ウェンディさんのクチコミ(11ページ)全2,269件
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投稿日 2022年01月10日
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投稿日 2022年01月10日
総合評価:4.0
継桜王子の継桜の名前の由来は、この地には檜(ひのき)を台木とした美しい桜の木があり、後醍醐上皇に随行した藤原定家(新古今和歌集の編集者)もその桜の珍しさ、美しさを記録に残しているとのことで、現代も最初の親から継いできた桜の木が残っていると言われていますが、実は、この桜は藤原定家が愛でた桜の子孫かどうかは定かではないそうです。
その理由は継桜王子は後醍醐上皇の時代には、今の場所とは異なる場所にあり、後の世に現在の場所に移されたとか。
ただ、確実な証拠はないので、あくまでも・・・らしい・・・という程度のお話です。
☆このルートのコースマップなどの情報は和歌山県公式観光サイト↓がおすすめ
https://www.wakayama-kanko.or.jp/plan-your-trip/model-courses/kumano-and-koyasan/plan01/- 旅行時期
- 2022年01月
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投稿日 2022年01月10日
総合評価:3.0
熊野古道の中辺路を歩くと、あちこちにあるのが○○王子と書かれた石碑。
コレは熊野古道沿線の村には多くの天皇の隠し子が隠れ住んでいた!訳ではなく、また王子=プリンスでもはなく、王子=御神童子のことを指し、ニュアンスはちょっと異なりますが、王子=地蔵尊、道祖神に近く、旅の安全を祈るポイント(神社)を意味し、そのような場所が王子と呼ばれたそうです。
熊野詣が盛んであった院政の時代、熊野古道;特に中辺路ルートには王子と呼ばれる祈祷所(神社の形式が多い)が多く造られ、その数も100以上あったことから熊野九十九(つくも)王子と呼ばれていました。
近露集落にある近露王子は文書にもその名が残る王子社で、1081年に熊野巡礼中の藤原為房が川で禊ぎをしてから、近露王子で祈祷をしたとの記録があります。
その当時は“近露”ではなく“近津湯”王子と表記していて、もしかすると現在の川とは異なる場所に温泉が湧く湯の川があったのかもしれませんが、近露王子は、後鳥羽上皇の時代には宿泊し盛大な歌会も催された場所とのことだが、現在に残るのはその石碑のみで、社などはありません。
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- 2022年01月
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投稿日 2022年01月10日
総合評価:4.5
川湯温泉に宿泊し、熊野古道の中辺路(箸折峠から継桜王子)を歩いてきました。
そのルートの途中にあるのが牛馬童子像で、牛馬童子バス停そばの道の駅;熊野古道中辺路に車をおいて歩いても往復1時間弱で見に行くことができます。
ただし、道は山道ですので、靴はトレッキングシューズがお勧めです。
牛馬童子像は平安時代に熊野を詣でる花山上皇の旅姿を模した像であるといわれています。
上皇・・・というと“おじいちゃん”の様なイメージがありますが、この牛馬童子像は、童子の名が示すように乗っている人物はまだ子供の雰囲気を残した童の顔。
昔の宮廷画家のように人物は美化(捏造)し彫像されたのかと思いきや、花山上皇は、上皇の即位が19歳の若さだったというので、納得。
花山上皇は天皇の即位期間がたったの2年間しかなく、17歳で天皇に即位したのに19歳になった時には藤原氏の陰謀により天皇位から引きずり下ろされ、上皇へとその呼び名は変りました。
また、花山上皇が乗る動物2頭が牛と馬という異なる動物で、なんだかチグハグに感じられますが、花山上皇の時代に流行った神仏習合した世界観で見れば、牛頭と馬頭の動物は阿弥陀如来の従者を示す観音菩薩と勢至菩薩だとのことで、この2匹の動物にもきちんと意味があるようです。
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- 2022年01月
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冬は川をせき止めて造った露天風呂;仙人の湯で川湯遊び/川湯温泉
投稿日 2022年01月10日
総合評価:4.5
川湯温泉は河原の石の下から温泉が湧き出す土地で、夏は観光客が自ら河原で穴を掘って露天風呂を自作して愉しむので有名ですが、私たちが訪れたのは冬。
さすがに雪がちらつく真冬では自堀露天は寒すぎて無理なので、あらかじめ河原に設置されている川をせき止めた露天温泉の仙人の湯で、川湯遊びを愉しみました。
仙人の湯は冬場のみの営業ですが、水着を着用すれば、躰全部を天然の川の中の温泉に浸すことのできる場所で、民宿では水着の貸し出しも行っています。
私たちが宿泊した民宿でも宿泊者への水着の貸し出し(無料)もありかしたが、さすがにコロナ禍の今、他の方と水着を共用することには抵抗があったので、私たちはズボンをまくって足湯だけを楽しむことに。
川の中からはポコポコとかなり熱めの湯が湧いていて、その湧く場所はたえず変わるので、足の裏にいきなりホットな湯の攻撃を受けることもしばしば。
水着を着て、肩までどっぷりと浸かっている方達も茹で蛸の様だったが、さすがに湯から上がってからは寒そうに見えました。
真冬に仙人の露天湯に浸かりに来る場合には、宿は湯から近いところがお勧めです。- 旅行時期
- 2022年01月
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投稿日 2022年01月02日
総合評価:2.0
混んでいる時期で本館の予約がとれなく、元館(別館)に宿泊しました。
入浴は本館まで歩いて行くということは承知の上でしたが、元館宿泊客の扱いはかなり雑でした。
元館常駐の係員はいなく、表玄関は開けっぱなし。
玄関前の台所にポット、電子レンジはありますが、各部屋にポットなどの湯沸かしの類、浴衣、タオルの設置はなく、浴衣、タオルは本館での有料レンタルです。
元館館内のセキュリティは皆無ですので、外部の人が侵入してポットに異物を入れたとしても分からない状態です。
お布団は敷き布団が山小屋の煎餅布団レベルで背中が痛くなります。掛け布団は暖かかったですが・・・。
部屋は布団を2枚強いて荷物を置いたらあとは荷物のおける場所があるくらいの広さですが、寝るだけならば十分です。
本館の風呂も女性風呂は定員2名という狭さで、2名が入浴中は廊下で出てくるのを待機していなければなりません。
温泉民宿という名前ですが、お風呂は家庭風呂を二回りほど大きくしたサイズで、掛け流し・・・とかではなく、温泉も海水の入った単純泉でイマイチでした。
廊下にある共用トイレや洗面所は清潔に保たれていたのは、良かったです。
感覚としては、海外のゲストハウスと同じレベルだと考えて良いです。
民宿にも様々なレベルがありますが、こちらは残念な部類。
リピートは考えられませんし、おすすめの宿かと聞かれたら、その答えは否です。
宿泊料金が3000円台だったら、ゲストハウスとしてはOKだと思います。- 旅行時期
- 2022年01月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
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投稿日 2021年11月30日
総合評価:4.0
2021年11月に宿泊しました。
昭和レトロ!という言葉がこの宿を形容するにはふさわしく、現代のスタイリッシュなホテルや旅館とは違います。
建物は築100年を一部改築し、浴場は昭和時代を象徴する昔ながらのタイル張りで、全てがレトロです。
でも、清掃は隅々まで行き届き、お料理も暖かいものが提供され、加温温泉と37℃の掛け流しの冷泉の交互浴は思いのほかリラックス効果抜群で、心地よい滞在ができました。
部屋のトイレは一応洋式ですが、コレもThe昭和スタイルで、和式トイレを無理矢理洋式にしました!感が満載で、最近の子供達はこんな洋式トイレは目にしたことはないのではないかな。
昭和レトロをテーマに宿泊したので、たっぷりと昭和の雰囲気に浸った素敵な滞在となりました。
参考までに、ウォッシュレット付属の洋式お手洗いは、宿泊フロアーの共同トイレにありました。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 1人1泊予算
- 12,500円未満
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投稿日 2021年12月01日
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投稿日 2021年11月30日
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投稿日 2021年11月30日
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投稿日 2021年11月30日
総合評価:4.0
久遠寺の奥の院までは、身延山ロープウェイを利用しても行くことができますが、足が元気な方ならば、参道をハイキングして行くのがお勧めで、秋の紅葉の頃は、参道の景色も楽しめます。
奥の院までの参道は東コース、西コースとあり身延山を周遊する形で、紅葉の頃のお勧めは登りは東コースで下りで西コースを使うルート。
東コースの方が距離が短く登りに向いていますし、西コースは紅葉した広葉樹林帯の中を歩くので、下りの景色が楽しめます。
2021年11月時点で、西コースは地図で案内されているルートが一部使えないため、迂回路があり、+30分(迂回路を回る時間)が必要となります。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
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投稿日 2021年11月30日
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投稿日 2021年11月19日
総合評価:4.0
長野県の鬼無里にある戸隠神社は戸隠山をご神体とする社で、杉並木の参道が有名です。
ご神体である戸隠山ですが、その名が示すとおり、大昔のまだ八百万の神の世界だった頃には、戸隠=扉であったといわれています。
どこの扉かというと、天照大神がスサノヲの乱暴にあきれ果てて閉じこもった天岩戸の扉。
その岩戸が空を飛ばされて落ちたのが、今の戸隠だと言われています。
宮崎県の高千穂には、当時の天岩戸があった場所に天岩戸神社がありますが、あそこに現在の戸隠山があったとすると、かなりその本体の岩屋は大きかったのでしょう。
もしくは天岩戸が九州から長野まで飛ばされている間に何百倍かのサイズに膨張した可能性もありますし、鬼無里に着地してから地殻変動(隆起)などにより天岩戸の土台部分が押し上げられ、下駄を履いた状態になっている可能性もあります。
昔の神話を現代のスケールに当てはめるのはナンセンスですが、昔話には何らかの裏付けがあり、理由がなければ語り継がれはしないはずです。
高天原にあった天岩戸の扉のサイズは、現在の戸隠山のサイズであったのか。
戸隠山を眺めながら温泉につかり、謎解きをするのも面白いかもしれません。- 旅行時期
- 2021年11月
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投稿日 2021年11月17日
総合評価:5.0
妙高の苗名滝は地震滝との別名があり、その昔は、滝の水量と流れ落ちる轟音のすごさから地様な様な地響きが鳴り響いてて、地震滝と呼ばれていたそうです。
更に地震という言葉は古語で”なゑ”と読むことから地震(なえ)滝となり、現在は苗名(なえな)滝となったと言われています。
この苗名滝ですが、流れ落ちる滝の絶景に一役を買っているのが、滝が流れ落ちる崖の岩。
よく見ると柱のようなれ列柱が縦に並んでいる柱状節理で、その立体的な岩が視覚的にも滝の姿を雄々しく演出しています。
特に紅葉の頃はカラフルに色づいた周囲の木々と柱状節理の相性も抜群で、絶景!でした。- 旅行時期
- 2021年11月
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投稿日 2021年11月17日
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投稿日 2021年11月17日
総合評価:4.5
奥志賀高原栄線は志賀高原と野沢温泉を結ぶ県道502号線(山道)で、紅葉の時期や新緑の時期は知る人ぞ知る絶景ロードで黄色をベースとする紅葉が道路脇を彩り、最高のドライブルートを作り出します。
私が訪れたのは10月まで、冬期の道路閉鎖まであと残り4日という日程でしたが、素晴らしい紅葉を楽しめました。- 旅行時期
- 2021年11月
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投稿日 2021年11月17日
総合評価:5.0
戸隠の鏡池は人工池ですが、戸隠山の全景が湖面にリフレインする池として有名で、中でも紅葉の頃は四季の中でも一番人気で、私たちが訪れた日も鏡池のパーキングは長蛇の列でした。
でも、その長蛇の列に並んででも眺める価値があるのが秋の鏡池で、池端の木々や戸隠山が湖面に映る姿は、まるで日本画のよう。
呼吸を止めて見入ってしまう美しさがありました。
ちなみに駐車場は戸隠森林植物園画おすすめで、20分強で鏡池まで歩いて行けます。- 旅行時期
- 2021年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
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投稿日 2021年11月17日
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投稿日 2021年11月17日
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投稿日 2021年11月17日

























































