2022/11/21 - 2022/11/21
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jijidarumaさん
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【小江戸・佐原から潮来、神栖を巡る。①佐原の観福寺(かんぷくじ:日本厄除け三大師の名がある)の紅葉を見て、鰻のやま川で夕食を楽しむ。】
晩秋の1泊2日の旅で度々訪れた町の中で、一度も訪れていない名所を訪れた。
埼玉の小江戸・川越と同じように、千葉の「小江戸」と称した潮来市佐原地区は観光地としては小さい町だが、散策しながら歴史に富んだ、小野川ぞいの街を楽しめる。
食の方も、成田の鰻(うなぎ)料理と同様に佐原の鰻料理が知られているから、この町を訪れる際の一番の楽しみにしている。
写真は佐原の観福寺(石塔から毘沙門堂)の紅葉
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
pedaruさん流に言えば、「昭和は遠く、冥途は近く!」
なり、10月に79歳を迎えた私も似た様な気分なのか?
最近の小旅行は神社仏閣巡りが多くなりました。
今日、佐原(香取市)の観光Mapから選んだのは、紅葉の観福寺(かんぷくじ:日本厄除け三大師の名がある)であり、翌日に訪れたのは木造十一面観世音菩薩と「みしるし不動尊」で知られた荘厳寺(しょうごんじ)である。
写真は小江戸・佐原(香取市)の観光Map(左下参照) -
それで最初に訪れたのは紅葉の観福寺(かんぷくじ:日本厄除け三大師の名がある)である。
写真は小江戸・佐原の観福寺の案内書小江戸・佐原の観光Mapから選んだのは紅葉の観福寺(かんぷくじ:日本厄除け三大師の名がある)である。 by jijidarumaさん観福寺 寺・神社・教会
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【佐原の観福寺(かんぷくじ)】
真言宗 豊山派 (しんごんしゅうぶざんは)(総本山は奈良の長谷寺)
妙光山 観福寺(江戸時代には、末寺を五十三ヶ寺も持つ中本山として栄えた)
〒287-0033 千葉県香取市牧野1752
TEL:0478-52-2804
受付時間9:00~16:30
開基は平安中期の890年(寛平2年)、尊海上人と云う。。
中世より千葉氏の祈願所として武士の信仰を集める。
近世に入り地方の檀林(僧侶の養成所、学問所=田舎(いなか)檀林と称した)として多くの僧侶を輩出し、やがて地元伊能家の菩提寺として厚い帰依をうけ、当家から複数の住職も輩出された。
観福寺は川崎大師(川崎市)、西新井大師(東京都足立区)とともに関東の三大厄除け弘法大師といわれ、古くから多くの信者を集めている。
墓域には日本全国を測量して歩き、わが国最初の日本地図をつくりあげた伊能忠敬の墓がある。
春の桜、夏の緑、秋の紅葉に代表される四季の景観の美しさも知られている。
本尊は平将門の守護仏と伝えられる聖観世音菩薩(木像秘仏:人々の苦しみを救う根本の観世音菩薩)である。
国の重要文化財、4躯(釈迦如来、薬師如来、十一面観音、地蔵菩薩、これらは明治時代の神仏分離令にともなう廃仏毀釈により香取神宮より放出されていたものを地元の旦那衆が買い上げ当山に安置した)の銅造仏をはじめ、多くの仏像や、曼荼羅、中世の古文書等がある。
本寺が中心となって行われる札打ち(身内に不幸があったとき、霊を慰め、浄土に着かれるまでお地蔵さんにお守り頂くように祈るため、7日ごとに札を打ち=御札を地蔵に貼る、おしまいの四十九日目には赤札を貼り法要を行うという風習です)はこの大師信仰の1つで、香取郡内、佐原市一円の寺院に四国八十八箇所の札所を模して巡拝するもので、250年の伝統があると云う。
(千葉県観光物産協会HP)
写真は小江戸・佐原の観福寺の案内書 -
写真は佐原の観福寺:山門前
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写真は佐原の観福寺:道路に面して、国指定重要文化財の案内が立つ。
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写真は小江戸・佐原の観福寺:山門
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写真は小江戸・佐原の観福寺:山門の先に在る石段を登ると、寺院の境内に至る。
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写真は佐原の観福寺:寺域マップ
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日蓮宗の関東三大檀林(飯高檀林、小西檀林、中村檀林)については先日書いているが、真言宗では田舎(いなか)檀林と称し、各地に檀林(僧の学問所)をつくったという。
観福寺もその一つだそうだ。
観福寺は江戸時代には、末寺を五十三ヶ寺も持つ中本山として栄えたと云う事だから、檀林(僧の学問所)もそれなりの規模であったことが想像される。
尚、真言宗智山派には関東十一檀林というのがあり、
高尾山薬王院、金剛寺、宝生寺(ほうしょうじ:横浜市) 、三宝寺(さんぼうじ:石神井)、三学院(さんがくいん:蕨市)、錫杖寺、法恩寺、明星院、龍花院、長久寺、一乗院が名を連ねている。
私も知っているのは、東京都高尾山にある高尾山薬王院と、高幡不動で知られる日野市にある武蔵・金剛寺(こんごうじ)だ。
写真は佐原の観福寺:左に本堂がある。文化8年(1811年)、鐘眞和尚再建。 -
イチオシ
写真は佐原の観福寺:石塔から毘沙門堂の紅葉が美しい。
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写真は佐原の観福寺:本堂玄関
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写真は佐原の観福寺:本堂の彫刻拡大
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不動堂には身丈5尺、総高8尺の不動明王像を安置している。文化15年(1818年)、快恵和尚再建。
写真は佐原の観福寺:紅葉と不動堂 -
イチオシ
写真は佐原の観福寺:紅葉と不動堂
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写真は佐原の観福寺:不動堂前に黄色の万両が。
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写真は佐原の観福寺:不動堂前に黄色の万両が。
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写真は佐原の観福寺:不動堂前に黄色の万両が。
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写真は佐原の観福寺:観音堂への石段
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写真は佐原の観福寺:石段横右の六地蔵様
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イチオシ
写真は佐原の観福寺:石段横左の六地蔵様
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観音堂には 本尊聖観世音菩薩像が安置されている。元禄年間、春海和尚建立。
写真は佐原の観福寺:観音堂正面の竜の彫り物 -
写真は佐原の観福寺:観音堂の周りを一周する。左手横にある住職、僧侶の墓
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写真は佐原の観福寺:毘沙門堂( 平成7年(1995年)、量賢和尚建立)と鐘楼の間にある仏像、石碑。
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写真は佐原の観福寺:毘沙門堂と鐘楼の間にある仏像、石碑
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イチオシ
写真は佐原の観福寺:鐘楼
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毘沙門堂の近くに佐原の名家伊能家代々の墳墓があり、中に伊能忠敬の参り(まいり)墓(髪と爪を納めた)もある。
そのほか遠縁の親族である国学者・歌人・画家の楫取 魚彦(かとり なひこ=本名は伊能魚彦(なひこ)、国学者伊能穎則(ひでのり)の墓所もある。
写真は佐原の観福寺:これは伊能忠敬の墓の案内板。 -
写真は佐原の観福寺:偉人伊能忠敬(いのうただたか)の墓の案内板拡大
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紅葉の観福寺(日本厄除け三大師の名がある)に、日本で初めて実測による日本全国地図を作った、江戸期の偉人伊能忠敬(いのうただたか:1745年~1818年、享年73歳)の参り(まいり)墓(髪と爪を納めた)があった。
何度か訪れた佐原ですが、この寺に偉人の墓があるとは知りませんでした。
佐原には偉人の記念館、銅像や、かつての旧宅などが佐原の目抜き通りにあって、大事にされていると思っておりました。
観福寺の伊能忠敬の墓は意外に小さなもので、伊能家先祖代々の立派な墓が並ぶ中で、チョッと物足らぬ感がありました。
彼は婿(忠敬は九十九里小関の名主小関家の出身で、婿となった相手は伊能家の5歳年上の家付き娘で最初の夫を亡くしていた後であった)であり、家業を立派に栄えさせたと云われます。それは婿として当然の事だったようですが、やはり婿の微妙な立場、死んだ後の処遇ではきちんと差を示されたように思いました。
写真は佐原の観福寺:伊能忠敬の参り(まいり)墓・・・佐原の豪商で、名主であった伊能家の一族の大きな墓に比べて、予想より小さな墓だった。養子に入った忠敬の地位は一族内ではこのようなものだったのか? -
尚、忠敬は死の直前、「私がここまでくることができたのは高橋至時(たかはし よしとき:江戸時代後期の天文学者。幕府天文方に任命され、寛政暦への改暦作業において、間重富(はざま しげとみ)とともに中心的な役割を果たした。また、伊能忠敬の師としても知られる)先生のおかげであるから、死んだあとは先生のそばで眠りたい」と語った。
そのため、忠敬の立派な墓石は、高橋至時・景保(長男・かげやす:幕府天文方。忠敬没後に日本全国地図を完成させた。尚、景保は伊能版(縮図)日本地図を国外に持ち出そうとして発覚したシーボルト(オランダ商館付の医師)事件に関与し、獄死した)父子のものと並んで、同じ東京・上野の源空寺(げんくうじ)にある。
つまり、佐原の観福寺には遺髪と爪を納めた「参り(まいり)墓」があるということだ。
当時、遺体を埋葬する「埋め墓」と、お墓参りのための「参り墓」を設けることがあったと云う。
上述のため、観福寺の墓は小さいのかもしれないのだが・・・。さて!
写真は佐原の観福寺:奥まった場所に伊能家先祖代々の大きな墓 -
写真は佐原の観福寺:紅白の山茶花が満開だ。
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写真は佐原:道の駅・川の駅 水の郷さわらの駐車場から利根川を望む。
佐原:道の駅・川の駅 水の郷は川の駅まで併記、併称するのはここぐらいか? by jijidarumaさん道の駅 水の郷さわら 道の駅
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写真は佐原:道の駅・川の駅 水の郷さわらの駐車場から利根川を望む。
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香取市佐原地区は中心部を利根川の支流である小野川が流れ、古くから利根川を使った水運による物資の集散地として栄えた。
特に江戸時代になると顕著になり、商業集積は、小野川の東側だけでなく西側にも拡大した。小野川の東側を本宿、西側を新宿と呼ぶ。
当時、「江戸優り(えどまさり)」の言葉が残るほど、栄えていたようだ。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:佐原駅から「やま川」までの順路小江戸・佐原には私共好みの「やま川の鰻料理」がある。 by jijidarumaさんやま川 グルメ・レストラン
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【佐原のうなぎ店やま川】
〒287-0003 千葉県香取市佐原イ449
Tel:0478-52-5061
営業時間:月,火,木~日 11:00~14:00,16:30~19:00(時間は適宜お客さんに合わせてくれる感じだった)
定休日:毎週水曜日
内容:鰻(うなぎ)、魚介・海鮮料理、ふぐ料理、すっぽん料理といった和食店
席数:21席(テーブル席、カウンター席、座敷席)
佐原駅北口から徒歩約5分と近い、小野川沿いにある。
近くには御同業の「山田うなぎ」店がある。
埼玉の小江戸・川越と同じように、千葉の小江戸と称した佐原は観光地として小さいが散策しながら、歴史に富んだ、小野川ぞいの街を楽しめる。
食の方も鰻(うなぎ)料理が知られているから、この町を訪れる際の一番の楽しみにしている。
佐原を良く知る友人が勧める「やま川」はメニューのうな重、うな丼の値段が同一価格と言うのが、分かりやすくて実に良い。
タレは妙な甘みや、くどさが無くて私共の好みに合っている。
尚、店の傍は駐車場が無いが、ご近所さんなどのお勧めもあって、邪魔にならない川沿いに駐車させて頂いた。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:玄関構え -
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:店の右手横、その先は比較的大きな通りになる。
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夕方5時頃に開店と聞いていたが、早めに店内に招じられた。
お客は私共だけ、入口傍の右に在ったテーブル席に座れた。
最近は座敷は体が硬くなった所為で苦手になり、テーブル席に座る。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:店内の山車の古い写真 -
店内には、御亭主が若い頃から熱中したと思わせる佐原の山車(だし)の写真がたくさん掲げられていた。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:店内の山車の古い写真 -
香取市のHP
https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/matsuri/index.html
によれば、
「佐原の大祭」と称する夏祭りと秋祭り(ユネスコ無形文化遺産/国指定 重要無形民俗文化財)は、関東三大山車祭り(秩父・川越・佐原)の一つと称され、約300年の伝統を誇る。
日本三大囃子「佐原囃子」(神田囃子、京都祇園囃子に加えて)の音を町中に響かせながら、小江戸と呼ばれる町並み(国選定 伝統的建造物群保存地区)の中を家々の軒先をかすめながら進むさまは風情たっぷりで、江戸時代の情景を彷彿とさせる。
自慢の山車は、総欅造りの本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には江戸・明治期の名人人形師によって制作された高さ4mにも及ぶ大人形などが飾られている。
八坂神社祇園祭である7月の夏祭りは、小野川をはさんで東側一帯(本宿地区)を10台の山車が曳き廻される。
一方、諏訪神社秋祭りである10月の秋祭りは、小野川の西側一帯(新宿地区)を14台の山車が曳き廻される。
「水郷佐原山車会館」では、夏祭りと秋祭りの山車が1台ずつ交替で2台展示されている。
・・・
私は混雑が嫌いで、この大祭を見たことが無い。その分、「水郷佐原山車会館」でじっくり見学させてもらった事がある。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:店内の佐原山車(だし)24台の勢ぞろいの写真はすごいものだ。 -
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:店内の佐原山車(だし)24台の勢ぞろい(部分拡大)・・・中央が仲川岸区(なかがし)の山車で、大天井にそびえる人形は「神武天皇」で、場面は神武天皇御即位の姿を写し「日本の夜明け」を象徴されたものといわれている。
尚、7月に開催される 本宿祭 の 舟戸 の大人形も「神武天皇」です。 -
イチオシ
これは店内に飾られている山車の「幣台(やだい:祭礼の際に引く山・鉾・人形・鳥獣・草木などを飾った屋台のことで、神がおり立つ、神の依り来る目標(依代)とされている)彫刻」の写真である。つい気になって、ご亭主にこれは何かと聞いてしまった。
菊花・鳳凰の彫刻で飾られ、明治の著名な書家 巖谷修(本名はしゅう、巖谷 一六いわや いちろくと称し、明治の三筆の一人である)の筆で「ひろく大きな、いつくしみの心」を意味したもので「博如天(ひろきことてんのごとし・・・実はこの時は読み下せなかったから、帰宅してから調べたのだ!)」と記されている。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:山車の「幣台(やだい)彫刻」 -
「やま川」の店内の様子。写真手前はカウンター席で4mの欅(けやき)製の見事なものだ。この時は御亭主の説明に驚き、写真を撮ることを忘れた。
山車の「幣台(やだい)彫刻」作成などで知り合った木材業者から、これぞと云うものを、大枚をはたいて手に入れたらしい。店内は私共が座ったテーブル席もそうだが、見事な欅を使用しているのが伺われた。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」の店内 -
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:お待ちかねのうな重(3,600円)がやってきた。
-
「うなぎの長谷川」、「山田うなぎ」と佐原の鰻料理は3店目だ。
さわらグルメマップという冊子にも載っていない、あるいは載せようとしていない店だが、好みは「やま川」だった。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:お待ちかねのうな重である。 -
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:仲川岸区(なかがし)の山車の「幣台(やだい)」についての写真集の巻頭言
-
<仲川岸区(なかがし)の山車>
飾物
題…神武天皇
制作年…明治31年(1898年)
人形師…湯本長太郎
山車額
題…博天如(ひろきことてんのごとし)
制作年…明治31年(1898年)
揮毫…巌谷修(書家)
彫刻
題…米づくり
制作年…明治31年(1898年)
彫工…後藤直政
(一口メモ)
三方正面造りの山車で、通し柱8本で制作。材料の欅(けやき)は九州の玉目の一本取り。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:ご亭主が関わったのはこの【仲川岸区】の山車で、大人形は神武天皇である。 -
御亭主が所有していた【博天如(ひろきことてんのごとし)】の写真集を見せて頂き、以下の様な写真も撮らせて頂いた。
其々に見事な彫りに感心した。
職人気質いっぱいの御亭主もこの事に関して、そして店内の欅材のことも、実に嬉しそうに話してくれた。
興味を持ったら、疑問に思ったら人には聞いてみるものだ。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:博天如(ひろきことてんのごとし)・・・山車の正面にある額の写真は、菊花・鳳凰の彫刻で飾られ、明治の著名な書家 巖谷修の筆で「ひろく大きな、いつくしみの心」を意味したもので「博如天」と記されている。 -
勿論、他地区の山車にも様々な話が残るのであろう。
また佐原を訪れてみたくなった。
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:【博天如(ひろきことてんのごとし)】の写真集 -
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:【博天如(ひろきことてんのごとし)】の写真集
-
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:【博天如(ひろきことてんのごとし)】の写真集・・・山車正面の左側には見事な龍の彫刻がある。
-
写真は佐原のうなぎ屋「やま川」:【博天如(ひろきことてんのごとし)】の写真集
・・・・・
19時近くまで、ご亭主のお話を伺った。
今晩は佐原のうなぎ屋「やま川」で夕食をとったから、亀の井ホテル・潮来の1泊は素泊まりにした。以前はこの種の提供が無く、利用しにくいものだったが、最近、客寄せに素泊まり制も作ったのだ。
佐原から国道51号を走って、潮来の北浦傍にあるホテルに向かって、暗い夜道を急いだ。
(2022.12.11.Wiki/Hp参考、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- pedaruさん 2022/12/12 05:31:37
- 佐原の魅力
- jijidarumaさん おはようございます
のっけから私の名前が出てきて、面はゆい気持ちです。
ところで、佐原はなんどか自転車で行きましたが、なにせ市川からですと、のろのろママチャリでは到着まで一日かかります。もともと走ることだけが目標のサイクリングですから当然です。
そのため、佐原の名所はほとんど知りません。妻が朝寝ている間に、街並みを自転車で回ってみるくらいでした。伊能忠敬の住まいも入館しておりません。
三大厄除け大師の西新井大師は、最近自転車で出かけましたが、観福寺もそうでしたか。観福寺の素晴らしいところは、その佇まいですね、深い森の中にあるため、森厳な趣です。
>尚、忠敬は死の直前、「私がここまでくることができたのは高橋至時先生のおかげであるから、死んだあとは先生のそばで眠りたい」と語った。
そうなんですか、これで忠敬が高橋至時とならんで浅草の源空寺にある謎が解けました。
今度は電車で佐原に行って、ウナギを食べたいと思います。
楽しい旅行記をありがとうございました。
pedaru
https://4travel.jp/travelogue/11772172
- jijidarumaさん からの返信 2022/12/12 18:55:40
- RE: 佐原の魅力
- pedaruさん、
今晩は。
市川から佐原までママチャリで往復走破された由、驚きです。
お若いということですね。
4Traの寺参りは歴史散歩、東京の下町は良い所が多いですね。
しかも歴史的な興味を満足させる人物の墓や石碑の数々が
残っている様子、実に良いですね。
「寺町を歩く 東京歴史散歩 ? 西浅草」もあらためて拝見しました。
いいねしてましたから、見たはずなのに浅草の源空寺にある伊能忠敬の墓
は忘れていました。
佐原も思えば、なかなかの町、観福寺の良さも伊能家の支援が
あったからこそ、町人文化が栄えた町は忠敬の日本全国図完成にも
寄与したようですね。
それにしても観福寺訪問で【遺髪と爪を納めた「参り(まいり)墓、
遺体を埋葬する「埋め墓」の二つがあった】とは、驚きで、
またひとつ知識を増やしました(笑い)。
佐原のウナギ、楽しんでください。
それではまた。
jijidaruma
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