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【小江戸・佐原から潮来、神栖を巡る②潮来の亀の井ホテルに泊まり、紅葉の長勝寺(ちょうしょうじ)を訪れる】<br /><br />源頼朝が文治元年(1185年)、鹿島に隣接する、この地に武運長久を祈願して創建したと伝えられている。国・県・市指定の文化財を数多く所有し、潮来市の史跡めぐりには欠かせない寺である。<br /><br />長勝寺はあやめ園や潮来駅からだと歩いて数分の距離にある。<br />多くの寺社仏閣がそうであるように、桜の4月上旬、あやめの6月上旬、紅葉の11月頃は特に多くの参拝者が訪れると云う。<br /><br />写真は長勝寺:方丈、書院、玄関、庫裡、隠寮への入口と紅葉<br /><br /><br />

<潮来八景>で知られた、源頼朝の創建と伝わる禅寺・長勝寺(ちょうしょうじ)も紅葉の季節だ。

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2022/11/22 - 2022/11/22

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jijidaruma

jijidarumaさん

【小江戸・佐原から潮来、神栖を巡る②潮来の亀の井ホテルに泊まり、紅葉の長勝寺(ちょうしょうじ)を訪れる】

源頼朝が文治元年(1185年)、鹿島に隣接する、この地に武運長久を祈願して創建したと伝えられている。国・県・市指定の文化財を数多く所有し、潮来市の史跡めぐりには欠かせない寺である。

長勝寺はあやめ園や潮来駅からだと歩いて数分の距離にある。
多くの寺社仏閣がそうであるように、桜の4月上旬、あやめの6月上旬、紅葉の11月頃は特に多くの参拝者が訪れると云う。

写真は長勝寺:方丈、書院、玄関、庫裡、隠寮への入口と紅葉


旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 昨夜は小江戸・佐原で夕食を食べ、暗い夜道を走って、ホテルに来た。<br />かんぽの宿時代から、年に一度は宿泊している。<br />「水郷(すいごう)」と言う耳さわりの良い言葉が、この地域に足を運ばせる。<br /><br /><亀の井ホテル・潮来><br />〒311-2404 茨城県潮来市水原1839-1 <br />Tel:0299-67-5611<br /><br />利用日(チェックイン日) 2022年11月21日(月)<br />利用泊数: 1 泊、(4,550円) × 2名 = 9,100円<br />部屋  : 洋室ツイン(禁煙)3階321号室<br />プラン : 素泊りプラン<br />駐車場は約100台(無料)、<br /><br />尚、以前はかんぽの宿潮来と称していたが、<br />2022年7月1日から亀の井ホテル・潮来と経営母体が変わった。<br />まだ経営が変わった結果の良し悪しは不明だ。<br /><br />写真は亀の井ホテル・潮来:冊子・近郊Map

    昨夜は小江戸・佐原で夕食を食べ、暗い夜道を走って、ホテルに来た。
    かんぽの宿時代から、年に一度は宿泊している。
    「水郷(すいごう)」と言う耳さわりの良い言葉が、この地域に足を運ばせる。

    <亀の井ホテル・潮来>
    〒311-2404 茨城県潮来市水原1839-1 
    Tel:0299-67-5611

    利用日(チェックイン日) 2022年11月21日(月)
    利用泊数: 1 泊、(4,550円) × 2名 = 9,100円
    部屋  : 洋室ツイン(禁煙)3階321号室
    プラン : 素泊りプラン
    駐車場は約100台(無料)、

    尚、以前はかんぽの宿潮来と称していたが、
    2022年7月1日から亀の井ホテル・潮来と経営母体が変わった。
    まだ経営が変わった結果の良し悪しは不明だ。

    写真は亀の井ホテル・潮来:冊子・近郊Map

  • 写真は亀の井ホテル・潮来:冊子・近郊Map

    写真は亀の井ホテル・潮来:冊子・近郊Map

  • 写真は亀の井ホテル・潮来:冊子・ホテル内

    写真は亀の井ホテル・潮来:冊子・ホテル内

  • 写真は亀の井ホテル・潮来:出発前に前景を駐車場から撮った。

    写真は亀の井ホテル・潮来:出発前に前景を駐車場から撮った。

    亀の井ホテル 潮来 宿・ホテル

  • 写真は亀の井ホテル・潮来:ホテルの出入り口

    写真は亀の井ホテル・潮来:ホテルの出入り口

  • 写真は亀の井ホテル・潮来:お土産・・・上の「青しばのり」は以前も購入し、気に入った品だから、今回も娘たちの分まで購入した。

    写真は亀の井ホテル・潮来:お土産・・・上の「青しばのり」は以前も購入し、気に入った品だから、今回も娘たちの分まで購入した。

  • 亀の井ホテル・潮来から20分ぐらいで、長勝寺(ちょうしょうじ)の右横にある駐車場についた。<br /><br />潮来市内の稲荷山とよばれる丘を背にして、市街地内にある寺院である。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):Map

    亀の井ホテル・潮来から20分ぐらいで、長勝寺(ちょうしょうじ)の右横にある駐車場についた。

    潮来市内の稲荷山とよばれる丘を背にして、市街地内にある寺院である。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):Map

  • 【長勝寺(ちょうしょうじ)】 <br />〒311-2424 茨城県潮来市潮来428<br />臨済宗妙心寺派に属し、海雲山と号する古刹である。<br /><br />源頼朝が文治元年(1185年)、鹿島に隣接する、この地に武運長久を祈願して創建したと伝えられている。国・県・市指定の文化財を数多く所有し、潮来市の史跡めぐりには欠かせない寺である。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):正門(寺の入口)である。

    【長勝寺(ちょうしょうじ)】
    〒311-2424 茨城県潮来市潮来428
    臨済宗妙心寺派に属し、海雲山と号する古刹である。

    源頼朝が文治元年(1185年)、鹿島に隣接する、この地に武運長久を祈願して創建したと伝えられている。国・県・市指定の文化財を数多く所有し、潮来市の史跡めぐりには欠かせない寺である。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):正門(寺の入口)である。

    長勝寺 寺・神社・教会

    潮来観光はアヤメの次に源頼朝の創建と伝わる紅葉の長勝寺(ちょうしょうじ)が名高い。 by jijidarumaさん
  • 長勝寺はあやめ園や潮来駅からだと歩いて数分の距離にある。<br />桜の4月上旬、あやめの6月上旬、紅葉の11月頃は特に多くの参拝者が訪れると云う。<br /><br />2017年5月にあやめ園観光に来て、一度長勝寺を訪れた事があるが、その時は緑に満ちた寺の景観でした。<br />秋の紅葉も知られていると云う事で、今日の行程の最初にこちらを訪れた。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):楼門(山門)を背に

    長勝寺はあやめ園や潮来駅からだと歩いて数分の距離にある。
    桜の4月上旬、あやめの6月上旬、紅葉の11月頃は特に多くの参拝者が訪れると云う。

    2017年5月にあやめ園観光に来て、一度長勝寺を訪れた事があるが、その時は緑に満ちた寺の景観でした。
    秋の紅葉も知られていると云う事で、今日の行程の最初にこちらを訪れた。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):楼門(山門)を背に

  • 楼門(山門)は普門院(徳川・水戸光圀の命により当時の潮来村から延方村に移築された)において、元禄6年(1693年)から13年までかかって建立されたものだったが、水戸光圀の命令によって元禄13年(1700年)に長勝寺に移築されたものである。<br />謂れもあってか、なかなか素晴らしい楼門で、紅柄塗りが美しい。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):紅柄塗りが美しい楼門(山門)と紅葉

    イチオシ

    楼門(山門)は普門院(徳川・水戸光圀の命により当時の潮来村から延方村に移築された)において、元禄6年(1693年)から13年までかかって建立されたものだったが、水戸光圀の命令によって元禄13年(1700年)に長勝寺に移築されたものである。
    謂れもあってか、なかなか素晴らしい楼門で、紅柄塗りが美しい。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):紅柄塗りが美しい楼門(山門)と紅葉

  • 写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):楼門(山門)の説明版に茨城県指定有形文化財とある。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):楼門(山門)の説明版に茨城県指定有形文化財とある。

  • 構造様式は三間一戸、二重二階門。上層屋根は入母屋造で、上層、下層とも杮(こけら)葺形の銅板葺。<br />軒(のき)は上層は二軒扇垂木(おうぎだるき:建物の中心から、扇のように開いている垂木の様式)、下層が二軒平行垂木が用いられ、円柱の根元に礎盤、上層の柱間装置に桟唐戸(さんからと: 縦横に框 (かまち) を組み、間に薄い板を入れた扉)を用いた禅宗様の建築(茨城県指定有形文化財)である。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):紅柄塗りが美しい楼門(山門)

    構造様式は三間一戸、二重二階門。上層屋根は入母屋造で、上層、下層とも杮(こけら)葺形の銅板葺。
    軒(のき)は上層は二軒扇垂木(おうぎだるき:建物の中心から、扇のように開いている垂木の様式)、下層が二軒平行垂木が用いられ、円柱の根元に礎盤、上層の柱間装置に桟唐戸(さんからと: 縦横に框 (かまち) を組み、間に薄い板を入れた扉)を用いた禅宗様の建築(茨城県指定有形文化財)である。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):紅柄塗りが美しい楼門(山門)

  • 写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):楼門から本堂への参道も素敵だ。

    イチオシ

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):楼門から本堂への参道も素敵だ。

  • 江戸時代には元禄4年(1691年)、伽藍(がらん:仏道を修行する場所、又は 大きな寺・寺院の建物)の荒廃を惜しんだ水戸光圀が、堂宇(どうう:本堂、講堂、法堂などを云う)を修復して、妙心寺(京都市右京区花園妙心寺町にある臨済宗妙心寺派の大本山の寺院)の253世住職をつとめた太嶽祖清禅師を中興開山として迎えた。<br />江戸幕府から朱印十石ならびに寺領地が与えられた。<br /><br />ここでは左に菩提樹(本堂前に大きな菩提樹の木が両側に1本ずつ2本植えられている。6月半ば、淡い黄色の花が良い香りをさせて、びっしりと咲くと云う)の大木があり、右に本堂が立つ。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):左の大木は菩提樹、右に本堂

    江戸時代には元禄4年(1691年)、伽藍(がらん:仏道を修行する場所、又は 大きな寺・寺院の建物)の荒廃を惜しんだ水戸光圀が、堂宇(どうう:本堂、講堂、法堂などを云う)を修復して、妙心寺(京都市右京区花園妙心寺町にある臨済宗妙心寺派の大本山の寺院)の253世住職をつとめた太嶽祖清禅師を中興開山として迎えた。
    江戸幕府から朱印十石ならびに寺領地が与えられた。

    ここでは左に菩提樹(本堂前に大きな菩提樹の木が両側に1本ずつ2本植えられている。6月半ば、淡い黄色の花が良い香りをさせて、びっしりと咲くと云う)の大木があり、右に本堂が立つ。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):左の大木は菩提樹、右に本堂

  • 本堂左手に広い墓地があり、傍に紅葉の木々が目立った。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):紅葉の木々

    本堂左手に広い墓地があり、傍に紅葉の木々が目立った。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):紅葉の木々

  • 写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):墓地傍の紅葉

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):墓地傍の紅葉

  • 紅葉を愛でて、本堂に正対する。<br /><br />堂内奥に鎮座する阿弥陀三尊(鎌倉時代の伝運慶の作)を本尊とする入母屋(いりもや)造り、茅葺きの仏殿(本堂)は禅宗様建築の遺構で禅寺の風格を保っている。(本殿内は見ることが出来なかった)<br />屋根の上にある家紋は「笹りんどう」で、源氏の代表的な定紋である。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂正面・・・茅葺きの屋根が珍しい。

    紅葉を愛でて、本堂に正対する。

    堂内奥に鎮座する阿弥陀三尊(鎌倉時代の伝運慶の作)を本尊とする入母屋(いりもや)造り、茅葺きの仏殿(本堂)は禅宗様建築の遺構で禅寺の風格を保っている。(本殿内は見ることが出来なかった)
    屋根の上にある家紋は「笹りんどう」で、源氏の代表的な定紋である。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂正面・・・茅葺きの屋根が珍しい。

  • 写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂の説明版

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂の説明版

  • 写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂正面の桟唐戸(さんからと: 縦横に框 (かまち) を組み、間に薄い板を入れた扉)

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂正面の桟唐戸(さんからと: 縦横に框 (かまち) を組み、間に薄い板を入れた扉)

  • 写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂の軒やひさし

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂の軒やひさし

  • 写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂

  • 茅葺の屋根が珍しい本堂の右手に進むと庫裏(くり)があり、そちらに観音様と常陸七福神の福禄寿が祭られている。抹茶の飲める書院もあるそうだ。<br />朱印状もこちらで出しているようで、ご婦人方が数人がのぞき込んでいた。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):方丈、書院、玄関、庫裡、隠寮への入口

    茅葺の屋根が珍しい本堂の右手に進むと庫裏(くり)があり、そちらに観音様と常陸七福神の福禄寿が祭られている。抹茶の飲める書院もあるそうだ。
    朱印状もこちらで出しているようで、ご婦人方が数人がのぞき込んでいた。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):方丈、書院、玄関、庫裡、隠寮への入口

  • 写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):方丈、書院、玄関、庫裡、隠寮への入口

    イチオシ

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):方丈、書院、玄関、庫裡、隠寮への入口

  • 約1万5000平方メートルある境内地には、源頼朝創建の年号に因む文治梅(ふんじばい)とよばれる古木のほか、松尾芭蕉の「旅人と我名呼ばれむ初しぐれ」の句を刻した時雨塚(しぐれづか)、*鹿島紀行で地元の自準亭松江(じじゅんてい しょうこう)との交流を示す連句の碑がある。<br /><br />*俳聖・松尾芭蕉は、貞享4年(1687年)8月参禅の師の鹿島の根本寺の前住職仏頂和尚と、江戸で医師を開業し今は潮来にいる本間道悦と親交があった。芭蕉はこの年、鹿島の山の月見を志し門人曽良(そら)と宗波を伴って出た旅であった。この時の紀行文が『鹿島紀行』として知られ、『奥の細道』の2年前のことである。<br />道悦は延宝10年(1682年)、江戸から潮来天王町河岸の近くに転居して「自準亭(じじゅんてい)」と名づけた診療所を開いていたが、俳諧にも優れ松江(しょうこう)と号した。『鹿島紀行』はこの自準亭で書かれたものである。<br />道悦は元禄10年(1697年)79歳の生涯を終わるが、2代目は門人の道因に家業を継がせて、3代道仙も医業にあたった。<br />この道仙が、上戸の長国寺に祖父道悦と父道因二人の墓碑を建てた。4代道意5代玄琢以降は歴代水戸藩医として活躍した。<br />本間家は代々その後も名医を輩出、なかでも8代玄調は水戸藩主徳川斉昭に仕え、漢方のほか西洋医学を修め麻酔を使った外科手術や種痘をしたりと、近代医学を築き水戸三の丸に銅像となっていることは特筆すべきものである。(潮来市HP)<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂横の松尾芭蕉の碑

    約1万5000平方メートルある境内地には、源頼朝創建の年号に因む文治梅(ふんじばい)とよばれる古木のほか、松尾芭蕉の「旅人と我名呼ばれむ初しぐれ」の句を刻した時雨塚(しぐれづか)、*鹿島紀行で地元の自準亭松江(じじゅんてい しょうこう)との交流を示す連句の碑がある。

    *俳聖・松尾芭蕉は、貞享4年(1687年)8月参禅の師の鹿島の根本寺の前住職仏頂和尚と、江戸で医師を開業し今は潮来にいる本間道悦と親交があった。芭蕉はこの年、鹿島の山の月見を志し門人曽良(そら)と宗波を伴って出た旅であった。この時の紀行文が『鹿島紀行』として知られ、『奥の細道』の2年前のことである。
    道悦は延宝10年(1682年)、江戸から潮来天王町河岸の近くに転居して「自準亭(じじゅんてい)」と名づけた診療所を開いていたが、俳諧にも優れ松江(しょうこう)と号した。『鹿島紀行』はこの自準亭で書かれたものである。
    道悦は元禄10年(1697年)79歳の生涯を終わるが、2代目は門人の道因に家業を継がせて、3代道仙も医業にあたった。
    この道仙が、上戸の長国寺に祖父道悦と父道因二人の墓碑を建てた。4代道意5代玄琢以降は歴代水戸藩医として活躍した。
    本間家は代々その後も名医を輩出、なかでも8代玄調は水戸藩主徳川斉昭に仕え、漢方のほか西洋医学を修め麻酔を使った外科手術や種痘をしたりと、近代医学を築き水戸三の丸に銅像となっていることは特筆すべきものである。(潮来市HP)

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):本堂横の松尾芭蕉の碑

  • 潮来八景の海雲山 長勝寺と言う枕詞付きで語られるが、<br /><br /><潮来八景>は<br />江戸時代の後半1839年に書かれた『潮来図誌』に記載されていることから来ていると云う。<br />国の重要文化財(旧国宝)に指定されている長勝寺の*銅鐘(晩鐘ばんしょう)の銘文中に「客船夜泊常陸蘇城(かくせんやはく ひたちのそじょう)」の語が記されており、中国蘇州を彷彿させる当時の潮来の繁栄と風光明媚な情景をうかがい知るうえで貴重な資料となっている<br /><br />*長勝寺の銅鐘は元徳庚午十月の銘があり(1330年作)、<br />元徳2年(1330年)、鎌倉幕府14代執権・北条高時が下総国府城主千葉五郎禅門道暁との発起により、長勝寺の創建者である源頼朝の菩提のために寄進したものである。鐘銘と序文の中に寺の沿革が記されている。<br />総高115 cm、身高84.8 cm、竜頭高24.5 cm、口径66.3 cmの鋳銅。<br /><br />写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):銅鐘

    潮来八景の海雲山 長勝寺と言う枕詞付きで語られるが、

    <潮来八景>は
    江戸時代の後半1839年に書かれた『潮来図誌』に記載されていることから来ていると云う。
    国の重要文化財(旧国宝)に指定されている長勝寺の*銅鐘(晩鐘ばんしょう)の銘文中に「客船夜泊常陸蘇城(かくせんやはく ひたちのそじょう)」の語が記されており、中国蘇州を彷彿させる当時の潮来の繁栄と風光明媚な情景をうかがい知るうえで貴重な資料となっている

    *長勝寺の銅鐘は元徳庚午十月の銘があり(1330年作)、
    元徳2年(1330年)、鎌倉幕府14代執権・北条高時が下総国府城主千葉五郎禅門道暁との発起により、長勝寺の創建者である源頼朝の菩提のために寄進したものである。鐘銘と序文の中に寺の沿革が記されている。
    総高115 cm、身高84.8 cm、竜頭高24.5 cm、口径66.3 cmの鋳銅。

    写真は潮来・長勝寺(ちょうしょうじ):銅鐘

  • 本堂前に大きな菩提樹の木が両側に1本ずつ2本植えられている。6月半ば、淡い黄色の花が良い香りをさせて、びっしりと咲くと云う。<br /><br />写真は2017年5月に訪れた長勝寺(ちょうしょうじ):本堂と左右に菩提樹の大木

    本堂前に大きな菩提樹の木が両側に1本ずつ2本植えられている。6月半ば、淡い黄色の花が良い香りをさせて、びっしりと咲くと云う。

    写真は2017年5月に訪れた長勝寺(ちょうしょうじ):本堂と左右に菩提樹の大木

  • 約1万5000平方メートルある境内地には、源頼朝創建の年号に因む文治梅(ふんじばい)とよばれる古木があり、いまだに現役だと云う。<br /><br />写真は2017年5月に訪れた長勝寺(ちょうしょうじ):文治梅(ふんじばい)

    約1万5000平方メートルある境内地には、源頼朝創建の年号に因む文治梅(ふんじばい)とよばれる古木があり、いまだに現役だと云う。

    写真は2017年5月に訪れた長勝寺(ちょうしょうじ):文治梅(ふんじばい)

  • 写真は2017年5月に訪れた水郷潮来あやめ園で船に乗る。・・・ここから徒歩5分ぐらいで長勝寺に至る。<br />

    写真は2017年5月に訪れた水郷潮来あやめ園で船に乗る。・・・ここから徒歩5分ぐらいで長勝寺に至る。

  • 写真は2017年5月に訪れた水郷潮来あやめ園で

    写真は2017年5月に訪れた水郷潮来あやめ園で

  • 写真は2017年5月に訪れた水郷潮来あやめ園で<br /><br />次回は、水郷潮来あやめ園と、長勝寺本堂前にある菩提樹の大木に淡い黄色の花が良い香りをさせて、びっしりと咲く景色を見てみたいものだ。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />(2022年12月15日Wiki/Hp参考、編集・追記)

    写真は2017年5月に訪れた水郷潮来あやめ園で

    次回は、水郷潮来あやめ園と、長勝寺本堂前にある菩提樹の大木に淡い黄色の花が良い香りをさせて、びっしりと咲く景色を見てみたいものだ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    (2022年12月15日Wiki/Hp参考、編集・追記)

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