2022/04/21 - 2022/04/21
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jijidarumaさん
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【青梅市の千ヶ瀬神社に、曽祖父理平が戦死した長男雄太郎の遺書に由って、石灯篭(いしどうろう)を奉納した話】という事は前回書いた。
本編はその続編であるが、ちょっとした発見(笑!)があったので、それを本文の先に投稿した。
≪千葉県印旛郡栄町安食(さかえまちあじき):
大鷲神社(おおわしじんじゃ)の火袋(ひふくろ)が無い石灯籠≫
2022年7月19日、栄町安食(さかえまちあじき)にお気に入りの菓子舗「春月堂」があり、名物「大鷲乃宮最中(おおわしのみやもなか)」を求めに出かけた。美味しい最中はご当地の大鷲神社(おおわしじんじゃ)の金色の大鷲を型取って創製したものだ。
「酉の市」で近在にも知られた大鷲神社には参詣した事なく、注文品が出来上がる時間を利用して、丘の上の神社に詣でた。
そして、先に曽祖父理平が村の鎮守様・千ヶ瀬神社に石灯篭を奉納した故事で<火袋が無い石灯籠>の事を既述したが、ここで何と大変驚いたのだが、<火袋が無い石灯籠>に出くわしたのだ。
家内が見つけたのは、神社の石段下に立つ一対の石灯籠で、そこには火袋が無かった。
写真は栄町安食の大鷲神社拝殿:賽銭箱に刻まれた大鷲
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<大鷲神社>
〒270-1516 千葉県印旛郡栄町安食3620
当神社の鎮座地である安食は、もとは下総国埴生郡安食村と呼ばれ、古言によると下総国(しもうさのくに)の「総」は布(麻)のことを表し、麻の縁の地であったと云う。
主祭神の天乃日鷲尊(あめのひわしのみこと)は、その子孫代々麻植の神(おえのかみ)として神功があり、麻に係わりのある当地においても祭神になっております。
文化文政の年代には鷲宮(鷲賀岡神社)と称していましたが、明治26年頃より、大鷲神社と言うようになりました。
「大鷲神社」は、江戸時代に春日局(かすがのつぼね)の崇敬が非常に厚く、乳母として養育に努めた竹千代君が徳川三代将軍家光となったとき、そのことを祝い、将軍の船の舳先に魔除けとして飾ってあった<金の大鷲>を将軍より願い受けて奉納したと云われている。現在、「大鷲神社」に宝物として保存され、出世開運の神として知られています。
なお「大鷲神社」という事で、「酉の市」、毎年12月の初酉の日から3日間開催される。
写真は栄町安食の大鷲神社:大鷲神社の鳥居と奥に石段と石灯籠大鷲神社 寺・神社・教会
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写真は栄町安食の大鷲神社のMap・・・真っすぐ上がるのが男坂で、右手を迂回する緩やかな階段が女坂だ。
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イチオシ
写真は栄町安食の大鷲神社拝殿:家内が見つけたのは、神社の石段下に立つ一対の石灯籠で、そこには火袋が無かった。・・・左手の男坂脇に立つ石灯籠は火袋があった!
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写真は栄町安食の大鷲神社拝殿:家内が見つけたのは、神社の石段下に立つ一対の石灯籠で、そこには火袋が無かった。
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写真は栄町安食の大鷲神社拝殿:小高い丘に建つ大鷲神社は男坂の急な階段を上がると、平場にあった。拝殿中央に賽銭箱があり、次の写真の大鷲が彫られていた。
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イチオシ
写真は栄町安食の大鷲神社拝殿:賽銭箱に刻まれた大鷲
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写真は栄町・安食:春月堂前の道を進むと、右手に大鷲神社が見える。
<栄町・安食:春月堂>
千葉県印旛郡栄町安食3599
電話:0476-95-0027
最寄り駅:安食駅[南口]から徒歩約8分春月堂 グルメ・レストラン
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イチオシ
大正9年創業 名物の最中で知られている。
早春は代々受け継いだ桜餅に始まり、4月~5月は栄町産コシヒカリを使った柏餅、初夏にはくず切りとフルーツゼリー、秋には焼き菓子各種、12月の安食の酉の市には名物のあんこ玉を手づくりでこしらえている。
定休日は水曜日。
写真は栄町・安食の春月堂の名物「大鷲乃宮最中(おおわしのみやもなか)」
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【青梅市の千ヶ瀬神社に、曽祖父理平が戦死した長男雄太郎の遺書に由って、石灯篭(いしどうろう)を奉納した話】という事は前回書いた。
ここから続編になる。
写真は鎮守様・千ヶ瀬神社:社殿など -
<千ヶ瀬神社のお祭りと、山車や神輿の巡行>
子供の頃の神社のお祭りは、御囃子(おはやし)の音に気分がワクワクし、
神輿(みこし)の勇壮さに目を輝かせ、大勢の引き手が綱を引っ張った山車(だし)の上でコミカルに踊るヒョットコやオカメの姿、ちょっと怖いキツネの仕草(しぐさ)も、屋台の声掛けに思わずお小遣いを握りしめて店をのぞいたといったことが思いだされてくるのだ。
つまり、この場所にはかつて記憶の中にある千ヶ瀬村の鎮守様がある。
写真は勝海舟の筆による千ヶ瀬神社の幟旗2本(後述参照) -
千ヶ瀬神社の山車や神輿は兄が思い出話で語っているが、今も旧千ヶ瀬村内の領域を巡行している。村の鎮守様の祭用の山車だから当たり前だが、千ヶ瀬神社のある千ヶ瀬2丁目を出発し、1丁目から6丁目の地域を、東から西に向かい巡行し、滝の上町にある市立美術館あたりで引き返しているそうだ。
ついでに言えば、教師だった父は祭りのような集まりに顔出しするのを好まず、村のしきたりからすれば、我が家は地域の纏め役であったから、兄が代役で出ていたと言う。
写真は千ヶ瀬神社の祭:秋季例大祭で神社拝殿前の祭景色 -
参考:2018-09-09 千ヶ瀬神社秋季例大祭(青梅市)
2018-09-09 千ヶ瀬神社秋季例大祭(青梅市) - YouTube
写真は千ヶ瀬神社の祭:秋季例大祭で神輿と山車の巡行 -
写真は千ヶ瀬神社の祭:秋季例大祭で山車とキツネ
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写真は千ヶ瀬神社の祭:秋季例大祭で山車とヒョットコ
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写真は千ヶ瀬神社の祭:秋季例大祭で神輿の巡行
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写真は千ヶ瀬神社の祭:秋季例大祭で夜景
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【青梅に残る「幕末の三舟(さんしゅう)」揮毫の神社幟旗(のぼりばた)】
≪青梅市文化財ニュース 第262号 ≫
平成21年8月15日 発行
青梅市文化財保護指導員連絡協議会
青梅市郷土博物館(青梅市駒木町 1-684 Tel:0428-23-6859)
「幕末の三舟」とは、勝 海舟(かいしゅう)、高橋泥舟(でいしゅう)、山岡鉄舟(てっしゅう)のことです。幕臣であるこの三人は江戸無血開城を実現させたと評価されて、雅号の「舟」が一致したことから「幕末の三舟」とか「維新の三舟」と称されるようになりました。
このほど、この「幕末の三舟」筆の神社幟旗が、揃って青梅市に存在することが判明しました。今までに、海舟筆と鉄舟筆の神社幟旗の存在は分かっていましたが、泥舟筆の神社幟旗も存在していたのです。
写真は晩年の勝海舟 -
①勝 海舟筆の神社幟旗
千ケ瀬町二丁目にある千ケ瀬神社の幟旗です。
海舟に依頼した経緯等については、昭和48 年12 月発行『多摩郷土研究 第44 号』平岡昌一著「勝海舟の幟と額の由来」に詳述されています。
それによると、海舟(59歳)は明治14 年9月に、海舟の幕府海軍関係の同志であった澤太郎左衛門の目黒別邸で、幟旗の書を紙に書きました。紙に書かれたのを布地に写したのが幟旗で、長さ約10m、幅約1mの大きさです。
依頼者は当時の戸長(初代村長・39歳)と、筆者の祖父であり、千ケ瀬学校初代の主席訓導(校長)であった平岡阿斗之助でした。平岡阿斗之助が澤太郎左衛門と旧知だったので、澤氏を通じて 1ヶ月前の 8 月に海舟に揮毫を依頼しました。ところが、「この暑いさなかに木綿地に書くのは骨が折れる。」と断られたのです。
そこで、両 人は 9 月 1 日まで待って、紙なら承知かと再度依頼に押しかけました。そして 9 月 5 日、今度は、海舟は大筆まで持参し、ごく気易く「神徳周邦土 (しんとくほうどをあまねし)明治十四年辛巳九月 吉祥日」、「真心歌盈豊(しんしんえいほうをうたう)当村氏子中 海舟勝安芳拝書」と揮毫し、おまけ に自ら進んで端紙か余紙へ「千箇瀬学校」と書いてくれましたとあります。
紙に書かれた海舟直筆の幟旗のための書は、現在、青梅市郷土博物館に収蔵されています。「千箇瀬学校」の書は扁額(へんがく)となって青梅市立第二中学校の校長室に今も掲げられています。
(尚、ここに書かれていないので補筆すると、その日、海舟は村長の為に、「松柏弥茂」を揮毫した。扁額は村長宅の家宝となっているそうだ)
写真は勝海舟の筆による千ヶ瀬学校の扁額 -
写真は勝海舟の筆による村長宅の家宝の横額「松柏弥茂」
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②高橋 泥舟筆の神社幟旗
成木三丁目の二本竹(にほだけ)地区にある「山神社」の幟旗です。
平成20 年にこの地区を訪問した時、かつて泥舟がこの地区に数日間滞在し、神社の幟旗 と宿泊した数軒の家の襖などに書いた書の存在を知りました。その書を見るため、同年3月の天気の良い日に再訪すると、久しぶりに蔵から出したと言って、一対の幟旗が虫干しを兼ねて、長々と庭先に横向きに干されていました。
「敬 者 道 之 根 明治三十二年九月 氏子中」 、
「信 者 徳 之 蒂 泥舟真逸高精一書」と書かれています。幟旗は各々長さ約10m、幅約1mの大きさで、重量もありそうです。墨の香が匂うかと思えるほど墨色濃く書かれていました。
古老達は「泥舟は、村の数軒の家に泊まり酒食でもてなされたので、その御礼にと幟旗と襖などに書いたと聞いている。なぜここに来たのかなどは分からない。
幟旗は、昭和25年頃までは、節分を過ぎた初申の日に行なわれる山神社の祭礼時に、長蔵寺の前に立てられたが、その後引かれた電線に架かるようになったので立てられなくなった。その時から、氏子である1 軒の家の蔵で保管されるようになった」といいます。
泥舟は1903 年に69 歳で没していますので、明治32 年(1899年)9月に旧二本竹村を訪れたのは、亡くなる 4 年前になります。
泥舟は、廃藩置県後は引退して一度も明治政府に仕官せず、書家として生涯を送ったとされています。この他に青梅市にある泥舟の書としては、御岳山の随身門に架かる「御嶽神社」と書かれた扁額と、その下書きの書がありますが、制作年や御岳山に来たのかなどは不明でした。二本竹地区の山神社の泥舟直筆 の幟旗と襖などに書かれた書は、泥舟が青梅市へ遺した確かな足跡の一つです。
写真は晩年の高橋泥舟 -
③山岡 鉄舟筆の神社幟旗
河辺町にある春日神社・八雲神社の幟旗です。
平成 6 年 4 月「河辺老壮大学郷土史研究部会」発行の『河辺郷土史資料集』によると、「鉄舟が青梅に来た明治13 年(1880年)9月に「鎮守御祭禮 明治十三年九月 氏子中 山岡鐡舟」と揮毫(きごう)したとされ、長さ11.08m、幅0.89m の大きさです。
昭和43 年までは祭日に氏子連が立てていましたが、 電線が設置されてからは、電線に架かるおそれがあるため、立てられなくなりました。桐箱に納めて河辺町三丁目にある春日神社で保管されています」とあります。
この他いくつか鉄舟の書は青梅市にあるとも聞きますが、御岳山上にあることは知られています。御嶽神社境内の玉垣内に立つ「神山霊土歌碑(しんざんれいどのかひ)」で、明治20 年2 月の建立です。題字は副島種臣(そえじまたねおみ)、反歌を添えた長歌は本居豊頴(もとおりとよかい)で、鉄舟の筆ですが、この三人がどのような縁でこの歌碑に関わったのか、また、実際に御岳山に登ってきたのかなどは不明とされています。
なお、鉄舟は泥舟の義弟という関係にあります。
・・・・・・・・・・・・・・・
写真は晩年の山岡鉄舟 -
尚、青梅市内にある記憶にある有名神社は以下のようなものだ。
①武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)
〒198-0175 東京都青梅市御岳山176
御岳山頂にある古社。山伏修験道場や農耕神としての信仰を集めた。大口真神社(おおくちまがみしゃ)があり、お犬様も祀っていることでも知られている。
ケーブルカーがあり、小学校の遠足やら、幼かった長女を連れて登った思い出がある。
写真は青梅の神社①武蔵御岳神社の拝殿武蔵御嶽神社 寺・神社・教会
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②住吉神社(すみよしじんじゃ)
〒198-0084 東京都青梅市住江町12
創建は応安2年(1369年)。青梅宿の総鎮守である。
小高い丘の上にある社殿は見事なもの。
5月の青梅大祭には山車(だし)が巡行し、青梅街道を埋め尽くす多数の露店や威勢のいい囃子で、関東でも屈指の規模を誇る。
写真は青梅の神社②住吉神社(すみよしじんじゃ)住吉神社 寺・神社・教会
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③虎柏神社(とらかしわじんじゃ)=旧称は諏訪神社(すわじんじゃ)
〒198-0004 東京都青梅市根ヶ布1丁目316
創建時期は不詳であるが崇神天皇の御代に神戸を寄進されたと伝えられ、いわゆる延喜式内社に比定される古社である。
天慶3年(940年)に六孫王・源経基が諏訪大社より諏訪上下神を勧請し、永正年間(1504年~1521年)勝沼城主、三田氏宗により再興された。
東青梅駅から徒歩20分の距離にあるが、当時8月の大祭に友達と歩いて行った思い出が残っている。毎年奉納相撲が開催され、兄の記憶では或る年に近所のNさんが優勝したと言っていた。
尚、千ヶ瀬神社の宮司は、虎柏神社などの幾つかの宮司を兼職しているそうだ。
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写真は青梅の神社③虎柏神社(旧諏訪神社)拝殿 -
イチオシ
青梅二中グランドをのぞき込んでいたら、15歳の頃のセピア色した思い出がよみがえって来た。アルバムを見ると、思いがけないスクラップを見つけた。
写真は千ヶ瀬神社:鳥居、参道と左手に見える青梅二中グランド -
写真は千ヶ瀬神社:参道の左手に見える青梅二中グランド
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写真は千ヶ瀬神社:参道の左手に見える青梅二中グランド・・・野球場や金網が見えて懐かしい。この辺りはピッチング練習をした場所だ。今はサッカー部とグランドを共有しているのだろうか?私の頃にはサッカー部は無かったのだ。
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写真は青梅二中野球部の活躍・・・当時の第9回都下中学校野球大会(毎日新聞後援)の記事のスクラップ、毎日旗を参加82校で争う。
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写真は青梅二中野球部の活躍・・・当時の毎日新聞記事のスクラップ、第1回戦は村山中学と対戦し、9回延長の上(当時7回まで)、1対0で勝った。
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写真は青梅二中野球部の活躍・・・当時の毎日新聞記事の黄ばんでしまったスクラップ、優勝候補の八王子三中を5対0、完封した。生まれて初めての新聞記者のインタビューを受けた。
村山中学に1対0、日野2中に3対1、八王子3中に5対0で勝った。私が3試合を完投し、失点1と好成績だった。 -
写真は青梅二中野球部の活躍・・・当時の毎日新聞記事の黄ばんでしまったスクラップ、優勝は三鷹1中、準優勝は調布中学でした。準々決勝で調布中学に6対0で完敗した。
この時は良く打たれた記憶が残っている。
また、対戦相手の調布中のエースが高校野球部で一緒になった。
勿論エースの座は彼のものだったが・・・2年の終わりに進学を理由に退部してしまったが、いまだに彼との付き合いがある。
当時の新聞を見ると、各中学のエース、強打者は其々強豪校に進み、練習試合や大会で顔を合わせることが多かった。因みに八王子3中のエースは私立桜美林高のエースとして活躍していた。 -
写真は青梅第二中学校:卒業アルバアム・・・運動部関係(家内はバレーボール部のキャプテンで活躍していた。私共のクラス担任であった先生方は指導者としても優秀だったので、中学対抗でたびたび優勝していた。
野球部は唯一、都下大会でベストエイトに進んだことが誇りになっている。
私は足が速かったので、競技部(陸上部)の400mリレーの助っ人に呼ばれて、都大会で走ったこともあった。 -
写真は家内の実家のお墓がある寿香寺から2泊予定のかんぽの宿青梅の建物を望む。
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(2022年7月24日Wiki/Hp参考、編集・追記)
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