2017/12/01 - 2017/12/01
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jijidarumaさん
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日本の小旅行⑥の3:東庄町・笹川繁蔵の奉納相撲(諏訪神社)、旭市・世界最初の農業協同組合を組織した大原幽学の記念館を訪ねた。
(2017年12月1日)
今年(2017年)はドイツの旅に代り、5月から関東近辺の小旅行をしている。
今日は以前から気になっていた千葉の名所旧跡を訪ねることにした。
日本の小旅行⑤:匝瑳・飯高檀林・松山庭園美術館、旭市・刑部岬・防災資料館(2017年11月26日~11月27日)と称して1泊2日の小旅行をした。
27日、かんぽの宿旭を出て、旭市飯岡の侠客たちの墓や碑を巡った。
これに続いて、2017年12月1日に下総の侠客たちが争闘を繰り返したという利根川沿いの東庄町(とうのしょうまち)・天保水滸伝遺品館の展示や諏訪神社、境内の相撲の土俵などを拝見し、最後は幕末に旭市を中心に農村指導者として大きな事績を残した人物・大原幽学の記念館を訪れた。
写真は農村指導者として大きな事績を残した人物・大原幽学肖像画(大原幽学記念館)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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東庄町(とうのしょうまち)という町名は昔この地域が東氏(とうし)の荘園であったことが由来である。
この町は利根川に沿って、東の香取市(小江戸と云われる佐原を含む)と西の銚子市の中間にある。だからあまり、訪ねる事も無く、通過してしまう事が多い。
だが、この小さい町は面白かった。
この地図上で、東庄町から雲井岬つつじ公園経由で旭市との北の境にまで南下すると、大原幽学の記念館はかっての長部城址(中世に城砦跡)がある台地上にある。 -
東庄町・天保水滸伝遺品館の展示の中に場違いと思われた、1985年度前期NHK連続テレビ小説「澪つくし・主演沢口靖子(さわぐち やすこ)」のポスターなどが展示されていた。
ドイツの2度目の駐在から帰国した年だったから、家内はこのドラマを熱心に見たそうで、記憶に残っていると言っていた。
『澪つくし』(みおつくし)は、NHK連続テレビ小説の第34作として、1985年度前期(昭和60年上半期)に4月1日から10月5日まで放送された日本のテレビドラマである。
沢口 靖子(1965年6月11日生まれ)は「澪つくし」のヒロインを演じ、人気と知名度を全国的に定着させた。その彼女もそろそろ57歳になる。
主な出演作品は『澪つくし』、『さよなら李香蘭』、『科捜研の女』、『太平記』、『秀吉』、『新選組!』、『ホテルウーマン』、『鉄道捜査官シリーズ』、『警視庁機動捜査隊216シリーズ』、『検事・霞夕子』、『小吉の女房』などだが、その内『科捜研の女』と『鉄道捜査官シリーズ』、『警視庁機動捜査隊216シリーズ』、『検事・霞夕子』、『小吉の女房』は私もよく見た。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示:昭和60年(1985年)4月~10月NHK連続テレビ小説「澪つくし・主演沢口靖子」のポスターなど。 -
タイトルの「澪つくし」とは、浅海を通行する船に対して、通りやすい水路「澪(みお)」を指し示すために立てた杭のことで、「澪標」と書いて「澪の串=杭」を意味すると云う。
あまり知らない言葉だが・・・。
大正時代末期から第二次世界大戦後にかけての千葉県銚子市を舞台に、醤油屋の旧家の娘であるヒロインと漁師の網元の長男との純愛を描いた作品でした。
主に醤油の製造元があった銚子市や東庄町(入正醤油)で撮影された。
前章でも出て来た天保水滸伝遺品館の前館長で、現在は東庄郷土史研究会の顧問である<海上義治氏の随筆>が写真左下に載っている。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示:昭和60年(1985年)4月~10月NHK連続テレビ小説「澪つくし・主演沢口靖子」のポスターなど。 -
天保水滸伝遺品館傍に古くから尊崇されている諏訪大神(すわだいじん)がある。
〒289-0601 千葉県香取郡東庄町笹川い580-1
諏訪大神は千葉県香取郡東庄町(下総国香取郡)にある神社である。
坂上田村麻呂が蝦夷征討の際、悪神退散を祈願して建てた一祠が当社の始まりとされ、大同2年(807年)に創建されたといわれており、須賀山明神とも称された。
諏訪大神の祭神は建御名方命・事代主命・大國主命だそうだ。
また、諏訪大神は「通称・諏訪さま」と呼ばれ地域の人々に親しまれているが、私の故郷青梅にも諏訪大神があり、小さい頃に「お諏訪さま」の秋祭に仲間と遊びによく行ったものだ。
文治元年(1185年)に豪族・千葉氏が社殿を修造するなど、千葉氏ゆかりの神社になっている。
敷地5,150坪の境内には本殿、幣殿、拝殿、社務所、神楽殿が建ち並ぶ。
祭礼制度を信州諏訪明神の制度に倣い、祭礼は春季例祭と秋季例祭の年2回。
写真は東庄町:諏訪神社・本殿、左に神楽殿 -
写真は東庄町:諏訪神社境内にあった、ご神木の大きな*「梛木(ナギ・椥)」。
*梛木はマキ科マキ属に含まれる常緑高木で高さ20mにも達するほど生長する。
古来より縁起の良い植物とされていて、葉がつやつやして丈夫(=切れない)であることから「縁結びの木」とされている。
私共が梛木に興味を持ったので、御一緒して、ご丁寧な説明をして頂いた天保水滸伝遺品館の現館長の高安さんは事務所からわざわざ梛木の実を持ってきてくれた。
試しに我が家の庭にまいたが、地質があわなかった所為か、芽が出てこなかった。 -
イチオシ
かつて利根川の水運で笹川河岸として賑わいを見せた笹川地区は、講談や浪曲で有名な 天保水滸伝の舞台になった所で、 天保13年(1842年)、相撲好きな侠客・笹川繁蔵が諏訪神社の境内で盛大な奉納相撲を催したことが知られている。
この笹川繁蔵の奉納相撲が始まりで、今でも諏訪神社の秋季大祭(7月27日)には山車が街中に繰り出し、奉納相撲が開催され、遠近からの参拝客で賑わう。
2017年の大相撲夏巡業期間中は出羽海部屋の幕下以下の力士がここへ合宿に訪れている。
境内左には天保13年に笹川繁蔵が建てた相撲の元祖・野見宿禰(のみのすくねのみこと:古墳時代(こふんじだい)の豪族の一人)の石碑があり、ビックリしたが傍に立派な土俵が造られていた。
写真は東庄町:諏訪神社・笹川繁蔵が建てた野見宿禰の石碑と説明版。笹川の相撲まつり 祭り・イベント
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写真は東庄町:諏訪神社・相撲の元祖・野見宿禰命の石碑の説明版。
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写真は東庄町:諏訪神社・奉納相撲が行われる土俵は立派な屋根付きである。
御一緒して、ご丁寧な説明をして頂いたのは天保水滸伝遺品館の現館長の高安 豐さんである。 -
写真は東庄町:諏訪神社・笹川素人相撲大会の様子。
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<奉納相撲(諏訪神社秋季大祭)>
天保13年(西暦1842年)7月27日、諏訪神社の境内で笹川繁蔵が奉納相撲を名目として、農民救済のため開いた花会(はながい)が始まりで、当時は国定忠治や清水次郎長らも参加し、盛大なものだったと云われている。
現在の祭りの当日は山車や御輿も繰り出し一日中賑わう。
毎年7月最終土曜日に開催される。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示:諏訪神社の笹川の角力(奉納相撲)祭り・・宇井康弘写真展 -
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示:昭和46年(1971年)諏訪神社秋季大祭奉納相撲の記念写真。
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イチオシ
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示:笹川相撲祭り(諏訪神社)、大相撲出羽海部屋(御嶽海等)の合宿。
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写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示:諏訪神社秋季大祭・奉納相撲の優勝旗。
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写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示:大相撲出羽海部屋の合宿記念の相撲取りの手形、どすこい笹川など。
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東庄町から、次の目的地である大原幽学遺跡史跡公園に向かった。
農村地帯の狭い道が続き、開けた先に小高い丘が見えた。
そこが目的の地だった。 -
<大原幽学記念館>
〒289-0502 千葉県旭市長部345-2 大原幽学遺跡史跡公園内
定休日:毎週月曜/12月28日~1月4日
幕末の農村指導の先駆者、大原幽学を中心に展示がある。
幽学の活動拠点であったこの地は史跡公園として整備され、園内の記念館では幽学の貴重な遺品や著作類が公開されている。
郷土展示室では、椿海干拓事業など旭のあゆみをたどることができる。
その他、東総地域を中心とした歴史・民俗をテーマに、展示・保存・調査などの活動が行われている。
写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館)パンフレット:表紙、アクセス、館内展示、講座・体験案内。旭市・幕末の農村指導の先駆者、大原幽学は残念なことに失意のうちに、切腹して果てた。 by jijidarumaさん大原幽学記念館 美術館・博物館
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大原幽学は、幕末に旭市を中心に農村指導者として大きな事績を残した人物で、道徳と経済の調和を基本とした独自の学問を説き、飢饉などで疲弊した村の復興に尽力した。
なかでも、世界最初の農業協同組合といわれる「先祖株組合」は、先駆的な手法として高く評価されている。 また、その多岐にわたる仕法は農業のみならず、生活や教育の分野にも及んだ。
大原幽学という人物については、30代半ばから千葉県人になった所為か、今までほとんど知らないままできてしまった。
写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館)パンフレット:大原幽学遺跡案内・・・幽学の旧宅(幽学が設計した居宅兼教伝所)、旧林家住宅(幽学が設計した高弟の住居)、墓所(幽学が自刃した共同墓地にある墓碑)、大原聖殿(幽学の教導所であった改心楼跡地に建った)、龍ヶ谷(幽学の頌徳碑などがある)、耕地・地割(幽学の指導により門人の協力で一区画一反歩程の大きさに整理し、水路をつけ作業性を向上させたといわれる耕地整理跡である。ほぼ天保年間当時の区割りをのこす、全国でも例のない水田の史跡)。 -
写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館)パンフレット:幽学の肖像画、掛け軸、自刃の短刀、遺書、年譜、改心楼絵図、先祖株組合(せんぞかぶくみあい)の帳簿。
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写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館)パンフレット:公園四季めぐり、椿の里(2月下旬から4月まで、園内の約3千本の椿が見ごろになるそうだ)、長部城址(ながべじょうし)一部が見られる。
http://www.city.asahi.chiba.jp/yugaku/
動画紹介 千葉県旭市「農村を救った知の侍 大原幽学」(旭市公式youtube) -
旭市長部345-2に大原幽学遺跡史跡公園、大原幽学記念館がある。
幽学の旧宅は幽学自ら設計した居宅兼教伝所である。天保13年(1842)に住居に改築した旧宅は質素で丈夫な造りの8畳2間、台所、便所、押し入れなどあった。
写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館):幽学の旧宅 -
この立派な建物は代々、十日市場村の名主を勤めた旧林家の住宅である。多才な幽学が設計し、天保15年(1844年)に建てられた、幽学の高弟・名主林伊兵衛の住居でした。昭和63年に旭市十日市場から移築した。
写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館):旧林家住宅。 -
【大原幽学記念館】
1階郷土展示室:
旭市を中心とした古代から現代までのあゆみを、資料と映像で展示している。
江戸時代の新田開発として知られる椿海干拓については、マジックシアター「干潟八万石物語」でその歴史を知ることができる。
2階幽学展示室:
幽学関係の歴史資料は、平成3年に国の重要文化財の指定を受けた。
著作、日記、書簡、書画や着物、刀など、幽学ゆかりの遺品類を公開し、その生涯と業績を紹介している。
(椿海の干拓 - 干潟八万石物語、鉄牛和尚、辻内刑部左衛門)
http://nagarebosi39.maiougi.com/higata2..htm
<椿海(つばきのうみ)の干拓を成功させた鉄牛和尚(てつぎゅうおしょう)>
旭市、匝瑳市、東庄町にまたがる「干潟八万石」とよばれる約51平方キロメートルの農地は、干拓により海(椿海)から農地へと姿を変えた。
当時の江戸は人口の増加に対し十分な農地がなかったので、お米の価格が上がり続けていた。このため、江戸の町人・白石治郎右衛門と大工の棟梁であった辻内刑部左衛門は鉄牛和尚(禅師)の助けを得て幕府に干拓を願い出て、寛永16年(1639年)頃から椿海の新田干拓が計画され、この大工事は寛文11年(1671年)に完成した。この事業により干潟八万石といわれる良田2,741町歩が整備された。
その中心となったのが鉄牛和尚である。
いわゆる「干潟8万石」の18ヶ村は春海・米持・秋田・万力・入野・米込・関戸・万歳・八重穂・夏目・幾世・清瀧・大間手・長尾・高生・琴田・鎌数・新町である。
鉄牛和尚の年譜:
鉄牛和尚は、寛永5年(1628年)山口県に生まれ、幼名を才之助といった。
14歳のとき、因幡の龍峰寺に隋身し、提宗禅師のもとで学び慧覚と改名した。
明暦元年(1655年)長崎に赴き、宗祖隠元禅師に師事した。
満治2年(1659年)号を鉄牛、名を道機と改める。
寛文6年(1666年)印可を与えられ、のちに江戸・芝の瑞聖寺、向島・弘福寺を開山している。
鉄牛和尚は、椿海の開拓による功績で寄進された福聚寺(東庄町小南)で晩年を過ごし、元禄13年(1700年)73歳で永眠した。
<鉄牛和尚の開山に始まる福聚寺(ふくじゅじ)>
千葉県香取郡東庄町小南690
福聚寺は、千葉県香取郡東庄町にある黄檗宗の寺。
山号は補陀落山。本尊は十一面観音。
延宝6年(1678年)下総国にあった椿海の干拓による功績のあった禅僧鉄牛道機の開山により創建された寺である。
遺言により東庄町小南の福聚寺境内で荼毘にふされ、その場所に石造無縫塔が建立された。塔は2mに及ぶ巨大なもので伊達綱村・稲葉正通の寄進。
写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館):椿海の干拓 - 干潟八万石物語、鉄牛和尚の肖像画、木造伝・辻内刑部左衛門座像。 -
東庄町・干潟町・旭市・八日市場市にまたがる低湿地帯は、かつて海水が湾入していたが、沿岸流の発達により閉鎖され「椿海」という湖となった。
椿海は伝えられるところでは東西3里南北1里半(約51平方キロメートル)の大きさがあったと言われている。
昔、この地に邪神が住む椿の大木があり、香取神宮がこれを東方の海中に椿の木ごと放逐したところ、その跡地に水が溜まって海になったという伝説があるが、実際には当時の玉の浦の入り江が犬吠埼方面からの砂洲の形成によって出口を塞がれてできた湖である。
<辻内刑部左衛門(つじうち ぎょうぶざえもん)の事>
出生:不肖-没年:寛文12 年(1672年)
江戸前期、江戸幕府普請方の大工棟梁で椿新田開発の立役者となった。
元桑名藩(三重県)の御抱大工であったが二条城修築の功績で幕府に召し抱えられる。土木測量の高い技量を買われ、町人・白井次郎右衛門の誘いで椿海干拓計画出願に参加、幕閣を動かして幕府直営開発に踏み切らせ、開発請負人となるが、途中資力の尽きた白井の脱落により頓挫した。
その後は独力での請負を出願し、幕閣にくい込んでいた禅僧鉄牛の仲介を得て開発請負に成功した。
親類の江戸材木商野田屋、栗本屋を下請けとして排水工事に着手し、湖水を九十九里浜へ落とす新川開削に成功(1670年)するが、通水により沿岸住民に大被害を与え、対策実施中に病没した。
開発事業は養子善右衛門が継いだ。椿新田は元禄検地(1695年)で水田2740町歩余(約2717ha)、通称「干潟八万石」と称された。
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写真は椿海干拓地:江戸時代の図・・・上の写真左のような新しい村が出来た。 -
<幽学の生涯と業績>
大原幽学(おおはらゆうがく)は天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、長部村(ながべむら:現千葉県旭市)を中心に房総の各地をはじめ信州上田などで、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した人物です。
道徳と経済の調和を基本とした性学(せいがく)を説き、農民や医師、商家の経営を実践指導しました。
前半生は各地を遍歴していたらしいのですが、その経歴は明らかではありません。天保13年(1842年)には香取郡長部村に定住しています。天保4年頃から独自の実践道徳である性学の教説活動を始め、弟子として入門する者が次第に増えていき、研修施設や教導所が作られ会合や講義が行われました。
門人達は道友(どうゆう)と呼ばれ、長部村に腰を落ち着けた幽学は、性学道友の農民を指導し農村の復興を図り、「農業協同組合である先祖株組合(せんぞかぶくみあい)」をはじめとして農民が協力しあって自活できるように各種の実践仕法を行って成果をあげました。
しかし急激な性学運動の発展と農民が村を越えて労働と学習を共にしたことが幕府の怪しむところとなり、幽学は幕府の取り調べをうけた末、有罪となり、失意のうちに安政5年(1858年)3月8日、自刃により62歳の生涯をとじたのです。
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写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館):幽学自刃のことなど。 -
イチオシ
<大原幽学の略年譜>
年号: 西暦 (年齢) 主な事蹟
寛政元年: 1797 (1 )3月17日、尾張藩(現名古屋)の重臣大道寺家の出と伝えられる。
文化11年: 1814 (18) 3月、(侍どうしの傷害沙汰を起こし)生家を勘当され漂泊の生活が始まる。
文政6年: 1823 (27) 2月、近江国(現滋賀県)伊吹山松尾寺に寄寓し、住職提宗に学ぶ 。
天保元年: 1830 (34) 3月、再び提宗和尚を訪ね、その激励をうけて社会運動の実践を決意。
天保2年: 1831 (35) 信州上田および小諸で講義をし、門人が増える 。
8月、上田を去り江戸に向かい、その滞在後に浦賀から海路にて安房国(現千葉県)に入る。
天保6年: 1835 (39) 8月、名主遠藤伊兵衛の依頼で初めて長部村を訪れる。
天保9年: 1838 (42) 9月、長部村に先祖株組合を結成する。
天保12年:1841 (45) 2月、長部村で土地の分合、耕地整理を行う。
天保13年:1842 (46) 9月、遠藤伊兵衛ら幽学に住居の提供をする。
嘉永元年: 1848 (52) 2月、領主清水氏から模範村として表彰される。
嘉永3年: 1850 (54) 4月、門人増加にともない、教導所である改心楼が完成する。
嘉永5年: 1852 (56) 4月、関東取締出役の手先が改心楼に乱入する事件が起こり、これをきっかけに幽学の取り調べが始まる。
安政4年: 1857 (61) 10月、事件の判決が下り、幽学は押込百日を言い渡される。
安政5年: 1858 (62) 3月8日未明、長部村の墓地で自刃を遂げる。
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写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館)パンフレット:農村指導者として大きな事績を残した人物・大原幽学肖像画(大原幽学記念館) -
幕府・勘定奉行配下の関東取締出役の取り調べにより、安政4年(1857年)に幽学の押込百日と教導所である改心楼の棄却、先祖株組合の解散を言い渡される。
5年に及ぶ取り調べの疲労と、性学を学び、教え導いてきた村の荒廃を嘆き、失意のうちに翌年、村内の共同墓地で切腹して果てた。
写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館):幽学が自刃した際に使用した短刀・・・「難舎者義也・・・捨てがたきは義なり」の文字が刻まれている。 -
東庄町・天保水滸伝遺品館の展示で、「天保水滸伝」の映画も多いが、
こちらの映画(1976年大映・主演は平幹次郎)は幕末の農村指導の先駆者・大原幽学を描いたものだ。
世界で初めて農民を組織した(世界最初の農業協同組合といわれる「先祖株組合」のこと)といわれる大原幽学を主人公に、笹川繁蔵、平手造酒、飯岡助五郎など浪曲でお馴じみの「天保水滸伝」をからませて、その時代に生きた人間群像を描いた。
他に浅丘ルリ子、大竹しのぶ 、香山美子、高橋悦史、ハナ肇、滝沢修 等。
<天保水滸伝 大原幽学のストーリー>
1976年11月13日公開、147分、大映・全国農村映画協会
(MOVIE WALKER PRESSより)
冷害が打ち続き、食べるものがなく、人が人を殺して食うような大飢饉が日本全土を襲った天保の頃。農村では、厳しい年貢のため土地を失ない放り出される農民が増えて、一揆が相ついで起っていた。
そんな中で房総利根川周辺一帯は、産業資本をバックに十手を預かって権力を振り回す飯岡の助五郎と新興やくざの笹川の繁蔵の二大勢力が対立し、博徒の巣窟と化していた。
そして利根川周辺の農民たちは、全国的な飢饉と利根川の相つぐ洪水で貧困と絶望に打ちひしがれていた。ここ長部村でも、農民たちの無気力な生活が続いていたが、この村には少しずつ変革が起っていた。この地に往みついた浪人、大原幽学の手によって、農業改革が始まっていたのである。しかし、農民たちが幽学の教えに従って村造りに励む一方では、助五郎、繁蔵による農民相手の博奕は止まず、足が抜け出せない農民たちはテラ銭を執拗に巻き上げられていった。
ある日、借金のために娼婦に身を堕しながらも亡夫を慕い、農民の生活に執着する女、たかがこの村に帰って来た。馴じみ客の一人、平手造酒の強引なひき止めにもかかわらず、たかの決意は堅かった。「雨の降る日も蓑笠つけて、夫婦で野良へ出る味は、知らねえもんには判らねえべが……」あらゆる逆境の中で生き抜いて来たたかの心は、幽学の教えにも固く閉されていた。
「下手にかばい合えば人は腐る。バカや腑抜けは泣けばいい」たかの辛い体験から生まれた言葉は、幽学の胸を突き刺した。幽学たちの懸命な説得にも応じないばかりか、村の農民を手玉に取って春耕作を始めた。村人たちの反感は広がり、「村中の助平男をおそそ払いでこき使っている」と噂が立って、嫌われ者になっていた。
取り入れに忙しいある日、村に事件が起った。助五郎の子分にだまされて、博奕の借金返済に追いつめられた農民たちが、村請けの米を盗んだのだ。「組むも助け合うもねえわ。屑だで」たかは吐きすてた。泥棒の一人はたかの父、長兵衛だった。その農民たちは、寄合で村八分と決った。幽学にとっても衝撃は大きかった。だが、一度は心が揺れたものの、「人を捨てては身が立たぬ」という自分の教えの言葉に我に返った。
祭りの日、太刀を持った幽学は、助五郎と繁蔵の開帳する賭場へ単身、なぐり込んだ。農民たちを引きずりだした幽学は、「真人間になれ、真人間になれ!」と涙を流しながら叫んだ。
かねてから幽学の言動に目を光らせていた関八州の役人は、この騒動をたてに容赦ない取り締まりに出てきた。
田畑、家財を売り払い、借金で首がまわらなくなってまで、幽学と労苦を共にして来た名主の良左衛門は幽学に、「人には本当に屑はないのでしょうか」と問うた。幽学は詰った。が、「人には屑はない。隣りを捨てて人は立たぬ。人にゆきわたってこそ真は生きる。俺はこの三つから終生離れることは出来ぬ」といいきかせた。
しかし、彼は心の中では、この長部村から離れる時が来たと感じていた。翌朝、貧しい旅装束の幽学は、名主の家を出た。
だが、その幽学の行く路を壁のように農民たちが立塞いでいた。
その農民の人波の中には、屑百姓やたかの顔もあった。
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太刀を持った大原幽学が助五郎と繁蔵の開帳する賭場へ単身、なぐり込んだといった場面が、当時の幽学と侠客との関係を物語っていた。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の展示:映画のポスター -
写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館):大原幽学の略年譜と幽学がたどった道の地図。
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写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館):幽学ゆかりの遺品・日記。
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写真は旭市長部(ながべ)・大原幽学遺跡史跡公園(記念館):旅装束などだろう。
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写真は大原幽学記念館:椿ポストカード・・・こんなに種類があるとは知りませんでした。
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イチオシ
写真は大原幽学記念館:椿ポストカード
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写真は尾張藩の武士の出とされる大原幽学の墓所の一つが名古屋市千種区の平和公園にある。
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千葉県在住ながら、あまり千葉の事は知らなかった。
今回の3編シリーズは侠客やら、真逆の立場にいた大原幽学を知ることとなった。
近場にも様々な歴史がある。
(2022年5月5日Wiki・HP参考、編集加筆)
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青梅宿・昭和レトロの旅・その2:②昭和レトロ商品博物館、③赤塚不二夫記念館を訪ねた。
2012/12/08~
青梅
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≪青梅宿・昭和レトロの旅:③青梅の甘味処・昔ながらの銘菓が楽しめる道味、あら井和菓子店≫
2012/12/08~
青梅
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小泉八雲の怪談「雪女」は青梅の伝説から採った・・・故郷は如何に田舎だったか!
2012/12/09~
青梅
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青梅市:久しぶりに故郷を訪れ、関東の古刹・塩船観音から吹上菖蒲公園を訪れた。
2014/06/21~
青梅
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千葉県匝瑳市(そうさし)にはかつて俊秀がつどった大学・飯高檀林(いいだかだんりん)があった。
2017/11/26~
銚子・九十九里・白子
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匝瑳(そうさ)の里山の中に「猫ですか、美術館ですか」と女館長さんに聞かれた松山庭園美術館がある。
2017/11/26~
銚子・九十九里・白子
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2011年3月11日の東日本大震災で、千葉県旭市が大きな被害を受けた事は意外に知られていない。
2017/11/26~
九十九里
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日本の小旅行⑥の1:旭市飯岡の侠客(きょうかく)飯岡助五郎、座頭市そして笹川繁蔵のこと
2017/11/27~
九十九里
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日本の小旅行⑥の2:東庄町・天保水滸伝を彩る男たち、侠客笹川繁蔵と勢力富五郎、そして平手造酒
2017/12/01~
銚子・九十九里・白子
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日本の小旅行⑥の3:東庄町・笹川繁蔵の奉納相撲、旭市・世界最初の農業協同組合を組織した大原幽学の記念館を訪ね...
2017/12/01~
銚子・九十九里・白子
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故郷青梅の菩提寺・宗建寺には義賊 裏宿七兵衛の墓がある。
2019/09/13~
青梅
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日本の小旅行:誕生日祝いも兼ねて、香取・与田浦コスモスまつりを訪ね、かんぽの宿 潮来に泊まった。
2021/10/25~
潮来
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青梅:曽祖父が戦死した長男の遺書に由って、村の鎮守様・千ヶ瀬神社に石灯篭を奉納した話。
2022/04/21~
青梅
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青梅:村の鎮守様・千ヶ瀬神社の幟り旗は「幕末の三舟」と謳われた勝 海舟の揮毫だ。
2022/04/21~
青梅
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あきる野市小川:旧家の土蔵を改修した懐石料理店「燈々庵(とうとうあん)」に91歳恩師をお招きした。
2022/04/22~
あきる野・秋川渓谷
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青梅市:釜の淵公園の桜並木は、家内の祖父定吉翁が植えて、育てたものだ。
2022/04/23~
青梅
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あきる野市三内(さんない):明治時代の洋館をカフェにした小机邸 喫茶室・安居(あんご)を訪ねた。
2022/04/23~
あきる野・秋川渓谷
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新田義貞の敗死で一党が隠れ住んだ落人の集落・木積の龍頭寺で樹齢100年を超える見事な大ふじを見た。
2022/05/04~
銚子・九十九里・白子
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東庄町:神話時代に創建と伝わる東大社(とうだいしゃ)詣でと、雲井岬(クモイガサキ)つつじ公園見物。
2022/05/12~
銚子・九十九里・白子
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多古町:今が季節の「アジサイ寺」と称されている日本寺(にちほんじ)を訪ねた。
2022/06/09~
香取・佐原
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義民・佐倉宗吾御一代と、義侠の人・渡し守甚兵衛の名を継ぐ甚兵衛そば
2022/08/19~
成田
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4度目の正直!佐倉のコスモスは丁度良い感じの咲き方だった。
2022/10/11~
佐倉・四街道
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房総の里山に残る「関東三大檀林(だんりん)」の一つと称された「小西檀林」(昔の学僧の大学)を訪れた。
2022/10/23~
九十九里
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小江戸・佐原:観福寺(日本厄除け三大師の一つと云う)の紅葉を見て、鰻のやま川で夕食を楽しむ。
2022/11/21~
銚子・九十九里・白子
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<潮来八景>で知られた、源頼朝の創建と伝わる禅寺・長勝寺(ちょうしょうじ)も紅葉の季節だ。
2022/11/22~
潮来
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「日本遺産」になった佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音を訪ねて、今年も祈願した。
2024/12/21~
香取・佐原
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