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“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” <br />オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。<br /><br />期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅<br /><br />参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”<br />http://4travel.jp/travelogue/11027937<br /><br /><“ Route des Vins d&#39;Alsace ”(アルザスワイン街道)を走る。><br /><br />7月20日(月) 曇りのち晴れ 25~30.5℃ 129km;前半899km(予定より172km増)<br />Colmarコルマール =>アルザスワイン街道 (Turckheimテュルクアイム)32km (Katzenthalカッツェンタール) =>49km Koenigsbourgオー・クニグスブール城=>11km Bergheimベルクハイム =>(Riquerwihrリクヴィル) 21km Kaisersbergカイゼルスベルク=>16km Colmarコルマール・Romatik Hotel Le Mare’chalロマンチックホテル ル・マレシャル<br /><br />写真はオー・クニグスブール城

黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅⑱アルザスワイン街道を走る。

38いいね!

2015/07/14 - 2015/07/28

65位(同エリア917件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” 
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。

期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅

参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937

<“ Route des Vins d'Alsace ”(アルザスワイン街道)を走る。>

7月20日(月) 曇りのち晴れ 25~30.5℃ 129km;前半899km(予定より172km増)
Colmarコルマール =>アルザスワイン街道 (Turckheimテュルクアイム)32km (Katzenthalカッツェンタール) =>49km Koenigsbourgオー・クニグスブール城=>11km Bergheimベルクハイム =>(Riquerwihrリクヴィル) 21km Kaisersbergカイゼルスベルク=>16km Colmarコルマール・Romatik Hotel Le Mare’chalロマンチックホテル ル・マレシャル

写真はオー・クニグスブール城

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • <br /><Die Elsaesser Weinstrasse (franzoesisch Route des Vins d’Alsace)アルザスワイン街道><br /><br />ヴォージュ山脈の東斜面に連なるアルザスのブドウ畑。その間を縫って、北はマルレンアイムから南はタンまで、およそ 170 km に渡ってアルザスワイン街道が続く。<br />春夏には深い緑に、秋には黄金色に色づく大地。石畳の路地に、窓辺を花々で彩った木組みの家々。街道沿いには 100 余りの村が点々とし、車を走らせると次から次へと可愛らしい町並みが目を楽しませてくれる。こうした田舎町では、気さくな居酒屋やこぢんまりした宿屋、試飲も楽しめるワインセラーが旅人を迎えてくれる。 <br /><br />通り沿いに点在する“ Route des Vins d&#39;Alsace ”(アルザスワイン街道)の標識がワイン街道の目印。村と村の間の公共交通は発達していないので、できることならレンタカーやタクシーを利用したい。また、鉄道が通っている町(オベルネ、バール、セレスタ、リボーヴィレ、コルマールなど)からタクシーで近郊を回り、コルマール発の観光バスを利用する方法もある。 <br />http://alsacekai.com/visite.html<br /><br />XXX<br /><br />写真はアルザス地方の地図


    <Die Elsaesser Weinstrasse (franzoesisch Route des Vins d’Alsace)アルザスワイン街道>

    ヴォージュ山脈の東斜面に連なるアルザスのブドウ畑。その間を縫って、北はマルレンアイムから南はタンまで、およそ 170 km に渡ってアルザスワイン街道が続く。
    春夏には深い緑に、秋には黄金色に色づく大地。石畳の路地に、窓辺を花々で彩った木組みの家々。街道沿いには 100 余りの村が点々とし、車を走らせると次から次へと可愛らしい町並みが目を楽しませてくれる。こうした田舎町では、気さくな居酒屋やこぢんまりした宿屋、試飲も楽しめるワインセラーが旅人を迎えてくれる。

    通り沿いに点在する“ Route des Vins d'Alsace ”(アルザスワイン街道)の標識がワイン街道の目印。村と村の間の公共交通は発達していないので、できることならレンタカーやタクシーを利用したい。また、鉄道が通っている町(オベルネ、バール、セレスタ、リボーヴィレ、コルマールなど)からタクシーで近郊を回り、コルマール発の観光バスを利用する方法もある。
    http://alsacekai.com/visite.html

    XXX

    写真はアルザス地方の地図

  • *起床7時、今日は朝食無しで、8時20分にガレージから出庫した。心配していたがシャッターの開閉は上手くいった。昨日はガレージ探しで疲労したせいだったのだろう。<br /><br />今回の旅、一番の目的は第一にウンターリンデン美術館、第二にかつての旅で正月休みのため入城できなったクニグスブール城なのだ。<br /><br />かつてColmarコルマール見物やここを起点にアルザスワイン街道巡りをしました。Husserenユスランの古城の城址、Kaysersbergカイゼルスベルクの古城、Turckheimテュルクアイム、Riquerwihrリクヴィル、年末から元旦は素晴らしい快晴に恵まれたものです。2日はDombachダンバック、Molsheimモルスアイム、Barrバール、そしてStrasbourgストラスブールに。<br /><br />もうそれらの記憶も薄れている。コルマールを出て、最初はTurckheimテュルクアイムに向かってしまった。クニグスブール城に向かうには遠回りしたことになる。<br /><br />写真はアルザスワイン街道の葡萄畑の景観

    *起床7時、今日は朝食無しで、8時20分にガレージから出庫した。心配していたがシャッターの開閉は上手くいった。昨日はガレージ探しで疲労したせいだったのだろう。

    今回の旅、一番の目的は第一にウンターリンデン美術館、第二にかつての旅で正月休みのため入城できなったクニグスブール城なのだ。

    かつてColmarコルマール見物やここを起点にアルザスワイン街道巡りをしました。Husserenユスランの古城の城址、Kaysersbergカイゼルスベルクの古城、Turckheimテュルクアイム、Riquerwihrリクヴィル、年末から元旦は素晴らしい快晴に恵まれたものです。2日はDombachダンバック、Molsheimモルスアイム、Barrバール、そしてStrasbourgストラスブールに。

    もうそれらの記憶も薄れている。コルマールを出て、最初はTurckheimテュルクアイムに向かってしまった。クニグスブール城に向かうには遠回りしたことになる。

    写真はアルザスワイン街道の葡萄畑の景観

  • もっとも走る道は皆ブドウ畑を通るから、気分は上々である。天気も明るくなり、Katzenthalカッツェンタールの村外れで、いったん車を降りて、周辺の景観を眺めた。<br /><br />写真はアルザスワイン街道の葡萄畑の景観とレンタカーVW Skoda Rapid 1600?

    もっとも走る道は皆ブドウ畑を通るから、気分は上々である。天気も明るくなり、Katzenthalカッツェンタールの村外れで、いったん車を降りて、周辺の景観を眺めた。

    写真はアルザスワイン街道の葡萄畑の景観とレンタカーVW Skoda Rapid 1600?

  • 写真はアルザスワイン街道の葡萄畑の景観

    写真はアルザスワイン街道の葡萄畑の景観

  • Bergheimベルクハイム近くになると、Koenigsbourgクニグスブール城に登る道の道標が出てきた。その山道をクニグスブール城に向かって登ると、もうたくさんの車が駐車している様子が見えてきた。<br /><br />49kmかかったが、山上に登る道の両側は駐車中の車が列を作っている。10:30、その後尾に停まり、徒歩で坂道をてくてくと山上に向かった。<br /><br />写真は山道の両側は駐車した車の列が続く。

    Bergheimベルクハイム近くになると、Koenigsbourgクニグスブール城に登る道の道標が出てきた。その山道をクニグスブール城に向かって登ると、もうたくさんの車が駐車している様子が見えてきた。

    49kmかかったが、山上に登る道の両側は駐車中の車が列を作っている。10:30、その後尾に停まり、徒歩で坂道をてくてくと山上に向かった。

    写真は山道の両側は駐車した車の列が続く。

  • <Chateau du Haut-Koenigsbourg オー・クニグスブール城> : ⑪<br /> F-67600 Orschwiller<br />http://www.haut-koenigsbourg.fr/de/<br /><br />開館:毎日9時15分~18時、ガイドなしで自由に参観も可。<br />入場料:Euro9x2=18(2,506円)、見学におよそ一時間11:00~12:00かかった。<br /><br />写真はオー・クニグスブール城を見上げて

    <Chateau du Haut-Koenigsbourg オー・クニグスブール城> : ⑪
    F-67600 Orschwiller
    http://www.haut-koenigsbourg.fr/de/

    開館:毎日9時15分~18時、ガイドなしで自由に参観も可。
    入場料:Euro9x2=18(2,506円)、見学におよそ一時間11:00~12:00かかった。

    写真はオー・クニグスブール城を見上げて

    オー クニクスブール城 城・宮殿

    アルザス:標高755m山上の切り立った岩壁を掘って作った要塞 オー・クニグスブール城 by jijidarumaさん
  • ヴォージュ山脈にはかつて 150 もの城塞が点在していた。<br /><br />中でも山上の巨大なオー・クニグスブール城はコルマールの北26kmにある。<br />この城の存在目的は、北に向かってはワインと麦、西から東に向かっては銀と塩の交易ルートを見張ることにあり、南北の通商路と、東西の通商路の十字路に立つオー・クニグスブール城は戦略上、重要な地点にあったのだ。<br /><br />写真はオー・クニグスブール城

    ヴォージュ山脈にはかつて 150 もの城塞が点在していた。

    中でも山上の巨大なオー・クニグスブール城はコルマールの北26kmにある。
    この城の存在目的は、北に向かってはワインと麦、西から東に向かっては銀と塩の交易ルートを見張ることにあり、南北の通商路と、東西の通商路の十字路に立つオー・クニグスブール城は戦略上、重要な地点にあったのだ。

    写真はオー・クニグスブール城

  • 城の標高755m、塔の上から望むパノラマはヴォージュ山脈と平原に点在する村々の素晴らしい風景を存分に楽しむことが出来る。 <br /><br />写真はオー・クニグスブール城

    城の標高755m、塔の上から望むパノラマはヴォージュ山脈と平原に点在する村々の素晴らしい風景を存分に楽しむことが出来る。

    写真はオー・クニグスブール城

  • 城塞の立つ平場は260mの長さ、1.5ヘクタールの広さがあると云う。<br /><br />特筆すべきは石材を運んで造ったのではなく、山上の切り立った岩壁を掘った要塞であるという点にある。<br /><br />また、城壁の周りは急斜面になっており、攻城側が城外に大砲を据えて攻め込むのは不可能だったと云う。<br /><br />写真はKoenigsbourgオー・クニグスブール城の縄張り

    城塞の立つ平場は260mの長さ、1.5ヘクタールの広さがあると云う。

    特筆すべきは石材を運んで造ったのではなく、山上の切り立った岩壁を掘った要塞であるという点にある。

    また、城壁の周りは急斜面になっており、攻城側が城外に大砲を据えて攻め込むのは不可能だったと云う。

    写真はKoenigsbourgオー・クニグスブール城の縄張り

  • 写真は1983年年末年始アルザスを走る:haut_koenigsbourgオー・クニグスブール城、コルマール旧市街

    写真は1983年年末年始アルザスを走る:haut_koenigsbourgオー・クニグスブール城、コルマール旧市街

  • 写真は2015.07.20.Koenigsbourg・Postkarte_1914郵便絵葉書1914年

    写真は2015.07.20.Koenigsbourg・Postkarte_1914郵便絵葉書1914年

  • <城内見学><br /><br />現在、フランスで最も観光客の多い(年間50万人)名所の一つになっていると云う。<br />この日も様々な国から来た観光客でチケット売り場付近も入口前も混雑している。<br /><br />城内は入口から落とし格子を見上げて入る。<br /><br /><br />写真はオー・クニグスブール城の城門・落とし格子

    <城内見学>

    現在、フランスで最も観光客の多い(年間50万人)名所の一つになっていると云う。
    この日も様々な国から来た観光客でチケット売り場付近も入口前も混雑している。

    城内は入口から落とし格子を見上げて入る。


    写真はオー・クニグスブール城の城門・落とし格子

  • 階段を上ると、<br /><br />写真は狭く急な階段だ。

    階段を上ると、

    写真は狭く急な階段だ。

  • 62mの深さの井戸、。<br /><br />写真は城内の貴重な井戸。

    62mの深さの井戸、。

    写真は城内の貴重な井戸。

  • 貯蔵庫、内庭、台所、多角形の階段から更に主塔に登る。<br /><br />写真は多角形の階段。

    貯蔵庫、内庭、台所、多角形の階段から更に主塔に登る。

    写真は多角形の階段。

  • 写真は回廊。

    写真は回廊。

  • 写真は3階の北側住居。

    写真は3階の北側住居。

  • 3階の北側住居、西側住居、皇帝の間には鷲の紋章、壁画の美しい祝典の間、寄贈された家具のあるロレーヌの間、南側住居、礼拝堂、大きな黄色の陶器製暖炉、螺旋階段で2階に降りる。<br /><br />写真は西側住居。

    3階の北側住居、西側住居、皇帝の間には鷲の紋章、壁画の美しい祝典の間、寄贈された家具のあるロレーヌの間、南側住居、礼拝堂、大きな黄色の陶器製暖炉、螺旋階段で2階に降りる。

    写真は西側住居。

  • 写真は大きな緑の陶器製暖炉と壁画。

    写真は大きな緑の陶器製暖炉と壁画。

  • 写真は皇帝の間には鷲の紋章。

    写真は皇帝の間には鷲の紋章。

  • 写真は壁画の美しい祝典の間。

    写真は壁画の美しい祝典の間。

  • 写真は礼拝堂の見事な木彫り装飾。

    写真は礼拝堂の見事な木彫り装飾。

  • 写真は暖炉の紋章の装飾。

    写真は暖炉の紋章の装飾。

  • 写真は大きな黄色の陶器製暖炉。

    写真は大きな黄色の陶器製暖炉。

  • 武器の間、緑の陶器制暖炉、狩りの間を順繰りに回る。<br /><br />写真は武器の間の甲冑を着た兵士。

    武器の間、緑の陶器制暖炉、狩りの間を順繰りに回る。

    写真は武器の間の甲冑を着た兵士。

  • 写真は緑の陶器制暖炉。

    写真は緑の陶器制暖炉。

  • 写真は狩りの間。

    写真は狩りの間。

  • 堀を渡って、庭に行き、大砲からの攻撃を補強した分厚い壁を持つ大城砦、アルザスの平原を見下ろすパノラマの景観、どっしりと大きな砲座を見る。<br /><br /><br />写真は堀を渡った所。

    堀を渡って、庭に行き、大砲からの攻撃を補強した分厚い壁を持つ大城砦、アルザスの平原を見下ろすパノラマの景観、どっしりと大きな砲座を見る。


    写真は堀を渡った所。

  • 写真はアルザスの平原を見下ろすパノラマの景観。<br /><br />

    写真はアルザスの平原を見下ろすパノラマの景観。

  • 写真は大城砦。

    写真は大城砦。

  • 写真は古城とアルザスの平原を見下ろすパノラマの景観。

    イチオシ

    写真は古城とアルザスの平原を見下ろすパノラマの景観。

  • 写真はどっしりと大きな砲座、解体してから持ち込んだのでしょうか?

    写真はどっしりと大きな砲座、解体してから持ち込んだのでしょうか?

  • さらに下がって、北側の広場に至る。バラ色の砂岩の岩壁と云うべきか、城壁が切り立っている。壁面にトイレか台所の排水路が見える。ごつごつした岩壁上に立つ主塔を見上げて、出口に向かって見学は終わりとなる。<br /><br />写真は壁面にトイレか台所の排水路が見える。

    さらに下がって、北側の広場に至る。バラ色の砂岩の岩壁と云うべきか、城壁が切り立っている。壁面にトイレか台所の排水路が見える。ごつごつした岩壁上に立つ主塔を見上げて、出口に向かって見学は終わりとなる。

    写真は壁面にトイレか台所の排水路が見える。

  • <オー・クニグスブール城の歴史><br /><br />アルザスはフランク王国、その流れの神聖ローマ帝国の時代と長くゲルマン・ドイツ系により支配された地域である。<br />この城が最初に文献に登場するのは 1147 年の事で、神聖ローマ帝国のHohenstaufenホーエンシュタウフェン家の居城となったのである。<br /><br />その後、城は荒廃と再改修を経て、Kaiser Friedrich III.皇帝フリードリヒ3世によって、1479年、Grafen Oswald von Thierstein オズバルト・ティエルシュタイン伯に領地として与えられた。<br />1517年にティエルシュタイン伯が死去すると、再び、この城はハプスブルグ家のKaiser Maximilian I.皇帝マクシミリアン1世の手に戻った。<br /><br />三十年戦争の最中の1633 年、オー・クニグスブール城に籠城した旧教派は新教派のスウェーデン軍に52日間攻められたうえ、火を放たれ、敗退した。そして城は廃墟となった。<br /><br />写真は子供たちが喜ぶ、イラストレーターの描くドラゴンに捕われた姫と救う騎士の立て看板。

    <オー・クニグスブール城の歴史>

    アルザスはフランク王国、その流れの神聖ローマ帝国の時代と長くゲルマン・ドイツ系により支配された地域である。
    この城が最初に文献に登場するのは 1147 年の事で、神聖ローマ帝国のHohenstaufenホーエンシュタウフェン家の居城となったのである。

    その後、城は荒廃と再改修を経て、Kaiser Friedrich III.皇帝フリードリヒ3世によって、1479年、Grafen Oswald von Thierstein オズバルト・ティエルシュタイン伯に領地として与えられた。
    1517年にティエルシュタイン伯が死去すると、再び、この城はハプスブルグ家のKaiser Maximilian I.皇帝マクシミリアン1世の手に戻った。

    三十年戦争の最中の1633 年、オー・クニグスブール城に籠城した旧教派は新教派のスウェーデン軍に52日間攻められたうえ、火を放たれ、敗退した。そして城は廃墟となった。

    写真は子供たちが喜ぶ、イラストレーターの描くドラゴンに捕われた姫と救う騎士の立て看板。

  • それから2 世紀半が経ち、普仏戦争の結果、アルザス地方は1871年からドイツ領に編入され、ドイツ皇帝ヴィルヘルム 2 世の命で1900〜1908 年にかけてオー・クニグスブール城の大がかりな修復工事が行われた。<br />それはまた、ドイツ帝国にとって、アルザス地方がドイツ領土に回復した象徴でもあった。<br />修復にあたり、可能なかぎり資料を参考にして、15〜16 世紀の城塞を忠実に再現されたと云う。城内に配された調度品や武器は中世から三十年戦争当時のもので、タイル造りの暖房器具には、修復前の調査で発掘されたタイルの複製が使われている。<br /><br />1919年、第一次大戦によるドイツの敗退と共に、アルザスはフランスのものになり、同時にオー・クニグスブール城もフランスの支配下に置かれた。<br /><br />写真はイラストレーターの描く漫画でしょうか?

    それから2 世紀半が経ち、普仏戦争の結果、アルザス地方は1871年からドイツ領に編入され、ドイツ皇帝ヴィルヘルム 2 世の命で1900〜1908 年にかけてオー・クニグスブール城の大がかりな修復工事が行われた。
    それはまた、ドイツ帝国にとって、アルザス地方がドイツ領土に回復した象徴でもあった。
    修復にあたり、可能なかぎり資料を参考にして、15〜16 世紀の城塞を忠実に再現されたと云う。城内に配された調度品や武器は中世から三十年戦争当時のもので、タイル造りの暖房器具には、修復前の調査で発掘されたタイルの複製が使われている。

    1919年、第一次大戦によるドイツの敗退と共に、アルザスはフランスのものになり、同時にオー・クニグスブール城もフランスの支配下に置かれた。

    写真はイラストレーターの描く漫画でしょうか?

  • 写真は日本的な武者走りのような長い塀が続く。

    写真は日本的な武者走りのような長い塀が続く。

  • 中身の展示はそれほどのものではないが、やはりどっしりした古城らしさが良い。<br /><br />写真は岩壁上に建てられたのがよく分かる城郭。

    中身の展示はそれほどのものではないが、やはりどっしりした古城らしさが良い。

    写真は岩壁上に建てられたのがよく分かる城郭。

  • 写真は見学の幼稚園児かな?

    写真は見学の幼稚園児かな?

  • オー・クニグスブール城の見学を終え、12:20山から九十九折の道を11km下がり、Bergheimベルクハイムに出た。もう下は28℃と暑い。<br /><br /><Bergheimベルクハイム><br />12:40〜13:10<br /><br />アルザスワイン街道に沿った美しい村(人口1941人)で、村全体を防壁で囲んだ姿が今も見ることが出来る。いつ頃に砦があったか歴史的には不明だが、ローマ軍団が当地に砦を築いたことは知られている。<br /><br />14世紀の初めにFamilie Rappoltstein (Ribeaupierre)ラッポルトシュタイン家が所有し、この頃に城壁が築かれたと云う。<br /><br />写真は村の城門Obertor(La porte)正面。

    オー・クニグスブール城の見学を終え、12:20山から九十九折の道を11km下がり、Bergheimベルクハイムに出た。もう下は28℃と暑い。

    <Bergheimベルクハイム>
    12:40〜13:10

    アルザスワイン街道に沿った美しい村(人口1941人)で、村全体を防壁で囲んだ姿が今も見ることが出来る。いつ頃に砦があったか歴史的には不明だが、ローマ軍団が当地に砦を築いたことは知られている。

    14世紀の初めにFamilie Rappoltstein (Ribeaupierre)ラッポルトシュタイン家が所有し、この頃に城壁が築かれたと云う。

    写真は村の城門Obertor(La porte)正面。

  • この村は二重の城壁が村を囲み、今も城壁、空堀、塔、家がかつての姿をよく残しているので、俯瞰図を見るときれいな楕円形を描いている。<br /><br />1313年に村はハプスブルグ家に譲渡され、その後も様々な所有者の手に渡っていった。 <br /><br />写真は1983年年末年始アルザスを走る:<br />Husserenユスランの高台(海抜390m)に3つの古城の城址(12世紀:写真参照)がある。そこはコルマールから凡そ7kmの距離にあり、車でふもとまで行き、そこから城址まで2kmの道を歩いて登った。

    この村は二重の城壁が村を囲み、今も城壁、空堀、塔、家がかつての姿をよく残しているので、俯瞰図を見るときれいな楕円形を描いている。

    1313年に村はハプスブルグ家に譲渡され、その後も様々な所有者の手に渡っていった。 

    写真は1983年年末年始アルザスを走る:
    Husserenユスランの高台(海抜390m)に3つの古城の城址(12世紀:写真参照)がある。そこはコルマールから凡そ7kmの距離にあり、車でふもとまで行き、そこから城址まで2kmの道を歩いて登った。

  • アルザスワイン街道を走ってくると、丁度、14世紀に造られ、村に唯一残ったObertor (La porte城門)の前に出る。城門の右手に無料駐車場があり、そこに停めて、しばし持参のお煎餅などを食べ、水を飲む。<br /><br />今日は朝食無しで出てきたので、クニグスブール城で食べればと思ったが、機会もなく、結局、お煎餅などでごまかした感じだ。<br /><br />写真は1983年年末年始アルザスを走る:<br />左上・Turckheimテュルクアイムの市城門、<br />上中央・Riquewihrリグヴィルにある木組みの塔が印象に残った。<br />右上・リグヴィルの市城門(13世紀)、右下・リグヴィルの木組みの家並み、<br />左下・Ammerschwihrアマーシュヴィールに向かう途中で、木立の中にカイゼルスベルグの城址が見えた。<br />

    アルザスワイン街道を走ってくると、丁度、14世紀に造られ、村に唯一残ったObertor (La porte城門)の前に出る。城門の右手に無料駐車場があり、そこに停めて、しばし持参のお煎餅などを食べ、水を飲む。

    今日は朝食無しで出てきたので、クニグスブール城で食べればと思ったが、機会もなく、結局、お煎餅などでごまかした感じだ。

    写真は1983年年末年始アルザスを走る:
    左上・Turckheimテュルクアイムの市城門、
    上中央・Riquewihrリグヴィルにある木組みの塔が印象に残った。
    右上・リグヴィルの市城門(13世紀)、右下・リグヴィルの木組みの家並み、
    左下・Ammerschwihrアマーシュヴィールに向かう途中で、木立の中にカイゼルスベルグの城址が見えた。

  • 城門を抜け、木組みの家並みが好ましいメイン通りを行くと、<br /><br />写真は村のメイン通り。

    城門を抜け、木組みの家並みが好ましいメイン通りを行くと、

    写真は村のメイン通り。

  • 直ぐに庁舎(1767年)前のマルクト広場に至る。そこには砂岩で造られた美しい泉が花々に飾られてある。<br /><br />写真は庁舎前のマルクト広場と泉。

    直ぐに庁舎(1767年)前のマルクト広場に至る。そこには砂岩で造られた美しい泉が花々に飾られてある。

    写真は庁舎前のマルクト広場と泉。

  • 周辺には木組みの家並みが魅力的だ。<br /><br />村の教会は14世紀に建設され、新教の教会らしく、内部は実にシンプルだ。<br /><br />特筆するべきは第二次世界大戦で戦死したドイツ人兵士、5308人の墓地が近くに作られていることだろう。<br /><br />写真は木組みの家並み。

    周辺には木組みの家並みが魅力的だ。

    村の教会は14世紀に建設され、新教の教会らしく、内部は実にシンプルだ。

    特筆するべきは第二次世界大戦で戦死したドイツ人兵士、5308人の墓地が近くに作られていることだろう。

    写真は木組みの家並み。

  • <「LACK&#39;MI」と称する浅浮き彫り><br /><br />さて、城門の壁に妙な格好した男がいた。兜を被り、剣を帯刀しているから兵士なのだろう、鼻に左手を当て、尻にも右手を当てている。<br /><br />砂岩でできた「LACK&#39;MI」と称する浅浮き彫りである。1852年にはオリジナルは無くなってしまった。<br /><br />写真は砂岩でできた「LACK&#39;MI」と称する浅浮き彫り。

    イチオシ

    <「LACK'MI」と称する浅浮き彫り>

    さて、城門の壁に妙な格好した男がいた。兜を被り、剣を帯刀しているから兵士なのだろう、鼻に左手を当て、尻にも右手を当てている。

    砂岩でできた「LACK'MI」と称する浅浮き彫りである。1852年にはオリジナルは無くなってしまった。

    写真は砂岩でできた「LACK'MI」と称する浅浮き彫り。

  • この彫り物の説明版が側にあり、見てみると上部にフランス語、下部にドイツ語の説明文があった。村当局が掲示したもののようだ。<br /><br />その説明は<br />「1534年から1852年まで、「LACK&#39;MI」(彼のお尻を丸出しにして、追いかける敵をあざける男を表現した)の浅浮き彫りが掲げられていた。<br />当時、浅浮き彫りはベルクハイム村の西の入口にあったそうです。<br /><br />この地方ではこの“Spottfigurあざけった姿”はたいへん知られた存在になっていました。<br />これは1361年、既に村が政治亡命の権利を認めていたことを示すものです。<br />またベルクハイムは744人の政治亡命者を受け入れた」と・・・書かれています。<br /><br />ドイツ人兵士の墓地といい、政治亡命者の権利といい、ベルクハイムは優しい。<br /><br />写真は彫り物の説明版。

    この彫り物の説明版が側にあり、見てみると上部にフランス語、下部にドイツ語の説明文があった。村当局が掲示したもののようだ。

    その説明は
    「1534年から1852年まで、「LACK'MI」(彼のお尻を丸出しにして、追いかける敵をあざける男を表現した)の浅浮き彫りが掲げられていた。
    当時、浅浮き彫りはベルクハイム村の西の入口にあったそうです。

    この地方ではこの“Spottfigurあざけった姿”はたいへん知られた存在になっていました。
    これは1361年、既に村が政治亡命の権利を認めていたことを示すものです。
    またベルクハイムは744人の政治亡命者を受け入れた」と・・・書かれています。

    ドイツ人兵士の墓地といい、政治亡命者の権利といい、ベルクハイムは優しい。

    写真は彫り物の説明版。

  • 余談になるが、英語で“Kiss my ass!”と言われる言葉がある。直訳は「オレのケツにキスしろ」つまり相手を侮辱する言葉であり、「馬鹿やろう!」「ふざけんな!」といった意味があるから、上述の話と同じだ。<br /><br />尚、ベルクハイムの話に似て、以下の話がドイツにもある<br /><br /><Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅><br />期間 :2012年05月15日(火)〜05月29日(火)15日間の旅<br /><br />2012年5月25日(金); 晴、26℃、109km <br /><br />Burg Krautheim(Stauferburg Krautheim)クラウトハイム城  <br />14:05〜14:20<br />D- 74238 Krautheim 、Burgweg 8<br />高さ17m、厚さ2.7mの防壁が囲み、教会、天守閣をもったクラウトハイム城は堂々たる姿を見せている。高さ約30mの天守閣からヤクスト渓谷や、周辺の一帯から遠望できる。<br />クラウトハイム城の城内博物館:城の歴史を展示。見学は土日祭日の2~5時のみ。<br /><br />城の歴史:<br />1213年、クラウトハイム城はWolfrad I. von Krautheimヴォルフラート1世フォン・クラウトハイムにより山頂に築かれた。<br />1240〜1242年: シュタウフェン家の帝権の象徴(王冠、王笏、剣)がおそらくクラウトハイム城に保管されていた。<br />1399年以後、クラウトハイムは、マインツ司教の勢力下(やがてその所領)におかれた。<br />1525年、農民戦争で城は罹災した。<br />1612年以降、マインツ大司教・領主Mainzer Erzbischof Johann Schweikhard von Kronbergクロンベルク家のヨハン・シュバイクハルトが城を拡大・強固にした。<br />1806年: ライン同盟によりアルト・クラウトハイムはヤクスト川の北側がバーデン大公国、南側がヴュルテンベルク王国に分割された。これによりクラウトハイムはバーデンにアルト・クラウトハイムはヴュルテンベルクに属することとなった。<br />1889年、Torhaeuschen城門入口が改装された。<br /><br />お目当てのクラウトハイム城も*ヨハンニター騎士団博物館にも行ってみたが、見学は土日祭日の2~5時の告示通りで、開いていなかった。従って、周辺をぐるりと回っただけに終わった。Torhaeuschen城門傍の高台に登り、中をのぞいてみたが殆ど見えない。<br />ゲッツ関連の城として、*鉄腕ゲッツ記念碑があるはずだったが、残念にも記念碑も見ないで帰ることになった。<br /><br />*ヨハンニター博物館<br />ヨハンニター騎士団(プロテスタントの聖ヨハネ騎士団)の歴史を展示。城山の村役場のすぐ近くにある。見学は土日祭日の2~5時のみ。<br /><br /><*Goetz-Gedenkstein鉄腕ゲッツ記念碑><br /><br />Talkrautheim をJagsttalstrasse (L1025)に沿って東の端まで行くと有名な記念碑があり、そこには&quot;Goetz-Zitat&quot;(ゲッツの格言・引用句)がある。<br /><br />ゲーテの処女戯曲の作中では主人公ゲッツが「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」(俺の尻を舐めろ!)と叫ぶシーンは有名になり、ドイツ語ではGoetz(ゲッツ)という言葉が “侮辱語:でくの坊、のろま、消えうせろ!”として通用するほどになったと云う。<br /><br />写真は2015.07.20.Alsas:Goetz-Gedenkstein「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」Krautheimドイツのクラウトハイムにある立像

    余談になるが、英語で“Kiss my ass!”と言われる言葉がある。直訳は「オレのケツにキスしろ」つまり相手を侮辱する言葉であり、「馬鹿やろう!」「ふざけんな!」といった意味があるから、上述の話と同じだ。

    尚、ベルクハイムの話に似て、以下の話がドイツにもある

    <Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅>
    期間 :2012年05月15日(火)〜05月29日(火)15日間の旅

    2012年5月25日(金); 晴、26℃、109km 

    Burg Krautheim(Stauferburg Krautheim)クラウトハイム城  
    14:05〜14:20
    D- 74238 Krautheim 、Burgweg 8
    高さ17m、厚さ2.7mの防壁が囲み、教会、天守閣をもったクラウトハイム城は堂々たる姿を見せている。高さ約30mの天守閣からヤクスト渓谷や、周辺の一帯から遠望できる。
    クラウトハイム城の城内博物館:城の歴史を展示。見学は土日祭日の2~5時のみ。

    城の歴史:
    1213年、クラウトハイム城はWolfrad I. von Krautheimヴォルフラート1世フォン・クラウトハイムにより山頂に築かれた。
    1240〜1242年: シュタウフェン家の帝権の象徴(王冠、王笏、剣)がおそらくクラウトハイム城に保管されていた。
    1399年以後、クラウトハイムは、マインツ司教の勢力下(やがてその所領)におかれた。
    1525年、農民戦争で城は罹災した。
    1612年以降、マインツ大司教・領主Mainzer Erzbischof Johann Schweikhard von Kronbergクロンベルク家のヨハン・シュバイクハルトが城を拡大・強固にした。
    1806年: ライン同盟によりアルト・クラウトハイムはヤクスト川の北側がバーデン大公国、南側がヴュルテンベルク王国に分割された。これによりクラウトハイムはバーデンにアルト・クラウトハイムはヴュルテンベルクに属することとなった。
    1889年、Torhaeuschen城門入口が改装された。

    お目当てのクラウトハイム城も*ヨハンニター騎士団博物館にも行ってみたが、見学は土日祭日の2~5時の告示通りで、開いていなかった。従って、周辺をぐるりと回っただけに終わった。Torhaeuschen城門傍の高台に登り、中をのぞいてみたが殆ど見えない。
    ゲッツ関連の城として、*鉄腕ゲッツ記念碑があるはずだったが、残念にも記念碑も見ないで帰ることになった。

    *ヨハンニター博物館
    ヨハンニター騎士団(プロテスタントの聖ヨハネ騎士団)の歴史を展示。城山の村役場のすぐ近くにある。見学は土日祭日の2~5時のみ。

    <*Goetz-Gedenkstein鉄腕ゲッツ記念碑>

    Talkrautheim をJagsttalstrasse (L1025)に沿って東の端まで行くと有名な記念碑があり、そこには"Goetz-Zitat"(ゲッツの格言・引用句)がある。

    ゲーテの処女戯曲の作中では主人公ゲッツが「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」(俺の尻を舐めろ!)と叫ぶシーンは有名になり、ドイツ語ではGoetz(ゲッツ)という言葉が “侮辱語:でくの坊、のろま、消えうせろ!”として通用するほどになったと云う。

    写真は2015.07.20.Alsas:Goetz-Gedenkstein「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」Krautheimドイツのクラウトハイムにある立像

  • <br />ご参考までに;<br /><br />≪“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫鉄の義手を付けて戦った騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン≫<br />http://4travel.jp/travelogue/11005498<br /><br />≪“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫ゲッツの居城群、墓碑など・その①≫<br />http://4travel.jp/travelogue/11007620<br /><br />≪“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫ゲッツの居城群と幽閉された塔など・その②≫<br />http://4travel.jp/travelogue/11009551<br /><br />写真は2012.05.24.Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城:鉄腕ゲッツの野外劇。


    ご参考までに;

    ≪“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫鉄の義手を付けて戦った騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン≫
    http://4travel.jp/travelogue/11005498

    ≪“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫ゲッツの居城群、墓碑など・その①≫
    http://4travel.jp/travelogue/11007620

    ≪“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫ゲッツの居城群と幽閉された塔など・その②≫
    http://4travel.jp/travelogue/11009551

    写真は2012.05.24.Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城:鉄腕ゲッツの野外劇。

    Schlosshotel Götzenburg ホテル

  • こんな事もある。<br /><br />①Erklaerung von &quot;Leck mich am Arsch!&quot;<br />https://www.youtube.com/watch?v=g6kbDynyunY<br /><br />②宗教改革者マルティン・ルターの日記<br />彼の日記に「悪魔に罵られて“俺の尻をなめろ”と言い返した」と記されているという。<br /><br />③モーツァルト作曲のLeck mich im Arsch俺の尻をなめろ<br />『俺の尻をなめろ』はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したカノン形式の声楽曲。1782年にウィーンで作曲された。歌詞はドイツ語である。<br />作曲の経緯を示す資料は残されていないが、親しい友人たちとの内輪の集まりで、大勢で歌って盛り上がるために作られたものであろう。(Wiki)<br /><br />Leck mich im Arsch!<br />Lasst uns froh sein!<br />Murren ist vergebens!<br />Knurren, Brummen ist vergebens,<br />ist das wahre Kreuz des Lebens.<br />Drum lasst uns froh und froehlich sein!<br />Leck mich im Arsch!<br />俺の尻をなめろ<br />陽気にいこう<br />文句をいってもしかたがない<br />ブツブツ不平を言ってもしかたがない<br />本当に悩みの種だよ<br />だから陽気に楽しく行こう<br />俺の尻をなめろ<br /><br />XXX<br /><br />写真は2012.05.24.Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城:鉄腕ゲッツの腕

    こんな事もある。

    ①Erklaerung von "Leck mich am Arsch!"
    https://www.youtube.com/watch?v=g6kbDynyunY

    ②宗教改革者マルティン・ルターの日記
    彼の日記に「悪魔に罵られて“俺の尻をなめろ”と言い返した」と記されているという。

    ③モーツァルト作曲のLeck mich im Arsch俺の尻をなめろ
    『俺の尻をなめろ』はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したカノン形式の声楽曲。1782年にウィーンで作曲された。歌詞はドイツ語である。
    作曲の経緯を示す資料は残されていないが、親しい友人たちとの内輪の集まりで、大勢で歌って盛り上がるために作られたものであろう。(Wiki)

    Leck mich im Arsch!
    Lasst uns froh sein!
    Murren ist vergebens!
    Knurren, Brummen ist vergebens,
    ist das wahre Kreuz des Lebens.
    Drum lasst uns froh und froehlich sein!
    Leck mich im Arsch!
    俺の尻をなめろ
    陽気にいこう
    文句をいってもしかたがない
    ブツブツ不平を言ってもしかたがない
    本当に悩みの種だよ
    だから陽気に楽しく行こう
    俺の尻をなめろ

    XXX

    写真は2012.05.24.Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城:鉄腕ゲッツの腕

  • 2写真は012.05.25.Kloster Schoental シェーンタール修道院:“鉄腕ゲッツ”と呼ばれたGoetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの墓碑

    2写真は012.05.25.Kloster Schoental シェーンタール修道院:“鉄腕ゲッツ”と呼ばれたGoetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの墓碑

  • ベルクハイムを13:10に出発し、リクヴィルに向かう。<br />アルザスの魅力が詰まったワイン街道の真珠と云われた村だが、正午を過ぎた時間になると村には空いた駐車スペースが全く無く、2度ぐるりと回ったものの見つからず、断念してしまった。<br /><br />1984年にもちろん見たからと、Kaisersbergカイゼルスベルクに向かった。<br /><br />写真はカイゼルスベルクの駐車場は空堀傍にある。

    ベルクハイムを13:10に出発し、リクヴィルに向かう。
    アルザスの魅力が詰まったワイン街道の真珠と云われた村だが、正午を過ぎた時間になると村には空いた駐車スペースが全く無く、2度ぐるりと回ったものの見つからず、断念してしまった。

    1984年にもちろん見たからと、Kaisersbergカイゼルスベルクに向かった。

    写真はカイゼルスベルクの駐車場は空堀傍にある。

    ケゼルスベール旧市街 旧市街・古い町並み

    アルザス:画家たちが愛した光景を見たければ、カイゼルスベルクに行こう。 by jijidarumaさん
  • ベルクハイムから21kmでカイゼルスベルクに着いた。<br /><br />丁度、村の周辺にある空堀傍に日陰の駐車場を見つけた。無料なのかよく分からなかったが、若い女性二人組が駐車料金未払い者のチェックで巡回しているのに気が付いた。<br /><br />少し離れた所に駐車券の自動発券機があり、Euro2(278円)を入れたら、19時までの長い駐車時間許可を得てしまった。<br /><br /><Kaisersbergカイゼルスベルク(フランス語はケゼルスベール)> <br />http://www.kaysersberg.com/<br /><br />13:55〜14:40 30℃<br />シュヴァイツァー博士の生誕地として知られるカイゼルスベルクは戦火を免れた村でコルマールから約 11kmにある。人口2705人。<br /><br />写真は狭い村内の道を行く。

    ベルクハイムから21kmでカイゼルスベルクに着いた。

    丁度、村の周辺にある空堀傍に日陰の駐車場を見つけた。無料なのかよく分からなかったが、若い女性二人組が駐車料金未払い者のチェックで巡回しているのに気が付いた。

    少し離れた所に駐車券の自動発券機があり、Euro2(278円)を入れたら、19時までの長い駐車時間許可を得てしまった。

    <Kaisersbergカイゼルスベルク(フランス語はケゼルスベール)>
    http://www.kaysersberg.com/

    13:55〜14:40 30℃
    シュヴァイツァー博士の生誕地として知られるカイゼルスベルクは戦火を免れた村でコルマールから約 11kmにある。人口2705人。

    写真は狭い村内の道を行く。

  • <カイゼルスベルクの歴史><br /><br />中世の頃、ヴァイス川流域沿いの道はライン川方面とロレーヌ地方を結ぶ交易の道として利用された。<br /><br />この村のカイゼルスベルク城砦について記述されたのは1227年が最初の事で、Stauferkaiser Friedrich II.シュタウフェン王朝のフリードリヒ2世が交易の道を守る城砦を建てた(あるいは改築した)ものとみられる。<br />1293年、神聖ローマ帝国により、カイゼルスベルクは帝国都市として認められ、栄えた。<br />1353年には“アルザスZehnstaedtebund 10自由都市同盟”の一員として、さまざまな特権を与えられ、コルマールの項で書いた神聖ローマ帝国の将軍、Lazare de Schwendiラザール・ド・シュヴァンディ男爵(1522 〜1583年)がもたらしたブドウのPinot Grisピノ・グリ種から育てたワインの交易で一層の繁栄を得たと云う。<br /><br />1848年、ヴェストファーレン条約により三十年戦争も終結し、村はフランスに帰属した。<br />1871年、普仏戦争の結果、逆にフランスは東部のドイツ系住民居住地域であるアルザス・ロレーヌ地方3県を失い、1919年までドイツ帝国直轄領エルザス・ロートリンゲン州となった。<br /><br />写真は洒落たブドウの図柄の看板。

    <カイゼルスベルクの歴史>

    中世の頃、ヴァイス川流域沿いの道はライン川方面とロレーヌ地方を結ぶ交易の道として利用された。

    この村のカイゼルスベルク城砦について記述されたのは1227年が最初の事で、Stauferkaiser Friedrich II.シュタウフェン王朝のフリードリヒ2世が交易の道を守る城砦を建てた(あるいは改築した)ものとみられる。
    1293年、神聖ローマ帝国により、カイゼルスベルクは帝国都市として認められ、栄えた。
    1353年には“アルザスZehnstaedtebund 10自由都市同盟”の一員として、さまざまな特権を与えられ、コルマールの項で書いた神聖ローマ帝国の将軍、Lazare de Schwendiラザール・ド・シュヴァンディ男爵(1522 〜1583年)がもたらしたブドウのPinot Grisピノ・グリ種から育てたワインの交易で一層の繁栄を得たと云う。

    1848年、ヴェストファーレン条約により三十年戦争も終結し、村はフランスに帰属した。
    1871年、普仏戦争の結果、逆にフランスは東部のドイツ系住民居住地域であるアルザス・ロレーヌ地方3県を失い、1919年までドイツ帝国直轄領エルザス・ロートリンゲン州となった。

    写真は洒落たブドウの図柄の看板。

  • 第二次世界大戦中、西部戦線・フランス北東部のアルザス・ロレーヌでドイツ国防軍による最後の攻撃“Unternehmen Nordwindノルトヴィント作戦”が行われた。<br />戦いは1945年1月1日に開始、1月25日には終了した。この結果ライン川西岸のストラスブール南地域にいるドイツ軍は殲滅された。<br /><br />それと並行して始まった“Brueckenkopf Elsass橋頭堡アルザス:コルマールの戦い”はコルマール周辺で1945年1月20日から2月9日の期間に行われた。<br />当時、コルマールはライン川に架かる橋を守る重要拠点であったため、周辺には幅65km、深さ50kmにわたるドイツ軍の橋頭堡が築かれていた。<br />激しい戦いの末、連合国軍はドイツ軍を敗走せしめ、連合軍はライン川を渡ることに成功し、ドイツ領への本格侵攻を開始した。<br /><br />これらの戦いでコルマールは奇跡的にも戦禍を免れたものの、周辺の村々は壊滅的なダメージを受けたと云う。<br /><br />写真は古めかしい木組みの家並み。

    第二次世界大戦中、西部戦線・フランス北東部のアルザス・ロレーヌでドイツ国防軍による最後の攻撃“Unternehmen Nordwindノルトヴィント作戦”が行われた。
    戦いは1945年1月1日に開始、1月25日には終了した。この結果ライン川西岸のストラスブール南地域にいるドイツ軍は殲滅された。

    それと並行して始まった“Brueckenkopf Elsass橋頭堡アルザス:コルマールの戦い”はコルマール周辺で1945年1月20日から2月9日の期間に行われた。
    当時、コルマールはライン川に架かる橋を守る重要拠点であったため、周辺には幅65km、深さ50kmにわたるドイツ軍の橋頭堡が築かれていた。
    激しい戦いの末、連合国軍はドイツ軍を敗走せしめ、連合軍はライン川を渡ることに成功し、ドイツ領への本格侵攻を開始した。

    これらの戦いでコルマールは奇跡的にも戦禍を免れたものの、周辺の村々は壊滅的なダメージを受けたと云う。

    写真は古めかしい木組みの家並み。

  • <カイゼルスベルクの見どころ><br /><br />空堀傍の駐車場から歩きだし、路地から大通りに入ると、そこはもう古めかしい木組みの家が続き、洒落たブドウの図柄の看板が有り、花をきれいに飾る窓辺が目に入ってきた。<br /><br />カイゼルスベルグ城址の見えてくると、ヴァイス川にかかる石橋に至り、中央には小さな礼拝堂がある。<br /><br />写真はヴァイス川にかかる石橋。

    <カイゼルスベルクの見どころ>

    空堀傍の駐車場から歩きだし、路地から大通りに入ると、そこはもう古めかしい木組みの家が続き、洒落たブドウの図柄の看板が有り、花をきれいに飾る窓辺が目に入ってきた。

    カイゼルスベルグ城址の見えてくると、ヴァイス川にかかる石橋に至り、中央には小さな礼拝堂がある。

    写真はヴァイス川にかかる石橋。

  • 橋の左右を見れば、ヴァイス川が流れる領域に木組みの家が並ぶ。これぞ画家たちが愛した光景だと、納得したものだ。<br /><br />写真はヴァイス川と木組みの家。

    橋の左右を見れば、ヴァイス川が流れる領域に木組みの家が並ぶ。これぞ画家たちが愛した光景だと、納得したものだ。

    写真はヴァイス川と木組みの家。

  • 写真は画家たちが愛した光景。

    イチオシ

    写真は画家たちが愛した光景。

  • 写真はこんな看板も。

    写真はこんな看板も。

  • 写真は洒落た木組みの家です。

    写真は洒落た木組みの家です。

  • <Biscuiterie   La Table Alsacienneビスキュイテリエ ラ ターブル アルザス><br />F-68240  Kaisersberg 、70  Rue du Général de Gaulle<br /><br />アルザス伝統のケーキ・クッキー、Bredalaアアルザス語でビスケット(特にクリスマス期間用に焼くお菓子)、Brezelプレッツェル、Kougelhofクーゲルホフ*、フルーツゼリー菓子、アイスクリームなどの製作販売をしている店。<br /><br />*Kougelhofクーゲルホフはクグロフ型(外側に斜めの溝のある蛇の目型)で焼いたアルザス地方の菓子。王冠の形をした菓子パン・クグロフの起源には諸説あり、オーストリアから嫁入りした王妃マリー・アントワネットがフランスへ持ち込んだものだとも、それよりはるか昔、キリストの誕生を祝う東方の三博士が家に泊めてもらったお礼に焼いたものだ、とも言われている。<br /><br />アルザスでクグロフと言えば、もてなしと友情の証しとされ、クリスマス、イースター、ブドウ収穫祭、結婚式、子供の誕生などのお祝い事があると、クグロフが焼かれる。クグロフを焼く特別な型は模様もお土産にも最適である。(仏観光局)<br /><br />写真はビスキュイテリエ ラ ターブル アルザスの正面。

    <Biscuiterie  La Table Alsacienneビスキュイテリエ ラ ターブル アルザス>
    F-68240  Kaisersberg 、70 Rue du Général de Gaulle

    アルザス伝統のケーキ・クッキー、Bredalaアアルザス語でビスケット(特にクリスマス期間用に焼くお菓子)、Brezelプレッツェル、Kougelhofクーゲルホフ*、フルーツゼリー菓子、アイスクリームなどの製作販売をしている店。

    *Kougelhofクーゲルホフはクグロフ型(外側に斜めの溝のある蛇の目型)で焼いたアルザス地方の菓子。王冠の形をした菓子パン・クグロフの起源には諸説あり、オーストリアから嫁入りした王妃マリー・アントワネットがフランスへ持ち込んだものだとも、それよりはるか昔、キリストの誕生を祝う東方の三博士が家に泊めてもらったお礼に焼いたものだ、とも言われている。

    アルザスでクグロフと言えば、もてなしと友情の証しとされ、クリスマス、イースター、ブドウ収穫祭、結婚式、子供の誕生などのお祝い事があると、クグロフが焼かれる。クグロフを焼く特別な型は模様もお土産にも最適である。(仏観光局)

    写真はビスキュイテリエ ラ ターブル アルザスの正面。

  • クリスマスのお菓子作り;<br />https://www.facebook.com/277107112419745/videos/vb.277107112419745/717620881701697/?type=2&amp;theater<br /><br />この店ではお土産にフルーツゼリー菓子とSandkuchenザントクーヘン*などEuro35.8(4,914円)購入、及び店頭で食べたバニラアイス代Euro3(418円)。<br /><br />*ザントクーヘンは“従来のパウンドケーキとは違い、砂のように口の中でほろほろとほどける食感のドイツ菓子です。<br />レモンの風味もとってもさわやかケーキ”ですが、美味しそうだったのでつい店頭で食べてしまった。<br /><br />写真は2015.07.20.Alsas:Kaysersbergのbiscuiterieの店内

    クリスマスのお菓子作り;
    https://www.facebook.com/277107112419745/videos/vb.277107112419745/717620881701697/?type=2&theater

    この店ではお土産にフルーツゼリー菓子とSandkuchenザントクーヘン*などEuro35.8(4,914円)購入、及び店頭で食べたバニラアイス代Euro3(418円)。

    *ザントクーヘンは“従来のパウンドケーキとは違い、砂のように口の中でほろほろとほどける食感のドイツ菓子です。
    レモンの風味もとってもさわやかケーキ”ですが、美味しそうだったのでつい店頭で食べてしまった。

    写真は2015.07.20.Alsas:Kaysersbergのbiscuiterieの店内

  • 写真は2015.07.20.Alsas:Kaysersbergのフルーツゼリー菓子

    写真は2015.07.20.Alsas:Kaysersbergのフルーツゼリー菓子

  • ①カイゼルスベルク城址  ⑫<br />ぶどう畑の小高い丘の中腹に残る13世紀建築の城址、見晴らしの利く見張り塔には登れる。<br /><br />③中世の雰囲気を伝える木組みの家々とLa Weissヴァイス川<br />15~17世紀に建てられた古い木組み建築の家々が今も残り、赤、紫、ピンク、白の花々が窓辺に置かれている。村の中心には小川ラ・ヴァイス川(全長24km、ラインの支流)のせせらぎが見られ、素晴らしい景色になっている。<br /><br />④Chapelle de l’Oberhofロベロフ礼拝堂<br />14世紀末に建築された。18~19世紀の多彩な像を内蔵します。<br /><br />⑤村の庁舎<br />1604年に建築されたルネサンス様式の庁舎で、現在は観光案内所としても使われている。<br /><br />⑥Musee d&#39;Histoire Locale歴史郷土博物館<br />14~18 世紀の宗教芸術を集めた博物館。<br /><br />⑦クリスマスマーケット<br />小ぢんまりした村のクリスマスも人気が高い。<br /><br />⑧Centre Culturel Albert Schweizerシュヴァイツァー文化センター<br />シュヴァイツァー博士の生まれ故郷として、生家は博士の活動を紹介する。<br /><br />写真は歴史郷土博物館?

    ①カイゼルスベルク城址  ⑫
    ぶどう畑の小高い丘の中腹に残る13世紀建築の城址、見晴らしの利く見張り塔には登れる。

    ③中世の雰囲気を伝える木組みの家々とLa Weissヴァイス川
    15~17世紀に建てられた古い木組み建築の家々が今も残り、赤、紫、ピンク、白の花々が窓辺に置かれている。村の中心には小川ラ・ヴァイス川(全長24km、ラインの支流)のせせらぎが見られ、素晴らしい景色になっている。

    ④Chapelle de l’Oberhofロベロフ礼拝堂
    14世紀末に建築された。18~19世紀の多彩な像を内蔵します。

    ⑤村の庁舎
    1604年に建築されたルネサンス様式の庁舎で、現在は観光案内所としても使われている。

    ⑥Musee d'Histoire Locale歴史郷土博物館
    14~18 世紀の宗教芸術を集めた博物館。

    ⑦クリスマスマーケット
    小ぢんまりした村のクリスマスも人気が高い。

    ⑧Centre Culturel Albert Schweizerシュヴァイツァー文化センター
    シュヴァイツァー博士の生まれ故郷として、生家は博士の活動を紹介する。

    写真は歴史郷土博物館?

  • 写真は鉢植えのようなものを持った夫人の看板も。

    写真は鉢植えのようなものを持った夫人の看板も。

  • 写真は張り出し窓を持つ木組みの家、聖母子像の絵が見える。ウインドウを見るとパン屋さんにも見えます。

    写真は張り出し窓を持つ木組みの家、聖母子像の絵が見える。ウインドウを見るとパン屋さんにも見えます。

  • ②Kirche Sainte-Croix (Heilig Kreuz)サン・クロワ教会とFontaine Constantinコンスタンティヌスの泉<br /><br />1230年に建築が始まったロマネスク様式の教会。中央入口部は13世紀、側廊は15~16世紀建築のもの。中にはHans Bongartジャン・ボンガルト作の見事なイエス・キリストの祭壇画(16 世紀)が掲げられている。教会正面にはコンスタンティヌスの噴水がある。<br /><br />写真はコンスタンティヌスの噴水。

    ②Kirche Sainte-Croix (Heilig Kreuz)サン・クロワ教会とFontaine Constantinコンスタンティヌスの泉

    1230年に建築が始まったロマネスク様式の教会。中央入口部は13世紀、側廊は15~16世紀建築のもの。中にはHans Bongartジャン・ボンガルト作の見事なイエス・キリストの祭壇画(16 世紀)が掲げられている。教会正面にはコンスタンティヌスの噴水がある。

    写真はコンスタンティヌスの噴水。

  • 写真はイエス・キリストの祭壇画。<br /><br /><br />*参考;コルマールから20km南のロウファッハの町に一つ古城ホテルがあります。タクシーで行ける距離でしょう。<br />Chateau D&#39;Isenbourg<br />F-68250 - Rouffach - Alsace - France<br />http://www.chateaudisenbourg.com/index.html<br />

    写真はイエス・キリストの祭壇画。


    *参考;コルマールから20km南のロウファッハの町に一つ古城ホテルがあります。タクシーで行ける距離でしょう。
    Chateau D'Isenbourg
    F-68250 - Rouffach - Alsace - France
    http://www.chateaudisenbourg.com/index.html

  • カイゼルスベルクを14:40に出て、16km走ってColmarコルマールに着いた。今日は迷わず15:35にガレージ、そしてロマンチックホテル に。<br />トイレの水が断水して為か、流れないのでスタッフに電話し、17;30頃、OKとなった。<br /><br />夕食はホテルのレストランを予約済みで、19時まで冷房をかけた部屋で、明日の準備をしてから、ゆっくり休憩をとった。<br /><br />写真はル・マレシャルのレストラン“A l’Echevinアレシェバン”で

    カイゼルスベルクを14:40に出て、16km走ってColmarコルマールに着いた。今日は迷わず15:35にガレージ、そしてロマンチックホテル に。
    トイレの水が断水して為か、流れないのでスタッフに電話し、17;30頃、OKとなった。

    夕食はホテルのレストランを予約済みで、19時まで冷房をかけた部屋で、明日の準備をしてから、ゆっくり休憩をとった。

    写真はル・マレシャルのレストラン“A l’Echevinアレシェバン”で

    ホテル ル マレシャル ホテル

  • ≪夕食:ロマンチックホテル ル・マレシャルレストラン“A l’Echevinアレシェバン”で≫<br /><br />19:00〜21:30  Euro178+チップ5=183(25,260円)<br /><br />当ホテルのグルメレストラン“A l’Echevinアレシェバン”は地元食材を使用したフレンチ料理を提供している。<br /><br />予約席は夏の暑さしのぎもあり、川辺に臨むレストランであった。さすがに熱のこもる、素晴らしいメインレストランには誰もいない。<br /><br />飲み物:<br />シェリー酒のTio PepeEuro7X2=14、アルザスのRiquerwihrリクヴィルにあるワイン醸造家HugelフーゲルのRieslingリースリング辛口0.75L=Euro41、水1L=Euro8、最後のコーヒーは私だけが飲む。Euro5.  合計Euro68(9,384円)<br /><br />写真はシェフのご挨拶・<br />エビ入りのシュウマイのような小品を肴にシェリー酒で乾杯。

    ≪夕食:ロマンチックホテル ル・マレシャルレストラン“A l’Echevinアレシェバン”で≫

    19:00〜21:30  Euro178+チップ5=183(25,260円)

    当ホテルのグルメレストラン“A l’Echevinアレシェバン”は地元食材を使用したフレンチ料理を提供している。

    予約席は夏の暑さしのぎもあり、川辺に臨むレストランであった。さすがに熱のこもる、素晴らしいメインレストランには誰もいない。

    飲み物:
    シェリー酒のTio PepeEuro7X2=14、アルザスのRiquerwihrリクヴィルにあるワイン醸造家HugelフーゲルのRieslingリースリング辛口0.75L=Euro41、水1L=Euro8、最後のコーヒーは私だけが飲む。Euro5.  合計Euro68(9,384円)

    写真はシェフのご挨拶・
    エビ入りのシュウマイのような小品を肴にシェリー酒で乾杯。

  • 4品料理:<br />二人ともメニュー料理“Menu Gourmand de l’Echevinレシェバンのグルメメニュー”の5品の内、チーズを外した4品を選んだ。<br />Euro55X2=110+チップ5(15,876円)<br /><br />シェフのご挨拶:<br />エビ入りのシュウマイのような小品が出てきて、食べやすかったがちょっと意外だった。<br /><br />前菜:<br />メカジキのカルパッチョにトマト、モッツァーレ添え、バルサミコソース。<br /><br />写真は前菜。

    4品料理:
    二人ともメニュー料理“Menu Gourmand de l’Echevinレシェバンのグルメメニュー”の5品の内、チーズを外した4品を選んだ。
    Euro55X2=110+チップ5(15,876円)

    シェフのご挨拶:
    エビ入りのシュウマイのような小品が出てきて、食べやすかったがちょっと意外だった。

    前菜:
    メカジキのカルパッチョにトマト、モッツァーレ添え、バルサミコソース。

    写真は前菜。

  • メイン:<br />①魚料理<br />好きなリソットにイワナが載ったもの、ソースはトマトソース、バジリコ添え。<br /><br />写真はメイン:①魚料理

    メイン:
    ①魚料理
    好きなリソットにイワナが載ったもの、ソースはトマトソース、バジリコ添え。

    写真はメイン:①魚料理

  • ②肉料理<br />Dombesドンブ産(東フランス・ローヌ・アルプ地方)のカモの胸肉、ソースはカモの肉汁ソース。それに小さな人参、野菜入りのバスティラ添え。<br /><br />(Pastillaバスティラは伝統的なモロッコ料理を言い、アンダルス(スペインのアンダルシアが中心)から持ち込まれた料理だとされる。伝統的な作り方では若い鳩肉を用いたミートパイ。)<br /><br />写真はメイン:②肉料理

    ②肉料理
    Dombesドンブ産(東フランス・ローヌ・アルプ地方)のカモの胸肉、ソースはカモの肉汁ソース。それに小さな人参、野菜入りのバスティラ添え。

    (Pastillaバスティラは伝統的なモロッコ料理を言い、アンダルス(スペインのアンダルシアが中心)から持ち込まれた料理だとされる。伝統的な作り方では若い鳩肉を用いたミートパイ。)

    写真はメイン:②肉料理

  • 写真はフレンドリーな若いスタッフが撮ってくれました。

    写真はフレンドリーな若いスタッフが撮ってくれました。

  • デザート:<br />チョコレートエクレア。<br /><br />写真はデザート。

    デザート:
    チョコレートエクレア。

    写真はデザート。

  • コーヒーを頼むと、ゼリーやクッキーがついてきた。<br /><br />写真はコーヒー、ゼリー、クッキー、それに飲み干したリースリングの空き瓶・・部屋に帰って、記念にラベルを自分ではがします。

    コーヒーを頼むと、ゼリーやクッキーがついてきた。

    写真はコーヒー、ゼリー、クッキー、それに飲み干したリースリングの空き瓶・・部屋に帰って、記念にラベルを自分ではがします。

  • ル・マレシャルはコルマール観光の中心に位置したホテルであり、ホテルそのものが絵になる。また、川岸(運河)にホテルが立っているので、川をボートが行くのを眺め、斜め左のレストランからは少々羨望の眼差しで見られている。<br /><br />珍しいことに川にカワウソの親子が住んでいて、時々巣穴から出てきては泳いでいる。カワウソの泳ぐのを見ながら、食事をしたのも初めての体験です。<br /><br />写真はカワウソ。

    イチオシ

    ル・マレシャルはコルマール観光の中心に位置したホテルであり、ホテルそのものが絵になる。また、川岸(運河)にホテルが立っているので、川をボートが行くのを眺め、斜め左のレストランからは少々羨望の眼差しで見られている。

    珍しいことに川にカワウソの親子が住んでいて、時々巣穴から出てきては泳いでいる。カワウソの泳ぐのを見ながら、食事をしたのも初めての体験です。

    写真はカワウソ。

  • 食事もワインも美味しく、かつリーズナブルなもので、二人とも完食した。<br /><br />レストランのスタッフはとてもフレンドリーで、独・英語も通じた。<br /><br />写真はカワウソ。

    食事もワインも美味しく、かつリーズナブルなもので、二人とも完食した。

    レストランのスタッフはとてもフレンドリーで、独・英語も通じた。

    写真はカワウソ。

  • XXX<br /><br />満腹、お酒もきいて、22:40就寝。ぐっすりと眠れた。<br /><br />写真はレストラン“A l’Echevinアレシェバン”

    XXX

    満腹、お酒もきいて、22:40就寝。ぐっすりと眠れた。

    写真はレストラン“A l’Echevinアレシェバン”

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この旅行記へのコメント (4)

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  • チェロ爺さん 2023/06/13 12:15:43
    アルザス地方は行ってないので楽しめました
    ドイツは何処へ行っても同じ様な落ち着いた景色で癒されますね。

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2023/06/13 12:59:32
    Re: アルザス地方は行ってないので楽しめました
    チェロ爺さん、
    今日は。

    アルザス地方はドイツ領!と、思っていますので、ライン川を気軽に越えて、木組みの家並み、ワイン畑、古城といったドイツそのままの似た風景を楽しみめます。
    現地がフランス語なのか気に入らないですけど(笑)。

    お立ち寄りありがとうございました。
    jijidaruma
  • Papanさん 2017/10/12 14:19:28
    山の上のお城
    jijidaruma様
    こんにちは、Papanと申します。
    私の 大変拙いストラスブールとコルマールの旅行記にご訪問とご投票ありがとうございました!<(_ _*)>

    肥沼医師のお話は私は全く知りませんでした。貴重な伝記を読むことができてとても良かったです。でも桜がみたかったというお話が悲しかったです。私は昨年の4月にドイツを訪れ、アーヘンでは大きな八重桜がたくさん満開で、ケルンでは川沿いに見事なソメイヨシノが満開で、思わぬところでお花見ができて良かったなあと良い想い出だったので…。肥沼医師が居た所には悲しいことに桜がなかったんですね…。

    それでアルザス地方なんですが、実は私は昨年とても物足りなかったのでまた今年の12月に行く予定なんです! ただ欲張ってまた詰め込みすぎたのでゆっくりできるかどうかわからないのですが…、下調べをたくさんして充実した時を送りたいと思っています。 jijidaruma様の旅行記は大変参考、いえ遥かに参考以上のものになりました。山頂のオー・クニグスブール城は中世の面影が残っててとっても素敵ですね! 私も寒すぎなければワイン街道を散策したいと思っているのでオー・クニグスブール城を遠くから見れたらいいなと思っています。

    昨年は行きの飛行機で風邪をうつされたようで薬も飲みながらになったので旅の前半はあまり体力に自信がありませんでした。今回は風邪薬とビタミンCをたくさん持っていく予定です。jijidaruma様も冬にXmasマーケット巡りをされるそうですが、どうかお体にはお気をつけください!

    これからも宜しくお願いいたします♪


    Papan

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2017/10/12 17:34:57
    Re: 山の上のお城
    Papanさん

    こちらでコメントを返して頂いたようで、スミマセンでした。
    アルザスには今年の12月に再挑戦の由、良いですね。
    旅は少し拘ってみるのが、実になりますし、思い出も多く
    残ると思います。
    私は比較的、事前調査をして出かけます。とりわけ伝説などが有ると、訳して楽しんでいます。

    この4Travelではドイツの伝説・民話からスタートし、様々なことを
    書いてきました。
    ドイツの旅で掲載したのは2009年のドイツのクリスマス、
    2014年ドイツの春・北方二州を巡る旅、
    そして2015年黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅です。
    現在は2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・
    ミュンスターラントの旅を掲載中です。
    伝説・民話、レストラン、ケーキ、古城ホテル、ロマンチックホテル
    などなどテーマは(口コミも含めて)色々です。

    ドイツの旅では、バラの奇蹟で知られる聖女エリザベート、
    美貌で名高いオーストリア・ハンガリー帝国の皇妃エリザベート、
    あるいはザクセン王アウグスト強王の愛妾であったコーゼル伯爵夫人(49年間、85歳で死ぬまで幽囚された)といった女性たちに加えて、
    ナチス・ドイツ抵抗運動のシンボルとなったシュタウフェンベルク
    伯爵についても興味を持って、その事跡を巡る事が多かったです。

    私共は74歳の夫婦で毎年レンタカーでドイツの古城めぐりを
    しています。ドイツは広く、それも東西ドイツが統一されて
    更に広くなりました。いつまで経っても終わりがないのですが、
    私共には年一回の楽しい行事になっています。

    旅はこだわってこそ、楽しみが増えますから、古城めぐりと
    伝説好きはまだ続くことでしょう。

    コメントありがとうございました。
    どうぞよろしくお願いします。

    jijidaruma

    追伸:アルザスの年末年始の旅(39歳当時)はこちらです。
    ご参考までに。
    https://4travel.jp/travelogue/11075838

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