モッサンさんのクチコミ(8ページ)全260件
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投稿日 2014年02月20日
総合評価:3.5
臨済宗南禅寺派の総本山。南禅寺の創建は鎌倉時代であるが、度重なる火災で全て消失しており、現在の建物は桃山時代以降の再建によるものである。春の桜、とくに秋の紅葉時には人出が多い。境内に勅使門、三門(重文)、法堂、方丈(国宝)と一直線に並んでいる。三門の楼上からは京都の眺めが良いといわれ、かの石川五右衛門も歌舞伎の楼門五三桐で屋根の上から絶景かなと言った事になっている。言われるほどにはそう眺めのよいものでもない(昔はもっと見えたのかもしれないが)。因みに秀吉の時代に石川五右衛門が実在し公開の処刑を受けたことは史実のようであるが、三門は五右衛門の死後30年以上たった1628年の建築であり、歌舞伎の件はあり得ないことになっている。いろいろと見所が多いが、方丈は大方丈と小方丈とがあり、小方丈の虎の間にある襖絵「竹林群虎」のうち水呑み虎には人気がある。大方丈の前庭に面する枯山水庭園は小堀遠州の作庭とされている。また、南禅寺の横には近代化遺産に指定されている水路閣(琵琶湖疏水)もある。境内に入るのは無料であるが、一般拝観料として三門500円、方丈500円、その他塔頭寺院も夫々有料と個々にかかるところになんともサービス感が感じられず残念である。
- 旅行時期
- 2013年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 紅葉シーズンはとくに混んでいる。
- 見ごたえ:
- 4.0
- もう少し拝観料のとり方に工夫があってもよいのでは。
-
投稿日 2014年02月18日
総合評価:4.5
京都御所は1331年の光厳天皇の時代から1869年の東京遷都までの約500年の間、皇居として使われてきた所であり、御所が現在地になってからも何度も火災と再建を繰り返し、現在の御所は1855に再建されたものである。京都御所は東西約250m、南北約450mの築地塀の中にある。築地塀自体はさほど高いものでないのに驚かされるが、監視装置が付いているのであまり近寄らないほうが良いらしい。御所の参観は、誰でも参観出来る春・秋の一般公開と、宮内省のHPから申込む方法とがある。後者の場合は可否のメールで送られてくる予約番号と、身分を証明するものを当日、指定時刻に集まり受付で見せればよいだけらしい(せキュリティ上、定員が決められており先着順)。私はテレビで一般公開が始まったをニュースで知り、古来の内裏(天皇が住み、儀式や執務等を行う)の形態に興味があったのと、今だったら御苑の桜も見れると急遽思い立ったものである。参観のコースは決められており、約1時間と急ぎ用の約30分のコースがある。なお一般参観では毎回展示品の内容が変わるらしい。普段は目にすることのできない由緒ある建物を見ることができ、御苑の桜も堪能でき満足のいくものではあったが、なにせとてつもなく広く、とても歩き疲れた日だった。時間だけは余裕を持ってみておいた方が良い。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 御苑も含めるとちょっと広すぎる。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 一般公開時はそれなりの人が。
- 催し物の規模:
- 4.5
- 一通りの参観は約1時間
- 雰囲気:
- 4.5
- めったに見れるものでないだけに。
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投稿日 2014年02月17日
総合評価:4.0
京都御所(歴代天皇の住んでいた居所、執務所)の春の一般公開に合わせて訪問。京都御所の周囲を囲む東西700m、南北1300mのほぼ長方形を成す地域で1949年以来国民公園として開放されている(環境省が管理し日本では3か所のみ)。京都御苑は、明治維新で1869年の東京遷都にともない明治天皇とともに公家等が東京に移り、京都御所周辺の江戸時代2百もの宮家や公家の邸宅が立ち並んでいた公家町は大量の空き家となって荒廃し、心を痛めた天皇の命を受けて公家屋敷を撤去して整備されたのがきっかけである。今日京都御苑があるのは東京遷都がきっかけだったわけである。公園内には100年を超える樹林が育ち旧公家屋敷跡や庭園等の歴史的遺構も点在している。なにしろ公園内はとても広く四方から自由に出入りできるため、迷わないよう散策時は御苑の案内図を持参しておいたほうがよい。京都御苑の西側「中立売御門」側にある休憩所内の展示コーナーで御苑の歴史や自然を知ることもできる。園内には5万本の樹木が生育しているとされ、うち約1100本の桜があり、3月下旬から4月下旬まで様々な桜が咲く姿は圧巻である。近衛の糸桜、御車返しの桜、左近の桜等々昔に因んだ名前の桜もある。
- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
- 桜の季節には、いろんな名だたる桜が楽しめる。
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投稿日 2014年02月16日
総合評価:4.0
以前、京都の南禅寺水路閣を見て以来、琵琶湖疏水の取水口側が気になっていたので訪問した。琵琶湖疏水は明治期に琵琶湖から京都に引かれた水路で、当初は舟運、発電、上水道、灌漑用水などの目的で造られ、現在は上水を供給するのに用いられており、日本を代表する近代化遺産として国の史跡指定を受けている。琵琶湖から流れ出る川は瀬田川しかなかったのが、琵琶湖疏水が造られたことによって増えたわけである。琵琶湖疏水の取水口は2つあり、第一疏水の1894年完成後、更に水不足のため能力増強を目的に第二疏水が18年後に建設されている。第一と第二とも取水口は大津市の三保ヶ崎にあり、第一疏水揚水機場などの施設を見ることができる。不思議なことに、これらの施設は滋賀県側を含め全て京都市水道局の管轄なのだそうだ。要は琵琶湖疏水プロジェクトの実施も利用も京都サイドだからということなのだろう。第一疏水の三保ヶ崎から第一トンネル(長等山トンネル)東口までの545mの水路は大津運河と呼ばれ、今は大津でも屈指の桜の名所となっておりライトアップによる夜桜も楽しめる。
- 旅行時期
- 2014年02月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.0
- 大津運河は桜の名所
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2014年01月22日
総合評価:4.0
江戸時代またはそれ以前に築城され現代まで天主が保存されている、いわゆる現存天主は12あり、うち国宝となっているのは松本、犬山、彦根、姫路の4城、その中でもほぼ創建当時の遺構が保存されているのは彦根、姫路の2城しかない。彦根城は明治時代の廃城令による破却を免れ、また終戦当日(正午に降伏発表)に米軍による彦根市の夜間爆撃の予定からも免れたことにより、400年を超えて現在あることを想うと感慨深いものがある。いろいろと他の城からのリサイクルで建てられていることも特徴だが、こじんまりとした城だけに天主に上がるのに階段は急(約60度)で、すれ違うのもやっとである。もともとこの城の堀は3重で外堀は琵琶湖の水が利用されていたが、現在は中堀と内堀のみが残されている。お堀めぐりが運航されており、春と秋の彦根城ライトアップ時には夜間の特別出航もあり桜、紅葉の風情も楽しめる。
- 旅行時期
- 2013年11月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2014年02月15日
総合評価:4.5
南禅寺の側にある長さ約93m、幅約4m、水路幅約2.4mの古代ローマ時代の水道を模した水路橋であり、琵琶湖疏水の枝線の一部をなしている。琵琶湖疏水は琵琶湖湖畔から山科を経て鴨川に至る全長約12キロの水路で、現在も年間2億トンの湖水を京都に提供している。京の都に琵琶湖と結ぶ運河があったらという発想は秀吉の時代からあったものの、莫大な費用と難工事が伴うため手がつけられていなかったが、明治維新になり1869年の東京遷都により、京都の衰退に危機感を持った知事が推し進めたものである。ここからが信じられないような話だが、東京工部大学校(現東大)の卒業論文で琵琶湖疏水は実現できると書いた21歳の田辺朔郎に工事を一任し、外国の力に頼らず日本人だけで設計を行ない、明治18年(1885年)起工し、1890年には12キロの距離を高低差僅か4mで開通させていることである。南禅寺の横に水路を通すことについては、かの福沢諭吉でさえ京都の近代産業化には理解を示さず、水路閣をやり玉にし山水の美、古社寺の典雅を傷つけると批判をしたそうだ。琵琶湖疏水が完成した結果、京都に日本初の水力発電所ができ、東京より先にアーク燈が灯り、更に日本初の電車である京都市電も開通し、当時の京都は日本の最先端だったという。本当に明治時代というのは凄まじいエネルギーで近代化がすすめられたものだとつくづく思う。水路閣は、ここから西500mのところにあるインクライン(傾斜鉄道)とともに日本を代表する近代化産業遺産として1996年に国の指定を受けている。
- 旅行時期
- 2014年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
- 明治時代に日本人の設計でここまでつくりあげた。
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公立の植物園にしてはいろんな楽しめる催しがあり施設内容も充実
投稿日 2014年02月15日
総合評価:4.0
大正13年(1924)に日本で最初の本格的な公立植物園として三井家の寄付もあり開園。
府民に開かれた植物園として様々な催しなどが行われており、年間の入園者は70万人を超え、一日の平均入園者は約2000人と多い。園内は面積24haの広大な敷地に約12000種類、約12万本の植物があるといわれている。施設内容としては様々な花壇、庭園、植物生態園、日本最大級の観覧温室がある。観覧温室は熱帯の様々な植生を鑑賞できるようになっているが、この室温と独特な匂いは息苦しくさえ感じる。8月からは観覧温室に新たに日本最初の施設である昼夜逆転室(ナイトフラワーガーデン)、高山植物室が設けられた。園内の植物園会館にレストラン、中央休憩所にも軽食堂があるが、弁当の持ち込みができ大芝生地で弁当をひろげピクニック気分を楽しめるところが良い。持ち込めないのは酒、運動用具、ペットとなっている。季節の主な行事としては、約100品種500本ある桜ライトアップ(4月)、オータム・イン・植物園(11月)、観覧温室夜間開園&クリスマスイルミネーション(12月)等が行われている。園内はとても広いので、回り始める前に予めトイレのある位置を確認しておいた方が良い。年末年始以外年中無休であり、入園料200円(観覧温室は別途200円)にも好感がもてる。- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
- 四季ごとにいろんな植物の開花に出会える。
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投稿日 2014年02月14日
総合評価:4.0
殿町通りの端、津和野大橋のたもとにあるとても目立つ像である。津和野の鷺舞は400年余りの歴史を持ち、弥栄神社に伝わる祇園祭神事であり、古典芸能神事として1994年に国の重要無形民俗文化財となっている。鷺舞は各地(秋田、東京、山口、京都?)で伝えられており微妙に違いがあるようだが、今日鷺舞といえば津和野のそれを指す。そもそも鷺舞の源流は京都の八坂神社の祇園祭に奉納されていたものが、山口に伝習され、更に津和野城主が疫病鎮護のため山口の祇園会から1542年に移しいれ、それがほぼ途絶えることなく続いているのだそうだ。今日まで連綿と続けられていることに対し、神事を支えている地元の方々の努力に敬意を表したい。鷺舞は7月の祇園祭で行われており、唄い方の唄と併せてその舞を実際に見てみたいものである。
- 旅行時期
- 2012年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2014年02月13日
総合評価:3.5
秋芳洞のシンボル的造形物としてあげられるのが、この高さ15m、幅4mの巨大な石灰華柱である。ただし柱状に見えるだけで実際に石の柱が立っているわけではない。世界的に類例がないとされているので調べてみたが、ネット上ではあまり石灰華柱に関して情報が見つからず確かめようがない。成り立ちとしては岩天井の割れ目から流れ出た地下水が岩壁を伝いその部分に石灰分が付着し、柱状に成長し何万年もの長い時間をかけ巨大な柱を造り上げたとされている。自然の造形の息の長さには驚嘆するばかりだが、ただ惜しむらくはもっと柱としてメリハリがあればと思う。
- 旅行時期
- 2012年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2014年02月13日
総合評価:4.5
地質学上は石灰華段丘(リムストーン・プール)と呼ばれ、秋芳洞の造形物としては黄金柱より世界的に知られている。見た目は棚田のようにもみえるが、緩やかな洞床の傾斜面を少量の水が穏やかに流れる場合にいくつかの水たまりを形成することがあり、地下水中に含まれる石灰分が皿状に沈着したものとされている。洞窟内のライトアップされた光景は独特な雰囲気が醸し出されている。世界的には洞窟内にある石灰華段丘としてスロベニアにあるシェコツィアン洞窟群(世界遺産)や、外にあるものとしては中国四川省の黄龍風景区、米国イエローストーン国立公園のマンモス・ホットスプリングス(いずれも世界遺産)のものを思い出す。洞窟内の石灰華段丘としてその規模が世界的なものというのはうなづけるものの、百枚皿は実際は500枚以上あるらしく、何故か中途半端な名称に思える。普通にたくさんあるという意味合いで千枚とするのは言い過ぎだとされたのだろうか?
- 旅行時期
- 2012年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.5
- 個人的には黄金柱よりこのほうがみごたえを感じます。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2014年02月11日
総合評価:4.0
神社の体系は複雑でわかりにくいものがあるが、兵主と名のつく神社は全国に約50社あり、ここは中でも奈良時代の創建といわれ格式の高い神社とされている。兵主を「つわものぬし」と読めることから武将達の尊崇を集め、源頼朝による神宝寄進、足利尊氏による社殿造営、徳川将軍家からの社領寄進等が行われている。境内の入口にあった朱塗りの楼門も足利尊氏の寄進とされている。この神社(大社)を囲む形で約22,000平方メートルもの広さを持つ国指定名勝の池泉回遊式の庭園がある。国指定を受けた当時は鎌倉時代中期から末期の作庭とされていたが、その後の台風で参道の松が倒れるなどの被害を受け修復整備事業が行なわれ、発掘調査の結果、現存例が少ないとされる平安時代(後期から末期)の様式であることがわかった経緯がある。台風にあわなければこの事実ももっと後までわからなかったのかもしれない。因みに庭園内に岩が配置されているが、これらの並びは池に浮かべた船から眺めると一番美しく見えるように置かれているのだそうだ。娯楽の少ない時代とはいえ、平安貴族の風流ぶりが伺える話ではある。とくに紅葉時に夜間ライトアップされた庭園を回遊しながら見て回るのはきれいであり、穴場的存在である。
- 旅行時期
- 2013年11月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 現存する数少ない平安期の作庭
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投稿日 2014年02月09日
総合評価:4.0
嵯峨野で最も有名な竹林といえば野宮神社から大河内山荘にかけての道であり、いろんな題材に採り上げられているだけあって、とてもよく手入れが行き届いている。少し蒸し暑い中、、春だと竹の香りがむせかえるくらいとてもきついんだろうなとか、誰がこんなによく竹林を管理・整備しているのだろうと思いつつ、気持ちの良いくらい真すぐに伸びた竹の様を見て回った。ここに来たのは平日だったのでそれほど観光客は見かけず自分のペースでゆっくり見て回れたが、シーズンの休日は多くの観光客が訪れるらしい。本当は2005年から嵯峨・嵐山地域でも実施(12月中旬から下旬)されるようになった京都・花灯路でライトアップされた竹林の道も見てみたいのだが、なにせ期間中の人出が100万人を超え、土日祝日は一方通行の規制がかかると聞いてはおいそれと出かける気になれないのが残念である。
- 旅行時期
- 2012年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2014年02月09日
総合評価:4.0
渡月橋から大堰川(桂川)沿いに200m先の保津川下りの下船場近くにあり、緑と川に囲まれた閑静な雰囲気の宿である。決して高級宿といった感じではなくむしろ地味なほうかもしれない。名前から受けるイメージから普通の観光宿と思っていて後で知ったのだが、京都年金基金センターが有する公共の宿だった。食事処は中庭の見えるレストランで、京会席を頂いたが、京都らしい趣向と美味しさには満足させられた。お風呂の方は残念ながら天然温泉ではなく、大浴場のみであるが、天然鉱石から抽出したミネラルを成分とした人工温泉であるが、何ら遜色のないものだった。嵐山の散策にはとてもロケーションが良い所であるが自転車の無料レンタルがあるのも気が利いている。
- 旅行時期
- 2012年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 1人1泊予算
- 2,500円未満
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 客室:
- 3.5
- 普通です。
- 接客対応:
- 4.0
- 風呂:
- 3.5
- 温泉ではありません。
- 食事・ドリンク:
- 4.5
-
投稿日 2014年02月08日
総合評価:4.0
京都嵐山を代表する風景としてまず浮かぶのがこの橋であるが、府道29号線の一部をなしており、橋長155m、幅11m、車道2車線、両サイドに歩道を有している。当初架けられた橋は現在地より100m上流にあったと考えられており、江戸時代初め1606年に京都の豪商で水運の父と呼ばれている角倉了以が保津川開削のときに現在の位置に移されたものらしい。現在の橋は1934年に完成したもので欄干部分は檜で造られているが、橋脚と橋桁はコンクリート製となっている。橋の名前の由来は亀山上皇(鎌倉時代)が「くまなき月の渡るに似る」として渡月橋と命名したものだそうだが、当時は当時で権力闘争を行いながら、風流な名を残すあたりがすごいなと思う。因みに渡月橋の下を流れる川は、地元では大堰川(おおいがわ)と呼び、上流を保津川(保津川下りをする所)、下流を桂川と呼んでいるようだが、行政上の表記は全て桂川で統一されているので念のため。
- 旅行時期
- 2012年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2014年02月07日
総合評価:4.0
嵐山に行ったものの天気が悪く偶々立ち寄ったもの。何故嵐山にオルゴールの博物館が出来たのか、また何故世界的に高級オルゴールメーカーとして有名なリュージュ社の社長であったギド・リュージュ氏のオルゴールコレクションを譲り受け展示できることになったのかがとても気になるところ。博物館は1階がショップ・カフェ、2階が博物館となっていて入場料は大人1000円。ヨーロッパの貴重なアンティークオルゴール、オートマタ(オルゴール入りの西洋からくり人形)のコレクションが一堂に集められており、約2000点所蔵のうち、常時100点ほどが展示されている。展示物のほとんどが100年以上前につくられたものばかりで、スタッフが案内しながら実演説明をしてくれる。オルゴールはシリンダー、ディスクタイプのものが種々展示されており、オートマタでは有名なピエロ・エクリヴァンも見ることができた。案内の後改めてもう一度じっくりと見て回り、オルゴールの世界に浸ることもできた。展示スペースが狭く、常時展示されているのが所蔵の5%なら、博物館の規模をもっと大きくできれば紛れもなく日本一の博物館といえるのにと残念な気もする。せっかくだったので帰りに1階のショップでどの曲にするか散々迷った末、小さなオルゴールを購入した。
- 旅行時期
- 2012年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
-
投稿日 2014年02月06日
総合評価:3.5
城跡公園は膳所城の本丸跡であり、県道16号線沿いの公園入り口に復元された城門、園内の湖岸に石垣の遺構等が残っているのみで、城門や櫓は移築され市内に残されている。膳所城は徳川家康が関ヶ原の戦いの翌年1601年に、東西の備えとして真っ先に築いた天下普請の第一号だった。日本三代湖城の一つとして名が知られているが、琵琶湖に突き出た土地に建造された典型的な水城(浮城)であり、琵琶湖には他にも坂本城、大津城等歴史上重要な役割を果たした水城が多い。膳所城は本丸、二の丸、三の丸、北の丸等からなり、湖面に浮かぶ美しい姿は里謡にも謡われたほどだったらしいが、大津市歴史博物館にある復元模型等で往時を偲ぶしかない。水城のため波による浸食に悩まされ続け膳所藩の財政を逼迫させたといわれ、最後の藩主が自ら明治政府に廃城願いを出し、約270年続いた城も1870年に解体されてしまったのは何とも残念な話ではある。
- 旅行時期
- 2014年02月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
- 主要な遺構は市内に分散されている。
-
投稿日 2014年02月05日
総合評価:3.5
正式には野洲市歴史民俗資料館というが、展示内容が主として銅鐸の形や用途、変遷等が詳しく解説・展示されているためそう呼ばれることが多い。銅鐸は弥生時代に青銅製の鋳物で造られており、形からして戦に使われる楯のようにも見えるが、紋様を有するベルであり、音を鳴らして神様を祀る道具だったといわれている。同館の銅鐸は大岩山から出土したもので、計24個が発見されている。明治時代1881年に発見された14個の銅鐸は、現東京国立博物館が現地調査をおこない所蔵していたが、地元の強い要望で2個(うち1個は日本最大のもの)以外は全て返却されたものの12個全てが散逸するというお粗末な出来事があったらしい。その後1962年に新幹線の土採り工事現場から新たに10個が発見され、この時は先の件を覚えていた県の担当者の対応により、手が打たれ全て同館に保存されたという経緯がある。銅鐸はその目的を含め、一般に村や墓といった所からは出土せず多くが小高い丘陵の斜面に銅鐸だけが埋められている、弥生時代のある時期に忽然と姿を消している等々謎が多いとされている。その辺の謎を考えながら教科書でしか見たことのない銅鐸を見て回るのも良い機会だし、おもしろいと思う。併設施設に弥生の森歴史公園がある。なお休館日を予め良く確認して訪れることをお勧めする。
- 旅行時期
- 2013年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.5
- 日本最大の銅鐸はレプリカ。
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投稿日 2014年02月05日
総合評価:4.0
本陣とは江戸時代の参勤交代の導入とともに制度化されたもので、大名、旗本、幕府役人などの宿泊所であり、それぞれの地域の有力者の邸宅が指定されたものである(原則一般の者は許されず)。草津宿本陣は1846年当時の旧姿に復元され、1996年から一般公開されたもので、現存する本陣の中では最大規模(敷地4727平方メートル、建物面積1706平方メートル、部屋数39)のもの。東海道筋では唯一ほぼ完全に残されており、当時の様子を垣間見ることができ、大福帳に浅野内匠頭、吉良上野介、皇女和宮、シーボルト、土方歳三といった宿泊記録が大福帳に残されているのも興味深い。草津宿は東海道五十三次の52番目の宿場であるが、中山道がここから分岐しており、草津宿本陣から歩いて1分程の所に分岐点を示す追分道標があるので見逃さぬように。なお同本陣には草津宿街道交流館も併設されており、セット料金で見学できる。
- 旅行時期
- 2013年12月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 歴史上の有名人が宿泊しているのが大福帳で確認できる。



