≪ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日...
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第7日:10月20日(木) 118km、小雨・曇天、寒い一日7.0~11.5℃
ラインの左側の支流Netteネッテ川沿いに発展したStadt Mayenマイエンの町は東アイフェルにあり、人口18千人・・・中世の要塞ともいえるGenovevaburgゲノフェーファ城が目立って見える。
マイエンの歴史:
1041年、 マイエンの名は初めて歴史書に出てくる。1291 年、Rudolf I. von Habsburgルドルフ 1世・ハプスブルクによって、都市権を授与された。
プファルツ継承戦争(1688~1697年、9年戦争とも言い、仏王ルイ14世に対し、ドイツ諸侯などヨーロッパ諸国が同盟して対抗したもの)でトリアー選帝侯領に属するマイエンはルイ 14 世の軍に占領され、ひどく破壊された。
また、1794年晩秋にもナポレオン旗下の仏革命軍に占領されている。この為、
マイエンの市民は二十年もフランス市民でした。
1814~15 年のウィーン会議後、Preussenプロイセン(後のドイツ帝国)はRheinlandラインラントを自らのものにし、マイエンもドイツに復帰し、郡庁所在地となった。
第二次世界大戦では1944 年 12 月 12 日、1945 年 1 月 2 日の2度の連合国の空爆で、町の約 90% は破壊された。戦後、市民の尽力で町は現在の如く再建されている。
ゲノフェーファ城と伝説:
マイエンの町の南西側に、中世の要塞ともいえるGenovevaburgゲノフェーファ城が立っている。
町にとってはランドマークともいえる歴史的な城であるが、1689年、プファルツ継承戦争で初めて破壊され、その後も、度々破壊と再建が繰り返されている。
ゲノフェーファ城の名は一つの伝説に基づくもので、伝説の登場人物であるPfalzgrafen Siegfried und seiner Frau Genoveva von Brabant宮中伯ジークフリートと妃ゲノフェーファ・ブラバントが居城としていたと・・・。
古くは17世紀頃の地域の伝承によるとされているが、城のBergfried天守閣を伝説の人物の名を採って“Goloturmゴロー塔”と呼ぶようになったのは何時の事か、よく分かっていないそうだ。
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投稿日:2017/05/06