信長終焉の地にしては余りにもあっさりした石碑だった
- 3.5
- 旅行時期:2014/07(約12年前)
-
-
by モッサンさん(男性)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:6件
跡地には簡素な石碑があるのみである。石碑の所在は中京区油小路蛸薬師のほうにあるのだが街並みの中にありわかりづらいため、予め近隣の地図を持参のうえ京都市立堀川高校本能学舎を目印に行くことをお勧めする。意外なことに近年まで本能寺にはわからないことが多く、これまでの発掘調査でようやく所在位置、寺域の範囲(少なくとも東西約100m、南北200m)、寺の構造等がある程度わかってきたにすぎない。当時の構造としてはお寺の周囲を高い塀と、深い堀で囲い、内部には厩(うまや)まで供え城塞化されたものであったらしい。それでも本能寺の変時は信長勢約100名に対し、明智勢約13,000名で寺の周囲を囲まれ多勢に無勢で勝敗は短時間でついたといわれている。簡素な石碑には少し意外な気もしたが本能寺そのものが秀吉によって移転(現在の本能寺の場所)させられており、ながらく跡地も不明であったことも考え併せればればやむをえないことなのかもしれない。興味があれば近くに信長茶寮(しんちょうさりょう)という食事処の建物の地下1階に本能寺戦没者慰霊碑と併せて、壁に本能寺の変当時の古地図と現在の京都市内地図とが対比して並べられているので確認しておかれるのもいいだろう。
- 施設の満足度
-
3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 場所はわかりにくいので地図を用意したほうが良い
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2014/08/09
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する