旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル

ねんきん老人さんのトラベラーページ

ねんきん老人さんへのコメント一覧(16ページ)全769件

ねんきん老人さんの掲示板にコメントを書く

  • このような取組みは応援したくなります

    ねんきん老人さん、こんにちは

    ラッピング列車、楽しいですよね
    この鬼太郎&ねずみ男の車両も、かなり楽しい!
    そうそう、飛行機のラッピング(笑)
    あれは空港の展望デッキから見て楽しむものでしょう
    なぜか「ピカチュウ・ジェットに乗れた!」とか「嵐ジェットに乗りたい!」とか、まったくわけのわからんことを公言している人、多いですね

    ところでねずみ男の車両、シートに描かれたピクトグラムですが、「Photo Spot」と書かれているので、背もたれ左上から覗いているねずみ男とピースサインでツーショットとか、突然のねずみ男出現にビックリのポーズとか、で撮影してはいかが?・・・という意味では?

    この手のラッピング車両で言うと、富士急のフジサン特急や伊豆急のキンメ電車なども楽しいですよ(というより微笑ましい)

    街を挙げての『妖怪推し』、なんかいいですね
    鬼太郎はTVアニメをほぼ欠かさず見ていたので、なじみの深いキャラクターばかりで、見ているだけでワクワクします
    宿までこのセンで迫られたら、寝つきが悪くなりそうですが(笑)

    ちょっと気になったのは、砂かけばばあがいない!

    それにしても、トリミングが巧みでびっくり!

    ---------琉球熱--------
    2023年02月07日23時27分返信する 関連旅行記

    荒唐無稽な話に本気で取り組んでいる境港のみなさんに拍手です。

     琉球熱さん、こんにちは。 昨晩は書きこみをありがとうございました。
     鬼太郎列車は楽しい意匠でしたが、車内放送などはごくごく普通で、正直なところ飽きました。 せっかく各駅に妖怪名がつけられているのですから、「次は〇〇駅」というような案内も各妖怪の声でするなど、まだまだ工夫の余地があるように思いました。
     キンメ電車というのは知りませんでしたので、さっきネットで調べてみました。こちらはかなりお金をかけている感じですね。 伊豆に電車で行くことがあったら乗ってみたいと思いました。
     ピクトグラムについて、ねずみ男とのツーショットというお話。 そうだったのか!という気分です。 腕をいっぱいに伸ばして自撮りに苦労しているのを見たら、あの優しい車掌さんがシャッターを切ってくれるかも知れませんね。 それをきっかけに車掌さんと仲良くなってお茶など・・・おっと、そんなことがあるわけはないですね。

     水木しげるロードに砂かけばばあがいないというご指摘。 ちゃんといましたし、写真も撮りました。 ただ私の妹が太っていて私の娘などが陰で「砂かけばばあ」とあだ名をつけたりしていましたのと、その妹が早くに死んでいましたので、4トラ旅行記の中で茶化すのがなんとなく憚られ、今回は触れませんでした。
     たしかに砂かけばばあは鬼太郎周辺の妖怪の中で、欠くことのできないキャラクターですね。

     飛行機のラッピング。 乗って自慢している人に「どうだった?」と聞いてみたいです。

    ねんきん老人
    2023年02月08日10時12分 返信する
  • こんばんは

    先生こんばんは

    前回先生が妖怪辞典をお求めになったお話。
    しっかり覚えております!(^^)!
    今回は事前に予習して、
    さらに鬼太郎のように下駄を履いて
    鬼太郎になりきって? 
    鬼太郎に敬意を表して?
    ぶらりお散歩なさったとは随分遊び心がありますね。

    妖怪のごとく、人間を驚かし( ̄ー ̄)ニヤリ♪
    してやったりと、ご機嫌の先生のご様子を
    想像いたします。
    でもそのわりに….
    気づけば手にはお土産。
    随分と上手の妖怪おばさんがいらしたようですね。

    人生100年時代と言われ
    生き方をあれこれと考えているのに
    1000年も寿命が延びたら…。
    妖怪のおかげで人間も凄い時代を迎えそうですね。
    今でさえ妖怪っぽくなってきた容姿。
    さらに…と思うと ぶるっ。
    恐ろしい。恐ろしい。
    どんな見てくれをさらして生きるのでしょうか。
    美容整形外科が繁盛しそうですね。
    先生医師免許とっておいてくださいね。

    鳴り石の浜にお立ち寄りでしたか。
    私も一反木綿に送って貰い行ってきました(^^
    石がぶるかる音は本当に心地よかったです。
    大洗磯前神社にも石の浜があるのですが
    また音色が少し違うように聞こえるのは
    やはり妖力が違うのでしょうかね?
    ただ、癒やしの効果はどちらも同じくいいですよ。

    先生の境港散歩旅行記も本当に面白かったです。
    会社も仕事もない妖怪を書く水木先生が仕事に追われる…
    各所で思わず吹き出しました(*^-^*)
    2023年02月06日21時57分返信する 関連旅行記

    美容整形は無用のこと。

     チーママ散歩さん、こんにちは。 とりとめもない境港の旅行記にお付き合いくださって、ありがとうございました。
     仰るとおり、自分では下駄を履いて妖怪の世界を歩いているつもりでしたが、妖怪おばさんの術にはまって土産物を買わされたり、貧乏神様に「俺から逃げられると思うなよ~」とすごまれたり、なんとも情けない己のザマを見ただけでした。
     1000 年生きたら美容整形が必要になるのでは、というご心配は無用です。
     昔、何かの本で、美しくなる妙薬はただ一つ、恋をすることだ、ということを読んだ覚えがあります。 それはまさに至言で、美容整形などは神が与えてくださったバランスを崩すだけですから、邪道も邪道、まったく効果がありません。
     その点、チーママ散歩さんはいつもご主人とラブラブで、これ以上の妙薬はありませんね。 (私はこれまで、妻が夫を動画で撮るという例を見たことがありません。 ここまで愛されると、ご主人は365日、朝から晩まで雲の上で生活している気分だと思います)
     美容整形無用! あと950年、美しいままでいてください。

     鳴り石の浜に行かれたそうで、その様子を知ろうとチーママ散歩さんの旅行記を探し、『妖怪の住む街へ ちょっぴり妄想 ~鳥取の旅~』を見つけました。
     チーママ散歩さん独特の切り口で、同じ妖怪でも違って見えるのが面白く、何度も上下にスクロールしながら拝読しました。
     また、私が行ったときには賽の河原のように見えた鳴り石の浜も、チーママ散歩さんご夫婦が歩かれると、どこでもドアから突然別世界(夢の世界)に出たように感じられることに驚きました。 同じ景色の筈なのに、捉え方が違うのでしょうか?

     境港にせよ、鳴り石の浜にせよ、一人で行ったら一人の景色しか見えないということを痛感しました。 チーママ散歩さんのご夫婦旅、万歳!

    ねんきん老人
    2023年02月07日11時37分 返信する
  • 妖怪の街・・

    ねんきんさん、おはようございます。
    予てから おっしゃっていた鳥取の旅行記を、興味深く拝見させていただきました。
    まず鬼太郎列車で要する時間を尋ねたら「飽きますよ」と、係りの女性から率直に答えられたそうで・・
    けれど座席シートや天井画など、楽しい工夫がされていますね(^^♪
    横たわったりしている ねんきんさんの姿を見て、女性の車掌さんからいたわりの会釈をされたようで・・(笑)
    ・・何となく情景が、目に浮かんできました。

    さて水木しげるロードで、下駄を履いて歩くという粋な計らいをされましたが・・
    ・・それで、まんまとお土産を買わされたのですね( ;∀;)
    断り切れない、ねんきんさんの優しさを改めて感じました。

    総じて浦富海岸でクルーズ船に乗られたり、とても充実した時間を過ごされたように思います。
    また以前に訪れた時は水木しげる先生の像などなかったように記憶しているので、妖怪の街が色濃くなっているようにも・・

    話は変わりますが携帯電話で文字変換が簡単な昨今、お陰様で「妖怪」という2文字を久々に書いてみました。
                  ふわっくま
    2023年02月06日07時34分返信する 関連旅行記

    私の周りは妖怪だらけです。

     ふわっくまさん、おはようございます。 拙稿にお付き合いくださって、ありがとうございます。
     
     鬼太郎列車の中で車掌さんから会釈をされた件、ふわっくまさんの書き込みをいただいて、改めて思い出しました。 やっぱり人様の目から見ると危なっかしいヨボヨボジジイなんだなと、思い知りました。
     土産物屋さんの目にも、いいカモだと映ったのでしょうね。

     ふわっくまさんがいらっしゃった時には水木しげる先生の像がなかったというお話で、ふわっくまさんのいらっしゃった年を調べてみました。 2014 年だったのですね。 それなら水木先生はまだご存命のころで、ブロンズ像はなかったのだと思います。 近頃はやたらと「お偉いさん」たちが自分の像を建てたりしていますが、水木先生はそういう成り上がり者の感覚がなくて、ご逝去のあとに建てられたのだと思います。

     さてふわっくまさんは「妖怪」という2文字を書くのが久々とのことですが、それは日頃妖怪に縁がないからですね。 私の周り(町内会・老人会)は妖怪だらけで、私の日記には「またあの妖怪が・・・」というような記述がしょっちゅう出てきます。
     旅行に出ている間はそうした妖怪との付き合いがないので、心底楽しめます。 これからもお金と体力の心配はありますが、なるべく旅行には出たいものだと思っています。
     そして気力が続けば旅行記も投稿したいとは思っていますので、またお付き合いいただければ幸せです。

    ねんきん老人
    2023年02月06日09時41分 返信する
  • 妖怪に買わされたお土産

     とらじろうさん、おはようございます。 しょうもない駄文を見つけてくださり、書き込みまで・・・ありがとうございます。

     水木しげるロードで買わされたお土産は確か「ねずみ男の鼻くそ」という甘納豆だったと思います。孫に送ったのですが、それだけを送るのは送料がもったいないので、別のものを買い足して一緒に送ったと思いますが、それが何であったのかは覚えていません。 つまり心がこもってはいなかったということですね。

     確かに。 あの妖怪ぐるぐるガイドはムキになって回しそうですね。 私はやらなかったので今こうして生きていますが、もしあのときムキになっていたらきっと救急車のお世話になっていたことでしょう。 まったく、最近は何をするのも命がけです。

     車を擦って石への怨念が・・・その石も妖怪だったのかも知れませんね。 小石でもタイヤではじいて他の車を傷つけたりしますから、石は要注意です。 
     今、我が家の庭は安い庭石が沢山あり、加えて私があちこちで拾ってきた丸石が敷き詰めてあったりします。 子供らが、私の死後それをどう処分するかで大騒ぎをしており、どうも私は骨肉の争いの種を作ってしまったようです。 やっぱり石というのは困ったものですね。

     とらじろうさんも山口に行かれるのですか? 是非旅行記にまとめて公開してください。 私の生きているうちに。

    ねんきん老人
    2023年02月06日07時31分返信する 関連旅行記

    Re: 妖怪に買わされたお土産

    お土産のネーミングセンス!
    ねずみ男のイメージにピッタリで笑顔も一緒に楽しいお土産。
    そしてやはり食べ物に限ります。
    食べ物をくれる人はいい人です!

    近所のどこのお家にも石のカエルが佇んでいて、あれはどこで買うのだろうか?と思っていたら老人会の集まりに業者が売りに来たらしいです。
    そこのお家の家族の方はやはり悩んでいます笑

    はい 山口を予定しています。
    一泊なのでどれくらい行けるかわかりませんが、旅行記の内容は盛りだくさんを目指します٩(。˃ ᵕ ˂ )وイェーィ
    いつもねんきん老人さまからのお言葉を励みにしております。
    2023年02月20日22時06分 返信する

    お土産は食べ物、そうですね!

     とらじろうさん、おはようございます。
     「食べ物をくれる人はいい人」。 そのとおりですね。 とくに私のように終活に忙しい人間にとっては、形として残る物は困ります。 昔々に結婚式の引き出物で、新夫婦の名前が書かれたお盆などをやたら貰いましたが、最近の断捨離で次々と見つかり、名前を削り取って「ゴミの日」に出すなど、閉口しています。
     ましては石のカエルなど・・・。 処分に困りますね。

     暖かくなって車中泊で凍死する心配がなくなったらまたどこかへ出かけたいと思っていますが、そのときの土産は絶対に「食べ物」。  とらじろうさんの教えを守ります。

    ねんきん老人
    2023年02月21日09時40分 返信する
  • 街中が水木しげるワールドですね!

    フフフ お土産屋さんでは何をお買いになったのですか?
    水木しげる記念館の妖怪ぐるぐるガイドには時間稼ぎでしょうか…
    ムキになって回してしまいそうです。

    鳴り石の浜の石は丸っこくてかわいいですね!
    尋ねてみたくなりました。
    石は以前にやたらにデカい石が庭にある親戚の家で車を擦って車のダメージ大 石のダメージ0 の時からあまり良いイメージはありませんでしたが…
    山口の旅行記もとても楽しく拝見させていただいて、とらじろうの次の旅は少しだけ年金老人さんの後を追っちゃいます(❀ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾





    2023年02月05日19時05分返信する 関連旅行記
  • ■『本物宗教』と『お賽銭』

    ■『本物宗教』
    ねんきん老人さん、こんにちは。
    ねんきん老人さんの疑念、私も激しく同意です。
    >多くの寺社や遊園地などが駐車料金と入場料を別々に取るということに腹が立っていました。 その施設を利用するために駐車しているのに、施設利用料のほかに駐車料金を取るというのは二重取りだと思うからです。参拝料が無料で宝物館が有料というお寺は沢山ありますが、境内に入るだけでカネを取り、さらに宝物館でまたカネを取るとはアコギな商売です。 

    “本来の仏教の教え”を説く「ひろさちや」さんは解説します。
    釈迦は入滅前、「如来(自身)の遺骸の供養は在家信者がするであろう。僧は葬儀に関与してはならない」と遺誡された。 現代日本の僧侶は、釈迦の精神を踏みにじり、人々に「人間らしい生き方」を教えようとせず、釈迦が禁じた葬式・法事や、寺を拝観・観光事業で商売の場とし、金稼ぎをしていると知ったら釈迦はきっと涙を流されるに違いありません。
    特に現在の葬式仏教は何の役にも立ちません。祖先の供養をしないと…などと人々の恐怖心に便乗した「オドカシ宗教」や、この宗教を信じると病気が治りますよ、この教団に入信すると金持ちになれますよ、といったふうにご利益で誘導する「インチキ宗教」ばかりです。
    仏教は死者を救済するものではなく、人間としての生き方、生きている人間を救済するのが本来の姿のはずです。
    『ホンモノ宗教』は、病気にもかかわらず、人間が人間らしく明るく生きてゆく勇気を与えてくれるものです。 貧乏な人が貧乏を苦にせず、のんびり・ゆったりと生きてゆく勇気を与えてくれるのが『ホンモノ宗教』です。そんな、人間らしく、「のんびり・ゆったり・ほどほど」の生き方が、本来のお釈迦さまの教えです。

    ■『お賽銭』
    >私は「ご利益」という考え方にどうしても馴染めないのです。
    >なにより唾棄すべきは、寺社で聖職にある人たちがいかにも疑いのないような顔つきと口調でそのご利益を説いていることです。神社仏閣で何か願い事をするということはしません。神仏は敬するものであって「ねだり事」をする相手ではないと思っているからです。

    私(ひろ)はあちこちの神社で神道の理論、「なぜ、お賽銭をあげればご利益が頂けるのか。その構造を教えてほしい」と質問すると、みんな逃げてしまいます。ひとりだけ、大阪の神主さんが答えてくれました。「あんさん、そんなこと言わはりますけど、そんなこと誰にもわかりまへんで」。そう、誰にもわからない。お賽銭をあげればご利益が頂ける、日本人はこれが宗教だと思っています。しかし、そんなの嘘ですよ。宗教でもなんでもない。 それはご利益信仰であって、宗教とは関係ありません。ご祈祷すれば、ご利益が頂けますよという、ブラックボックス型宗教は宗教ではない、なぜでしょうか。
    例えば、もしも神さまが自動販売機だったらどうなりますか。 清涼飲料水の自動販売機は120円を入れれば缶コーヒーが出てきます。いや、120円を入れたら、自動販売機は缶コーヒーを出さざるを得ないのです。日本人が理解している「信ぜよ、されば救われん」の枠組みの中だと、「信じる」をインプットされると、神さまは救ってやるよりほかなくなるじゃないですか。「あいつ、救いたくない」と神さまが思っていても、自動販売機である神さまは、救うという選択肢しかありません。 逆に、「救いたい」と神さまが思っていても、その人がちっとも信心を起こさなければ救えません。 また、「正直の頭に神宿る」という、諺があります。正直にやっていれば神さまが宿ってくれるという意味ですが、すると正直だったら、もう神さまは宿らないとしょうがなくなるのですね。なんと、日本人は、神さまを自分の奴隷みたいにこき使っている。それが宗教だと思い込んでいる。これは困ります。

    阿弥陀さまの働きかけによって、みんな信じられるように造られている。それを信じることができたとき、もう救われているのです。また、自分の努力によって、信じる信じないということがあるわけではない。仏さまが信じられるように造ってくださっている、そこを信じないとなりません。信じられない奴が地獄に堕ちる、自分勝手につくった地獄に堕ちていくのですね。「あの人は悪い人なんだ。あれは地獄行だ」なんて言ってる人が、心の中に地獄を持っているのです。みんな仏さまが救ってくださると理解する、それが仏教の救いです。

    我々はしばしば、利益の対立の中で自分の利益ばかり願ってしまいます。 ちょっと考えてください。大学への合格を神仏に願いますが、私が合格すれば確実に誰か一人が落ちているのですよ。私が課長になり、部長になると、他の人はそのポストに就けません。だとすると、自分の利益を神仏に祈ることは、エゴイズムに他なりません。神仏は、そのようなエゴイズムの祈りを聞き届けてくださるでしょうか。神仏は、大学に不合格になった人、昇進できなかった人の悲しみを何とも思っておられないのでしょうか?
    いや、実は問題は神仏の方にあるのではありません。祈る側に問題があります。すなわち、利益が対立する状況において、神仏に祈れば、神仏は祈った者の味方をしてくださると考える、その人の考え方が問題なのです。その考え方は、まるで神仏を応援団として雇うといった発想です。そうした発想を持つこと自体が、神仏を否定していることになります。私たちも神仏に祈るとき、ちょっと相手のことを考えるようにしたいですね。

    こうしてみると、お釈迦様の精神が随分と歪められていることがよくわかります。
    Woodstock
    2023年01月30日15時28分返信する

    我が意を得たり!

     woodstockさん、こんばんは。 重ねてのご教示、身に余りますが、かねてから独りよがりの筋論を弄していた私にとってはまさに「我が意を得たり」「勇気百倍」の思いです。ありがとうございました。

     私は、世界三大宗教とか言われているものの中で、キリスト教やイスラム教は「生き方」を教えているのに、なぜ仏教は死後の安楽ばかり言うのだろうと思っていました。 いや、正確には「仏教は」ではなく、「仏教徒は」と言うべきかも知れません。 
     私も子供のころから親を含めて大人たちが「地獄に落ちるよ」とか「閻魔様に・・」とか、なにかというと死後の安楽が失われることを「脅し」に使っているような物言いをするのを聞いていました。
     でも長ずるにつれて仏教の教えを少しばかり齧るようになってみると、どうも違うのではないかと思うようになったのです。 齧るといっても、「少しばかり」という言い方も恥ずかしいほど浅く薄っぺらなものではあったのですが、どうもお坊さんたちの言うこととお釈迦様の仰ったことには違いがあるような気がしてきたのです。 
     私の職場の同僚に坊主と兼職の男がいましたが、酒(というより接待)が好きで、よく一緒にスナックなどに飲みに行っていました。 それはいいのですが、飲むほどに「最近は葬儀が小さくなってお布施が減った」とこぼすのです。 私の姉は死んだ夫の戒名に院号をつけてもらいたいと住職にお願いしたところ、「檀家がうるさいので相応の戒名料をいただかないと」と言われたそうです。 まさに「葬式仏教」ですね。

     大学に自分が合格すれは、それによって他の誰かが1人落ちる、というお話。 自分が出世すれば、それによって誰かがそのポストにつけなくなる、というお話。 そのとおりですね。 熟通いで時間がない子どもに代わって親が神社で絵馬を書きまくるような有様を見ますが、そういう親子に「自分自身が他者を蹴落とすという罪を自覚した上で戦いなさい。神仏にその罪をなすりつけないで」と言ってやりたくなりました。
     我々のような在家の衆生は分かっていても罪を犯さなければ生きていけない。その罪を分かっていれば「ご利益」などという虫のいいことを願うべきではない。 そう思いました。
     今まさに、我が意を得たりの思いです。 woodstock さんにひろさんの平易な例えをご紹介いただいて、これまでもやもやと抱いていた思いがかなりクリヤーに整理できたような気がします。 お手間をかけていただき、本当にありがとうございました

     
     医療過誤手術というお話。 具体的には存じ上げませんが、ご苦労もおありと存じます。 フォートラは時間を争うものではありませんので、旅行記にせよ書き込みのやりとりにせよ、調子の良いときに気の向くままにパソコンに向かえばいいのですから、どうぞゆっくりと、息の長いお付き合いをいただけたらと思っております。

     重ねて、ありがとうございました。

    ねんきん老人
    2023年01月30日20時19分 返信する
  • 錦帯橋と関門トンネル!

    ねんきん老人さん、こんにちは。
    こちらの旅行記には一度お邪魔しているのですが、
    再読させていただきました。
    錦帯橋は コロナ禍に行ったので、
    ライトアップされていませんでしたが、
    コロナ前は、このようにライトアップされていたんですね。
    なかなか情緒があって 素晴らしいなあと思いました。
    また、みもすそ川公園や関門トンネルも、
    最近行ったばかりだったので、興味深く 再読させていただきました。
    あのトンネルは おっしゃる通り、排気ガスもなければ
    車の通行も無いので、注意することもなく
    のんびり ウォーキングできるのが良いですね。
    それに、案外短い時間で対岸に着いてしまうので、
    達成感も味わえます。
    檀の浦の合戦の陶板がある所というのは、
    初めて知りました。
    こちらも なかなか面白そうです。

    最後の写真は 今は、過去の人になってしまいましたが、
    下関の事務所も 閉めてしまったという報道に、
    ほっと胸をなで下ろしました。
    驕れる者は久しからず!
    まさに 平家物語そのものだと感じました。

    冒頭の坊屋三郎・・・
    久しぶりに聞きました。
    懐かしい!
    yamayuri2001
    2023年01月29日16時36分返信する 関連旅行記

    人道トンネル、歩かれたのですね!

     yamayuri2001 さん、こんばんは。 いつも丁寧な書き込み、ありがとうございます。 それに、拙稿を二度も読んでくださったとは! 二度読みに耐えられる文章ではないので、却って慌ててしまいました。
     yamayuri2001 さんも錦帯橋にいらっしゃったのですね。 よくもまあと思うぐらい見事な橋で、デザインはもちろんのこと、木組みの精緻さにもただただ驚くばかりです。 木造ですから、何年かごとに架け替えなければいけないのでしょうが、ここはひとつ頑張って、耐久性や費用といった面からの近代化は考えないでほしいものです。

     人道トンネルにも行かれたそうで、あの異空間の不思議さは行った人でないと分からないだろうと思っていただけに、こちらまで嬉しくなりました。
     それでふと、yamayuri2001 さんはいったいどんな所に行かれているのかと思って、さっきフォートラの旅行記一覧を訪ねてみました。 改めて、yamayuri2001 さんの旅歴に驚いてしまいます。 これまでも私の行った所はだいたいyamayuri2001 さんが既に行かれている所だという感じは持っていましたが、これからも私がちまちまと旅行記を書いても、「そんな所、とっくに行ってるよ」と言われるに違いありません。

     坊屋三郎さんをご存知でしたか! 私の好きな俳優さんでした。 クイントリックスのコマーシャルは秀逸でしたね。
     有名人の名前を出しても知らないと言われることが多くなり、子供たちからも「古いねえ」と笑われていますので、坊屋三郎さんをご存知と伺っただけで嬉しくなります。
     あれもこれも、ありがとうございました。

    ねんきん老人
    2023年01月29日19時10分 返信する
  • 美術館巡りの旅

    ねんきん老人さん

    遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。
    いつもmistral の古い旅行記を発掘して下さりありがとうございます。

    ねんきん老人さんの旅行記は、まずタイトルを拝見しただけで興味を
    惹かれるものがたくさんおありですが、今回は我慢して
    古いものを辿ろうと思い、この旅行記まで遡りました。
    私の好きな南仏、(mistralはその一帯に吹きまくる季節風から取りました、
    流石に風の勢いは衰えてきておりますが。)それも美術館巡りの旅ともあれば
    興味津々でした。

    伊藤先生とおっしゃる美術の先生との2人旅、何やら楽しそうでした。
    ねんきん老人さんは美術には詳しくない、とのスタンスを貫かれておられますが
    いやいや、どうして、世の中を見ておられる眼差しには、
    いつも審美眼がおありになることを、私は感じております。

    アルルのオベリスクは偽物なんですか!
    エジプト関連の歴史にお詳しいという方がおっしゃるので、なんとなく納得。
    台座部分がちょっとばかり奇妙なんですね。
    パリのノートルダムの塔の上のキマイラたち、
    あの火災の前に塔に上がり、対面を果たしてきたキマイラたちが塔に復帰した
    あかつきには、再会したいとおもっています。

    それにしても、たくさんの美術館を廻られたんですね。
    その当時のお写真が残っておられることにまず驚きました。
    変色しかかった写真を、一部分のカラーを残して、しかもポイントとして
    強調されながら残されるには、どんなテクニックを駆使されたのやら、
    色々な興味が湧き上がりました。
    それと、いつもながら文章が秀逸で、読んでいても飽きさせません。

    楽しませていただきました。

    今年もたくさんの旅をされて、楽しい旅行記をお待ちしております。

    mistral
    2023年01月29日13時26分返信する 関連旅行記

    エセ美術研修で恥ずかしい限りです。

     mistral さん、こんにちは。 そして明けましておめでとうございます。
     だらだらと長いばかりの旅行記にお付き合いくださって、ありがとうございました。
     私は、これはと思った方の旅行記は、読み落としては勿体ないと思って既読メモをしてありますので、mistral さんの古いものも読ませていただいていますが、自分のものとなると今さら人様に読んでいただけるとは思っていませんでした。
     今回、mistral さんが書き込みをしてくださったことで逆に心配になり、読み返してみました。 いかに美術音痴とはいえ、もう少しまともな研修はできなかったのかと、今さらながら恥ずかしさだけが募ります。
     でも、フランスといえばパリとその近郊の観光地しか行ったことがない私が南仏と呼ばれる地域を回れたのはとても良かったと思いますし、今となってみると、もしあの旅行がなかったら mistral さんが南仏を好きになられた理由も分からないままで終わっていたと思います。
     私はもう外国旅行に行くお金がありませんので、このあとは思い出だけが頼りですが、mistral さんのおかげで久々に昔の旅行を思い出せたのは嬉しい限りです。

     私が意中の方の古い旅行記を読ませていただいているのは、旅は終生の財産だと思うからです。 家や車、衣服など形あるものは年月とともに価値も下がり、形そのものもゼロになることが多いのですが、旅での見聞は火事でも地震でも消えませんし、生きていく上での知識という大きな力にもなってくれます。
     明日出かける旅行でのホテル情報などは新しい方がいいでしょうが、私がフォートラの皆様の旅行記に期待しているのはそういうことではありませんので、mistral さんの古い旅行記もたいへん貴重で、力や勇気、刺激をいただいています。
     車で1時間足らずの場所にお住まいのmistral さんが私の30年も前の経験に目をとめてくださったということにも不思議なご縁を感じています。
     どうぞこれからもよろしくお願いいたします。 ( まあ、長くはないですが )

    ねんきん老人

    2023年01月29日16時51分 返信する

    Re: 美術館巡りの旅

    ねんきん老人さん

    「旅は終生の財産」
    とっても素敵な言葉ですね。
    一度きりのかけがえのない体験、ですね。

    古い旅行記も、ねんきん老人さんが大切に読んで下さっていて、
    感謝しかありません。
    どうぞ、これからも末長~く
    よろしくお願いします。

    mistral
    2023年01月29日19時25分 返信する
  • ■『南無阿弥陀仏』とは・・・

    ねんきん老人さん、こんにちは。 はじめまして。
    お気に入りの作家は全作読みたい性癖でして、年末から拝読を続けておりました。
    軽妙な楽しい文章に目を細め、ウイットある皮肉や昭和の思い出話に頷き、奥さまへの思いの深さに鼻の奥がツンと熱くなりながら、老眼をこらして「ねんきん老人ワールド」を満喫させて頂いております。
    私は「仏教原理主義」(本来の仏教の教え)に出会い、遊んでいる者です。

    >“「なむあみだぶつ」も、漢字の南無阿弥陀仏6文字にむりやり合わせて6歩としたようですが、字余りの処理が間違っているように思います”、のくだりに目が留まりました。
    浅草・最尊寺ご住職の次男「永六輔」氏と、大学・大学院で印度哲学・仏教を学び、大学での教鞭の傍ら500冊ほどの解説書を執筆 “本来の仏教の教え”を説く「ひろさちや」両氏の解説をまとめてみます。

    お釈迦様本人は、その教えを何も書き残していませんでした。 お釈迦様が亡くなった後、お釈迦様を敬愛していた人々が集まってきた。 そして、お釈迦様はこんないいことをおっしゃっていたんだよねぇ、という話がいっぱい出てきたんです。 そして、そういう教えを編集することになりました。
    集まったお話はパーリー語という古いインドの言葉でまとめられたんです。 その中にはとても単純明快、わかりやすいお話がいっぱいあります。 それがパーリー語で書いてあるんですが、インドには200以上の言語と1600以上の方言があります。
    日本でいえば関西弁なり東北弁なりで書いてあると思ってください。東北弁で書いてあると、沖縄の人や北海道の人には意味の分からない言葉もある。でもそれでは勿体ない、もっと広く読んでもらいたい。ということでもっと広く伝わるサンスクリット語に書き直されました。 もともと聞き書きのものを、孫悟空を連れた三蔵法師が、西安の都からはるか山を超えてインドにやって来て、中国に持ち帰った。
    サンスクリット語で書いてあるわけですから、サンスクリット語のわかる数少ない中国のお坊さんたちが集まりました。みんなで額をつき合わせて、これはきっとこういうことだろうなどと言いながら、今度はまた大変難しい漢字で書き直した。
    そういうものが6世紀のなかば聖徳太子のときに、日本に渡ってくるわけです。 ところが、日本にもそんなもの読める人はなかなかいない。 あの時代は、みんな何回も何回も中国に行こうとしては失敗しました。それにエンジンがないから潮風と波だけで行って帰ってこなくちゃならないんです。成功する確率がどれだけ低いか。もう無謀です。 たとえ向うで勉強して漢文が全部読めるようになっても、帰りに台風に遭って死んだということもあるわけだから、日本では本当に少数の人しか漢文が読めなかったわけです。 その数少ない出家した人たちの権威は当然強くなります。希少価値があるから尊敬される。
    その人たちが高野山とか比叡山などの山にこもって、いわばあれはインド哲学ですから、インド哲学を自分たちだけが知っている、自分たちだけが勉強しようという形になっちゃたんです。 奈良時代は国家と、平安時代は貴族たちと、鎌倉時代や室町時代は幕府と、結びついたんです。 これを小乗仏教と呼びます。これが日本の室町時代までの経緯です。

    出家者だけが仏教教団という独占的に運営します。その結果、在家信者は無視されてしまったんです。
    おかしいではないか!釈迦は、そんな出家者のためだけの仏教を説かれたのではない!そういうプロテスタント(異議申し立て)の声が在家信者を中心とするグループの間から出てきました。 釈迦の入滅後500年ほどしてからです。すなわち紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけての時代でした。それを大乗仏教と呼びます。 この大乗仏教運動を、インドのあちこちで、いろんなグループがそれぞれ独自に展開しました。

    そのうち日本にあっても、「それ(小乗仏教)は違う、お釈迦様がおっしゃったことはそんなに難しくないはずだ、もっと簡単に我々に何か助けを与えてくださるに違いない。山にこもって学者になるのではなく、もっと人々のなかに入っていかなければいけない」という考えの人たちが出てくるんです。
    法然さん、親鸞さん、蓮如さんです。浄土宗とか浄土真宗になるわけです。
    彼らは「南無阿弥陀仏」とだけ唱えればいい、他のことはしなくていい、と言いました。
    では「南無阿弥陀仏」とはどういう意味でしょうか。 
    「ナム」は、サンスクリット語、インドの古い言葉で、「お任せする」「従います」といった意味です。 これを、中国のお坊さんたちが、「南無」という漢字に当てはめたんです。
    お釈迦さまが、「私の先生」と、人々に教えてくだされたのが、『阿弥陀仏』といわれる仏さまです。
    阿弥陀仏がとても大事にしていた教えのひとつに、「誰かを救うことによって自分も救われる」というものがあります。そうすると「南無阿弥陀仏」という言葉は、「阿弥陀仏にお任せします(従います)」「誰かを救うことによって自分も救われるという考え方を私はします」という意味です。 「南無阿弥陀仏」と唱えるとはそういうことです。 そういうわけで、その考え方(大乗仏教)がわっと広まっていきました。
    飢餓があり、戦争があり、本当に生きる望みがなくなっていくような辛い時代に、「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われるのだ。そう言われれば、みんなが飛びついたのも道理でしょう。

    長文、そして自分の考えを押し売りするような余計なことを申し上げました。
    失礼の段、どうかご容赦ください。
    Woodstock
    2023年01月29日09時20分返信する

    目から鱗の思いです。

     woodstock さん、初めまして。 ご懇切な書き込みをありがとうございました。
     かねがね自分の浅学を恥じ、駄文を弄するばかりの旅行記を申し訳なく思ってきた身にとって望外のお言葉をいただき、恐縮しております。

     私は仏教について何も知らないのですが、日本の多くの家庭がそうであったように、日常生活の中に仏教”的”な場面が沢山あったせいで、なんとなくキリスト教やイスラム教よりも親しみを感じておりました。
     そして、漠然と日本は大乗仏教の国だと思っていたのですが、それは単なる受験用に暗記したレベルで、何故大乗なのかということも理解していませんし、北伝仏教は大乗仏教の国を経由してきたのだから当然日本は大乗だと、我ながら薄っぺらな捉え方をしておりました。 同時に、それにしてはお坊さんの言動の中に小乗仏教的な匂いを感じることが多く、疑問に思ってもいました。
     今回、woodstock さんのご教示で、日本でも小乗仏教と大乗仏教のせめぎ合いがあったのだということを知り、目から鱗の落ちる思いをしました。
     また「南無」という言葉についても「帰依する」という意味をどこまでの覚悟で使うのか、自信がありませんでした。
     「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」「南無大師遍照金剛」などというように多くの人が「南無」という言葉を使いますが、その人たちが本当に自分を「ゆだねる」という覚悟をして言っているのだろうかと疑いの気持ちもあります。 昔おばあさんたちが何かというと「ナンマイダ・ナンマイダ」と言っていましたが、そのおばあさんたちの中で「ナンマイダ」を漢字で書くと「南無阿弥陀仏」になると理解していた人はそう多くなかったのではないでしょうか。 それでも私が猜疑心をもちながら阿弥陀様に「南無」するつもりで「南無阿弥陀仏」と唱えるよりもよほど「自分をゆだねる」心情が強かったのではないかと思ってもいます。

     話は変わりますが、若いころ、職場の先輩が人と言い争ったときに「そんな話は画餅に帰すだけだ」と言いました。 相手が「ガベイって何ですか?」と聞くと「ガベイはガベイだよ。そんなことも知らないんじゃこれ以上話しても無駄だな」と舌打ちをして話はとぎれました。
     私は、相手の分からない言葉を使って優位に立とうというその姿勢に呆れ、「難しいことを平易に言う」ことの大切さを痛感しました。
     今回、woodstock さんの書き込みを拝読して、そのときのことを思い出し、改めて言葉選びの大切さに思いを致しました。
     ありがとうございました。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

    ねんきん老人
    2023年01月29日12時50分 返信する

    ■『過去を追うな』

    ねんきん老人さん、こんにちは。
    早々の誠実さがあふれる返信、ありがとうございます。
    ねんきん老人さんに出会い、私の思慮浅薄な内容のないつまらぬ旅行記は書き直そうかとも。
    が、お釈迦様の言葉を思い出しました。「過去を追うな、未来を願うな、現在に生きよ」と、“この現在を大切にせよ”、と教えています。過去を引きずっての奴隷になる必要はないし、誰にもわからない未来の心配ばかりしている未来の奴隷になる必要もありません。私たちはいま現在をしっかり大事に生きるべき、と。 なので、過去にはこだわらず、未熟なまま残して糧とし、次回からの旅行記に精を出すことにしました。
    かように、仏教を学んでいるおかげで、さまざまな生き方のヒントを得ることができたのは大きな収穫です。
    仏教とは、現代でいう心理学であり、生きることを楽にする知慧・叡智だと私は考えています。 実践できるかどうかは別として、知ると知らないとでは、まったく違ってくる。
    両親を見送ったり、彼岸へ旅立たれた同級生、伴侶を失った方・・・
    60・70代というのは死と向き合う時期でもあるかもしれませんね。心と対話する時間なのでしょう。

    「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」、井上ひさしさんの言葉を座右の銘にした永さん、お釈迦様の精神を噛み砕き平易な言葉で語り続けたひろさんの言葉を私はそのまま伝えているだけですよ。
    そうですか、私の周りにも、「画餅」が口癖の先輩がいました。囲炉裏端のキリタンポのように反っくり返って威張りくさり、詭弁を弄する上司や、電話口での説明で「裏返して言えば」を連発し、「いったい今は表なのか、裏なのか…」周囲も唖然とするような煙に巻く輩もおりました。

    二度の医療過誤手術で身障の身となり、痛みも続いていることから書き込みに時間がかかり、タイムリーな返信はできないかもしれませんが、こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
    Woodstock
    2023年01月30日12時03分 返信する
  • ひどい(笑)

    高山、白川郷は仕事でよく行っていました。
    高山は屋台会館もいいですが、上三之町(古い街並み)散策や、飛騨牛コロッケ、みたらし団子、飛騨牛握り寿司などの食べ歩きが楽しいんですけどねー💦
    白川郷も滞在1時間??💦
    展望台や三つ子の合掌作りに行く時間もないんですねー涙?
    1日目に平湯バスターミナルでトイレ休憩して高山に行って、また平湯に戻って宿泊…
    翌日、再び高山を通過して白川郷…
    行ったりきたりで時間かかるから仕方ないんですかね…(涙)
    2023年01月22日17時59分返信する 関連旅行記

    まったくです!

     ぷっぷさん、おはようございます。 小生の駄文にコメントをいただき、ありがとうございました。
     たしかに高山、白川郷をよくご存知のぷっぷさんには信じられないような行程のバス旅行でした。 私も何回か行っていて、上三之町などを散策もしていますので、今回のスケジュールには驚いたというか、呆れました。
     でも、誰からも不満が出なかったのは、参加者が高山や白川郷を知らないので、自分たちが多くの魅力的な場所を飛ばしていることに気づいていなかったのだと思います。
     仰る通り、平湯への無駄な往復など、行程を組むバス会社の方にも未熟な点があったのだと思いますが、「高山に行ったど! 白川郷は良かったどー!」と喜んでいる参加者たちにしてみればケッコー毛だらけで、私自身も大いに飲みましたから、良い二日間だったことは確かです。

     これを書きながら、たしか前にぷっぷさんの高山旅行記を拝読したよなぁ、と思ってフォートラをチェックしてみました。 ご両親様、ご主人のご両親様とご一緒の旅でしたね。 
     そのほかにもいろんな所にいらっしゃって、旅なれた方とお見受けしました。 どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

    ねんきん老人
    2023年01月23日07時52分 返信する

ねんきん老人さん

ねんきん老人さん 写真

19国・地域渡航

44都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示板 クリップ

ねんきん老人さんにとって旅行とは

 豪邸もマッチ1本でゼロになります。地位はあとで邪魔になります。その点、旅行で得た思い出は何があっても一生なくなりません。邪魔にもなりません。
 ただし、帰る所があっての旅行です。待っていてくれる人がいての旅行です。つまり、旅はあくまでも非日常の行動です。私にとって旅は、夜見る夢と同じく、必ず終わる喜悦です。

自分を客観的にみた第一印象

チビで白髪でさえないぶ男。

大好きな場所

 水のある場所。

大好きな理由

 旅先で水を見ると、訳もなく旅情がかきたてられます。
 列車が鉄橋を渡るだけで胸が躍ります。宿の窓から海が見えたら、それだけで最高の宿になります。
 滝のしぶきは心を洗い、静かな湖面は心を鎮めてくれます。
 水は静と動の両面をもった至高の宝物だと思います。

行ってみたい場所

ビクトリア瀑布

現在19の国と地域に訪問しています

拡大ボタンを押すと地図が
動かせます。

現在44都道府県に訪問しています