1984/03/01 - 1984/03/05
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jijidarumaさん
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【ドイツ人の習わし:ドイツ婦人は強い。「女性のカーニバル」の日、私のネクタイはちょん切られた!】
11月11日11時11分になると、公官庁でも、一般企業のオフィス、工場、店舗でも、あるいは街中でも、男性のネクタイは仮装した女性陣によって裁ちハサミでしっかり切られ、お詫びにほっぺたにキスをしてくれると云う。
<Weiberfastnacht(ヴァイバー・ファストナハト)は「女性のカーニバル」とも云われ、ライン地方で行われる習わしになっている。>
「女性のカーニバル」の日は女性が主役となる日、男性の権力の象徴とみなされているネクタイをねらって、女性たちが裁ちハサミでネクタイを切り落とす習わしは、今やライン川沿いの地域のお祭りとなってしまった。
謹厳実直なドイツ人社会で、こうした祭りめいた習わしが伝統的に存在する事は実に面白い。
現代のように女性の社会進出が普通になってくると、あまりのその意義も無くなりそうだと思われるがどうだろう。
<Karnevalカーニバルの由来>
カトリック宗教ではOstern オスターン(英語はEasterイースター:復活祭)の前から46日間を「断食期間」としており、断食が始まる前に肉や乳製品などで思い存分、宴を楽しもう!!と始まった祭りが、現在のカーニバルとなったそうです。
カーニバルは世界的に有名ですが、ドイツ語では「Faschingファシング」または「Fastnachtファストナハト」とも云い、地域により其々称している。
この伝統の起源は冬を追い払う古い風習なんだそうだ。
カ-ニバルとは木曜日の"Weiberfastnachtヴァイバー・ファストナハト"から次の"Fastnachtファストナハト"懺悔の火曜日を経て、"Aschermittwochアッシャーミットヴォッホ"と呼ばれる灰の水曜日までの6日間のお祭りで、通常この6日目の"灰の水曜日"と呼ばれる水曜日から、復活祭前日までの46日間の断食節に入る。
11月11日11時11分が、正式なカーニバルの開催日ということだけは毎年同じで、これはドイツ全土の行事ではなく、カトリック教徒の多いライン地方やミュンヘン近郊でのみ見られるお祭りだと云う。
ヨーロッパのキリスト教徒にとって、1年で最も大切なお祭りは、もちろんキリストが誕生したクリスマスであり、キリストが処刑され復活したというOstern オスターン(英語はEasterイースター:復活祭)である。
カーニバルは前述したように「断食期間」から付随して生まれたと云われるだけに、二つの祭に準ずるものといえよう。
だが、ドイツの長い暗い冬を過ごすドイツ人が、「クリスマス」の次に大好きなイベントは「カーニバル」なのだと云う。
写真はオフィスで女性陣に囲まれて、ネクタイをちょん切られた!帰宅した私Hellau!へラゥ!と叫んで万歳している。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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<11月11日はMartinstag聖マルティンの日で『カーニバルの開始日』でもある>
聖マルティンの日は収穫祭が行われる日であり、冬の始まりの日ともされる。
そして、『カーニバルの開始日』とされている
三大カーニバルの町(デュッセルドルフ、ケルン、マインツ)の一つとして数えられるデュッセルドルフでは、1826年に初めてこの聖マルティンの日の行列が行われたそうだ。子供たちに人気のある祭りだ。
参考写真は*Heinrich_Hermannsハインリヒ・ヘルマンス(1905年の作品)
Sankt-Martins-Zug聖マルチンの祭の行進(vor_dem_Düsseldorfer_Rathausデュッセルドルフ市庁舎前)
*Heinrich_Hermannsハインリヒ・ヘルマンスはHeinrich Hermanns,1862年5月19日1862年~1942年)はデュッセルドルフ生まれの、ドイツの風景画家である。
都市の景観を描くのを好んだ。
オランダやドイツ北西部の風景を描くのを好み、ガルダ湖やナポリ、シチリアなどのイタリアやフランス、スペイン、アムステルダムなどのオランダの街を旅して、風景を描いた。後期の作品では、街の建物の細部や建物内部を描くようになった。マルクト広場 (デュッセルドルフ) 広場・公園
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<デュッセルドルフのカーニバル>
デュッセルドルフのカーニバルは「カーニバルの精霊Hoppeditzホッペディッツ」が、*11月11日11時11分に眠りから目覚めるところからスタートする。
ホッペディッツはなぜLöwensenf(レーヴェンゼンフ)ライオン印のマスタードの壺から出てくるのだろうか?それはドイツ人も知らないらしい(笑)。
デュッセルドルフの典型的な、まるでピエロのような恰好で道化師姿のホッペディッツは写真の様に、ヨハン・ヴィルヘルム2世の騎馬像が立つ市庁舎前でデュッセルドルフ名物のレーヴェンゼンフ(マスタード)の壺から出現する。
(11月11日は Sankt-Martins-Tag oder Martinsfest聖マルティンの日(祭り)で、 その後は長い休止期間に入る)
(*ドイツで11の数字は悪い意味がある?のか調べてみたがよく分からない。
尚、英語圏の不吉な数字は「11」「111」だそうで、「11」や「111」という1のゾロ目の数字は「1のゾロ目は蛇の目」として不吉な数とされているからだそうだが?)
ついでながら、カーニバルの最終日である「Aschermittwoch灰の水曜日」には、毎年カーニバルの精霊Hoppeditz(ホッペディッツ:人形)が火葬されると云う。
そして翌年には眠りから目覚めるのだ。
参考写真はカーニバルの精霊Hoppeditzホッペディッツはデュッセルドルフ名物のレーヴェンゼンフ(マスタード)の壺から出現(2011年)、auf dem Düsseldorfer Marktplatzデュッセルドルフの旧市街マルクト広場で。ヨハン ヴィルヘルム2世(通称ヤン ヴェレム)の騎馬像 モニュメント・記念碑
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11時11分にデュッセルドルフの旧市街にある市庁舎前でイベントが開始される。
仮装した人々がが沢山!参集し、いよいよカーニバルの始まり!
「Altweiberアルトヴァイバー(木曜)」・・・・・今年は2025年2月27日(木)
アルトヴァイバーはOstern オスターン(英語はEasterイースター:復活祭)から数えて46日前の木曜日である。
デュッセルドルフなどラインラント地方では「Altweiberアルトヴァイバー=女性のカーニバル」と呼ばれ、女性の権力を見せつけるため「男性のネクタイを切り、お詫びにキスを贈る」という風習があるから面白い!
参考写真は「女性のカーニバル」の日:市庁舎では男性の市長さんのネクタイをちょん切る“Möhnen“メーネン (老女たち)と呼ばれる女性陣。市庁舎 (デュッセルドルフ) 建造物
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伝統的に「この日は女性が社会の主導権を握る」という意味があって、男性に対してちょっとした「いたずら」をしかけ、「男女の力関係の逆転」を示そうと行動するわけで、この風習は男女間の社会的緊張を和らげる良さがあるとも云えようか。
参考写真は「女性のカーニバル」の日:米軍基地でも米軍将校のネクタイをちょん切る女性 -
この習わしに参加する人々は、皆さん笑顔で実に楽しそうである。
参考写真は「女性のカーニバル」の日:ちょん切る女性陣も仮装しての登場だ。 -
イチオシ
オフィスで女性陣に囲まれて、ハサミでネクタイをちょん切られた!
(事前に男性写真から教えてもらっていたので、今日はもう捨ててもよいような古いネクタイを付けて出勤した。戦利品のネクタイはオフィスの壁に貼られている)
さて、帰宅した私Hellau!へラゥ!と叫んで万歳している。
無礼講の日だから止むを得ないのだが、お詫びにキスをしてもらっていないのは何故だろうか?!
写真は「女性のカーニバル」の日:ネクタイをちょん切られた!私Hellau!へラゥ!と叫んで万歳!旧市街アルトシュタット 旧市街・古い町並み
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「カーニバルサタデー(土曜)」・・・・・今年は2025年3月1日(土)
デュッセルドルフの多くの学校や幼稚園などがパレードに参加し、デュッセルドルフのKonigsalleeケーニクスアレーからAltstadtアルトシュタット(旧市街)に向けて行列が行われる。
「カーニバルサンデー(日曜)」・・・・・2025年3月2日(日)
仮面をかぶったり、仮装をした人たちが集まり、音楽とともに踊ったり騒いだり、其々好みに応じてカーニバルを楽しむ。
「Rosenmontagローゼンモンターク(薔薇の月曜)」・・・・・2025年3月3日(月)
カーニバル一番の見どころ!薔薇の月曜日と呼ばれるこの日は、一大イベントのパレードが市内で行われる。大きな山車が動き出し、楽しい音楽と、「デュッセルドルフ!Helauヘラウ!」の掛け声が響き、デュッセルドルフの街中が陽気な音楽と、華やかなパレードで盛り上がる。お菓子が山車からばら撒かれ、子供たちが手をあげる。
正式な祝日でもないのに、デュッセルドルフやケルンでは学校や企業、お店が休みになる。
デュッセルドルフの掛け声は「Helau!ヘラウ!」。誰かが「デュッセルドルフ!」と叫べば、「ヘラウ!」と返すんだと云う。
参考写真はカーニバルの日:*Prinzenpaarカーニバルの王子と王女
デュッセルドルフのカーニバルの最初のハイライトは元旦にやってくる。この日にそのシーズンの*Prinzenpaarカーニバルの王子と王女が選ばれる。
今から200年前の1825年には、デュッセルドルフ市で最初の王子が選ばれていると云うから驚く。 -
老若男女がこぞって仮装し、伝統的な民族衣装や仮面をつけて数kmにわたるパレードを楽しむ祭りは「Rosenmontag薔薇の月曜日」に最高潮を迎える。
市街地の道路沿いには数百万の人が出て、肩を組んで音楽に合わせて体を動かし、歌い踊って一種の無礼講の状態になるというからすごいものだ。。
ケルンの掛け声は「Alaafアラーフ!」と叫ぶと云う。デュッセルドルフの掛け声は「Helau!ヘラウ!」と何故、どうちがうのか?調べても分からないのだが。
ケルンのKölschケルッシュ、デュッセルドルフのAltbierアルトビアー、その好み同様に二つの掛け声も相いれないのだろう。
参考写真はWeiberfastnacht in Kölnケルンのカーニバルアルター マルクト広場 広場・公園
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初めての薔薇の月曜日のパレードは1823年にケルンで行われ、二年後にはデュッセルドルフ、1836年にはマインツもこれに続いたというから、実に長い歴史がある。
参考写真はMainz_Fastnachtマインツのカーニバルグーテンベルク広場 広場・公園
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参考写真はWolfach(Schwarzwald)_Fastnachtヴォルファッハ(黒い森)のカーニバル
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参考写真はRottweil (Baden-Württemberg)_Fastnachtロットバイル(バーデン・ヴュルテンベルク州)のカーニバル
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参考写真はカーニバルの日:2015.07.22.DBP_1983発行-Rottweilロットバイル(バーデン・ヴュルテンベルク州)のカーニバルの跳躍Fastnacht -Narrensprungの郵便切手
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参考写真はSchwäbisch-Alemannischer Narrenzünfteシュヴァーベン・アレマン地方のファスネット(カーニバル)
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カーニバルの揚げパン、ドイツ風にはBerlinerPfannkuchen(ベルリーナープファンクーヘン)、オーストリア風には"Faschingskrapfen"(ファッシングスクラプフェン)と言うらしいが・・・中にあんずジャムが入っている。
この時期の旬の食べ物・・・といってもパン屋では普段でも買える。
参考写真はカーニバルの日:カーニバルの揚げパン -
イチオシ
写真は1975.02.10.バラの月曜日・カーニバルの衣装で:旧市街に長女のお友達のサンドラと。長女と次女の衣装は家内のお手製で勇んで出かけた。(赤頭巾ちゃん姿の次女も見えるが、違う日か?)
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写真は1976.02.26.Kindergarten St. Bonifatius聖ボニファチウス幼稚園のカーニバル:長女と次女も着物姿で参加した。(Sternwartstrasse 65、Bilk)
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イチオシ
写真は1977.02.17.Kindergarten幼稚園のカーニバル:着物姿の次女・ソニヤ・デニー・リッタ・ブリジッテ・アンゲリカ・サンドラ・トーマス、03.16.お世話になった日本人学校の先生ご一家がご帰国前に夕食に招待:仲良しの3人兄弟たちと。
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写真は1977.02.21.①Rosenmontagバラの月曜日・ケルン大聖堂前のカーニバル見物:この日は日本人学校の先生家族と一緒に出掛けた。華々しい馬車や山車が行く。
ケルン大聖堂 寺院・教会
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イチオシ
写真は1977.02.21.②Rosenmontagバラの月曜日・ケルン大聖堂前のカーニバル見物:山車から投げられる飴や御菓子を拾う事に熱中する子供たち。
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写真は1977.02.21.③Rosenmontagバラの月曜日・ケルン大聖堂前のカーニバル見物:先生の息子さんも、シュミット首相の人形も登場。
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写真は1978.02.xx.幼稚園のカーニバル祭:煙突掃除夫役のMansfeldマンスフェルト先生、親切なRomnowskiロマノスキー先生とお友達、ダニエラのお母さんも
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写真は1978.02.xx.幼稚園のカーニバル祭:水兵姿の次女、船長姿のマリオス
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【1983.03.04.~05.カーニバル休日にモーゼル川流域を上り下りする小旅行に出た。】
Koblenzコブレンツ=>B49 53km (Alken アルケン) =>B49・53 66km Zell ツェル/ Mosel・ Hotel Schloss Zell古城ホテル ツェル城(1泊)。
カーニバル休日(Rosenmontag薔薇の月曜日)を利用して、家族旅行をした。大きくなった娘達にとっては、二度目の駐在で初めてのモーゼル川である。
Koblenzコブレンツでアウトバーンを下りて、モーゼル流域に出る。
最初の写真はモーゼル川の左岸(コブレンツに向かって)、コブレンツから約17kmにあるKobern-Gondorfコベルン・ゴンドルフの町(人口3千人)の城門搭である。ここで駐車するのは珍しい。
ここは12世紀に築城されたSchloss Leyenライエン城(Haus von der Leyenライアン家)若しくは Schloss Gondorfゴンドルフ城とも云う城郭の一部で、城門搭というよりVorburg一の丸だと云う。部分的にはモーゼル川の水を引き込んだ水城の形態だったと云う。
この写真後方に城郭の本体が長細い形で立っている。
向こう岸にAlkenアルケンの古城Burg Thurantトゥーラント城が見える。なかなか見栄えの良い古城だが、一度も登った事が無い。
懐かしいCochemコッヘムの街中にあるブドウ絞りの銅像と娘達を撮った、コッヘム城近くの道路際に駐車して、静かな流れのモーゼル川と共に撮った。
写真はモーゼル川下り:右上から時計回りに、ゴンドルフ城の一の丸、アルケンの古城トゥーラント城の遠望、コッヘムの街中にあるブドウ絞りの銅像と、コッヘム城近くのモーゼル川と共に撮った。ライヒスブルク城(コッヘム城) 城・宮殿
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<“Die Mozelモーゼル川”>
モーゼル川は全長545kmの長さで、フランス国内を303km、ドイツ国内を242kmと流れている。モーゼル川の名はローマ人により名付けられた“ ?kleine Maas小さなMaasマース”からきたという。
川はフランスのボージュ山系のCol de Bussangコル・ド・ビュッサンを源流として流れ出し、ナンシー、メッツを経由し、Perlペルル(ここに2006年ミシュラン3星レストランに昇格したグルメレストランSchloss Bergシュロスベルクがある)近くでフランス・ルクセンブルグ・ドイツの三国の国境線をまたぎ、ルクセンブルグとドイツの国境を流れていく。
最も美しい風景を繰り広げるのは、ドイツのモーゼル流域であり、トリアー、コッヘムと美しい弧を何度も描きながら、Mosel-Weinstrasseモーゼルワイン街道(Trier~Koblenzトリアー・コブレンツ間193km)に沿って、流れはゆったりと進み、コブレンツのDeutsches Eckeドイチェス・エッケ・・・皇帝ヴィルヘルム一世の騎馬像が立っている。・・・でライン川に合流する。
トリアー・コブレンツ2都市間の凡そ200kmの街道はローマ時代から、現在に至るまでドイツでの重要な街道の一つである。
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写真はモーゼル川流域図 -
参考写真は2016.10.20. モーゼル川と古城群
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写真はモーゼル川下り:Schloss Gondorfゴンドルフ城の一の丸・・・この道をトリアーに向かって走って行くから、モーゼル上りだが。
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参考写真は1984.03.04.Schloss Leyenライエン城(Haus von der Leyenライアン家)若しくは Schloss Gondorfゴンドルフ城とも云う城郭を横に見た様子。
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ゴンドルフ城からは対岸に見えるが、2016.10.18. は対岸側の道を走った。
いつも写真だけ撮るAlkenアルケンの古城Burg Thurantトゥーラント城(1197~1206年にかけて、ライン宮中伯ハインリヒ5世が築城)をまた写す。
左右に塔が立ち、横に長細い形状の山城で、山裾の葡萄畑が少し黄葉している様子が良い。
写真は2016.10.18. Alkenアルケンの古城Burg Thurantトゥーラント城 -
写真はモーゼル川下り:コッヘム城近くのモーゼル川と共に撮った。
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写真はモーゼル川下り:右上から時計回りに、頭上高くコッヘム城を見上げて、静かな流れのモーゼル川と共に撮った、ツェルの町の葡萄畑からMarienburgマリエンブルク僧院跡(ユースホステルもあったが冬季中は閉鎖)やモーゼル川の蛇行が見渡せた、Burgruine Metternichメッテルニヒ城址をバックに、ツェルの町の葡萄畑からモーゼル川と対岸を走る黒々とした鉄道列車を遠望した。
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コッヘムをそのまま通過し、Burgruine Metternichメッテルニヒ城址(1120年頃築城、1637年にメッテルニヒ家が取得、1689年に仏軍により破壊された)をまた撮り、ツェルの町(距離741km、ツェルはモーゼルの中間地、結構遠い)に至る。
写真は2016.10.18. Burgruine Metternichメッテルニヒ城址(現在、古城ホテルに変わっている) -
<Burg Reichsburg帝国城 (Burg Cochemコッヘム城)>
2016.10.20. に再訪した。
ライヒスブルグ城は秋らしく、黄葉に包まれていた。
2006年5月に訪れ、城内見学もじっくり見たのでまだ記憶も残る。その山城の姿は、モーゼル川畔の何処から撮っても、納まり良いものである。
モーゼル川沿いの山(約100m)にそびえ立つ山城である。円錐形の山上に立つ城は4個の城門、城壁、壕に守られ、守るに易く、攻めるに難い城と云われた。
強大な天守閣は壁の厚さが3.6mもあり、1000年の歴史と共にある。
中世の時代はモーゼル川を行き来する船から関税を徴収していた。
この城はライン地方のPfalzプファルツ選帝侯の居城であったが、その後シュタウフェン家出身の皇帝の帝国城となり、最終的にはトリアー選帝候・大司教の所有になる。
1689年、プファルツ継承戦争でルイ14世率いるフランス軍の猛攻撃を受け、ライン・モーゼル流域の殆どの城と同じく、破壊されてしまう。
漸く1877年に、ベルリンの枢密顧問官ラフェネーにより、8年をかけて、14世紀の新ゴシック様式の中世風城塞に復元された。内装は19世紀のドイツ上流階級の邸宅に見られるもので、現在、城は町が所有している。
参考写真は2016.10.20. Burg Reichsburg帝国城 (Burg Cochemコッヘム城)amMoselの冊子 -
参考写真は2016.10.20. 復元される前のCochemコッヘムの絵(1830年)
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参考写真は2016.10.20.Burg Reichsburg帝国城 (Burg Cochemコッヘム城)の秋景色は素晴らしい。・・・8年をかけて、14世紀の新ゴシック様式の中世風城塞に復元されたものだ。
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コッヘムから更に走り、モーゼル川が大蛇行する半島のMarienburgマリエンブルクから対岸のZellツェルに渡った。
かつてMarienburgマリエンブルク僧院跡に上がどうなっているのかと思って、一度、車で登ったことがある。上からの景観は少々見づらいもので、むしろ対岸のツェルの葡萄畑からの遠望した方が良かったと思う。
僧院跡にYHの宿泊設備があった記憶がある。
参考写真はモーゼル川:Zellツェルの大蛇行(半島の中央にMarienburgマリエンブルク僧院跡(YHホテルもあったが冬季中は閉鎖)がある) -
参考写真はモーゼル川のZellツェル:モーゼル川の大蛇行の半島、中央にMarienburgマリエンブルク僧院がある(1900年)。
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ツェルと言えば、
≪伝説:“Zeller Schwarze Katzツェルの黒猫“ ≫
『その昔、ワイン農家の飼い猫の黒猫がワイン樽の上に、次々と飛び乗り、買取り交渉に来たワイン商人を、背を丸めて威嚇し、ワインの樽を守ろうとした。後でこのワインを試飲してみると、全てが極上のワインであったとか』
・・・と言う故事に基づいて、当地のワインは黒猫印のラベルを貼り、世に知られたワイン産地なったそうだ。
参考写真はモーゼル川のツェル:町の標識・・・ワインの守護神「黒猫」を描いているのが珍しい。 -
<Zellツェル(モーゼル川85kmの地点)>
Zeller Landツェル地方もワインの生産地域で、その中心がZellツェルである。モーゼル川の上流であるSaarザール川のCloefクレフ(メトラッハ)の蛇行と同じようなモーゼル川の蛇行が、良く見られる場所の一つで、対岸の半島を含め、幾つかの集落がツェルの町を形作っている。人口4,500人。
蛇行したモーゼル川が半島に沿って流れる、その付け根にある山上に、Marienburgマリエンブルグ僧院跡(今はユースホステル)がある。
参考写真はモーゼル川のツェル:Schloss Zellツェル城(20世紀の写真) -
ツェルのワインは黒猫印のラベルを貼り、世に知られたワイン産地だが、街中の役場(1882年)前には、楽しい事に背を丸くして、威嚇する黒猫の噴水まであって、撮影ポイントになっているが、いつも逆光で上手く撮れた事がない。
今日は向きが変わっていたので上手く撮れた。右手はローマのマルクト広場であり、ローマの浴場跡がある。山裾はかつてのローマ街道が走っていたのだ。
写真はモーゼル川のツェル:2016.10.18.市庁舎傍のツェルの黒猫の像を撮った。 -
<2016年10月18日(火)~20日(木):2泊した時の記録>
Hotel Schloss Zell古城ホテル ツェル城
D-56856 Zell / Mosel 、Schlossstrasse 8a
Tel:+49 (0) 6542 / 98860
http://www.schlosszell.de/
4星・全13室。Turmzimmerタワールーム(40㎡)3階No.1号室・Euro130X2=260(朝食込み=30,262円)。
ガス入りGerolsteiner0.5Lの毎日水1本あり。ガウン・スリッパ無し。
19日の夕食は19時、Weinlaub(ワイン亭)を予約したはずだったが、その事がレストラン側は知らなかった。驚いたことに、このホテルは以前と異なって、レストランとホテルの経営は別になっていたからである。
モーゼル周遊に丁度良い場所に立つ古城ホテルであるが、古城ホテルの経営はやはり難しいもののようだ。
郷土料理や地元産ワインが提供されるWeinlaub(ワイン亭)と朝食用のレストランGewoelbekeller円天井のケラーがある。
古城ホテル ツェル城は多分、モーゼル川に来ると必ず立ち寄ったから、一番多く宿泊した古城ホテルになるだろう。
参考写真は1984.03.04.Schloss Zell ツェル城 の冊子・・・かつて何度か泊まったことがある古城ホテル、2016年10月は塔内の部屋(2泊)が予約済みだ。 -
この古城ホテルは双塔を持った後期ゴシック様式の建物で、1307~1543年の間、代々のトリアー選帝侯の居城として建てられた。1521年マキシミリアン皇帝が、1847年にはプロイセン王ヴィルヘルム4世が所有したと云う。
裏山のブドウ畑は健在で、銘酒“Zeller Schwarze Katz(ツェラー・シュヴァルツ・カッツ)ツェルの黒猫“の看板が、急斜面に作られた畑に立っているのが見える。
参考写真は1984.03.04.Schloss Zellツェル城 の冊子 -
この時は二度目の宿泊です。
1984.03.04.に宿泊した際はTurmzimmerタワールーム(40㎡)4階No.1号室でした。最上階には二つの塔を結ぶ廊下(写真参照)があり、右の私共の部屋と左の娘達の部屋を行き来できた。
写真は1984.03.04.Hotel Schloss Zell古城ホテル ツェル城 -
ドイツモーゼル上流を走って、B53->16km、夕暮れ時のNeumagen-Dhronノイマーゲン・ドロンの町に入る。
ノイマーゲンには“ローマ人がワイン舟を漕いでいる彫像”がある。一世紀中頃、ローマ人が製法を伝えたモーゼルワインはドイツワインの元祖になる。
独特の緑色のビンが特徴。
ここは“モーゼルワイン街道”(Trier~Koblenz間193km)を走っている。
ツェルに入る道路際に『緑の下地の上に、黄色で葡萄、モーゼルの蛇行をMの字に描き、下にMosel-Weinstrasse の文字が書かれている標識』を見つけました。
宿泊するのは、見た目も珍しいHotel Schloss Zell古城ホテル ツェル城のTurmzimmerタワールーム最上階(4階)で、娘達は喜びました。
記憶では1970年代、最初の宿泊は部屋が無くて、ホテルオーナーの部屋を提供して頂いた。もうそのオーナーは引退されて、息子さんの世代になっていた。写真のシェンケ入口は改装時に無くなり、今はカフェレストランになっていた。
写真は1984.03.04.モーゼル川のツェル城:左上から時計回りに、夕暮れ時のノイマーゲンの“ローマ人がワイン舟を漕いでいる彫像”、“モーゼルワイン街道”の標識が道路際に、Hotel Schloss Zell古城ホテル ツェル城タワールーム最上階(4階)、古城ホテル ツェル城のシェンケ入口。 -
写真は1984.03.04.モーゼル川のツェル城:左上から時計回りに、レストランの夕食はとても美味しく満足した、街中で見たモーゼル川洪水被害の印(これは洪水被害の都度、書き加えられて現在もここにある。最近では1983年だが結構高い市に印があった)、タワールーム最上階(4階)の部屋に登るにはエレベ―ターは無く、らせん状の階段(様々な歴史的な化石などが貼りつけられて)を上がるのだ。
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写真は1984.03.04.モーゼル川のツェル城:らせん状の階段(様々な歴史的な化石などが貼りつけられて)を上がるのだ。
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イチオシ
2016.10.18. 古城ホテル ツェル城のTurmzimmerタワールーム3階に1泊した。
尚、昔泊まった部屋はこの部屋の上の階だが、この時は閉鎖中だった。
写真は1984.03.04.モーゼル川のツェル城:左上から時計回りに、娘達の部屋は少々寒かったようだが、小さな、メルヘンチックな部屋は楽しそうだ、私共部屋の居間、右手に大きな浴室があった、暖炉のある部屋でスタッフに家族写真を撮って頂いた、5日の朝食の間で。 -
朝食後、ちょっと休憩してからチェックアウトした。
ツェルから南の山あいにある宝石の町Idar-Obersteinイダー・オーバーシュタイン(人口4万人)を訪れてから、デュッセルドルフに帰る予定だ。
写真は1984.03.05.モーゼル川のツェル城:暖炉のある部屋でスタッフに家族写真を撮って頂いた。
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2016.10.19.Trarbachトラールバッハ側に立つBrückentor橋門傍のワインの飲み屋でZwiebelkuchenツヴィーベルクーヘンを食べ、秋の名物であるFederweisserフェーダーヴァイサーを飲んだ。小さな店内は飲み客でいっぱいだった。
店の看板に秋の名物であるFederweisserフェーダーヴァイサー(発酵を始めたばかりのブドウ果汁)と呼ばれる新ワインと、Zwiebelkuchenツヴィーベルクーヘン(タマネギケーキ)が書いてあった。
早速、これを注文した。小さなグラスいっぱいに注がれたフェーダーヴァイサー(0.2L Euro2.4)や四角のツヴィーベルクーヘン(Euro2.6)は久しぶりで実に美味かった。
写真はワインの飲み屋でZwiebelkuchenツヴィーベルクーヘンを食べ、秋の名物であるFederweisserフェーダーヴァイサーを飲んだ。 -
ライン川ではBoppardボッパルト(ボンから東南におよそ70km)の大蛇行の景観がピカイチだが、モーゼル川にもZellツェル、Bremmブレム、Trittenheimトリッテンハイムなどの場所に大蛇行を身近に見ることができる。
参考写真は2016.10.20. Mosel:Bremm・Moselschleife ツェルとコッヘムの中間にあるブレム・モーゼル川の大蛇行・・・モーゼル川が約180度回転しているような場所、ここがモーゼル川流域でも大蛇行の眺めが一番良いと云われている。 -
参考写真は2016.10.19.Trittenheimトリッテンハイム_an_der_Moselの大蛇行も有名だ。
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以上懐かしいモーゼル川の旅で記憶に残る場所を3つおまけにした。
(2025年09月10日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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ドイツの習わし:人生で最も輝いているコミュニオン(Kommunion初聖体拝領式)のお嬢さん
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この旅行記へのコメント (2)
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- パッピーさん 2025/09/11 23:00:08
- ネクタイをちょん切る日 なんてあるんですね!
- jijidarumaさん今晩は。
「女性のカーニバル」初めて知りました。要らなくなったネクタイを処分して貰えるので便利ですね(^^)/ 着物を召されてカーニバルに参加されたお嬢さん、間違いなく一番人気だったでしょう。ドイツで暮らした経験からの旅行記、とても興味深く読ませて戴いています。
お話したドイツの旅、アルザスは止めて、エルツ城、コッヘム城、ラインフェルス城を加え、ドイツの城巡りに変更して予定組み直しました。ですがカタール航空を使う予定だったので、昨日のドーハ攻撃の報道で怖気づき、ロシアのドローン事件もあり、ドイツ行をキャンセルすることにしました。 jijidarumaさんのブログに触発されて是非にと思っていただけに残念です。暫くは jijidarumaさんのセピア色の思い出を楽しませて戴きます。
パッピー
- jijidarumaさん からの返信 2025/09/12 14:27:51
- Re: ネクタイをちょん切る日 なんてあるんですね!
- パッピーさん、
今日は。昨日から当地は雨模様、落雷もあって怖いものでした。
御地はトラブルはありませんでしたか?
さて、「女性のカーニバル」、表紙の私のちょん切られた写真、
珍妙で、妙に御機嫌な様子、多分オフィスで女性陣と一杯やってから、
帰宅した感じです。家内が娘達と面白がって写真を撮りました。
以前からアルバムを見ていて、ドイツ人の習わし(風習)の一編に
しようと思っていました。11月になってからでも良かったのですが、
何やら纏まったので投稿してみました。
<Andre Länder, andre Sitten>アンドレ レンダー、アンドレ ジッテン 意訳すれば、<所変われば、品(風習)変わる> でしょうか!
幾つか、シリーズで投稿したうちの一つですが、ご興味をひった様子、
当方も有りがたいものです。
娘達の着物姿、泣き虫で幼稚園では手こずらせた次女でしたが、長女の
友達を引き継いで、この頃は実に楽し気で、ドイツ語も一番うまくなりましたね。もう二人とも50代で次女はまだ孫の受験戦争の最中です。
ドイツの古城巡り、良いプランでしたね。次が楽しみですよ。
ドイツ党!に乾杯です。
そうそう、一度古城ホテルに泊まる企画も良いかもしれません。
それではまた。コメントありがとうございました。
jijidaruma
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