2017/11/26 - 2017/11/27
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jijidarumaさん
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2017年11月26日、松山庭園美術館から、まだ日の落ちるまで時間があると、旭市の防災資料館に向かった。
2011年3月11日の東日本大震災で、千葉県旭市が大きな被害を受けた事は意外に知られていない。
国道126号線は少々混んでいたが、浜辺に立つ資料館に着いてみると、誰も見かけない。駐車場はいいおか潮騒ホテルと兼用している様子で、広いものの駐車中のものはホテル客の車ばかりだった。
資料館の窓から中を見ると、電気もついている。
ドアを開けていると、責任者の方が招じ入れてくれた。
写真はかんぽの宿 旭:東日本大震災当時、大津波襲来の様子(海上自衛隊館山航空基地提供)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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【日本の小旅行⑥のC:2011年3月11日の東日本大震災で、千葉県旭市が大きな被害を受けた事は意外に知られていない】
2011年3月11日に発生した東日本大震災(地震)と、それに伴って発生した津波は東日本各地に甚大な被害を与えた。
当時、我が市も震度6弱でしたが、私共は台湾旅行に行っていたため、当日の状況はホテルのTVや現地の新聞を見て、その凄まじさに驚いていました。
急遽帰宅の必要があるか?近所に住む次女に国際電話をかけて家の状況を見てもらった。
幸いにもファックスの機器が机から落ちて、コードを取り換えた事、それに2階の書棚からアルバムや書類が落ちて散乱したぐらいで、大きな被害はなかった。
<旭市防災資料館>
旭市萩園1437(いいおか潮騒ホテル東側 隣接)・月曜休館
http://www.city.asahi.lg.jp/kanko/002_11.html
この日、千葉県九十九里の沿岸も地震発生の3時間後、三度にわたり津波が押し寄せて、旭市一帯に大きな被害を出していた。
旭市防災資料館の展示によれば、震度5強、死者14名、行方不明者2名、住宅の被害は3827世帯という甚大な被害である。
資料館の写真でも、海抜高さ7.6mの大津波が旭・飯岡地区に襲いかかり建物や車を次々と破壊してしまった様子が見られた。
陸上への浸水が地上2.1mに達し、住宅・店舗・工場・役所などに大きな被害をもたらしたとある。
写真は旭市防災資料館(右)といいおか潮騒ホテル飯岡温泉 いいおか潮騒ホテル 宿・ホテル
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写真は東日本大震災当時、旭市3月12日~20日の様子・・・自衛隊の災害活動も行われた。
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旭市防災資料館は旭市に甚大な被害をもたらした東日本大震災の記憶を後世へと伝えるべく、また、悲劇を繰り返さぬよう防災の知識を学習する為、2014年7月19日に開館したそうである。
ここの展示室の写真やDVD「被災地あさひ ―被災から復旧、そして復興へ 2011.3.11の記録(21分の上映時間)」も大いに参考となるものだった。
他市の子供たちも校外学習に訪れると云うから、大事な役目を果たしているようだ。
資料館の屋上は津波緊急避難施設でもあり、緊急時には外階段から屋上に避難することができるとか。地上約11mの高さで、約600名を収容できる。
写真は旭市防災資料館・地上約11mの避難塔 -
写真は東日本大震災当時、旭市防災資料館:JA共済の時計が津波来襲時を指す
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写真は旭市防災資料館の写真展示:東日本大震災当時、旭市に大津波が来襲した様子
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イチオシ
写真は旭市防災資料館の写真展示:東日本大震災当時、旭市に大津波が来襲した様子
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写真は東日本大震災当時、旭市津波襲来:第一波
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写真は東日本大震災当時、旭市津波襲来:第二波
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写真は東日本大震災当時、旭市津波襲来:第三波
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写真は旭市防災資料館傍の一帯は改修されていた。
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イチオシ
写真は刑部岬(ぎょうぶみさき)を旭市防災資料館傍の記念碑から望む
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写真は旭市防災資料館傍:九十九里の海原は今穏やかに見える。
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写真は東日本大震災当時、旭市津波襲来:旭市防災資料館傍に立つ震災記念碑・・・当時の大津波で受けた罹災状況も詳しく書かれていた。
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写真はかんぽの宿旭・Map
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11月26日(日)は「かんぽの宿 旭」に一泊した。
<かんぽの宿 旭> 0479-63-2161
尚、2022年7月1日より経営者が変わった。
亀の井ホテル 九十九里
住所:〒289-2525 千葉県旭市仁玉2280-1
和室43+洋室18室=全51室がオーシャンビューという事でした。
6階和室8畳からの海の眺めは只々海が見え、左手遠くに刑部岬、右に九十九里の浜が長々と見える。
Web直前予約であったが、行ってみると、満室というから驚きだ。
私共は別に風呂目当てではないが、10Fに展望風呂、1Fには大浴場があり、風呂好きの同年配の老人夫婦も多く、かんぽの宿らしい。
海風は強く、車のドアの開閉にも気を使ったものだ。
写真は復興なった「かんぽの宿 旭」:現在の様子亀の井ホテル 九十九里 宿・ホテル
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震災ではすごい写真(前頁)を旭市防災資料館で見た。当時1階部分が被害にあったそうだが、そんな感じはもう残っていない。
ただ、地震の所為か、部屋の一部の畳が凹む場所があった。部屋のフスマの汚れにも気付いてしまった。
しかも朝食後にチェックアウトをしてから、ホテルのショップでお土産を買おうとすると、チェックアウト後はクレジットカードの使用ができないと店員に言われた。このシステムが理解できないまま、買物はやめてしまった。宿泊客以外の買物も現金だけなのか、今時と思ったが・・・。
ともあれ、海のかんぽの宿だけあって、お魚料理は美味しかった。
・・・・・
写真はかんぽの宿旭・部屋 -
写真はかんぽの宿 旭:ベランダからの眺めた九十九里の浜
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写真はかんぽの宿 旭:ベランダからの眺めた九十九里の浜
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写真はかんぽの宿 旭:ベランダからの眺めた刑部岬(ぎょうぶみさき)
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写真はかんぽの宿 旭:東日本大震災当時、大津波襲来の様子(海上自衛隊館山航空基地提供)
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11月27日(月)はゆっくり12時まで「かんぽの宿 旭」で過ごした。
今日の予定は①宿から遠望した刑部岬、②飯岡助五郎の墓、③笹川繁蔵の首塚である。
写真は東日本大震災当時、旭市津波襲来:2011年旭・飯岡地区の震災時、大津波で飯岡漁港はこんな風になった飯岡漁港・いいおかみなと公園 名所・史跡
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旭市飯岡という町はかつて飯岡町といい、学生時代には選挙のアルバイトで、この地を訪れたことがあったが、それからもう50年も経っている。
この飯岡には「天保水滸伝に登場する笹川繁蔵と飯岡助五郎」の墓や碑が残っている。
また、飯岡には助五郎の子分だったと云う「座頭市」の住居跡の碑もあり、前述した映画の座頭市物語(原作者子母澤寛)の碑も旭市防災資料館傍にあるから、意外と面白い町なのである。
写真は刑部岬(ぎょうぶみさき)からの展望 -
<刑部岬(ぎょうぶみさき)>
刑部岬は千葉県旭市上永井にある岬で、眺望がすこぶる良い。
岬には飯岡灯台が設置されて、写真好きには絶好の場所のようだ。
この岬は銚子市の犬岩からずっと切り立った断崖を形成している屏風ヶ浦(びょうぶがうら)の南端になる。その断崖はさすがにここからは見られないが、ともあれ岬の高さは65m、ここから見える一帯は大津波の来襲で傷みつけられた飯岡漁港やその先に見える旭市防災資料館、かんぽの宿 旭、そして九十九里浜が弓状に連なり、太東崎まで66kmの砂浜が続いているのである。
写真は刑部岬(ぎょうぶみさき)の展望台パノラマ:中央は飯岡漁港刑部岬 自然・景勝地
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イチオシ
岬の周辺は上永井公園と称する。飯岡灯台や「飯岡刑部岬展望館~光と風~(平成13年3月オープン)」があり、展望館に上がってみた。上々の天気ながら、風は強い。それでも寒さを感じるほどではなかった。
前述したごとく眺望がすこぶる良い。望遠鏡で覗いてみると、驚くほど近くに見え、丁度漁を終えて帰港する数隻の漁船が港内に入ってくるのが見えた。よく見ると魚釣りの客船のようだ。
展望館の傍に漁港を望んで「あしたのジョー」の石像があった。防災資料館の傍にも同じものがあったが、作者のちばてつやが飯岡に在住していた時期があったそうだ。その先の北総台地には風力発電の大きなプロペラが回っているのが見える。
・・・・・
写真は刑部岬からの展望:飯岡漁港に今日も漁船数隻が帰港してきた。かつての災害時を忘れてしまったかのような景観がある。 -
写真は屏風ヶ浦(びょうぶがうら)と刑部岬(ぎょうぶみさき)の説明看板
(2022年7月2日Wiki・HP参考、編集・追記)
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