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jijidarumaさんのクチコミ(27ページ)全659件

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  • 「ラインの真珠」と呼ばれるボッパルトには青梅公園があり、聖セヴェルスの伝説も面白い。

    投稿日 2017年08月04日

    ボッパルト ライン川流域周辺

    総合評価:4.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第5日:149km*
    今日はオーバーヴェーゼルからB9の道を走り、ラインの左岸を下る。昨年の旅でやむなく諦めた、生まれ故郷の東京都青梅市の姉妹都市であるボッパルト訪問が第一の目的になっている。青梅公園やラインの大蛇行を見たい。

    ≪Boppardボッパルト(ラインラント・プファルツ州)≫
    http://www.boppard.de/index.  10:45~11:20
    ボッパルト市はドイツ連邦共和国西部のラインラント・プファルツ州に属し、有名なローレライの近くの町である。
    ライン川は全長1320kmだが、かつての西ドイツの首都ボンの位置は半分の655km、ラインの源泉からボッパルトは570kmの距離になる。

    ボッパルトは紀元前50年頃にはローマ軍が進出し、約1600年前のローマ時代には軍団の治める城塞都市としての形が出来たという歴史の古い優雅な町で、石造りの美しい家並みとライン川の大蛇行の地に位置し、チェアリフトで上る山頂から見た風景を「ラインの真珠」と呼んでいる。人口は約1万7000人を数える。

    ボッパルトの観光名所は主に以下の通り、尚、ラインの大蛇行は別の口コミを参照願います。

    <St.-Severus-Kirche 聖セヴェルス教会>
    12~13世紀に、後期ロマネスク様式で建築された。2本の尖塔をもった教会である。
    中央の円天井下の聖壇に“Triumphkreuz勝利の十字架”と称するキリスト磔刑像(高さ285cm、幅248cm、1220~30年頃作)が吊り下げられている。つまり死より蘇りしキリストは死に打ち勝った勝利者という事だろう。

    下記の伝説で分かったシャトル(緋)を持った赤い像が印象的で、この像は聖セヴェルスで、教会名にもなっている。
    中央の上部の壁に描かれたのは聖セヴェルスの一生を語ると云う。彼は貧しい毛織工の職人姿で出現し、奇跡を起こしてラヴェンナの大司教(イタリア)となったと云う。

    <聖セヴェルスの伝説>
    イタリアのラヴェンナの司教は選挙で選ばれることになっていた。(教会初期に、司教は全自治体によって選挙された)
    伝説によれば、本来選ばれる資格のない貧しい毛織工の姿で聖セヴェルスが選挙にやってきた。すると一匹の鳩が飛んできて、彼のまわりを回って、彼の肩に3度も乗ったのです。これを見た選挙人たちは、きっと神の意思が示されたサインだとして、聖セヴェルスをラヴェンナの司教に選びました。

    聖セヴェルスはその後、織物工と紡績工、警官、布製造、靴下製造、手袋製造人と帽子屋などの守護聖人になっている。

    こじんまりした町にはその他には
    <Kurfuerstliche Burg(Alte Burg)ボッパルト城>:
    <Ritter-Schwalbach-Hausシュバルバッハの騎士の家>:
    <Roemerpark考古学公園>:
    <青梅公園>:
    <ライン川のプロムナード>:

    ・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ボッパルトのラインの大蛇行は実に見事だ。展望台にはチェアリフトを利用するか、車で登る事も出来る。

    投稿日 2017年08月04日

    ボッパルトのチェアリフト コブレンツ

    総合評価:5.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第5日:149km*
    今日はオーバーヴェーゼルからB9の道を走り、ラインの左岸を下る。昨年の旅でやむなく諦めた、生まれ故郷の東京都青梅市の姉妹都市であるボッパルト訪問が第一の目的になっている。青梅公園やラインの大蛇行を見たい。

    ≪「ライン川大蛇行」が見える展望台とゼッセルバーン(チェアリフト)≫
    http://sesselbahn-boppard.de/fahrzeiten/   

    以下は営業期間:
    4月1日~15日 10:00 ~17:00、4月16日~9月30日 10:00~18:00、
    10月1日~15日10:00~17:30、10月16日~31日10:00~17:00。

    このSesselbahnゼッセルバーン(チェアリフトの長さ915m・片道20分)は下の駅でも見上げながら、私は怖く感じた。
    調べた際の某氏の感想にも「6月でもチェアリフトに乗っている間、寒さを感じ、途中でリフトが何度か停止し、風が吹いてきて前後にかなり揺られた時はそれほど高所が苦手ではない私でもしっかりリフトのバーを握り、下を見ると地表まで結構高さがありますのでちょっと怖さを感じました」とあったから、もう気分は山道を選択、チェアリフトよりも車で登ってみようと決めたのです。

    勿論、旅の前にゼッセルバーンの駅の左横を行く、裏手の山道を調べており、念のため立ち寄ったボッパルトの観光局インフォーメーションで聞くと、「上下する道は問題ない(多分、運転の上手いドイツ人にとっての意味)広さがありますから心配ありません」と、お墨付きをもらって車で登ったのです。
    行程は旧市街のRoemerparkローマ人の遺跡パークから=>B9  0.9km Muehltal水車の谷を左折 =>1.3km Kyffhaueser Wegキフハウザーの小道を右折 =>1.9km 合計4.1kmの距離だそうだ。
    しかも山道はアスファルト舗装された道だと案内に書かれていた。

    それで、ゼッセルバーンの駅の左に鉄道を潜るガード下があり、その先の山道に車を進めた。

    山道はインフォーメーションで聞いた話とは少し差があり、(私の感じながら)結構狭い道が4.1kmほど続く道でした。展望台(レストラン・ゲデオンスエックがある)まで一気に上がりました。

    ボッパルトは何度か訪れましたが、大蛇行を上から見るのは初めてでしたから、この日は晴天に恵まれて、その見事な蛇行の景観にとても感激した。

    尚、此の項の総合評価5はチェアリフトではなく、大蛇行の景観の評価です。

    ・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    その他
    コストパフォーマンス:
    4.0
    利便性:
    3.5

  • ”王の湖”と言う意味のケーニヒス湖はドイツで最も美しい湖である。

    投稿日 2017年07月29日

    ケーニヒス湖 その他の都市

    総合評価:4.5

    ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊  
    :アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:

    期間 : 2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅
    総走行距離1,412km

    今春の旅はドイツ南部、バイエルン州のOberbayern高地バイエルンと呼ばれるアルプス地方とOstbayern東バイエルン地方を巡る旅である。

    4.26(土) 快晴 18.5℃、

    Berchtesgadenベルヒテスガーデン近郊にあるドイツで最も美しいと称されるケーニヒス湖は太古に氷河が岩山を削り取り、その跡にできた湖である。あくまで青く、実に神秘的な湖で、周囲の山々の景観と共に大変美しい。

    ここは1979年8月29日夏の休暇旅行以来の訪問となる。

    ≪Koenigsseeケーニヒス湖(王の湖)巡り≫
    湖の遊覧(船は電気式)はトランペットの吹奏があり、Watzmannヴァッツマン(2713m)東壁の景観美を楽しんで、40分でSt. Bartholomae 聖バルトロメー僧院に至る。更に20分でObersee上の湖に行くこともできる。
    Jennerイエナー(1874m)とWatzmann(2713m)に囲まれた峡谷Fjordフィヨルドの長さは凡そ8km、幅1.25km。平均の深さ150m、最深200mと云う。海抜は620mに位置する。
    この湖はベルヒテスガーデン国立公園に属し、国立公園の面積は210平方kmに及ぶ。Kehlsteinケールシュタイン(1834m、ヒットラーの鷲の巣山荘・5月から10月の間、開業)や、イエナーの山頂からの眺望は見事なものと云われる。

    7時頃はまだ山は霧と雲に隠れていた。朝食後、晴れ間も出てきて、やれやれである。Hotel Zur Klauseを9:15に出発して、ケーニヒス湖の船着き場に急ぐ。
    9:50発のヴァッツマン号に乗船して、聖バルトロメー僧院に向かう。往復料金はEuro 23.6;18隻すべての船は1909年から電気式で湖面を静かにゆるやかに走り、水を汚さない。

    ケーニヒス湖巡り:
    ドイツで最も美しいと称される王の湖・ケーニヒス湖の遊覧船はまず、左手に小さなInsel Christliegerキリストの島を見る。ゆっくり右にカーブを切ると、その左手に画家たちの角Malerwinkelマーラーヴィンケルという場所がある。ここから見るヴァッツマン山系や湖面と僧院の景観が特別なものだとされている。長い間画家たちを魅了してきていると云う。
    次は右手のFalkensteiner Wand鷹の岩壁と呼ばれる岩壁に沿って走る。
    この崖は1688年に水難事故が起きた場所であり、大嵐でこの岩壁に打ちつけられた船が沈み、70名の犠牲者を出した事で知られている。

    周囲をヴァッツマン山系の切り立った岩壁に囲まれた峡谷は音が反響しやすい。聖バルトロメー僧院への中間点ぐらいでトランペットの吹奏が行われる。
    Echowandエコーの壁と呼ばれる岩壁に向かって、船を停めた船長さんが、おもむろにトランペットの吹奏を始めた。その昔は銃を7度撃ったと云う。反響した音が美しく響き、何度も反響を繰り返して、消えていく。乗客は一瞬のエコーの響きに集中し、楽しげだ。女性ガイドがさっそくチップのお願いにまわる。帰りは請求しませんと笑わせながら---。(10:05~10)

    山肌に雪をかぶったヴァッツマン(2713m・東壁2000m)の黒ぐろとした岩壁から、雨水が滝のように落ちてきたのが見えた。下まで落ちることはなく、途中で消えてしまったように見えた。山の上で降った雨なのか?!南米ギアナ高地のエンジェルの滝の映像を何度か見たことがあるが、同じように滝の水は途中で消えていた。

    お椀をかぶせたような赤い屋根の僧院が前方にはっきりと見えてきた。僧院の後背にはSteinernes Meer石の海と称する2000m級の高い山並みが続き、ドイツ・オーストリアの国境線がある。

    船客の若い男性が立ち上がり、ドイツ国歌を歌いだした。指揮をしながら歌うと彼の仲間も歌いだし、船客みんなが国歌を歌う。そして、もう一曲、バイエルンの民謡なのか?!これも皆が楽しげに唱和している。和やかな良いシーンだが、異邦人の私どもは歌うこともできず、ただ眺めていただけだった。

    片道35分で聖バルトロメー僧院に着いた。教会でミサが執り行われていた。皆につられて入った教会の席に座って、しばし難しい説話を聞いた。(10:25~40)
    聖バルトロメー僧院は1134年に創立された。現在のバロック様式の教会や付属設備などは17世紀のもの。その後、バイエルン王が“狩猟の館”として使用したと云う。
    僧院からさらに先にも船は行く。奥まった所にはObersee上の湖があるが、通常の観光客は僧院までの往復を選ぶ。

    湖畔の周辺を眺めながら、水辺を散策してみる。透明度の高い湖を小さな鴨が泳いでいた。ホテルの朝食時に残ったパンを持参していたので、二人でパンをちぎって与えた。
    僧院には併設のHofbraeu Muenchenホーフブロイ・ミュンヘンというレストランがある。トイレ使用のついでにお茶を頂くこととした。

    <お茶:St.Bartholomae・Hofbraeu Muenchenにて>
    紅茶とお気に入りのリンゴのケーキとチーズケーキを注文した。
    (11:15~35 Euro 12)

    11:50発のHochkarterホッホカルタ―号に乗船して、12:25に元の船着き場に戻った。
    途中、ガイドの説明で乗客が一斉に見た前方の山並みは魔女が寝ているように見えた。
    Die Schlafende Hexe寝姿の魔女と呼んでいましたが、ほんとに良く似ていた。
    その右手の山(1843m)にはヒットラーのKehlsteinhaus鷲の巣山荘(5~10月)があると言うが、雲に隠れてわからない。
    さらに右手には眺望の良いJennerイエナー山(1874m)がそびえる。

    尚、Saalach川を挟んだ、Bad Reichenhallバート・ライヘンハルの北にHochstaufenホッホシュタウフェン(1771m)とVorderstaufenフォルダーシュタウフェンの山並みがある。ケーニヒス湖巡りの観光船のガイドの説明で乗客が一斉に見た山並みは魔女が寝ているように見えた。
    Die Schlafende Hexe寝姿の魔女と呼んでいましたが、ほんとに良く似ていた。
    帰国してから、ケーニヒス湖周辺を調べてみると、この山並みがそれで、このあたりに3つの伝説(民話)があった。

    【Die Schlafende Hexe・寝姿の魔女のお話】
    【Die Steinernen Jaeger am Hochstaufen・猟師が岩になった話】
    【Watzmannヴァッツマン(2713m)の伝説】

    xxxxx

    旅行時期
    2008年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ドイツのカレンダーで最も人気の高いのはラムザウ巡礼教会と山塊の景観である。

    投稿日 2017年07月31日

    その他の観光地

    総合評価:5.0

    Ramsauラムザウの巡礼教会(1512年)と山塊の景観はまことに美しい。
    ラムザウは小さな村だが、ヒンター湖から流れ出るラムザウ川の堤からの景観の美しさで世界に知られる存在だ。

    写真のモチーフとして、画家の絵心を刺激する景観と言われる。季節を問わず、カレンダーにもこの景観がよく出ている。

    我が家のPCの壁紙は春になると、このラムザウ巡礼教会である。

    たまたまラムザウ教会先のレストランで結婚披露宴が行われていた。式に出席の人達が三々五々、帰るところに行き合わせた。皆さん、おめかしして、民族衣装の盛装している。こうした写真はなかなか撮れないので、近づいて撮らせていただいた。
    粋な帽子が良く似合った、ディルンドルクライド姿の中年の奥さんは教会をバックにして、にこやかに。

    ラムザウ川に架かる木橋を渡って、川堤から様々な光景を撮っていると、木橋を渡って、数人のグループがやってきた。婚礼帰りのグループはお爺さんを中心に家族、親せき一同といったところだ。帽子や上着のグリーンの縁取りが品良いアクセントになっている衣装で、皆さん快く、そろって並んでくれました。

    家内も一緒にポーズです。小学生ぐらいの女の子は一人娘で、はにかみ屋のようです。お母さんの後に隠れてしまい、さてどうなるかと思っていたら、シャッターを押す瞬間にお母さんの前に顔を出してくれました。

    ついでながら、世に名高い歌“聖し、この夜!”の詩人Josef Mohr(オーストリアのOberndorfオベルンドルフ・ザルツブルグの北20km、Salzach川畔にある町の礼拝堂をモチーフにして作詞したと云う)がラムザウ教会で牧師の助手をしていたとの話も残る。

    XXX

    旅行時期
    2008年04月

  • ローレライ:Hungersteine腹をすかせた石になった7人の姉妹

    投稿日 2017年07月28日

    ローレライの岩 ライン川流域周辺

    総合評価:4.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第5日:10月18日(火) 149km、午前中は曇り、午後晴、11.5~15℃
    今日はオーバーヴェーゼルからB9の道を走り、ラインの左岸を下る。

    ≪Die 7 Jungfrauen:Hungersteine腹をすかせた石になった7人の姉妹伝説≫

    ドイツの秋の旅で10年ぶりに宿泊したBurghotel Auf Schoenburg古城ホテル シェーンブルク城にはラインの伝説として“Die 7 Jungfrauen:Hungersteine石になった7人の姉妹”の話が今も語られているそうだ。

    城主の娘たち・美しい7人の姉妹はいずれも気位が高く、情けをしらない人達であったそうで、それが災いして、ローレライの妖精によって、石にされてしまったと云う。

    ・・・この石はライン川の難所として、船を幾度も転覆させた、波間に隠れた恐ろしい“Die 7 Jungfrauen:Hungersteine・・7人の乙女・・腹を空かせた石”になったとか!!

    ライン下りをすれば、最も有名なローレライの岩近くで、その流れの水底にこの石を見かけるでしょう。

    ・・・・・

    オーバーヴェーゼルからB9の道を走り、ラインの左岸を下る。
    嬉しいことにローレライを対岸に見る場所に来ると、晴れ間が出てきた。

    ラインの難所として知られたLoreleyfelsenローレライ“妖精の岩”、ローレライの岩壁、132mの山頂にはローレライセンターがあるが10年前に山頂に登ったことがある。

    口コミ上はローレライの岩、ローレライセンターの2つがあるので、口コミもその2つがごっちゃになって書かれている場合が多い。

    さて、ここでは2つを区別して書いた。
    St.Goarhausenザンクト・ゴアーハウゼンの町の上にはライン谷で最も美しく、バランスの取れた猫城(1370年カッツェンエルンボーゲン---“ネコの肘”伯が築城)があり、ライン川の蛇行すが見られる、ローレライ“妖精の岩”、ローレライセンターがある。

    ①ローレライセンター:
    ザンクト・ゴアーハウゼンの街中から坂道をぐるりと上がり、“LoreleyBurgenstrasseローレライ古城街道”と称する山道を、凡そL338・K89->13km登る。
    丘の上は平らで、ローレライ頂上ホテルBerghotel Auf der Loreleyの大きな駐車場もあり、観光バスも来ている。

    ホテルの庭から、ラインを見下ろす展望台に行き、鉄柵から、身をのり出して、ライン川の蛇行する流れや船の行き来を眺める。

    いつもは下から上ばかり見上げていたので、上から下を見るのは妙なものである。
    日差しも明るくなって、ライン川とブドウ畑の眺望が素晴らしい。
    対岸のラインフェルスやシェーンブルグの城、下流方向にネコ城が良く見える。

    ②ローレライの岩:
    水面から高さ132mという巨岩が川に突き出している。ここでラインは川幅113mと、最も狭まる。深さは25mとなり、渦を巻いた流れの川床には岩礁が横たわる。

    「この岩の上には金髪の水の精たちが住み、船が通ると美しい歌声を響かせる。船乗りたちはその美しい姿と、歌声に魅せられ、うっかり舵を取り損ねて命を落としてしまう」
    しかし、この岩の名が世界中に知れ渡っているのはなによりも、ハイネの詩とジルヒャー作曲の「ローレライ」の歌による。

    行き交う舟人達にとって最大の難所となり、そのために「ローレライ」の伝説や
    「腹をすかせた石になった7人の姉妹」伝説が生まれた。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • バッハラッハ・ホテル アム マルクトのカフェでツヴィーベルクーヘン(タマネギケーキ)を頂いた

    投稿日 2017年07月23日

    Am Markt Hotel その他の都市

    総合評価:3.5

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    第4日:10月17日(月)・・・185km、曇り時々晴れ、8~15℃

    Bacharachバッハラッハ(ラインラント・プファルツ州):
    13:23~14:45

    バッハラッハは千年以上の歴史をもつ町で、木材やワインの販売そしてライン川を通る舟からの通行税によって、財政豊かな町であったという。
    Burg Stahleckシュターレック城が丘の中腹に見えるが、今日は天気も今一なのであそこまでは行かない。小雨が降ってきたが、小さな街中を散策した。
    人口は2000人、バッハラッハの街は木組みの家々が並び、散策するには手ごろなところで、見て楽しい街といえる。旧市街は市城壁に囲まれ、所々に門と塔が立っている。

    マルクト広場に面し、通りの左手に目に付くホテル・レストランは1902年に再建され、華やかな回廊を持つAltkoelnischer Hofアルトケニッシャー・ホフである。ホフ前の通りの頭上にKranzクランツ(王冠と花で飾ったリース)が見える。ワイン祭りかの催しがあった名残なのか、クリスマス時期に飾るADVENTS KRANZアドベント・クランツにはまだ早いのだが。
    その先に特に赤茶色や緑で色彩豊かに縁取りされたAltes Hausアルテスハウス・レストラン(1389年築、1600年頃に改築)は素晴らしい。最初はここで何か食べようと思っていたが、閉まっていた。
    その横も同じ経営の様子だが、テラスに人も多く座り、遠慮した。
    その向かいにHotel am Marktホテル アム マルクトのカフェ・レストランがあったので、そこでお茶にした。

    <お茶:Bacharachバッハラッハ・Hotel am Marktホテル アム マルクトのカフェで>
    D-55422 Bacharach 、Oberstrasse 64+66
    13:40~14:10  Euro13=1,676円
    リンゴのケーキEuro3、ツヴィーベルクーヘン(タマネギケーキ)Euro3.5、二人ともココアEuro3X2を注文した。ケーキの味はまずまず、ココアでとても温まった。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    3.5
    ロケーション:
    4.0

  • ラインの中州に出現するDie Pfalzプファルツ城は奇妙な城だ。

    投稿日 2017年07月22日

    プファルツ城 ライン川流域周辺

    総合評価:3.5

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    第4日:10月17日(月)・・・185km、曇り時々晴れ、8~15℃

    バッハラッハの木組みの家並みに別れを告げ、14:45駐車場を出た。

    途中のラインの中州に出現するDie Pfalzプファルツ城(正式にはBurg Pfalzgrafenstein プファルツ伯城という。略して「プファルツ」と呼ばれる)は14世紀にプファルツ伯により、ライン川の通行税を徴収する目的で建てられたものでいわば関所である。
    14世紀に築かれた頃は、真中の五角形の塔だけしかなかったが、後に舟のような形の外側部分が補強された。
    現在は城内に博物館があり、この砦のある中州に渡るにはKaubカウプの町から渡し船の便を利用する。

    丁度航行してきた輸送船と共に撮る。何度この写真を撮ったろうか。

    それでいて、私はこの博物館の内部を見た事が無い。

    10年前の2006年5月15日は、工事中の覆いで一部が隠れていたが、この日はライン川の水量も少なく、中州が広く見え、プファルツ城もどうどうと立派に見えた。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0

  • 久しぶりにアルザスワイン街道を巡った。

    投稿日 2017年07月22日

    アルザス ワイン街道 アルザス地方

    総合評価:4.5

    ≪黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅⑱アルザスワイン街道を走る。≫
    “ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” 
    オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。

    期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅

    参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
    http://4travel.jp/travelogue/11027937

    <“ Route des Vins d'Alsace ”(アルザスワイン街道)を走る。>

    7月20日(月) 曇りのち晴れ 25~30.5℃ 129km;前半899km(予定より172km増)
    Colmarコルマール =>アルザスワイン街道 (Turckheimテュルクアイム)32km (Katzenthalカッツェンタール) =>49km Koenigsbourgオー・クニグスブール城=>11km Bergheimベルクハイム =>(Riquerwihrリクヴィル) 21km Kaisersbergカイゼルスベルク=>16km Colmarコルマール・Romatik Hotel Le Mare’chalロマンチックホテル ル・マレシャル

    <Die Elsaesser Weinstrasse (franzoesisch Route des Vins d’Alsace)アルザスワイン街道>

    ヴォージュ山脈の東斜面に連なるアルザスのブドウ畑。その間を縫って、北はマルレンアイムから南はタンまで、およそ 170 km に渡ってアルザスワイン街道が続く。
    春夏には深い緑に、秋には黄金色に色づく大地。石畳の路地に、窓辺を花々で彩った木組みの家々。街道沿いには 100 余りの村が点々とし、車を走らせると次から次へと可愛らしい町並みが目を楽しませてくれる。こうした田舎町では、気さくな居酒屋やこぢんまりした宿屋、試飲も楽しめるワインセラーが旅人を迎えてくれる。

    通り沿いに点在する“ Route des Vins d'Alsace ”(アルザスワイン街道)の標識がワイン街道の目印。村と村の間の公共交通は発達していないので、できることならレンタカーやタクシーを利用したい。また、鉄道が通っている町(オベルネ、バール、セレスタ、リボーヴィレ、コルマールなど)からタクシーで近郊を回り、コルマール発の観光バスを利用する方法もある。
    http://alsacekai.com/visite.html

    XXX

    かつて1984年1月、Colmarコルマール見物やここを起点にアルザスワイン街道巡りをしました。Husserenユスランの古城の城址、Kaysersbergカイゼルスベルクの古城、Turckheimテュルクアイム、Riquerwihrリクヴィル、年末から元旦は素晴らしい快晴に恵まれたものです。2日はDombachダンバック、Molsheimモルスアイム、Barrバール、そしてStrasbourgストラスブールに。

    もうそれらの記憶も薄れているが、久しぶりにアルザスワイン街道を巡った。
    走る道は皆ブドウ畑を通るから、気分は上々である。天気も明るくなり、Katzenthalカッツェンタールの村外れで、いったん車を降りて、周辺の景観を眺めた。

    アルザスワイン街道の葡萄畑の景観とレンタカーVW Skoda Rapid 1600㏄

    ・・・・・

    旅行時期
    2015年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    観光の所要時間
    1日
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • バッハラッハの街は木組みの美しい家々が並び、楽しい。

    投稿日 2017年06月20日

    バッハラッハ駅 (KDライン) その他の都市

    総合評価:4.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第4日:10月17日(月)・・・185km、曇り時々晴れ、8~15℃

    ラインガウのヨハニスベルク城からライン川沿いを走るB42に入り、ローレライに向かって走る。
    赤ワインの町Assmannshausenアスマンハウゼンの先にRuine Norigノーリッヒ城址のあるLorchロルヒがある。
    ここから対岸のNiederheimbachニーダーハイムバッハにAutofaehreフェリーで渡った。

    ライン川の左岸(B9)はラインラント・プファルツ州になる。
    ニーダーハイムバッハからバッハラッハは5kmと近い。
    バッハラッハ駅 (KDライン) は町の手前の右ライン川にある。13:18にバッハラッハに着いた。少し行った所に、川岸に作られた駐車場に車を置く。

    バッハラッハは千年以上の歴史をもつ町で、木材やワインの販売そしてライン川を通る舟からの通行税によって、財政豊かな町であったという。
    人口は2000人、バッハラッハの街は木組みの美しい家々が並び、散策するには手ごろなところで、見て楽しい街といえる。
    旧市街は市城壁に囲まれ、所々に門と塔が立っている。

    Burg Stahleckシュターレック城が丘の中腹に見えるが、今日は天気も今一なのであそこまでは行かない。小雨が降ってきたが、小さな街中を散策した。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    施設の充実度:
    4.0

  • 10年経って再訪したラインガウ・ヨハネスベルグ城は霧に包まれていた

    投稿日 2017年06月19日

    Schloss Johannisberg リューデスハイム

    総合評価:3.5

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    <懐かしのラインガウ再訪>
    第4日:185km
    アモールバッハから戻り、フランクフルト・ヴィースバーデンを経由、135kmの距離にあるラインガウのSchloss Johannisbergヨハネスベルグ城を再訪し、テラスレストランからかつて眺めたブドウ畑やラインの秋の景観を楽しみたい。

    ≪ラインガウ・ヨハニスベルグ城再訪≫ ⑤
    Gutsrestaurant Schloss Johannisbergレストラン ヨハニスベルグ城
    D-65366 Geisenheim-Johannisberg
    http://www.schloss-johannisberg.de/schlossschaenke.htm
    11:30~12:10  9.5℃

    今日の再訪を楽しみにしていたが、なんとラインガウは霧が深い。
    その上、ヨハニスベルグ城のテラスレストランは大改修中で、骨組みだけになっているではないか。

    ガッカリ、ビックリしながら、醸造所のワイン蔵やワインの販売所をのぞいたが、まだ旅も始まったばかり、さすがにワインを買っていくわけにもいかない。

    ともかくも“ワインの使者の騎馬像”(既述)を表敬してから、かつて眺めた葡萄畑や
    ラインの秋の景観を楽しみたいと思ったがテラスレストランから下の葡萄畑の斜面は霧で見えないのだ。
    このようなことは初めて見るが、十数年ライン川畔(ラインラント・プファルツ側)に住んでおられた方の言葉で、「晩秋の早朝ともなれば、ヘッセン州へ渡る橋はきまって濃霧に包まれており、まるでライン川の表面全体が沸騰しているかのように見えたものです」と聞いたことがある。

    ヨハニスベルグ城のテラスレストランで葡萄畑を見ながら、昼食をしたいという望みは、そんな次第で達成する事が出来ず、駐車場で小休止。

    12:10に丘を下った。

    ・・・・・

    <ラインガウのワイン>(ヘッセン州)
    ライン川と平行するTaunusタウナス山系の麓から、ライン川岸まで、栽培面積:3227(ha)のブドウ畑が広がっている。

    神聖ローマ帝国のカール大帝の頃より、既に銘酒の産地と知られていて、ナポレオン、ヴィクトリア女王、ビスマルク、ゲーテたちが絶賛し、こよなく愛したエレガントで、フルーティーな白ワインの最高峰ともいえる生産地ラインガウだが、ドイツ全体ではたった3%足らずの生産量という。

    この地域で栽培されている、ぶどうの80%がドイツ最高品種と言われるリースリングである。ラインガウで生産されるほとんどは白ワインだが、面白い事にはリューデスハイムの先にある、アスマンスハウゼン村で造られるワインはシュペートブルグンダー種の赤ワインで、ドイツ最高品が出きるといわれる。
     
    リースリングのコクと力強くいきいきとした酸味がラインガウの特徴で、モーゼルワインと対照的といえる。また、ラインガウ地域はワインの格付け基準が最も厳しい地域の一つであり、この基準によりアウスレーゼ以上の産出量が他地域と比べて低くなっている。しかし、ラインガウから誕生するアウスレーゼは、ラベルに記載される等級以上の素晴らしい豊潤な味わいとなっているそうだ。    
    3大貴腐ワインの祖と言われるヨハニスベルガーはこの地の産です。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.0

  • フロイデンベルク:モノトーンの木組みの家並みに既視感があった

    投稿日 2017年06月11日

    観光案内所(フロイデンベルク) ジーゲン

    総合評価:3.5

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    第2日:10月15日(土)・・294km、朝小雨、晴れ間も出たが曇天の日、10.5~17℃

    この日最初の観光地、モノトーンの木組みの家並みが素敵なFreudenbergフロイデンベルクを目指した。土曜日の朝は車も少なく、特にトラックが少ないのでありがたい。何とか120kmも時々出しながら、静かな田舎町に着いた(9:30)。

    こちらのフロイデンベルクは(Siegerlandジーガーラントの名)が付くが、同じの名前の町フロイデンベルク (バーデンの名が付く)がフランクフルト・ アム・マインとヴュルツブルクの間のマイン川沿いにある。こうしたケースはドイツの町に多い。フロイデンベルク (バーデン)は明日走るオーデンの森の素敵な町ミルテンベルクにも近い。

    <Freudenberg(Siegerland)フロイデンベルク観光>
    (ノルトライン・ヴェストファーレン州):  9:30~11:10
    http://www.freudenberg-stadt.de/
    南ヴェストファーレン地方にあるフロイデンベルクはデュッセルドルフ空港からは凡そ130kmの距離にある。またSiegenジーゲンから北西に8kmの距離にあり、山肌の斜面に家並みを持った、人口1.8万人の町である。 
    旧市街に集まる見事な白黒の伝統的木組み建築群が有名で見どころになっている。
    とりわけ、クアパークの高台から見るモノトーンの木組みの家並みが素敵な景観がベストと云う。
    1666年に大火が起こり、1棟を残し全焼してしまったと云う。その際に焼け残ったお城の一部を建物再建の材料としたそうだが、建て直した木組み建築群は幸いなことに現在まで修復されながら住居として利用されている。
    1666年の大火の前の建物も同様の木組み建築だったと云われている。今も外観は変えることは禁止されて、景観の統一が保たれている。

    小雨の中、歴史的な旧市街と称する小さな街歩きを始めると、街中に中世祭りの時のような服を着た人たちが店を建て、商品の陳列準備に余念がない。
    上からOberstrasse、Mittelstrasse、Unterstrasse上中下の横道があり、そこに店が並ぶ。
    ある店主に毛皮の敷物を土産にどうだと言われたが、いずれにせよ今日は11時から開店だそうだ。

    買う気もないから、モノトーンの木組みの家並みをともあれ街歩きだ。近年知られた灰色屋根・白壁の木組みの家は整いすぎた感じの家並みで、古さを感じない。
    所々の家の窓辺にゼラニュームの赤い花やアクセントに緑の窓扉が見えるとホッとする。

    ・・・

    2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅で、Westfalenヴェストファーレンの南部・Sauerlandザワーラントを走ったことがある。ザワーラント地方は低い山の続く森林地帯である。
    ヴァルデック城に宿泊した翌日Bad Berleburgバート・ベルレブルクの町を訪れた。
    高地ザワーラントの北部にあり、木組み建築の建物を俯瞰した景観(写真参照)
    は素晴しいものがある。

    エーデル川沿いに先に進む。Raumlandラウムラントで北に向かい、数キロ行くと、山間の保養地バート・ベルレブルクに着く。高台の宮殿風のベルレブルク城の前に至り、教会傍に駐車していると、突然、大きな音が車の屋根にした。トチの実が風で落ちたらしい。上を見ると、更に落ちてきそうだったので、慌てて車を移動させた。

    人口2万人とフロイデンベルクとほぼ同じ規模の町だが、似たような木組み建築の建物群が素晴らしく、その景観の既視感があったから、今日のフロイデンベルクの景観にあまり感慨はなかった。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    景観:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • やむなくデュッセルドルフ空港のシェラトンホテルに一泊した

    投稿日 2017年06月01日

    シェラトン デュッセルドルフ エアポート ホテル デュッセルドルフ

    総合評価:3.5

    ≪2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    いつもの旅は空港から目的地に即出発するが、今回は秋の日の16時空港着と遅い為、デュッセルドルフ空港のシェラトンホテルに初めて宿泊し、翌日レンタカーでスタートとなった。非効率だがやむを得ない。

    地上階に出て、空港を歩くとAvisレンタカーの事務所が目に付いた。
    シェラトンの位置を確認すると、ほんの20m先の出口を出て真っすぐ行くと、ホテルに上がるエレベーターがあるとの事であった。
    確かに簡単で、16:35にはホテルのチェックインもスムーズに終わった。

    しばし、荷物の整理をし、1時間ほど休憩を取った。夕食をどうしようか迷ったが、ホテルで食べる気が無く、簡単に済まそうかと、空港に行く。

    夕食は空港内McDonald'sマクドナルド195店にて食べた。
    ともかく安く、予想以上に味も美味しかった。

    4星・客室数198。5階617号室は中庭に面したスーペリアDZ(28㎡)と広く、モダンな部屋でした。室料はEuro110=12,850円、朝食代は申し込めば+Euro25/人だが、朝も早く朝食を食べずに出た。水(ガスなし)0.5LX2本のサービス有り、浴用ガウン有り・スリッパは忘れたようで無かった。

    デュッセルドルフ空港の階層式駐車場P3の真上に位置するホテルは、その緊急避難図を見ると楕円の二重円を作ったようなモダンな建物で、防音対策済みの客室から緑豊かな屋上テラスを望める。
    レストランはパノラマビューを望むレストランOttoやバー&ラウンジOn Chocsがある

    デュッセルドルフ空港は250 m 、スーパーのReweレーヴェには300m 、デュッセルドルフ空港駅までわずか1kmの距離にある便利な立ち位置にある。

    ・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    3.5
    サービス:
    2.5
    バスルーム:
    3.5
    ロケーション:
    4.5
    客室:
    3.5

  • 木組みの切妻のある家々が美しい旧市街アルトコッヘム。

    投稿日 2017年05月17日

    マルクト広場 (コッヘム) コッヘム

    総合評価:4.5

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    第7日:10月20日(木) 118km、小雨・曇天、寒い一日7.0~11.5℃

    11:10~13:10 駐車場(C・Nicolayニコライ広場:924km)2時間=Euro2
    今日の天気はReichsburgライヒスブルグ城(帝国城)やFalknerei鷹狩りショー見物には無理と判断し、Alt-Cochem アルトコッヘムの旧市街見物に切り替えた。

    人口5千人の小さな街の中心にある旧市街アルトコッヘムにはベルンカステル・クースに比べると景観はもの足りないが、ライヒスブルグ城をバックにモーゼル川畔から撮る写真は実に良いものがある。

    偶々見つけた駐車場があったCarlfritz-Nicolayカールフリッツ・ニコライ広場は画家・グラフィックデザイナーのMosaikモザイク作品である Cochem-Jahreszahlenwandコッヘムの年代記が橋梁傍に掲示されている。同時にMosel-Wein-Expressというミニトレインの発着所でもあり、乗車待ちの人も多い。
    雨の中、最初に600年以上の歴史を誇るワイン酒場であるAlte Thorschenkeアルテ トルシェンケに行く。

    町を守る要塞の一部、つまり17世紀末、仏軍に焼かれて黒くなったと思われる城壁とEnderttorエンデルト門に連結した建物は薄い黄土色の壁、木組みの家(ホテル兼酒場)だ。
    1970年代の古城ホテルの加盟リストにあったので、昔からよく知っているが、宿泊・食事をしたことは無い。雨宿りを兼ねた客も多く、そこから離れた。

    マルクト広場に行くと、Martinsbrunnenマルティンの泉、バロック様式の市庁舎(1739年、かつてはトリアー大司教の役所)、木組みの切妻のある家々が美しい。

    左から二つ目の家は創業から136年目を迎えたという、今はHaus Brillen-Muellerミューラー眼鏡屋で、24個の鐘が5階屋根上に見ることが出来る。多分、美しい音色を聞かせてくれるのだろう。

    ここもワインの産地として有名で、観光客も小雨の中、たいへん多い。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 伝説が残るアルテ トルシェンケ

    投稿日 2017年05月17日

    アルテ トルシェンケ コッヘム

    総合評価:4.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    第7日:10月20日(木) 118km、小雨・曇天、寒い一日7.0~11.5℃

    ≪コッヘムのAlte Thorschenkeホテル&レストラン アルテ トルシェンケ≫
    3星・全35室。アルテ トルシェンケはモーゼル・コッヘムの600年以上の歴史を語るホテル・ワイン酒場である。ドイツの最も有名なワイン酒場であり、コッヘムの家並みを語る上で欠かせぬものである。誰もが旅での最も気に入りの写真として、このアルテ トルシェンケを撮っている。
    1970年代の古城ホテルの加盟リストにここも掲載されていたので、昔からよく知っているが、宿泊や食事をしたことは無い。

    その歴史はトリアーの大司教・選帝侯Balduin von Luxemburgバルトウィン・ルクセンブルク伯(1285年頃~1354年)が1332 年に町を守る要塞を建てた時の一部にあたる。当初、城壁看守や兵たちの住居に利用されていた。
    その後、17世紀末、仏軍に焼かれて黒くなったと思われる城壁とEnderttorエンデルト門に連結した建物は薄い黄土色の壁、木組みの家(ホテル兼酒場)である。

    アルテ トルシェンケの美味しい料理やワインが有名になり、時代とともに、魅力は増し、画家たちはロマンチックなアルテ トルシェンケを描き、詩人は同様にアルテ トルシェンケを詩歌で称揚した。
    序ながら、ケルンやフランクフルト間との郵便馬もここが起点になっていた。

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • 伝説ゲノフェーファの名がついているマイエンのゲノフェーファ城

    投稿日 2017年05月06日

    ゲノフェファブルク城 その他の都市

    総合評価:3.5

    ≪ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第7日:10月20日(木) 118km、小雨・曇天、寒い一日7.0~11.5℃

    ラインの左側の支流Netteネッテ川沿いに発展したStadt Mayenマイエンの町は東アイフェルにあり、人口18千人・・・中世の要塞ともいえるGenovevaburgゲノフェーファ城が目立って見える。

    マイエンの歴史:
    1041年、 マイエンの名は初めて歴史書に出てくる。1291 年、Rudolf I. von Habsburgルドルフ 1世・ハプスブルクによって、都市権を授与された。
    プファルツ継承戦争(1688~1697年、9年戦争とも言い、仏王ルイ14世に対し、ドイツ諸侯などヨーロッパ諸国が同盟して対抗したもの)でトリアー選帝侯領に属するマイエンはルイ 14 世の軍に占領され、ひどく破壊された。
    また、1794年晩秋にもナポレオン旗下の仏革命軍に占領されている。この為、
    マイエンの市民は二十年もフランス市民でした。
    1814~15 年のウィーン会議後、Preussenプロイセン(後のドイツ帝国)はRheinlandラインラントを自らのものにし、マイエンもドイツに復帰し、郡庁所在地となった。
    第二次世界大戦では1944 年 12 月 12 日、1945 年 1 月 2 日の2度の連合国の空爆で、町の約 90% は破壊された。戦後、市民の尽力で町は現在の如く再建されている。

    ゲノフェーファ城と伝説:
    マイエンの町の南西側に、中世の要塞ともいえるGenovevaburgゲノフェーファ城が立っている。
    町にとってはランドマークともいえる歴史的な城であるが、1689年、プファルツ継承戦争で初めて破壊され、その後も、度々破壊と再建が繰り返されている。
    ゲノフェーファ城の名は一つの伝説に基づくもので、伝説の登場人物であるPfalzgrafen Siegfried und seiner Frau Genoveva von Brabant宮中伯ジークフリートと妃ゲノフェーファ・ブラバントが居城としていたと・・・。
    古くは17世紀頃の地域の伝承によるとされているが、城のBergfried天守閣を伝説の人物の名を採って“Goloturmゴロー塔”と呼ぶようになったのは何時の事か、よく分かっていないそうだ。

    ・・・・・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • アイフェル:ラーハ湖畔に面した僧院教会附属の湖畔ホテル

    投稿日 2017年05月05日

    シーホテル マリア ラーハ その他の都市

    総合評価:4.0

    ≪ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    第7日:10月20日(木) 118km、小雨・曇天、寒い一日7.0~11.5℃

    お茶:マリア・ラーハのSeehotel湖畔ホテル・Restaurant "Seespiegel鏡湖"で
    D-56653 Maria Laach  、Am Laacher See
    http://www.seehotel-maria-laach.de/
    14:50~15:30  Euro18(2,320円)

    1865年創業、僧院教会附属のホテルは4星・全69室と中規模、現代的なホテルである。
    ラーハ湖畔に面したホテルで、美しい庭園を眺めながらお茶を楽しみました。
    今日の飲み物はKaennchenケンシェン(ポット)でダージリンの紅茶4.9X2=Euro9.8、
    この日のケーキはケーキのショーケースまで行って注文、いろいろとあって目移りしたが、結局食べ慣れているリンゴと木苺3.5X2=Euro 7にしました。
    美味しいケーキに十分な量の紅茶、にこやかなスタッフのサービスも良く、満足でした。

    XXXXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    3.0

  • アイフェル地方のラーハ湖畔に立つマリア・ラーハ僧院

    投稿日 2017年04月28日

    マリアラーハ修道院 その他の都市

    総合評価:4.5

    ≪ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    第7日:10月20日(木) 118km、小雨・曇天、寒い一日7.0~11.5℃

    <Abtei Maria Laachマリア・ラーハ僧院>
    D-56653 Maria Laach
    http://www.maria-laach.de/
    14:00~15:40  

    Eifelアイフェル地方のMendigメンディヒという町があるが、その町から北4kmにあるLaacher See ラーハ湖の南西に立つBenediktinerklosterベネディクト派の僧院である。
    1093年から1216年、湖と共に在る僧院としてPfalzgrafen Heinrich II. von Laachプファルツ宮中伯ハインリヒ・ラーハ2世と妻Adelheidアーデルハイトによって建てられた。
    1859年、13世紀からの大回廊を改装した。見事な西の入口、いわゆる“パラダイス”はアルプスの北における唯一のものとして評価が高い。

    “パラダイス”の中央に“Loewenbrunnenライオン=命の泉”がある。6塔あるラーハ大聖堂はアーチ型のバシリカをもつ後期ロマネスク様式の僧院教会で、ドイツにおける最も素晴らしい建築の一つとされている。

    聖母マリアとミラの聖ニコライを祭る僧院教会には迫力ある聖母マリアとミラの聖ニコライを祭る僧院教会には迫力あるキリストのモザイク画のある大聖壇が見られ、聖歌隊席、キリスト教の歴史を描いたステンドグラス、聖画、円天井の聖母マリア、15世紀の夕べの祈り・ピエタ像、地下のKryptaクリプタなどなどが見られた。

    とりわけバジリカのガラスの中に、13世紀の僧院建設者であったプファルツ宮中伯ハインリヒ・ラーハ2世が木彫りを施した蓋で覆った石棺に生きるがごとく、大事に敬われていたのが印象的であった。

    尚、伝説「ゲノフェーファ」はドイツのアイフェル地方のラーハ湖周辺に起源を持ち、この湖一体周辺に伝説に絡んだ話が残っているそうだ。この伝説はヨーロッパ中に流布した伝説で、他の伝説にも影響を与えていると云われている。

    グリム兄弟の『ドイツの物語』にも収録されている(Nr. 538)。
    なぜか日本語には訳されていないと云う。

    シューマンが完成・上演できた唯一のオペラ『ゲノフェーファ』でもある。

    XXXXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.5

  • 21代を数えるFuerst zu Isenburg-Buedingenイーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵家の居城

    投稿日 2017年04月26日

    Hotel Schloss Büdingen その他の都市

    総合評価:4.0

    ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    <デュッセルドルフから赤髭王(バルバロッサ)のビューディンゲンの森へ>
    10月15日(土)・・294km、朝小雨、晴れ間も出たが曇天の日、10.5~17℃

    今日の宿泊地は2013年にも訪れた“蛙の戦争”伝説で名高い古城ホテル ビューディンゲン城だ。

    15:00丁度にビューディンゲン城の色付き(日本も含んだ各国の国旗で色付けた)の蛙が壁に張り付いた城門をくぐった。

    ②10月15日(土)~16日(日):1泊
    Hotel Schloss Buedingen古城ホテル ビューディンゲン城*
    D-63654 Buedingen  、Schlossplatz 1
    Tel:+49 (0) 6042 - 9647- 0  、Fax: - 9647-10
    http://www.schloss-buedingen.de/index.php?q=startseite.html

    3星・全16室。DZ(ツイン)・Euro125(14,619円、朝食込み:Garni朝食のみのホテル)。 水は0.25Lのガス入り2本のサービスのみ。
    2階の白雪姫の部屋=5号室も室料も2013年10月14日に1泊した時と同じだった。
    全ての部屋には名前が付いている。それらは“いばら姫、ラプンツェル、カエルの王様、青いランプ、雪白とバラの赤”と言った名前が見られたから、メルヘン街道に因んだ遊び心のようだ。
    ヘッセン州Wetterauヴェッテラウ地区、中世の趣ある城塞都市に、この古城ホテルHotel Schloss Buedingenビューディンゲン城がある。ビューディンゲンの町はA45のAltenstadtアルテンシュタットの出口から東に13kmの距離、フランクフルトより北東に凡そ60kmの距離にあり、交通の便は良いのだ。週末のレセプションは14~17時。

    城内博物館;
    14~17時開館(月は休み)。今年の城庭園祭りは9月08日~11日。
    本丸には門番の石像、魅力的な張り出し窓、階段塔、天守閣があり、宮廷内には幾つものフレスコ絵画の間、台所、曲線状の広間(城内図書館)城内礼拝堂、暖炉の間、食事の間、武器の間等が見られる。

    ビューディンゲン城は13世紀半ばに作られた25.8m高さ、幅16.6m(上部塔のみは高さ9m、幅5.5m)を持つ2段階の珍しい天守閣を中心にした城郭で、かつての水城を思わせる水掘が周囲に見られ、城の後方にはKuechenbachキュッヘンバッハという小川が流れ、Schlossteich池が点在し、その跡を示している。
    城郭の後背には広大な庭園が広がり、緑の中に中世のロマネスクからバロック様式の城が立っている。

    前回の訪問で、ビューディンゲン城に残る伝説を三つ見つけた。;
    伝説①:皇帝と炭焼き人
    伝説②:真夜中に城門の左右の石像が入れ替わる
    伝説③:若き伯爵夫人エリザベート妃とビューディンゲンの蛙

    ビューディンゲン城の歴史:
    1131年に城の起源は遡り、Hohenstaufenホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝バルバロッサ(フリードリヒ1世の呼び名、赤髭王と称されて、ドイツ人に人気の高い皇帝)治下のビューディンゲンの騎士の水城であった。
    元来はビューディンゲンの森にあった赤髭王の狩猟地の防衛拠点として、水城は築城されたそうで、1219年には古い歴史資料に登場している。
    驚く事に13世紀から今日まで、Grafschaft Isenburgイーゼンブルク伯家の居城であった。
    イーゼンブルク伯家はイーゼンブルク城(現在のラインラント・プファルツ州のノイヴィート郡イーゼンブルクを発祥の地として)を名字にしたらしい。18世紀には、伯爵領は現在のヘッセン州カッセルおよびダルムシュタット地域に広がっていた。

    21代を数えるIsenburg-Buedingenイーゼンブルク・ビューディンゲン家は現在、"Fuerst zu Isenburg"イーゼンブルク侯爵家の称号を名乗っている。現城主はWolfgang- Ernst zu Ysenburg(=Isenburg) und Buedingenヴォルフガング・エルンスト・イーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵と言う。侯爵殿は広大な庭園の少し高台に、レセプションの小母さんの言う“黄色のヴィラ”と呼ばれる邸宅に住んでいるとのことだが、2011年には侯爵家の私有会社と、ヴォルフガング・エルンスト社長自身も破産したと云う。

    イーゼンブルク侯爵家は今日まで、ヘッセン州最大の広大な私有地(8,500ha=約3,000坪X8,500なので25.5百万坪)であったビューディンゲンの森を売り、2001年に1578年以来の侯爵家のビール醸造会社を手放し、更に2005年には175年の歴史を持ったWaechtersbacher Keramikベヒテルバッハー陶磁器工場も売却しており、今後の侯爵家とビューディンゲン城の行方が気になる所だ。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.0

  • 古城街道の城巡りで度々訪れた“鉄腕ゲッツ”の居城・ホルンベルグ城

    投稿日 2017年04月25日

    ホテル - レストラン ベルク ホルンベルク バード・ヴィンプフェン

    総合評価:4.0

    ≪ロマンチック街道とシュヴェービッシュ・アルプ街道、古城街道の旅≫
    (2012.05.15.~29.  15日間)
    5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、

    <Burg Hornberg古城ホテル・ホルンベルグ(角の山)城>
    この旅で41番目の城。  14:05~15:10 
    D-74865 Neckarzimmern
    http://www.burg-hornberg.de    

    人口1500人の小さな村Neckarzimmernネッカーツィメルンはネッカー川沿いに細長い。街道沿いの急斜面の丘の上に立ち、高さ27mの塔(12世紀末)を持ったホルンベルク城はネッカー川畔からも良く見えて、古城の趣に満ちた景観である。
    古城にはレストラン棟とホテル棟(全24室)が設けられている。

    古城街道の城巡りの際、ちょうど休憩に適した場所にあり、ここのレストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストランからのネッカー川の眺望は大変素晴らしく、遠くにBurg Guttenburgグッテンベルグ城も見え、眼下に見えるネッカー川、川沿いを走る鉄道など、実に魅力的な場所である。
    この事もあり、昼食やお茶、そして夕食に何度も訪れている。

    城の歴史と今:
    12世紀にホルンベルク城の起源がある。長い間、Bistums von Speyerシュパイヤー大司教の治下にあって、城主の交代のたびに城は改装、補修されて、現在の城に残っているのはゴシックからルネッサンス様式まで見られる。

    この城は特に“鉄腕ゲッツ”の居城として世に知られている。16世紀の農民戦争で活躍した、鉄腕の騎士“鉄腕ゲッツ” Goetz von Berlichingen ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”は1517年にホルンベルク城を購入し、その後半生の45年を過ごした。
    城主となり、名もGoetz von Berlichingen zu Hornberg ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名した。ゲッツはホルンベルク城で家族と共に生活し、1562年、82歳でホルンベルク城にて死去した。
    この城でゲッツは自らの回想録を残したので、これを読んだ文豪ゲーテが戯曲作品“Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”を書き、この事で世に知られた。

    XXX

    旅行時期
    2012年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    3.5

  • プファルツの魅力的な、メルヘンチックな古城ホテル エデスハイム城

    投稿日 2017年04月18日

    ホテル シュロス エデスハイム その他の都市

    総合評価:4.5

    ≪ドイツの秋:ワイン街道とRheinland-Pfalz ・Saarland地方を巡る旅≫
    Rheinland-Pfalzラインラント・プファルツ州 & Saarlandザールラント州:
    ラインヘッセン・プファルツ・モーゼル・ナーエ地方のワイン産地
           
    期間: 2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅
    10月21日(木)90km 、快晴、6℃
    ドイツワイン街道、人口2,300人のワイン村にある古城ホテルです。
    周辺にブドウ畑が広がっている。

    ≪Hotel Schloss Edesheim古城ホテル シュロス エデスハイム≫
    D-67483 Edesheim  、Luitpoldstrasse 9

    4星、38室。305号室(Brahmsブラームスの名がついた部屋・4階)
    Euro104.63 x2=209.25 
    *ドイツ観光局で入手したこのホテルチェーンのVIPカードで10%引き。
    Landauランダウ近郊、ドイツワイン街道、Burg Trendelburgの姉妹城。
    Euro188 X2=376 、Special Arrangementを利用した。

    http://www.schloss-edesheim.de/

    プファルツの森自然公園に沿って、5haを超える庭園・ブドウ畑とともに、このホテルはthe Palatinate神聖ローマ帝国の選帝侯領(ライン川西部のライン・プファルツ伯領)であった、ワイン生産地域の中心にあり、絵画的なエデスハイムの村中に立っている。

    長い歴史に彩られた古城ホテルの部屋は19世紀のロマンティックなビーダーマイヤー様式で優雅に飾られている。大理石の浴室や、周辺の素晴らしい眺めは実に素晴しい。
    メルヘン街道沿いの名高いBurghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城、ラーン川沿いの中世以来のHotel Burg Staufenberg古城ホテル シュタウフェンベルク城、ラインガウのライン川畔のドイツ最古と称されるHotel Krone Assmannshausenホテル クローネ アスマンスハウゼンなど、Hotel Schloss Edesheimと同一グループに属している。
    これらを泊り歩くKoenigstour王の4日ツアー・Kaisertour皇帝の8日ツアーもホテルでアレンジしているので、一度そんな機会も得たいものである。

    <エデスハイム城の歴史>

    “プファルツ(神聖ローマ帝国のライン・プファルツ伯領)“は他の地域に比して、神に愛されている、全てにおいて素晴らしい土地と言える。この土地は地球上のあらゆる地域よりも豊かな、祝福された土地だ。”と、フランスのヴェルサイユ宮殿でプファルツ伯のプリンセスは愛した故郷の事を語っている。この有名なプリンセスは“ヴェルサイユの太陽王の宮廷よりも、日当たりの良いエデスハイム城で生活することの方を、千倍も好む。”とも述べている。

    そしてまた、バイエルン王ルートヴィヒ1世も“私の青年時代に過ごしたプファルツ・・・私が愛したプファルツの土地、プファルツの民もこの土地を愛し、私も愛してくれた。この土地は私の家、いつの日か、私の愛する妃と共に訪ねてみたいプファルツである。”と言われたと・・・。(Edenkobenエーデンコーベンの教会前に王の立像とこの言葉がある。)
    王は後に彼の夢を果たした。彼の王国の最も美しい場所に夏の離宮を建設したのである。
    それはこの国で最も温暖な地域にあり、ブドウ畑や魅力的な庭園に囲まれた素晴らしい場所に立つ、ドイツで最も美しい古城ホテル・エデスハイム城である。

    このエデスハイム城の事が初めて歴史書に出てくるのは、756年、仏・ヴァイセンブルクのベネディクト会修道院の記録によるものである。この時期はフランク王国(カロリング王朝)の支配下にあった。キリスト教の聖職者が城の基礎石を置き、城の繁栄、発展の場を築いていった。

    1483年、エデスハイムの城と村はシュパイヤー領主・司教の支配地になり、以降16世紀に向けて繁栄は下降していき、農民戦争(1524~25年)では略奪、破壊を被った。
    1594年、シュパイヤー領主・司教の役所として、城は使用される。凡そ100年の後、9年戦争(プファルツ継承戦争・1688~1697年)で城はフランス軍によって破壊される。
    戦争終結後、新たに築城されたのは15世紀時代と同様の立派な水城である。12世紀同様の水の供給システムはいまだに問題はない。
    城館は住居・ゲストハウスとして使用され、1748年のデザインを基に、19世紀に塔も付け加えられた。

    中世以来、広い堀に囲まれた城は防御面でも優れたもので、東に向かっては二つ目の水濠が掘られていた。城は跳ね橋で外と結ばれていたが、19世紀になって初めて、現在の石橋になっている。また、ミュール川から引かれた古い運河が、城壁と並行してあるのも見てとれる。城壁は約2000mの長い、強固な防御線となっている。
    その城壁からは1570年の刻印のある礎石も見つかっている。この古城を訪れる人々は、最初の築城から現在まで1250年の間に生じた、城の浮き沈みを感じることであろう。
    1804年にナポレオンによる教会資産の世俗化・国有化により、エデスハイム城も国有化された。その後は私有化に戻り、様々な人が所有することになった。
    2000年を迎える頃、城は全面的に改装され、4星の古城ホテルに生まれ変わった。
    城の濠も改造され、500m²の広さ、2.2mの深さとなり、その濠を巡る歩道と歩道橋も作られた。小道は池の中に備えた固定ステージをもつ野外劇場に続いている。

    エデスハイム城は歴史的伝統の中に育ち、その古き良さを維持しながら、新しき道・・・即ち、ドイツ(南部)ワイン街道の大いなる価値を高める目標を掲げ、同時にプファルツの境界線をはるかに超えて一層、世に知られるようにしたい。

    新しい時代に入るとともに、プファルツの魅力的な、メルヘンチックな古城・エデスハイム城も新しい歩みを始めている。
    2001年、エデスハイム城はDr. Lohbeckグループの経営傘下に入った。
    名高い、メルヘン街道沿いのBurghotel Trendelburg古城ホテル・トレンデルブルク城や、シニア用住宅会社、新聞社を傘下に持つ企業グループである。
    Dr. Rolf Lohbeckロルフ・ローベック博士のモットーは【将来、成功を収めるためには、過去を直視し、理解することだ。】という。
      (2010.09.04.;翻訳・編集)

    旅行時期
    2010年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    4.5

jijidarumaさん

jijidarumaさん 写真

33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

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