2012/12/09 - 2012/12/09
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jijidarumaさん
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≪小泉八雲の怪談「雪女」は青梅の伝説から採った・・・故郷は如何に田舎だったか!≫
青梅は私共の故郷である。
故郷青梅を「東京の西多摩・西の果て、東京のチベット」と口さがない連中に言われたのも大昔の事になるが、26歳の結婚まで、私共夫婦が育った町であるから、この町には友人も、思い出も多い。
今でも時々、法事や墓参りで青梅を訪れる事がある。
写真は青梅・昭和レトロ商品博物館2階の雪女の部屋に雪女の絵がある。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
歴史的には宿場地域の青梅宿が市の中心であって、現在の青梅駅周辺一帯がそれである。多摩川と永山(ながやま)丘陵に挟まれた一帯は長細い土地で狭い。
これに比べて東に開けた扇状地がある河辺・小作駅周辺などは、かつては広々とした畑地や野原が続いていたものである。
戦後の窮乏期に8歳上の兄(当時まだ中学生だった)は小学校教師であった父の教え子の土地を借りて、トウモロコシやジャガイモ、サツマイモ、野菜などを苦労して作ったと・・・兄の思い出話によく出てくる。
この事は開発が容易であり、私が大学に通っていた昭和40年代に工業団地が造成され、東芝、日立、カシオなどハイテクノロジー関連産業が進出することができた。その後、商業地、住宅地域が造成され、今は昔の面影は全くない。
青梅を離れて五十年も経ってしまうと、この人口13万人の市の中心は東に移り、役所関係、警察なども東にある。今の青梅駅周辺は年々、訪れる度にさびれて行く様子が見え、いまや旧市街は「レトロが売り」の街に変っていた。
・・・・・
写真は青梅・観光マップ・・・青梅駅から昭和レトロ商品博物館、調布橋を行く、矢印方向は秋川街道を旧五日市町(現あきる野市)に至る。 -
イチオシ
JR青梅駅を降りて、駅前のロータリーを大通りまで歩く。大通りを左手に行くと、丘の上に祀られた住吉神社(応安二年・1369年)があり、その近辺に昭和レトロ商品博物館、赤塚不二夫記念館、昭和幻灯館といった「レトロが売り」の建物がある。
写真は青梅・昭和レトロ商品博物館はレトロの様々な商品が展示されていて面白いが、2階に雪女の展示があるので、御見逃しのないように。
参考:昭和レトロ商品博物館 〒198-0084 東京都青梅市住江町65
青梅駅出口から徒歩約4分昭和レトロ商品博物館 美術館・博物館
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イチオシ
さて本題の怪談「雪女」の話だが、平成13年(2001年)には町おこしの「妖怪たちの青梅宿」と題した企画があり、先の“千ヶ瀬の渡し場(後述)”は小泉八雲の怪談「雪女」に登場する渡し場として日の目を見る事となった。
八雲に雪女の話を伝えた調布村の父娘が、千ヶ瀬の渡しの近くに住んでいたことも判明していると云う。
だから、巳之吉が雪女を見たのは青梅宿に近いこの渡しだとされ、現在、調布橋のたもとには「雪おんな縁の地」の碑が建てられている。
・・・・・
写真は青梅・昭和レトロ商品博物館2階の雪女の部屋に雪女の絵がある。(2012年12月) -
【小泉八雲の「雪女」】Wikiに依れば:
小泉八雲の描く「雪女」の原伝説については、ここ数年研究が進み、東京・大久保の家に奉公していた東京府西多摩郡調布村(現在の青梅市南部多摩川沿い=*千ヶ瀬村)出身の親子(お花と宗八とされる)から聞いた話がもとになっていることがわかっている。
この地域で酷似した伝説の記録が発見されていることから、この説は相当な確度を持っていると考えられ、秋川街道が多摩川をまたぐ「調布橋」のたもとには「雪おんな縁の地」の碑が立てられた。
100年前は現在とは気候が相当異なり、東京の中野から西は降れば大雪であったことから、気象学的にも矛盾しない。
XXX
写真は小泉八雲の怪談「雪女」・・・佐脇嵩之<百怪図巻> -
<小泉八雲の「雪女」;Wikiより>
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が『怪談(Kwaidan)』の中で雪女伝説を紹介している。
あらすじ:
武蔵の国のある村に、茂作(もさく)と巳之吉(みのきち)という2人の樵(きこり)が住んでいた。茂作はすでに老いていたが、巳之吉の方はまだ若く、見習いだった。
ある冬の日のこと、吹雪の中帰れなくなった二人は、近くの小屋で寒さをしのいで寝ることにする。その夜、顔に吹き付ける雪に巳之吉が目を覚ますと、恐ろしい目をした白ずくめの美しい女がいた。巳之吉の隣りに寝ていた茂作に女が白い息を吹きかけると、茂作は凍って死んでしまう。
女は巳之吉にも息を吹きかけようと巳之吉に覆いかぶさるが、しばらく巳之吉を見つめた後、笑みを浮かべてこう囁く。
「おまえもあの老人(=茂作)のように殺してやろうと思ったが、おまえは若くきれいだから、助けてやることにした。だが、おまえは今夜のことを誰にも言ってはいけない。誰かに言ったら命はないと思え」
写真は1889年頃のLafcadio_Hearnラフカディオ・ハーン小泉八雲(ギリシャ生まれ:1850~1904年。小説家、民俗学者、代表作に「怪談」「骨董」) -
それから数年して、巳之吉は「お雪」という、ほっそりとした美しい女性と出会う。二人は恋に落ちて結婚し、10人の子供をもうける。お雪はとてもよくできた妻であったが、不思議なことに、何年経ってもお雪は全く老いることがなかった。
ある夜、子供達を寝かしつけたお雪に、巳之吉がいう。
「こうしておまえを見ていると、十八歳の頃にあった不思議な出来事を思い出す。あの日、おまえにそっくりな美しい女に出会ったんだ。恐ろしい出来事だったが、あれは夢だったのか、それとも雪女だったのか……」
巳之吉がそういうと、お雪は突然立ち上り、言った。「そのときおまえが見たのは私だ。私はあのときおまえに、もしこの出来事があったことを人にしゃべったら殺す、と言った。だが、ここで寝ている子供達を見ていると、どうしておまえのことを殺せようか。どうか子供達の面倒をよく見ておくれ……」
そういうと、お雪の体はみるみる溶けて白い霧になり、煙だしから消えていった。
それ以来、お雪の姿を見たものは無かった。
写真はLafcadio_Hearnラフカディオ・ハーン八雲(左)と妻・セツ(右)・・・セツ(1868~1932年(昭和7年)は出雲松平家の番頭で家禄300石の小泉家に生まれ、22歳の時に松江の英語教師として赴任したラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)と結婚(再婚)した。
夫・八雲の日本語の理解を助けるとともに、幼少時から物語が好きだったこともあって日本に関する八雲の著述を支えた。八雲との間に三男一女をもうけた。八雲の死後に、八雲との思い出をつづった「思い出の記」を著した。 -
底本:「小泉八雲全集第八卷 家庭版」第一書房
1937(昭和12)年1月15日発行
雪女のお話はご存知かもしれませんが、Youtubeで見ると面白いです。
YOUTUBE・朗読:小泉八雲「雪女」田部隆次訳
https://www.youtube.com/watch?v=OZ9Cxqpeub0
写真は青梅・昭和レトロ商品博物館2階の雪女の部屋・・・怪談雪女と青梅の環境 -
写真は青梅・昭和レトロ商品博物館2階の雪女の部屋:様々な雪女の絵などが
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写真は青梅・昭和レトロ商品博物館2階の雪女の部屋・・・小泉八雲・セツ夫妻の写真など
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住吉神社(応安二年・1369年)から、その少し先に西分の信号があって、長い下り坂がずっと多摩川に向かって下りて行く。
多摩川には今は3代目となる立派な調布橋がかかっているが、かつては「舟による渡し」が行われていた。
我が実家は多摩川の河岸段丘が発展した青梅宿から一段下の段にある。
つまり私が生まれたのはかつての*調布村(合併前の名は*千ヶ瀬村)である。
多摩川に面し、それに沿ったように形成された長方形の村であった。
写真は青梅・調布橋たもとにある“雪女記念碑”前で -
*“調布村(ちょうふむら)”はその昔からある名前ではない。
調布とは古代日本に麻が栽培され、多摩川の水にさらして布を織り、律令(りつりよう;律は刑罰についての規定、令は政治・租税など一般行政に関する規定)制下の租税の一種である「調(ちょう、つき)」として納めた手織りの布のことを言う。
昔から、多摩川を挟んだ一帯の地は織物が盛んで、明治22年(1889年)の町村合併にあたり、千ヶ瀬(ちがせ)・上長淵(かみながぶち)・下長淵(しもながぶち)・ 友田(ともだ)・ 河辺(かべ)・ 駒木野(こまぎの)の6ヶ村が、盛んな織物業に因み、新しい村の名前を<神奈川県>西多摩郡調布村としたものである。かつては神奈川県であった事が興味深い。
合併4年後には東京府(現東京都)に編入された。
その調布村も62年を経過した後、昭和26年(1951年)に青梅町、霞村(かすみむら)、調布村が合併し、青梅市となる。
“調布”の名はこの橋に残っているだけとなった。
写真は青梅・調布橋たもとにある“雪女記念碑”前で(2011年10月)・・・裏側に、八雲と「怪談」の序文 -
*“千ヶ瀬(ちがせ)”は、むかし“地ケ瀬”だったという説もあるそうだ。
地ケ瀬の上の村を“天ヶ瀬(あまがせ)”と云い、実際、その地域は現在も青梅市大柳町の北側に天ヶ瀬町として残っている。千ヶ瀬町はその東にある。
対称的な名として、天(あま)と地(ち)の地名があったと云う話も面白い。
・・・・・
写真は青梅・調布橋たもとにある“雪女記念碑”前で(2011年10月、母のお見舞いに行った際に寄った) -
イチオシ
写真は青梅・調布橋たもとにある“雪女記念碑”前で・・・2012年11月、私共の古稀の祝を家族11名が集って、青梅・御岳や旧五日市の宿やレストランでやったのだが、孫たちに私共が育った地を案内した。
娘たちと孫・孫娘、あと3歳の孫娘がいて孫たちは計5人だ。婿2人と疲れてしまった3歳の孫娘は写っていない。孫たちは8年後、娘たちを身長で越してしまった。 -
私共が2代目のアーチ型の調布橋を渡って通学していた頃は、小学校でも村の古老たちからも“雪女”の話を聞いた事が無かった。
平成の世になって初めて、“雪女”は郷土の伝説話のひとつとして、日の目を見たようだ。
雪女に関連する話として、多摩川と“舟による渡し”の事を説明しよう。
多摩川は隣接する山梨県・東京都・神奈川県の3都県を流れる。
その全長は138kmの距離を流れ、東京湾に注いでいるのだが、南関東では利根川・荒川に次ぐ大河だと云う。
写真は青梅・多摩川と千ヶ瀬の渡し -
徳川家康は秀吉から関東を任されたとき、いわゆる「新東海道」を創る方針があった。多摩川の六郷(ろくごう:八幡塚村)に慶長5年(1600年)橋が架けられたが、洪水などで何度も橋が落ちた。1688年に最後の橋が落ちると橋を諦めた。
この後、明治7年(1874年)に橋が架けられるまでの180年間、多摩川に橋はなく渡船による渡しであった。不便であったろうから、この事に驚くものだ。
江戸時代の多摩川では軍事上及び橋梁技術・建設費用上の理由から、“橋を架ける”よりも“舟による渡し”を利用してきたそうだ。
当時、多摩川の上流の沢井村から羽田の河口まで“41ヶ所”の渡し場があった。
下流から数えて36番目に千ヶ瀬の渡し(上長淵の渡し)があった。
参考<多摩川の渡し>
http://geo.d51498.com/kikuuj/kyudo/watashi/tama-watashi.htm
写真は青梅・多摩川と36番目の千ヶ瀬の渡し -
今の青梅市・調布橋の下方の川原にあった千ヶ瀬と上長淵を結ぶ“渡し”である。
あきる野市(旧五日市町)から、ニツ塚峠を経て多摩川を“渡し”で往来し、五日市と青梅を結ぶ道となっていた。その青梅から更に川越・飯能方面に行く道に繋がり、ここは大事な渡しであったようだ。
現在の“秋川街道”につながるルートである。
写真は青梅・千ヶ瀬の多摩川原(千ヶ瀬の渡し) -
江戸の繁栄と共に木材が必要とされることも多く、多摩川は木材の筏(いかだ)流しが盛んであった。上流の奥多摩あたりから、伐採した木材を江戸に運ぶために川を利用したのである。その筏流しは台風の季節を避けて、秋から翌年の5月頃まで行われ、上流から下流に筏を作り筏師が数日をかけ下ってきたそうだ。
多摩川の調布橋の下方辺りは千ヶ瀬川原と呼ばれ、木材の筏流しが盛んであった頃は、ここで筏の組み直しを行い、羽村堰(はむらのせき:木材を運ぶために設けられた筏の通し場が設置され、また、多摩川の水を江戸に引く玉川上水がここに承応2年(1653年)に完成した )の堰落としの間、時間待ちをしたと云う。
また、母方の祖父は戸籍を見ると昭和17年、青梅市(旧調布村)千ケ瀬6XXXから、五日市小中野XXX番地に転籍を届け出た。母が残した日記を読むと、既に五日市に生活拠点は移り、こちらは貸していたのだろう。
現在の千ケ瀬町6XXXの住所地にはかつて「三田屋御殿」と呼ばれた建物があり、傍に曾祖母(我が家の祖先の次女)の隠居所があったと云う。
だから、古くから両家(母の実家と養女に入った我が家)は親族であった。
従妹の話では、「三田屋御殿」の由来も母の実家が材木商を営んでいた事からだそうだ。御殿と言うだけに、それなりの規模の商いだったのだろう。
写真は青梅・多摩川に架かる調布橋 -
その千ケ瀬町6丁目は多摩川に面し、釜の淵から琴ケ原にかけて大きく流れが蛇行し、琴ケ原の地先で川原が広がり、そこに木材の集積場を設けていたと云う。
ある年の台風*で集積していた材木が増水した川水で流れ出し、莫大な損害を出したと伝えられている。
それで「三田屋御殿」と称された母の実家も没落したのだろう。
明治28年(1895年)、祖父がわずか9歳で戸主(一家の主人)になっている頃だったか、今では確かめようがない。当時、祖父は五日市の親戚筋に奉公に出て苦労を重ねていたのだそうだ、
写真は青梅・調布橋傍にある三代の説明版 -
*記録を調べると、江戸・明治時代の台風・洪水による被害が多く出ている。
江戸時代で特筆すべきは1721(享保 6)年には羽村堰決壊と、1859(安政 6)年にも、羽村取水堰破壊、玉川上水止まるという被害があった事だろう。
明治時代では1878(明治11)年、1889(明治22)年、1894(明治27)年、1898(明治31)年、特に1907(明治40)年は大洪水、各所で堤防決壊、横浜~東京間鉄道不通。被災市町村数は50、川崎町は全町浸水とある。
更に1910(明治43)年、多摩川下流部、未曾有の大水害。被災市町村数55と被害も甚大であった。:「あばれ多摩川発見紀行の抜粋」
写真は青梅・千ヶ瀬の多摩川原(右手が千ヶ瀬の渡し)・・・調布橋から見た多摩川上流方向・・・多摩川の上流ではあるが、このあたりの川幅は広い。
今は奥多摩に小河内ダム(奥多摩湖:昭和32年(1957年)完成)が出来て、水の流れも調整されている。 -
私の記憶でも我が家のある多摩川の河岸段丘を一段下がると、母の実家の千ケ瀬6XXX番地の一帯になり、多摩川の琴ケ原に向かう縁に立派な墓所があった事を覚えている。
18世紀の中頃には筏流しの管理、保護の為、千ヶ瀬に三田領筏師仲間の会所(かいしょ:現在の千ヶ瀬町3丁目)を置き、筏の通行にかかる冥加金(みょうがきん:江戸時代の雑税の一つで、商工業者などが営業免許や利権を得た代償として、利益の一部を幕府または領主に納めた)や会所料(かいしょりょう:江戸時代の筏師仲間の事務所経費を負担)の収納をしたそうだ。
写真は青梅・千ヶ瀬の多摩川原(左手が千ヶ瀬の渡し)・・・調布橋から見た多摩川下流方向 -
兄の話では我が家のご先祖様、かつての千ヶ瀬村の名主はこの“渡しの番人”の役目を持っていたらしい。上述した千ヶ瀬村に置かれた筏師仲間の会所にも肝いりとして参画したであろうことも推測できる。
土地の有力者が番人の役を務めたようだが、その役目は単なる番人ではなく、行政の一端を担ったもののようだ。
写真は青梅・千ヶ瀬の筏会所跡には親戚の立派な家が広い敷地内に建っている。(2013年5月母の見舞いに青梅を訪れた際) -
この千ヶ瀬の渡しも雨で川が増水し、水かさが増すと、渡し舟がとまってしまうことから、 調布村有志が力を合わせ、大正11年(1922年)に 幅3mの吊り橋を完成させた。
母は明治40年(1907年)に五日市町で生まれた。長女だった所為か、大正12年(1923年)に母の祖母の千ヶ瀬の家(つまり母の母は千ヶ瀬の家の出であった)に養女に入ったから、ここの渡し船とか、吊り橋の体験をしているだろう。
当時は五日市と青梅を結ぶ秋川街道を徒歩で行き、二ツ塚峠を越える道で往復したようである。その昔、名主であった我が家のご先祖が日の出町大久野と青梅市長淵の境にある二ツ塚峠の切り通し工事を完成させたと伝わる峠である。
今は車で簡単に越えていくが、当時は子供や女性の足では大変だったことだろう。
母の日記に養母が危篤との報に大慌てで千ヶ瀬の家に弟とはせ参じたことが記されている。
当時の戸籍を見ると、翌年満十六歳で母は戸主になっており、血の濃い「家の存続」に重きを置いた養子制度が利用されたことが分かる。
大正時代でも吊り橋であったのは驚きであるが、この完成で、“千ヶ瀬の渡し場”は廃止された。青梅鉄道の 立川・青梅間が明治27年(1894年)11月に開業していることに比べても実に遅い話だ。
昭和10年(1935年)になると、交通の便の為、吊り橋の場所に、当時の最新の技術によるプレストリブアーチ橋(幅8m)が架けられた。最初の鉄鋼製の調布橋が完成した。
写真は多摩川の渡し(日野の渡し)・・・江戸名所図絵 より -
私共の小学1年生当時(1950年)は分校が駒木野、友田、千ヶ瀬と三つあって、私は千ヶ瀬分校、家内は駒木野分校という風に1年生は其々の分校に通った。
千ヶ瀬の分校は調布村村立調布中学校(後の町村合併で青梅市立第二中学校)に併設されていた。
この時は調布橋を渡る事も無く、毎朝1kmの距離を通った。小学2年から6年まで通った調布村村立調布小学校(後の町村合併で青梅市立第二小学校)の頃は、第二代目の橋で、当時と今では橋の幅も倍になっている。
写真は多摩川の渡し(日野の渡しなど)・・・幕末の新撰組で活躍した近藤、土方(日野宿の出身)、沖田、井上といった人たちは多分、この渡しを利用したのだろう。 -
家から小学校まで毎朝1.5kmぐらいの距離を通ったが、変な話で恐縮だが、高い橋(18m)から、投身自殺をする人も時たまあり、警察官などが周囲を固め、その死体が千ヶ瀬川原に横たわり、ムシロがかけられているのを橋の欄干から、恐々と覗きこんだ事を思い出す。
写真はかつての多摩川の渡し(日野の渡し)・・・自転車も乗れた様子だ。大正15年日野橋の完成で廃止となった。 -
調布橋の3代目は平成5年(1993年)に完成したもので、長さ103m、幅16m(車2車線・左右に歩道)、水面まで18mの高さ、大正時代の吊り橋に比して、雲泥の差がある、立派な橋となっている。
・・・・・
写真は多摩川の渡し(日野の渡し:柴崎の渡し )・・・立川側の記念碑
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