2017/12/01 - 2017/12/01
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jijidarumaさん
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日本の小旅行⑥の2:東庄町・天保水滸伝(てんぽうすいこでん)を彩る男たち、侠客笹川繁蔵と勢力富五郎、そして平手造酒。
(2017年12月1日)
今年(2017年)はドイツの旅に代り、5月から関東近辺の小旅行をしている。
今日は以前から気になっていた千葉の名所旧跡を訪ねることにした。
日本の小旅行⑤:匝瑳・飯高檀林・松山庭園美術館、旭市・刑部岬・防災資料館(2017年11月26日~11月27日)と称して1泊2日の小旅行をした。
27日、かんぽの宿旭を出て、旭市飯岡の侠客たちの墓や碑を巡った。
これに続いて、2017年12月1日に下総の侠客たちが争闘を繰り返したという利根川沿いの東庄町(とうのしょうまち)を訪れた。
写真は東庄町・天保水滸伝関係図。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
東庄町(とうのしょうまち)は千葉県北東部、東京から約80km圏、成田から約30km圏の位置にあり、東は銚子市、南は旭市、西は香取市と接し、北は利根川を隔てて茨城県神栖市と接している。
昭和30年7月20日、笹川町、神代村、橘村、東城村の1町3村が合併し、東庄町が誕生した。2017年の人口は14,464人(2022年5月では13,270人)
珍しい<とうのしょう>という町名は昔この地域が東氏(とうし)の荘園であったことが由来である。
写真は千葉県東部地図(東庄町、銚子、九十九里) -
イチオシ
11月27日、旭市飯岡の侠客(きょうかく)飯岡助五郎、座頭市、笹川繁蔵たちの墓や碑を巡ったが、いわゆる「天保水滸伝(てんぽうすいこでん)」の地元は訪れねばならない。
<「天保水滸伝」の主人公・笹川繁蔵物語>
https://www.town.tohnosho.chiba.jp/003profile/c002/002.html
「天保水滸伝」の主人公、笹川繁蔵(ささがわのしげぞう)は文化7年(1810)下総国須賀山村(香取郡東庄町)の岩瀬家に三男として生まれた。
生家は代々醤油と酢の醸造をしてきた村きっての物持ちで、繁蔵は幼少のころから漢字や数学、剣などを著名な師について学び、人間的にも優れた人物だったと言われる。
繁蔵は相撲好きで、やがて相撲取りになるために江戸へ出たが、一年ほどで村へ帰る。(注:千賀ノ浦部屋に入門し、岩瀬川を名乗るが1年あまりで廃業した)
地元に戻ると、賭場通いを始め、ほどなくして当時笹川の賭場を仕切っていた芝宿の文吉から縄張りを譲り受け笹川一家(千賀ノ浦部屋の同門で郷里の近い勢力富五郎(せいりきとみごろう)と共に笹川に帰郷すると一家をおこした)を張ることになる。
一方、相模国三浦郡公郷村(神奈川県横須賀市)に生まれた飯岡助五郎は、出稼ぎ先の飯岡の漁港で網元として成功し、繁蔵と同様、博徒の親分として下総一帯に勢力を誇っていた。繁蔵が勢力を増すに従い、助五郎も黙ってはいられなくなった。
天保13年(1842年)には、笹川須賀山明神の例祭日を利用して、農民救済のために地元の商人宿・十一屋で花会(はながい:親分衆のみを客とした賭場)を開く。
繁蔵は関東東海地方で名前の知られる大親分に手当たり次第に回状を送り、十一屋の花会には、清水次郎長、国定忠治、大前田英五郎なども駆けつけたと講談『天保水滸伝』では伝えている。(尚、当時次郎長はまだ売り出し前であり、国定忠治も手配書が出て逃亡中であったため、出席の真偽は不明である)
同じ頃、銚子の陣屋から十手を預かる飯岡の大親分・飯岡助五郎と勢力を争う。
初め良好だった両者の関係は、笹川一家の勢力が拡大して飯岡一家の縄張と隣接するようになると、どちらにもついていない中間地帯の賭場の寺銭を巡って緊迫し、遂には双方の親分自身が命を狙い狙われるまでになる。
天保15年(1844年)8月6日、御用召捕りと称して利根川の水路と陸路の二方面から笹川に侵入してきた飯岡一家と戦い、須賀山明神の境内で飯岡側を一時は敗走させた(大利根河原の決闘)。
飯岡側の「御用」の二文字を前に、繁蔵は子分に金品を分け与え、自身は笹川を離れることになった。
初秋の大利根を後に旅立ってから3年。弘化4年(1847年)春、繁蔵は飄然と笹川へ帰ってきた。いっそうの風格を身につけて戻ってきた繁蔵のもとへ、ぞくぞくと昔の子分たちが集まってきた。以前にも増して勢力を持った笹川一家。しかし、飯岡助五郎は密偵を笹川に放ち、繁蔵謀殺の機会をうかがっていた。
弘化4年7月4日、賭場帰りの繁蔵はビヤク橋で飯岡側の闇討ちにあい殺害された。笹川繁蔵、38歳の男盛りだった。
写真は東庄町・天保水滸伝探訪(産経新聞記事) -
イチオシ
下総の地は関八州(上野・下野・常陸・上総・下総・安房・武蔵・相模一円)の地、博徒とか侠客といった人種が大手を振って活躍?!していた地域ですが、面白いことに天保水滸伝遺品館には「明治23年版と称する・・・近世侠客有名鏡」の展示がありました。
映画や小説で知っていた、錚々たる名前がそれに掲載されていました。
大関には関東一の大親分と称された武州・大前田英五郎、関脇に「赤城の山も今宵限りか」の名文句で知られた上州・国定忠治がすわり、勧進元には浅草・新門辰五郎、下谷・幡随院 長兵衛、会津・会津の小鉄、それに名前も知らなかった京橋・金看板甚九郎、浅草・花川戸の助六の名があります。
下総の笹川(岩瀬)の繁蔵、勢力富五郎と飯岡の助五郎は前頭に、「次郎長三国志」で有名な駿河・清水港の長治郎(清水の次郎長)、甲州・黒駒の勝蔵も前頭です。
関八州を中心に、東日本(奥州、信州など)の侠客を番付表にしたもので、この地が幕府の直轄領(天領)、直参旗本の領地、寺社領、大名領の飛び地が多く、「関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく、俗称で八州取締役・・映画・TVにもなっている)」を必要とする、一種治外法権の地であった様子が伺われます。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館:「明治23年版と称する・・・近世侠客有名鏡」の番付表を販売していたので、一枚確保して、関係者を赤と青で囲った。
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「利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟」
浪曲や講談で有名な「天保水滸伝」は、土地を潤す利根川と共に、昔から語り伝えられてきた東庄(江戸末期の千葉県の東総地域)が舞台になり、地元の笹川の繁蔵と漁師町・飯岡の助五郎、二人の侠客の勢力争いの物語である。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の表。下総・東庄町:天保水滸伝遺品館には天保水滸伝にちなんだ展示が豊富で驚いた。 by jijidarumaさん天保水滸伝遺品館 美術館・博物館
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<東庄町・天保水滸伝遺品館>
〒289-0601 千葉県 香取郡東庄町 笹川580-1
開館:9時~17時 休館日:月曜日
天保水滸伝遺品館には、天保水滸伝にちなんだ文化財50点が保存されている。
笹川繁蔵が愛用していたキセル、三度笠、平手造酒愛用の手鎗、徳利、勢力富五郎(せいりきのとみごろう)の短筒など当時の侠客の風俗を物語る遺品や重要文化財として保存されている古文書などが展示されているから面白い。
展示品は個人所有のもので何人もの人が関わっているそうだ。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館と当日の入場券200円。 -
イチオシ
ここにある高札は天領・私領の区別なく巡回し、治安の維持や犯罪の取り締まりにあたったほか、風俗取締なども行っていた関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく、俗称で八州取締役)の手配人相書きである。
現代で言う、指名手配書であり、正式には「警察庁指定被疑者特別指名手配」と称する。
天保15年8月10日に関東取締出役(俗称で八州取締役)・桑山圭助の名前で手配されてたもので、笹川の繁蔵、勢力富五郎(せいりきのとみごろう)の二人の手配人相書きである。それには人相、特徴などと共に似顔絵までが描かれていた。
前館長で、現在は東庄郷土史研究会の顧問である海上 義治氏のご丁寧なご案内を受けた。
この時の写真を2,3枚を添えて礼状を書いたら、返書と共に東庄郷土史研究会発行の「東庄の郷土史2017年第33号」が送られてきた。
海上 義治氏が寄稿された「天保水滸伝とその時代」の一文は興味深く拝読した。
おまけとして、スキャンしたものを最後に掲載した。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示前で: -
おなじみの道中合羽(かっぱ)などの衣類、三度笠、奉行所役人が使用した陣笠、平手造酒愛用の手鎗と徳利、勢力富五郎(せいりきのとみごろう)の短筒、明治23年版と称する・・・近世侠客有名鏡」の番付表などが並ぶ。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
浪花節・浪曲好きで、天保水滸伝が大好きだった元首相の田中角栄氏が「利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟」の書も展示されていた。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
繁蔵使用の膳一式、平手造酒使用の椀なども良く集めたものだ。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
中央に繁蔵愛用の徳利、花会で使用した梅平(うめひら:食器)、花瓶(当時、「笹川の花会(はながい)」が行われた<笹川の十一屋>にあったという)、笹川一家の祝い事に使用した御神酒入れなども。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
笹川繁蔵が愛用していたキセル、平手造酒愛用の手鎗と徳利、兄弟分用の固めの杯もある。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
兄弟分用の固めの杯、平手造酒自作の尺八、火消し用のがま、勢力富五郎(せいりきのとみごろう)の短筒など。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示:江戸錦絵・大利根決闘図・・・芳虎画・伊勢屋兼吉版。
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写真は笹川・"大利根河原の決闘"を描いた「於下総国笠河原競力井岡豪傑等大闘争図」・・・勢力富五郎が中央に大きく描かれている。
(芳虎画、1864年/船橋市西図書館蔵) -
天保水滸伝関連の映画作品の数々には一寸驚いた。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
江戸錦絵に描かれた侠客たち・・・上左から順に繁蔵の子分・清滝の佐吉、繁蔵の客人・平手造酒、繁蔵の子分・勢力富五郎、そして笹川の繁蔵。
時代劇映画:「天保水滸伝 怒涛の対決」1959年東映・主演は繁蔵役の市川右太衛門などの展示
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
江戸錦絵に描かれた侠客たち・・・上左から順に銚子の五郎蔵・十手を預かる銚子の大親分で飯岡の助五郎の親分筋になる、飯岡の助五郎、繁蔵の子分・夏目の新助、繁蔵の子分雨傘の半次(雨傘の勘次=名垂(なだれ)の岩松)、
下左には出演映画の錚々たる時代劇俳優さんたちの写真の展示、
下右には笹川繁蔵などの役者絵が並ぶ。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
天保水滸伝の映画、左から順に「天保水滸伝・利根の火祭」1952年大映・主演坂東好太郎、
「利根の血しぶき」1951年新東宝・主演は平手造酒役の山村聡、
「利根の勝鬨(かちどき)」1950年新東宝・主演嵐 寛壽郎の映画ポスター・・・其々には懐かしい俳優さんの名が見られる。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
天保水滸伝関連の映画作品のポスターが並ぶ。
三波春夫の名曲を映画にした「大利根無情」1960年松竹・主演は親分無しの旅人機屋の直太郎役で田村高広、客演に平手造酒役で三波春夫、笹川の繁蔵役に近衛十四郎。
「八州遊侠伝 源太暴れ笠」1955年松竹・主演は白鷺の源太こと大岡源太郎役で高田浩吉。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
「天保水滸伝」1976年大映・主演は大原幽学(旭市長部345-2に大原幽学記念館がある。幕末の農村指導の先駆者であり、世界最初の農業協同組合といわれる「先祖株組合」で農民を組織した)役の平幹次郎、
「血闘水滸伝 怒涛の対決」1959年東映オールスター・主演は繁蔵役の市川右太衛門、国定忠治役の片岡千恵蔵、勢力の富五郎役の若山富三郎などのポスター。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示: -
<奉納相撲(諏訪神社秋季大祭)>
天保13年(西暦1842年)7月27日、諏訪神社の境内で笹川繁蔵が奉納相撲を名目として、農民救済のため開いた花会(はながい)が始まりで、当時は国定忠治や清水次郎長らも参加し、盛大なものだったと云われている。
現在の祭りの当日は山車や御輿も繰り出し一日中賑わう。
毎年7月最終土曜日に開催される。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館:諏訪神社の笹川の角力(奉納相撲)祭り・・宇井康弘写真展 -
写真は<笹川の十一屋>・・・天保水滸伝 笹川の花会(ささがわのはながい)が催されたという。かつて旅籠だった。
-
<延命寺>
千葉県香取郡東庄町笹川い597
延命寺は東庄町笹川の町中の蒸気船乗着場の面影が残る細い路地先にある。
笹川山と号する真言宗智山派の小寺で、江戸期には鹿島神宮寺の末寺でした。
笹川繁蔵の碑や剣客・平手造酒、勢力富五郎の墓などがある、天保水滸伝ゆかりの場所でもある。
写真は笹川繁蔵の碑と岩瀬氏喝志(けっし)明治七年 高橋豊子(繁蔵の妻)之建(千葉県東庄町 延命寺内) -
東庄町 延命寺境内には昭和15年(1940年)に建立された天保水滸伝でおなじみの笹川繁蔵の供養碑があります。両脇には笹川繁蔵の一の子分・勢力富五郎の供養碑と客分・平手造酒の墓があります。
平手造酒の墓 昭和三年 笹川有志一同之建
勢力富五郎の碑 昭和三年 笹川平手会之建
笹川繁蔵の碑 昭和十五年 有志一同之建
:昭和15年地元の有志が、繁蔵を偲んで建造。昭和7年に銚子の町で発見された繁蔵の遺骨が葬られている。
写真は中央に笹川繁蔵の供養碑、右に客分・平手造酒の墓、左に一の子分・勢力富五郎の供養碑が建つ。 -
<「笹川繁蔵之勝負石」>
高さ3mもの繁蔵の碑の前には「笹川繁蔵之勝負石」と書かれた、賭博のサイコロ(丁半)をあしらった大きな勝負石がある。
写真は「笹川繁蔵之勝負石」(千葉県東庄町 延命寺内) -
<「天保水滸伝」の準主役・平手造酒(ひらてみき)のこと>
生誕:不詳
死没:天保15年8月7日(1844年9月18日)
江戸時代幕末の剣客。本名は平田 深喜、名は深木、三亀とも書く。
仙台藩あるいは紀州藩の藩士など諸説ある。江戸・神田お玉ヶ池の千葉周作道場の門下生の逸材として将来を期待されていたが、酒乱のため破門されたと云う。
流浪の末、下総国香取郡松崎(現在の神崎町松崎)の名主宅に身を寄せ剣術道場を開いていた浪人といわれる。
侠客笹川繁蔵と知り合い、天保5年(1844年)8月6日、繁蔵の客人(助っ人)として、*飯岡助五郎との大利根河原の決闘に加わり、義理と人情の最期をとげた。(臨終は翌日の朝6時ごろ)享年30、あるいは30代とも。
*この召し捕り失敗で飯岡方は3人が即死した。助五郎一の子分、洲崎の政吉は退却途中の船中で死亡した。他に4名が負傷した。
笹川方は平手造酒(平田深喜)が重傷を負ったのみであった。平手は十一か所も斬られていて、医者が手当したが翌日に息をひきとったと云う。
平手造酒は昭和の歌謡曲『大利根月夜』、『大利根無情』などでも歌われた。
写真は悲劇的な死となった為か、人気が高い。結核を患い、大酒のみだったと伝わる立派な平手造酒の墓(千葉県東庄町 延命寺内) -
<「天保水滸伝」の準主役・勢力富五郎物語>
没年:嘉永2.4.28(1849.5.20)
生年:文化14(1817)
江戸後期の侠客。本名は柴田佐助。下総国香取郡(千葉県)万歳村の生まれ。幼時より力自慢で相撲が強く、千賀ノ浦部屋に入門するが故郷に舞い戻って博奕打ちとなり、下総笹川河岸を縄張りに売り出した笹川繁蔵の一の子分となった。
天保15(1844)年の飯岡助五郎との出入りには繁蔵を助けて奮戦した。
弘化4(1847)年、繁蔵が暗殺された後、勢力富五郎が笹川一家を継いで飯岡への復讐を数度にわたって企てるが飯岡方の反撃にあって果たせなかった。
助五郎は関東取締出役に「笹川が武装して近隣を荒らしている」と訴え出て、嘉永2年(1849年)、幕府と飯岡一家によって笹川一家は一網打尽にされた。
この捕物は先に大利根河原の決闘で飯岡が敗北したことを踏まえ、関東取締出役が5人も参加し、それぞれ100名の手勢を率いて飯岡一家に加勢するという大掛かりなものだった。
子分と2人となった富五郎は笹川の南にある金毘羅山に籠城し、500名の幕吏と飯岡一家に包囲されながら52日間持ちこたえたが、力尽き割腹自殺した。これ以降、村人は金比羅山を「勢力山」と呼ぶようになった。
捕えられた者はすべて江戸送りとなり、小塚原で処刑され笹川方は全滅した。
その大捕物は江戸でも話題となり、翌年の嘉永4年(1850年)には、事件の顛末が江戸の講釈師・宝井琴凌によって講談『天保水滸伝』としてまとめられた。
これが又評判になって、講談、浪曲の「天保水滸伝」は後世に喧伝された。
「水滸伝」の名が冠せられたのは、新進で小勢力の笹川一家が、大勢力で権力の後ろ盾もある飯岡一家を大利根河原の決闘で打ち負かしたことに由来している。
以後、現代に至るまで『天保水滸伝』は、浪曲の玉川勝太郎、歌謡曲の三波春夫らに受け継がれ、そして大正3年(1914年)から昭和51年(1976年)まで46回にわたり映画化され、繁蔵と助五郎の対立とその結末は脚色を交えて全国に普及することとなった。
写真は東庄町・勢力富五郎の供養碑(千葉県東庄町 延命寺内)
参考:https://www.town.tohnosho.chiba.jp/003profile/c002/002.html -
イチオシ
以下はおまけだが、東庄町・天保水滸伝遺品館の前館長で、現在は東庄郷土史研究会の顧問である海上 義治氏より贈呈された郷土史を抜粋して掲載した。
写真は東庄の郷土史2017年第33号 -
写真は東庄の郷土史2017年第33号・目次
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写真は東庄の郷土史2017年第33号・天保水滸伝とその時代・海上義治7P
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写真は東庄の郷土史2017年第33号・天保水滸伝とその時代・海上義治8P
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写真は東庄の郷土史2017年第33号・天保水滸伝とその時代・海上義治9P
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写真は東庄の郷土史2017年第33号・天保水滸伝とその時代・海上義治10P
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写真は東庄の郷土史2017年第33号・天保水滸伝とその時代・海上義治11P
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写真は東庄の郷土史2017年第33号・天保水滸伝とその時代・海上義治12P
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次章は東庄の奉納相撲(諏訪神社)や大原幽学記念館訪問のことになる。
(2022年5月5日Wiki・HP参考、編集加筆)
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