銀閣にはもともと銀箔は貼られていなかった。
- 4.5
- 旅行時期:2014/07(約10年前)
-
-
by モッサンさん(男性)
下鴨・宝ヶ池・平安神宮 クチコミ:6件
総門をくぐり、受付で拝観料を払うと、ここから中門まで銀閣寺垣と呼ばれる高さ4m程もある椿の生垣が50mほど続き、いやがうえでも日常の世界と隔絶される。中門を入るとすぐ銀閣(観音殿)が目に入る。現在の慈照寺(銀閣寺)の伽藍は室町時代の創建のものとは大きく異なっていて、創建時のものとしては銀閣(観音殿)、東求堂(いずれも国宝)以外の建物は戦国時代の荒廃を経て江戸時代に新たに建てられたものである。慈照寺はもともと8代将軍足利義政が伯父義満が建てた山荘、北山殿(鹿苑寺)を参考に造営した東山殿であり、義政は東山殿の建物の中で最後に建てられた銀閣の完成を見ることなく亡くなっている。銀閣はどうしても金閣と比較してしまいがちだが、なんでも資料上、銀閣という名称が出てくるのは江戸時代になってからだそうで、2007年に行われた科学的調査でも創建時から銀箔が貼られていなかったことがわかっており、何故このような呼称がなされてきたのかと興味を掻き立てられる。慈照寺(銀閣寺)の見所には銀閣の前に広がる錦鏡池を中心とした池泉回遊式と呼ばれる庭園があり、特別史跡・特別名勝に指定されている。なかでも方丈の前に砂盛りされた銀沙灘(高さ66cm)、向月台(高さ180cm)の変わった造形に目が惹かれる(いずれも江戸時代後期)。京都特産の白川砂と呼ばれる光の反射率の高いものだそうで、銀沙灘に反射された月明りの様も見れるものなら見てみたいものである。なお慈照寺の裏山に展望台があり、少し急な石段を上まで登れば観音堂(銀閣)や方丈等の建物の向こうに京の街並みと遠く山の稜線等の景色を望むこともできる。
- 施設の満足度
-
4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2014/07/14
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する