2024/12/21 - 2024/12/21
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【「日本遺産」になった佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音を訪ねて、今年も祈願した。】
佐原の鰻を食べる事、荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音に祈願する事、一度も足を向けたことが無い諏訪神社を訪れる事・・・本日の目的は三つである。
2022年11月21日~22日に、千葉の佐原、茨城の潮来・神栖(かみす)を巡り、その旅行記を投稿したが、これを千葉と茨城に分離し、2つの旅行記として投稿しなおした。
千葉については今年の12月21日にまた訪れたので、22年に24年の分を重ねて一つにした。
写真は佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音は令和5年(2023年)7月14日に日本遺産に認定された。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今年の12月21日(土)、思い立ったが吉日!とばかりに佐原に向かう。
今日は久しぶりに「うなぎの長谷川」で食べる。
それから初めての諏訪神社に参詣、
さらに受験生の孫二人の為に佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音に御参りだ。
写真は佐原のMap・・・中央から左下に -
天保2年(1831年)の創業当時から鰻一筋の商いを続けている佐原の味処で、初代から連綿と受け継がれてきた自家製のタレが、店の何よりの自慢だ。
<さわらグルメマップ>で紹介されるお店・和食のトップに名がある。
電話:0478-54-3011
住所:千葉県香取市佐原イ584
アクセス:佐原駅[南口]徒歩6分
写真はうなぎ長谷川の店構え思い立ったが吉日!とばかりに佐原のウナギ料理を食べに長谷川を訪れた。 by jijidarumaさん長谷川 グルメ・レストラン
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ここ3年ばかりは長谷川に何時もフラれて、「うなぎ割烹 山田(昭和天皇も訪れたと云う」、その山田からも近い「やま川」に行くことが多かった。
今日は幸い昼時を少しずれていた所為か、空いていた。
私共はいつものように座敷は避けて、椅子席に座る。
尚、長谷川には支店があり、田園風景に囲まれた与田浦にあり、<うなぎ長谷川与田浦店>という。ここは未体験だ。
郵便番号:287-0816
住所:千葉県香取市佐原ハ5002の2
電話番号:0478-56-0633
交通アクセス:JR十二橋駅より徒歩30分
写真はうなぎ長谷川の店内・座敷 -
佐原は成田と共に鰻料理で知られているが、佐原では長谷川が地元の人に好まれているそうだ。
だが、いつの間にか、隣にあった千葉銀行の佐原支店が市内の別の場に移転して空き地になっていた。良いお得意さん(固定客)が減ったのではないかと思った。
写真は御飯少なめにした家内のうな重。 -
イチオシ
うな重、肝吸い付きは4,500円也。毎年値段が上がる!!
写真は鹿児島産のウナギだと、表示されていた。 -
この時間には私共を入れて3組のカップルが来客、私共が食事を終える頃に近所の女性親子が来店し、親し気に年輩のスタッフ(3人とも以前から務めている)と世間話をしながらうな重を楽しんでいた。
写真は私の分は少しご飯を多めに! -
うな重に満足して、長谷川を出る。佐原の町内の道は一方通行が多い。
今日も二度間違えて、一方通行の道に入り、対向車にライトをパッパと浴びせられてしまった。TVで高速などで老齢者の逆走行を見るが、私共も注意散漫になってきたようである。
いつも車だと横目に見ながら素通りしてしまうのだが、道に一時停車して、写真を撮った。
忠敬翁は日本の偉人!佐原の偉人!である。
【日本遺産(文化遺産):伊能忠敬銅像】
香取市佐原イ771(佐原公園)
台座の高さ約5.5m、像の高さ約3.3m。測量中の姿をした立派な銅像で、作者は日本近代彫刻の先駆者として著名な大熊氏広氏によるもの。
1919年に当時の佐原町有志により建立されました。
写真は伊能忠敬翁の大きな立像が公園内に立つ。伊能忠敬銅像 名所・史跡
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【諏訪神社(すわじんじゃ)】
諏訪神社は伊能忠敬翁の大きな立像のすぐそばに一の鳥居が見え、丘の上の社殿につながる表参道がある。信濃国(長野県)諏訪大社に繋がる佐原の諏訪神社は千葉県香取市佐原新宿にある。
佐原の諏訪神社は「佐原の大祭・秋祭り」で知られている。
住所:千葉県香取市佐原イ1020
電話:0478-52-4502
最寄り駅:佐原駅[南口]徒歩7分
写真は諏訪神社の一の鳥居から表参道が続く。諏訪神社 寺・神社・教会
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諏訪神社の一の鳥居からまっすぐ進むとこの急な石段(128段)がある。とてもこの階段は登るには無理だ。社殿前でお会いした60代半ばぐらいの御夫人は一人で、この階段を上り下りしてきたらしい。
私共は別の道(諏訪神社の別当寺だという荘厳寺(しょうごんじ)に向う)を車で行って、神社専用の駐車場に止め、南参道をやって来たのだ。
この写真はこの階段を下りていく御夫人を見ながら、上から撮影したものだ。
写真は諏訪神社の急な石段、上から見るとちょっと目が回る! -
写真は諏訪神社の参道・・・一段上に高い木々に囲まれた神社本殿がある。
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*天慶の乱(てんぎょうのらん:天慶2年(939年)に関東と瀬戸内海で起きた平将門(たいらのまさかど)の乱と藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱の総称)で伊予国の藤原純友を討った功績により下総大須賀荘(現成田市伊能)領主に任ぜられた大神惟季(おおみわ これすえ)は、領内の守護として信濃国諏訪大社を勧請した。その後、天正年間に領内の農民を率い佐原新宿を開発するに際して守神として勧請したものである。現在の社殿は嘉永6年に造営。
例祭:神幸祭(佐原の大祭)・・・10月第2土曜日を中日とする3日間、見事な山車が巡行する。
お祭神:建御名方神(たけみなかたのかみ)・・・大国主命の御子
(Wiki参考)。
写真は諏訪神社の由来の説明版 -
イチオシ
お祭神:建御名方神(たけみなかたのかみ)・・・大国主命(オオクニヌシのミコト)の御子。
「梁塵秘抄(りょうじんひしょう:平安時代末期の歌謡集)」に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とあるように軍神として知られ、また農耕神、狩猟神として信仰されている風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承もある。(Wiki参考)。
写真は諏訪神社の本殿 -
写真は諏訪神社の神輿(みこし)蔵内に神輿が見られた。
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写真は諏訪神社:横から見た本殿
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写真は諏訪神社:横から見た本殿
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写真は諏訪神社の本殿・・・三笠宮殿下の御手植えの木があったが。
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写真は諏訪神社:本殿には龍の彫り物が重々しく。
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写真は諏訪神社の駐車場(左手一段下)から行く南参道にも鳥居が立つ。
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【荘厳寺(しょうごんじ)の観音堂】
佐原駅の南西、約700mの高台に所在する荘厳寺は諏訪神社の別当寺だそうだ。
この観音堂に鎮座する、高さ3.25mの欅(けやき)の一本造り漆箔押しの十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像は藤原初期の仏工春日の作とされる。
(国指定重文)
参考写真は荘厳寺:観音堂 -
イチオシ
『日本遺産 北総四都市江戸紀行 ~江戸を感じる北総の町並み~』
荘厳寺の寺伝によれば、寛永18年(1641年)の創建と伝えられ、以前は北横宿にあったが、昭和26年(1951)に現在の位置に移転した。
本堂には、不動明王が安置されており、明治の初年、新潟県蒲原郡菅谷村から勧請したことから、「菅谷不動(すがたにふどう)」とも呼ばれる。
また、同寺所蔵の国指定重要文化財「木造十一面観音立像」は、9世紀末から10世紀はじめ頃(平安時代)の作と考えられ、元は香取神宮の神宮寺であった金剛宝寺の本尊仏であったが、1868年(明治初年)の神仏分離により廃寺となった際、同寺へ移された。
現在本堂裏手の観音堂に安置されている。
写真は国指定重要文化財「木造十一面観音立像」は昭和34年6月27日、国の重要文化財(彫刻)に指定、令和5年(2023年)7月14日に日本遺産に認定された。 -
この日は荘厳寺のご住職が他行にてご不在だったが、ご友人の方(たまたま御名前をうかがうとdarumaと同姓だった!)に観音堂の扉を開けて頂き、無事に堂内にて孫たちの事を祈願した。また、同姓の所為か、大変ご親切にして頂き、孫用の説明書やお守り袋も頂戴する事が出来た。
御利益(ごりやく)、御利益である。
写真は国指定重要文化財「木造十一面観音立像」 -
【日本遺産(にほんいさん、Japan Heritage)】
日本遺産は、文化庁が認定した、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーである。各地域の魅力溢れる有形・無形の文化財群を、地域が主体となって整備活用し、国内外へ発信することで地域活性化を図ることを目的とした、日本の文化遺産保護制度の一つである。
2017年10月11日、「日本遺産フォローアップ委員会」が設置された。
その目的は、認定された日本遺産が各地域での取り組み状況に差が出てきており、どのような状況になっているのかを検証し、改善をはかる必要があるためと文化庁は説明している。
No.23 2016年4月25日
「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」 - 佐倉・成田・佐原・銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群
佐倉城跡、佐倉の武家屋敷群、城下町佐倉の町並み、佐倉道(成田街道)道標、旧佐倉順天堂・佐藤尚中誕生地、旧堀田家住宅・旧堀田正倫庭園、堀田正俊・正睦・正倫墓、鹿山文庫関係資料、城下町佐倉の祭礼、古今佐倉真佐子および総州佐倉御城府内之図、土井利勝父母夫人供養塔、
成田山新勝寺、成田山門前の町並み(成田の商業用具、大野屋旅館、三橋薬局店舗等)、宗吾霊堂、成田祇園祭、
佐原重要伝統的建造物群保存地区、佐原の山車行事、伊能忠敬記念館(伊能忠敬関係資料)、伊能忠敬旧宅、香取神宮、観福寺(銅造十一面観音坐像・地蔵菩薩坐像・薬師如来坐像・釈迦如来坐像・伊能忠敬墓)、
津宮河岸、銚子外川の町並み、銚子縮、銚子大漁節、西廣家住宅、磯角商店、銚子の醤油醸造、銚子の磯巡り(妙見様、飯沼観音、犬吠埼白亜紀浅海堆積物、千騎ケ岩、犬岩、屏風ケ浦)、
加賀清水、武術立身流、紫裾濃胴丸、香取神道流(天真正伝香取神道流始祖飯篠長威斎墓・武術天真正伝香取神道流・天真正伝香取神道流道場)、初代松本幸四郎墓、大杉神社、外川ミニ郷土資料館、銚子ちぢみ伝統工芸館、萬祝式大漁旗、小澤染工場額賀屋染工場、旧西廣家住宅(治郎吉主屋・缶詰工場・北倉・南倉・煉瓦塀)、〆粕及び干鰯製造関係資料・漁業の道具
(Wiki抜粋)
写真は荘厳寺の「木造十一面観音立像」は令和5年(2023年)7月14日に日本遺産に認定されたが、まだWikiには反映していない。 -
1868年(明治元年)に明治政府が神仏習合(しんぶつしゅうごう)を禁じて神道を国教とする神仏分離令(しんぶつぶんりれい)を発令し、1870年に神道を国民教化する大教宣布の詔(しょう/みことのり)を発令した。
神仏分離令により廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の動きが全国に渡り影響をあたえた。「廃仏」は仏法を廃し、「毀釈」は釈迦(仏教の開祖)の教えを棄却するという意味)で、この佐原地方も大きな影響をうけた。
この為、「木造十一面観音立像」も香取神宮の神宮寺であった金剛宝寺の本尊仏であったが、野晒しにされていた(路傍にうち捨てられた)と云う。
写真は荘厳寺の「木造十一面観音立像」は一度は捨てられたが、心ある人に救われたと云うエピソードがある縁起の良い仏なのだ。 -
写真はお不動様(成田山、荘厳寺・・・防火の神)の掛け軸が「木造十一面観音立像」を守るように堂内にあった。
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写真は荘厳寺の観音堂前に「木造十一面観音立像」が令和5年(2023年)7月14日に日本遺産に認定されたという説明版が新たに設置されていた。
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写真は荘厳寺の観音堂前の新しい説明版と共に。
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参考写真は荘厳寺:木造十一面観音立像のお顔(拡大)
以下の写真とコメントは
2022年11月21日~22日当時の旅行記(投稿した記述は詳しい)をそのまま残している。 -
【佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音とみしるし不動を訪ねた】
<千葉県香取市佐原の荘厳寺(しょうごんじ)>
〒287-0003 千葉県香取市佐原イ1110
Tel:0478-54-3722
http://www.syougonji-fudouson.jp/
荘厳寺は真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺である。
寛永18年(1641年)創建と伝っているが、境内にはそれよりも古い、室町時代、永禄年間の板碑が残っている。
本堂裏手にある収蔵庫には欅(けやき)の一木造(いちぼくづくり)の国指定文化財の十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像が安置されている。
また、荘厳寺は日本三不動の一つ「菅谷不動尊(すがやふどうそん)」を祀っている。昭和26年(1951年)に現在地に遷座(せんざ)し、平成二十七年度には菅谷不動大尊像(みしるし不動尊)を新たに本堂にお迎えした。
その経緯は後述した。
水郷(すいごう)を一望できる諏訪の高台にあり、寺域は約一町歩を有し、境内の一部は佐原公園と称する。初春には桜の花が咲き乱れ、お花見の名所でもある。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺(しょうごんじ):菅谷不動尊(みしるし不動尊)の山門 -
荘厳寺の境内に入ると、石塔や石仏(13仏:死後、初七日から三十三回忌までの忌日を司る13尊の仏様)がたくさんある。
大小様々な石塔は山門近い、右手にある庚申塔(こうしんとう:庚申塚(こうしんづか)とも言うが、中国より伝来した道教に由来する*庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと)である。
*庚申信仰では、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。(Wiki)
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:庚申塔 -
荘厳寺・みしるし不動尊の本堂は小さなお寺だ。右奥に国の重要文化財である十一面観音の収蔵庫がある。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:菅谷不動尊(みしるし不動尊) -
荘厳寺の寺域、奥まった国の重要文化財である十一面観音の収蔵庫傍に、代々のご住職の墓が並んでいた。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:代々のご住職の墓 -
本堂裏手にある収蔵庫には欅(けやき)の一木造(いちぼくづくり)の国指定重要文化財の十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像がある。
のぞいてみるが、当然なことだが鍵がかかり、入る事が出来ない。やむなく、
寺域を散策しながら、本堂に近づいていくと、本堂内は何やら檀家の人達の集まりの様子だ。
先のみしるし不動尊が見えるかと、堂内をのぞいていると、それを察した若いご住職が出てきて、「十一面観音でしたら、今鍵も持ってきますから、ご案内しますよ」と言ってくれた。
ご親切な事ゆえ、それに甘えて、拝見させて頂いた。
拝見後、少額の寄進をすると、ご住職は観音前に置かれた説明書を下さり、更に「宜しければ、お守りをお取りください」とおっしゃった。お言葉に2つのお守りを頂戴し、一つは長女宅の孫娘が受験期でもあり、そのお守りにすることにした。
本堂内のみしるし不動尊を見る事が出来なかったから、春の桜の時期にまた参詣にきたいものだ。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:国の重要文化財である十一面観音の立像由来の碑が収蔵庫前に立つ。 -
イチオシ
今まで見たことが無い、見事な欅(けやき)の一木造(いちぼくづくり)の十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像には驚いた。
国の重要文化財になったほどの観音様が、野晒しにされていたとはじつに信じがたいものだが、よくまー残ったものだ。
イメージしたようには頭上の十一面は完璧なお姿ではなかったが、欅(けやき)の一木造(いちぼくづくり)の素朴さがまた良い。
<荘厳寺の十一面観世音菩薩>
荘厳寺の十一面観世音菩薩は、元々は香取神宮の別当寺である金剛寳寺(神宮寺)のご本尊様でした。造られたのは平安中期、藤原時代初期とされており、仏師は春日と伝えられているが、こちらははっきりしていない。
元禄十三年(1700年)に徳川五代将軍綱吉公の命により、香取神宮造営がなされましたが、その折り、金剛寳寺のご本尊も解体修理されたことが、昭和三十五年(1960年)の修理の際、胎内の銘によって判っている。
その時の仏師・今井左近は京都の人でしたが、修理の間佐原に滞在し、この地がすっかり気に入り、修理が終わってからも佐原に住みつき、近隣寺院の仏像を製作したり修理したりして生涯を終えられたと云う。
現在でもそのご子孫がおられるという。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:野晒しにされていた、国の重要文化財である十一面観音の正面 -
この十一面観音は身丈3m25cm、総丈4mの欅の一木づくりで、豊かなお顔、太く長い腕、指、特に翻波(ほんぱ)式といわれる腰衣の襞(ひだ)の彫りが平安仏の特長をよく現わしており、胴が細く全体に素朴な造りは、関西地方の貞観(じょうがん)時代の造りが関東に及ぼすに至る時間的な流れを感じさせると云われている。
明治時代初期、神仏分離令が行われ、神社などによる廃仏棄釈(はいぶつきしゃく:仏を廃し、釈を棄てる)の風が盛んとなって、香取神宮などに接していた神宮寺の多くが取り壊され焼かれた。香取神宮に接していた金剛寳寺も同じ運命に遭い、堂塔伽藍は壊され、なかにあった仏像や仏具の全てが外に投げ出され、野晒しにされてしまったと云う。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:野晒しにされていた、国の重要文化財である十一面観音の右手から見た像 -
この十一面観音も、畑に棄てられ野晒しにされていたものを、町内(まちうち)の篤信家、大和屋・佐藤氏のご先祖・佐藤要助氏が譲り受け、荘厳寺にご寄贈くださったものである。
この十一面観音に化仏(けぶつ=頭上の十一面)や蓮華が無く、天衣(てんね)の一部が欠落し、瓔珞(ようらく:仏の装身具)が少ないのもそのためである。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:野晒しにされていた、国の重要文化財である十一面観音の左手から見た像 -
十一面観音の蓮台(れんだい:蓮華の形に作った仏像の台座)と舟形光背(ふながたこうはい:船首を上にして舟を縦に立てた形に似るもの)は、江戸時代のもので、元禄十三年(1700年)の解体修理に新しくされたときのものではないかと思われる。
舟形光背の頂きは多宝塔(宝塔の円形塔身に屋蓋と方形の裳階を付した塔)を表わし、周囲の文字は、梵語(ぼんご=インドの古い言葉・サンスクリット)の"キャ"という文字で、十一面観音のご真言『オン マカキャロニキャ ソワカ』のキャであります。
ご真言の意味は『大悲尊に帰依したてまつる、供養したてまつる』であります。(この文字を種字と申します。この種字はどの仏様もそれぞれ必ず持っており、その仏様を一文字で表わすイニシャルの役目をしております)。
この十一面観音は、昭和三十五年(1960年)に国の重要文化財に指定され、その際、解体修理が行われた。
さらに平成元年(1989年)には、永年にわたる寺院・壇信徒の国への収蔵庫建設の請願の末、ようやく、国・県・市の援助のもとに現在の収蔵庫が完成した。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:国の重要文化財である十一面観音の説明書(表紙)から
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参考写真は小江戸・佐原の観福寺:十一面観音坐像・・・弘安5年(1282年)に仏師蓮願によって製作されたものである。(前述の荘厳寺の重要文化財である十一面観音の方が古い)
慶派風(運慶が属する仏師集団はその多くが名前に「慶」の字を用いるところから「慶派」と呼ばれ、奈良興福寺を拠点に活動していた)の写実を基調とした堅実な様式で、優れた作風の金銅仏である。
銅造十一面観音坐像の銘文には、弘安の役(弘安4年(1281年)の際、元軍の退散を願ったことを示す、有名な「異国降伏」の銘が見られるそうだ。観福寺 寺・神社・教会
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【新発田の菅谷不動(すがたにふどう)信仰と佐原の「みしるし不動尊」】
この日は本堂内で集まりがあり、中に入る事が出来ず、みしるし不動尊を拝見できなかった。
だが、親切なご住職はその事を気の毒に思ったようで、わざわざ外に出てきて釈明された。そして前述したように本堂裏にある宝物庫(収蔵庫)の鍵を持ちだし、厳重な扉を開錠し、庫内に立つ、見事な十一面観音を説明付きで、見せてくれた。
従い、ここでは以下の2枚の「みしるし不動尊」の写真を荘厳寺のHPから借用した。
さて、新潟県新発田市の菅谷不動(すがたにふどう)信仰が、佐原の「みしるし不動尊」として御分容(分身=本家から分家となる)された経緯は、長くなるが以下のようなものだった。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:菅谷不動尊(みしるし不動尊)の説明版 -
<菅谷寺(かんこくじ)の菅谷不動尊(すがたにふどうそん)>
〒959-2511新潟県新発田市菅谷860
Tel:0254-29-2022
菅谷寺(かんこくじ)は真言宗醍醐派(しんごんしゅうだいごは)の寺。
菅谷不動尊は成田不動尊と共に、日本三不動の一つと数えられている。元々はインド伝来の不動尊で、伝教大師最澄が唐から請来(しょうらい)し、比叡山延暦寺の不動堂に安置されていたものである。
平治元年(1159年)源義朝の末弟「慈應護念上人(じけいごねんしょうにん)」はその不動堂にこもって専心修行していたが、平治の乱によって兄義朝が討たれ、その子等も六条河原で処刑、また伊豆に流され、さらに残党狩りのため不動堂の護念上人も襲われたが、運よく谷底に閼伽水(あかみず:仏に供える水)を汲みに行っていたために難を逃れた。帰ってみると、堂内は荒らされ、御本尊様は横倒しになっていたため、自分が追われていることを知った上人は、日頃信心していた不動明王と別れがたく、そのお頭(おかしら)を笈(おい:仏具・服・食器等を収めて背に負う箱)に納めて比叡を下り廻国行脚の旅に出た。
それから二十六年、源氏によって平家が滅ぼされた丈治元年(1185年)、越後の国蒲原郡の菅谷の村を歩いていた護念上人は、急に背中のお不動様が重く感じ、道のそばにあった松の枝に笈を掛け、その下で休んでいたが、いつの間にかうとうとと眠ってしまった。 すると、夢の中にお不動様が現れ、「われここにぞ止まるべし」と仰せになった。驚いて目を覚ました上人は枝にかけた笈に合掌しこの地に不動尊をまつろうと決心し草庵を造りお不動様を安置した。
これが現在新発田市菅谷にある菅谷寺(かんこくじ)・菅谷不動尊(すがたにふどうそん)の開基である。頼朝が幕府を聞く七年前のことであった。
参考写真は小江戸・佐原の荘厳寺:菅谷不動大尊像(みしるし不動尊) -
イチオシ
建久三年(1192年)、頼朝は征夷大将軍となり、文字通り源氏の頭領となったが、それから三年後の建久六年(1195年)、十月十一日、越後の国菅谷から護念上人が鎌倉へ上って来た。 そして、頼朝と対面した。頼朝は叔父の護念上人と知り、大喜びで対面したと云われる。
護念上人滞在四日目の十五日、頼朝公の姫君「大姫(おおひめ)」が体調を崩され、寝食常でなく、床に臥せっていた。 そこで頼朝公の仰せによって護念上人が御祈祷申し上げると、たちまち大姫は恢復した。
頼朝公はことのほか喜んで、仏法興隆のために何かしてあげられるものはないか、あるいは不動尊のために荘園をご寄贈したいが、といいますと、上人は、いや、私ごとき凡愚にはもったいないこと、といって辞退した。
その月の二十八日、護念上人は、都は賑やかすぎて私にはふさわしからず、と言って越後の国へ帰っていった。 これらのことは吾妻鏡の第十五巻建久六年十月の条に記されている。
その後、菅谷不動尊は落雷によって伽藍が焼失するが、その時、里のタニシが本尊のお頭を守り無事であったために、「タニシ不動」と呼ばれるようになった。 三代将軍実朝(さねとも)は、かねてから父の話を聞いていたので、父の果たせなかった恩を返すべく伽藍を再建した。 このことも吾妻鏡に載せられている。
時は移り、明治の初め、廢佛毀釋(はいぶつきしゃく:仏教を廃する事)の運動が激しく、仏教は大きな痛手をこうむった。 各宗派は再興を願い仏教興隆のために活発に動いた。新潟の菅谷不動尊でも各地の出開帳を盛んにおこなった。佐原の北横宿の大和屋の主人・佐藤要助氏は、新潟県の出身ということもあって、菅谷不動尊の出開帳を依頼した。 そこで、荘厳寺への出開帳が実現し、菅谷寺から菅谷栄正という僧侶が来て境内で柴燈護摩(さいとうごま:大地に炉を作り、薪を組みあげて柴をたき、交通安全、病気平癒、商売繁昌、厄災消除等を祈念する。 また古いお札やお守をおはやしする)が修行され火渡りの行が行われた。
これを見た佐原の人たちは大いに驚き、近郷近在へと喧伝(けんでん:しきりに言いふらす)された。この時の火渡りは何度も行われ、信者数千人が集まったと云われる。
そこで、佐原にも菅谷不動堂を建立し永く信仰しようではないかとの発案があり、佐藤要助氏が中心となって町の名士や名家、商店、信者に声をかけ、寄付を募った。一方、越後の菅谷寺から御分容(分身=本家から分家となる)の許しをいただき、新寺建立のための千葉県知事の許可を取るなど様々な苦労の末、ようやく佐原の菅谷不動堂(「みしるし不動尊」)の建立にこぎつけた。
明治十八年(1885年)十一月十八日、ようやく菅谷寺山岸経應上人が御分容を護持し、利根川を下って佐原に至り、この不動堂にご本尊様を安置し、多くの信者の夢がここにかなったのであった。
荘厳寺は昭和二十年(1945年)、第二十六世順職が戦病死した後、近隣の寺院住職の兼務寺となっておりましたが、昭和二十六年(1951年)多古町本三倉・西徳寺・遠藤宥喜師によって諏訪山上の現在地に移されました。
その後無住の時代が続き、菅谷不動信仰も衰えました。
昭和四十七年(1972年)、第二十八世・量識が住職となり、菅谷不動尊の行事が復活されましたが、長年の空白を埋めることはたやすいことではありませんでした。
平成二十四年(2012年)一月、夢に大尊像造立のお告げを受け、以来それを悲願としておりましたが、平成二十七(2015年)年五月ついに大尊像を完成することができました。同年六月二十八日、大尊像開眼法要を行い、多くの人のために御利益を授かるよう、あらためて「みしるし不動尊」と名付けた。
「みしるし」とは、一つには「み首」、二つには「み標」、三つには「み験」の意味で、人生の目標を掲げて努力している人たち、頑張っている人たち、それでもなかなか努力が報われない人たちのために、影となり日向となって守護してくださる不動尊として、あらたかな霊験をお授けくださるようにとの願いを込めたものである。
参考写真は小江戸・佐原の荘厳寺:菅谷不動大尊像(みしるし不動尊)拡大
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参考:
以下の4枚の写真は佐原の荘厳寺にある菅谷不動大尊像(みしるし不動尊)にとって、本来のご本尊、つまり新潟県新発田市にある本家・菅谷寺・菅谷不動尊の紹介として借用した。
菅谷寺(かんこくじ)は真言宗醍醐派(しんごんしゅうだいごは)の寺。
菅谷不動尊は成田不動尊と共に、日本三不動の一つと数えられている。元々はインド伝来の不動尊で、伝教大師最澄が唐から請来(しょうらい)し、比叡山延暦寺の不動堂に安置されていたものである。
楼門(山門)は江戸時代末期(慶應2年・1866年)に造営されたもので、入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚楼門、素木仕上、上層部には花頭窓、高欄付、下層部には仁王像が安置され精緻な彫刻が施されている。
(新発田市指定文化財)
参考写真は新潟県新発田市にある本家・菅谷寺・菅谷不動尊の楼門(山門) -
本堂は江戸時代中期(明和7年・1770年)に4代目板垣伊兵衛が棟梁として造営したもので、木造平屋建、入母屋、銅板葺、桁行5間、梁間5間、正面向拝3間軒唐破風付、当時の御堂建築の遺構として貴重な存在となっている。
(新発田市指定文化財)
本尊は酉年と卯年の御開帳以外は秘仏とされている。
参考写真は新潟県新発田市・菅谷寺・菅谷不動尊:本堂 -
菅谷不動尊は文治元年(1185年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝の叔父である護念上人が比叡山無動寺から不動明王を勧請し創建しました。この由来により開山堂では護念上人が祭られている。宝形造、桟瓦葺。
参考写真は新潟県新発田市・菅谷寺・菅谷不動尊:護念上人が祭られている開山堂 -
<伝説:「みたらせの滝」に住むタニシの守護により本尊(不動明王)は守られた>
菅谷寺(かんこくじ)は建長5年(1253年)の火災により悉く焼失、その際、本尊の不動尊は「田螺(たにし)」に境内の「みたらせ滝」の滝壺まで導かれ無事だった事から、現在でも滝壺には田螺が奉納され(信者や参拝者が田螺を放流)ていると云う。
タニシの池にある滝不動に水をかけると願いがかなうとされ、多くの人に信心されている。その水は眼病にも良い霊水として、古くから言い伝えられているそうだ。
参考写真は新潟県新発田市・菅谷寺・菅谷不動尊:滝不動と水かけの願(タニシの池)
・・・・・ -
参拝を終えて、佐原公園の展望台まで行ってみた。数mの展望台からは佐原の街並みが樹木の間に見える。
写真は小江戸・佐原の荘厳寺:佐原公園の展望台から望む佐原の街並み。
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14時半、そろそろ帰宅の時間だ。
1泊2日の短い小旅行だったけど、思わぬ収穫があった。
其々の季節にまた訪れたいものだ。
(2022年12月9日Wiki/Hp参考、編集・追記)佐原公園 公園・植物園
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