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本能寺

寺・神社・教会

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意外な所で出会ったような

  • 4.0
  • 旅行時期:2014/06(約12年前)
モッサンさん

by モッサンさん(男性)

二条・烏丸・河原町 クチコミ:6件

昼食後の街ブラで、なんとなく行きついた寺町京極の商店街の入口付近に本能寺はあった。信長が光秀に討たれた当時のものではないことは知っていたが、せっかくの出会いという事で入ってみた。境内には本堂、宝物館(信長の遺品等の展示)の他、本堂の裏手には信長公廟があり、ここには信長の三男信孝が造ったといわれている信長のお墓もある(墓の中には信長愛用の太刀が納められているとか)。境内の周りはビル等建物で囲まれており、せっかくの信長公廟の威厳も損なわれている感じである。本能寺に関しては1415年の創建以来、建立と再建の繰返しの歴史とのことで、信長が討たれた1582年当時は4回目の建立のものであり、5回目の建立時に秀吉の命(京都改造、寺町通りに市中の寺社を集約)で、現在地に移っており、現在の建物は実に7回目に建立(1928年)されたものであることに驚かされる。前から信長は上洛の度に何故お寺なんぞに宿泊していたのだろう(記録に残るだけで少なくとも4回)と思っていたが、信長は本能寺の日承上人(当時)に帰依していたことと、当時の本能寺は寺の周囲を高い塀と深い堀で囲まれた防御面にも優れたものであったといわれている。意外なことに本能寺は早くから種子島に布教していたことから鉄砲、火薬の入手に関して戦国大名との関係があり、本能寺自体織田勢の補給基地として火薬等が備蓄されていたものらしい。現在の本能寺に信長在世当時の姿を想像することはとてもできないが、さぞかし壮大な規模を誇ったものだったのだろう。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
4.0
見ごたえ:
3.5
周囲の立地環境に雰囲気をそがれる思い。

クチコミ投稿日:2014/08/05

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