2012/12/08 - 2012/12/09
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jijidarumaさん
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≪青梅宿・昭和レトロの旅:①昭和幻灯館と映画看板の事≫
(2012年12月8日~9日)
過日、母の見舞いと中学時代の友人に会いに故郷・青梅に出かけた。
短い1泊2日の小旅行である。
26歳の結婚まで、私共夫婦が育った町であるから、友人も、思い出も多い。
さて、ご存知の無い方も多いかと思い、故郷青梅のご説明と書きましょう。
青梅宿は関東山地と武蔵野台地にまたがり、東京の西部地区(東京から約50km)にある人口13万人の都市である。
市中を多摩川が東流し、中心市街は多摩川の谷口集落であり、青梅街道の宿場町として出来上がった町である。
多摩川が作った河岸段丘が川沿いの左右の両岸に出来て、人がそこに住みついてきた。
我が実家も青梅宿から一段下の段にある。
写真は昭和幻灯館・・・ビビアン・リーの哀愁の映画看板。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
青梅街道は甲州街道の内藤新宿(今の新宿)の追分で分れ、武蔵野台地を西方に向かって横断し、多摩川上流の青梅宿に至る“脇往還・「甲州裏街道」とも称する”です。
青梅宿から更に多摩川の上流に向かい、奥多摩の山峡の道はかつての甲斐の国(山梨県)に入り、中里介山の小説で知られる大菩薩峠を越え、酒折宿(かつての酒折村:現・甲府市酒折)で再び甲州街道に合流する。
ただ、私共が現在当たり前のように呼称する青梅街道は元来公称ではなく、明治以降から使われるようになったと云う。
慶長11年(1606年)11月、江戸城の大改修に当り、白壁用の石灰が大量に必要となった為、徳川幕府は青梅北部の上成木村と北小曽木村から石灰を産出し、上納することを八王子代官である大久保長安に命じ、輸送の為の道路が整備され、「御白土街道(おはくどかいどう)」と呼ばれた。
江戸時代は現在の青梅市の大部分が幕府の直轄領(御料;代官・江川太郎左衛門支配)や旗本領であり、一部に岩槻藩・前橋藩の藩領もあった。
この為、天領といった比較的緩やかな統制下に生きた村民は江戸幕府への忠誠心が厚かったそうだ。
写真は現在の青梅駅(2006年4月) -
歴史的には宿場地域の青梅宿が市の中心であって、現在の青梅駅周辺一帯がそれである。西の東青梅から羽村にかけた原っぱが発展し。市の中心は東に移り、役所関係、警察なども東にある。今の青梅駅周辺は年々、訪れる度にさびれて行く様子が見えたものだ。
写真は昭和幻灯館傍の猫のまねき食堂の絵があるバス停 -
イチオシ
青梅駅のロータリーの先の大通りを左手に行くと、丘の上に祀られた住吉神社の近辺に三つの昭和レトロの記念館がある。
②昭和レトロ商品博物館(かつての谷村家具店)、
③赤塚不二夫記念館(かつては外科の医院だったような記憶がある・・・小学生の頃、薪割りの手伝いをしていて、誤って左手の親指の先を爪と肉を削いでしまった事があったが、軍医上がりの医者が手当てをしてくれた)と、
この①昭和幻灯館である。
青梅のさびれた商店街活性化事業として、三つの昭和レトロの記念館は平成11年、15年、17年と其々開館されたと云う。
<①昭和幻灯館>
〒198-0084 東京都青梅市住江町9
開館:10:00~17:00 、休館:月 祝日の場合は翌平日、年末年始
青梅線青梅駅から徒歩で5分
久保板観作の映画看板と山本高樹作の昭和の風景のジオラマを展示する。
写真は昭和幻灯館・・・ビビアン・リーの哀愁の映画看板 -
青梅を離れて何十年も経ってしまうと、この町はどんどん東に発展し、旧市街はレトロが売りの町に変っていました。
実は私の中ではこれに結構抵抗感があって、今まで見た事が無かった三つの昭和レトロの記念館なのです。
昭和幻灯館の看板に誘われて、最初に入った。
小さな館内だが、早速美人の写真集が目に入る。
映画がらみで美人女優の写真集を展示しているのか、よく分からないが、館内は様々な展示があった。
写真は昭和幻灯館・・・女優*白都真理・荒木 経惟(あらき のぶよし)写真集
*福岡県出身、1958年生まれ。福岡県立城南高等学校を経て、桐朋学園芸術短期大学演劇科中退。
短大在学中に、ミス・ユニバース関東代表に選ばれる。
1979年、NHK大河ドラマ「草燃える」にて女優デビュー。その後は、1984年の映画「人魚伝説」を始め、その他の映画、テレビドラマ、舞台などへ出演していた。 -
青梅に映画館があり、商店街が賑わいを見せていた昭和30年代(1955~1964)は私が小学生から中学生の頃でした。確かに活気が町全体にあったように思います。
その頃の繁栄を今一度と、町の知恵者が平成3年(1991)から「青梅宿アートフェスティバル」を開催するようになった。
平成6年には「振り向けば青梅宿」と題して映画看板を街中に掲げ、平成13年には「妖怪たちの青梅宿」と題して調布橋のたもとに「小泉八雲 雪おんな縁の碑」を建立するなどが、その結果としてある。
写真は昭和幻灯館・・・昭和世代にはおなじみと言える嵐寛十郎の鞍馬天狗、市川右太衛門の旗本退屈男シリーズは大人気でした。
それにしても映画看板は見事なもので、旨いものだ。 -
写真は昭和幻灯館・・・世界の大女優バークマンの凱旋門
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写真は昭和幻灯館・・・何故か・人形作家大滝博子の作品も展示されている。
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写真は昭和幻灯館・・・昭和の風景のジオラマというキネマ通りの模型・・右手に青梅キネマ映画館
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昭和20~30年代、青梅織物は織り機がガチャンと1回まわれば萬金が儲かる、略して「ガチャ萬」と呼ばれる全盛の時代を迎え、機織り景気で潤っていた頃でした。
キネマ映画館の手前の道を入ると、芸者衆の置屋、待合、三業組合、料理屋などがあり、確かに金回りの良い時代だった。
この横丁は当時の私には何やら不思議な場所で、三味線の音に興味もあったのですが、何時も場違いな感じで足早に通り抜けていました。
写真は昭和幻灯館・・・・キネマ通りの模型・・右手に青梅キネマ映画館 -
写真は昭和幻灯館・・・・キネマ通りの模型・・右手に青梅キネマ映画館
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写真は昭和幻灯館43・・・・キネマ通りの模型に出て来るは橋を渡ってすぐの右手にある建物はお世話になった眼科病院があった場所。
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昔、皆さんも見たであろう邦画・洋画の看板が街道沿いの商店や建物に架かっているのをいくつも見られる。
この看板の描き手は青梅在住の久保板観*という方で、映画が娯楽の王者であった昭和30年代から、当時あった青梅の3つの映画館(3館もあった事に驚くのだが)の看板を一手に描いてきたのだそうだ。妙に懐かしく、さびれた町にはお似合いの映画看板といえようか。
写真は昭和幻灯館1・・・バークマンの追想に映画看板が代わっています。 -
イチオシ
写真は昭和レトロ商品博物館・・・美空ひばりの弁天小僧、大河内伝次郎の丹下左膳などの映画看板が架かる。
-
写真は 昭和レトロ商品博物館 ( 青梅市住江町 )・・・中はこのようなレトロの御菓子が陳列され、右手に映画看板(アラカンの鞍馬天狗)が。
2階は雪女の展示が見られる。 -
*参考;久保板観
1941年~2018年・享年77歳、 東京都青梅市出身。
「最後の映画看板師」と呼ばれた久保板観(くぼ・ばんかん、本名昇)さんは中学卒業後、見よう見まねで何百枚もの小型映画看板を描き、将来は映画看板絵師になることを決心。
1954年、生家の近くにあった映画館「青梅大映」に自ら売り込みに行き、若くして映画看板絵師となる。最盛期には、一日一枚の割合で映画看板を描き続けた。しかし、テレビなどの影響で映画産業が衰退し、映画看板絵師もその職を失っていった。
1993年、「青梅宿アートフェスティバル」で、19年ぶりに映画看板を描いたのを機に、映画看板は再び青梅商店街を飾った。
2000年、昭和レトロ商品博物館内に、「板観・映画館板の部屋」を併設。なお、これまでに描いた映画看板は3~4千枚といわれ、それがまた板観氏の技術力の高さを裏付けている。
・・・・・
写真は昭和レトロ商品博物館・・・中はこのような映画看板(藤純子の緋牡丹博徒、赤木圭一郎の紅の拳銃、大川橋蔵の新吾十番勝負)が。 -
写真は昭和レトロ商品博物館・・・中はこのような映画看板(大河内伝次郎の丹下左膳、佐田啓二・高峰秀子の喜びも悲しみも幾年月)が。
-
当時は邦画の映画館が2つ青梅キネマ、青梅大映という映画館、洋画の映画館は1つで、セントラル(東青梅の都立農林高校傍に)だったか、合計3館もありました。よく父や姉、中学の仲間と行きました。
いつも邦画映画館は人で一杯であった記憶があります。
洋画の方は観劇した翌日、クラスで仲間と得々と、決闘シーン等を語っていたと、同じクラスだった家内が思い出して言います。
写真は昭和レトロ商品博物館1・・・七人の侍、姿三四郎、ティファニーで朝食をなどの映画看板に代わっています。 -
青梅の町で昭和レトロが映画看板、それも手書き看板に象徴されてしまっているのも、面白いのですが、何処かで、イヤそれだけではないでしょう!という声が聞こえるように思います。
青梅は遠く、昭和も遠くなっているようです。
ともあれ映画を見ながら、大人の領域にちょっと入って行った感じは今も記憶に残ります。
映画を見てはその内容をクラスで仲間に語る時、妙に格好をつけた、妙に青臭い、妙に背伸びした自分を思い出すのです。
写真は赤塚不二夫記念館・・・代表作の漫画、おそ松くん、ひみつのアッコちゃんの看板 -
写真は青梅赤塚不二夫会館(青梅市住江町 )・・・第三の男、お熱いのは苦手などの映画看板に代わっています。
-
今の若い人には無理でしょうが、昭和育ちであれば、まず見た映画の一つや二つは、それらの映画看板に見ると思います。
其々の映画の説明はしませんが、ここにあるすべての看板は名作として世の評価も高く、人気あった映画と俳優たちです。
≪東京は23区内≫という学生時代の旧友が居りましたが、東京人はとかく言いたがります。
まー自然環境が優れたものは皆、西部の多摩地区にあります。
ちょっと変わったレトロの街もある意味で面白いもので、
レトロを好むかは別にして、私、ほんとは故郷青梅に戻りたい気があるのです。
XXX
写真はマイナー堂(青梅市住江町 )・・・アラン・ラッドのシェーンの映画看板 -
写真はみみずく小屋(青梅市西分町)・・・佐田啓二・高峰秀子の喜びも悲しみも幾年月などの映画看板。
-
写真は青梅・とんかつもりた・・・大河内伝次郎の丹下左膳の映画看板。
今にもつぶれてしまいそうな店に見えますが、ここの親父が作る≪かつ丼≫は実に美味かった。
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この旅行記へのコメント (2)
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- rinnmamaさん 2021/01/25 14:08:19
- 青梅市
- jijidarumaさん、こんにちは
青梅と聞いたら浮かぶのは青梅マラソンのみ(失礼ですが・・・)
マラソン応援好きですが、自分で走ろうとは思いませんけどね^^
さて、こんな風に昭和レトロの記念館などがあるんですね。
昭和生まれも高齢になりこの先、若者はこの風景をどの様に見るのでしょうね。
我が家の近郊には明治村がありますが、入場者も減りつつあり維持管理も大変のようですし・・
街道沿いに邦画・洋画の看板が建物に架かっている風景は良いですね。
建物も現代の規格品のようなものでなくて風情もあるし^^
我が家も昭和のレトロな建物ですから入り込めそうです(笑)
台湾の淡水の北投温泉博物館の座敷で、上映されていた映画のポスターを思い出しました。
今考えると台湾に惹かれるのは、このような素朴でレトロな雰囲気が、まだまだのこっているからかもしれません(年を取ったという事でもあり)
続きも楽しみにお待ちいたしております。
rinnmama
- jijidarumaさん からの返信 2021/01/25 17:52:46
- RE: 青梅市
- rinnmamaさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
そうですね!かつて青梅マラソンは良く知られていました。
・・が今は、それすら東京マラソンにとってかわられてしまいました。
地方?の風物詩まで衰退させてしまう陸連のやり方は如何なものかと、
思いますが、今は千葉県人故、何とかの遠吠えです。
私は短距離派で長距離は苦手、負けず嫌いで走りますけど。
昭和レトロの記念館や青梅の事はこれからも書いて行きたいですね。
明治村も良い建物がたくさん残されていますね。学生時代にジュータン
洗いのアルバイトした旧帝国ホテルもあり、あの姿を見ると、
当時を懐かしく思い出します。
台湾は日本統治時代をきちんと評価してくれますから、嬉しいことです。
私もドイツが難しければ、次は台湾の旅でも思うくらいです。
それではまた。
jijidaruma
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