二の都市ギュストローにエルンスト・バルラハ博物館がある。
https://4travel.jp/travelogue/11167120 -
写真はヘッチェンス(陶磁器)博物館:Vase_Rosenthalローゼンタール花瓶・・・アールヌーボー様式1900年
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まだ時間がある。旧市街のカフェで時間を潰す。
<お茶:Cafe Madridカフェ マドリードで>
D-40213 Duesseldorf 、Bolkerstrasse 22-25
http://www.primolopez.de/cafe-madrid/restaurant.html
14:45~15:50 Euro13(1,676円)
ココア Euro3.2、リンゴジュースEuro2.6、バニラアイス3.0X2=Euro6でした。
文字通り、スペイン人経営のカフェ・レストランで、カフェ内からBolker通りを歩く人々、向かい側のレストランで長々と飲み食いする人たちを眺めながら、お茶をしたわけたが、旅をしてもこうした時間はほとんど無いのだ。
写真はCafe Madridカフェ マドリードで:寒くても外 -
写真はCafe Madridカフェ マドリードで:店内
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写真はCafe Madridカフェ マドリードで:店内からBolker通り、向かい側のレストランを眺め
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イチオシ
写真はCafe Madridカフェ マドリードで:店内の壁に往年のスターの写真も
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写真はCafe Madridカフェ マドリードで:店内の写真は往年のスターの写真
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写真はCafe Madridカフェ マドリードで:賑わう店内
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写真はCafe Madridカフェ マドリードで:私のココア Euro3.2、家内のリンゴジュースEuro2.6、
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写真はCafe Madridカフェ マドリードで:バニラアイス3.0X2=Euro6でした。
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16:10に駐車場を出て、デュッセルドルフ空港に向かう。
16:33、最後(3回目)のガソリン給油は空港周辺をぐるぐる回り、何とか見つけた空港傍のShell Stationシェル給油所D-40468 Duesseldorf 、Kieshecker Wegで満タンにした。
Super95を23.2L、@1.299=Euro30.14(3,885円)、序に水0.5Lも購入Euro1.9(250円)。
但し、レンタカーで空港に乗付けるお客も多いだけに、スタンドは車が並んで混雑していた。
<Avis Autovermietungエイビスレンタカー・デュッセルドルフ国際空港>
D-40474 Duesseldorf 、Flughafenstrasse
+49 211 4216747 http://www.dus.com/dus/
レンタカーの返却時間18:00でしたが、Avisにレンタカーを返却したのは16:45です。特に車の傷も無し、スムーズに返却手続きが終わった。
13日間(12日と9時間42分)の総走行距離1,740km (平均一日134km)でした。費用は円建ての76,000円。
この旅は前半計977km+後半計693km 総計1,740kmを走った事になる。
2006年5月05日以来、デュッセルドルフ国際空港にはご無沙汰だったが、旅の行程上もあって、2013年から、この4年で4度もデュッセルドルフ国際空港を利用した。
かつて、大火災(1996年4月12日、工事中の溶接の火花が建物の建材に引火し有毒ガスが発生、17名が死亡になり、88人が重軽傷するという大惨事)がおきた空港だが、もうそんな様子は少しもない進化した空港になっている。
また、2015年春からANAが成田<=>デュッセルドルフ間に就航した所為でもある。
デュッセルドルフ空港はDuty Freeも少ない。
Duty Freeで最後の孫たちへのお土産を購入。(17:54)
孫たちの希望するAirbus Kinder Surprise子供用びっくりチョコレートはDuty Freeでしか見ないので、いつもここで5個xEuro6.5=Euro32.5(4,189円)を購入する。
今年は高くなっていた。一個当たりEuro2X5=Euro10も値上がりした。
中身が変わったのか、開けるわけにもいかないが。
写真はデュッセルドルフ国際空港デュッセルドルフ空港 (DUS) 空港
-
<デュッセルドルフ空港:A77のキオスクで>
18:30 ベルリーナパン1個Euro2.5と水0.5LEuro2.9=Euro5.4(696円)
以前あったカフェ・メーヴェンピックがなくなり、キオスクになっていた。
A77ゲートの搭乗(19:35)までゲート前の席で休憩した。
ほぼ定時に搭乗を開始した。一頃よりも商況も良いのだろうか、意外にビジネス客が多く、ほぼ満席状態である。
予約が遅かったので、3席シートの27A・B席をとったが、C席の日本人ビジネスマンは良く寝る方で、私共はトイレ使用で出入りに気を使った。
復路:Duesseldorf LV 20:00 NH-210 27A・B =>
・・・B-787(LH?4962) 尚、トランクの重量合計42.3kg
・・・・・・・・・・
第15日:10月28日(金) 0km、成田は雨、15℃*
=> 成田 AR 14:15 NH-210 27A・B
・・・B-787(LH?4962)
成田空港到着14:15
*出発時、機中ともトラブルもなく、定刻の10分前に成田空港に着陸した。
15回目の今年も無事に帰国出来た。
空港駅から娘たちに電話をし、電車に乗って帰る。
帰宅し、とりあえず雨戸をあけ、空気を通して、それからトランクの荷物を全開し、お土産も写真を撮り、娘や孫たちにあげるものを選別した。
夕方、近所の次女宅にお土産を届け、預けてあった家の鍵、植木等を引き取った。これも毎年の事だがお土産に皆の喜ぶ顔は嬉しい。
家内は休むことなく、どっさりとある洗濯物の仕分けと洗濯を開始した。
いつもながら長いようで短い15日間、満足した良い旅だったと言えよう。
その後、世田谷の長女宅にお土産の発送を準備し、持ち帰ったたくさんの旅の資料・撮りためた写真の整理・焼き増し、旅行記完成・アルバム貼りとこれから長い苦労と楽しみの時間が始まる。
以上
写真はデュッセルドルフ国際空港:ANAのカウンター
・・・・・・・・・・ -
以下はおまけ:
写真はドイツの秋の土産:
*お城の幽霊のTシャツ、チョコレート入り袋
*デュッセルドルフのT-シャツ、マルチパンのチョコレート
*グミ、ハイネマンのチョコレート、レープクーヘン
*デュッセルドルフ空港・子供用びっくりチョコレート -
写真はドイツの秋の土産:
*チョコレート入り袋
*デュッセルドルフのT-シャツ、マルチパンのチョコレート
*グミ、ハイネマンのチョコレート、レープクーヘン
*デュッセルドルフ空港・子供用びっくりチョコレート -
イチオシ
写真はドイツの秋の土産:
*ハイネマンのチョコレート、シュトレン
シャンパントリュフのチョコレート、
Mandeltorteアーモンドのパイケーキ、
Nusstorteクルミのパイケーキ、
Pralinenプラリネン(チョコレート菓子)
*側転のグミ -
写真はドイツの秋の土産:
*マルチパンのシュトレン、
ハリボのグミ、レープクーヘン
マルチパンのチョコレート、
スピリッツ(蒸留酒)Aalborg Jubi Akvavitオールボー・アクアヴィット0.75L -
イチオシ
写真はドイツの秋の土産:
*カレンダー、
*カモの絵柄の布カレンダー -
写真はドイツの秋の土産:絵葉書
-
写真はドイツの秋の土産:
紙ナプキン -
写真はドイツの秋の土産:ライン川の古城群の絵葉書
-
写真はドイツの秋の土産:モーゼル川の古城群案内図版
-
≪旅の総括≫
今年でドイツ感傷旅行も15回目を数える。定年後から続けてきた旅、私共も歳を重ね73歳となった。いつまで続けられるかはともかくも、その15回目は2010年、2013年に続く3度目の“秋のドイツ”を走ることになった。
この旅では、秋の名物であるFederweisserフェーダーヴァイサー(発酵を始めたばかりのブドウ果汁)と呼ばれる新ワインを飲み、Zwiebelkuchenツヴィーベルクーヘン(タマネギケーキ)を食べる機会をしばしば持てた。
写真はドイツのデュッセルドルフ・Altbierアルトビアー:Diebels_Altbier -
2015年7月の旅で予定通り行けなかった場所に行きたいのが、この旅の第一の目的でした。幸い①~③の目的もすべて達成できた。即ち、
①故郷青梅市と姉妹都市の関係にある、ライン川沿いのボッパルト訪問・・・ここで分家筋の青梅市長が創った姉妹都市を記念した青梅公園を見た。
②伝説“蛙の戦争”で名高い古城ホテル ビューディンゲン城の城内博物館も見学できた。
③オーデンの森には英国女王ヴィクトリアとも関係が深いライニンゲン侯爵の町アモールバッハがある。町の近郊の高台に立つ、昨年宿泊できなかった古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハに泊まり、ミシュラン1星の料理を楽しむ事もできた。
写真はドイツのデュッセルドルフ・Altbierアルトビアー:Flasche_Frankenheim_Altフランケンハイムのアルトビアーの瓶 -
それ以外にも、私共には懐かしい思い出が残る、好ましい場所を訪れた。
A)ラインガウのヨハネスベルグ城を再訪した。伝説 “ワインの使者”で世に知られたヨハニスベルグ城醸造所の白も飲む機会があった。
B)古城ホテル アウフ・シェーンブルグに久しぶりに泊まり、ライン川の虹を見た。
C)眼下に流れる、ボッパルトの“ラインの大蛇行”を初めて見た。
D)秋の“モーゼルワイン街道”と、“アールワイン街道”を走った。
E)シュタウフェンベルク大佐たちが企てた「1944年7月20日にヒトラー総統打倒」の同志だったのゲオルク&フィリップ・ベーゼラーガー男爵兄弟の弟フィリップが終の棲家としたアールのクロイツベルク城を見た。
F)アールヴァィラーのロマンチックレストラン“聖ペーター”(ミシュラン1星)で食事とアールワインの赤ワインを楽しんだ。
G)第二次大戦で独米両軍の激戦地となり、映画でも有名な“レマーゲンの鉄橋”を訪れた。
H)ケーニヒスヴィンターのドラッフェンブルク(竜の岩山)の登山電車に乗り、山頂の展望台を40年ぶりに訪れた。
I)こちらも40年ぶり、ミュンスターの古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城に泊まった。
J)ミュンスターラントの古城(水城)を巡り、初めて訪れたリュッシュハウス、ブルクシュタインフルト水城、ハウス・ヴェルベルゲン水城、侯爵家のベントハイム城を見物し、宿泊は何十年ぶりのイッセルブルクの古城ホテル アンホルト城に泊まった。
K)ナチス独裁に勇敢に立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれた列福者(聖人の次の位)ガーレン枢機卿、その弟子でもあった列福者カール・ライズナーのことも知った。
L)古代ローマ軍団の都市、「聖者たちの場所」の意味であるクサンテンの観光を楽しんだ。列福者ニコラウス・グロースはライズナーなど共にクサンテン大聖堂に墓碑がある。
グロースはDie Liste der Personen des 20. Juli 1944 つまり1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与した人々のリストにシュタウフェンベルク大佐などと共にそのリストに載っていたことも、新た知ることができた。
M)デュッセルドルフ旧市街のレストラン“ツム・シッフェン” を久しぶりに訪れ、名物のライン風ムッシェルン料理(ムール貝に白ワイン、玉葱、塩味)を食べた。
写真はドイツのデュッセルドルフ・Altbierアルトビアー:Hannenaltハンネンアルト -
そんな次第で、実際の旅は事前に調べた以上のものをもたらせてくれました。
天候は秋らしく、ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅は晴れた印象が少ないものでした。霧や靄、雲海に悩まされながらも、それだけ河川が流れる地域は暖かいのだと認識もし、そうした秋を楽しんだ私共でした。
ラインの秋、久しぶりの古城ホテル シェーンブルクから見た虹、霧に少々驚きましたが、それはそれで旅の記念になるラインの虹・雲海と言えましょう。しかも虹は滞在客の中でも私共だけが見たと思えた!だけでも幸運だったかもしれません。
ドイツの秋は黄葉と書きましたが、時々紅葉に出くわすと、それもまた幸運に感じます。
飲む機会がほとんどないアールの赤ワインの味に感激し、ラインガウのヨハニスベルク城の白ワインにも感心したものです。
ドイツの旅は様々に楽しみがあって、実に良いものです。
写真はドイツのデュッセルドルフ・Altbierアルトビアー:Schumacher_Alt-Flascheシューマッハーアルトの瓶・・・独特の栓 -
ドイツもとりわけ「都市の雰囲気が変わった」という違和感!私共も歳をとったからでしょうが、ドイツを旅する度にそれを感じます。あの美しかったデュッセルドルフのKoeケーを散策すれば、それを強く感じます。
それに『ドイツの秋』と書くたびに、唐突ですが、<ドイツ赤軍>との攻防を思い出すのです。アウトバーンを降りると、道路の両脇に自動小銃を持った警官隊が居たのに驚いたこともありました。
今も「Deutscher Herbstドイツの秋」という言葉が残り、それを知る人も少なくなってきています。
ドイツの秋は1977年後半の当時西ドイツで起こった、一連のテロ事件の通称を指しますが、Rote Armee Fraktion、RAFつまりドイツ赤軍との攻防でした。
ドイツ赤軍は、この年の9月にドイツ経営者連盟(日本で言えば経団連)会長Hanns Martin Schleyerハンス・マルティン・シュライヤーを誘拐し、また、私の34歳の誕生日だった1977年10月13日にはパレスチナ解放人民戦線(PFLP)と共にドイツ赤軍(バーダー・マインホフ・グループ)はスペイン・マヨルカ島からフランクフルトに戻る休暇帰りの乗客86人と乗員5人の計91名を乗せたルフトハンザ機「Landshutランツフート号」をハイジャックした。
戦後最大のテロ事件と政治的危機により西ドイツ社会は恐怖に震えた。
10月18日未明、ソマリアのモガディシュ空港において、ルフトハンザ機内にGSG-9(ドイツ国境警備隊(当時)の対テロ特殊部隊)が突入し、テロリスト4人の内、3人を射殺して解決した。モガディシュ事件とも呼ばれる。
シュライヤーを救出することはできなかったものの、当時の首相Helmut Schmidtヘルムート・シュミットはこの突入事件の決断で高く評価された。(Wiki)
思えば、1970年代は私の人生でも画期的な、疾風怒濤な時代でした。
私共の秋の旅はライン・モーゼル・アール・ミュンスターラント(デュッセルドルフの北に広がる水城が主な古城めぐりの地方)地域のドイツの秋を楽しむといったもので、行程は凡そ1,670kmを予定していた。結果、1740kmとほぼ予定通りに走ったようだ。
近年のドイツも難民がらみのトラブルが生じていますが、レンタカーで田舎を巡る限り、何も心配ないことを実感しました。
・・・・・・・・・・
写真はドイツのデュッセルドルフ・Altbierアルトビアー:昔、土産に持ち帰った瓶 -
毎年の事ですが、
<古城巡り>
2012年の春に走った地域は古城群が実に多く、訪れる事が出来たのは52の古城でした。2013年の秋の旅は30の古城を訪れ、2014年の春の旅では29の古城を訪れた。2015年の夏は数が減ったものの、21の古城めぐりが出来た。
今年は昨年同様の21の古城を数えた。古城・古城ホテル好きとしてはまずまず満足でした。
この5年で合計153の古城数になっているが、ドイツの古城群は桁が違う数があります。
<宿泊>
13泊は好んで選ぶ古城ホテルに12泊、空港ホテルに1泊だった。
2連泊は4回(前半・後半とも2回)もとり、行程上は上手くいったと思う。
5星ホテルが0泊、4星は10泊、3星が3泊でした。今回も4星が多く、其々のホテルの内容には満足した。
<食事>
13泊中、ミシュラン1星付きのレストランで美味しいインターナショナル(フレンチ)料理を頂きました。夕食は2回(前半1回・後半1回)楽しんだ。
③10月16日(日):DER SCHAFHOF AMORBACH古城ホテル デアー・シャーフホフ・アモールバッハの宿泊先で夕食
⑧10月21日(金):Romantik Restaurant und Hotel Sanct. Peter聖ペーターでは宿泊先ではないレストランに出かけて夕食を食べた。
尚、
④10月17日(月)Burghotel Auf Schoenburg
古城ホテル アウフ・シェーンブルグ、
⑨10月22日(土)Hotel Schloss Wilkinghege
古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城
⑪10月24日(月)Parkhotel Wasserburg Anholt
古城ホテル アンホルト城の料理も良かった。
其々の料理内容は旅行記の写真・記述をご参考下さい。
≪2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間 費用明細表(確定)
*携行Euro現金はかつて両替したもので平均Euro 1=128.9円である。
1)航空機運賃:ANA117,000+10,520(127,520円x2) 255,040円
2)レンタカー:Avis 13日間 1,740km (円建て) 76,000円
3)給油代; 93.31L @1.3142/ L Euro122.63 @118.94 14,586円
4)宿泊代:13泊 Euro1,902.37@116.2・1泊17,000円 221,055円
5)食事:昼食9、お茶7、夕食11;Euro 1,600.18@119.9 191,872円
6)お土産代: Euro444.13 チョコレート他 54,049円
7)損保ジャパン:新・海外旅行保険(カップル) 10,860円
8)その他:
お水1.5L、博物館等入館料、駐車料金、タクシー代ほか 34,074円
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
総計 857,536円
写真はドイツのデュッセルドルフ・Altbierアルトビアー:schloesser-logoシュレッサーアルトビアーのロゴ
<4Travelにて掲載した旅は以下の通りです>
2009年ドイツのクリスマス
2014年ドイツの春・北方二州を巡る旅に出る
2015年黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅
2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
*本旅行記に度々のお立ち寄りを頂き、ありがとうございました。
それではまた、皆様、違った旅でお会いしましょう。
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この旅行記へのコメント (6)
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- のまどさん 2018/01/02 06:08:09
- 明けましておめでとうございます
- jijidarumaさん、
ご無沙汰しております。新年いかがお過ごしでしょうか?
私は体調不良でのアイルランドでのクリスマスを乗り越えて、大掃除の終わったブリュッセルの自宅で静かに新年を迎えました。明日から仕事です。
デュッセルのアルトビールと言えば私にとってはシューマッハーです。味はユーリゲの方が洗練されていると思いますが、店内の雰囲気は前者に軍配が上がります。年4回のデュッセル巡礼の際にはだいたいウワバミと深夜まで嗜んでおります。買って帰るのはシュロッサーが多い気がします。
身近なデュッセルにも知られざる見どころが多いんですね。ムッターハウスだったホテルやシュナイダーのからくり時計。ハイネがゆかりのあることは知っていましたが、他にも著名人を輩出してきたんですね。
15回目のドイツ旅行ですか。恐れ入ります。ヨーロッパを往復してレンタカーでの移動は体にこたえると思いますが、無理せず旅行を楽しまれますように。またの投稿を楽しみにしています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
- jijidarumaさん からの返信 2018/01/04 19:56:27
- Re: 明けましておめでとうございます
- のまど さん、
こんばんは。遅ればせながら、おめでとうございます。
次女一家が孫3人を連れて一泊泊りで来訪していました。
歩いて10分の距離ですが、婿さんの実家の年始が優先^^で、
我が家は後回し。また、残念なことにソウル駐在の長女一家は
一時帰国が3月半ば過ぎの予定、昨年までは元気に11名がそろう
新年でしたが、今年はそれもならず。
恒例の孫の集合写真も3人のみとなりました。
先ほどまで、トランプ遊びに興じていた彼らが帰ってしまうと、
家の中は静かになり、急にジジ・ババは疲れを感じてしまうの
も例年通りです。
さて、久しぶりのお立ち寄りありがとうございました。
やはり彼の実家でのクリスマスですね。体調を崩して大変でしたね。
もう海外は仕事、昔を思い出します。次女の婿は8日が仕事
初めでゆっくりしていますが、ソウルの婿は3日に出社との
ことで、娘と孫娘2人からは来訪中の次女一家と話すために、
国際電話がかかり、楽しそうに代わりばんこで1時間も
長電話をしていました。
今年はドイツの旅も復活で、年賀状にもそう宣言しました。
さてどんな旅にするか、検討中です。
今年もお二人仲良く、お元気でご活躍されますように。
そして時々、お立ち寄り頂けたら嬉しいですよ。
jijidaruma
-
- sanaboさん 2017/12/24 02:31:24
- 旅の総括
- jijidarumaさん、こんばんは
ご無沙汰しております。
今年も残すところ、あとわずかとなりましたね。
旅行記の最終編では旅の総括をなさり、その完璧な内容にいつもながら驚いてしまいます! 費用明細表を拝見し、我が家の2週間ほどの旅行と内訳が似通っているなぁと思いました。 我が家もいつも損保ジャパンの『新・海外旅行保険(カップル)』利用ですし(笑)
jijidarumaさんの凄いところは、さらにお孫さんたち用のアルバム作りもなさるのですものね~。 もう脱帽です!
その後体調はいかがですか? 来年はお健やかに1年を過ごされますことを心より願っております。
メリークリスマス✨、そして良いお年をお迎えくださいませ♪
sanabo
- jijidarumaさん からの返信 2017/12/24 15:09:31
- Re: 旅の総括
- sanaboさん、
こんにちは。こちらこそご無沙汰です。
もっとも、旅行記は”ちゃんと”拝読していますよ。相変わらず丁寧に、時間をかけて完璧な写真を選び、掲載する、しかも写真に付け加える説明は見事なものです。
先日のブサコの宮殿ホテル(古城ホテルとの相違を感じます)も楽しませてもらいました。歴史もナポレオンやウエリントンの戦いもしっかり説明されて、大いに勉強になりました。
それにしてもスペインはともかくも、ポルトガルの凋落は寂しいものですね。
孫用のアルバムも5人分がもう数十冊、中3の孫娘にはもう持って行ってくれと頼むほど場所もとり、ボロ屋の畳が沈みそうです(笑)。
体調はお蔭様で6月の3週間だけで済み、その後は体重も大きく戻ることなく、良い状況で過ごしています。
今年は国内の・・・福島の会津若松、茨城の袋田の滝、大洗、潮来、地元の千葉の銚子、佐原、東庄、旭、匝瑳などに、小旅行を繰り返しました。家内のインプラントも正月6日には完了するので、来年はドイツの旅も復活です。パスポートも10年で更新いたしました。頂いたパスポートを見たらなんと更新日は私の74歳の誕生日になっていました。次回は84歳の誕生日が期限です(笑)。
今も毎日母の日記を読み解いています。以前にも返信で書いていますが、メンバーとなって3年目の同人誌に母の日記をベースにしたものを掲載しています。今年の第一部30号は大正天皇の崩御の項で終わり、来年の第二部31号は昭和天皇の即位式を絡めたものです。再来年の第三部32号は母の退官後から結婚、そして39歳の若さ(私が4歳時)で急死するまでを掲載する予定です。
母満17歳から24歳に渡る日記は、その日の感情が字に現れ、読めない字もありますから、想像をたくましくして、出来るだけ原文に沿って書いているのです。
第一部30号を親族、友人・知己に贈っていますが、83歳の従姉からは母についての回想が、郷土歴史館の学芸員の方からは、母の従姉で同時に御所に上がった方の得難い(58歳で現役であった時)写真やエピソードを頂きました。既に3部作は完了していますが、再来年の第三部32号に回想と称した場を設けて、写真や回想話も入れてみたく思っています。
母の日記以外にも我が家の古文書、手紙の往来もたくさん残っており、嬉しい様な、読み解く時間が足りないな!という思いになっています。
久しぶりにて長くなりました。ご容赦ください。
さて、今日は年賀状を仕上げます。
それではクリスマス行事をお楽しみください。
明年も良い年でありますように祈ります。
jijidaruma
-
- Rolleiguyさん 2017/11/17 00:27:12
- 昔のドイツ
- jijidarumaさん
旅の写真とともに、終わりに書かれているお話しが昔を思い出させました。
1977年は本当に恐ろしい年でした。検事総長ジークフリート・ブーバックの暗殺や、数年後のドイツ銀行頭取アルフレート・ヘルハウゼンの爆殺など、ドイツ赤軍の常軌を逸した行動は、ドイツがそれまでの時代とは違う社会になってしまったたと思わせられたものです。価値観を異にする人との共存を求めず、殺害に走る若者、しかも高等教育まで受けた若者が、あれだけ存在していることを知った時、日本人の憧れの対象でもあったドイツ社会の変貌を目の当たりにした思いでした。もう40年も経つのですね。デュッセルドルフのケーニヒスアレーが変わってしまったとのことですが、確かに都市の景観はいずこもそのようなものかもしれませんね。だからなおのこと地方の小都市や村々の佇まいの貴重さを愛でたくなるのかもしれません。ドイツ人よりも、むしろ外国人の方がそれを感じるのかもしれません。近頃、中国人が唐の都を見たければ日本に行けと言っているそうですが、同じことかもしれません。とても楽しく拝見しました。
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2017/11/17 16:25:08
- Re: 昔のドイツ
- Rolleiguyさん
こんにちは。コメントありがとうございました。
1970年代は誠に今振り返っても恐ろしい時代でした。
とりわけ、私共と同じような環境下で育ち、それも年齢も近く、高等教育を得た人たちが日本赤軍として出現し、ハイジャックをはじめとする、多くの犯罪を為したことに、いまだに理解ができないですね。
不思議と言えば不思議なことに、その日本赤軍がドイツ赤軍に影響を与え、共感させた結果、ドイツにも組織が造られ、多くのテロを実行したとされていることです。ドイツにもそのような下地があったとは知らなかったです。
今に至るIS(イスラーム過激派組織=イスラム国)の凶暴性に通じるものを感じます。時代が変わっても、新たな地域で出現する、こうした組織を根絶することは難しいのでしょう。
それにしても当時の西ドイツ首相Helmut Schmidtヘルムート・シュミットがハイジャック事件を解決した手際は見事でした。
言われるように、ドイツの小さな田舎町は良いですね。そこに木組み建築の家並みがあれば・・・。
それではまた。
jijidaruma
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