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モッサンさんのトラベラーページ

モッサンさんのクチコミ(4ページ)全260件

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  • 海外から逆に注目を浴びた建造物

    投稿日 2014年09月14日

    梅田スカイビル 空中庭園展望台 キタ(大阪駅・梅田)

    総合評価:4.0

    この建物が建造されたのは1993年であり、最近の建物というわけではないが、2008年に英紙タイムズにより世界を代表する20の建造物として紹介され、観光ガイド本(ロンリープラネット)でも「未来の凱旋門」として取り上げたことから多くの海外からの観光客でも賑わっている。同ビルは新梅田シティ内にある地上40階建ての超高層ビルで、東棟と西棟の2棟からなり、その頂部を連結する形で円形の空中庭園展望台が設置されている。一般観光客はシースルーエレベーターで3階から35階まで上がり、中継フロアの35階から39階まではシースルーエスカレータであがるようになっている。シースルーとはいえ実際はまわりの鉄骨がじゃまであまり眺めはよいものではない。エスカレータ内はアーチ状になっていて、昔見たNHKのテレビドラマ「タイムトンネル」をちょっと思い出す。足元が本当にシースルーだとちょっと恐ろしいだろうなと思う。39階にチケットカウンターがあり、ここで庭園への入場券を買うようになっている。40階の空中庭園は高さ173メートルに位置し、屋上を吹く風を感じつつ360度の景色を見渡すことができ、ここからの眺めは日本の夕日百選、日本の夜景100選にも選ばれている。ただし屋上に庭のような植物等があるわけではない。なお超高層ビルの展望台が屋上に設置されているのは珍しいのだそうで、いろんな意味でこの建物の奇抜さに驚かされるが、設計者の原広司氏は京都駅ビル(1997年)の設計者でもある。同ビルは大阪駅から見えるだけに近いようで結構遠い。事前にアクセスを十分確認しておいた方が無難である。入場料大人700円、休館日なし。

    旅行時期
    2014年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    事前によく行き方を確認しておかないと遠回りしかねない
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 名水100選に選ばれながら飲めないなんて

    投稿日 2014年04月10日

    磯清水 天橋立・宮津

    総合評価:3.5

    この井戸は天橋立の中にあり、文殊地区側から廻旋橋を渡って行った方が近い。天橋立の中では最も広い場所にある天橋立神社の境内に位置する。天橋立は宮津湾と阿蘇海(内海、海跡湖)を仕切ったようになっており、阿蘇海には野田川が流れ込んでいて、廻旋橋のある文殊地区側で宮津湾と繋がっているため塩分濃度は外海の2/3程度らしい。いずれにしても回りが海に囲まれているのに真水が湧くことで昔から有名で、長寿の霊泉と言われ1985年には環境庁が認定する名水100選に選ばれている。認定当時はこの水を求めて行列を成したらしいが、井戸の脇の説明には手水に使用し飲まないようにとあるから吃驚させられる。後で調べて見たら環境省の平成名水100選のリストに記載はなく、驚いたことに同記載サイトの注書きに「選定された名水は飲用に適することを保証するものではありませんので、飲用に供される場合は、その名水が所在する自治体にご確認ください」とあり、名水ってなんなのといいたくなる。何故真水が湧くのかについては、天橋立が砂嘴の形成において砂礫層と砂層が幾重にも重なって出来ており、雨によりその層に溜まった水は井戸を掘ると容易に集められるはずであり、海水は真水より比重が高いため真水の下に潜り込んでおり、掘られた井戸が浅ければ真水が出、深ければ海水が出るはずというものである。

    旅行時期
    2013年03月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 清水寺に行くなら是非胎内めぐりの体験も

    投稿日 2014年08月20日

    清水寺 東山・祇園・北白川

    総合評価:4.0

    清水寺の仁王門から階段を登っていくと正面に見えてくる白い御堂が随求堂である。もともと清水寺の塔頭の一つ慈心院の本堂に当たる建物で1718年に再建されたものである。随求堂は胎内めぐりが有名であるが、昔からあったのか気になって調べてみると2000年から始められた比較的新しいものだった。随求堂の本尊は大随求菩薩であり秘仏とされているため通常一般公開されていないが、このお堂の地下を大随求菩薩の胎内に見立て、全長約38mほどの地下の暗闇の中を歩くものである。御堂の地下に続く階段をおり、順路の左側の壁に巡らされた太い数珠を手放さないように進んで行くと(係員からくれぐれも左手をはなさぬよう注意を受ける)、途中で菩薩を象徴するハラ(サンスクリット語)と刻まれ、明るく浮かび上がった随求石に行きつく。この石を回しながら一つだけ願い事をし、更に進んでいくと地上に戻ってくるようになっている。日本各地に胎内くぐりとか、胎内めぐりといわれている所は少なくないが、ニュアンス的に建物の地下を歩くものが胎内めぐりというのだろうか・・・・良くわからない。因みに長野の善光寺の場合は同じお堂の地下めぐりだが戒壇めぐりといっている。せっかく清水寺を訪れるのであれば、今の世の中めったに漆黒の闇に関わる機会が少ないだけに良い体験になるだろう。ただし小さい子供さんなどは泣き出して、却って周囲に迷惑をかけるかもしれないので胎内めぐりはさせないほうが無難である。間違っても地下内で明りになるようなものを使用しないように。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • パワースポットとされているだけに行列が絶えない

    投稿日 2014年08月12日

    清水寺 東山・祇園・北白川

    総合評価:4.0

    清水の舞台(本堂)の下に降りたところにある音羽の滝は、その名前から受ける激しい滝のイメージとは裏腹におとなしめな景観だった。東山36峰に連なる音羽山からの地下水が3本の筧(樋)を伝わって滝壺(?)に流れ落ちている。パワースポットとしてこの水それぞれ併せて三種の御利益を云々する向きもあるが、歴史的にはもともと一筋であったものが(1520年清水寺縁起絵巻)、後に三筋となって水垢離をとっている人が描かれている(16世紀半ば〜後半、清水寺参詣曼陀羅)。つまり3つに分けることにより効率よく滝行が行えるようにしたということであって、どれを飲んでも御利益に変わりはないということになる。因みに滝壺の中には水が丁度流れ落ちる所に3箇所石が置かれてあり、見たことはないが現在でも早朝ないし観光客の引いた夜に、この石に立って水垢離滝行が行われているらしい。筧から流れ落ちてくる水は自由に持ち帰ることができるが(近隣の利用者もすくなくないとか)、滝壺向かいの「滝の堂」では「御祈祷水 音羽霊水」として瓶詰めされたものが販売されている。なお音羽の滝の景観をじっくり見ようと思えば、この水を求めて観光客の押し寄せる時間を避けた早朝が良いとされている。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • 信長終焉の地にしては余りにもあっさりした石碑だった

    投稿日 2014年08月09日

    本能寺跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    跡地には簡素な石碑があるのみである。石碑の所在は中京区油小路蛸薬師のほうにあるのだが街並みの中にありわかりづらいため、予め近隣の地図を持参のうえ京都市立堀川高校本能学舎を目印に行くことをお勧めする。意外なことに近年まで本能寺にはわからないことが多く、これまでの発掘調査でようやく所在位置、寺域の範囲(少なくとも東西約100m、南北200m)、寺の構造等がある程度わかってきたにすぎない。当時の構造としてはお寺の周囲を高い塀と、深い堀で囲い、内部には厩(うまや)まで供え城塞化されたものであったらしい。それでも本能寺の変時は信長勢約100名に対し、明智勢約13,000名で寺の周囲を囲まれ多勢に無勢で勝敗は短時間でついたといわれている。簡素な石碑には少し意外な気もしたが本能寺そのものが秀吉によって移転(現在の本能寺の場所)させられており、ながらく跡地も不明であったことも考え併せればればやむをえないことなのかもしれない。興味があれば近くに信長茶寮(しんちょうさりょう)という食事処の建物の地下1階に本能寺戦没者慰霊碑と併せて、壁に本能寺の変当時の古地図と現在の京都市内地図とが対比して並べられているので確認しておかれるのもいいだろう。

    旅行時期
    2014年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    場所はわかりにくいので地図を用意したほうが良い
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 意外な所で出会ったような

    投稿日 2014年08月05日

    本能寺 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    昼食後の街ブラで、なんとなく行きついた寺町京極の商店街の入口付近に本能寺はあった。信長が光秀に討たれた当時のものではないことは知っていたが、せっかくの出会いという事で入ってみた。境内には本堂、宝物館(信長の遺品等の展示)の他、本堂の裏手には信長公廟があり、ここには信長の三男信孝が造ったといわれている信長のお墓もある(墓の中には信長愛用の太刀が納められているとか)。境内の周りはビル等建物で囲まれており、せっかくの信長公廟の威厳も損なわれている感じである。本能寺に関しては1415年の創建以来、建立と再建の繰返しの歴史とのことで、信長が討たれた1582年当時は4回目の建立のものであり、5回目の建立時に秀吉の命(京都改造、寺町通りに市中の寺社を集約)で、現在地に移っており、現在の建物は実に7回目に建立(1928年)されたものであることに驚かされる。前から信長は上洛の度に何故お寺なんぞに宿泊していたのだろう(記録に残るだけで少なくとも4回)と思っていたが、信長は本能寺の日承上人(当時)に帰依していたことと、当時の本能寺は寺の周囲を高い塀と深い堀で囲まれた防御面にも優れたものであったといわれている。意外なことに本能寺は早くから種子島に布教していたことから鉄砲、火薬の入手に関して戦国大名との関係があり、本能寺自体織田勢の補給基地として火薬等が備蓄されていたものらしい。現在の本能寺に信長在世当時の姿を想像することはとてもできないが、さぞかし壮大な規模を誇ったものだったのだろう。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5
    周囲の立地環境に雰囲気をそがれる思い。

  • 足利義満の権勢の程を垣間見る思い。 

    投稿日 2014年07月25日

    鹿苑寺(金閣寺) 今出川・北大路・北野

    総合評価:4.0

    鹿苑寺境内の鏡湖池に囲まれた木造3階建楼閣建築である金閣を眺めていると、室町幕府3代将軍だった義満は南北朝統一を終え、日明貿易で利益を得て幕府の絶頂期にあった時に北山殿を造営(1397年)しており当時の権勢の程を垣間見る思いである。金閣は創建当時の北山殿の数少ない遺構であり、1929年には国宝にも指定されていたが、1950年の放火により焼失している。現在のものは明治時代の大修理の際に残された詳細な図面を基に1955年に再建されたものである(現在のものは世界遺産であるが国宝には指定されていない)。現在のまばゆいくらいの金閣は、その後の昭和の大修理(1986~1987年)時に黒漆の下地に通常の5倍の厚さの金箔を20万枚(約20kg)使用し修復されたものである。一方、義満の孫である義政が建てた現在の銀閣のほうは創建時以来の建物(こちらは国宝)であり、平成の大修理(2008~2010年)時に創建等時の黒漆を塗る案がとりやめとなり、現状の外観維持の形で修理が行われており、金閣と対照的である(元々銀閣には銀箔は貼られていない)。なお金閣に金箔が貼られているのは単に義満の権勢誇示と思っていたが、金閣は舎利殿であり、舎利(釈迦の遺骨)は黄金の容器に納められたとされていることによるものらしい。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 高精細複製技術もたいしたものです。

    投稿日 2014年07月19日

    建仁寺 東山・祇園・北白川

    総合評価:4.5

    建仁寺は建仁2年(1202年)に鎌倉幕府2代将軍源義家の援助を得て、京都における臨済宗の拠点として栄西が建立(開山)したものであるが、応仁の乱による焼失の他、その後の数度の火災により創建当時の建物は残っていない。栄西と言えば南宋(中国)に留学し臨済禅を学び帰国して禅宗(臨済宗)を広め、また日本の茶祖として廃れていた喫茶の習慣を一般社会にまで普及させたことで知られる。ちょうど今年の6月で「開山千行光祖師栄西禅師800年大遠諱(おんき)法要」の行事が締めくくられたばかりである(遠諱法要とは宗祖が亡くなって50年毎に行われる大法要)。今回、建仁寺を訪れたのは、綴プロジェクトにより高精細複製画として作成・寄贈され、常設展示されている画の中でも、とくに「本坊」中央の間にある俵屋宗達の風神雷神図と二つの龍、「方丈」障壁画、海北友松の雲龍図、「法堂」天井画、小泉淳作の双龍図(これは複製でなく本物)が目的だった。複製とはいえ常設展示で、違わず再現された迫力に満ちた画を前にすると、改めて科学技術の素晴らしさを実感することができる(本物の画は京都国立博物館に寄託されている)。また建仁寺は庭の美しさも知られており、方丈南面にある大雄苑、本坊中庭の潮音庭があり、とくに大雄苑前の広縁では休憩場所を兼ねて眼前に広がる禅の枯山水庭園を眺める観光客が多く外国人の姿も目に付く。因みに方丈の建物は室町時代の建物であるが、もと広島の安国寺にあったのを、かの安国寺恵瓊が建仁寺の再建修復のために移築したものだそうで、安国寺恵瓊の首塚まであるのにはとても驚かされた。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.5
    本物でなくてもこれだけ忠実に再現され、常設展示されている画は素晴らしい

  • 木造建築では世界一の長さとか。

    投稿日 2014年07月11日

    三十三間堂(蓮華王院) 東山・祇園・北白川

    総合評価:4.0

    正式名称は蓮華王院の本堂である。本堂(国宝)は南北に120mの長さがあり、木造建築では世界一の長さらしいが、世界でといわれると意外な気がしないでもない。三十三間の「間」は日本独自の長さの単位の「間」という意味ではなく、社寺建築の柱間の数を表す建築用語とのこと。三十三間堂は1164年に後白河法皇が平清盛に命じて創建された後、1249年に焼失しており、現建物は1266年の再建後、4度の大修理を経て約750年経過したものである。本堂には中央に安置された本尊の左右に10段50列に500体ずつの千手観音(実際の手の数は40本)が並び、他の仏像を加えると総計1031体の仏像が整然と置かれてあり、独特の雰囲気に引き込まれる。なんでもこれらの仏像の清掃は、専門家の手により修理も兼ねて年に10~20体ほど行われているそうで、全てを行うのに少なくとも50年はかかる勘定である。堂内の左右両端には風神像と雷神像があり、江戸時代に三十三間堂を訪れた俵屋宗達がこの像をモチーフに有名な風神雷神図(国宝)を描いたとも言われている。ここからは少し遠いが、建仁寺に行けば風神雷神図の高精細複製品(綴プロジェクトにより2011年2月キャノン制作)を見ることができる。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.5
    1031体の仏像が並ぶ様は圧巻

  • 銀閣にはもともと銀箔は貼られていなかった。

    投稿日 2014年07月14日

    銀閣寺 (慈照寺) 下鴨・宝ヶ池・平安神宮

    総合評価:4.5

    総門をくぐり、受付で拝観料を払うと、ここから中門まで銀閣寺垣と呼ばれる高さ4m程もある椿の生垣が50mほど続き、いやがうえでも日常の世界と隔絶される。中門を入るとすぐ銀閣(観音殿)が目に入る。現在の慈照寺(銀閣寺)の伽藍は室町時代の創建のものとは大きく異なっていて、創建時のものとしては銀閣(観音殿)、東求堂(いずれも国宝)以外の建物は戦国時代の荒廃を経て江戸時代に新たに建てられたものである。慈照寺はもともと8代将軍足利義政が伯父義満が建てた山荘、北山殿(鹿苑寺)を参考に造営した東山殿であり、義政は東山殿の建物の中で最後に建てられた銀閣の完成を見ることなく亡くなっている。銀閣はどうしても金閣と比較してしまいがちだが、なんでも資料上、銀閣という名称が出てくるのは江戸時代になってからだそうで、2007年に行われた科学的調査でも創建時から銀箔が貼られていなかったことがわかっており、何故このような呼称がなされてきたのかと興味を掻き立てられる。慈照寺(銀閣寺)の見所には銀閣の前に広がる錦鏡池を中心とした池泉回遊式と呼ばれる庭園があり、特別史跡・特別名勝に指定されている。なかでも方丈の前に砂盛りされた銀沙灘(高さ66cm)、向月台(高さ180cm)の変わった造形に目が惹かれる(いずれも江戸時代後期)。京都特産の白川砂と呼ばれる光の反射率の高いものだそうで、銀沙灘に反射された月明りの様も見れるものなら見てみたいものである。なお慈照寺の裏山に展望台があり、少し急な石段を上まで登れば観音堂(銀閣)や方丈等の建物の向こうに京の街並みと遠く山の稜線等の景色を望むこともできる。


    旅行時期
    2014年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.5

  • 我が国独自の建築形態は地震にも強いというところがすごい。

    投稿日 2014年07月07日

    清水寺 東山・祇園・北白川

    総合評価:4.5

    中学の修学旅行以来、幾度となく京都に来ていながら久しぶりの来訪。というのも清水の舞台の建築形態が懸造りとよばれる我国独自のものであることを知り、改めて確認したいと思ったからである。懸造りは急な斜面や段差のある場所に、下から柱(束柱:つかばしら)を立てて空中に床を造り、その上に建屋が建てられるもので、束石の上に整然と束柱を並べ、束柱は水平な貫で繋ぎ、柱と貫の接合部は楔が打ちこまれているのみで釘は一切使われていない。この懸造りの工法がとられている寺院建築は少なくなく鳥取県の三徳山三仏寺投入堂など目を見張るものもある。清水寺の場合、平安時代初期(778年)に創建され平安時代末には現状と同じ崖上にひろがる舞台として存在していたといわれている。清水寺は1629年までに記録上9回焼失しており、現在の本堂は1633年に徳川家光により寄進再建されたものである。驚くことに舞台の床材(ヒノキ)が25~30年間隔で貼替えられているのに対し、束柱、貫の部分(ケヤキ)は再建当時以来約380年の間取り替えられておらず、この構造が地震にも強いことを示している。良く見ないとわからないが舞台部分の奥行きはかなりあり、束柱は139本も使用されているという。もっとも手前にせりだした舞台を支える束柱の長さは12mあり、6段の貫が通されている。是非、この素晴らしい世界に誇るべき我が国独自技術の面についてもよく見てほしいと思う。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.5
    予備知識があれば見る目も変わってきます。

  • 京都の市街地を360度見渡せるのはここしかない。

    投稿日 2014年07月04日

    京都タワー 京都駅周辺

    総合評価:4.5

    京都という街は、京都タワーにしろ、京都駅ビルにしろ、京都水族館にしろ、計画時点で決まって住民運動が起きている。とくに京都の場合、景観維持のため建築物の高さに関する規制があり、このことが逆に京都タワーの展望台高さが高々地上100mしかないのに市街地が良く見通せる結果となっている。東京等高層ビルの立ち並ぶ地域から訪れた観光客であれば京都タワーの外観から受けるイメージに、敢えて展望台に上がろうという気も失せるかもしれないがそうではない。展望台へはタワーのあるビルのエレベータで一旦11階まで上がり、そこでまたエレベータを乗り換え二層になっている展望台の上層側に到着する。直接ビルの一階から展望台に行くことができないのは、恐らく最初にビルが出来た後にタワーが追加で建てられたことによるものだろう。展望台の上層側は各窓枠毎に無料で使用できる多くの望遠鏡が置かれていて、主な観光地が見える方向には丁寧にステッカーで案内されている。ここからは、あらためて京都の市街地が360度見渡せることがよくわかる。こうやって見ると京都は周囲が山で囲まれていて盆地なんだと実感できるし、また例えば三十三間堂などは長手方向の立地状況がよく俯瞰できる。京都タワーからの展望は夜景も美しいが、自分が訪れたことのある場所等を確認するうえでは昼間しかない。展望台の下層部へは階段で降り、ここからエレベータで下に降りることになる。下層部には望遠鏡の設置はなく、展望台の構造上 タワー下側周辺をよく見る事が出来る。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.5
    自分が言った観光地を俯瞰しながら探し出すのもおもしろい

  • 生の高山祭が見れない時はここで我慢。

    投稿日 2014年03月23日

    桜山日光館 飛騨高山・古川

    総合評価:4.0

    実際の高山祭を見てみたいのだが、春の山王祭は4月14.15日、秋の八幡祭は10月9.10日と毎年実施日が固定されているので思うようにならないのが残念である。山王祭は旧高山城下町の南半分の祭で12台の屋台が曳き出され、八幡祭は旧城下町の北半分の祭で11台の屋台が曳き出される。因みに普通、山車と呼ぶところが多いと思うが、高山など中部地方の一部では屋台と呼ぶらしい。高山祭屋台会館は櫻山八幡宮の境内にある校倉造りを模した建物で、八幡神社の大神輿と、八幡祭で曳き出される11台の屋台うち4台(年3回入替)が常設展示されている。生の祭の雰囲気は味わえないものの、巫女さんのガイド付きで、金具・漆など飛騨の匠の技術を活かした屋台を真近でじっくり見学できるのはある意味ここだけである(通常の屋台は各町内の屋台蔵に保管)。会館付設の施設として桜山日光館があり、大正時代に忠実に再現された日光東照宮の1/10サイズの模型を見る事が出来る。両館ともペアチケットで入場出来るので是非見ておくべきである。

    旅行時期
    2013年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0
    屋台の側でじっくり飛騨の匠の技術を見学できる。

  • ちょっと浮世絵から受けるイメージとは違いすぎる橋だった。

    投稿日 2014年06月30日

    土橋 守山

    総合評価:3.5

    かつて中山道守山宿の西の入口に架かっていた橋である。正確には当時の野洲郡守山宿(本宿)と栗太郡今宿村(加宿)の郡境を流れる境川(吉川)に架かっていた橋である。当時は幅3.6m、長さ36mもあって、中山道の重要な橋として公儀御普請橋と言われ、「瀬田の唐橋」の古材をもって架け替えが行われたという。当時の土橋の様子は歌川広重の木曽街道(海道)69次の内「守山」の風景図で想像するしかない(木曽街道は中山道の別名)。でもこの画はかなり広重流に背景等アレンジされているといわれており、中山道守山宿にぎわい広場に行けば展示資料の中にこの画を見ることができる。現在の土橋は長さ4.8mのコンクリート橋であり当時の面影はほとんど残っていない。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5
    ちょっとイメージが違いすぎる。

  • 京、浪速、江戸の盛り場も物の数ならず

    投稿日 2014年06月29日

    中山道守山宿 守山

    総合評価:3.5

    中山道は69次あり、守山宿は江戸から見ると67次目の宿だが、68,69次目(草津・大津宿)は東海道とかぶっているので中山道専用宿としては最後にあたる。当時の守山宿は東下り一番宿「京立ち守山泊まり」として多くの旅人に知られた存在だったというが、一日で京都の三条から守山まで歩いたという昔の人の健脚ぶりには恐れ入る。守山宿は現在の滋賀県守山市の旧市街部にあたり、本陣があったとされる天満宮周辺には、東門院(比叡山の東門として建立、朝鮮通信使の上位使者の定宿場所)、甲屋跡(謡曲「望月」の舞台となった元旅館)、道標(1744年建立の市指定文化財)、土橋(歌川広重が木曽69次の内、守山の風景図として描く)等々の歴史的文化遺産が残っている。守山宿は信長・秀吉の時代から宿と商いを保護されていたようだが、江戸時代には自由市として繁栄し、夏冬2回の大市の賑わいは「京、浪速、江戸の盛り場も物の数ならず」と語られたという(現在でもこの大市は守山祭りとして引き継がれている)。しかし現在の街道筋を見る限り、とても往時の賑わいを想像するのは難しい。因みに現在の守山市は総人口約8万人、住みよさランキング(東洋経済)上位常連であり、のどかな田園都市を標榜している。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 意外と知られていない琵琶湖の蜃気楼

    投稿日 2014年06月18日

    琵琶湖 大津

    総合評価:4.0

    琵琶湖が日本でも有数の蜃気楼の発生地であることは、滋賀県人にもあまり知られていない。注意していればテレビのローカルニュースでたまに発生したことが報じられている。蜃気楼は大気中で光が屈折して起こる現象であり、大気の温度差により光の進路が曲げられることによるものである。琵琶湖で見られる蜃気楼の種類には上位蜃気楼と下位蜃気楼とがあり、下位蜃気楼は年間を通じて四季を問わず現れるのに対し、上位蜃気楼は4月から6月にかけて稀に現れ珍しいとされている。上位蜃気楼が日本で定期的に見ることができるのは、富山周辺、北海道オホーツク周辺と琵琶湖だけとされている。琵琶湖での蜃気楼の観測地点としては、南湖側では大津市なぎさ公園おまつリ広場、北湖側では志賀町北小松小松浜、高島郡今津町南浜等がある(琵琶湖は琵琶湖大橋を境に北湖、南湖と称される)。蜃気楼の名前は知っていても見たことがない人が大半なだけに、運が良ければ琵琶湖観光の際に見ることが出来るかも知れない。因みに蜃気楼を定点観測されている方もおられるので、うまくゆきあわせれば発生の状況等教えて貰うのも良い経験だと思う。

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.5
    うまく行き合わせれば珍しいだけにラッキー
    人混みの少なさ:
    4.0

  • かつては古代から港町として栄え続けていた港の跡

    投稿日 2014年06月28日

    矢橋港跡 草津(滋賀)

    総合評価:3.5

    矢橋(やばせ)港は、現在の草津市南西部に当たる琵琶湖東岸にあった港である。万葉集にも詠まれていることから古代から港の機能を有していたといわれているが、メジャーになったのは、江戸時代に東海道五十三次の草津宿(草津の矢橋港)と大津宿(大津の石場港)を結ぶ近道として湖上水運が賑わい、近江八景の一つ「矢橋の帰帆」として歌川広重の浮世絵や伊勢参宮名所図会で描かれ有名になったことによる。現在は遺跡公園(矢橋公園)として1846年に建立された常夜灯(当時の灯台)と石積突堤が整備された形で残っているのみである。現在は琵琶湖側に造られた人工島(矢橋帰帆島)と陸側との間の水路部分に位置しており、ここが琵琶湖の代表的な渡船、渡しとして栄えた港だとは想像すらできなかった。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • とても広い公園で、遊具も揃った子供連れ向きのゾーンも充実している。

    投稿日 2014年06月26日

    矢橋帰帆島公園 草津(滋賀)

    総合評価:4.0

    矢橋帰帆島は下水道処理場のために琵琶湖を埋め立てて1982年に造られた人工島(島の周囲約3400m、面積73万平方メートル)で、浄化センター増設予定地が公園として整備され一般開放されている。同公園へは交通機関(バス)を利用することができるが車の方が便利であり、島内には無料大駐車場もある。ただし車で行く場合、島の外側(琵琶湖側)を県道559号(湖岸道路、さざなみ街道ともいう)が通っているが、この道からは直接島に入ることができず、県道26号(浜街道)が通っている側から橋(矢橋大橋)を渡って入ることになるので注意が必要である。公園内は無料と有料の施設があり、無料施設として子供の広場、大はらっぱ広場、せせらぎの池、遺跡の広場などがあり、有料施設としてキャンプ・バーベキュー場、プール、テニスコート、おもしろ自転車、グランドゴルフ、ゲートボール場等がある。プール内にはウォータースライダー付きのプールもあって(追加料金なし)、夏場の利用期間中はとても混雑している。子供の広場にはいろんな遊具が揃っており、幅広い年齢で充分楽しめる。かつて同島内に水環境科学館という施設があって日曜・祝日は館内の展望大浴場を利用することもできたが廃館となってしまったのが残念である。どうしても汗を流して帰りたい向きには、少し離れているがイオンモール草津の近くにあるスーパー銭湯「草津湯元水春(スイシュン)」を利用すると良い。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.5
    交通機関も利用できるが、あまり交通の便はよくない。
    人混みの少なさ:
    4.0
    時期にもよるが土日は結構混みあってます。
    見ごたえ:
    4.0
    それなりに大人も子供もたっぷり楽しめます。

  • かつての八幡堀の歴史を感じながら

    投稿日 2014年06月24日

    八幡堀めぐり 近江八幡・安土

    総合評価:4.0

    八幡堀は堀沿いに歩けないこともないが、船で巡るのもまた違った趣がある(八幡堀巡りは水郷めぐりとは異なる)。航路は「かわらミュージアム」裏の乗り場から白雲橋、明治橋、新町浜を通って赤レンガ工場跡付近で折り返しの往復である。船からは白壁の土蔵や旧家の立ち並ぶ様を眺めることができ、かつて城下町であった風情が伝わってくる。訪れた6月は花菖蒲の季節だったが、春は桜、夏は柳、秋は紅葉と四季の移り変わりも楽しめるらしい。また、航路の白雲橋、明治橋、新町浜あたりは時代劇のロケが行われることで有名である。また乗り場のかわらミュージアムは八幡瓦の紹介がされている所だが、折り返し地点の赤レンガ工場跡(旧中川煉瓦製造所跡:国登録有形文化財)は、八幡瓦と同じ土を利用した焼物ということで、その取り扱いに共通な点があったために早くからこの地で赤レンガの生産が始められた跡地だとのこと。因みに船(エンジン船)の定員は12名(2名以上から)、所要時間約35分、料金大人1000円、オフシーズン(12~3月)のみ前日まで要予約、営業時間は季節で異なる。

    旅行時期
    2014年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 屋根の上の太鼓楼の姿が印象的な洋風建築

    投稿日 2014年06月22日

    白雲館 近江八幡・安土

    総合評価:4.0

    八幡堀界隈にあって旧城下町の中心に位置し、屋根の上に設けられた太鼓楼が目立つ洋風の建物である。この建物は、費用の殆どが地元の商人や住民による寄付によって賄われ明治10年(1877年)に建てられた学校だった。学校としての機能は生徒数の増加により15年ほどで、その後役所等として使われたものの昭和後半期には老朽化のため空き家となっていたのを、1994年に近江八幡市の手により解体修理がおこなわれるとともに創建時の姿に復元されたものである(1998年には国登録有形文化財に指定)。この洋風の建物を見た時にてっきり近江八幡に在住した建築家ヴォーリズの手によるものかと思ったが、この建物は擬洋風建築と呼ばれ、明治の初めに行われた西洋建築を日本の建築技術によって造られたものなのだそうだ。因みの同館を印象深いものにしている屋根の上の太鼓楼も本来、鐘楼を真似て作られたものらしく洋風の鐘が無いことから替わりに太鼓が用いられたという。同館の一階は現在、観光案内所となっており、観光情報の提供や土産や特産品等の展示、販売等も行われており、是非立ち寄って見られることをお勧めする。

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.5
    創建当時の姿に復元、国登録有形文化財

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